ページ

2013年12月15日日曜日

成人の通学率の国際比較

 OECDの国際成人力調査(PIAAC)の質問紙調査には,興味深い設問が多く盛られています。今回は,次の設問への回答結果を国ごとに比べてみようと思います。

 現在,何らかの学位や卒業資格の取得のために学習しているか(B_Q02a)

 生涯学習という言葉が使われるようになって久しいですが,学校は,子どもや青年の占有物ではありません。成人(adults)にも門戸は開かれるべきであり,人生のどの段階にあっても,必要を感じたならば「学び」に立ち返れるシステムの構築が求められます。

 いわゆるリカレント教育ですが,社会の変化速度の高まりによる再学習への要請,職場における人間疎外状況の強まりなど,それを求める背景要因はいくつだって挙げるlことができるでしょう。

 成人といっても幅広い年齢層を含みますが,ここでは働き盛りの層の肯定率を拾ってみます。下の図は,横軸に25~34歳,縦軸に35~44歳の肯定率をとった座標上に,22の社会を位置づけたものです。上記の設問に「はい」と答えた者の割合です(無回答・無効回答は集計から除外)。点線は,22か国の平均値を意味します。

 ここで提示する統計は,PIAACのローデータを独自に集計して作成したものです。データファイルは,下記サイトでダウンロードすることができます。
http://www.oecd.org/site/piaac/publicdataandanalysis.htm


  日本は,最も左下にあります。成人の通学率が最も低い社会です。対極には,フィンランドが位置していますね。この社会では,25~34歳の4人に1人,35~44歳でも10人に1人が広義の学生です。

 ほか,右上のゾーンには,デンマークやスウェーデンなど,北欧の国が点在しています。生涯学習の先進国として,社会教育のテキストで紹介されることの多い国々ですが,さもありなんです。

 手元に,天野郁夫教授の筆になる『学習社会への挑戦』日本経済新聞社(1984年)という本があります。それによると,スウェーデンでは,4年以上の労働経験を持つ25歳以上の成人に,資格を問わず大学進学の道を開く「25・4」の制度があるそうです。形を変えつつも,現在でもこういう制度が存続しているのでしょう。

 なお右上にはアメリカも混じっていますが,この競争社会では,成人した後も組織的な学習を絶えず強いられる,ということなのかもしれません。いみじくも天野教授は,スウェーデンの生涯学習を「公共政策型」,アメリカのそれを「市場型」というように整理しています。

 上図において対極の位置関係にある,日本とフィンランドの様相をもう少し細かく観察してみましょう。私は,上記の問いへの肯定率を5歳刻みの年齢層別に出し,折れ線を描いてみました。日芬の2本の通学率カーブをご覧ください。


  年齢を上がるに伴い通学率が下がってくるのは同じですが,日本の場合,10代後半から20代前半にかけての傾斜が急になっています。20代後半以降では,学校に通っている者は5%もいません。対してフィンランドでは,曲線の傾斜が緩やかです。両国の成人学生の量の差は,緑色のゾーンで示されています。

 わが国の状況をどうみるかですが,組織的な教育機関(学校)での学び直しに対する要求があるものの,幾多の阻害条件により,それが満たされていない,ということであると思います。前に,生涯学習の世論調査をもとに,大学等で学びたいと考えている成人の推定量を出し,実際の通学人口と照合してみたところ,後者を前者で除した希望実現率はたったの4%でした。25人に1人です。
 http://tmaita77.blogspot.jp/2012/10/blog-post_27.html

  まあ,教育有給休暇どころか,仕事を終えた後に夜間の学校に通いたいと言っただけで渋面をつくられるような国ですから,頷けるというものでしょう。日本も高度化を遂げた社会であり,再学習への要求はあるものの,それが叶えられていない。上図に描かれた,20代後半以降のフラットな型は,こういう事態を表現したものと読むべきだと思います。

 なお,上図のような極端な「L字型」は,教育を受ける(受けられる)時期が人生の初期に集中していることを示唆します。このことは,成人のみならず子どもにとっても不幸です。目的もないのに,付和雷同的に上級学校への進学を強制される。「後からは戻れないのだから,今のうちに行かないと・・・」です。わが国のカーブも,もう少しフィンランド型に近づけば,子どもの世界に風穴が開けられる,というものでしょう。

 子どもの問題を考えるにしても,そこだけを切り取ってばかりいていけないのだな,と感じさせられます。