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2014年9月23日火曜日

部活指導時間の国際比較

 大阪市では,中学校の部活(運動部)の指導を外部に委託する方針だそうです。先行事例として,東京の杉並区にて,土日限定の外部委託が実施されていますが,大阪市のほうは全面委託も検討するとのこと。狙いは,教員の負担軽減だそうです。

 部活といえば,青春時代のシンボル。私の出身中学では,原則として「帰宅部」は許されず,生徒全員が何らかの部に入ることが求められました(男子は,できるだけ運動部)。

 部活指導に熱心な教員も多かったように記憶しています。バスケ部の顧問などは,「俺は今度の新人戦に命をかけてんだぞ」などと公言していました。悪いことではありませんが,あまりに度が過ぎると,部活指導が「主」で授業が「従」になるというような逆転現象も・・・。言わずもがな,教員の仕事の中核は授業です。

 誤解される向きがありますが,部活は授業ではありません。学校の教育課程には含まれない,課外活動(extracurricular activities)として位置付けられています。よって,それをするかしないかは,各学校の任意です。

 まあ日本では,ほぼ全ての中学・高校にて,部活が実施されています。何かに打ち込むことは,生徒の人間形成にとって大きな意義がある。放課後を野放しにしたら,よからぬことをしかねない・・・。こういう認識からでしょう。ハーシのボンド理論がいうように,何かコミットメントする対象があることは,生徒をして非行から遠ざける有力なボンドですしね。

 それは多かれ少なかれ,他の社会でも同じでしょう。しかし日本の特徴だと思われるのは,教員が部活指導を行っていることです。部活は授業ではありませんから,それを指導するのに教員免許状は要りません。よって,外部人材にじゃんじゃん投げてもよいことになります。

 海外では,「教員の仕事は授業」と割り切っている社会が少なくありませんが,教員の部活指導時間には大きな国際差があります。OECDの国際教員調査(TALIS 2013)のデータを使って,この点を可視化してみましょう。

 上記の調査では,対象の中学校教員に対し,週当たりの部活の指導時間を尋ねています。英文表記では,以下のような言い回しです。

 extracurricular activities (e.g. sports and cultural activities after school)

 直近の週の指導時間(hours)を記入してもらう形式です。日・米・瑞の指導時間の分布を図示すると,下図のようになります。


 北欧のスウェーデンでは,9割近くの教員が0時間,すなわち部活指導を全くしていません。アメリカでも,4割超の教員が部活指導とは無縁。しかるに日本は,一定時間,部活指導をしている教員が大半です。10時間の箇所に山がありますが,1日あたり2時間ほどということ。なるほど,肌感覚と一致しますね。

 この分布から平均値を出すと,日本が7.7時間,アメリカが3.2時間,スウェーデンが0.4時間となります。スウェーデンの中学校で部活がどれほど実施されているか知りませんが,そのほとんどが「外部化」され,教員の関与するところではないことが知られます。

 比較の対象を広げてみましょう。私は32の社会について,中学校教員の部活指導時間の平均値を計算してみました。また,それが総勤務時間に占める割合も出してみました。日本の場合,週当たりの部活指導時間の平均は7.7時間,総勤務時間の平均は54.2時間ですから,前者の比重は14.2%となります。

 総勤務時間の7分の1が,授業とは別の部活指導に充てられているのですが,他の社会ではどうなのでしょう。

 国際比較の結果をビジュアルな図でお見せします。横軸に総勤務時間の平均値,縦軸に部活指導時間のそれをとった座標上に,32の国をプロットした図です。


 ほう,日本はかっ飛んだ位置にありますね。部活指導時間の長さ,総勤務時間に占める比とも,ダントツでトップです。

 課外活動としての部活の指導を,もっぱら教員が行うこと。われわれが常識と信じて疑わないことですが,それは普遍的でも何でもなく,むしろ特異なことであることが教えられます。大阪市の方針を,「教員の怠慢だ」などと責めるのは正しくないでしょう。同市の教育委員会関係者に,上図のようなデータを知っている方がおられるのかなあ。

 昨日は後期の教育社会学の初回だったのですが,「教育は社会によって異なる」という基本テーゼを強調しました。自分たちが慣れ親しんでいる教育の姿は,実は普遍的なものではない。時代軸,空間軸で相対化することが大事であり,そのことにより,教育改革の道筋も見えてくる。こういうことをお話ししました。

 ついでに一つの愚痴も。それは,教員採用試験の教職教養において,教育社会学は完全無視であるということです。現場の教員が「社会階層」などという言葉をポンポン口にするようになったらマズイ。こういう懸念からでしょうか。

 しかし,教育の社会的規定性について絶えず思いをめぐらす教員が増えることで,現場はかなり「ラク」になると思うのですがねえ。「ガンバレ,ガンバレ」という根性論から自分たちを解き放つ根拠(データ)を与えてくれる学問です。「学力=教師力」という図式にしても,それが必ずしも正しくないことは,教育社会学をちょっとかじった人間ならすぐに分かること。

 これから半期の間,未来の教員の卵たちと向き合うわけですが,こういうことを念頭に置きながら講義をしようと思っております。