暮らしの豊かさを測る指標として,収入(所得)が取り上げられますが,生活には支出が伴います。食費や娯楽費などは節約がききますが,毎月必ず定額を払わないといけないものがあります。その代表格は住居費,借家世帯でいうと家賃です。
生活のゆとり(余裕)は,収入と家賃を対比してうかがうこともできます。たとえば,年間家賃が年収の何%かです。この指標は不動産業界でもよく使われます。最近は,アパートを借りる際,連帯保証人は立てなくていいから家賃保証会社を使ってくれと言われますが,私は今の部屋を借りるとき,審査パスの目安は「家賃/年収」比が25%までです,と言われました。
年収300万円だと,年間家賃は75万円まで,月家賃だと6.3万円が限度ということになります。しかし,このレベルを超えてしまっている世帯もあるでしょう。ここで明らかにしたいのは,こういう無理をしている世帯がどれほどあるかです。「住」は生活の基盤ですが,この面の支援が希薄なわが国では,重い住居費の負担に苦しんでいる世帯が少なくないと思うのです。
そうですねえ。試みに,「家賃/年収」比が3割を超える世帯の数を出してみましょうか。総務省の『住宅土地統計』(2013年)に,借家世帯の年収と月家賃のクロス集計表が出ています。表184-3-1「主世帯の年間収入階級(10区分),1か月当たり家賃(10区分)別借家(専用住宅)数―市区 」という表です。
年収と家賃の区分は,以下のようになっています。それぞれ10の階級に区分されています。
ちょっと乱暴ですが,各階級に含まれる世帯の年収ないしは家賃を,カッコ内の階級値で代表させます。年収が200万円台(③)の世帯は,一律中間の250万円とみなすわけです。家賃がFの階級の世帯は,同じく中間の5万円とみなします。
このような仮定を置くことで,クロス表の各セルの世帯について,「家賃/年収」比を計算できます。たとえば「年収④×家賃F」の世帯の場合,以下のようになります。
「家賃/年収」比=(5万円×12か月)/350万円=17.1%
このようにして,合計100のセル(10×10)の「家賃/年収」比を出せます。30%(3割)を超えるセルに黄色マークをつけると,以下のようになります。
「家賃/年収」比が3割を超える世帯は,黄色マークのセルの世帯数を合算することで出てきます。東京都内23区だと,86万9960世帯です。年収と家賃の双方が分かる借家世帯数(205万170世帯)に占める割合は,42.4%となります。
年収300万円で,家賃7.5万円以上の部屋を借りているような世帯です。大都会の23区では,こういう無理をしている世帯が借家世帯の4割以上であると。
ちなみに●をしたのは,「家賃/年収」が5割,半分を超えるセルです。年収300万円だと,年間家賃は150万円,月家賃12.5万円以上の部屋に住んでいる世帯ですね。多額の貯金でもない限り無謀といえるレベルですが,同じく都内23区だと,こういう世帯は34万4160世帯,借家世帯全体の中での割合は16.8%となります。およそ6分の1です。
大都会の東京23区にスポットを当てていますが,無理をしている世帯が多いようです。家賃が高いですからね。給与も高いですが,家賃負担はそのメリットを消してしまうほど重し。
なお,区による違いもあります。無理をしている借家世帯が多いのは,どの区でしょう。都内の23区別に,「家賃/年収」比が3割を超える世帯,5割を超える世帯の割合を算出してみました。以下に,一覧表を掲げます。左は2003年,右は2013年のデータです。
「家賃/年収」比が3割を超える世帯の率は,23区全体でみると,2003年では37.9%でしたが,2013年では42.4%に上がっています。4割を超える区は,10年間で9区から16区に増えています(色付き)。2013年の中野区と渋谷区では,借家世帯の半分以上が無理をしている世帯です。
「家賃/年収」比が半分を超える世帯の率も増えています。2013年だと,新宿区,文京区,台東区,渋谷区,中野区,豊島区で2割超えです。この中には単身の学生世帯も含まれますが,勤め人だと,家賃を払うために働いているようなものです。
家賃負担に苦しむ世帯の広がり。「家賃/年収」比が3割以上の世帯の率を地図に落とすことで,可視化しておきましょう。
「家賃/年収」比が3割以上とは,以下のような世帯のことです。
年収200万円 ⇒ 家賃5.0万以上
年収300万円 ⇒ 家賃7.5万円以上
年収400万円 ⇒ 家賃10.0万円以上
年収500万円 ⇒ 家賃12.5万円以上
私からすれば「これは苦しい!」の一言です。私なら,年収300万円の身で,家賃7.5万以上の部屋を借りようなどとは思いません。皆さんはどうでしょうか。上記のマップで色が付いた区では,こういう世帯が借家世帯の4割以上を占めるのです。
昨日,このデータをツイッターで流したところ,「都心ならこんなもんだろう,当たり前」というリプが多数でした。貧乏性の私の感覚がズレているのでしょうか。「苦しいなら郊外に移ればいいだけ」という声もありましたが,それだと長時間の通勤地獄に晒されます。都心に通うリーマンの場合,金銭的・時間的・精神的コストの上昇で,苦しみの総量は増えちゃうかもしれません。
どうあがいても都心での暮らしは大変,なので地方に移住してください。政府はこう言いたいでしょうが,それで済ますのは怠慢というもの。労働者の収入は減る一方で,家賃は上がっています。重い家賃負担に苦しむ世帯が増えているのは,その結果です。諸外国と比して希薄といわれる「住」の支援を充実させる。事業所の郊外移転を促すなどの施策は,政府がなすべきことです。
私は過日,毎日新聞にて「8050問題」についてコメントしました。50歳男性の親同居・未婚無業者比率の都道府県差に,記者さんが興味を持ってくれたからですが,最近では都市部でも率が上がっていることについて,「家賃が高騰していることも原因ではないか」と申しました。
https://mainichi.jp/articles/20190623/k00/00m/040/068000c
実家に籠っている中高年の離家を促すにしても,アパートの家賃がこうも高くては,なかなか上手くいきますまい。まずは実家から出し,少しずつ就労させるという段階的な支援が基本ですが,ちょっと働くだけで払えるレベルではないのです。
「住」は生活の基盤。この面の支援を怠り続けるならば,「8050」のような問題も深刻化してしまうでしょう。まあ近い将来,家が空から降ってくる時代になるという,楽観的な予測もできなくはないのですが。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/0.php
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2019年6月30日日曜日
2019年6月23日日曜日
教員の勤務時間の国際比較(2018年)
OECDの国際教員調査「TALIS 2018」の結果が公表されました。新聞で報じられましたので,ご存知の方が多いかと思います。
2013年調査に続き,日本の教員の勤務時間は世界一という結果で,教育関係者の間では「またか」と落胆が広がっています。日本の結果報告書は,国立教育政策研究所のHPでアップされています。国別の詳細データを見たいという方は,OECDのHPに飛ぶといいでしょう。
しかし,公表されているのは各国の教員全体のデータであるようです。世界を見渡すと,教員の半分以上がパートタイムという国もありますので,国際比較に際しては,フルタイム勤務の教員の限定する必要がありそうです。となると,個票データに当たらないといけません。
個票データは,下記リンク先でダウンロードできます。ファイルがとても大きいので,教員調査は3つに分割されています。私は一つのエクセルにまとめ,コンプリートのデータベースを作りました。ファイル容量は219MB! これを開くとPCの動作が不安定になりますが,セーフモードで開くとバグるを幾分か抑えることができます。
