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2011年10月30日日曜日

在学状況別の非行率

 わが国は,学歴社会であるといわれます。学歴社会とは,社会的地位や配分される富の決定に際して,学歴が影響する度合いが高い社会のことです。

 わが国では,義務教育は形式的には中学校までですが,高校進学率が95%を超えた今日,中学校を卒業して直ちに社会に出ることには,相当の勇気が要ります。就くことのできる職種がきわめて限定されたり,劣悪な条件で働かされたり,さらには,社会的落伍者の烙印を押されたりすることまでをも覚悟しなければなりません。

 なお,高校に進学するにしても,どのようなタイプの高校に行くかが大きな分岐点となります。わが国の高校が,(有名)大学への進学可能性に依拠して精緻に階層化されていることは,誰もが知っています(上位校,中位校,下位校・・・)。学科別にみても,普通科が上で職業科が下というような,暗黙の序列意識があることも,否定できないところです。1970~80年代には,「普商工農」というようなフレーズが関係者の間で流布していました。

 そうである以上,階層化された構造の中でどのような位置にある高校に在学しているかによって,生徒の生活意識や行動が大きく異なるであろうことは,自ずと演繹されるところです。横浜国立大学の渡部真教授は,1982年の論稿において,有名大学進学率に基づく階層構造の中で下位の位置にある高校ほど,非行に親和的な下位文化が蔓延していることを明らかにしています(「高校間格差と生徒の非行的文化」『犯罪社会学研究』第7号)。

 非行下位文化とは,簡単にいえば,悪さを美徳とするような文化です。上位校では,勉学に懸命に励んだり,教師の言うことに従順に従ったりすることをよしとする,向学校的文化が支配的であると推測されます。

 現代学校の病理的な構造によって,青少年がこのように分化してしまうのは,何とも悲しいことです。10月19日の記事にて,教育によって子どもは悪くなってしまうのではないか,という問題提起をしましたが,教育の功罪の「罪」の部分が,ここにおいても看取されます。

 ところで,21世紀となった現在においても,このような構造は保たれているのでしょうか。この点を考えるために,高校に行っているかどうか,どういうタイプの高校に行っているかによって,非行少年の出る確率がどれほど異なるのかを明らかにしてみようと思います。

 警察庁『平成22年中における少年の補導および保護の概況』には,刑法犯で検挙された少年の数が,犯行時の在学状況別に記載されています(巻末の統計資料の表20)。
http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen/hodouhogo_gaiyou_H22.pdf

 当該の表に設けられているグループカテゴリーを加工して,①高校普通科在学者,②高校職業科在学者,③高校定時制在学者,④中卒・高校中退者,という4グループを構成してみます。各グループについて,非行少年の数を出すと,①が23,117人,②が6,436人,③が4,347人,そして④が16,059人です。

 ①が最も多いですが,このグループは母数でも多くを占めるので,当然といえば当然です。それぞれのグループから非行少年が出る確率を知るには,非行人員の数を母数で除した出現率を算出する必要があります。

 ①~③の母数は,2010年版の文科省『学校基本調査』から知ることができます。高校職業科の生徒数は,高校生の数から,普通科,総合学科,および「その他」の学科の生徒数を差し引いた値とします。統計上「その他」のカテゴリーに含まれる学科には,理数科など,普通科に近い性格のものが多く含まれていると思われるので,職業科とはみなさないこととします。

 ④については,15~19歳人口のうち,最終学歴が中学校卒業の者を充てれば問題ないでしょう。2010年の『国勢調査』の抽出速報結果から,具体的な数が分かります。

 4グループについて,非行者の数を母数で除した出現率を出すと,下表のようです。出現率の単位は,1万人あたりです。


 普通科と職業科では率は大差ないですが,定時制在学者と高校非在学者になると,出現率が急騰します。高校非在学者の非行者出現率は,%にすると5.0%です。20人に1人に割合で非行者が出ている計算になります。もっとも,bの非行者の数は延べ数であることに注意が要りますが。

 上記は刑法犯全体の出現率ですが,罪種別の出現率についても,グループ間で比べてみましょう。殺人や強盗のような凶悪犯の出現率などは,グループ間の差が大きいのではないかしらん。


 罪種別にみても,昼間の高校在学者と,定時制ないしは高校非在学者との間に,明確な溝が見受けられます。どの罪種でグループ間の差が大きいかは,普通科在学者の出現率を1.0とした指数を出してみると,よく分かります。

 凶悪犯の出現率は,中卒・高校中退グループでは11.5です。この値は,普通科在学者の率(0.5)の21.3倍に相当します。各グループの出現率をこのような倍率に換算し,折れ線でつなぐと,下図のようになります。


 図をみると,凶悪犯や粗暴犯といった,シリアス度が高い罪種ほど,折れ線の傾斜がきつくなっています。つまり,在学状況による差が大きい,ということです。

 私にとって発見であったのは,普通科と職業科において,非行少年の出る確率がほとんど違わないことです。大学全入といわれる今日,職業科からの大学進学も,以前と比べれば容易になっていることでしょう。それゆえ,生徒の意識や行動を著しく分化させる高校階層構造に揺らぎが出ている,ということでしょうか。

 その分,今日では,定時制の在学者や高校非在学者に,困難の度合いが濃縮されているように思います。過去のデータと比較ができれば,今日の特徴についてもっと深く吟味できるのですが,残念です。推測でだらだらとモノをいうのはいただけないので,この辺りで止めにします。

2011年10月29日土曜日

博士課程修了者の組成

 前回は,博士課程のそれぞれの専攻について,博士号学位取得者の数がどう変化してきたかを明らかにしました。人文科学系や社会科学系において,博士号所得者がかなり増えてきていることを知りました。

 しかるに,これらの文系の専攻では未だに,修了者の多くを単位取得退学者が占めることも事実です。博士課程修了者の組成(博士号取得者or単位取得退学者)がどう変わってきたのかにも,興味が持たれます。

 私は教育系の博士課程を修了し,学位を取得しました。文科省の『学校基本調査(高等教育機関編)』によると,2010年3月の教育系の博士課程修了者は375人です。そのうち,単位取得退学者は173人です。修了者のうち,単位取得退学者が46.1%を占めています。裏返すと,残りの202人(53.9%)が博士号取得者です。

 教育系の博士号取得者の比率は,20年前の1990年3月の修了者では,わずか21.2%でした。それが現在では,修了者の半分以上が学位を取っているわけです。すごい変わりようですね。

