GWの前半は今日でおしまい。私はどこにも行きませんでしたし,後半(3~6日)もそうなのですが,皆さんはいかがでしょうか。
月末恒例,教員不祥事報道の整理です。今月,私がネット上でキャッチした報道は34件です。年度始めのためか,ちょっと少な目。いつもにもまして,わいせつが多いなという印象です。財務省高官のセクハラ事件がありましたが,被害者の側も声を上げようという機運が高まっているのでしょうか。
セクハラやパワハラの場合,音声の証拠がないと立証が非常に難しいそうです。こういうよからぬことが行われている場合,証拠を得るため会話を内緒で録音することは違法でも何でもありません。今は高性能の小型ICレコーダーも出ていますので,どんどん活用したいものです。
https://twitter.com/kambara7/status/986771058605764611
注目事案は,保護者と4年にわたって性行為を行い懲戒免職になった校長先生。自由恋愛なんだからいいだろうという言い分もあるでしょうが,教師と保護者はれっきとした利害関係者ですので,それは通じません。
盗撮で捕まった,埼玉県の小学校の校長。定年まであとちょっとの58歳。100%懲戒免職でしょうから,もらうはずだった莫大な退職金がパー。「今まで築いた大切なものを失いたくない」。人をして犯罪を思いとどまらせるボンドとして,T.ハーシは「投資」の観念を挙げていますが,それが働かないのでしょうか…。
明日から5月です。昼間は暑いですね。今日,今年初の冷房を入れました。4月にスイッチを入れたのは初めてだと思います。GWで,近くのソレイユの丘は賑わっています。楽しい連休をお過ごしください。背景を新緑模様にチェンジします。
<2018年4月の教員不祥事報道>
・盗撮と窃盗の2教諭を免職処分 川崎市
(4/2,産経,神奈川,盗撮:中41,窃盗:高61)
・公立小学校の教諭がコンビ二で万引き容疑で逮捕
(4/4,瀬戸内海放送,岡山,小,男,30代)
・強制わいせつ:少女に抱きつく 容疑で中学教諭を逮捕
(4/5,毎日,大阪,中,男,39)
・歓迎会の帰りに物損事故 小学校講師 酒気帯び運転の疑いで逮捕
(4/5,チューリップテレビ,富山,小,女,40)
・夜の車内"10代少女の下半身触る 27歳中学教師を逮捕
(4/6,北海道ニュース,北海道,中,男,27)
・中学教頭 住居侵入の疑いで逮捕(4/7,NHK,福島,中,男,45)
・ストーカー疑いで教諭逮捕(4/8,日刊スポーツ,宮崎,高,男,45)
・大阪市教委、市立中校長を停職処分 支援員の臨時職員を雑用に従事
(4/9,産経,大阪,中,男,63)
・酒酔い運転容疑で中学教諭逮捕(4/11,佐賀新聞,佐賀,中,男,29)
・保護者と性行為 校長を懲戒免職(4/11,NHK,東京,小,男,54)
・小学校校長を盗撮容疑で逮捕 靴に仕込んだカメラで
(4/11,フジテレビ,埼玉,小,男,58)
・元教え子にわいせつ中学教諭逮捕(4/12,NHK,岐阜,中,男,51)
・女性教諭がわいせつで懲戒免職(4/12,NHK,長野,特,女,30代)
・小学校教諭の車にひかれ女性死亡(4/13,京都新聞,滋賀,小,女,24)
・小学校教頭が飲酒運転 千葉県教委「厳正対処」
(4/15,千葉日報,千葉,小,男,50代)
・水泳授業中、水着のまま国語の課題…複数児童に(4/15,読売,香川,小,男)
・水泳の授業中に大けが、飛び込み指示の教諭を懲戒処分
(4/16,朝日,東京,高,男,45)
・16歳女子高生を買春容疑で教諭逮捕(4/18,日刊スポーツ,東京,高,男,47)
・私語続ける男子2人の口に教諭がテープ(4/19,朝日,宮城,中,男)
・高校講師10代女性にわいせつ疑い LINEで連絡
(4/19,日刊スポーツ,岐阜,高,男,28)
・女子高生のスカート内のぞき見=容疑で小学校教諭逮捕
(4/20,時事通信,大阪,小,男,39)
・センター試験中に四合瓶2本、高校教諭大騒ぎ
(4/20,読売,福島,高,男,57)
・生徒抱き締めた教諭を停職処分 教諭、生徒ともに「互いに好意」
(4/21,河北新報,福島,高,男,50代)
・大分市教委:男性教諭が中2男子にけがさせる
(4/23,毎日,大分,中,男,50代)
・児童押し倒し尻を蹴る 30代教諭を懲戒処分
(4/24,神戸新聞,兵庫,小,男,30代)
・小学校元校長、4800万円横領容疑「遊興費に使った」
(4/24,朝日,高知,小,男,60)
・タクシー相乗りで強制わいせつ致傷容疑 教諭逮捕
(4/26,日刊スポーツ,神奈川,小,男,25)
・「虚偽休暇届」を裁判所に提出した女性教諭を減給処分
(4/26,産経,愛知,中,女,38)
・女子中学生への“わいせつ行為”で愛知県の教師を懲戒免職処分
(4/26,名古屋テレビ,愛知,中,男,50代)
・福岡県教委:中3女子を買春 男性教諭を免職処分
(4/27,毎日,福岡,高,男,36)
・発達障害生徒に「合った学校考えたら」 発言教諭を告訴
(4/28,朝日,長崎,高,女,56)
・懲戒処分:北九州市教委が教員3人 わいせつ、盗撮、体罰で
(4/28,毎日,福岡,わいせつ:中男,盗撮:小男20代,体罰:小男26 教諭)
・10代少女にわいせつ容疑、市立中の教諭逮捕
(4/30,産経,福島,中,男,23)
・保健室にカメラ設置容疑、「盗撮目的」高校教諭を逮捕
(4/30,サンスポ,京都,高,男,25)
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2018年4月30日月曜日
2018年4月28日土曜日
若者の自殺変化の国際比較
昨日,ツイッターで風変わりなグラフを発信しました。
https://twitter.com/tmaita77/status/989732252262187010
「何だこりゃ」「意味するところを説明してほしい」というリプがありましたので,それをいたしましょう。
タイトルにあるように,15~24歳の自殺がこの四半世紀にかけてどう変わったかを,国ごとに比べたものです。生きづらさの指標としては,自殺率が一番。90年代以降の日本の状況変化を,国際比較で相対視してみようという試みです。
人口あたりの自殺者数(自殺率)ならオーソドックスな折れ線グラフで事足りますが,欲張りな私は,死因全体の中での自殺の割合(自殺比)も加味した2軸のマトリクスにおいて,日本を含む主要7か国がどう動いたかを可視化してみました。
この2つの指標を計算するには,(a)人口,(b)死亡者数,(c)自殺者数,の3つの要素が必要になります。WHOの死因統計データベースに当たって,1990年と2013年の2つの年次について,これらの数値を揃えました。もっと最近までの変化を見たいところですが,7か国全てのデータが揃うのは2013年までですので,ここまでの変化を観察することにします。
http://apps.who.int/healthinfo/statistics/mortality/whodpms/
下の表は,上記の3要素をもとに,15~24歳の自殺率と死因中の自殺比を算出したものです。
日本をみると,1990年から2013年にかけて,少子化のためベース人口は1869万人から1198万人に減っています。死亡者数も同じ。しかし自殺者数だけは,1309人から1709人に増えています。
その結果,自殺率(c/a)は7.0から14.3に上昇し,死因全体に占める自殺比重(c/b)に至っては14.3%から46.3%と3倍以上になりました。最近では,若者の死因の半分近くが自殺です。この点はメディアでもよく報じられますので,ご存知の方も多いでしょう。まあこれは,病死や事故死が減っていることにもよるのですが。
90年代以降の「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者の生きづらさが増していることが知られます。私の世代は,この時期を若者として生きましたので,非常によく分かりますねえ。
はて,このような変化は他国でも同じなのか。死因中の自殺比はどの国も上がっていますが,日本ほどではありません。自殺率は,日本,韓国,スウェーデンは上がっていますが,それ以外の4か国(米英独仏)は下がっています。
口でくだくだ言っても分かりにくいので,グラフにしましょう。普通の人は,2つのグラフに分けて,自殺率と自殺比の変化を折れ線や棒で表すのでしょうが,私は,2指標のマトリクスの上で7か国がどう動いたかを表現する策をとりました。横軸に自殺率,縦軸に自殺比をとった座標上に,1990年と2013年のドットを配置し,線でつなぐやり方です。
昨日,ツイッターに載せたグラフがそれですが,ここに再掲いたします。
日本は,1990年の(7.0,14.3)から2013年の(14.3,46.3)へと,右上に大きく動いています。自殺率,自殺比とも大幅に増えた,ということです。韓国とスウェーデンも同じ方向に動いていますが,矢印の長さ(変動幅)は日本には及びません。
対して,米英独仏の4か国は左上にシフトしています。横軸の自殺率が下がっているためです。
主要7か国だけの比較ですが,社会状況が近似した先進国の中で,若者の状況悪化が最も酷いのは日本という事実は,注目されてよいでしょう。「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者がどういう仕打ちを受けてきたかを思えば,合点のいく傾向です。