http://www.oecd.org/education/talis/talis-2018-data.htm
分析の第一報を書きます。世間の関心事である,教員の勤務時間についてです。教員調査の問16にて,調査日からした直近の1週間の総勤務時間を書き込んでもらっています。平均値に丸める前に,大雑把な分布をみてみましょう。下の図は,主要国の中学校教員(フルタイム勤務)の分布図です。ドイツは,調査に参加していません。
日本は,半数以上が週60H時間と答えています。週5日勤務とすると,1日12時間以上です。立派な過労死予備軍といえるでしょう。日本の中学校をのぞいてみると,そういう教員が全体の6割近くもいます。
それに対し,韓国とフランスでは,半数近くが週40H未満勤務となっています。いいですねえ。韓国は,日本と同じく長時間労働の国として知られていますが,教員は別なようです。給与も高く,教員は社会的地位の高い職業として,若者の志望率も高いそうな。フランスは,一週間無休で営業したパン屋が罰せられるような国で,国民全体の労働時間も短いのですが,教員も例外ではないようです。
北欧も短いですね。デンマークは,9割が週50時間未満です(日本は2割未満)。ICTの先進国ですが,こういうテクを活用して,教員の過重労働を抑制しているのでしょう。庶務連絡はネット経由で,大量に紙を刷って配るなんてことはしません。
分布についてイメージを持ったところで,平均値(average)を出してみると,日本は59.3Hにもなります。週60Hが,フツーの中学校教員の働き方であると。異国の人にすれば,クレイジーに映るでしょう。韓国は34.1H,アメリカは47.1H,イギリスは50.2H,フランスは38.7H,スウェーデンは44.1H,デンマークは40.2H,となっています。
主要国の中でも日本の特異性は明瞭ですが,比較の射程をもっと広げましょう。47か国について,中学校のフルタイム教員の週間平均勤務時間,ならびに週60H以上勤務者の割合を出してみました。結果を端的に伝えるべく,横軸に前者,縦軸に後者をとった座標上に,47の国を位置づけたグラフにしてみます。「瑞」はスイスではなく,スウェーデンです。
日本は週の平均勤務時間が59.3H,長時間労働者率が56.7%という数値ですが,国際的な布置図でみると明らかにぶっ飛んでいます。2013年調査でも同じようなグラフになりましたが,5年を経た2018年でも変わっていません。教員の過重労働,世界一の国です。
異国の人にすれば,「おお,さすがはジャパン。教員がすごく熱心に授業をしているから,国際学力調査でいつも上位なんだな」と思われるかもしれません。しかし,授業時間・授業準備時間の週平均値は27.4Hで,データが分かる46国の中では28位です。日本の教員の授業時間・授業準備時間は,国際的にみたら少ないほうです。
週の総勤務時間は59.3Hで,うち授業・授業準備時間は27.4H。後者に占める前者の割合は46.2%となります。日本の中学校教員では,総勤務時間のうち授業・授業準備時間の比重は半分にもなりません。教員の本務は授業であることを思うと,これも「はて?」という感じです。
この点の国際比較もやってみましょうか。横軸に総勤務時間の平均値,縦軸に授業・授業準備時間の平均値をとった座標上に,データがとれる46国を配置してみました。
日本は総勤務時間(横軸)は最も長いですが,うち授業時間(縦軸)は短いほうです。授業時間が総勤務時間に占める割合は半分もいかないのですが,こういう国は他にないようです。
斜線は授業時間比率ですが,イギリスやスウェーデンでは仕事時間の6割,韓国とフランスでは7割,アメリカでは8割が授業です。南米のチリやブラジルでは,この比率は9割を超えます。教員の仕事は授業という割り切りが明確なようです。
日本の教員の仕事時間は世界一長く,その半分以上は授業や授業準備以外のことに食われていると。会議,事務作業,生徒指導,部活指導…。思い当たる業務は数多くありますが,最後の部活指導を教員がするというのは,日本の特徴であるようです。
部活は教育課程外の課外活動で,他国にも似たような性格の活動はありますが,教員が指導に当たることはあまりないと聞きます。授業ではない課外活動なので,教員免許状を持たない外部スタッフでOKです。中学校教員に,週の課外活動指導時間を尋ねた結果をみると,これまた日本の特異性が明らかです。
日本では42%の教員が週10時間以上と答えていますが,こんな国は他にありません。0時間(ほぼノータッチ)の教員の比重が高い国が多く,北欧のスウェーデンやフィンランドでは8割の教員が「ゼロ!」と回答しています。
そもそも北欧では,学校での部活という概念がないといいます。日本の運動部のような活動は,地域のスポーツクラブ等に委ねられていると。学校外とも連携した,社会全体で子どもを育てるという気風があるのです。
日本の教員は,いろいろと仕事を負わされている「何でも屋」であるかのようですが,そのことが本務の授業遂行に影響していないか。こう問いたくなる人もいるでしょう。「TALIS 2018」の結果を報じた新聞記事の中に,日本は,生徒に考えさせる授業の実施頻度が低いことを強調したものがありました。調査票をみると,問42の(e)と(f)の集計結果であるようですね。
前者は「明確な答えのない課題を出す」,後者は「批判的思考力が必要な課題を出す」というものです。「しばしばする」ないしは「いつもする」と答えた教員の比率の国際比較をすると,以下の図のようになります。
日本は,双方とも低い位置にあります。私の中学時代を振り返っても,こういう授業を受けた記憶はないです。当時と比して受験競争が緩和され,いわゆるアクティヴ・ラーニングの重要性がいわれる現在では変わっているのかと思いきや,そうでないようです。
型にはめた後は,型を破らせることが必要といいます。後者は,既存のものとは違う新しいものを生み出す力を鍛えることになります。言わずもがな大学ではこちらが重視され,卒業研究では自分で問題を立てて,未知のことを明らかにする作業が求められるのですが,これが不得手な学生さんが多い。高校までの間に,この手の訓練をしたことがないためでしょう。
日本の先生方も,型を破らせる授業には馴染みがないし,やりたくもないと思っているかもしれません。そういう意識は改めてほしいと思いますが,この手の授業をするには入念な準備が要るのも確かです。日本の教員の勤務時間の長さを考えると,そのための時間が取れない可能性もあります。授業を「練る」余裕がない,ということです。
以上,「TALIS 2018」のデータをもとに,教員の勤務時間の国際比較をやってみました。残念ながら,5年前の2013年調査でいわれた課題がそっくり引き継がれている形です。
しかし当局も手をこまねいてはいません。2017年頃から教員の働き方改革の必要がいわれ,具体的な動きも出ています。たとえば中学校教員の過重労働の原因となっている部活動については,部活動指導員というスタッフが法的に位置付けられました。単独で指導や大会引率を行える人です。
また昨年3月にスポーツ庁が「部活動ガイドライン」を出し,適切な休養日・休養期間を設けること,レク的な部活も認めること,学校外のスポーツ団体や民間事業者等も活用すること,を提言しています。学校が一手に担っている状況の打破です。
さらに,これまで教員が担ってきた業務を仕分けし,教員が担う必要のない業務,教員の業務だが軽減可能な業務を洗い出しています(中教審答申)。部活指導は前者,学習評価や成績処理は後者に属します。AIにテストの採点をさせるという実践も出てきています。ICT化を押し進め,紙を大量に配る日常を脱したいものです。
「TALIS 2018」の結果では,こうした改革の成果は見られませんでしたが,改革が緒についたばかりであるためと思いましょう。
