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2016年1月31日日曜日

新規不登校児出現率

 今朝の朝日新聞Web版に,「小・中学生の新規不登校者数,およそ6.5万人」という記事が載っていました。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1V4V9YJ1VUTIL02C.html

 2014年度間に,心理的要因により年間30日以上欠席した小・中学生は12万1677人。この中には,前年度からの継続者5万7095人が含まれますが,それを除くと6万4582人。これが,上記の記事でいわれている,小・中学生の新規不登校者数です。2014年度間に,新たに不登校の状態となった児童・生徒の数に相当します。

 文科省の報告書では,「昨年度間の不登校児は**人」といわれることが多いのですが,この中には前年度からの継続者も含まれます。この部分は除外して,当該年度に新たに発生した不登校の数を拾うのがよいかもしれませんね。朝日新聞が,当局の公表数値を独自に加工して出したものだそうです。よい所に目を付けたなと,敬意を表します。

 この新規不登校児数のトレンドは,当局の資料に載っている,継続分込みの数値とはやや違った様相を呈しています。2014年度間の小・中学生の新規不登校児数は6.5万人ほどですが,この数はどう推移してきているのでしょう。

 文科省『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』は,2002年度分よりネット公開されています。この年度からの推移をたどってみました。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/shidou/1267646.htm


 小・中学生の新規不登校児数は,2007年度に6.6万人とピークに達した後,2012年度まで減少しますが,その後再び上昇に転じています。上述のように,2014年度ではおよそ6.5万人。

 しかし,全児童・生徒数で除した出現率は,2014年度が観察期間中でマックスです。0.64%,およそ156人に1人の出現率です。

 まあ,継続分も含めた不登校の全数も最近増えているのですが,新規不登校でみると増加がよりクリアーです。2012年度から14年度にかけて,実数で5.8万人から6.5万人,出現率で0.56%から0.64%に増えていると。近年の子どもの脱学校兆候が,よりはっきりと可視化されます。

 次に,学年別の変化もみてみましょう。新規不登校児数は,学年別に計算することもできます。それを各学年の児童・生徒の全数で除せば,出現率も出せます。上表の両端の2002年度と2014年度を比べてみましょう。


 ピークは,中学校2年生となっています。継続分を含めた不登校児の全数では,中3がピークなのですが,新規に限定すると中2です。暴力行為のピークもこの学年ですが,反抗期の盛りの難しい年頃。心の中の葛藤が外向的な暴力となって表出することもあれば,学校生活への不適応となることもあると。

 以前との変化をみると,どの学年も,新規不登校児出現率がアップしています。上昇幅が相対的に大きいのは,中1と中2です。グラフにすると,分かりやすいでしょう(下図)。


 小6から中1にかけて激増していますが,これは不登校だけではありません。いじめや暴力行為など,他の問題行動もそうです。小学校から中学校に上がることに伴う,問題行動の激増現象を「中1ギャップ」といいます。

 小学校と中学校はいろいろな面で違いますが,思春期の不安定な心理状態も相まって,この落差に対する戸惑いや不適応が生じると解されます。最近では,この「中1ギャップ」が以前にもまして大きくなっているとみられます。

 昨年6月の学校教育法改正により,小中一貫教育を行う義務教育学校が創設されましたが,こうした「中1ギャップ」の解消を図ることを狙っているそうです。制度上の落差は軽減されるでしょうが,同じ集団に長期間属することになるわけで,いじめが深刻化するのではないか,という懸念を私は持っていますが・・・。

 近年,とりわけ2012年度以降,子どもの新規不登校が増加しているのですが,スマホの普及期と重なっているのは偶然でしょうか。

 情報化が進んだ現在では,学校の教室という四角い空間でなくとも,ネット経由で知識はいくらでも享受できます。今の子どもは,学校に行って勉強しないといけないという必然性を感じにくい,学校に行こうというインセンティブが薄れている。ハーシ流にいうと,子どもを学校につなぎ止めるボンドが弱くなっているように思います。