 私の恩師が,私の拙い博士論文に苦渋の面をつくりながらも,「昔と今では博論の意味づけが違うからね。仕方ないか・・・」とつぶやいておられたのを覚えています。博士号は,研究者としてのスタート地点に立ったことの証である。そこそこの水準に行っていればそれでよし。後は,今後の精進に期待しましょう,ということなのでしょう。別の某先生は,「今の博論なんて昔の修論だよ」と断言されていました。

 私は,前回みた10の専攻について,博士課程修了者の組成がどう変わってきたのかを示す図をつくりました。まずは,6つの専攻の図をお見せします。資料源は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』の各年次版です。


 専攻名の隣のカッコに内は,1990年と2010年とで,博士号取得者の比率がどう変わったかを示しています。人文科学系と社会科学系では,青色の博士号所得者の比重が年々高まってきています。前者でいうと,博士号取得者の比率は,1990年の15.8%から2010年の42.7%まで増えています。

 一方,理系の4専攻では,さほどドラスティックな変化はみられません。博士号取得率は,微増というところです。理系では,以前から,「博士号=研究者のライセンス」という位置づけが根づいていたためでしょう。


 残りの4専攻の図をみてみましょう。私が出た教育系については,前述のとおりです。青色のゾーンが右上がりに広がってきています。芸術系は修了者の数が少ないので,傾向に波がありますが,学位取得率が40.0%から84.3%と,こちらも顕著な増加を呈しています。

 文系において,大学院博士課程修了者の組成が大きく変わってきていることが明らかになりました。今回みたのは,修了者の組成ですが,入学者のうち,最終的に学位取得に至るのはどれほどか,という点も気になります。

 この点を知るには,入学者を分母,3年後の学位取得者を分子に充てた計算が必要になります。文科省の『学校基本調査』の時系列データをつなぎ合わせれば,できないことではありません。機会をみつけて,手がけてみようと思います。

2011年10月28日金曜日

博士号取得者数(続)

 2月14日の記事では,人文科学系の博士号取得者の数を明らかにしました。しかるに,当該の専攻は,博士課程全体の中ではそれほど大きなウェイトを占めるものではありません。他の専攻の動向も気になるところです。

 文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』によると,2010年3月の大学院博士課程修了者は15,842人です。そのうち,単位取得退学者は4,035人です。よって,課程修了による博士号取得者数は,前者から後者を差し引いて,11,807人となります。この数は,1990年では3,790人でした。

 1991年以降の大学院重点化政策の影響もあってか,この20年の間に,博士号取得者(課程修了による。以下,同じ)は,3倍に増えたわけです。様相を専攻別に観察すると,下の表のようになります。


 私は教育系の博士課程を修了しましたが,当該の専攻の博士号取得者数は,この20年間で8.1倍になっています(25人→202人)。ほか,増加倍率が大きいのは,人文科学系(6.0倍),社会科学系(8.0倍),芸術系(18.1倍),です。複合領域の「その他」に至っては60.3倍です。

 文系と理系という大雑把な括りでいうと,前者の博士号取得者数の伸びが大きいことが知られます。1990年では,博士号取得者の93.3%が理系専攻者(理学,工学,農学,保健)で占められていました。ですが,2010年では,この比率は74.9%まで減じています。

 1990年から2010年までの変化の様相を,逐年で細かくみてみましょう。私は,各専攻について,1990年の博士号所得者数を100とした指数の推移をとってみました。指数値がぶっ飛んでいる「芸術系」と「その他」は除いています。


 社会科学系(赤)と教育系(桃)の増加が目立っています。保健や理学といった理系の専攻は,右上がりの傾斜がなだらかです。「博士号=研究者としてのライセンス」という位置づけが,文系にも浸透してきていることがうかがわれます。

 とはいえ,博士号取得者の増加が著しい人文系,社会系,教育系において,修了者の死亡・行方不明率が高いことは,前回の記事でみたとおりです。

 次回は,博士課程修了者の組成(博士号取得者or単位取得退学者)がどう変わってきたかを,専攻別にみてみようと存じます。人文系については2月14日の記事で明らかにしましたが,他の専攻ではどうかが注目されます。

2011年10月26日水曜日

行方不明の博士

 大学院博士課程を修了しても定職に就けない人間が増えていることについては,このブログで何回か書いてきました。しかるに,フリーター(非常勤講師)をしているなど,行方が知れているケースは,まだマシといえるかもしれません。

 もっと悲惨なのは,消息不明になったり,絶望のあまり自殺に走ったりするケースです。2011年度の文科省『学校基本調査』によると,同年3月の博士課程修了者15,893人(単位取得退学者含む)のうち,「進路不詳・死亡」というカテゴリーに該当するのは1,512人となっています。調査時点の5月1日までに死亡が確認された者か,その時点になっても進路(行方)が把握できていない者のことです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001033893&cycode=0

 こうした死亡・行方不明者の比率は,1,512/15,893=9.5%となります。およそ10人に1人です。大学院博士課程修了者の死亡・行方不明者出現率は,他の高等教育機関修了者に比して,格段に高くなっています。


 上表によると,2011年3月修了者の死亡・行方不明率は,大学は2.5%,大学院修士課程は2.8%,大学院博士課程は9.5%,です。博士課程になると,比率が急増します。博士課程修了者の死亡・行方不明者1,512人のうち,1.0%の15人が自殺者であると仮定すると,自殺率は,15/15,893=94.4人となります(10万人あたり)。人口全体の自殺率(≒25人)の3倍以上です。

 予想されることですが,博士課程修了者の死亡・行方不明者は,年々増えてきています。大学院重点化政策が実施された1990年代以降の推移をとってみると,下表のようになります。


 1990年では,死亡・行方不明者は611人でした。以降,その数はどんどん増え,2011年の1,512人に至っています。この期間中に輩(排)出された死亡・行方不明者の数を累積すると,26,143人となります。今後,毎年1,500人の死亡・行方不明者が出ると仮定すると,2030年時点における累積総数は約5万5千人に達します。この5万5千人の博士たちが,社会にとっての危険因子に転化する可能性は否定できないところです。

 ところで,死亡・行方不明者の絶対数は増えていますが,修了者に占める比率は以前と大して変わらないようです。博士課程に行ったら,10分の1(1,000分の1)の確率で行方不明者(自殺者)になるという構造は,前からのものだったのですね。*カッコ内は推定。

 なお,博士課程修了者の死亡・行方不明者出現率は,大学院の設置主体や専攻によって異なります。設置主体別と専攻別の数字を出してみました。1990年と2011年のものを比較してみます。


 まず上段をみると,両年次とも,国<公<私という構造になっています。この20年間で,国公私の差が広がっていることも注目されます。国立の率は下がっていますが,公立と私立のそれは上がっているのです。