ニューズウィーク記事でも申しましたが,日本は,優秀な人材を教員に引き寄せることに成功してきています。しかし近年は,教員採用試験の競争率は低下傾向。民間が好景気だからと楽観するのは容易いですが,教員のブラック労働が知れ渡ったことによる「教員離れ」が起きている可能性もあります。教員の働き方改革は,職務の専門職性を明瞭にすること,教員を高度専門職に昇華させる契機です。これを進めない限り,他国と同様,優秀な人材は他の専門職に流れてしまうでしょう。
2013年調査に続き,日本の教員の勤務時間は世界一という結果で,教育関係者の間では「またか」と落胆が広がっています。日本の結果報告書は,国立教育政策研究所のHPでアップされています。国別の詳細データを見たいという方は,OECDのHPに飛ぶといいでしょう。
しかし,公表されているのは各国の教員全体のデータであるようです。世界を見渡すと,教員の半分以上がパートタイムという国もありますので,国際比較に際しては,フルタイム勤務の教員の限定する必要がありそうです。となると,個票データに当たらないといけません。
個票データは,下記リンク先でダウンロードできます。ファイルがとても大きいので,教員調査は3つに分割されています。私は一つのエクセルにまとめ,コンプリートのデータベースを作りました。ファイル容量は219MB! これを開くとPCの動作が不安定になりますが,セーフモードで開くとバグるを幾分か抑えることができます。
http://www.oecd.org/education/talis/talis-2018-data.htm
分析の第一報を書きます。世間の関心事である,教員の勤務時間についてです。教員調査の問16にて,調査日からした直近の1週間の総勤務時間を書き込んでもらっています。平均値に丸める前に,大雑把な分布をみてみましょう。下の図は,主要国の中学校教員(フルタイム勤務)の分布図です。ドイツは,調査に参加していません。
日本は,半数以上が週60H時間と答えています。週5日勤務とすると,1日12時間以上です。立派な過労死予備軍といえるでしょう。日本の中学校をのぞいてみると,そういう教員が全体の6割近くもいます。
それに対し,韓国とフランスでは,半数近くが週40H未満勤務となっています。いいですねえ。韓国は,日本と同じく長時間労働の国として知られていますが,教員は別なようです。給与も高く,教員は社会的地位の高い職業として,若者の志望率も高いそうな。フランスは,一週間無休で営業したパン屋が罰せられるような国で,国民全体の労働時間も短いのですが,教員も例外ではないようです。
北欧も短いですね。デンマークは,9割が週50時間未満です(日本は2割未満)。ICTの先進国ですが,こういうテクを活用して,教員の過重労働を抑制しているのでしょう。庶務連絡はネット経由で,大量に紙を刷って配るなんてことはしません。
分布についてイメージを持ったところで,平均値(average)を出してみると,日本は59.3Hにもなります。週60Hが,フツーの中学校教員の働き方であると。異国の人にすれば,クレイジーに映るでしょう。韓国は34.1H,アメリカは47.1H,イギリスは50.2H,フランスは38.7H,スウェーデンは44.1H,デンマークは40.2H,となっています。
主要国の中でも日本の特異性は明瞭ですが,比較の射程をもっと広げましょう。47か国について,中学校のフルタイム教員の週間平均勤務時間,ならびに週60H以上勤務者の割合を出してみました。結果を端的に伝えるべく,横軸に前者,縦軸に後者をとった座標上に,47の国を位置づけたグラフにしてみます。「瑞」はスイスではなく,スウェーデンです。
日本は週の平均勤務時間が59.3H,長時間労働者率が56.7%という数値ですが,国際的な布置図でみると明らかにぶっ飛んでいます。2013年調査でも同じようなグラフになりましたが,5年を経た2018年でも変わっていません。教員の過重労働,世界一の国です。
異国の人にすれば,「おお,さすがはジャパン。教員がすごく熱心に授業をしているから,国際学力調査でいつも上位なんだな」と思われるかもしれません。しかし,授業時間・授業準備時間の週平均値は27.4Hで,データが分かる46国の中では28位です。日本の教員の授業時間・授業準備時間は,国際的にみたら少ないほうです。
週の総勤務時間は59.3Hで,うち授業・授業準備時間は27.4H。後者に占める前者の割合は46.2%となります。日本の中学校教員では,総勤務時間のうち授業・授業準備時間の比重は半分にもなりません。教員の本務は授業であることを思うと,これも「はて?」という感じです。
この点の国際比較もやってみましょうか。横軸に総勤務時間の平均値,縦軸に授業・授業準備時間の平均値をとった座標上に,データがとれる46国を配置してみました。
日本は総勤務時間(横軸)は最も長いですが,うち授業時間(縦軸)は短いほうです。授業時間が総勤務時間に占める割合は半分もいかないのですが,こういう国は他にないようです。
斜線は授業時間比率ですが,イギリスやスウェーデンでは仕事時間の6割,韓国とフランスでは7割,アメリカでは8割が授業です。南米のチリやブラジルでは,この比率は9割を超えます。教員の仕事は授業という割り切りが明確なようです。
日本の教員の仕事時間は世界一長く,その半分以上は授業や授業準備以外のことに食われていると。会議,事務作業,生徒指導,部活指導…。思い当たる業務は数多くありますが,最後の部活指導を教員がするというのは,日本の特徴であるようです。
部活は教育課程外の課外活動で,他国にも似たような性格の活動はありますが,教員が指導に当たることはあまりないと聞きます。授業ではない課外活動なので,教員免許状を持たない外部スタッフでOKです。中学校教員に,週の課外活動指導時間を尋ねた結果をみると,これまた日本の特異性が明らかです。
日本では42%の教員が週10時間以上と答えていますが,こんな国は他にありません。0時間(ほぼノータッチ)の教員の比重が高い国が多く,北欧のスウェーデンやフィンランドでは8割の教員が「ゼロ!」と回答しています。
そもそも北欧では,学校での部活という概念がないといいます。日本の運動部のような活動は,地域のスポーツクラブ等に委ねられていると。学校外とも連携した,社会全体で子どもを育てるという気風があるのです。
日本の教員は,いろいろと仕事を負わされている「何でも屋」であるかのようですが,そのことが本務の授業遂行に影響していないか。こう問いたくなる人もいるでしょう。「TALIS 2018」の結果を報じた新聞記事の中に,日本は,生徒に考えさせる授業の実施頻度が低いことを強調したものがありました。調査票をみると,問42の(e)と(f)の集計結果であるようですね。
前者は「明確な答えのない課題を出す」,後者は「批判的思考力が必要な課題を出す」というものです。「しばしばする」ないしは「いつもする」と答えた教員の比率の国際比較をすると,以下の図のようになります。
日本は,双方とも低い位置にあります。私の中学時代を振り返っても,こういう授業を受けた記憶はないです。当時と比して受験競争が緩和され,いわゆるアクティヴ・ラーニングの重要性がいわれる現在では変わっているのかと思いきや,そうでないようです。
型にはめた後は,型を破らせることが必要といいます。後者は,既存のものとは違う新しいものを生み出す力を鍛えることになります。言わずもがな大学ではこちらが重視され,卒業研究では自分で問題を立てて,未知のことを明らかにする作業が求められるのですが,これが不得手な学生さんが多い。高校までの間に,この手の訓練をしたことがないためでしょう。
日本の先生方も,型を破らせる授業には馴染みがないし,やりたくもないと思っているかもしれません。そういう意識は改めてほしいと思いますが,この手の授業をするには入念な準備が要るのも確かです。日本の教員の勤務時間の長さを考えると,そのための時間が取れない可能性もあります。授業を「練る」余裕がない,ということです。