 1970年代初頭,イリイチは名著『脱学校の社会』において,次のような予言をしました。情報化が進んだ社会では,学校の領分は縮小し,それに代わって,人々の自発的な学習網(ラーニング・ウェブ)が台頭するであろう,と。それがいよいよ,現実性を増してきたな,という感じです。

 フリースクールを正規の学校として認めようという議論がされていますが,当局のお偉方も,時代の変化に気づいてきたようです。不登校を問題行動(逸脱行動)として捉える枠組みも,近い将来には修正を余儀なくされることになるでしょう。

 学校の教室で,生徒が一様に教師のほうを向いて学ぶ形式は,わが国でいうと,明治依頼の100年とちょっとの歴史しか持っていません。それを全体で普遍的なものとみなす根拠はどこにもなし。歴史を知っている人ならば,昨今の教育改革の議論を冷静に眺めることができるでしょう。

 イリイチの予言が現実味を帯びてくるのはいつか,不登校への認識の修正が起きるのはいつかを言い当てるには,もう少し時間が必要です。

2016年1月30日土曜日

子どもの孤食率

 共働き世帯や一人親世帯が増えていますが,それに伴う問題として,子どもの孤食がよく指摘されます。字のごとく,一人でご飯を食べることです。私などは年中孤食ですが,人格形成の途上にある子どもにとって,孤食ばかりというのは好ましくありません。

 机の上にワンコインが置かれ,「これで何か買って食べなさい」では,菓子パンやファーストフードなどに依存しがちになり,栄養も偏ることになります。子どもの肥満と貧困は関連しているのですが,こういう事情もあるのかもしれません。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7243

 そこで最近では,各地で「子ども食堂」の実践がなされています。一人でご飯を食べざるを得ない子どもを集めて,みんなで楽しく食べる。栄養バランスを考えた,手作りの料理が出されます。今後,ますます増えてくる地域密着人口(退職高齢者など)の力も借りて,こうした実践が広まってほしいものです。
http://matome.naver.jp/odai/2145403240516519101

 さて,孤食をする子どもはどれくらいいるのでしょう。実践の方途を考える前に,まず実態を把握することが望ましいのですが,こういうデータはあまり見かけません。私は,総務省『社会生活基本調査』(2011年)のデータを加工して,率を試算してみました。それをご覧に入れようと思います。

 上記調査では,15分刻みの時間帯別の行動を調査しています。また,当該の行動を誰とやったかも記録してもらっています。私は,「食事」をした者の率と,「一人で食事」をした者の率に注目しました。

 小学生(10歳以上)でいうと,平日の朝7:00~7:15の時間帯に食事をした者は38.28%,一人で食事をした者は1.82%となっています。よって,この時間帯の孤食率は後者を前者で除して,4.75%と算出されます。小学生の朝食の孤食率は,こんなものでしょうか。

 もう少し,観察対象の時間帯を広げましょう。朝食は6:30~7:30,昼食は12:15~13:15,夕食は18:30~19:30の各1時間をみてみます。

 下表は,平日の小学生について,朝・昼・夕の時間帯別の欠食率を出したものです。下記サイトの表13より数値を採取してつくりました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001040661&cycode=0


 孤食率は,朝が最も高いのですね。親が帰ってこない夕食かと思いきや,そうではありませんでした。朝も,親が早く出てしまうのでしょうか。それとも,朝は家族みんなバタバタしていて,一緒に食卓を囲んでいないとか。

 昼は給食がありますので,孤食率は低くなっています。でも給食を実施していない学校もありますので,そういう学校では昼の孤食もあり得るでしょう。夕の孤食は,朝ほどではありませんが,ちょっと多くなります。