ただ,もっと長期的にみると,日本の若者の自殺率のピークは,1950年代の半ばにありました(下図)。
ラフな5年刻みのカーブですが,1955(昭和30)年に大きな山ができています。この年の若者の自殺率は,現在の3倍以上でした。
戦後の大混乱がおさまり,高度経済成長への離陸が始まる時期ですが,戦前と戦後という新旧の価値観が最も混在していた頃です。両者に引き裂かれ,生きる指針を見いだせず,心的葛藤に苛まれる若者も少なくありませんでした。
当時の自殺統計をみると,若者の自殺動機の首位は「厭世」となっています。世の中が厭(いや)になったということです。今は,いじめ被害とかシューカツ失敗とかですが,当時はもっとスケールが大きかったようです。アイデンティティの確立を期待される青年期が,社会の激動期と重なったことによる悲劇といえましょう。
しかるに,激動期という点では現在も同じです。IT化の進行で,人々のライフスタイルは大きく変わりつつあります。加えて少子高齢化により,多数の上の世代が少数の若年世代におぶさるような状況にもなっています。今の若者も辛いのです。
ITを知らず,学校至上主義の親世代との葛藤も大きくなっています。新旧の価値観が混在・対立しているのは,1950年代と同じ,いやそれ以上かもしれません。自殺統計を丹念に見ると,親・家族からの叱責という動機での自殺が結構あります。
未曾有の売り手市場といわれ,若者をとりまく基底的な状況は改善されたといわれます。まあこれとて,疑問符がつくのですが…(求人倍率上昇は中小企業のみ!)。
それはさておき,上の世代が心がけるべきは,社会の変化を鋭敏に察知し,新しいものを持ち込んでくる若者を,異物として頭ごなしに抑えつけないことです。ネットが普及した今,勉強は学校でなくてもできます。この時代に,登校を嫌がる我が子を無理に学校に引っ張っていくほど,ナンセンスなことはありません。
人間にとって辛いのは,貧困に象徴されるような生活条件の欠如(不足)で,とくに日本では,そうした歪みが若者に集中する傾向があります。しかし,自己の生き方を定立できないのはもっと辛い。激動の時代の今,上の世代は,時代遅れになった自分たちの価値観を引き合いにして,若者の足を引っ張ることは慎まないとなりますまい。
https://twitter.com/tmaita77/status/989732252262187010
「何だこりゃ」「意味するところを説明してほしい」というリプがありましたので,それをいたしましょう。
タイトルにあるように,15~24歳の自殺がこの四半世紀にかけてどう変わったかを,国ごとに比べたものです。生きづらさの指標としては,自殺率が一番。90年代以降の日本の状況変化を,国際比較で相対視してみようという試みです。
人口あたりの自殺者数(自殺率)ならオーソドックスな折れ線グラフで事足りますが,欲張りな私は,死因全体の中での自殺の割合(自殺比)も加味した2軸のマトリクスにおいて,日本を含む主要7か国がどう動いたかを可視化してみました。
この2つの指標を計算するには,(a)人口,(b)死亡者数,(c)自殺者数,の3つの要素が必要になります。WHOの死因統計データベースに当たって,1990年と2013年の2つの年次について,これらの数値を揃えました。もっと最近までの変化を見たいところですが,7か国全てのデータが揃うのは2013年までですので,ここまでの変化を観察することにします。
http://apps.who.int/healthinfo/statistics/mortality/whodpms/
下の表は,上記の3要素をもとに,15~24歳の自殺率と死因中の自殺比を算出したものです。
日本をみると,1990年から2013年にかけて,少子化のためベース人口は1869万人から1198万人に減っています。死亡者数も同じ。しかし自殺者数だけは,1309人から1709人に増えています。
その結果,自殺率(c/a)は7.0から14.3に上昇し,死因全体に占める自殺比重(c/b)に至っては14.3%から46.3%と3倍以上になりました。最近では,若者の死因の半分近くが自殺です。この点はメディアでもよく報じられますので,ご存知の方も多いでしょう。まあこれは,病死や事故死が減っていることにもよるのですが。
90年代以降の「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者の生きづらさが増していることが知られます。私の世代は,この時期を若者として生きましたので,非常によく分かりますねえ。
はて,このような変化は他国でも同じなのか。死因中の自殺比はどの国も上がっていますが,日本ほどではありません。自殺率は,日本,韓国,スウェーデンは上がっていますが,それ以外の4か国(米英独仏)は下がっています。
口でくだくだ言っても分かりにくいので,グラフにしましょう。普通の人は,2つのグラフに分けて,自殺率と自殺比の変化を折れ線や棒で表すのでしょうが,私は,2指標のマトリクスの上で7か国がどう動いたかを表現する策をとりました。横軸に自殺率,縦軸に自殺比をとった座標上に,1990年と2013年のドットを配置し,線でつなぐやり方です。
昨日,ツイッターに載せたグラフがそれですが,ここに再掲いたします。
日本は,1990年の(7.0,14.3)から2013年の(14.3,46.3)へと,右上に大きく動いています。自殺率,自殺比とも大幅に増えた,ということです。韓国とスウェーデンも同じ方向に動いていますが,矢印の長さ(変動幅)は日本には及びません。
対して,米英独仏の4か国は左上にシフトしています。横軸の自殺率が下がっているためです。
主要7か国だけの比較ですが,社会状況が近似した先進国の中で,若者の状況悪化が最も酷いのは日本という事実は,注目されてよいでしょう。「失われた四半世紀」にかけて,わが国の若者がどういう仕打ちを受けてきたかを思えば,合点のいく傾向です。
ただ,もっと長期的にみると,日本の若者の自殺率のピークは,1950年代の半ばにありました(下図)。
ラフな5年刻みのカーブですが,1955(昭和30)年に大きな山ができています。この年の若者の自殺率は,現在の3倍以上でした。
戦後の大混乱がおさまり,高度経済成長への離陸が始まる時期ですが,戦前と戦後という新旧の価値観が最も混在していた頃です。両者に引き裂かれ,生きる指針を見いだせず,心的葛藤に苛まれる若者も少なくありませんでした。
当時の自殺統計をみると,若者の自殺動機の首位は「厭世」となっています。世の中が厭(いや)になったということです。今は,いじめ被害とかシューカツ失敗とかですが,当時はもっとスケールが大きかったようです。アイデンティティの確立を期待される青年期が,社会の激動期と重なったことによる悲劇といえましょう。
しかるに,激動期という点では現在も同じです。IT化の進行で,人々のライフスタイルは大きく変わりつつあります。加えて少子高齢化により,多数の上の世代が少数の若年世代におぶさるような状況にもなっています。今の若者も辛いのです。
ITを知らず,学校至上主義の親世代との葛藤も大きくなっています。新旧の価値観が混在・対立しているのは,1950年代と同じ,いやそれ以上かもしれません。自殺統計を丹念に見ると,親・家族からの叱責という動機での自殺が結構あります。
未曾有の売り手市場といわれ,若者をとりまく基底的な状況は改善されたといわれます。まあこれとて,疑問符がつくのですが…(求人倍率上昇は中小企業のみ!)。
それはさておき,上の世代が心がけるべきは,社会の変化を鋭敏に察知し,新しいものを持ち込んでくる若者を,異物として頭ごなしに抑えつけないことです。ネットが普及した今,勉強は学校でなくてもできます。この時代に,登校を嫌がる我が子を無理に学校に引っ張っていくほど,ナンセンスなことはありません。
人間にとって辛いのは,貧困に象徴されるような生活条件の欠如(不足)で,とくに日本では,そうした歪みが若者に集中する傾向があります。しかし,自己の生き方を定立できないのはもっと辛い。激動の時代の今,上の世代は,時代遅れになった自分たちの価値観を引き合いにして,若者の足を引っ張ることは慎まないとなりますまい。
2018年4月23日月曜日
貧困生徒とその他の生徒の生活比較
貧困状態の者を取り出す指標として,所有物の多寡に注目する方法があるそうです。タウンゼントは,ある社会で広く普及している財や活動の量が一定水準に達していない状態を貧困とし,相対的剥奪指標という概念を提唱しています。
貧困量の計測に際しては,衣食住にも事欠く絶対貧困ではなく,当該社会の標準的な暮らしとの対比による相対貧困の基準を適用するのが一般的です。
所有物の多寡という点で思い出したのですが,私は前に,学用品が家にどれほどあるかに依拠して,貧困状態の生徒の割合を国ごとに計算したことがあります。13の学用品(机,パソコン,辞書,参考書…)のうち,4つまでしか家にない生徒(15歳)が何%かです。基準設定の根拠については,当該記事(下記)をお読みください。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/10/blog-post_28.html
日本は5.2%で,主要先進国の中では最も高い水準にありました。経済的な豊かさと子どもの貧困が同居した,何とも奇妙な社会です。
