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2012年3月28日水曜日

クツみがきをする先生

話題変更。1948年(昭和23年)4月25日の朝日新聞に,「先生の内職:人目をさけてクツみがき」というタイトルの記事が載っています。一部を引用しましょう。

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生活不安から教壇を去る教員は昨年来ひきも切らず文部省でさえ,その正確な不足数がつかめない状態だが,一方教壇にふみ止る教員は何によって生活の最後の一線にしがみついているだろうか。都教組が3月末現在で行った先生たちの内職調査。

 回答のあったのは205名,一番多いのはやはり家庭教師の55名だが,昨年10月の調査の家庭教師115名に比べればずっと減っている。これは中学への進学に学科試験がなくなったためと教組では見ている。

 これが月200円から400円,つぎが筆耕で1000円から2000円を上げているものが18人,洋裁で200円から300位が12人,ブローカーで2000円くらいの者が10人,日雇労働者で300円から500円くらいが8人,このほか封筒はりで400円から1300円が9人,筆耕で500円くらいが8人,商工会議所の調査員で700円が4人,ダンス・ホールのバンドでピアノ,ギターを奏でて1日200円から300円をかせぎ出すものが2人。

 なかには同僚や教え子に見つかってはと,学校から遠く離れた盛り場でクツみがきに身を忍ばせて月500円から1000円をかせいでいるのが2人あった。

 しかれど反対に内職するにも時間も手づるもなく職を失って子供3人をかかえ,配給の主食は全部子どもに食べさせ,自分は一週間絶食して落ちこぼれの小麦粉を製造所からもらって辛うじて命をつないだという中央区の某新制中学校教師もあった。
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 ・・・「悲惨」の一言ですね。戦争が終わってからまだ3年も経っていない頃です。復興優先,学校教育については何よりも施設の整備が急がれていた状況でしたから,教員給与に割り当てられた予算は多くはなかったことでしょう。

 1950年の小学校教員の給与月額をみると,5000~10000円という者が全体の44.8%を占めています。5000円未満という者も35.1%います(文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』1966年,120頁)。平均すると,7000円ほどでないでしょうか。自動車運転手の月給が12000円くらいだった頃ですから,相当低いと判断されます。現在の東京の教員給与は民間の7~8割ほどですが(前回の記事参照),戦後初期の教員の悲惨度は,それをはるかに上回っています。

 よって,上記の記事でいわれているような,窮乏する教員も少なくなかったことでしょう。教え子や同僚に見つかりやしないかとビクビクしながら「クツみがき」をする教員も・・・。

 戦後初期の新聞の縮刷版をくくってみると,あるわあるわ,当時の教員の悲惨さを伝えてくれる記事がわんさと出てきます。よくない趣味ですが,この手の記事をちょっと集め,ノートにスクラップしてみました。この『教員哀帳』の一部をご覧に入れましょう。


 いずれも昭和20年代の朝日新聞の記事です(左側は1946年6月17日,右側は1952年6月24日)。写真がピンボケですが,「闇市に立つ教師」,「先生は忙しい」,「徹夜でお仕事」という見出しが躍っているのがお分かりかと存じます。教員の過労やバーンアウトの問題が取り沙汰されている今日ですが,それは昔も共通していたようです。

 右の記事には,生徒に囲まれている中学校の女性教員が映っていますが,生徒らのノートを点検している最中のようです。子どもが多かった頃です。上記の文部省資料によると,1948年の小学校教員1人あたりの児童数(TP比)は38.2人となっています(20頁)。2011年現在の16.4人の倍以上です。

 それだけに,教員の負担も大きかったことでしょう。記事に映っている先生は笑顔をみせていますが,内心では,「見なくちゃいけないノートが多いなあ・・・」とイライラをつのらせているのではないでしょうか。男尊女卑の風潮が今よりも強かった頃ですから,女性教員の場合,家事負担もプラスされていたことと思われます。事実,「子供背負って出勤」というような,女性教員の悩みを掲載した記事も見受けられます(1952年8月18日,朝日新聞)。

 変なゴシップ趣味はありませんが,この『教員哀帳』を厚くする作業にハマってしまい,ここ3日ほど図書館通いしています。明日も行く予定です。戦後初期の縮刷版はだいたい洗ったので,これから戦前期に遡ってみます。時代状況が異なる戦前期では,どういう教員のすがたが観察されることやら。

 教員の歴史に関する書物は多く出ていますが,苦悩や悩みといった負の側面に焦点を当てた教員史というのはあまりないのではないかしらん。いや,柳井久雄先生の『教員哀史』(寺子屋文庫,2006年)が出てるか。読んでみます。

 現在は教職受難の時代といわれていますが,それは今に始まったことではありません。問題の底流に流れているものを探り当てる上でも,遠い過去の記憶を掘り起こす作業は無益ではないと思います。

 これから面白い情報が出てきましたら,随時ご紹介したいと思います。