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2020年4月12日日曜日

大学生の存在密度

 前回は,コロナウィルス感染者の存在密度を出しました。単位面積あたりでみて,感染者が何人いるかです。怖いのは感染者との接触ですので,これは面白い観点だと,注目を集めています。データというのは,どう見せるかも大事ですね。

 分子を変えることで,色々な属性の人の存在密度を出すことができます。タイトルにあるような,大学生の存在密度というのはどうでしょう。各県の大学生数を,可住面積で割ってみる。ツイッターで都道府県ランキングを発信したところ,結構見られていますので,ブログにも載せます。

 分子は,2019年5月時点の大学・大学院生数です。県別の数値は大学の所在地によるもので,住所主義ではありません。私が住んでいる神奈川県だと19万675人です(文科省『学校基本調査』)。本県の可住面積は1471㎢。よって,1㎢(1キロ四方)の土地に,大学生が130人いることになります。学生が県内に均等に分布しているわけではないですが,学生の多さの指標とは読めます。

 この数値の県別ランキングは以下のごとし。


 首位の東京では,1キロ四方の土地に大学生が535人います。東京では「石を投げたら大学生に当たる」とは,よく言ったものです。

 大阪,京都,神奈川も3ケタで,2ケタは23件,その他は1ケタとなっています。私の郷里の鹿児島は5人,最下位の秋田は3人です。1ケタの県では,大学生の姿なんて見ないだろうなと思います。これは県全体を均した数値で,鹿児島でいうと,大学がない離島部では,学生の姿なんて目にするはずがありません。

 このデータをみて私は,20年前に出した修士論文を思い出しました。「離島における地域社会と高校生の大学進学観に関する実証的研究」と題するものです。


 私は「鳥の目」スタイルで,マクロな統計ばかりいじっていますが,それだけでは真相に迫れないと,ミクロな質的研究も手掛けたことがあります。鹿児島は大学進学率が低いのですが,県内でもとくにそうである奄美群島。この地域に的を絞った,インテンシィブ・スタディです。

 鹿児島新港から船で1日かけて沖永良部島まで行き,現地の住民や高校生にインタビューをしました。炎天下のなか,島内を原付で走り回り,真っ黒になったのが思い出されます。

 親御さんからは「お金がない」「家業の農業を継がせる気なんで,大学など必要ない」といった声が多く聞かれました。これは予想通りです。しかし生徒からは,「大学って,何をする所か分からない」「島で大学ないし,大学生もいないし…」という話がちらほら聞かれました。なるほど,モデルの欠如で,進路選択に大学が入ってこないのだなと感じました。

 「親や親戚,ないしは地域の人に大学出た人いるだろ」と思われるかもしれませんが,統計をみるとそうでもないようです。今から10年前の『国勢調査』のデータですが,高校生の親年代(40代前半)の大卒者比率を,東京都内と鹿児島県内の区市町村別に出し,高い順に並べると以下のようになります。


 鹿児島の郡部では,住民の大卒者率が低くなっています。私が調査した沖永良部島の和泊町は16.2%,知名町は11.1%です。高校生の親年代の住民で,大学を出た人,大学の雰囲気を肌身で知っている人は1割ほど。

 これでは,「大学って何?」という子どもが多くなるのも解せます。

 対して東京をみると,数値がべらぼうに高くなっています。50%超の自治体が10,40%台が14です。おまけに大学もたくさんあり,大学生を見かけるなどしょっちゅうですから,多くの子が「とりあえず大学へ」となります。学力レベルに関係なくです。

 よく指摘される経済的要因とは違うことが分かったので,鹿児島大の知り合いの先生にこの話をしたところ,興味を持ってくださり,「離島に学生を行かせるか」と言われました。今は,こういう取組をしていると聞きます。島にUターンして,地域の発展に志す意欲のある学生は,学費を減免するなどすれば,なおいいでしょう。

 へき地を多く抱える県の国立大学は,こういうことも考えてほしいと思います。ネットの普及で,全国津々浦々に大学の情報なんて届いている,と思われるかもしれませんが,人間は所詮はアナログ動物です。

 最初の表をみると,秋田県の大学生存在密度は最下位(1キロ四方に3人)。しかし,本県の子どもの学力は首位。地域の環境条件から,才ある子が,進路選択の枠から大学を外してしまっていないか。こういう子が多いとなると,社会にとっても損失です。