 下段に目を移すと,2011年では,社会科学系,人文科学系,および芸術系では,死亡・行方不明率は20%を超えています。これらの専攻の博士課程に進んだ者の5人に1人が,悲惨な末路をたどることが知られます。

 1990年との違いに注目すると,死亡・行方不明者出現率が上がっている専攻もあれば,その逆の専攻もあります。理学,農学,工学といった理系の博士課程では,率が軒並み下がっています。文科省のポスドク拡充計画により,とりあえずの「腰かけ」ポストが増やされたためでしょうか。

 私は,教育系の博士課程を出ましたが,教育系の修了者の死亡・行方不明率は17.4%です(2011年)。およそ6人に1人。その仲間入りはしたくないものです。母校からの進路状況調査には,きちんと回答しようと思います。今年もそろそろくるだろうな。

2011年10月23日日曜日

ニートマップ

 前回の続きです。前回は,15~34歳人口に占めるニートの比率を明らかにしました。最新の2010年の数字でみると,15~34歳の非労働力人口のうち,専業主婦(夫)でも学生でもない者(≒ニート)は約29.7万人で,同年齢人口の10.5‰に相当します。%にすると,1.05%です。

 ところで,このニート率がどのような社会的要因とつながっているかに興味が持たれます。私は,2005年の『国勢調査報告』の数字を使って,東京都内の53市区町村(島嶼部は除く)について,若者のニート率を計算しました。

 ここでいう若者とは,25~34歳の者のことです。大学受験浪人のような要因の関与を除くため,10代後半と20代前半の層は除外することとしました。いうなれば,高齢ニートの量的規模を観察することになります。

 2005年の都内53市区町村の25~34歳人口は,約210万人です。うち,上記の意味でのニートはおよそ2.1万人です。よって,ニート率は10.0‰(=1.0%)となります。ちょうど100人に1人です。

 この値を53市区町村について算出し,その値に基づいて,それぞれの地域を塗り分けてみました,10%未満は白色,10‰以上15‰未満は青色,15‰以上20‰未満は赤色,20‰以上は黒色,としています。下図は,このようにしてつくった「ニートマップ」です。


 図をみると,都心部は白く染まっており,西に行くにつれて,色が濃くなってきます。ニート率は,周辺地域で高いようです。ちなみに,ニート率が20‰(=2%)を超える地域は,府中市,日の出町,および奥多摩町です。奥多摩町では,ニート率が47.3‰(4.73%)にも達します。若者の21人に1人がニートです。

 私は,『47都道府県の青年たち』(2010年,武蔵野大学出版会)において,若者のニート率を県別に出したことがあります。そこでは,都市的な県よりも農村的な県において,ニートの比率が高いことが明らかになりました。ニート率の高さが,都市的な環境よりも農村的な環境とつながっていることは,東京都内の市区町村単位のデータからもうかがわれます。

 常識的に考えれば,世間体のような,しがらみが比較的強い農村では,ニートは生まれにくいと思われます。三十路にもなって,自宅に居座ったまま,職にも就かずブラブラし続けるというのは,なかなかできたものではないでしょう。むしろ,匿名性が強い都市部のほうが,そうしたことは容易であると思われます。

 はて,どういうことでしょうか。ここで想起されるのは,ニート率の高低は,怠けや就労忌避感情というような個人的な要因だけではなく,就労機会の多寡というような社会的要因ともつながっているのではないか,ということです。

 この点を確認するため,私は,今しがた明らかにしたニート率と完全失業率の相関関係を調べました。完全失業率とは,完全失業者が労働力人口に占める比率のことです。つまり,働く意欲があるにもかかわらず職にありつけない者がどれほどいるかを表す指標です。ニート率と同様,25~34歳の数字を出しました。資料源は,2005年の『国勢調査報告』です。

 下図は,横軸に失業率,縦軸にニート率をとった座標上に,53の市区町村をプロットしたものです。いわゆる,相関図というやつです。


 ニート率が飛びぬけて高い奥多摩町は,失業率も2位の位置にあります。図をみると,失業率が高い地域ほどニート率が高いという,うっすらとした正の相関関係が見受けられます。相関係数は0.390であり,1%水準で有意と判断されます。各地域におけるニートの量的規模は,就労機会の多寡と無関係ではないようです。

 必死にシューカツをしたがうまくいかず,やがて就労意欲を失いニートに・・・このようなサイクルの存在が推測されます。時系列でみても,2000年のどん底の不況時に,若者のニート率が急騰したという事実があります。前回の記事をご覧ください。

 ニートの発生要因を,若者の怠けや就労忌避感情といった個人的要因にのみ帰すことは間違いのようです。「働きたくないから働かない」よりも,「働きたいが働けない」の比重のほうが大きいのではないかと存じます。

2011年10月21日金曜日

ニート率

 心理学者エリクソンによると,青年期の発達課題は,自我同一性(アイデンティティ)を確立することだそうです。自分は何者か,自分は社会の中で何ができるかをはっきりさせることです。簡単にいえば,進路選択,職業選択ということになるでしょう。

 しかし,最近,この課題を達成することができずに,自我の拡散状態に陥ってしまう若者が多いと聞きます。自分は何がしたいのか,何ができるのかを思い定めることができず,いつまでたっても,明確な役割(role)を取得できない人間が増えているように感じます。

 いわゆるニート(NEET=Not in Education,Employment or Training)などは,その典型でしょう。教育も受けておらず,働いてもおらず,職業訓練も受けていない,要するに,何をしているか分からない輩のことです。

 私は,このような生き方を100%否定するつもりはありません。現在の(病んだ)企業社会に過剰適応し,心身ともに荒んでいくというのは,ご免こうむりたいものです。また,9月2日の記事でも申しましたが,「ぶっとんだ」生き方をしている人間の中から,社会を変革するカリスマが生まれてくる可能性も否定できないところです。

 しかるに,社会全体が「ぶっとんだ」人間だらけになるというのは,考えものです。程度の問題ではありますが,若者のニート率があまりに高くなるというのは,よろしくないことでしょう。今回は,15~34歳の若者のうち,ニートがどれほどいるかを数で明らかにしてみようと思います。

 2010年の総務省『国勢調査』の抽出速報集計によると,15~34歳人口のうち,働く意志がない非労働力人口は約860万人です。このうち,専業主婦(夫)でも学生でもない者はおよそ30万人です。この30万人が,上記の意味でのニートに近いものと思われます。この統計は,下記サイトの表3-1に掲載されています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001032402&cycode=0

 この30万人は,この年の15~34歳人口(約2,829万人)の10.5‰に相当します。%にすると1.05%,ほぼ100人に1人という水準です。このニート率は,過去からどう推移してきたのでしょうか。1970年からの変化を跡づけてみました。『国勢調査』は5年ごとに実施されるので,5年刻みの統計になっています。