この5.2%の貧困生徒の意識や生活が,その他の生徒とどう違うか。貧困状態の生徒の率を出して終わりではなく,この課題を検討してみましょう。資料は,OECDの国際学力調査「PISA 2015」ですが,この調査は大規模調査なので,わずか5.2%とはいえ,諸設問とのクロスをするのに十分なサンプル数になっています。
日本のサンプル数をみると,上記の基準で取り出した貧困生徒は329人,その他の生徒は5963人です。この2つの群で,教育展望,学校適応度,家での行動がどう異なるかを分析してみます。他にもいろいろ観点はありますが,手始めということで,この3つを取り上げましょう。
まずは,教育展望の比較をしてみましょう。「どの段階の学校まで進みたいか」という問いへの回答分布です。選択肢は国際教育標準分類(ISCED)に依拠していますが,3B・Cは日本でいう専門高校,3Aは普通高校,5Bは短大・専門,5A・6は大学・大学院にほぼ相当します。
カッコ内のサンプルサイズが上記と異なるのは,無回答・無効回答の生徒は,分析対象から除いているためです。
15歳生徒(高校1年生)の教育展望ですが,貧困生徒とその他の生徒では,かなり違っています。前者では高校(3A)までが半分近くを占めており,大学進学志望者は36.1%しかいません。対して,その他の群では大学進学志望率が6割にもなります。
大学進学率が50%超のユニバーサル段階の時代ですが,貧困生徒とその他の生徒に区分けしてみると,大きな差があることが分かります。これは「行きたい」という生徒の志望率であり,現実の進学率ではもっと差が大きいと思われます。実際の学力や家庭の費用負担能力が効いてきますので。
次に,日々の学校生活の中でどういう思いを抱いているかです。「PISA 2015」の生徒質問紙調査の問34(ST034)では,6つの項目にどれほど当てはまるかを4段階で答えてもらっています。下表は,「とてもそうだ」+「そうだ」の回答比率(%)です。
高い方の数値を赤色にしましたが,好ましくない項目では,貧困生徒の肯定率が高くなっています。「学校で気まずく,居場所がない」は貧困生徒が29.4%,その他が18.6%。痛々しい差です。
今はやれスマホだの,仲間との交際にもカネがかかる時代ですが,家庭の事情でそれが持てず,つまはじきにされるのでしょうか。15歳といえば,スマホデビューの年齢ですが,それが叶うかどうかは家庭の経済力に左右されるでしょう。
何となく予想はしていましたが,貧困生徒は学校にて,他の生徒よりも疎外感を抱いていることが知られます。
最後に,家庭での生活行動です。朝食を食べる,宅習をする,親と話す,バイトをする…。いわずもがな,これらの行動の実施率(頻度)は,家庭環境によって違います。「PISA 2015」では,最近の登校日(登校前,下校後)に,11の行動をしたかと尋ねています(ST076,078)。下表は,イエスと答えた生徒の比率です。
赤字は高い方の数値で,10ポイント以上の差がある項目は黄色マークで強調しています。
登校前に「朝食を食べた」「親と会話した」,下校後に「宿題をした」「ネットをした」「バイトをした」という行動で,貧困生徒とその他の生徒の差が大きくなっています。
朝食の摂取頻度にも差が出ましたね。貧困生徒の欠食率は2割。保護者の意識が低いのか,子に朝食を食べさせるのもままならぬほど困窮しているのか。各種のルポを読むと,後者の家庭も少なくないように思われます。朝食摂取頻度と学力の相関関係のポスターをよく見ますが,家庭環境を介した疑似相関の可能性に注意が要ります。
親との会話(コミュニケーション)率の違いにも注目。貧困家庭では,親子の会話が乏しく,そうした「関係の貧困」が経済的貧困よりも,子どもの読解力に影響していることは,前々回の記事でみた通りです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2018/04/blog-post_17.html
下校後の宅習の実施率は,20ポイントも違っています。ネットの利用率差は,スマホやパソコンの所持率の違いによるでしょうか。
あと一つは,下校後のバイト実施率の差です。貧困生徒に限ると,高校1年生にして下校後のバイト実施率は16.7%(6人に1人)。大学生のような遊興費目当てではなく,学費・生活費稼ぎによるものが多いでしょう。都内23区のマクロ統計でみても,高校生のバイト率は平均年収のような指標と強く相関しています。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/05/blog-post_9.html
高校就学支援金制度が導入され,高校の学費負担は大きく緩和されましたが,私立高校の場合,まだまだ学費の自己負担分が大きいのが現状です。私立高校に限ると,制度が施行された後でも,経済的理由による中退者は減っていません(公立は大幅減)。制度の拡充を求める現場の声も強く,為政者はそれに耳を傾けるべきでしょう。
http://tmaita77.blogspot.jp/2016/03/blog-post_8.html
ただですね。日本では,高校生のバイトは「可哀想」という文脈で語られがちですが,国際比較をすると普遍的にあらず。高校生といえば大人に近く,自分で使うカネは自分で稼ぐべし,バイトは実社会と触れる社会勉強になる。こういう考えの国もあるようです。
下校後の15歳生徒のバイト率は,日本は貧困生徒が16.7%,その他の生徒が6.3%ですが(上表),この大小関係が反転している国もあります。下図は,主要国の比較グラフです。
日本・韓国・ドイツ・フランスは貧困生徒のほうが明らかに高いですが,他の3か国はさにあらず。アメリカでは,貧困生徒よりその他の生徒のバイト率が高くなっています。
この国では,富裕層の子弟でも大学の学費は自分で稼ぐ,社会勉強としてバイトをするという現地滞在記を読んだことがありますが,こういう自立スピリットの表れでしょうか。
高校生を働かせろとは言いませんが,このステージの青年に役割をもっと付与すべきとは,前から思っていました。身体が大きくなっているにもかかわらず,役割を付与されない。青年の心的葛藤の要因がコレであることは,青年心理学のテキストを紐解けば書いてありますよね。
成人年齢を18歳に引き下げる法改正が議論されていますが,私は,こういう動きをよく思っています。
話が逸れましたが,タウンゼント流に所持品の多寡によって貧困生徒を取り出し,他の生徒と生活比較をしてみると,明瞭な生活格差がみられることをご報告いたします。親子のコミュニケーションが乏しいなどは,経済的支援とは別次元での配慮が必要です。家庭以外の生活の場で,それを補う実践が求められるでしょう。
貧困量の計測に際しては,衣食住にも事欠く絶対貧困ではなく,当該社会の標準的な暮らしとの対比による相対貧困の基準を適用するのが一般的です。
所有物の多寡という点で思い出したのですが,私は前に,学用品が家にどれほどあるかに依拠して,貧困状態の生徒の割合を国ごとに計算したことがあります。13の学用品(机,パソコン,辞書,参考書…)のうち,4つまでしか家にない生徒(15歳)が何%かです。基準設定の根拠については,当該記事(下記)をお読みください。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/10/blog-post_28.html
日本は5.2%で,主要先進国の中では最も高い水準にありました。経済的な豊かさと子どもの貧困が同居した,何とも奇妙な社会です。
この5.2%の貧困生徒の意識や生活が,その他の生徒とどう違うか。貧困状態の生徒の率を出して終わりではなく,この課題を検討してみましょう。資料は,OECDの国際学力調査「PISA 2015」ですが,この調査は大規模調査なので,わずか5.2%とはいえ,諸設問とのクロスをするのに十分なサンプル数になっています。
日本のサンプル数をみると,上記の基準で取り出した貧困生徒は329人,その他の生徒は5963人です。この2つの群で,教育展望,学校適応度,家での行動がどう異なるかを分析してみます。他にもいろいろ観点はありますが,手始めということで,この3つを取り上げましょう。
まずは,教育展望の比較をしてみましょう。「どの段階の学校まで進みたいか」という問いへの回答分布です。選択肢は国際教育標準分類(ISCED)に依拠していますが,3B・Cは日本でいう専門高校,3Aは普通高校,5Bは短大・専門,5A・6は大学・大学院にほぼ相当します。
カッコ内のサンプルサイズが上記と異なるのは,無回答・無効回答の生徒は,分析対象から除いているためです。
15歳生徒(高校1年生)の教育展望ですが,貧困生徒とその他の生徒では,かなり違っています。前者では高校(3A)までが半分近くを占めており,大学進学志望者は36.1%しかいません。対して,その他の群では大学進学志望率が6割にもなります。
大学進学率が50%超のユニバーサル段階の時代ですが,貧困生徒とその他の生徒に区分けしてみると,大きな差があることが分かります。これは「行きたい」という生徒の志望率であり,現実の進学率ではもっと差が大きいと思われます。実際の学力や家庭の費用負担能力が効いてきますので。
次に,日々の学校生活の中でどういう思いを抱いているかです。「PISA 2015」の生徒質問紙調査の問34(ST034)では,6つの項目にどれほど当てはまるかを4段階で答えてもらっています。下表は,「とてもそうだ」+「そうだ」の回答比率(%)です。