以上,「TALIS 2018」のデータをもとに,教員の勤務時間の国際比較をやってみました。残念ながら,5年前の2013年調査でいわれた課題がそっくり引き継がれている形です。
しかし当局も手をこまねいてはいません。2017年頃から教員の働き方改革の必要がいわれ,具体的な動きも出ています。たとえば中学校教員の過重労働の原因となっている部活動については,部活動指導員というスタッフが法的に位置付けられました。単独で指導や大会引率を行える人です。
また昨年3月にスポーツ庁が「部活動ガイドライン」を出し,適切な休養日・休養期間を設けること,レク的な部活も認めること,学校外のスポーツ団体や民間事業者等も活用すること,を提言しています。学校が一手に担っている状況の打破です。
さらに,これまで教員が担ってきた業務を仕分けし,教員が担う必要のない業務,教員の業務だが軽減可能な業務を洗い出しています(中教審答申)。部活指導は前者,学習評価や成績処理は後者に属します。AIにテストの採点をさせるという実践も出てきています。ICT化を押し進め,紙を大量に配る日常を脱したいものです。
「TALIS 2018」の結果では,こうした改革の成果は見られませんでしたが,改革が緒についたばかりであるためと思いましょう。
ニューズウィーク記事でも申しましたが,日本は,優秀な人材を教員に引き寄せることに成功してきています。しかし近年は,教員採用試験の競争率は低下傾向。民間が好景気だからと楽観するのは容易いですが,教員のブラック労働が知れ渡ったことによる「教員離れ」が起きている可能性もあります。教員の働き方改革は,職務の専門職性を明瞭にすること,教員を高度専門職に昇華させる契機です。これを進めない限り,他国と同様,優秀な人材は他の専門職に流れてしまうでしょう。
2019年6月18日火曜日
対等夫婦
現在は,同世代の半分が4年制大学に進学します。昔は大学なんて高嶺の花と諦める家庭が多かったのですが,今では,多くの家庭が子を大学に行かせようと考えています。出生順位なんて関係ないでしょう。できれば,子をみんな行かせてやりたい。
しかるに,子を2人大学にやるのは生半可なことではないようです。子を2人以上大学ないしは大学院に行かせている世帯の所得分布をとると,半分が1000万円を超えています。東大生の家庭とほぼ同じです。
このデータをツイッターで流したところ,一馬力ならともかく二馬力ならどうにかなる,「所得というより,生きる意味でのパートナーシップがあるかないか」ではないか,というリプが寄せられました。
https://twitter.com/toki21991/status/1140214017631248384
個人ではともかく,世帯単位なら1000万を越えるケースは結構あります。進学該当年齢の子がいる親世代の所得中央値は,男性は650万円,女性は350万円ほどです(正社員)。夫婦の合算で1000万円です。
何度も言いますが,共稼ぎが求められる時代ですよね。夫婦の間に,生きる意味でのパートナーシップを構築したい。きわめて多義的な概念ですが,共稼ぎであること,できれば夫婦が対等の割合の収入があること,また家庭内の家事労働を対等に分担することが望ましい。こういう夫婦は,いつでも柔軟に役割をチェンジし,先行き不透明な中を生き抜いて行けます。
収入が対等で,家事分担も対等。こういう夫婦は,パーセンテージでどれほどいるのでしょう。おそらく日本ではごくわずかでしょうが,他国では違うような気もします。希望が得られることを願い,数値を出してみることにしました。
ISSPが2012年に実施した「家族と性役割に関する調査』では,パートナーのいる人に対し,家事分担はどうか,パートナーとあなたのどちらの収入が多いか,と尋ねています,前者はQ18,後者はQ20です。個票データを利用可能です。
http://www.issp.org/data-download/by-year/
パートナーのいる25~54歳女性を取り出し,「夫が自分と対等以上家事をする」,「夫と対等以上の収入がある」と答えた人の割合を計算しました。また双方の回答をクロスし,どちらにも当てはまる人の割合も出しました。この数値が,先ほど述べた「収入が対等で,家事分担も対等」の夫婦の出現率に相当します。
手始めに,日本とスウェーデンの比較図をご覧いただきましょう。両方の設問に有効回答を寄せた,25~54歳の既婚女性が母数です(日本は212人,スウェーデンは220人)。結果を面積図で表現しました。
夫が対等以上家事をするという女性は,日本は32.4%,スウェーデンは53.8%です。日本の数値が高すぎるような気もしますが,それは置いておきましょう。夫と対等以上稼ぐ妻の率は,順に5.6%,38.9%となっています。スウェーデンは,妻の4割が夫と対等以上の稼ぎがあるのですね。
2つの正方形が重なった緑色のゾーンは,双方の条件を満たす女性の比重です。夫が自分と対等以上家事をし,かつ夫と対等以上の稼ぎがある女性の率。日本は1.9%,スウェーデンは20.5%と出ました。生きるパートナーシップが構築された対等夫婦の出現率は,日本は53分の1ですが,スウェーデンは5分の1であると。
さもありなんという結果ですね。しかし,男女共同参画先進国のスウェーデンとの比較は極端じゃね?という意見もあるでしょうか。では,調査対象41か国全ての計算結果を見ていただきましょう。上図でいう赤色(家事対等),青色(収入対等),緑色(両方!)の比重の一覧です。
いかがでしょう。3つの数値とも,日本は低い位置にあるようです。夫と同等以上の稼ぎのある女性,家事・稼ぎの比重が夫と対等以上の女性の率は,41か国の中でダントツの最下位となっています。
口先の意識の上では,日本のジェンダー観は薄くなっているといいますが,こうして行動のレベルでみると,薄まっているどころか,未だにワーストであることが分かっちゃいます。
右端の「対等夫婦」の出現率が2割を超える数値は赤字にしました。首位は,ポルトガルの36.1%です。この南欧国では,既婚女性の3人に1人が「夫が自分と対等以上家事をし,自分は夫と対等以上の収入がある」と答えています。あくまで自己評定であることに注意が要りますが,スゴイですね。
2位はインドの29.3%です。性役割観が強い社会のように思えますが,男性が怠けるので,あくせく頑張る女性が多いのでしょうか。東欧の旧共産圏の社会でも比較的高いようですが,国民皆労働の伝統が強いためか。
右端の数値を高い順に並べたグラフにしておきます。
パートナーと「生きるパートナーシップ」を築いている女性の出現率です。今から7年前のデータですが,日本のこの無様な位置は,目に焼き付けておいていいでしょう。
しかし,夫と家事や稼ぎの比重が対等であるからといって,妻の心中が晴れやかであるとは限りません。女性がバリバリ働くのが当然の旧共産圏の女性は,日本の女性を羨ましがるといいます(主婦なんて夢のようだと)。
日本の場合,対等夫婦の女性のサンプルがわずかしかないので検証できませんが,他国のデータにて,幸福度の設問とのクロスをしてみると,多くの国において,この群の女性の幸福感は,他の女性よりも高くなっています。
担うことのできる役割には,なるべく幅を持たせておいたほうがいい。稼ぎのない女性はDVや貧困と常に背中合わせですし,家事スキルのない男性は,定年後はただの「お荷物」です。日本では,妻に去られた(死なれた)高齢男性の自殺率はべらぼうに高し。
日本では2%もいない対等夫婦ですが,柔軟に夫婦の役割がチェンジできるのでいいですよね。どちらか一方が,学校で学び直しをするなんてのもできる。日本は,男女の性役割分業で社会が築かれてきた経緯があり,仕事・家事の双方に求められるレベルがとても高くなっています。両方するなんてムリ,どちらか一方に特化すべし。そこで仕事は男性,家事は女性の専業になったと。
しからば,2つの役割遂行のレベルを下げてしまえばいい。私が何度も言っている「ゆる勤」「手抜き家事」のススメです。これが不可能でないことは,欧米社会のルポを読むとよく分かります。