 4つの時間帯の孤食率の平均を出すと,朝が5.3%,昼が0.9%,夜が1.6%です。これをもって,平日の小学生の欠食率とみなしましょう。

 これは小学生のデータですが,他の学校段階の数値も出してみました。下図は,同じやり方で計算した,3食の孤食率をグラフにしたものです。


 発達段階を上がるほど,孤食率は高くなります。大学生では朝・夕の孤食率が2割を超えてますが,一人暮らしが多くなるので,そうなるでしょう。高校生の朝の孤食率は12.3%。電車の中でカロリーメイトをぱくついている生徒を見かけますが,これもその中に含まれるでしょう。

 夕食の欠食率は,小学生で1.6%,中学生で3.7%です。これを,2015年5月時点の全児童・生徒数に乗じると,夕飯を一人で食べる小学生は10.5万人,中学生は12.8万人,合わせて23.3万人と見積もられます。私が住んでいる多摩市の人口より多し。「子ども食堂」の類の救いを求めている子どもは,全国にかなりいると思われます。

 これは全国の試算値ですが,気になるのは地域差。おそらく,核家族の共働き世帯や一人親世帯が多い都市部では,この値は高いことでしょう。文科省の『全国学力・学習状況調査』の質問紙調査にて,孤食の状況も尋ねてほしいものです。東京のような大都市では,市区別のデータもほしい。こういう情報があることで,限りある資源をどこに注入すべきかも見えてくるでしょう。

2016年1月27日水曜日

学校の職員数

 日本の学校のセンセイは忙しいのですが,その業務の多くは,授業以外の雑務です。それを担ってくれるスタッフが学校にいない,というのも大きいと思います。

 学校には,教員と子どものほかに,職員がいます。文科省の『学校基本調査』では,本務教員数に加えて,本務職員数の計上されています。内訳は,事務員,学校栄養職員,図書館事務員,給食調理員,用務員,警備員,といったものです。

 これらのスタッフの多寡も,教員の多忙度に影響するのではないでしょうか。

 私は,本務教員100人あたりの本務職員数という指標を計算してみました。2015年度の統計をひくと,公立小学校の本務教員は410,397人,本務事務職員は69,423人です。よって,前者100人あたりの後者の数は16.9人となります。公立中学校は12.0人,公立高校は19.3人です。

 法規定によると,高校には事務職員を必ず置かねばならない,とされていますから,高校では相対的に多いですね。

 はて,この値は過去からどう推移してきているのか。『学校基本調査』のバックナンバー(下記サイトの学校種別総括表2~4)から分母と分子を採取し,時系列グラフをつくってみました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843&cycode=0


 数が多い小学校に注目すると,60年代までは増え続けますが,70年代以降は低下の傾向です。今世紀になってからは,右下がりの傾斜がきつくなっています。中学校と高校も,減少の傾向は同じです。

 むうう。本日公開のプレジデントオンライン記事で,教員の病気離職率について書いているのですが,この指標は今世紀になってから急上昇しています。教員あたりの職員数の低下と,教員の病気離職率の上昇が同時に生じているのですが,これは偶然でしょうか。
http://president.jp/articles/-/17154

 21世紀の初頭は,いろいろな改革が矢継ぎ早に実施され,現場は翻弄されています。それでいて,雑務をサポートしてくれる職員(事務員など)は減っていると。教員が疲弊するのも,分かる気がします。

 次に,地域比較をしてみましょう。上記の指標は,都道府県によって値が違っています。量的に多い公立小学校について,本務教員100人あたりの本務職員数を県別に計算してみました。下図は,最新の2015年度のマップです。


 全国値は16.9人ですが,最高の34.2人から最低の8.9人までのレインヂがあります。およそ4倍の開きです。首都圏は軒並み白くなっています。

 秋田や福井は色が濃くなっていますが,これら2県は,子どもの学力上位常連県です。教員が雑務から解放され,授業に集中できる,というようなことがあるのでしょうか。

 上記の指標は,『全国学力・学習状況調査』(2015年度)の公立小学校6年生の平均正答率と,少し相関しています。国語Aとは+0.300,国語Bとは+0.356,算数Aとは+0.361,算数Bとは+0.163,理科とは+0.280,という相関です。