 ニート率は,1970年から1990年まで下降しますが,90年代以降,増加に転じています。2000年にはニートの数は75万人に膨れ上がり,人口中の比率も21.8‰まで上がります。当時の不況の反映でしょうか。この年の3年前の1997年に山一證券が倒産し,翌年の98年に自殺者が3万人台に突入したことはよく知られています。

 私は99年に大学を出たのですが,当時の就職戦線の厳しさといったら,もうハンパじゃありませんでした。教員採用試験の競争率も,現在よりもはるかに高かったと記憶しています(5月27日の記事を参照)。新卒枠での就職に失敗,以後,既卒枠で就職活動を継続するがうまくいかず,そのうち,就労意欲を失い,ニートに・・・。こういうパターンも多かったのではないでしょうか。われわれの世代が「ロスト・ジェネレーション」といわれる所以です。

 その後,不況がいくぶんか緩和したためか,ニート率は下がり,2010年の10.5‰に至っています。今後は,どうなっていくことやら。

 次に,15~34歳人口を男性と女性に分解し,各々のニート率を出してみます。また,1歳刻みのニート率も計算してみます。下表をご覧ください。2010年の抽出速報結果には,こうした細かい数字は載っていませんので,2005年の統計から計算しています。


 男性と女性で比べると,ニート率は男性で高くなっています。男性は女性の1.6倍です。1歳刻みの年齢別にみると,ピークは19歳となっていますが,これは,大学受験浪人が多いためでしょう。20歳以降は,12‰前後の水準が一貫して保たれています。

 高齢になるほど,率は減じていくものと思っていましたが,そうではなさそうです。ニートは,尾を長く引く現象であることがうかがわれます。

 次回は,東京都内の地域別にニート率を出し,それをもとにつくった「ニート・マップ」をご覧に入れようと存じます。

2011年10月19日水曜日

教育の効果

 生まれたばかりの人間は,本能のままに生きる存在です。教育の役割は,こうした個人的存在(自己チュー存在)を,他者との社会生活が営める社会的存在へと化けさせることです。これを専門用語で「社会化」といいます。英語でいうと,Socializationです。

 教育によって人間はよくなるということは,疑う余地のない大前提であるように思えます。しかるに,そうではないとする見方もあります。かの有名なJ.J.ルソーは,著作の『エミール』の冒頭において,「創造主の手をはなれるときはすべてが善いが,人間に手にわたるとすべてが悪くなる」と述べています。

 人間の善なる自然的本性が,人間の手によって堕落させられる危険がある,ということです。この人物が,理性の発達に先んじた余計な教育を施すべきではないとする,「消極教育」を初期教育の原理に据えたことは,よく知られています。

 教育によって,子どもはよい方向に仕向けられるものなのでしょうか。それとも,その逆でしょうか。この問題を考えるには,同一の子ども集団を長期にわたって追跡し,意識や行動の有様がどう変化するかを観察する必要があります。

 文科省の『全国学力・学習状況調査』は,小学校6年生と中学校3年生を対象としています。第1回の2007年度調査の対象となった小学校6年生は,3年後の2010年度には,中学校3年生となります。つまり,2010年度の調査において,再び調査対象に据えられているわけです。

 2007年度調査の対象となった小学校6年生と,2010年度調査の対象となった中学校3年生は,ほぼ同一の集団であると解されます。両者の調査結果を比較することで,3年間の教育の効果がどういうものかを検証することができます。

 ここで検討対象とする集団は,2007年度に小学校6年生(12歳)ということですから,1995年4月~1996年3月生まれ世代ということになります。子どもの意識や行動の有様が,小6から中3にかけてどう変化するかを,この世代を例に明らかにしてみようと思います。

 上記の文科省調査では,教科の学力に加えて,生活意識や普段の行動等についても調査されています。2007年度調査と2010年度調査の質問項目は,共通しているものが多くなっています。私は,29の質問項目の回答が,小6(2007年度)から中3(2010年度)にかけてどう変わるかを調べました。

 下の表の数字は,各項目について,「そう思う(当てはまる)」と答えた者の比率(%)です。どの項目の回答選択肢も,肯定,準肯定,準否定,否定,というような4択になっています。ここでは,肯定の回答の比率を拾うこととしています。


 ここで挙げられている,意識・行動の項目は,どれも好ましいものばかりです。しかるに,ほとんどの項目の肯定率が,小6から中3にかけて下がっています。表の右端には増減ポイントを示していますが,10ポイント以上減の場合,赤字にしています。

 減少幅が最も大きいのは,「数学の勉強は大切だと思う」の肯定率です。小6では,70.7%だったのが,中3では44.9%にまで減っています。25.8ポイントの減です。ほか,「将来の夢や目標を持っている」,「家で学校の宿題をしている」,「学校で好きな授業がある」,「今住んでいる地域の行事に参加している」の肯定率も,減少幅が20ポイントを超えています。

 加えて,「いじめはどんな理由があってもいけないと思う」の肯定率が下がっていることも注目すべきことです。逆にいうと,いじめを容認する子どもが加齢とともに増える,ということです。この点については,6月14日の記事でも指摘しましたが,何とも残念なことです。

 さて,29の項目をバラバラにみていても変化の様相をつかみにくいので,各項目を9のカテゴリーにまとめ,どのカテゴリーの肯定率の減少が激しいのかを明らかにしましょう。

 各カテゴリーに含まれる項目の肯定率の平均値が,小6から中3にかけてどう変わるかをみてみます。たとえば,自尊心の場合,小6の肯定率の平均値は,(29.5+66.7)/2≒48.1%となります。この要領で,9カテゴリーの項目の平均肯定率を出し,小6と中3で比較すると,下図のようになります。


 当然ながら,中3の図形は,小6のそれよりも萎んでしまっています。▼をつけたカテゴリーは,肯定率の平均値が10ポイント以上落ちていることを意味します。自尊心,学校充実度,および社会関心です。減少幅が最大なのは,自尊心で,15.8ポイントの減です。

 むーん。小6から中3にかけて,あまり好ましい変化が起きているとはいえないようです。むろん,こうした変化の原因の全てを,教育の有様に帰すことはできますまい。たとえば,家族交流の頻度が減るのは,第二次反抗期を迎える中学校3年生にあっては,ある意味,普通の生理現象であるといえます。

 しかるに,自尊心が剥奪されたり,勉学嗜好が減じたりするというのは,今日の学校教育の有様と関連している面が強いのではないでしょうか。周囲と比した自己の無能さを思い知らされるテストの連続,必要性や意義も分からぬまま押しつけられる無味乾燥な数学,・・・云々。

