2014年6月17日火曜日

大学教育の意義の国際比較

 日本の大学生は遊び呆ける,諸外国に比して,大学教育の職業的レリバンスが薄いなどとよく言われますが,データでみるとどうなのでしょうか。

 私が分析にのめり込んでいる,内閣府『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年度)では,学校卒業者に対し,最後に出た学校での教育の意義について尋ねています。私は,大学卒業者のサンプルを取り出して,この設問への回答結果を国ごとに比べてみました。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 「一般知識の習得」など8つの項目を提示し,それぞれについて,意義の程度を4段階で評価してもらう形式です。選択肢は,「意義があった」「どちらかといえば意義があった」「どちらかといえば意義がなかった」「意義がなかった」の4つなり。ここでは,最も強い肯定である「意義があった」の比率をとることにしましょう。

 結果を整理すると,下表のようになります。<  >内の数値は,ここでの分析対象である,各国の大卒者のサンプル数です。日本は236人です。ドイツのサンプルが少なくなっていますが,まあ分析に耐えない数ではありません。


 7か国の最高値は赤色,最低値は青色にしましたが,わが国は8項目中5項目で最低値を記録しています。とりわけ,才能の伸長や職業技術習得という点での劣勢が目立っています。一方,大学教育の意義の評価が全体的に高いのはドイツであり,職業技術習得の点では,68.2%の卒業生が「意義があった」と明言しています。日本とは,50ポイント以上もの開きです。

 日本の唯一の取り柄事は,「自由を満喫できた」点で意義があったという評価が高いこと。この項目の肯定率は,7か国でマックスとなっています。むーん。冒頭で記した,巷の通説が数値で実証されたような感じですが,上表のデータを視覚化しておきましょう。

 8項目(極)の肯定率のチャート図にしようと思いますが,7か国全部の図形を描くと繁雑になりますので,日英独の3国に限定します。


 こういう事態になっていることは政府もよく認識しているところであり,現在,職業教育を行う高等教育機関の創設について議論されています。また,学生が遊び呆けないよう,「学生を鍛え上げる方針」明示されたのは,2012年8月の中教審答申においてです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325047.htm

 後者の点についてですが,最近は,学生に勉強させるため,「ガンガン課題を出してくれ」と言われることが多いです。しかるに,学費(生活費)を稼ぐためにバイト三昧の学生さんを見ると,そういう気も起きなくなります。学生を鍛え上げる方針と,現行の高学費は明らかに相容れないといえるでしょう。

 そもそも,「1単位取得するのに45時間の勉強が必要(授業時間含む)」という規定を徹底させたら,学生はバイトなんざする暇はありませんぜ…。

 それと,「自由を満喫」という点での意義評価が高いことは,100%否定的に捉えられるべきことではないでしょう。アイデンティティの確立という,青年期の課題達成に必要な試行錯誤をするための条件が備わっていることでもありますしね。

 考えてみれば,日本の大学教育が「ゆるかった」のは昔からそうですし,そうした「ユルユル」の大学から逸材が多数輩出されたのも事実です。

 ここにて,興味ある分析課題として提起されるのは,大学時代をどう過ごしたかによって,その後の人生がどう変わるかという問題です。勉強一辺倒だった学生と,自由を謳歌しいろいろなことをした学生ではどう違うか。ごく単純な問題ですが,この問いに答える調査データってあるのかしらん。

 最近,いろいろな「追跡調査」がなされるようになっていますが,こういう,教育効果の検証に与するデータも出してくれたらなと思います。上記の内閣府調査のローデータを使って,回顧的な視点からの検討ができないこともありませんが。