https://twitter.com/tmaita77/status/1127339881259134976
対等夫婦を増やす策として,保育所増設だの,3世代同居を推奨だの言われそうですが,それは今の高いレベルの就労・家事への適応を前提とした話(保育所増設には賛成ですけど)。これでは,とりわけ女性は地獄をみます。子をあやしながら仕事していい,店のレジ係は座っていていい…。平時の料理はとことん手抜き。
諸外国にて,対等夫婦の出現率が日本よりはるかに高いのは,こういう戦略が社会の隅々にまで浸透しているからではないでしょうか。高齢化が進み,国民の多数が体力の衰えた高齢者になる日本において,模倣すべきであるのは明らかでしょう。
しかるに,子を2人大学にやるのは生半可なことではないようです。子を2人以上大学ないしは大学院に行かせている世帯の所得分布をとると,半分が1000万円を超えています。東大生の家庭とほぼ同じです。
このデータをツイッターで流したところ,一馬力ならともかく二馬力ならどうにかなる,「所得というより,生きる意味でのパートナーシップがあるかないか」ではないか,というリプが寄せられました。
https://twitter.com/toki21991/status/1140214017631248384
個人ではともかく,世帯単位なら1000万を越えるケースは結構あります。進学該当年齢の子がいる親世代の所得中央値は,男性は650万円,女性は350万円ほどです(正社員)。夫婦の合算で1000万円です。
何度も言いますが,共稼ぎが求められる時代ですよね。夫婦の間に,生きる意味でのパートナーシップを構築したい。きわめて多義的な概念ですが,共稼ぎであること,できれば夫婦が対等の割合の収入があること,また家庭内の家事労働を対等に分担することが望ましい。こういう夫婦は,いつでも柔軟に役割をチェンジし,先行き不透明な中を生き抜いて行けます。
収入が対等で,家事分担も対等。こういう夫婦は,パーセンテージでどれほどいるのでしょう。おそらく日本ではごくわずかでしょうが,他国では違うような気もします。希望が得られることを願い,数値を出してみることにしました。
ISSPが2012年に実施した「家族と性役割に関する調査』では,パートナーのいる人に対し,家事分担はどうか,パートナーとあなたのどちらの収入が多いか,と尋ねています,前者はQ18,後者はQ20です。個票データを利用可能です。
http://www.issp.org/data-download/by-year/
パートナーのいる25~54歳女性を取り出し,「夫が自分と対等以上家事をする」,「夫と対等以上の収入がある」と答えた人の割合を計算しました。また双方の回答をクロスし,どちらにも当てはまる人の割合も出しました。この数値が,先ほど述べた「収入が対等で,家事分担も対等」の夫婦の出現率に相当します。
手始めに,日本とスウェーデンの比較図をご覧いただきましょう。両方の設問に有効回答を寄せた,25~54歳の既婚女性が母数です(日本は212人,スウェーデンは220人)。結果を面積図で表現しました。
夫が対等以上家事をするという女性は,日本は32.4%,スウェーデンは53.8%です。日本の数値が高すぎるような気もしますが,それは置いておきましょう。夫と対等以上稼ぐ妻の率は,順に5.6%,38.9%となっています。スウェーデンは,妻の4割が夫と対等以上の稼ぎがあるのですね。
2つの正方形が重なった緑色のゾーンは,双方の条件を満たす女性の比重です。夫が自分と対等以上家事をし,かつ夫と対等以上の稼ぎがある女性の率。日本は1.9%,スウェーデンは20.5%と出ました。生きるパートナーシップが構築された対等夫婦の出現率は,日本は53分の1ですが,スウェーデンは5分の1であると。
さもありなんという結果ですね。しかし,男女共同参画先進国のスウェーデンとの比較は極端じゃね?という意見もあるでしょうか。では,調査対象41か国全ての計算結果を見ていただきましょう。上図でいう赤色(家事対等),青色(収入対等),緑色(両方!)の比重の一覧です。
いかがでしょう。3つの数値とも,日本は低い位置にあるようです。夫と同等以上の稼ぎのある女性,家事・稼ぎの比重が夫と対等以上の女性の率は,41か国の中でダントツの最下位となっています。
口先の意識の上では,日本のジェンダー観は薄くなっているといいますが,こうして行動のレベルでみると,薄まっているどころか,未だにワーストであることが分かっちゃいます。
右端の「対等夫婦」の出現率が2割を超える数値は赤字にしました。首位は,ポルトガルの36.1%です。この南欧国では,既婚女性の3人に1人が「夫が自分と対等以上家事をし,自分は夫と対等以上の収入がある」と答えています。あくまで自己評定であることに注意が要りますが,スゴイですね。
2位はインドの29.3%です。性役割観が強い社会のように思えますが,男性が怠けるので,あくせく頑張る女性が多いのでしょうか。東欧の旧共産圏の社会でも比較的高いようですが,国民皆労働の伝統が強いためか。
右端の数値を高い順に並べたグラフにしておきます。
パートナーと「生きるパートナーシップ」を築いている女性の出現率です。今から7年前のデータですが,日本のこの無様な位置は,目に焼き付けておいていいでしょう。
しかし,夫と家事や稼ぎの比重が対等であるからといって,妻の心中が晴れやかであるとは限りません。女性がバリバリ働くのが当然の旧共産圏の女性は,日本の女性を羨ましがるといいます(主婦なんて夢のようだと)。
日本の場合,対等夫婦の女性のサンプルがわずかしかないので検証できませんが,他国のデータにて,幸福度の設問とのクロスをしてみると,多くの国において,この群の女性の幸福感は,他の女性よりも高くなっています。
担うことのできる役割には,なるべく幅を持たせておいたほうがいい。稼ぎのない女性はDVや貧困と常に背中合わせですし,家事スキルのない男性は,定年後はただの「お荷物」です。日本では,妻に去られた(死なれた)高齢男性の自殺率はべらぼうに高し。
日本では2%もいない対等夫婦ですが,柔軟に夫婦の役割がチェンジできるのでいいですよね。どちらか一方が,学校で学び直しをするなんてのもできる。日本は,男女の性役割分業で社会が築かれてきた経緯があり,仕事・家事の双方に求められるレベルがとても高くなっています。両方するなんてムリ,どちらか一方に特化すべし。そこで仕事は男性,家事は女性の専業になったと。
しからば,2つの役割遂行のレベルを下げてしまえばいい。私が何度も言っている「ゆる勤」「手抜き家事」のススメです。これが不可能でないことは,欧米社会のルポを読むとよく分かります。
https://twitter.com/tmaita77/status/1127339881259134976
対等夫婦を増やす策として,保育所増設だの,3世代同居を推奨だの言われそうですが,それは今の高いレベルの就労・家事への適応を前提とした話(保育所増設には賛成ですけど)。これでは,とりわけ女性は地獄をみます。子をあやしながら仕事していい,店のレジ係は座っていていい…。平時の料理はとことん手抜き。
諸外国にて,対等夫婦の出現率が日本よりはるかに高いのは,こういう戦略が社会の隅々にまで浸透しているからではないでしょうか。高齢化が進み,国民の多数が体力の衰えた高齢者になる日本において,模倣すべきであるのは明らかでしょう。
2019年6月11日火曜日
月収のデータを知らぬ広告
阪急電鉄の車内広告が炎上しています。以下のような文章が書いてあります。
https://mainichi.jp/articles/20190610/k00/00m/040/238000c
毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか,30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と,どっちがいいか?