 ところで,今回みたのは全国のデータですが,これを県別にみるとどうでしょう。その気になれば,上記のデータを,各県について作成することも可能です。いろいろと注目を集めている秋田や福井について,同じ統計をつくってみると,どういう結果になるでしょうか。

 下に,2007年度と2010年度の文科省調査の結果(県別も含む)を閲覧できるURLを貼っておきます。ご自分の県について,教育の効果を測定する試みをしてみるというのも,また一興かと思います。
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/zenkokugakuryoku.html

2011年10月17日月曜日

秋田・福井の教員集団

 文科省の『全国学力・学習状況調査』における教科の平均正答率をみると,秋田と福井が常に上位を占めています。なぜでしょうか。この問いには,お上も関心があるらしく,現地に調査団を派遣するという熱の入れようです。
http://www.asahi.com/edu/news/chousa/TKY201008210151.html?ref=recc

 理由としては,いろいろなことが考えられるでしょう。分かりやすい授業を行っている,教員が実践的な研修を頻繁に行っている・・・など。しかるに,こうした教育実践の中身を吟味する前に,まず注目すべきなのは,教育実践の担い手たる教員集団の組成がどのようなものかです。

 年齢構成はどうか,どういう経歴(学歴)の者が多いか,というようなことです。教育実践の有様は,こうした基底的な条件に規定されている側面があります。この部分に注目しないで,先進地域の優れた実践が紹介されたとしても,「フン,あの地域とウチは条件が違うんだよ。真似なんかできるかい。」というような陰口がたたかれることになります。

 私は,2007年の文科省『学校教員統計調査』をもとに,秋田と福井における,公立小学校の教員集団の特性を明らかにすることを試みました。下の表は,同年の10月1日時点における教員数,教員集団の組成,ならびに教員の勤務条件指標の値を整理したものです。両県の特性が検出できるよう,全国値との比較を行います。


 まず,上段の教員数の箇所をみると,両県では,児童100人あたりの教員数が全国水準よりも多いようです。両県において,分かりやすい授業が行えることの条件の一つは,こうしたTP比の高さにあるといえないでしょうか。

 次に,教員集団の組成をみると,両県では,20代の若年教員が比較的少ないようです。その分,ベテラン教員が多いことがうかがえます。学歴では,教員養成系大学出身者が際立って多いことが知られます。両県とも80%以上であり,全国値との差が明白です。加えて,福井においては,大学院修了者(=専修免許保有者)が相対的に多いことも注目されます。

 最後に,下段の勤務条件指標をみると,秋田と福井では,給与水準が全国値よりも高くなっています。両県では,民間の給与水準は高くないでしょうから,民間と比した教員の給与水準の高さは際立っているものと思われます(この点については,1月18日の記事をご覧ください)。一方,週当たりの担当授業時数の平均値は,全国値を下回ります。秋田と福井では,教員の勤務条件は比較的よいといえそうです。

 いかがでしょうか。このように大雑把に観察してみるだけでも,両県の(相対的な)特徴として,①ベテラン教員が多い,②教員養成系大学出身者が多い,③大学院修了者が多い,④教員の待遇がよい,というようなことが示唆されます。両県を対象とした調査の報告書をまとめるのであれば,最初に,こうした基底条件の存在について,ぜひ言及していただきたいものです。

 ところで,上記の①~④の中で,最も際立っているのは②でありましょう。10月8日の朝日新聞によると,秋田の好成績の要因として,秋田大学教育文化学部の教員養成力が大きい,といわれています。同大学の同学部は,まぎれもなく教員養成系大学です。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201110070252.html

 はて,教員養成系大学の「底力」は本当なのでしょうか。公立小学校教員について,教員養成系大学出身者の比率を県別に出し,地図化すると,以下のようです。2007年10月1日時点の統計によるものです。


 秋田と福井は,最も高い80%以上の階級に含まれます。首都圏や近畿圏のような都市部では,この比率は小さいようです。東京は48.8%,大阪は48.0%です。この比率は,児童の学力水準と相関しているのでしょうか。分析はまだしていません。面白い結果が出たら,報告いたします。

 回を改めて,今度は,秋田と福井における教育実践の中身に関連する統計をみてみようと存じます。文科省の『全国学力・学習状況調査』の学校質問紙調査では,対象となった学校に対し,授業のやり方や教員研修の頻度などについて尋ねています。この結果を使うつもりです。

2011年10月15日土曜日

非行少年の年齢構成

 警察庁の『犯罪統計書-平成22年の犯罪-』が公刊されました。犯罪者や非行少年の数が掲載された,最も公的な資料です。この資料によると,2010年の間に刑法犯で検挙・補導された10代少年の数は102,061人です(交通業過は除く)。10歳未満で,警察のお世話になる輩はそうはいないでしょうから,この年の非行少年の数とみなしてよいでしょう。
http://www.npa.go.jp/toukei/keiki/hanzai_h22/h22hanzaitoukei.htm

 この102,061人の年齢別の内訳をみると,最も多いのは15歳で20,166人となっています。比率にすると,19.8%です。非行少年のおよそ5人に1人は15歳ということになります。うーん,15歳。思春期の危機というやつでしょうか。

 ところで,一口に非行といっても,いろいろな罪種があります。コソ泥もあれば,殺人のようなシリアスなものもあります。当然,罪種によって,検挙(補導)された少年の年齢構成は大きくことなるでしょう。

 私は,12の罪種について,非行少年の年齢構成(%)を明らかにし,それをもとに折れ線グラフを描いてみました。まずは,殺人,強盗,放火,強姦,暴行,および傷害で検挙・補導された少年の年齢構成をご覧ください。罪名の横のカッコ内の数字は,検挙・補導人員の実数です。2010年の間に殺人で御用となった少年は44人ですが,このうちの29.5%が18歳であることが,図から読み取れます。


 罪種によって,折れ線の型が違っています。殺人,強盗,および強姦のような凶悪犯は,年長少年の比重が高くなっています。殺人と強盗のピークは18歳,強姦のそれは19歳です。ですが,同じ凶悪犯でも「年少型」というのがあるらしく,放火のピークは13歳にあります。

 暴行と傷害といった粗暴犯は,14歳を頂点とした山型です。2月25日の記事で明らかにしたところによると,校内暴力の加害生徒の出現率が高いのも,この年齢でした。子どもと大人の狭間にある,難しいお年頃です。親や教師のいうことに反発する,第二次反抗期もこの時期に位置しています。