高い方の数値を赤色にしましたが,好ましくない項目では,貧困生徒の肯定率が高くなっています。「学校で気まずく,居場所がない」は貧困生徒が29.4%,その他が18.6%。痛々しい差です。
今はやれスマホだの,仲間との交際にもカネがかかる時代ですが,家庭の事情でそれが持てず,つまはじきにされるのでしょうか。15歳といえば,スマホデビューの年齢ですが,それが叶うかどうかは家庭の経済力に左右されるでしょう。
何となく予想はしていましたが,貧困生徒は学校にて,他の生徒よりも疎外感を抱いていることが知られます。
最後に,家庭での生活行動です。朝食を食べる,宅習をする,親と話す,バイトをする…。いわずもがな,これらの行動の実施率(頻度)は,家庭環境によって違います。「PISA 2015」では,最近の登校日(登校前,下校後)に,11の行動をしたかと尋ねています(ST076,078)。下表は,イエスと答えた生徒の比率です。
赤字は高い方の数値で,10ポイント以上の差がある項目は黄色マークで強調しています。
登校前に「朝食を食べた」「親と会話した」,下校後に「宿題をした」「ネットをした」「バイトをした」という行動で,貧困生徒とその他の生徒の差が大きくなっています。
朝食の摂取頻度にも差が出ましたね。貧困生徒の欠食率は2割。保護者の意識が低いのか,子に朝食を食べさせるのもままならぬほど困窮しているのか。各種のルポを読むと,後者の家庭も少なくないように思われます。朝食摂取頻度と学力の相関関係のポスターをよく見ますが,家庭環境を介した疑似相関の可能性に注意が要ります。
親との会話(コミュニケーション)率の違いにも注目。貧困家庭では,親子の会話が乏しく,そうした「関係の貧困」が経済的貧困よりも,子どもの読解力に影響していることは,前々回の記事でみた通りです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2018/04/blog-post_17.html
下校後の宅習の実施率は,20ポイントも違っています。ネットの利用率差は,スマホやパソコンの所持率の違いによるでしょうか。
あと一つは,下校後のバイト実施率の差です。貧困生徒に限ると,高校1年生にして下校後のバイト実施率は16.7%(6人に1人)。大学生のような遊興費目当てではなく,学費・生活費稼ぎによるものが多いでしょう。都内23区のマクロ統計でみても,高校生のバイト率は平均年収のような指標と強く相関しています。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/05/blog-post_9.html
高校就学支援金制度が導入され,高校の学費負担は大きく緩和されましたが,私立高校の場合,まだまだ学費の自己負担分が大きいのが現状です。私立高校に限ると,制度が施行された後でも,経済的理由による中退者は減っていません(公立は大幅減)。制度の拡充を求める現場の声も強く,為政者はそれに耳を傾けるべきでしょう。
http://tmaita77.blogspot.jp/2016/03/blog-post_8.html
ただですね。日本では,高校生のバイトは「可哀想」という文脈で語られがちですが,国際比較をすると普遍的にあらず。高校生といえば大人に近く,自分で使うカネは自分で稼ぐべし,バイトは実社会と触れる社会勉強になる。こういう考えの国もあるようです。
下校後の15歳生徒のバイト率は,日本は貧困生徒が16.7%,その他の生徒が6.3%ですが(上表),この大小関係が反転している国もあります。下図は,主要国の比較グラフです。
日本・韓国・ドイツ・フランスは貧困生徒のほうが明らかに高いですが,他の3か国はさにあらず。アメリカでは,貧困生徒よりその他の生徒のバイト率が高くなっています。
この国では,富裕層の子弟でも大学の学費は自分で稼ぐ,社会勉強としてバイトをするという現地滞在記を読んだことがありますが,こういう自立スピリットの表れでしょうか。
高校生を働かせろとは言いませんが,このステージの青年に役割をもっと付与すべきとは,前から思っていました。身体が大きくなっているにもかかわらず,役割を付与されない。青年の心的葛藤の要因がコレであることは,青年心理学のテキストを紐解けば書いてありますよね。
成人年齢を18歳に引き下げる法改正が議論されていますが,私は,こういう動きをよく思っています。
話が逸れましたが,タウンゼント流に所持品の多寡によって貧困生徒を取り出し,他の生徒と生活比較をしてみると,明瞭な生活格差がみられることをご報告いたします。親子のコミュニケーションが乏しいなどは,経済的支援とは別次元での配慮が必要です。家庭以外の生活の場で,それを補う実践が求められるでしょう。
2018年4月21日土曜日
いのちの格差(2015年)
2015年の『市区町村別生命表』が,厚労省より発表されました。市区町村別に平均寿命が分かる資料で,高い順に並べたランキングが公表され話題になっています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/ckts15/index.html
男性の平均寿命のトップは,横浜市の青葉区とのこと(83.3歳)。この名誉?に,横浜市長も大いに喜び,「区民意識調査で健康への関心の高さや実践が確認されており,取り組みが奏功しているのではないか」とコメントしています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00025286-kana-l14
毎度言いますが,私はこの手の報道に接すると,原資料に自ら当たって詳細なデータを作ってみたくなります。首位は横浜市青葉区ですが,他にどういう地域が上位に挙がっているか。垣間見てみましょう。
原資料では,男性と女性にわけて平均寿命が示されていますが,社会状況を鋭敏に反映する男性に注目します。地域差が大きいのも,女性より男性ですので。下の表は,首都圏(1都3県)の中で,男性の平均寿命が82歳を超える市区町村の一覧です。
82歳を超える市区町村は23ですが,そのうちの12は神奈川県,7は横浜市の市区です。強いですねえ。上位5位は,横浜市青葉区,川崎市麻生区,東京の世田谷区,横浜市都筑区,川崎市宮前区,となっています。
この表をツイッターで発信したところ,セレブの街が多いというリプが多く寄せられましたが,確かにそんな感じですね。
それは後で触れるとして,1都3県の242市区町村の平均寿命マップを作ると,以下のようになります。80歳未満,80歳台,81歳台,82歳以上の4階級で塗り分けた地図です。
濃い色は,先ほど紹介した長寿の地域ですが,結構固まっていますね(東京南部~神奈川北東部)。長寿のエリアというのも見出されます。
面白いのは,都内23区です(青色の枠内)。狭いエリアの中に,4つの色が含まれています。寿命の地域的分化がはっきりしている,ということです。この部分を拡大してみましょう。
西高東低の傾向が明瞭です。長命の山の手と,短命の下町。この分化(segregation)が,住民の所得水準とリンクしているであろうことは,土地勘のある人ならすぐお分かりかと思います。
2013年の平均世帯年収との相関係数を計算すると,+0.65となります。年収が高い区ほど,寿命が長い傾向です。残酷ですが,よい医療を受けられるかどうかは,経済力に左右されますからね。
ちなみに大阪市内の24区のデータでみると,年収と寿命の相関はもっとクリアーです。以下に掲げるのは,平均世帯年収と男性の平均寿命の相関図です。
年収が高い区ほど寿命が長い傾向が,都内23区にもまして明瞭です。相関係数は+0.84にもなります。私は,大阪の土地勘はありませんが,この西の大都市では,地域による階層の「棲み分け」が東京よりも顕著なのでしょうか。
どれほど生きられるかもおカネで決まる「いのちの格差」に愕然としますが,寿命と関連するのは経済力だけではありますまい。よい医療はおカネで変えますが,裕福な人でも暴飲暴食で早死にする人はいますし,逆に貧乏であっても健康への関心が高く,長生きする人もいます。寿命がトップの横浜市青葉区の市長も,冒頭で紹介したように,区民の「健康への関心の高さや実践」が功を成したと指摘しています。
都内23区のデータでみると,男性の平均寿命は年収よりも高学歴率と強く相関しています。2010年の大学・大学院卒人口率(『国勢調査』による)との相関係数は,+0.85です。年収との相関係数(+0.65)よりも高くなっています。
喫煙率や飲酒率は,学歴の高さと逆相関ですからね。おカネだけでなく,当人の心がけも重要であることが示唆されます。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/05/blog-post_24.html
ただ,人によって考え方は違います。私の恩師は高い知性の持ち主でしたが,「長生きなんてしても仕方ない」と,煙草をスパスパ吸って70歳で亡くなられました。
都内23区でみると,男性の平均寿命は,最高の千代田区で82.8歳,最低の足立区で79.4歳です(2番目の地図)。違いはたった3年ほど。3年長生きするために,一生懸命頑張るのもどうかなという気がします。私も恩師と同じく,長生きしたいなんて思っていませんので。寿命が長いって,いいことなんだろうか?