月収は50万円がスタンダードで,30万円は低い部類だ,と言っているかのようです。SNSでは「世間の感覚とズレている」「30万のどころか,その半分しかもらえていない」といった声が上がっています。私も,そう言いたいです。
上記のフレーズには,50万と30万という数字が出てきますが,今の労働者の月収をこのラインで区切った分布をご覧に入れましょう。10人以上の民間企業に勤める一般労働者の月収分布で,2018年6月のものです。同年の厚労省『賃金構造基本統計』によります。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
一般労働者とは,パート等の短時間労働者を除く労働者です。フルタイム就業者とほぼ同義とみていいでしょう。
どうでしょう。阪急の広告で暗に「低い」と言及されている30万のラインですが,この線を超える労働者は多くありません。40~50代の中高年でやっと半分を超える程度です。ましてや,50万を越える人などマイノリティーです。
問題の広告は,水色のゾーンの人たちの反感を買ったのではないかと推測します(私もその一人です)。広告の作成者は,月収30万にいかない人なんてそういないだろう,と読んだのでしょうが,さにあらず。これが今の日本の現実です。
しかしまあ,広告を作る過程で「おかしい」と異論が出なかったのでしょうか。大手の広告代理店に作成を委託したと思われますが,そういう所に勤めている人は,収入の感覚が世間一般とズレているのかもしれません。
1000人以上の大企業に勤務する,大学・大学院卒の男性労働者に絞って同じ図を作ると,以下のようになります。
先ほどの労働者全体の図と,模様が大きく異なります。この集団だと,月収50万がスタンダードで30万は低い,と言えなくもないです。広告を作ったのは,もしかするとこういう人たちだったのかもしれないですね。
悲しいかな,全労働者の数パーセントしかいないであろう,勝ち組?集団によって作られた広告は,世間様の反感を買い,車中から撤去される運びとなりました。ぎゅうぎゅうの通勤電車の中,こんな広告が目に入ったらストレスも倍増するというものです。
阪急電鉄は反省の意を示し,今後はチェックを強化すると述べています。結構なことですが,社内ではなく,外部人材のチェックを経るべきでしょうね。私がモニターだったら,間違いなく上記のようなデータを示してダメ出しをするところです。
ネットメディアの隆盛によりフェイクニュースが増える中,ファクトチェックや質の担保をどうするか,という問題が出てきています。手間がかかるのはもちろん,それなりの専門知も必要で,誰にでもできる仕事ではありません。
そこで,無職博士のチカラを借りるのはどうでしょう。4月15日の文春オンラインの記事にて,「ガードマンや店員として働いている人文系の博士に2万円を払い,ザっとチェックしてもらうだけで,メディアの質は大幅に高まる」と言われています。その通りかと思います。
https://twitter.com/tmaita77/status/1117639837568233472
情報化社会では,各種の媒体を通して,いろいろな創作物が飛び交いますが,フェイクの排除,不正(盗用など)の摘発,クオリティの担保に際して,浪費されている知的人材のパワーを使わない手はありますまい。実は私も,ある会社と長いことお付き合いし,この手の仕事をさせていただいています。定収入が得られ,助かる限りです。
阪急の広告騒動を機に,知的人材の活用の在り方も考えてみてはどうでしょう。
https://mainichi.jp/articles/20190610/k00/00m/040/238000c
毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか,30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と,どっちがいいか?
月収は50万円がスタンダードで,30万円は低い部類だ,と言っているかのようです。SNSでは「世間の感覚とズレている」「30万のどころか,その半分しかもらえていない」といった声が上がっています。私も,そう言いたいです。
上記のフレーズには,50万と30万という数字が出てきますが,今の労働者の月収をこのラインで区切った分布をご覧に入れましょう。10人以上の民間企業に勤める一般労働者の月収分布で,2018年6月のものです。同年の厚労省『賃金構造基本統計』によります。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
一般労働者とは,パート等の短時間労働者を除く労働者です。フルタイム就業者とほぼ同義とみていいでしょう。
どうでしょう。阪急の広告で暗に「低い」と言及されている30万のラインですが,この線を超える労働者は多くありません。40~50代の中高年でやっと半分を超える程度です。ましてや,50万を越える人などマイノリティーです。
問題の広告は,水色のゾーンの人たちの反感を買ったのではないかと推測します(私もその一人です)。広告の作成者は,月収30万にいかない人なんてそういないだろう,と読んだのでしょうが,さにあらず。これが今の日本の現実です。
しかしまあ,広告を作る過程で「おかしい」と異論が出なかったのでしょうか。大手の広告代理店に作成を委託したと思われますが,そういう所に勤めている人は,収入の感覚が世間一般とズレているのかもしれません。
1000人以上の大企業に勤務する,大学・大学院卒の男性労働者に絞って同じ図を作ると,以下のようになります。
先ほどの労働者全体の図と,模様が大きく異なります。この集団だと,月収50万がスタンダードで30万は低い,と言えなくもないです。広告を作ったのは,もしかするとこういう人たちだったのかもしれないですね。
悲しいかな,全労働者の数パーセントしかいないであろう,勝ち組?集団によって作られた広告は,世間様の反感を買い,車中から撤去される運びとなりました。ぎゅうぎゅうの通勤電車の中,こんな広告が目に入ったらストレスも倍増するというものです。
阪急電鉄は反省の意を示し,今後はチェックを強化すると述べています。結構なことですが,社内ではなく,外部人材のチェックを経るべきでしょうね。私がモニターだったら,間違いなく上記のようなデータを示してダメ出しをするところです。
ネットメディアの隆盛によりフェイクニュースが増える中,ファクトチェックや質の担保をどうするか,という問題が出てきています。手間がかかるのはもちろん,それなりの専門知も必要で,誰にでもできる仕事ではありません。
そこで,無職博士のチカラを借りるのはどうでしょう。4月15日の文春オンラインの記事にて,「ガードマンや店員として働いている人文系の博士に2万円を払い,ザっとチェックしてもらうだけで,メディアの質は大幅に高まる」と言われています。その通りかと思います。
https://twitter.com/tmaita77/status/1117639837568233472
情報化社会では,各種の媒体を通して,いろいろな創作物が飛び交いますが,フェイクの排除,不正(盗用など)の摘発,クオリティの担保に際して,浪費されている知的人材のパワーを使わない手はありますまい。実は私も,ある会社と長いことお付き合いし,この手の仕事をさせていただいています。定収入が得られ,助かる限りです。
阪急の広告騒動を機に,知的人材の活用の在り方も考えてみてはどうでしょう。
2019年6月8日土曜日
8050問題
8050問題という言葉をよく聞くようになりました。80代の老親と50代の子が同居している世帯に関わる問題です。
中高年が親と同居したっていいのですが,仕事もせず家に引きこもって,基礎的生活条件を親に依存し続けるのはちょっと心配。親はいつまでも元気ではありません。同居(寄生)させている親の側は,「私がいなくなったらこの子はどうなるのか…」と気をもんでいます。
寄生している子も心中は穏やかでなく,劣等感や将来への絶望感に苛まれているケースが多し。それが暴発したのが,先月に川崎市で起きた通り魔事件でした。容疑者は,叔父夫婦と同居する51歳の男性で,長らく引きこもりの状態にあったとのこと。数日後には,同じような凶行を起こしかねないと,年老いた元官僚が,同居する40代の息子を刺し殺す事件も起きています。
今回の容疑者と似たような生活条件にある人は,統計でみてどれほどいるのでしょう。2015年の『国勢調査』によると,親と同居している,45~54歳の未婚・非就業の男性は23万4639人となっています。2005年では,16万911人でした。10年間で1.5倍に増えています。
中央の50歳をとると,2005年は1万5735人,2015年は2万3398人となります。50歳人口に占める割合は,順に1.9%,2.7%です。2015年でいうと,50歳男性の37人に1人が,親同居の未婚無職者ということになります。
この比率は地域別に出すこともできます。2005年と2015年について,47都道府県別の数値を計算し,高い順に並べてみます。50歳男性のうち,親同居の未婚無業者が何%かです。