 でも,14歳を過ぎると,台風が過ぎ去るがごとく,暴力犯罪の頻度が減じていきます。「14歳は暴力の季節」という表現を,何かの本で目にした記憶があります。「季節」である以上,いつかは過ぎ去ります。この時期の子どもを相手にする大人は,悠長な気構えを持ちたいものです。

 次に,残りの6罪種(脅迫,恐喝,窃盗,詐欺,わいせつ,占有離脱物横領)の折れ線をみていただきましょう。最後の「占有離脱物横領」とは,他人の占有を離れた物品を,わが物にすることです。少年による占有離脱物横領のほとんどは,放置自転車ドロボーと思われます。


 詐欺は「年長型」,わいせつは「年少型」,その他は「中間型」といえましょうか。詐欺で捕まる年長少年の中には,「オレオレ詐欺」などの片棒を担がされた者も少なくないことでしょう。

 私にとって発見であるのが,わいせつが「年少型」であることです。わいせつには,強制わいせつと公然わいせつがありますが,ほとんどが前者です。13歳の少年の強制わいせつとは,具体的にどういうものなのかしらん。電車の中で痴漢などをやらかすのでしょうか。

 窃盗や占有離脱物横領は,非行の多くを占めます。よって,全体の傾向とほぼ同じです。ピークは15歳です。

 以上,12の罪種について,非行少年の年齢構成の折れ線をご覧いただきました。この種の年齢別データは,その他の問題行動(いじめ,不登校・・・)についても得ることができます。また,各種の疾病(肥満,近視・・・)についても然りです。こうしたデータをつなぎ合わせれば,「問題行動の年齢別プロフィール図」のようなものができるかも。トライしてみようと思います。

2011年10月13日木曜日

青年の生きづらさの変化

 「生きづらい時代」といわれる現在ですが,いつ頃からこのような事態になったのでしょう。いろいろな意見があると思いますが,だいたい,1990年代以降というのが定説ではないでしょうか。バブル経済が崩壊し,平成不況に突入した90年代は,いみじくも「失われた10年」と形容されています。

 ある社会の生きづらさの程度というのは,自殺率で測ることができます。この指標を使って,1990年から最近までの間に,青年層の生きづらさがどう変化したかをみてみましょう。青年の自殺率の絶対水準に加えて,それが全体の自殺率に比してどうなのかという相対水準も併せて観察しようと思います。後者は,青年の自殺率を全体のそれで除したα値という尺度で測ることとします。α値の詳細については,前回の記事を参照ください。

 私は,日本を含む先進5か国について,青年層の自殺率とα値を明らかにしました。ここでいう青年とは,25~34歳の人間のことです。性別は男性に限定します。1990年の数字と,できるだけ新しい年次の数字を得ました。出所は,WHOの人口動態データベースです。日本の2010年の数字は,厚労省『人口動態統計』と総務省『国勢調査報告(速報)』の結果を使って計算しました。
http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm

 下図は,縦軸に男子青年の自殺率,横軸にα値(男子青年の自殺率÷男子人口全体の自殺率)をとった座標上に,1990年と最近における各国のデータを位置づけたものです。90年代以降,各国の位置がどう変わったかをみてください。なお,点線は,前回みた59か国の平均値を示しています。


 図の右上に位置するほど,青年の自殺率の絶対水準と相対水準が高いことを意味します。つまり,青年にとって「生きづらい」社会であることになります。

 日本以外の4か国の動きをみると,いずれの国も,図の右上(危険区域)から左下(安全区域)のほうにシフトしています。自殺率でみる限り,これらの国では,1990年代以降,青年の生きづらさが緩和されていることがうかがえます。

 対して日本はどうかというと,先の4国とは違った動きを示しています。1990年から2006年にかけて青年の自殺率がグンと上がり,その後はα値も上昇に転じ,結果として右上のほうにシフトする形になっています。

 リーマンショックが起きたのは2008年ですが,2010年のデータを加えれば,他の4国も,日本と似た動きになるかもしれません。しかし,1990年代以降の大局的な動きについては,わが国の特異性が明らかです。

 最近において,青年層の「生きづらさ」の程度が増しているのは,わが国の特徴といえるかもしれません。

2011年10月12日水曜日

青年が生きづらい社会

 1月4日の記事では,青年層(25~34歳の男性)の自殺率の国際比較をしました。その結果,日本の青年の自殺率は,国際的にみても高い位置にあることを知りました。

 しかるに,この指標の絶対水準を観察するだけでは不十分でしょう。他の年齢層と比べてどうなのかという,相対水準にも目配りする必要があります。辛いのは青年だけではない。他の年齢層も同じだ,といわれるかもしれません。他の年齢層と比した相対水準も勘案することにより,青年の生きづらさの程度を,よりくっきりと浮き彫りにすることができると思います。

 ここでいう自殺率の相対水準を測定するための,格好の尺度があります。4月17日の記事で用いたα値です。α値とは,青年の自殺率を人口全体の自殺率で除した値です。この値が高いほど,青年層に困難が集中している社会であるといえます。ちなみに,この指標を考案されたのは,横浜国立大学の渡部真教授です。

 私は,世界の59か国について,25~34歳の男子青年の自殺率と,それを全体の自殺率で除したα値を明らかにしました。統計の年次は国によって違いますが,だいたい2005年前後のものであることを申し添えます。日本の数字は2006年のものです。各国の自殺率の出所は,WHOの人口動態データベースです。
http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm

 2006年の日本の場合,上記の年齢の男子青年の自殺率は10万人あたり30.5人です。男子人口全体の自殺率は34.8ですから,α値は,30.5/34.8≒0.88となります。下図は,縦軸に青年の自殺率,横軸にα値をとった座標上に,世界の59か国をプロットしたものです。


 59か国の自殺率の平均値は21.9,α値のそれは1.14です。図中では,点線で示されています。日本の青年の状況を評価すると,自殺率の水準そのものは高いのですが,α値はさほど高くはありません。現在の日本は確かに「生きづらい」社会ですが,その辛さは,青年とは別の年齢層にも共有されているようです。

 自殺率とα値が,ともに平均水準を上回る社会は8あります。図の右上の象限に位置する国です。ガイアナ,カザカフスタン,ロシア,キルギス,ニュージーランド,オーストラリア,ノルウェー,およびチリです。これらの国では,青年が虐げられている度合いが高いといえそうです。

 図の右下にあるのは,青年の自殺率の絶対水準は低いが,他の年齢層の率と比した相対水準は高い国です。南アフリカでは,α値が2.0を超えています。先進国でいうと,イギリスがこの象限に位置しています。

