ニュースを見ようとテレビをつけたら,試験用紙を前にした,緊張した面持ちの子どもの姿が映し出されました。「本日は中学受験のピークで・・・」というアナウンサーの声。ああ,そういえばシーズンですね。
中学受験については,2010年12月21日の記事にて,東京都内の中学受験マップをご覧に入れました。データソースである,東京都教育委員会『公立学校統計調査(進路状況調査編)』を目を凝らして見たら,中学受験率の時系列推移や,中学受験者の属性など,細かいデータが結構載っていることに気づきました。今回は,教育関係者の関心事である中学受験について,こうした仔細なデータをお出ししようと思います。
上記資料の2011年度版によると,同年3月の都内の公立小学校卒業者は94,949人です。このうち,国立ないしは私立の中学校に進学したのは15,954人です。よって,この年の国立・私立中学校進学率は,16.8%と算出されます。およそ6人に1人です。この指標をもって,中学受験現象の量的規模を計測いたしましょう。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/toukei/23sotsugo/toppage.htm
まず,中学受験現象の量(magnitude)は,時系列的にどう推移してきたのでしょうか。1955年(昭和30年)以降の変化を跡づけてみましょう。下図は,各年3月の都内の公立小学校卒業者に占める,国立・私立中学進学者の比率のグラフを描いたものです。
曲線の型から,おおよそ4つのエポックに区切ることが可能です。まずは,1982年までの時期。国立・私立中学進学率は減少の一途をたどります。意外ですが,戦後初期の東京では,中学受験が結構多かったのですね。都市部では,公立の中学校が未整備であったのかもしれません。
次は,1983年から1992年までの時期です。この時期にかけて,中学受験の量はうなぎ昇りに増えます。国・私立中学進学率は,83年の7.6%から92年の13.8%までアップします。第2次ベビーブーマーの到来という人口的条件もあってか,受験競争が最も過熱した時期です。難関大学への進学に有利になるよう,中学受験志向が高まったことと思われます。バブル経済の頃で,家計が安定していたことも,それを後押ししたことでしょう。
続いて,1993年から2007年までの時期。平成不況に入り,保護者の財布のヒモが固くなったせいか,国・私立中学進学率の急上昇が止まります。しかし,傾向としては,緩やかな上昇を続けます。
最後は,2008年以降です。国・私立中学進学率は,ついに下降に転じます。リーマン・ショックの影響により,さらに家計の厳しさが増した,ということでしょう。
いやまあ,上記の中学受験曲線は,日本社会の変化の様相を正直に表していますね。教育とは,やはり社会現象としての側面を色濃く持っているのだな,と改めて感じます。
次に,中学受験をするのは誰か,ということを考えてみましょう。下表は,性別と都内の地域類型別に,国立・私立中学進学率を出したものです。2011年3月の公立小学校卒業者のデータです。
性別でみると,中学受験をするのは,男子よりも女子で多いのですね。男子のほうが多いと思いきや,これは発見でした。地域類型別では,予想通り,区部>市部>郡部というように,都市性の度合いと比例しています。
区部では,5人に1人が,国立・私立の中学に進んでいるようです。ところで,都内の区は23ありますが,中学受験の最先進地域はどこでしょう。東京都内の53市区町村の国立・私立中学進学率を出し,5%刻みで塗り分けた地図をつくりました。
黒色は,25%(4人に1人)を超える地域です。黒色の地域は固まっており,周辺部に行くにつれ,色が薄くなっていきます。うーん。都市社会学者のバージェスが提唱した,犯罪の同心円理論を想起させるような模様です。
国・私立中学進学率の上位3位は,千代田区(38.4%),文京区(38.3%),そして港区(36.1%)です。これらの区では,およそ4割の子どもが中学受験をしていることになります。いやー,すごい。田舎出身で,中学受験をする者など周りに一人もいなかった私の目には,驚異的なものに映ります。
なお,各地域の国立・私立中学進学率は,住民の所得水準と強く相関しています。富裕層に生まれる→中学受験→有力大学→自らも富裕層になる,という再生産構造が存在することが示唆されます。
小説家の高崎ケンさん(又井健太さん)によると,タイでは相続税がなく,「生まれ」によって人生がある程度決まってしまうそうです。日本では,そういうことはありません。金銭や家の相続に際しては,税が課されます。しかし,親から子に引き継がれる財には,「見えない」ものもあります。教育とは,そうした「見えざる」財の典型的なものです。
http://www.zakozombie.com/essay/thai.html
教育は,人間の幸福を実現するための最上のツールですが,既存の社会の不平等構造を,咎められないやり方で維持・存続させるためのツールとして使われる危険性も持っています。諸刃の剣です。教育社会学は,どちらかといえば,後者の側面の解明に力点を置く学問であると理解しています。