3.0%以上は濃い紫,2.5%以上3.0%未満は薄い紫をつけました。この10年間で,不穏なゾーンが広まっているのが分かります。50歳の親同居・未婚無業男性の率が3%を超える県は,2015年では4県でしたが,2015年では25県と半数を超えます。
上記の3段階で,47都道府県を塗り分けた地図はツイッターで流しました。10年間の変化を俯瞰できます。
https://twitter.com/tmaita77/status/1136946959489486848
上位には地方周辺県が多くなっています。雇用がないためでしょうか。家が広い,親が勤勉志向で貯蓄がそこそこある,というように,子をパラサイトさせる条件もあるのではないかと思います。
大都市内部の地区別にみると,社会学的な背景も浮かび上がってきます。東京都内の23区別に同じ数値を算出し,地図に落としてみます。都内の地区レベルだと,50歳だけでは分子の人数が小さくなるので,45~54歳に射程を広げていることを申し添えます。
どうでしょう。相対水準による色分けですが,親同居の未婚無業男性の出現率には,地域性があるのが知られます。北部や東部で高し。アラフィフ男性の所得や大卒率とも相関しており,教育からの疎外との関連がうかがわれます。不利な生活条件が世代を超えて引き継がれやすい,という事実もです。
50にもなって,結婚も仕事もせず,親のすねをかじりながら実家に居座るなんて…。いぶかしく思う方もいるでしょう。親はいつまでも元気ではない。家を継ぐとしたら相続税を払わないといけない。今のぬるま湯は,やがては水風呂,いや氷風呂になる。
事態を憂いて,1999年の山田昌弘教授の『パラサイトシングルの時代』では,親同居税の導入が提案されています。しかるに,若い人の場合はいささか「甘え」の部分があるでしょうが,50代になるまで未婚・無業で親と同居し続けている人の心中は,それとは違うと思います。
中高年の親同居・未婚無業者率は地方で高いのですが,都会でブラック企業に痛めつけられて帰郷したという人もいるでしょう。地方では周囲の目も厳しい。今の状態を,心地よいぬるま湯と思っている人は,あまりいないのではないか。
上記の表は,アラフィフの無職男性で求職活動をしていない人に,その理由を尋ねた結果です。半分近くが「病気・けがのため」となっています。この中には,メンタルの病も含まれるでしょう。
長らく社会とのつながりを断って(断たれて)暮らしてきた人には,精神を病んでいる人も多し。こういう人たちを社会につなげるに際しては,段階的な取組が必要です。たとえば,当人が興味を持っていることを認め,それを糸口にすることです。引きこもりにはゲーム好きが多いですが,それを逆手にとった「eスポーツ」による就労支援の取組には興味が持たれます。
https://twitter.com/tmaita77/status/1135526938569654272
また,ゆるい働き方を認めることも大切。生活保護受給者に就労指導が入る際,いきなり1日8時間のフルタイム就労を促されるといいますが,これはよくない。段階的にインクルージョンを進めていくことが求められます。
中には,教員免許状のような高度な資格を持っている人もいます。昨今,学校も人手不足に悩んでいますが,こういう人たちをパート勤務で雇ってみたらどうでしょう。オランダでは,中学校教員の半数がパート勤務です。こういう「ゆる勤」を取り入れることで,ワークシェアリングが進み,教員のブラック労働も是正されることになります。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-11922.php
目的をもって好きなことにのめり込んでいる,ちょっとの時間でも就労している,社会と接している…。こういう条件を満たす人は,引きこもりではありません。まずは,これを満たすことからです。
こういう取組を契機に,社会全体に「ゆる勤」を広めるといいでしょう。上記リンク先のニューズウィーク記事で申しましたが,国民の多数が体力の弱った高齢者になる時代,そうでないと社会が回りそうにないです。幸い,AIの台頭によりそれが可能な見通しになっています。20世紀は「フルタイム(正社員)」の時代でしたが,21世紀は「パート」ないしは「フリーランス」の時代です。
8050問題は,日本社会全体を未来型に変身させるカギを内包しているともいえるでしょう。
中高年が親と同居したっていいのですが,仕事もせず家に引きこもって,基礎的生活条件を親に依存し続けるのはちょっと心配。親はいつまでも元気ではありません。同居(寄生)させている親の側は,「私がいなくなったらこの子はどうなるのか…」と気をもんでいます。
寄生している子も心中は穏やかでなく,劣等感や将来への絶望感に苛まれているケースが多し。それが暴発したのが,先月に川崎市で起きた通り魔事件でした。容疑者は,叔父夫婦と同居する51歳の男性で,長らく引きこもりの状態にあったとのこと。数日後には,同じような凶行を起こしかねないと,年老いた元官僚が,同居する40代の息子を刺し殺す事件も起きています。
今回の容疑者と似たような生活条件にある人は,統計でみてどれほどいるのでしょう。2015年の『国勢調査』によると,親と同居している,45~54歳の未婚・非就業の男性は23万4639人となっています。2005年では,16万911人でした。10年間で1.5倍に増えています。
中央の50歳をとると,2005年は1万5735人,2015年は2万3398人となります。50歳人口に占める割合は,順に1.9%,2.7%です。2015年でいうと,50歳男性の37人に1人が,親同居の未婚無職者ということになります。
この比率は地域別に出すこともできます。2005年と2015年について,47都道府県別の数値を計算し,高い順に並べてみます。50歳男性のうち,親同居の未婚無業者が何%かです。
3.0%以上は濃い紫,2.5%以上3.0%未満は薄い紫をつけました。この10年間で,不穏なゾーンが広まっているのが分かります。50歳の親同居・未婚無業男性の率が3%を超える県は,2015年では4県でしたが,2015年では25県と半数を超えます。
上記の3段階で,47都道府県を塗り分けた地図はツイッターで流しました。10年間の変化を俯瞰できます。
https://twitter.com/tmaita77/status/1136946959489486848
上位には地方周辺県が多くなっています。雇用がないためでしょうか。家が広い,親が勤勉志向で貯蓄がそこそこある,というように,子をパラサイトさせる条件もあるのではないかと思います。
大都市内部の地区別にみると,社会学的な背景も浮かび上がってきます。東京都内の23区別に同じ数値を算出し,地図に落としてみます。都内の地区レベルだと,50歳だけでは分子の人数が小さくなるので,45~54歳に射程を広げていることを申し添えます。
どうでしょう。相対水準による色分けですが,親同居の未婚無業男性の出現率には,地域性があるのが知られます。北部や東部で高し。アラフィフ男性の所得や大卒率とも相関しており,教育からの疎外との関連がうかがわれます。不利な生活条件が世代を超えて引き継がれやすい,という事実もです。
50にもなって,結婚も仕事もせず,親のすねをかじりながら実家に居座るなんて…。いぶかしく思う方もいるでしょう。親はいつまでも元気ではない。家を継ぐとしたら相続税を払わないといけない。今のぬるま湯は,やがては水風呂,いや氷風呂になる。
事態を憂いて,1999年の山田昌弘教授の『パラサイトシングルの時代』では,親同居税の導入が提案されています。しかるに,若い人の場合はいささか「甘え」の部分があるでしょうが,50代になるまで未婚・無業で親と同居し続けている人の心中は,それとは違うと思います。
中高年の親同居・未婚無業者率は地方で高いのですが,都会でブラック企業に痛めつけられて帰郷したという人もいるでしょう。地方では周囲の目も厳しい。今の状態を,心地よいぬるま湯と思っている人は,あまりいないのではないか。
上記の表は,アラフィフの無職男性で求職活動をしていない人に,その理由を尋ねた結果です。半分近くが「病気・けがのため」となっています。この中には,メンタルの病も含まれるでしょう。
長らく社会とのつながりを断って(断たれて)暮らしてきた人には,精神を病んでいる人も多し。こういう人たちを社会につなげるに際しては,段階的な取組が必要です。たとえば,当人が興味を持っていることを認め,それを糸口にすることです。引きこもりにはゲーム好きが多いですが,それを逆手にとった「eスポーツ」による就労支援の取組には興味が持たれます。
https://twitter.com/tmaita77/status/1135526938569654272
また,ゆるい働き方を認めることも大切。生活保護受給者に就労指導が入る際,いきなり1日8時間のフルタイム就労を促されるといいますが,これはよくない。段階的にインクルージョンを進めていくことが求められます。