 今後,日本の位置はどのようにシフトしていくのでしょうか。4月17日の記事でみたように,わが国のα値は時系列的にみて上がってきています。2009年のα値は0.97で,2006年の値よりも伸びています。青年の自殺率の絶対水準も上昇してきています。このトレンドでいくと,図の右上のほうにシフトしていくことが見込まれます。よろしくない事態です。

 実をいうと,1950年代あたりの日本は,上図の右上の象限に位置していました。社会の激変期にあった当時の青年は,今日以上に「生きづらさ」を感じていたようです。社会の安定化により,そうした困難は緩和されたのですが,再び,青年にとって生きづらい時代が到来しようとしています。

2011年10月8日土曜日

首都圏の高校非進学率②

 前回は,首都圏の4都県内の213市区町村について,高校非進学率を計算しました。今回は,そのデータに基づいて,各地域を塗り分けた地図を展示いたします(東京の島嶼部は除きます)。

 高校非進学率とは,中学校卒業者に占める,高校非進学者の比率です。高校非進学者とは,文科省の『学校基本調査』の進路カテゴリーでいうと,「就職」,「その他」,「不詳・死亡」の3カテゴリーに当てはまる者のことです。


 白色は1%未満,水色は1%台,赤色は2%台,黒色は3%以上,を示唆します。高校非進学率の全国値は1.7%ですから,水色が平均水準に近いことになります。赤色と黒色の高率地域の分布に注目してください。埼玉では,これらの地域が南東部に偏在していることが興味深いです。

 私は,さまざまな現象の統計量を地図化してみるのが大好きです。地図の濃淡の分布をみることで,当該の現象を規定する社会的要因がみえてくることもあります。今回の高校非進学率については,絶対量が少ないので,傾向が定かではありませんが。

 これからも,さまざまな教育現象の地図をつくり,面白いものを紹介していきたいと思います。では,みなさま,よい連休をお過ごしください。私は法事で,九州に行ってきます。

2011年10月7日金曜日

首都圏の高校非進学率①

 文科省の『学校基本調査』によると,2010年春の公立中学校卒業者はおよそ113万人です。このうちのほとんどが高校進学者でしょうが,そうでない者もいるでしょう。文科省の統計では,中学校卒業者の進路のカテゴリーとして7つ設け,各々に該当する人数を集計しています。2010年春の進路構成は,下の表のようです。


 カテゴリーAの高校進学者が111万人ほどで,全体の97.9%を占めています。高校とは別の上級学校進学者(B~D)は0.4%です。それ以外の,E~Gの3カテゴリーに当てはまる者は,上級学校への進学を選択しなかった,いわゆる「高校非進学者」として注目される存在です。その絶対量は約1万9千人であり,全体に占める比率は1.7%となっています。

 ところで,高校非進学者の比率(高校非進学率)は,地域によって異なります。4月30日の記事では,東京都内49市区の高校非進学率が,各地域の教育扶助世帯率と強く相関していることを明らかにしました。このことは,貧困という外的な要因によって,高校に行きたくても行けない生徒が存在することを示唆します。最近の深刻な不況を思えば,首肯できるところです。2010年度より導入されている「高校無償化政策」は,こうした事態の解消を意図したものといえましょう。

 文科省の『学校基本調査』のサイトを何気なく眺めていたら,何と何と,中学校の卒業後の進路構成が,全国の市区町村別に集計されている表がアップされていることに気づきました。これを使えば,東京都以外の府県の市町村についても,高校非進学率を出すことができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528

 私は,首都圏(埼玉,千葉,東京,神奈川)の213市区町村について,中卒者に占める高校非進学者の比率を計算しました。2010年春の数字です。東京には,私立中学が結構ありますので,他県と足並みをそろえるために,公立中学校卒業生のデータで計算しました。分子の高校非進学者とは,上表でいうE~Gの3カテゴリーに該当する者のことです。

 213市区町村の高校非進学率の分布を図示すると,下図のようになります。


 0%の地域もあれば,5%を超える地域もあります。4%を超える地域は6地域,5%を超える地域は3地域です。地域によって,高校非進学率はかなり異なるようです。

 なお,213地域のうち,144市区の率の平均値は1.7%,69町村のそれは1.3%です。都市的な地域のほうが,高校非進学率が高いことがうかがわれます。自地域に高校がないというような地理的な要因よりも,貧困といった社会的な要因の関与が大きいのでしょうか。

 次回は,4都県内の213市区町村を,高校非進学率の値に基づいて塗り分けた地図をご覧に入れようと思います。

2011年10月5日水曜日

専任教員の非常勤実施率

 関西圏・首都圏大学非常勤講師組合は,4年に1回,大学非常勤講師の勤務実態を明らかにする調査を実施しています。今年(2011年)は,調査の実施年であり,現在結果を集計中のことと思います。

 私としては,細かい数字を並べた統計表よりも,巻末の自由記述を読むのが楽しみです。おそらく,悲惨な生活実態が生々しく記載されていることでしょう。「雇い止めと雇用不安」,「専任との比較」,「非常勤の取り扱い」,「奨学金返済」など,興味深いカテゴリーが立てられることと思います。さて,最新の2007年調査の自由記述の中に,次のような意見(要望)があります。

 「常勤校のある教員は,他校での非常勤を小遣い稼ぎで行うことはやめてほしい。若手の研究者は分野によっては非常勤の口にさえ飢えているのが現状である。常勤校のある教員による非常勤のポストの占拠は,若手研究者の芽を摘む悪逆非道の行為であることを認識して欲しい。」
http://www.hijokin.org/en2007/6.html

 1コマでも多くのコマがほしい専業非常勤講師の,偽らざる心境でしょう。「てめーら,常勤校でどっぷり給料もらってんだろ。非常勤の口までぶん取るんじゃねーよ!」。酒でも入ると,こんな感じになるでしょうか。

 しかし,有名な先生にウチの大学で講義をしてもらいたい,あの先生の研究成果をぜひともウチの学生に・・・というような大学側の(純粋な)願いもあることでしょう。上記の記述にあるような制限策を機械的に適用するのは,行き過ぎのような気もします。

 それはさておき,大学の専任教員のうち,他校で非常勤講師をしている者はどれほどいるのでしょう。文科省の『学校教員統計調査』の2007年版によると,大学の本務教員167,971人のうち,他校で授業を担当していない者は133,985人(79.8%)だそうです。裏返すと,残りの20.2%の者が,他校で非常勤講師をしていることになります。下記サイトの表179をご覧ください。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001017860&cycode=0

 この数字は,1989年では26.7%でした。大学の専任教員の非常勤実施率は以前に比べて低下しているようです。最近は,どの大学でも専任教員は雑務に忙しくて,他校で非常勤をする暇がなくなってきているのでしょう。

