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2014年9月11日木曜日

Education more Education

 またしても「?」のタイトルですが,直訳すると「教育が教育を呼ぶ」ということです。アメリカの教育学者ピーターソンの有名な言葉なり。

 現在は生涯学習の時代ですが,既に高い学歴を得ている人間ほど,自発的に学び続けることへの意欲が高い。大学等への社会人入学志望者も多い。ピーターソンは,アメリカ社会のこうした現実を,表記のタイトルの言で表現したわけです。まさに「教育が教育を呼ぶ」ですね。またこうも言っています。「教育とは麻薬のようなものである」と。

 まあ,高学歴の者ほど「学び」へのレディネスはできているでしょうから,当然といえばそうです。「何が問題なのか」という疑問もあるでしょう。しかし,上記のような事態があまりに顕著になると,人生初期の教育格差が,生涯学習を通じて拡大再生産されることになります。

 生涯学習概論の授業をとった方ならご存じかと思いますが,生涯学習とは,子ども期に何らかの事情で教育の機会を逸した者に対し,学び直しのチャンスを与えるという,公正の機能をも期待されています。望むべきは,生涯学習を通じて人生初期の教育格差が縮小されることであり,その逆ではありません。しかるに,現実は後者のほうに傾いている。

 このような逆機能は,わが国においても観察されます。たとえば,自発的に学習(勉強)する者の比率の年齢曲線を学歴別に描くと,下図のようになります。人文・社会・自然科学といった一般教養を,過去1年間に自発的に学んだという者の出現率です。


 どの年齢でも「中卒<高卒<大卒」になっていますが,40代以降,大卒者の率だけがみるみる上がっていくことに注意しましょう。まさに「Education more Education」,生涯学習を通じた,人生初期の教育格差の拡大再生産です。

 勉強にはカネがかかる面もあるので,経済力の差の反映ともとれますが,「知への嗜好」の差が大きいのではないかと思われます。

 次に,大学等の組織的な教育機関に在学している成人の率をみてみましょう。近年,国の政策もあって,大学等への社会入学者が増えていますが,その多くは,既に高い学歴を有している者ではないでしょうか。

 あいにく,学歴と通学状況の関連が分かる個人単位のデータはありません。ここでは,成人の通学率が高いのはどういう地域かをみてみます。私は以前,30歳以上の成人の通学人口率を県別に明らかにしたことがあります(拙稿「成人の通学行動の社会的諸要因に関する実証的研究」『日本社会教育学会紀要』第45号,2009年)。その作業をここで繰り返しても面白くないので,県よりも下った,市区町村レベルの差を出してみました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016875755

 私は,首都圏(1都3県)の243市区町村について,30歳以上の通学人口率を計算しました。用いたのは,2010年の『国勢調査』のデータです。私が住んでいる多摩市でいうと,同年10月の30歳以上人口は10万4,238人。このうち,大学等の組織的教育機関に通学している者は157人。よって通学人口率は,後者を前者で除して15.1人となります。ベース1万人あたりの通学者数です。

 243市区町村の値をマッピングすると,以下のようになります。首都圏の成人の通学人口率マップをご覧ください。


 ほう。色が濃いのは,東京都内の都心や多摩地域です。これらの地域には大学が多いという条件があるでしょうが,言わずもがな,高学歴人口率が高い地域でもあります。データを出していませんが,おそらくは,成人の通学人口率と高学歴人口率は高い相関を呈することでしょう。

 既に高い学歴を得ている者ほど,自発的な学習への意欲が高く,組織的教育への欲求も高い。「Education more Education」の現実は,今の日本社会にも確実に存在するとみられます。

 現在,教育格差に対する世間の関心が高まっており,国の白書や政策文書でも頻繁に取り上げられるようになりましたが,少子高齢化が進行するなか,人間の生涯を見越して,この問題を議論する必要があると思います。人生初期の学校教育とは違って,生涯学習とは人々の自発的な意志に委ねられる部分が大きいので,放置するならば,「する者」と「しない者」の差が甚だ大きくなるからです。

 それを防ぐ方策の一つは,いわゆるアウトリーチ政策ですが,この言葉が国の文書に載ったのを見たことがないなあ。低学歴の者に対する,学習機会の情報提供や啓発などからなります。北欧では,こういう取組がされているのだそうな。今日,著しい発展をみたインターネットなどの情報網を,こういう仕事に活かしたいものです。

 2050年の日本は,人口比では「子ども1:大人9」の社会になります。こうなったとき,教育学は人生初期の学校教育だけを射程にするだけでは不十分であり,存在意義も問われることになります。今回のテーマは,近未来の教育学のテキストに取り上げられているかもしれません。いや,そうであってほしいと思っています。