2015年2月25日に,「パソコンを持たない若者」という記事を書きました。本ブログで最も読まれている記事の一つです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/02/blog-post_25.html
日本の青少年のパソコン所持率が,諸外国に比してダントツで低い。若者の「パソコン離れ」を如実に示したデータとして,注目されているのだと思います。ソースは,内閣府『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年)です。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html
本記事にはいろいろなコメントが寄せられましたが,「スマホで用が足りるので,パソコンを持たないのだろう」という意見が多数です。そうですよね。仲間との交信や情報収集はスマホで十分。メールをパソコンで打ったことがない学生もザラでしょう。
まあ,冒頭の記事で分かるように,日本の若者はスマホの所持率も諸外国に比して低いのですが,パソコンは持たずスマホだけを持っている「スマホだけ族」はさぞ多いことでしょう。情報化社会を生き抜くツールを,もっぱらスマホに依存している人です。
10代の青少年のうち,スマホだけ族は何%いるか。上記調査のローデータを加工して,国ごとのパーセンテージを出してみましょう。
下表は,10代(正確には13~19歳)のうち,a)携帯・スマホを持っている者,b)パソコンを持っている者,c)両方持っている者の割合を,調査対象の7か国について計算したものです。
日本と他の6か国の間に断層ができています。いずれの機器の所持率も,日本は格段に低し。スマホとパソコンを両方持っているのは,日本では半分以下ですが,スウェーデンでは9割もいます。
「スマホだけ族」の割合は,aからcを差し引くことで得られます。74.6-48.0=26.6%,およそ4人に1人ですか。パソコンだけの者(b-c)は6.7%と,ごくわずかです。
これらの数値をもとに,日本の10代の情報機器所持の様相を,正方形の面積図で表現してみましょう。下図をご覧ください。新刊『データで読む 教育の論点』(晶文社)の215ページにも掲載している図です。
スマホだけが26.6%,パソコンだけが6.7%,両方所持が48.0%,両方なしが18.7%,という内訳です。これは日本の10代のデータですが,他国では,この4群の内訳がどうなっているか。最初の表の数値(a~c)をもとに算出すると,以下のようになります。
スマホだけ族の割合は,日本がダントツで多くなっています。スマホもパソコンも持たない情報機器無縁者も18.7%で,他国よりも格段に多いことに注目。
年齢を一段上がって20代になると,パソコン所持率が上がるので,両方所持が9割を占めるようになりますが,これは世代の要因でしょう。上表の10代が20代になったとき,パソコンを持つようになるとは考えにくい。
今では,スマホのような小型機器でも大抵のことはできます。仲間との交信,情報収集,さらにはフリック入力でレポート作成をやってのける学生もいます。
ツイッターで一回呟くのにも一苦労の私には到底無理なことですが,今の若い世代は違う。これからスマホはますます多機能になっていくと思いますが,10年後くらいには,「パソコンが使えない若者」ではなく,「スマホで仕事ができない中高年」が問題視されるようになるかもしれませんね。
ただ現段階では,凝った創作物などを生み出すには,スマホよりもパソコンに分があるでしょう。ひろゆきさんの新刊『無敵の思考』(大和書房)に書いてありましたが,「パソコンに慣れている人のほうが,モノづくりの活動は上手くできます」(64ページ)。
国際的にみて,日本の若者はネットで創作物を発信する頻度が低いのですが,こういう受動的な態度は,スマホ依存でもたらされているのかもしれません。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7032.php
パソコンを持たない人は「消費者のままでいるのですから,実は人生で損をしている」(ひろゆき氏,前掲書,65ページ)。インターネットという文明の恩恵を積極的な仕方で利用できるようなるためにも,子どもをして,パソコンに触れるよう仕向けることは必要でしょう。
そのためには,パソコンを使う必要に迫られる環境を作ること。それこそ,教育の情報化に他なりません。学校において,提出物や書類のやり取りをネットで行う。これをするだけでも,事態は大きく変わるのではないでしょうか。絵空事に思われるかもしれませんが,ICT先進国のデンマークなどでは日常的な光景です。
高度情報化社会という状況に置かれているのは,どの国も同じです。にもかかわらず,日本の子どものネット利用は,スマホという小型機器を介した,受動的・消極的なものになっている。それは,子どもの生活が社会から切り離されていることの証左ともいえます。
子どもの主要な生活の場は学校ですが,かつてデューイは「学校とは陸の孤島のようなもの」と形容しました。日本の学校は未だに,このような状況なのかもしれません。高度情報化社会の波に揉まれるならば,パソコンのような機器を使う必要に迫られるわけですから。
スマホだけ族という切り口から,学校と外部社会の関係という,大きな問題を抽出できるようにも思います。