名著『完全自殺マニュアル』の筆者・鶴見済さんが,次のように言われています。
https://twitter.com/wtsurumi/status/986623356270272513
「命は大切ですが「命の重み重み」と言われ過ぎていて,自分としては人生をもっと軽く考えたい。…何もかもくだらないとか,どうでもいいと思ってしまった方が楽になる」。
まったくその通りだと思います。私のように,経済資本も社会関係資本もない輩が生き長らえているのは,こういう思いが土台にあるからです。
なおここでは,大都市の東京・大阪のデータを観察対象にしましたが,貨幣経済の浸透度が比較的低い地方なら,事態は違っているかもしれません。モノをいうのは,経済力よりも人間関係の量ではないでしょうか。後者は,孤独に苛まれない,精神の健康をもたらす資本です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/ckts15/index.html
男性の平均寿命のトップは,横浜市の青葉区とのこと(83.3歳)。この名誉?に,横浜市長も大いに喜び,「区民意識調査で健康への関心の高さや実践が確認されており,取り組みが奏功しているのではないか」とコメントしています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00025286-kana-l14
毎度言いますが,私はこの手の報道に接すると,原資料に自ら当たって詳細なデータを作ってみたくなります。首位は横浜市青葉区ですが,他にどういう地域が上位に挙がっているか。垣間見てみましょう。
原資料では,男性と女性にわけて平均寿命が示されていますが,社会状況を鋭敏に反映する男性に注目します。地域差が大きいのも,女性より男性ですので。下の表は,首都圏(1都3県)の中で,男性の平均寿命が82歳を超える市区町村の一覧です。
82歳を超える市区町村は23ですが,そのうちの12は神奈川県,7は横浜市の市区です。強いですねえ。上位5位は,横浜市青葉区,川崎市麻生区,東京の世田谷区,横浜市都筑区,川崎市宮前区,となっています。
この表をツイッターで発信したところ,セレブの街が多いというリプが多く寄せられましたが,確かにそんな感じですね。
それは後で触れるとして,1都3県の242市区町村の平均寿命マップを作ると,以下のようになります。80歳未満,80歳台,81歳台,82歳以上の4階級で塗り分けた地図です。
濃い色は,先ほど紹介した長寿の地域ですが,結構固まっていますね(東京南部~神奈川北東部)。長寿のエリアというのも見出されます。
面白いのは,都内23区です(青色の枠内)。狭いエリアの中に,4つの色が含まれています。寿命の地域的分化がはっきりしている,ということです。この部分を拡大してみましょう。
西高東低の傾向が明瞭です。長命の山の手と,短命の下町。この分化(segregation)が,住民の所得水準とリンクしているであろうことは,土地勘のある人ならすぐお分かりかと思います。
2013年の平均世帯年収との相関係数を計算すると,+0.65となります。年収が高い区ほど,寿命が長い傾向です。残酷ですが,よい医療を受けられるかどうかは,経済力に左右されますからね。
ちなみに大阪市内の24区のデータでみると,年収と寿命の相関はもっとクリアーです。以下に掲げるのは,平均世帯年収と男性の平均寿命の相関図です。
年収が高い区ほど寿命が長い傾向が,都内23区にもまして明瞭です。相関係数は+0.84にもなります。私は,大阪の土地勘はありませんが,この西の大都市では,地域による階層の「棲み分け」が東京よりも顕著なのでしょうか。
どれほど生きられるかもおカネで決まる「いのちの格差」に愕然としますが,寿命と関連するのは経済力だけではありますまい。よい医療はおカネで変えますが,裕福な人でも暴飲暴食で早死にする人はいますし,逆に貧乏であっても健康への関心が高く,長生きする人もいます。寿命がトップの横浜市青葉区の市長も,冒頭で紹介したように,区民の「健康への関心の高さや実践」が功を成したと指摘しています。
都内23区のデータでみると,男性の平均寿命は年収よりも高学歴率と強く相関しています。2010年の大学・大学院卒人口率(『国勢調査』による)との相関係数は,+0.85です。年収との相関係数(+0.65)よりも高くなっています。
喫煙率や飲酒率は,学歴の高さと逆相関ですからね。おカネだけでなく,当人の心がけも重要であることが示唆されます。
http://tmaita77.blogspot.jp/2017/05/blog-post_24.html
ただ,人によって考え方は違います。私の恩師は高い知性の持ち主でしたが,「長生きなんてしても仕方ない」と,煙草をスパスパ吸って70歳で亡くなられました。
都内23区でみると,男性の平均寿命は,最高の千代田区で82.8歳,最低の足立区で79.4歳です(2番目の地図)。違いはたった3年ほど。3年長生きするために,一生懸命頑張るのもどうかなという気がします。私も恩師と同じく,長生きしたいなんて思っていませんので。寿命が長いって,いいことなんだろうか?
名著『完全自殺マニュアル』の筆者・鶴見済さんが,次のように言われています。
https://twitter.com/wtsurumi/status/986623356270272513
「命は大切ですが「命の重み重み」と言われ過ぎていて,自分としては人生をもっと軽く考えたい。…何もかもくだらないとか,どうでもいいと思ってしまった方が楽になる」。
まったくその通りだと思います。私のように,経済資本も社会関係資本もない輩が生き長らえているのは,こういう思いが土台にあるからです。
なおここでは,大都市の東京・大阪のデータを観察対象にしましたが,貨幣経済の浸透度が比較的低い地方なら,事態は違っているかもしれません。モノをいうのは,経済力よりも人間関係の量ではないでしょうか。後者は,孤独に苛まれない,精神の健康をもたらす資本です。
2018年4月17日火曜日
関係の貧困と国語の得意度
『AERA』の4月16日号に,「経済的貧困ではない『関係の貧困』が子どもの読解力に影響」という記事が出ています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180413-00000045-sasahi-life
無料塾に集まってくる貧困家庭の子どもをみると,読解力に乏しい,数学の計算問題はできるが文章題になるとできない,LINEでの細切れ単語の会話に浸っており文章を構築できない…。こういう傾向があるとのこと。
その原因として,家庭での「関係の貧困」があるのではないか,と推測されています。貧困家庭では親子のコミュニケーションが少なく,子どもはネットで好きなコンテンツを見てばかり。自分の世界に籠る。その結果,未知のものに触れ,何かを読み解くことも減ってしまうのではないかと。そして,ズバリ次のように言われています。
「家族の中での会話量が大事。親の長時間労働が問題ということです」。
グサッときますねえ。しかし,的を射ているような気もします。とりわけ読解力や文章力となったら,こういう因果経路は強いでしょう。おカネを払って参考書を買ったり,塾に通ったりすることで,一朝一夕に見につくものではありません。対人のコミュニケーションの量がモノをいいます。記事のタイトルの通り,経済的貧困よりも「関係の貧困」が影響するでしょう。
非常に興味深い説ですが,データで可視化されるでしょうか。国立青少年教育振興機構の『青少年の体験活動等に関する調査』(2014年度)では,小4~6年生の児童に「家の人とその日の出来事について話すことがどれほどあるか」と尋ねています。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/107/
この問いへの回答を,勉強の得意度とクロスさせてみましょう。経済的貧困のレベルを統制して「関係の貧困」の影響を取り出すため,年収が400万以上600万未満の家庭の子に対象を絞ります。小4~6年生の場合,年収のボリュームゾーンはこの階層です。
下図は,クロス集計の結果を帯グラフにしたものです。両方の設問に有効回答を寄せた,1931人の児童のデータによります。
カッコ内はサンプルサイズですが,家族とよく話をする児童が多くなっています。「あまりない」「ない」という子は,全体の2割ほどしかいません。まだ小学生ですからね。
4つの群の勉強の得意度(自己評定)をみると,家族とよく話をするグループほど,勉強が得意という子が多くなっています。家族と話をする頻度が最も高い群では,52.3%が勉強が得意と答えていますが,会話頻度が最低の群では28.3%しかいません。
これは家庭の年収を揃えた比較で,塾通いの費用負担能力のような,家庭の経済力の影響は除かれています。家庭でのコミュニケーション頻度の影響を示唆する,一つのデータとみてよいでしょう。むろん,統制すべきファクターは他にもあるでしょうが。
上記は,勉強全体の得意度とのクロスですが,勉強といってもいろいろな教科があります。先ほど紹介した記事では,「関係の貧困」と読解力の関連が強いことがいわれていますが,そうであるならば,国語の得意度との相関が強そうですね。
国立青少年教育振興機構の調査では,9つの教科を提示して,それぞれが得意かを訊いています。座学の教科(国語,算数,社会,理科)について,得意と答えた児童の割合を計算してみました。家族との会話頻度による4グループの得意率をグラフにすると,以下のようになります。
算数・社会・理科は,家族との会話頻度と得意率の間に明瞭な相関関係はみられません。理科は,ほぼフラット(無関係)です。家庭の年収を一定化しているためでしょう。
しかし国語だけは,右下がりのクリアーな傾向が出ています。家族とよく会話するグループほど,当該教科が得意な児童の比率が高くなっています。
これはあくまで自己評定で,国語の実際の学力は別物ではないかという異論もあるでしょうが,国語の平均点との相関関係も見受けられます。
https://twitter.com/tmaita77/status/985825901194588160
国語だけは,経済的貧困よりも「関係の貧困」の影響が強いようです。冒頭の『AERA』の記事で言われている通りですね。読解力や文章力というのは,座学での学習で身につくものではありますまい。他者と向かい合って言葉をかわす,生きた実践で鍛えられるものです。
