酷暑の日が続きますが,いかがお過ごしでしょうか。私はすっかり家にこもり,昼間は外に出ていません。夏太りが心配されますので,夕刻7時ころの40分ウォークを日課にしようと思っております。
では日中何をしているかというと,こうしてブログを書いたり,本を読んだりしているわけですが,今,牛島義友教授の『青年心理学』(光文社)を読んでいます。今から60年以上前の1954年に発刊された書物です。
この手の概論書は,多くの人が群れて書く形式のもの(共著)が多いのですが,私は,一人の頭で書かれた本(単著)を好みます。それと,昔のやつがいい。記述が重厚で落ち着きがあるからです。
古本屋から取り寄せ,線を引きながら精読しているのですが,84ページに載っている発達段階の図式が興味深いので,ご紹介しようと思います。以下に掲げるのは,当該の図を私なりにアレンジして作成したものです。
成人するまでの発達段階は,よく知られているように,乳児期,幼児期,児童期,青年期というように区分けされますが,牛島教授は,別のネーミングをあてがっています。表の中央の「**生活期」というものです。
生後間もない乳児は,生活の範囲が狭く,もっぱら身辺の事物と関わって生きています。接触するのは親兄弟や室内の玩具とかだけ。むろん,外の世界を想像するなんてできません。目に見える事物が全ての「客観」の時代です。
2~3歳ころになると,言語を覚え,知らない外の世界について家族から話が聞けるようになります。また,本も読めるようになります。現実から離れた,想像の世界に遊ぶことができるわけです。それだけに,現実界での親の命令や干渉がうざったく感じられるようになり,自我の芽生えもあって,それに反抗し出します。乳児期(身辺生活期)から幼児期(想像生活期)への移行期が,第1次反抗期といわれるのは,このためです。別名,「イヤイヤ期」ともいわれています。
5歳ころになると,想像の世界から現実に戻り,学校に入学し知識を享受する生活が始まります。知識生活期です。
しかし,中学生くらいから再び内面の生活に入るようになります。体が大きくなり,もはや子どもではないという自覚が生じ,人生とは何かについて思いをめぐらします。高い理想を掲げ,それから隔たった現実界を激しく軽蔑します。こうした強烈な自我(ego)は当然,親や教師などの客観的な権威と激しく衝突し,問題行動のような現象もしばしば起きます。知識生活期から精神生活期への移行期,つまり12~13歳ころに第2次反抗期が位置しているのは,よく知られています。
表では青年期を年齢的に広くとっていますが,これはより細かく,青年前期,青年中期,青年後期に分けるのが適当でしょう。前期は,権威(客観)への従属から内面(主観)の世界に移行する時期,中期は主観の世界に没入する時期,そして後期は,現実の世界に再び降りていく時期です。いつまでも主観の世界にこもるわけにはいかず,現実との妥協を見出し,社会生活期に移ることが求められる。大人になるとは,こういうことです。
牛島教授の図式で面白いのは,成人するまでの発達過程を,客観と主観の往復運動と捉えていることです。反抗期は,客観から主観への移行期に位置すると解されます。大人の側からすれば迂回のように見えますが,内面の生活に遊ぶ(こもる)のは,人間形成の上でも必要なこと。これを過度に咎めるのは,慎むべきでしょう。
今日では,主観から客観に舞い戻る過程にも障害が生じていることに要注意。小学校に上がったばかりの児童が集団生活に適応できない「小1プロブレム」が問題化していますが,これなどは,想像の世界で遊ぶ想像生活期(自己チュー期)からのカムバックが上手くいっていないことの表れでしょう。
また,いつまでも主観(内面)の世界にこもり,大人としての役割取得(就職)を忌避する青年も多々みられます。青年期から成人期への移行障害です。青年期は,高尚な理想を追求する精神生活期ですが,それが完全に現実から遊離してはなりますまい。少しは現実のテイストも混ぜ,社会生活期に近づくにつれ,徐々にそれを濃くしていく。このような働きかけも必要です。その具体的な策として,最近では学校におけるキャリア教育に力が入れられています。
このように,客観と主観の往復運動として発達段階を捉えると,反抗期や若者の就労不全といった現象も理解しやすくなるように思います。牛島教授の本から得た知見を,ここにて記録しておこうと思います。