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2020年12月25日金曜日

飢餓の広がり

  今年は大変な年でしたが,天候はよく,農作物の育ちがよい豊作だったそうです。しかし外食産業の落ち込みで需要が減っているので,供給過剰で値崩れが起き,農家としては頭を抱えています。いわゆる豊作貧乏です。

 私が住んでいる三浦半島の南西は畑が広がっていますが,廃棄の大根が山積みになっているのを見ると,心が痛みます。コロナ禍で1日1食という人もいますが,困っている人,お腹を空かせている人に届けることはできないものか,コメなどは保存がきくのだから,国が買い上げて備蓄すればいいのではないか。こんなふうに思います。

 食べられる食べ物を捨てる,いわゆる食品ロスが問題化して久しいですが,今の日本では対極の問題も起きています。そう,飢餓です。飽食のニッポンで飢餓なんてあるわけないと思われるでしょうが,あるのです。厚労省の統計でみても「食糧の不足」という原因で死ぬ人は毎年いますし,死までいかずとも,十分な食べ物がなく空腹で過ごしている人となると,裾野はうんと広がります。

 データもあるんですよね。2017~20年にかけて,世界の研究者が共同で実施した『第7回・世界価値観調査』では,「この1年間で,十分な食料がない状態で過ごしたことがあるか?」と問うています(Q51)。回答の選択肢は,「しばしばあった」「時々あった」「まれにあった」「なかった」の4つです。

 調査対象の国民のうち,「しばしば」ないしは「時々」と答えた人のパーセンテージを国別に出し,高い順に並べると以下のようになります。WVSサイトのオンライン集計で出したものです。


 データが分かる,49か国の飢餓経験率です。当然と言いますか,発展途上国では率が高くなっています。アフリカのナイジェリアやジンバブエでは,程度の差はあれ,半数近くの国民が飢餓を経験しています。最近,日本人がよく出向くようになっているタイやフィリピンは3割弱で,大国のアメリカは12.5%です。

 日本はというと9.2%で,国民の1割弱が飢餓を経験しています。世界全体では低い部類ですが,お隣の韓国や中国,ヨーロッパのドイツと比したら格段に高くなっています。英仏や北欧のデータはないですが,先進国の中では飢餓率が高いとみてよいでしょう。

 飢餓経験については,2010~14年に実施された『第6回・世界価値観調査』でも尋ねられています(Q188)。この時点の数値と比較すると,日本の「!」という状況が露わになります。以下の図は,日本,韓国,中国,アメリカ,ドイツという主要国の時系列変化です。


 韓国,中国,ドイツでは飢餓率が下がっており,アメリカは微増というところですが,日本は増加幅が大きくなっています。5.1%から9.2%への伸びです。日本では最近になって飢餓がじわじわと広がり,アメリカに迫る勢いになっています。

 これはどういう事情によるのか。最近の日本の雇用情勢悪化や生活不安の広がりを指摘するのは簡単ですが,国民のどの層で飢餓が増えているのかを見ることで,より確かな見当をつけられます。

 私は第6回と第7回の『世界価値観調査』の個票データを使って,日本人サンプルを10歳刻みの年齢層に分け,各層の飢餓経験率を算出しました。日本は第6回調査は2010年,第7回調査は2019年に実施されています。この10年ほどで,飢餓率はどの層で伸びているのでしょうか。


 どの年齢層でも飢餓率は高まっていますが,両端の若年層と高齢層で伸びが大きいのが知られます。20代は7.1%から11.5%,70歳以上は5.2%から14.2%への増です。

 20代で増えているのは,大学進学率の高まりにより,お金のない学生が増えていること,若者の非正規化・賃金低下,またソロ化(未婚化)といった事情が考えられます。高齢層で飢餓が増えているのは,年金削減に加え,身寄りのない単身老人が多くなっていることなどが挙げられるでしょう。

 50代でも4.3%から8.3%に増えていますね。1月12日の記事で示しましたが,年齢層別の餓死者数をみると,ピークは50代です。人件費が高いという理由でリストラされても,年齢の理由で再就職が困難で,生活保護を受けようにも「まだ働けるはず」と,なかなか申請書が受理されるのは難しい。いろいろ苦難がふりかかるステージです。

 いやはや,飽食の国といわれる日本ですが,目を凝らしてみると,ご飯にありつけない飢餓が確実に広がっていることが分かります。もはやアメリカと同等,いやそれ以上のレベルです(下図)。


 日本では,国民1人が茶碗1杯分の食べ物を毎日捨てるといいます。また冒頭で書いたように,供給過剰の農作物はバンバン廃棄されます。狭い一つの島国の中で,こうした食品ロスと飢餓が同時並行で起きるというのは,何とも不可思議です。それだけ富の偏り(格差)が大きくなっている,ということでしょう。

 なずべきは,需要と供給をしっかり結びつけること,すなわち飢える人に対し,有り余る食物を届けることです。最近ではフードバンクの取組が盛んですが,区市町村に一つは,官製のフードバンクを設けるのを義務付けたらどうでしょう。余剰の食べ物を備蓄し,困った人が利用できるようにするのです。

 あと一つは,困ったら助けをためらうことなく求められるようにする「SOSの出し方教育」の充実です。近年,子どもの自殺対策として,こうした「SOSの出し方教育が重視されています(2018年,文科省通知)。「恥の文化」がある日本の国民は,困った時であっても,他人に助けを求めるのが苦手です。福祉にしても,「使う」ではなく「頼る」という言い回しがよくとられますが,正確なのは前者です。福祉は「頼る」ものではなく,必要な時には,いつでも気軽に「使う」もの。厚労省もようやく本気になってきて,生活保護を積極的に利用してほしい,とHPで告知していますが,SOSを発するメンタルを子ども期より育むことが求められます。

 食品ロスと餓死,空き家と住居難民……。こうした奇妙な組み合わせが同居するというのは,社会の資源が国民に適正に分配されてないが故です。資源を供すること,それを使うのを遠慮なく申し出ること。地に足がついた形でそれを後押しするのは,国の役割です。

 最初の表によると,日本国民の飢餓経験率は9.2%,人口1億2千万人とすると,実数にして1100万人ほどですね。東京都の人口と同じくらいの人が,飢えを経験していることになります。決して,ネグリジブルスモールではありません。