最近では,SNSやLINEを介したコミュニケーションの比重が増していますが,細切れの単語や隠語を多用する形式では,長めの文章を書く訓練にもなりません。
リアルなコミュニケーションの効能も見直したいですね。言語能力の形成途上にある年少の子どもの場合は,とくにです。小さい子どもは,主な生活の場が家庭で「重要な他者」は家族(親)ですので,親子の会話が重要となります。
子どもに問いを発し,それを咀嚼(読解)させ,理性のツールの言語で応答させる。こういう経験を,意図的に積ませたいものです。それが為される場は,かしこまって向かい合う勉強部屋である必要はありません。食卓をはじめとした,日々の自然な生活の場でいいのです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180413-00000045-sasahi-life
無料塾に集まってくる貧困家庭の子どもをみると,読解力に乏しい,数学の計算問題はできるが文章題になるとできない,LINEでの細切れ単語の会話に浸っており文章を構築できない…。こういう傾向があるとのこと。
その原因として,家庭での「関係の貧困」があるのではないか,と推測されています。貧困家庭では親子のコミュニケーションが少なく,子どもはネットで好きなコンテンツを見てばかり。自分の世界に籠る。その結果,未知のものに触れ,何かを読み解くことも減ってしまうのではないかと。そして,ズバリ次のように言われています。
「家族の中での会話量が大事。親の長時間労働が問題ということです」。
グサッときますねえ。しかし,的を射ているような気もします。とりわけ読解力や文章力となったら,こういう因果経路は強いでしょう。おカネを払って参考書を買ったり,塾に通ったりすることで,一朝一夕に見につくものではありません。対人のコミュニケーションの量がモノをいいます。記事のタイトルの通り,経済的貧困よりも「関係の貧困」が影響するでしょう。
非常に興味深い説ですが,データで可視化されるでしょうか。国立青少年教育振興機構の『青少年の体験活動等に関する調査』(2014年度)では,小4~6年生の児童に「家の人とその日の出来事について話すことがどれほどあるか」と尋ねています。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/107/
この問いへの回答を,勉強の得意度とクロスさせてみましょう。経済的貧困のレベルを統制して「関係の貧困」の影響を取り出すため,年収が400万以上600万未満の家庭の子に対象を絞ります。小4~6年生の場合,年収のボリュームゾーンはこの階層です。
下図は,クロス集計の結果を帯グラフにしたものです。両方の設問に有効回答を寄せた,1931人の児童のデータによります。
カッコ内はサンプルサイズですが,家族とよく話をする児童が多くなっています。「あまりない」「ない」という子は,全体の2割ほどしかいません。まだ小学生ですからね。
4つの群の勉強の得意度(自己評定)をみると,家族とよく話をするグループほど,勉強が得意という子が多くなっています。家族と話をする頻度が最も高い群では,52.3%が勉強が得意と答えていますが,会話頻度が最低の群では28.3%しかいません。
これは家庭の年収を揃えた比較で,塾通いの費用負担能力のような,家庭の経済力の影響は除かれています。家庭でのコミュニケーション頻度の影響を示唆する,一つのデータとみてよいでしょう。むろん,統制すべきファクターは他にもあるでしょうが。
上記は,勉強全体の得意度とのクロスですが,勉強といってもいろいろな教科があります。先ほど紹介した記事では,「関係の貧困」と読解力の関連が強いことがいわれていますが,そうであるならば,国語の得意度との相関が強そうですね。
国立青少年教育振興機構の調査では,9つの教科を提示して,それぞれが得意かを訊いています。座学の教科(国語,算数,社会,理科)について,得意と答えた児童の割合を計算してみました。家族との会話頻度による4グループの得意率をグラフにすると,以下のようになります。
算数・社会・理科は,家族との会話頻度と得意率の間に明瞭な相関関係はみられません。理科は,ほぼフラット(無関係)です。家庭の年収を一定化しているためでしょう。
しかし国語だけは,右下がりのクリアーな傾向が出ています。家族とよく会話するグループほど,当該教科が得意な児童の比率が高くなっています。
これはあくまで自己評定で,国語の実際の学力は別物ではないかという異論もあるでしょうが,国語の平均点との相関関係も見受けられます。
https://twitter.com/tmaita77/status/985825901194588160
国語だけは,経済的貧困よりも「関係の貧困」の影響が強いようです。冒頭の『AERA』の記事で言われている通りですね。読解力や文章力というのは,座学での学習で身につくものではありますまい。他者と向かい合って言葉をかわす,生きた実践で鍛えられるものです。
最近では,SNSやLINEを介したコミュニケーションの比重が増していますが,細切れの単語や隠語を多用する形式では,長めの文章を書く訓練にもなりません。
リアルなコミュニケーションの効能も見直したいですね。言語能力の形成途上にある年少の子どもの場合は,とくにです。小さい子どもは,主な生活の場が家庭で「重要な他者」は家族(親)ですので,親子の会話が重要となります。
子どもに問いを発し,それを咀嚼(読解)させ,理性のツールの言語で応答させる。こういう経験を,意図的に積ませたいものです。それが為される場は,かしこまって向かい合う勉強部屋である必要はありません。食卓をはじめとした,日々の自然な生活の場でいいのです。
2018年4月11日水曜日
どれほどの労働量で社会を回しているか
堀江貴文・落合陽一『10年後の仕事図鑑』(SBクリエイティブ)を読んでいます。AIの台頭により無くなる職業,新たに生まれる職業など,未来展望が示されていて面白い。イラストもたくさんなので,自分の将来を考えている高校生にもおススメの本です。
http://www.sbcr.jp/products/4797394573.html
AIによって雇用が奪われるとか悲観的な見通しが多いのですが,人間が労働から解放され,己の好きなことをして過ごせるのなら,素晴らしいことではありませんか。
しかし現状は,そういうユートピアからは程遠く,社会を回すには人々が働かないといけないのですが,その量は時代や国によって違います。ここでは労働量ということにしましょう。
労働量は,働いている人の数(a)と労働時間(b)の掛け算で決まります。これを人口(c)で除せば,どれほどの労働量で社会を回しているかの指標になるでしょう。タイトルの問いへの答えです。
各国の就業者数と週の平均就業時間は,ILOの統計から知ることができます。人口は,国連の人口推計サイトに出ています。これらの資料から上記の3要素(a~c)を拾って,数値を計算してみました。下表は,2015年の主要国のデータです。
日本は就業者が約6500万人で,週の平均就業時間は39時間です。就業時間が短い印象を受けるでしょうが,これは女性や高齢者も含めた全就業者のものだからです。
両者の積の労働量(a×b)で,1億2800万人ほどの人口(c)を養っているわけです。人口当たりの労働量は,19.68となります。均して言うと,日本は,国民1人が週19.68時間働くことで,社会を回していることになります。
他国をみると,韓国は22.59時間で日本より多くなっています。しかし欧米諸国は日本より少ない労働量で社会を動かしているようで,フランスは15.15時間です。休みなしで一週間営業したパン屋さんが罰せられるような国ですので,長時間働こうにも働けないのでしょうね。しかるに,それでも社会は回る。
上記の国際統計資料から,79か国について,a~cの3要素を揃えることができます。同じやり方で人口あたりの労働量を計算し,高い順に配列したランキングにすると,以下の表のようになります。
トップは中東のカタールで,マカオ,シンガポール,タイ,ベトナムといったアジア諸国が続きます。社会を動かすのに,(相対的に)多くの労働を充てている国です。
対極の右下は,人口当たりの労働量が少ない社会で,発展途上国が多くなっています。南アフリカなど,失業率がべらぼうに高い国がほとんどで,働こうにも仕事がないのでしょう。
人口あたりの労働量は,少なければいいというものではありません。右下の国々の多くは,物質的に貧しい暮らしを強いられています。ギリシャのように,財政破たんしている国もあります。
そこで,豊かさという点も加味した二次元での評価をしてみましょう。一国の豊かさの代表指標は,国民1人あたりのGDP額です。2015年のGDP(米ドル)を同年の人口で除して出しました。GDPの出所は,国連の下記リンク先資料です。
https://unstats.un.org/unsd/snaama/Introduction.asp
「労働量×豊かさ」のマトリクスでみると,それぞれの社会の性格が見えてきます。少ない労働で豊かさを享受している社会,たくさん働いているのに貧しい社会…。下図は,横軸に人口当たりの労働量(上表),縦軸に国民1人あたりのGDP額をとった座標上に,79の国を配置したものです。点線は,79か国の平均値をさします。
左下は「少労働・貧しい」社会で,発展途上国が大半です。お隣の右下は,「多労働で貧しい」,ちょっと残念なタイプ。タイやベトナムが該当。
右上は「多労働・豊かな」社会,言うなれば人海戦術で豊かさを得ているタイプでしょうか。日本を含むアジア諸国が多くなっています。
最後の左上は,少労働で豊かという,ベストなタイプです。予想通りといいますか,北欧の諸国が多くなっています。社会のICT化進んでおり,人間と機械の分業が進んでいるためでしょう。デンマークは,ICT教育の最先進国です。
時代の流れとともに,右下(多労働・貧困)から左上(少労働・豊か)に移行する社会がほとんどで,日本もこのような軌跡を歩んでいます。しかし現時点では,20世紀型の人海戦術依存を脱し切れておらず,少子高齢化が相まって,労働力不足という問題に直面しています。
そんな中,冒頭で紹介した『10年後の仕事図鑑』は,希望を与えてくれるものです。人間と機械の分業(共存)が進み,人間が過重労働から解放され,好きなことをして生きていけるユートピアの到来可能性にわくわくします。多くの人が,古代ローマでいう有閑階級になれるわけです。