 国語Bと算数Aの平均正答率とは,5%水準で有意なプラスの相関です。学力の規定要因分析には,こういう人的サポート資源の指標も取り入れるべきかなと思います。

 昨日,「チーム学校」の導入方針についてまとめた中教審答申が出ましたが,これが導入されれば,教員あたりの職員数はうんと上がるでしょうね。

 2014年12月23日の記事でも書きましたが,日本の学校は,補助スタッフの不足感をとても強くしています。こうした状況を是正し,教員が授業という領域で己の専門性を発揮できるようにすることは,重要なことです。

 今知ったのですが,OECDの国際教員調査(TALIS 2013)にて,今回出した,教員あたりの職員数の国際比較をできるようです。国内の時系列比較・地域比較に続き,国際比較も手掛けてみようと思います。

2016年1月24日日曜日

新規採用教員の社会人比率の変化

 1月19日のニューズウィーク記事にて,中学校教員の社会人経験の国際比較をしました。OECDの国際教員調査(TALIS 2013)のローデータから作ったデータですが,こういう統計は珍しいからか,見てくださる方が多いようです。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/post-4389.php

 分かったのは,日本の教員の社会人経験(教育職以外の職の経験)が,国際的にみて少ないことです。その逆がアメリカ。この大国では,中学校教員の3人に1人が社会人経験10年超で,教員経験より社会人経験のほうが長い者も,同じくらいいます。

 アメリカでは職業移動の機会が開かれていますが,こういうお国柄が出ていますね。確かに,この国の教員に前職を尋ねると,「コック」とか「運転手」とかいう答えがポンポン返ってくるといいます。学校が実社会の縮図に近いようです。生徒に対する進路指導も,さぞリアリティのあるものでしょう。

 対して日本では,社会人経験ゼロの教員が8割。平均経験年数はわずか0.8年(アメリカは8.0年)。デューイ流にいうと,学校が「陸の孤島」になっているような事態です。

 これは国際比較の知見ですが,今度は時代比較によって,日本の「今」を性格づけてみましょう。公立学校の新規採用教員に占める,社会人経験者比率の推移をたどってみます。

 文科省の『学校教員統計調査』では,調査年の前年度間の新規採用教員数を集計し,採用前の状況とのクロスもとっています。最新の2013年調査によると,前年の2012年度の公立小学校新規採用教員(本務教員)は17223人で,そのうち採用前の状況が「民間企業」というカテゴリーの者は275人となっています。よって,社会人比率は後者を前者で除して,1.60%となります。中学校は2.23%,高等学校は3.52%です。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kyouin/1268573.htm

 少ないのは予想通りですが,この値は時系列的にみてどう変わっているのか。上記資料のバックナンバーに当たって分子・分母の数値を採取し,70年代半ば以降の推移を整理してみました。今は,文科省統計のバックナンバーは軒並みネット公開されていますので,とても便利。いちいち図書館に出向き,あの分厚い冊子をくくる必要はありません。

 結果は,下表にまとめました。本調査は3年おきの実施ですので,3年間隔の統計になっています。1979年度は,公開されているPDFの数値が判別不能でしたので,ペンディングにしています。


 最下段の社会人比率をみると,2012年度は校種を問わず,観察期間中で最低となっています。小・中のピークは2006年度,高校は2003年度であることから,ここ数年の減少が著しいことが知られます。

 上表は,本務教員としての採用者のデータです。教員の非正規化が進んでいますが,民間経験者を本務教員ではなく,非正規(臨時)で雇う動きが強まっているのでしょうか。詳しい事情は分かりかねますが,「おや」という傾向です。

 近年,生徒の職場体験学習やインターシップを推奨したり,保護者や地域住民の意向を学校運営に取り入れる実践(学校運営協議会)がされたりしていますが,教員集団と外部社会の敷居は高くなっている,ということでしょうか。

