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2013年3月10日日曜日

児童の面前での教員の自殺未遂

 現在は教職危機の時代といわれますが,その通底にあるものを探るべく,昔の教員の苦悩や困難に関する新聞記事を収集しています。

 週に2回,図書館に行って『朝日新聞記事総覧』をくくり,目ぼしい記事をノートに記録し,必要と判断したものについては,原寸の復刻版からコピーを取る。この作業の継続です。

 8日の金曜日は,1932(昭和7)年から1934年までの記事をハントしてきました。そのうちの一つを紹介します。1934(昭和9)年2月28日の「授業中児童の前で教員頸部を切る 突如,懐中から剃刀」という記事です。


 惨劇が起きたのは,本記事の前日の午前10時頃。東京神田の尋常小学校の教室内でした。28歳の男性訓導は「六年女組の二時間目の綴方の授業を始めようとし突然ポケットからだした日本かみそりでけい部を左右二ヶ所切り自殺をはかり教壇にうつ伏した」とのことです。

 血まみれになって伏した恩師を目の当たりにした女子児童のショックといったら,もう計り知れないものだったことでしょう。今だったら,PTSDとか心のケアだとか,大変な騒ぎになっているところです。

 当該訓導は一命をとりとめ,自殺は未遂に終わったようですが,動機は教え子の「成績を憂へた」ためとのこと。「六年生を受持ち卒業生の入学試験を控へ生徒の成績が自分の思ふやうにならぬのに責任を感じて自殺を企てたものではないか」。これは,左の記事に掲載されている校長の言です。

 教え子の成績が振るわないことへの自責や焦りの念。いつの時代にも通底する,教員の苦悩の源泉だと思います。先日,横浜市の小学校の4教諭が,市の学力テストの問題を児童に事前に教えていたという報道がありましたが,当該の教諭らは「テストの結果は保護者に説明しなければならず、指導力不足が露呈するのが怖かった」と話しているそうです。
http://www.asahi.com/national/update/0214/TKY201302140002.html?tr=pc

 学校評価や説明責任の重要性がいわれている現在,こういう悩みに苛まれる度合いは,昔に比して大きくなっているとも考えられます。約80年前の惨劇が再び繰り返されないとも限りません。

 でも教育社会学の研究成果によると,子どもの学力の要因って,教師の指導力だけではないんだけどなあ。出身階層や居住地域の環境など,社会的な要因の規定を強く被っています。

 昭和初期の頃では,学力の教育社会学的研究がまだなされていなかったので,上記記事の若き訓導は,教え子の成績不振の原因を,もっぱら自身の指導力不足に帰してしまったのでしょうか。しかし今では,この手の実証研究がわんさと蓄積されています。それを分かりやすい形で,世間に広く知らしめることが重要でしょう。

 来月の下旬に実施される2013年度の『全国学力・学習状況調査』は,「きめ細かい調査」を標榜し,子どもの学力と関連する家庭環境要因の析出を目指すのだそうです。調査対象として,一部の児童生徒の保護者も据えられることとなります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/085/houkoku/1316096.htm

 本調査の結果が開示されることで,学力の社会的規定性に関する認識が広まり,「何でもかんでも教員の力量不足のせい」という偏った見方が正されたらな,と思います。