今朝のNHKニュースで,米国では,客が商品を持って出るだけで代金がクレジットカード払いされる「無人スーパー」が導入されている,という話がありました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180410/k10011396841000.html
私は近くのドラッグスーパーで買い物をするのですが,未精算の商品を持ち出したらブザーが鳴る防犯ゲートがついているのに,何でセルフレジにしないのだろう,という疑問をいつも持っています。夕方,ウォーキングのついでに寄ると,有人の3つのレジはいつも長蛇の列です。
宅配だって,玄関置きで十分。私の場合,ネットで取り寄せる荷物の9割は玄関置きでよい代物です。格安の「玄関置き便」をぜひ設けてほしいです。
どれほどの労働量で社会を回しているか,豊かさと絡めるとどうか? データでラフな見当をつけてみると,日本はまだ,その移行の途上であることが知られます。
http://www.sbcr.jp/products/4797394573.html
AIによって雇用が奪われるとか悲観的な見通しが多いのですが,人間が労働から解放され,己の好きなことをして過ごせるのなら,素晴らしいことではありませんか。
しかし現状は,そういうユートピアからは程遠く,社会を回すには人々が働かないといけないのですが,その量は時代や国によって違います。ここでは労働量ということにしましょう。
労働量は,働いている人の数(a)と労働時間(b)の掛け算で決まります。これを人口(c)で除せば,どれほどの労働量で社会を回しているかの指標になるでしょう。タイトルの問いへの答えです。
各国の就業者数と週の平均就業時間は,ILOの統計から知ることができます。人口は,国連の人口推計サイトに出ています。これらの資料から上記の3要素(a~c)を拾って,数値を計算してみました。下表は,2015年の主要国のデータです。
日本は就業者が約6500万人で,週の平均就業時間は39時間です。就業時間が短い印象を受けるでしょうが,これは女性や高齢者も含めた全就業者のものだからです。
両者の積の労働量(a×b)で,1億2800万人ほどの人口(c)を養っているわけです。人口当たりの労働量は,19.68となります。均して言うと,日本は,国民1人が週19.68時間働くことで,社会を回していることになります。
上記の国際統計資料から,79か国について,a~cの3要素を揃えることができます。同じやり方で人口あたりの労働量を計算し,高い順に配列したランキングにすると,以下の表のようになります。
トップは中東のカタールで,マカオ,シンガポール,タイ,ベトナムといったアジア諸国が続きます。社会を動かすのに,(相対的に)多くの労働を充てている国です。
対極の右下は,人口当たりの労働量が少ない社会で,発展途上国が多くなっています。南アフリカなど,失業率がべらぼうに高い国がほとんどで,働こうにも仕事がないのでしょう。
人口あたりの労働量は,少なければいいというものではありません。右下の国々の多くは,物質的に貧しい暮らしを強いられています。ギリシャのように,財政破たんしている国もあります。
そこで,豊かさという点も加味した二次元での評価をしてみましょう。一国の豊かさの代表指標は,国民1人あたりのGDP額です。2015年のGDP(米ドル)を同年の人口で除して出しました。GDPの出所は,国連の下記リンク先資料です。
https://unstats.un.org/unsd/snaama/Introduction.asp
「労働量×豊かさ」のマトリクスでみると,それぞれの社会の性格が見えてきます。少ない労働で豊かさを享受している社会,たくさん働いているのに貧しい社会…。下図は,横軸に人口当たりの労働量(上表),縦軸に国民1人あたりのGDP額をとった座標上に,79の国を配置したものです。点線は,79か国の平均値をさします。
左下は「少労働・貧しい」社会で,発展途上国が大半です。お隣の右下は,「多労働で貧しい」,ちょっと残念なタイプ。タイやベトナムが該当。
右上は「多労働・豊かな」社会,言うなれば人海戦術で豊かさを得ているタイプでしょうか。日本を含むアジア諸国が多くなっています。
最後の左上は,少労働で豊かという,ベストなタイプです。予想通りといいますか,北欧の諸国が多くなっています。社会のICT化進んでおり,人間と機械の分業が進んでいるためでしょう。デンマークは,ICT教育の最先進国です。
時代の流れとともに,右下(多労働・貧困)から左上(少労働・豊か)に移行する社会がほとんどで,日本もこのような軌跡を歩んでいます。しかし現時点では,20世紀型の人海戦術依存を脱し切れておらず,少子高齢化が相まって,労働力不足という問題に直面しています。
そんな中,冒頭で紹介した『10年後の仕事図鑑』は,希望を与えてくれるものです。人間と機械の分業(共存)が進み,人間が過重労働から解放され,好きなことをして生きていけるユートピアの到来可能性にわくわくします。多くの人が,古代ローマでいう有閑階級になれるわけです。
今朝のNHKニュースで,米国では,客が商品を持って出るだけで代金がクレジットカード払いされる「無人スーパー」が導入されている,という話がありました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180410/k10011396841000.html
私は近くのドラッグスーパーで買い物をするのですが,未精算の商品を持ち出したらブザーが鳴る防犯ゲートがついているのに,何でセルフレジにしないのだろう,という疑問をいつも持っています。夕方,ウォーキングのついでに寄ると,有人の3つのレジはいつも長蛇の列です。
宅配だって,玄関置きで十分。私の場合,ネットで取り寄せる荷物の9割は玄関置きでよい代物です。格安の「玄関置き便」をぜひ設けてほしいです。
どれほどの労働量で社会を回しているか,豊かさと絡めるとどうか? データでラフな見当をつけてみると,日本はまだ,その移行の途上であることが知られます。
2018年4月6日金曜日
出世の条件の国際比較
近代以前の社会では,生まれがモノをいう属性主義でしたが,近代以降では個人の能力が重要となる業績主義に移行しています。「何であるか」ではなく,「何ができるか」の重視です。
明治期になって,それまでの身分制が否定され,業績主義の重要性が説かれました。貧しい家に生まれようが,学校に行って勉強を頑張れば立身出世できる,国民は皆学校に行くべきという「国民皆就学」が要請されました(1872年,学制序文)。
しかしこれは形式上の空論で,戦前期の学校体系は,中等段階以降,性質を異にする複数の学校に分岐する「分岐型」で,「旧制中学→旧制高校→帝国大学」のコースを進めるのは,ごく一部の子どもだけでした。長期の間,多額の学費を負担できる富裕層,性別は男子限定です。
こうした弊が取っ払われたのは,戦後になってからです。「小・中・高・大」の単線型が敷かれ,上級学校への進学を阻む制度的な障壁は無くなりました。教育の機会均等が法で定められ,国による奨学義務も規定されました。
これで抜け目は無くなり,業績主義の純粋型になったかというと,現実はさにあらず。親の地位と当人の現在地位の相関が強いことは,各種の社会調査で示されています。教育費の負担能力の違いのような「見えやすい」格差,文化資本の密輸のような「見えにくい」格差が作動しているためです。
制度上,教育の機会均等が実現しているかのように見えますので,「当人の能力の問題ではないか」と言いくるめられることが多いだけに,昔に比して厄介な事態になっているとすらいえます。
国民は,出世のための条件として,どういうものが重要と考えているのでしょう。生まれ,当人のがんばり,コネ,あるいは自身では如何ともし難い属性…?。ISSPが2009年に実施した「社会的不平等に関する意識調査」では,この点をズバリ尋ねています。
http://www.issp.org/data-download/by-year/
11の事項を提示し,どれほど重要と思うかを5段階で答えてもらっています。最初のQ1です。
①と②は出自,③~⑤は当人の実力,⑥~⑧はコネ,⑨~⑪は属性と括ることができるでしょう。
調査対象者が,これら4つのどれほど重要と考えているかを点数化します。出自は,①と②の回答を合成します。「1」という回答には5点,「2」には4点,「3」には3点,「4」には2点,「5」には1点のスコアを付与します。
この場合,出自を重要と考えているレベルは,2~10点のスコアで測られます。両方とも「1」と答えた者は10点,双方とも「5」の者は2点です。同じ方式によると,実力,コネ,属性の重要認識レベルは,3~15点の点数で計測されます。
日本でいうと,出自の2項目(①と②)に有効回答を寄せたのは1220人ですが,この1220人のスコア平均を出すと5.28点となります。同じ要領で他の3つの平均点を計算すると,実力は10.50点,コネは6.33点,属性は4.93点です。
はて,この数値は調査対象国(41か国)の中でどこに位置づくのか。出自・実力・コネ・属性の4つについて,重要度認識の平均点の国際ランキングを作ってみました。まずは,最初の2つの順位表をみていただきましょう。
日本は,出自の重要度認識は下から6番目,実力は最下位となっています。後者はいささか不名誉ですが,控えめな回答をした人が多かったのでしょうか。出自も,他国と比して重要とは考えられていませんが,見えざる不平等への認識が足りないことの表れかもしれません。
出自のトップが中国というのは,何となく頷けますね。
次に,コネと属性の重要度認識のランキングです。
日本は,コネは下から5番目,属性は下から2番目なり。属性とは,当人では如何ともし難い人種・宗教・性別ですが,性別に限定したら,日本の順位はかなり上がるかもしれません。客観的なジェンダー不平等指数が下位にありますので。
コネですが,上位は軒並み旧共産圏の国々です。個人の自由な経済活動を統制する硬直的な社会ですので,こうなるのでしょうか。属性の首位が南アフリカというのは,さもありなん。
最後に,視覚的なグラフを一枚載せておきましょう。横軸に出自,縦軸にコネの重要度平均スコアをとった座標上に,41か国を配置した散布図です。点線は,41か国の平均値をさします。