 まあ,大阪市の民間人校長の不祥事続発などもあり,やみくもな社会人登用には慎重論も出るでしょう。ニューズウィーク記事の最後に書きましたが,日本のデータで,社会人経験ありの教員とそうでない教員を比較すると,職業満足度や職務上の有能感は前者のほうが高くなっています(有意差はなし)。

 進路指導などでは,両群のパフォーマンスの差はもっと大きいと思われます。こういう比較研究は,寡聞にして存じません。こういうデータも,学校に外の風を入れるのを支持する,エビデンスとなるでしょう。今後の重要な課題だと思います。

2016年1月22日金曜日

恋人なし率の正規・非正規差

 昨日の東洋経済オンラインにて,「正規・非正規で「恋人の有無」に大きな差」という記事が出て,話題になっています。20代男性の正規の恋人なし率は25.5%であるのに対し,非正規では38.5%であるとのこと。
http://toyokeizai.net/articles/-/101481?page=2

 データの出所は「2011年内閣府調査」としか書いていませんが(名称を書いてください),信頼のおける公的調査のデータなのでしょう。

 私は,内閣府『わが国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年)のデータを使って,同じデータをつくってみました。ローデータ(個票データ)が手元にありますので,こういうオリジナル集計も自由自在にできます。
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/thinking/h25/pdf_index.html

 20代男女(学校卒業者)のサンプルを正規職員と非正規職員に分け,婚姻状況の設問(F3)とのクロスをとってみました。下表は,何の加工もしていない実数表です。


 これをモザイク図で表現すると,下図のようになります。横幅を使って,正規・非正規の比重も表しています。


 なるほど,男性では非正規のほうが「恋人なし」率が高くなっています。正規では50.4%なのに対し,非正規では81.1%です。両群の分布の差は,1%水準で有意と判断されます。

 上記の東洋経済記事では,非正規の男性は「どうせ自分なんて」という劣等感が強く,女性に声をかけられない,と書いてありましたが,さもありなん。わが国では,正規と非正規の間に「身分格差」とでも形容できる格差があり,後者の不遇は際立っています。それが長く続くと,劣等感を受け付けられ,人格も荒んでくるというものでしょう。

 しかし女性では,関連が反対になっています。有意差ではありませんが,正社員のほうが「恋人なし」率が高いのです。一人でやっていけるから,恋人なんぞいらぬ,ということでしょうか。非正規の「恋人なし」率が低いのは,結婚している(恋人がいる)女性の非正規率が高い,という逆の因果を読むべきでしょうね。

 ところが男性は,さにあらず。非正規だから(経済力がないから)恋人ができない,という因果が強いと思われます。まだまだ日本では,男性が中心となって一家を支えるべし,という観念が強固です。上図のデータから,こうしたジェンダーを見てとることができます。

 上記の内閣府調査はサンプルが少ないのですが,全数推計の『就業構造基本調査』でも,類似のデータを作ることができます。30代後半男女の未婚率が,正規と非正規でどう違うかです。下記サイトの表23のデータから,モザイク図を作ってみました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&tclassID=000001048182&cycleCode=0&requestSender=search


 男性は非正規のほうが未婚率が高く,女性はその逆であると。男性は,少数の非正規に困難が凝縮されているようで,何とも痛々しい・・・。

 男性は,非正規だから未婚という因果方向でしょうが,女性は,既婚だから家計補助の意味合いのパート等が多い,未婚で夫の扶養下にないから正社員が多い,ということでしょう。

 世論調査では「男は仕事,女は家庭」というジェンダー意識は弱まってきていますが,こういう現実が残存していることを思うと,手放しには喜べません。やはり口先の意見ではなく,客観的な行動に着眼すべきであると感じます。