中には,教員免許状のような高度な資格を持っている人もいます。昨今,学校も人手不足に悩んでいますが,こういう人たちをパート勤務で雇ってみたらどうでしょう。オランダでは,中学校教員の半数がパート勤務です。こういう「ゆる勤」を取り入れることで,ワークシェアリングが進み,教員のブラック労働も是正されることになります。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-11922.php
目的をもって好きなことにのめり込んでいる,ちょっとの時間でも就労している,社会と接している…。こういう条件を満たす人は,引きこもりではありません。まずは,これを満たすことからです。
こういう取組を契機に,社会全体に「ゆる勤」を広めるといいでしょう。上記リンク先のニューズウィーク記事で申しましたが,国民の多数が体力の弱った高齢者になる時代,そうでないと社会が回りそうにないです。幸い,AIの台頭によりそれが可能な見通しになっています。20世紀は「フルタイム(正社員)」の時代でしたが,21世紀は「パート」ないしは「フリーランス」の時代です。
8050問題は,日本社会全体を未来型に変身させるカギを内包しているともいえるでしょう。
2019年6月1日土曜日
子どもの生活安全度
川崎市で通り魔事件が起き,2名が犠牲になりました。そのうちの1人は,小学校6年生の女子児童です。
「どういう世の中になってしまったのだろう」と,人々は恐怖に慄いています。あまりの恐怖に,監視カメラの網を張り巡らせるべきだとか,登下校の子ども1人1人にできる限り大人が付き添うべきだ,という意見も出ています。子を持つ親にすれば,こうも言いたくなるかもしれません。
不遜ですが,数でみて,殺される子どもはどれほどいるのでしょう。厚労省『人口動態統計』の死因統計に「他殺」というカテゴリーがあります。最新の2017年統計によると,他殺という死因による0~14歳の死者数は29人となっています。
「1年間で,こんなにも多くの子どもの命が奪われているのか」と憤慨されるでしょうか。しかし,70年ほど前の1950(昭和25)年の統計にて,同じ数を拾うと732人となっています。現在の25倍です。戦後初期の頃は,1年間で732人,均すと1日2人の子どもが殺されていたわけです。
ラフな10年間隔の推移をたどると,以下のようになります。
きれいな右下がりの傾向になっています。時代と共に,凶行の犠牲となる子どもは減ってきています。むろんこの数はゼロにならないといけないのですが,子どもの生活安全度が向上してきているのは確かです。
「子どもが減っているからだろ」と思われるかもしれません。事故死や自殺など,他の危険指標も見たいとう要望もあるでしょうか。それにお応えいたしましょう。0~14歳の人口,交通事故死者数,自殺者数も揃えてみました。
少子化により,子ども人口は減ってきています。1950年では2942万人でしたが,前世紀の末に2000万人を割り,2017年では1540万人となっています。戦後初期の頃に比しておよそ半減です。
しかし,交通事故死者や殺人被害者のほうは,それよりもずっと速いスピードで減っています。下段の指数(1960年=100)をみると,それがよく分かるでしょう。ただ,自殺だけは要注意信号のようですが。
総じて,子どもの生活安全度は昔に比して上がっています。にもかかわらず,「子どもが危険だ」と,世間はパニック状態です。
ここにて,ハンス・ロスリングの名著『ファクトフルネス』の一節が想起されます。突発的な事件,センセーショナルな報道により,社会が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」が働きやすくなると。こういう状況下では,監視カメラの増設だの,社会の異分子の排除だの,極端な意見も支持されやすくなります。
怖いのは,こういうふうに歪められた世論に押されて,政策が決定されることです。とりわけ教育の分野では,それが起きる危険性が高いです。私見ですが,2015年の「道徳の教科化」は,上記のようなネガティブ本能に押されて実施されたのではないかと思っています。
学者や評論家の仕事は基本的には問題提起であり,「今の社会は悪い」「ここが問題だ」と言います。「今のままでOK,何もしなくていい」などとは言いません(言えません)。しかし『ファクトフルネス』でも言われていますが,「悪い」と「良くなっている」は両立します。前者は今の状態であり,後者は過去からした変化です。この両輪をバランスよくとらえ,歪んだネガティブ本能が暴走するのを抑えたいものです。
さしあたり力点を置くべきは,被害予備軍のガードよりも,凶行を生まないための環境づくりでしょう。メンタルケアや福祉の拡充は,その中核に位置します。増加傾向にある子どもの自殺防止と同時に,極刑をも恐れぬ「無敵の人」をなくすことにもつながります。
ロスジェネには,「無敵の人」の予備軍が多くいそうで怖い。朝日新聞の取材でも申しましたが,就労のハードルを下げ,パート等の「ゆるい」働き方を普及させ,精神を病んだ人をも包摂するインクルージョンを進めるべきです。AIの恩恵は,それに活用されるべし。
https://digital.asahi.com/articles/ASM4T747JM4TULZU017.html
話が逸れましたが,揺るぎない事実を知るのは,とても大事なことです。これからも,それに寄与する仕事をしていきたいと思っています。
「どういう世の中になってしまったのだろう」と,人々は恐怖に慄いています。あまりの恐怖に,監視カメラの網を張り巡らせるべきだとか,登下校の子ども1人1人にできる限り大人が付き添うべきだ,という意見も出ています。子を持つ親にすれば,こうも言いたくなるかもしれません。
不遜ですが,数でみて,殺される子どもはどれほどいるのでしょう。厚労省『人口動態統計』の死因統計に「他殺」というカテゴリーがあります。最新の2017年統計によると,他殺という死因による0~14歳の死者数は29人となっています。
「1年間で,こんなにも多くの子どもの命が奪われているのか」と憤慨されるでしょうか。しかし,70年ほど前の1950(昭和25)年の統計にて,同じ数を拾うと732人となっています。現在の25倍です。戦後初期の頃は,1年間で732人,均すと1日2人の子どもが殺されていたわけです。
ラフな10年間隔の推移をたどると,以下のようになります。
きれいな右下がりの傾向になっています。時代と共に,凶行の犠牲となる子どもは減ってきています。むろんこの数はゼロにならないといけないのですが,子どもの生活安全度が向上してきているのは確かです。
「子どもが減っているからだろ」と思われるかもしれません。事故死や自殺など,他の危険指標も見たいとう要望もあるでしょうか。それにお応えいたしましょう。0~14歳の人口,交通事故死者数,自殺者数も揃えてみました。
少子化により,子ども人口は減ってきています。1950年では2942万人でしたが,前世紀の末に2000万人を割り,2017年では1540万人となっています。戦後初期の頃に比しておよそ半減です。
しかし,交通事故死者や殺人被害者のほうは,それよりもずっと速いスピードで減っています。下段の指数(1960年=100)をみると,それがよく分かるでしょう。ただ,自殺だけは要注意信号のようですが。
総じて,子どもの生活安全度は昔に比して上がっています。にもかかわらず,「子どもが危険だ」と,世間はパニック状態です。
ここにて,ハンス・ロスリングの名著『ファクトフルネス』の一節が想起されます。突発的な事件,センセーショナルな報道により,社会が悪くなっていると思い込む「ネガティブ本能」が働きやすくなると。こういう状況下では,監視カメラの増設だの,社会の異分子の排除だの,極端な意見も支持されやすくなります。
怖いのは,こういうふうに歪められた世論に押されて,政策が決定されることです。とりわけ教育の分野では,それが起きる危険性が高いです。私見ですが,2015年の「道徳の教科化」は,上記のようなネガティブ本能に押されて実施されたのではないかと思っています。
学者や評論家の仕事は基本的には問題提起であり,「今の社会は悪い」「ここが問題だ」と言います。「今のままでOK,何もしなくていい」などとは言いません(言えません)。しかし『ファクトフルネス』でも言われていますが,「悪い」と「良くなっている」は両立します。前者は今の状態であり,後者は過去からした変化です。この両輪をバランスよくとらえ,歪んだネガティブ本能が暴走するのを抑えたいものです。
さしあたり力点を置くべきは,被害予備軍のガードよりも,凶行を生まないための環境づくりでしょう。メンタルケアや福祉の拡充は,その中核に位置します。増加傾向にある子どもの自殺防止と同時に,極刑をも恐れぬ「無敵の人」をなくすことにもつながります。
ロスジェネには,「無敵の人」の予備軍が多くいそうで怖い。朝日新聞の取材でも申しましたが,就労のハードルを下げ,パート等の「ゆるい」働き方を普及させ,精神を病んだ人をも包摂するインクルージョンを進めるべきです。AIの恩恵は,それに活用されるべし。
https://digital.asahi.com/articles/ASM4T747JM4TULZU017.html
話が逸れましたが,揺るぎない事実を知るのは,とても大事なことです。これからも,それに寄与する仕事をしていきたいと思っています。