 このことは,親方日の丸の国立大学や,最高位の教授職といえども,例外ではないようです。下の表は,大学の設置主体および職階別に,本務教員の非常勤実施率の変化を明らかにしたものです。


 まず,国公私別にみると,非常勤実施率の減少幅が最も大きいのは,国立大学の教員です。1989年の29.8%から,2007年の21.3%へと,8.5ポイントも減っています。職階をも考慮した細かいカテゴリー別にみると,減少幅が最大なのは国立大学の教授です。実に14.0ポイントの減です(44.7%→30.7%)。

 ところで,私にとって発見なのですが,助教(助手)さんの非常勤実施率は低いのですねえ。マジョリティーである私立大学でいうと,2007年の率はたったの4.0%です。組織の末端にいる関係上,死ぬほどこき使われる,ということでしょうか。

 専任教員の非常勤バイト禁止というような制限策を実施せずとも,自然な形で,ワークシェアリングは進展していくのではないでしょうか。しかし,大学院修了者がどんどん増えてくるので,コマの争奪戦は変わらず激しさを保ち続けることでしょう。

 1コマでも多くの講義をと,皆が血眼で競い合う(蹴落とし合う)・・・。いつまでたっても,非常勤講師の労働条件が改善されないはずです。雇用者側にすれば,代わりはいくらでもいるのですから,採用の際,「給料はいくらですか」と聞いてくる輩だったら(一般社会では常識!),「じゃあ結構です」とはねつければよいわけです。

 本当の問題は,こういうところにあるというべきでしょう。人為的に実施すべきなのは,大学院進学抑制策であると思います。

2011年10月3日月曜日

学部別の浪人率

 2010年春の大学入学者は619,119人です(文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』)。そのうち,同年3月の高校卒業者(現役生)は517,866人です。よって,この年の大学入学者に占める現役生の比率は83.6%となります。逆にいうと,残りの16.4%は浪人生です。なお,2007年3月以前の卒業生(3浪以上=多浪生)の比率は1.4%となっています。

 1月7日の記事で明らかにしたように,大学入学者に占める浪人生の比率はかなり減ってきています。18歳人口の減少により,大学に入りやすくなったためでしょう。

 しかし,現在においても,入学者に占める浪人生のシェアが未だに大きい学部もあることと思います。今回は,大学入学者に占める浪人生の比率を学部別に明らかにしてみようと思います。

 私は,入学者の数が千人を超える86の学部について,2010年春の入学者の組成を調べました。下図は,浪人生の比率を横軸,多浪生(3浪以上)の比率を縦軸にとった座標上に,86の学部をプロットしたものです。点線は,大学入学者全体のものです。冒頭で述べたように,X=16.4,Y=1.4です。


 右上に位置するのは,浪人生,多浪生ともに多い学部です。医学部と歯学部が位置しています。医学部では,入学者のうち浪人生が42.3%,多浪生が14.1%を占めています。全体の水準(16.4%,1.4%)との差が明白です。

 医療系の学部に加えて,美術学部や造形学部といった芸術系の学部も,入試の難易度が高いことが知られます。そういえば,高校の時の同級生で,3浪して東京芸術大学に入ったという人がいたなあ。チョー難関だそうです。

 反対に,図の最も左下にあるのは人間生活学部です。この学部では,入学生のうち浪人生は3.6%,多浪生は0.5%しかいません。ほとんどが現役生です。

 ちなみに,赤色のドットは教育学部です。浪人生の比率は15.3%,多浪生の比率は0.7%です。双方とも,平均的な水準よりも低くなっています。私としては,医学部や歯学部と同様,図の右上のほうに位置づくと思っていたのですが,思ったより入りやすいのですねえ。教員という専門職を養成する学部なのですが。7月17日の記事で,教員免許状は,理容師や調理師の免許よりも出回っているというお話をしましたが,さもありなん,という感じです。

 それはさておき,学部によっては,入試地獄はまだまだ健在のようです。

2011年10月1日土曜日

学生の月別自殺者数

 警察庁の統計によると,2009年中の自殺者数は32,829人です。月別にみると,3月,4月,および5月という,春の季節に,自殺者が相対的に多いことが分かります。月別の度数分布を数で示すと,以下のようです。


 3月に自殺が最も多いのはなぜでしょうか。年度末に職場を去ることを強いられた非正規雇用者が,絶望して自殺に走る,ということでしょうか。4~5月の自殺は,新たな環境に適応することができず,うつになり,自殺へ・・・ということでしょうか。いろいろと想像をめぐらすことができます。

 これは全体の傾向ですが,学生の自殺に限定すると,どういう分布の型が出てくるでしょうか。3月8日の記事でみたように,最近,就職失敗を苦に自殺する大学生が増えています。となると,大学生の自殺は,就職未決定が確定する年度末の3月に多いように思われます。実態はどうなのでしょう。

 内閣府は,警察庁が保管している自殺の原統計を仔細に分析し,独自の統計表をつくっています。その中の一つに,「自殺者の職業×月」のクロス表があります。私は,この表のデータを使って,中学生,高校生,大学生,および専修学校生等について,自殺者の月別分布を明らかにしました。下記サイトの表1-1-3から数字をハントし,エクセルでグラフをつくりました。
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/kyouka_basic_data/h21/chiiki.html


 中学生の場合,2009年中の自殺者は79人ですが,その月別分布をとると,8月にピークがあります。全体の19.0%がこの月に起きています。高校生のピークは10月,大学生のピークは3月,専修学校生等のピークは9月に見出されます。

 大学生については,先の予想通りです。就職失敗や進路未定が確定的になる3月に,自殺が最も多いようです。中学生では,8月に自殺が異常に集中していることが注目されます。灼熱地獄のなか,野球部の練習のキツさに耐えかねて自殺したという中学生の話を聞いたことがありますが,コレでしょうか。私は,中学生の頃は陸上部でしたが,確かに夏休みの練習はこたえたなあ。

 高校生のピークは10月です。この時期,大学受験関連の模擬試験が頻繁に行われる時期ですが,自分の将来展望が数字で冷徹に限定されることに絶望してしまうのでしょうか。

 現在,9月10日からの一週間が「自殺予防週間」とされています。しかるに,一律に決めるのではなく,中学生は8月,高校生は10月,大学生は3月にそれを設けるというように,柔軟性を持たせたほうがよいように思います。

 とくに,大学生については,3月を自殺予防重点月間とし,進路未定(未申告)の学生を割り出し,声かけや相談の機会を設けるなどの取組が効果的ではないでしょうか。数字から傾向を割り出し,それをふまえて政策を立案する。今日,Evidence-based policy(データに基づいた政策立案)が,どの分野でも強く求められているところです。