2016年1月20日水曜日

若年男性の性役割意識と無能感の関連

 「男は仕事,女は家庭」。あまりにも広く知られた性役割規範ですが,日本はこれを肯定する度合いアが高い社会です。しかし,近年のジェンダーフリー教育(啓発)の効果もあってか,昔に比したら,こうした偏狭なジェンダー観を肯定する者は少なくなってきています。

 ただ,これを否定するオトコに向けられる,世間の眼差しというのは,どういうものでしょう。「軟弱」とか「ヒモ」とか,心ない言葉が浴びせられるかもしれません。

 男性は「バリバリ仕事をする」以外の選択肢をなかなか持てない。「バリバリ仕事をしたい」と思わない男性は,自己肯定意識が低い,鬱屈感が強い・・・。本田教授は,こうした傾向を指摘されていますが,そういう面もあろうかと思います。

 私などは,「バリバリ働こう」なんて決して思いませんが,郷里(鹿児島)の親戚の集まりで,そのような腹の底の思いを打ち明ける度胸はありません。「40の働き盛りのオトコが何たることか」とどやされること必至です。そういう体験を繰り返せば,自己肯定感は低くなるでしょう。

 はて,現実はどうなのか。内閣府『わが国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年)では,「男は仕事,女は家庭」という項目に対する賛否を尋ねています(賛成,反対,分からない,の3択)。これに対する回答と,「自分は役立たずだ」という無能感のクロスをとったら,どういう結果になるでしょうか。

 私は,本調査のローデータをもとに,20代の男性サンプルを取り出して,この分析をやってみました。下表は,日本とスウェーデンのクロス結果です。


 北欧のスウェーデンでは,性役割規範に賛成する人は少ないですねえ。303人中25人,たった8.3%です。対して日本では,36.9%が賛意を表しています(76/206)。

 さて関心は,賛成群と反対群で,「自分は役に立たない人間だ」に対する肯定度がどう違うかです。「そう思う」と「どちらかといえば,そう思う」(アミかけ)の比率をとってみましょう。

 例のモザイク図で結果を表現します。ヨコの幅を使って,性役割規範への賛成群と反対群の量も表しています。


 日本では,「男は仕事,女は家庭」に反対の者のほうが,無能感が高くなっています。対してスウェーデンは,その逆です。

 日本は,両群の差は有意ではありませんが,性役割規範に反対のオトコのほうが無能感が高いというのは,欧米には見られない特徴です。上記の内閣府調査の対象は,日本,韓国,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランス,スウェーデンですが,こうした傾向が出るのは,日本と韓国だけです。他の欧米5か国では,反対群より賛成群の無能感が有意に高くなっています。

 この結果から予想されることですが,自己満足感は,日本では性役割反対群のほうが低くなっています。欧米5か国は,その逆です。

 前々回の記事で,夫の家事分担度が高い女性の家庭生活満足度は必ずしも高いわけではない,ということを示唆しました。「家事は女性がするもの」という観念にとらわれて,後ろめたさのようなものを感じるからです。夫の家事分担をやたらと奨励するだけでは,場合によっては,女性を追いつめることにもなる。

 若年男性の性役割意識と無能感の関連についても,周囲の文脈の影響があるのでしょう。性役割規範は古臭い,望ましくないと教え込むだけではダメ。教育は真空の中で行われるのではなく,社会的な文脈の中で行われるもの。

 性役割意識と無能感の関連の仕方に社会差が出るのは,こういうことの表われかと思います。

2016年1月19日火曜日

統計アート

 アートを一枚掲げておきます。2010年の『国勢調査』のデータをもとにつくった,年齢別の女性の配偶関係構成図です。細かい1歳刻みの図ですので,滑らかな変化が見て取れます。

 下記サイトの表5-1から簡単に作れます。該当のデータをエクセルにコピペして,面グラフにするだけです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001034991&cycode=0


 戦後初期の頃,名曲ならぬ名画喫茶が繁盛したそうですが,上記のような統計図を貼りたくった茶店(統計喫茶)を開いたら,もうかるでしょうか。私なら,毎日通い詰めますが。