国民の主観的な意見によりますが,左下は公正な社会,右上はその逆です。
しかるに,これが現実と一致しているかは,甚だ疑わしい。これまで国際散布図を数多く作ってきましたが,日本と北欧諸国が近接するケースはとても珍しいです。日本では,現実の不平等(不正)を国民があまり認識していないのではないか。
今回のデータは,現実の不平等指標(ジニ係数,社会の開放係数,ジェンダー不平等指数…)と絡めてみる必要がありそうです。
それと,国民の間での分裂も危惧されます。昨日の朝日新聞に,「教育格差,容認の考えを持つのはどんな保護者?」という記事が出ていますが,経済的に豊かな家庭の子ほど,よりよい教育を受けられるのは当然と考える親は,富裕層・高学歴層・都市部居住者で多いそうです。
https://www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html?iref=comtop_list_edu_n03
ここで紹介したデータは,18歳以上の国民全体のデータですが,社会階層で群分けしてデータを計算し直したら,富裕層と貧困層の断絶現象が浮かび上がってくるかもしれませんね。*ISSPはサンプルが少ないので,それは難しいのですが…。
社会を動かす為政者の多くは,高い階層の出身者ですが,現実の不平等,はては不正に容認の考えを持っているのだとしたら怖い。今回の文書改竄の発覚を目にし,こうした思いをますます強くします。
明治期になって,それまでの身分制が否定され,業績主義の重要性が説かれました。貧しい家に生まれようが,学校に行って勉強を頑張れば立身出世できる,国民は皆学校に行くべきという「国民皆就学」が要請されました(1872年,学制序文)。
しかしこれは形式上の空論で,戦前期の学校体系は,中等段階以降,性質を異にする複数の学校に分岐する「分岐型」で,「旧制中学→旧制高校→帝国大学」のコースを進めるのは,ごく一部の子どもだけでした。長期の間,多額の学費を負担できる富裕層,性別は男子限定です。
こうした弊が取っ払われたのは,戦後になってからです。「小・中・高・大」の単線型が敷かれ,上級学校への進学を阻む制度的な障壁は無くなりました。教育の機会均等が法で定められ,国による奨学義務も規定されました。
これで抜け目は無くなり,業績主義の純粋型になったかというと,現実はさにあらず。親の地位と当人の現在地位の相関が強いことは,各種の社会調査で示されています。教育費の負担能力の違いのような「見えやすい」格差,文化資本の密輸のような「見えにくい」格差が作動しているためです。
制度上,教育の機会均等が実現しているかのように見えますので,「当人の能力の問題ではないか」と言いくるめられることが多いだけに,昔に比して厄介な事態になっているとすらいえます。
国民は,出世のための条件として,どういうものが重要と考えているのでしょう。生まれ,当人のがんばり,コネ,あるいは自身では如何ともし難い属性…?。ISSPが2009年に実施した「社会的不平等に関する意識調査」では,この点をズバリ尋ねています。
http://www.issp.org/data-download/by-year/
11の事項を提示し,どれほど重要と思うかを5段階で答えてもらっています。最初のQ1です。
①と②は出自,③~⑤は当人の実力,⑥~⑧はコネ,⑨~⑪は属性と括ることができるでしょう。
調査対象者が,これら4つのどれほど重要と考えているかを点数化します。出自は,①と②の回答を合成します。「1」という回答には5点,「2」には4点,「3」には3点,「4」には2点,「5」には1点のスコアを付与します。
この場合,出自を重要と考えているレベルは,2~10点のスコアで測られます。両方とも「1」と答えた者は10点,双方とも「5」の者は2点です。同じ方式によると,実力,コネ,属性の重要認識レベルは,3~15点の点数で計測されます。
日本でいうと,出自の2項目(①と②)に有効回答を寄せたのは1220人ですが,この1220人のスコア平均を出すと5.28点となります。同じ要領で他の3つの平均点を計算すると,実力は10.50点,コネは6.33点,属性は4.93点です。
はて,この数値は調査対象国(41か国)の中でどこに位置づくのか。出自・実力・コネ・属性の4つについて,重要度認識の平均点の国際ランキングを作ってみました。まずは,最初の2つの順位表をみていただきましょう。
日本は,出自の重要度認識は下から6番目,実力は最下位となっています。後者はいささか不名誉ですが,控えめな回答をした人が多かったのでしょうか。出自も,他国と比して重要とは考えられていませんが,見えざる不平等への認識が足りないことの表れかもしれません。
出自のトップが中国というのは,何となく頷けますね。
次に,コネと属性の重要度認識のランキングです。
日本は,コネは下から5番目,属性は下から2番目なり。属性とは,当人では如何ともし難い人種・宗教・性別ですが,性別に限定したら,日本の順位はかなり上がるかもしれません。客観的なジェンダー不平等指数が下位にありますので。
コネですが,上位は軒並み旧共産圏の国々です。個人の自由な経済活動を統制する硬直的な社会ですので,こうなるのでしょうか。属性の首位が南アフリカというのは,さもありなん。
最後に,視覚的なグラフを一枚載せておきましょう。横軸に出自,縦軸にコネの重要度平均スコアをとった座標上に,41か国を配置した散布図です。点線は,41か国の平均値をさします。
国民の主観的な意見によりますが,左下は公正な社会,右上はその逆です。
しかるに,これが現実と一致しているかは,甚だ疑わしい。これまで国際散布図を数多く作ってきましたが,日本と北欧諸国が近接するケースはとても珍しいです。日本では,現実の不平等(不正)を国民があまり認識していないのではないか。
今回のデータは,現実の不平等指標(ジニ係数,社会の開放係数,ジェンダー不平等指数…)と絡めてみる必要がありそうです。
それと,国民の間での分裂も危惧されます。昨日の朝日新聞に,「教育格差,容認の考えを持つのはどんな保護者?」という記事が出ていますが,経済的に豊かな家庭の子ほど,よりよい教育を受けられるのは当然と考える親は,富裕層・高学歴層・都市部居住者で多いそうです。
https://www.asahi.com/articles/ASL3X77LVL3XUTIL05R.html?iref=comtop_list_edu_n03
ここで紹介したデータは,18歳以上の国民全体のデータですが,社会階層で群分けしてデータを計算し直したら,富裕層と貧困層の断絶現象が浮かび上がってくるかもしれませんね。*ISSPはサンプルが少ないので,それは難しいのですが…。
社会を動かす為政者の多くは,高い階層の出身者ですが,現実の不平等,はては不正に容認の考えを持っているのだとしたら怖い。今回の文書改竄の発覚を目にし,こうした思いをますます強くします。
2018年4月2日月曜日
日本女性学習財団『ウィラーン』で連載スタート
新年度が始まりました。横須賀では,気持ちのいい春日が続いています。
この4月から,公益財団法人・日本女性学習財団の機関紙『We Learn』で連載が始まります。創刊は1952年,60年以上の伝統ある月刊誌です。
http://www.jawe2011.jp/welearn
「データをジェンダーの視点で読み解く」というもので,2018年度の1年間,見開きの文章を載せていただくことになりました。毎年度設けられている,「男女共同参画A to Z」という枠においてです。
主な読者層は,行政や男女共同参画の実践に関わる方々とのこと。何で私に声がかかったのか分かりませんが,「ジェンダーの統計をいろいろいじっている(変な)奴がいる,たまには毛色を変えてみよう」ということなのでしょう。
初回の4月号は「教育と男女共同参画」という特集ですので,教育関係のテーマを据えました。具体的には「リケジョ」です。
http://www.jawe2011.jp/welearn-publish/2076
これから第2回,第3回……と,各号の特集に沿ったジェンダー統計を紹介していこうかなと思っています。
本誌は,日本女性学習財団のサイト(上記リンク先)で注文できます。PDFでの購読も可能です。1冊350円(税別)。ジェンダーや男女共同参画に関する有益な情報がぎっしり詰まっています。ぜひ,お読みください。
ちなみに,日本女性学習財団の現理事長は村松泰子先生(東京学芸大学前学長)です。私が学部の頃,「ジェンダーの社会学」という授業で習った先生です。「なんと」と思いましたが,村松先生も,私がかつての教え子であることに驚かれている模様。20年ぶりの師弟?再会という感じでしょうか。
定期的にやることが一つ増えました。がんばろうと思います。
この4月から,公益財団法人・日本女性学習財団の機関紙『We Learn』で連載が始まります。創刊は1952年,60年以上の伝統ある月刊誌です。
http://www.jawe2011.jp/welearn
「データをジェンダーの視点で読み解く」というもので,2018年度の1年間,見開きの文章を載せていただくことになりました。毎年度設けられている,「男女共同参画A to Z」という枠においてです。
主な読者層は,行政や男女共同参画の実践に関わる方々とのこと。何で私に声がかかったのか分かりませんが,「ジェンダーの統計をいろいろいじっている(変な)奴がいる,たまには毛色を変えてみよう」ということなのでしょう。
初回の4月号は「教育と男女共同参画」という特集ですので,教育関係のテーマを据えました。具体的には「リケジョ」です。
http://www.jawe2011.jp/welearn-publish/2076
これから第2回,第3回……と,各号の特集に沿ったジェンダー統計を紹介していこうかなと思っています。
本誌は,日本女性学習財団のサイト(上記リンク先)で注文できます。PDFでの購読も可能です。1冊350円(税別)。ジェンダーや男女共同参画に関する有益な情報がぎっしり詰まっています。ぜひ,お読みください。
ちなみに,日本女性学習財団の現理事長は村松泰子先生(東京学芸大学前学長)です。私が学部の頃,「ジェンダーの社会学」という授業で習った先生です。「なんと」と思いましたが,村松先生も,私がかつての教え子であることに驚かれている模様。20年ぶりの師弟?再会という感じでしょうか。
定期的にやることが一つ増えました。がんばろうと思います。