 今日は,杏林大学教職課程・教育社会学の試験です。受講生の皆さん,電卓を忘れぬよう(スマホは不可)。来年度,新キャンパスで私の顔なんか見たくないかと思います。がんばって,単位をとってください。

2016年1月17日日曜日

働く女性の家庭満足度の国際比較

 家庭は憩い・団欒の場ですが,最近はそうではなく,緊張や葛藤の場になりつつあります。虐待やDVといった,よくいわれる家族病理現象を想起すれば分かりやすいでしょう。

 これは極端ですが,働く女性にすれば,家庭を癒しの場とみなせない人も少なくないのでは。仕事で疲れて帰っても,家事をしないといけない,夫や子どもの世話をしないといけない・・・。家庭はゆっくりできる場ではなく,まだ職場のほうがマシという人もおられるでしょう。

 2012年に国際社会調査プログラム(ISSP)が実施した「家族と性役割の変化に関する調査」では,家庭生活の満足度を尋ねています。①「完全に満足」,②「とても満足」,③「まあ満足」,④「どちらでもない」,⑤「やや不満」,⑥「とても不満」,⑦「完全に不満」,の7段階で答えてもらう形式です。
http://www.issp.org/index.php

 こういう細かい訊き方をしている場合は,一部の選択比率を拾うのではなく,分布全体を考慮した尺度を出すのが望ましいと考えます。そこで①に7点,②に6点,③に5点,④に4点,⑤に3点,⑥に2点,⑦に1点を与えた場合の平均点を出してみます。

 私は,25~54歳の有配偶・有業女性の回答分布を国別に出し,上記の平均点を出してみました。働く女性の家庭生活満足度スコアです。下図は,37か国を高い順に並べたランキングです。


 最下位はインド,次いで低いのは韓国,日本は平均5.04点で3番目に低くなっています。いずれも女性が虐げられる度合いが高い社会のように感じますが,どうでしょうか。

 1位と2位は南米の2国,大国のアメリカは4位となっています。

 予想通りといいますか,日本の働く女性の家庭生活満足度が低いことが分かったのですが,興味が持たれるのは,夫の家事分担の度合いに応じて,これがどう違うかです。冒頭に記したように,働く女性の家庭生活不満の源泉は,仕事で疲れているというのに,家事や育児等の負担を上乗せされることでしょう。だとすれば,夫が家事分担をしてくれる女性のほうが,そうでない者よりも家庭生活満足度は高くなるとみられます。

 この点を吟味してみましょう。同じ調査では,パートナーとの家事分担状況についても尋ねています。自分のほうがやっているという女性は「夫家事分担低群」,同じくらいないしは夫のほうがやっている女性は「夫家事分担高群」としましょう。日本の25~54歳の有配偶・有業女性でいうと,これに該当するのは順に100人,44人です。

 この2群について,家庭満足度の設問の回答分布をグラフにすると,下図のようになります。


 やはり,夫が家事をする女性のほうが,家庭生活の満足度は高いようですね。ただサンプルが少ないため,分布の差は統計的に有意ではありません。あくまで傾向とお知りおきください。

 ところで今朝,ある方のツイートに教えられたのですが,夫が家事をすることを「してもらう(申し訳ない)」と捉える女性もいるようですね。だから,夫の家事分担度が高くても,後ろめたさのようなものを感じ,家庭生活満足度は高まらないと。こういう事情もミックスされて,上図のクロス結果に有意差が出ないのかもしれません。
https://twitter.com/fufumim/status/688555589069242369


 三世代同居などしていたら,夫に家事をさせる妻はいびられるなんてこともあるでしょう。夫の家事分担をただ促せばよいという話ではなく,「本来,家事は女性がすべし」という社会的呪縛を解消しなければならない。でないと,働く女性を追いつめることにもなる。

 上記のツイートから,こういう見方があることを教えていただきました。ツイッターはいろいろな意見を拝受できるので,ありがたく思っております。

2016年1月13日水曜日

首都圏の遠距離通勤率マップ

 満員電車のストレスは「戦場以上」という研究結果が出て,話題になっています。毎朝ぎゅうぎゅうの満員電車で通勤する日本の企業戦士は,まさにソルジャーなわけです。

 片道1時間半や2時間を超えるとなれば,そのストレスは尋常ではありません。生産性にも大きく影響していることでしょう。

 私は東京都多摩市に住んでいますが,この市から都心に通勤している方は多いと思います。私も,授業期間中は武蔵野大学有明キャンパス(江東区)に出講しますから,そのうちの一人です。片道1時間半ほど,乗り継ぎが悪いと2時間以上かかります。

 授業は5限ですので,帰りはもろにラッシュです。大崎から新宿までの埼京線の混み具合といったら,もう殺人的。週1日だけならまだしも,これを週5日もとなったら,とてもじゃないですが私には耐えられません。

 しかし首都圏(1都3県)では,長時間の満員電車通勤を余儀なくされる人が少なくありません。私が住んでいる多摩市のような近郊地域は,なおのこと。はて,それをデータで可視化するとどうなるか。

 2013年の総務省『住宅土地統計調査』によると,主たる家計支持者が雇用労働者である普通世帯数は,多摩市では25560世帯。そのうち,主たる家計支持者の片道の通勤時間が90分(1時間半)を超える世帯は2690世帯です。割合にすると,10.5%となります。ひとまず片道90分を遠距離通勤のラインとすると,多摩市では,雇用者(世帯主)の10人に1人が遠距離通勤をしていると。

 一方,都心の中央区ではこの比率はたった1.2%です。当たり前ですよね。この遠距離通勤率の地図を描くと,「やはり」という模様になります。下図は,首都圏214市区町村の遠距離通勤率マップです。


 小学校の社会科で習った「ドーナツ現象」を思わせます。遠距離通勤は中心部で少なく,それを円状に囲む郊外地域で多いと。いやあ,統計とは実に正直です。

 濃い色は遠距離通勤率10%超の地域ですが,20%(5分の1)を超える地域もあります。マックスは神奈川県葉山町で,90分以上の遠距離通勤率は28.0%と,3割近くにもなります。三浦半島のつけ根のあそこです。

 自分の地域は何%ほどかという関心もあるかと思いますので,214市区町村の値の一覧をお見せしましょう。下の表は,値が高い順に並べたランキング表です。


 赤字は15%を超える地域です。長時間通勤に疲れきっている労働者が相対的に多い地域です。神奈川(とくに三浦半島)の市町が多くなっています。埼玉の小川町もランクイン。東武東上線で池袋まで出て,そこから地下鉄などで都心に向かうとしたら,ゆうに90分は超えるでしょうね。そして帰りも90分以上かけて帰路につくと。

 遠距離通勤が多い地域は,労働者は自地域にはただ寝に帰るだけ。よって地域への関心も薄くなり,地域連帯も乏しくなる。昔読んだ犯罪学の本にこんなことが書いてありましたが,そういう面もあるでしょうか・・・。

 オフィスは中心部に集中していますが,労働者は住宅費の安い郊外に居を構える。長時間の満員電車通勤が多くなるのは道理です。師匠のご子息は,満員電車に乗るのを嫌い,都心とは逆方向にオフィスがある会社を志望し,そこに就職されたと聞きます。私もそうするでしょうね。

 ネットが発達するにつれ,オフィスに出勤する必要はなくなり,在宅の勤務形態やオフィスの郊外移転も増えてはくるでしょう。報奨金の給付などの形で,それを促すことはできないものか。

 日本の労働者の生産性が低いことは有名ですが,地獄の長時間・満員電車通勤という条件を除くことができれば,それはかなり改善されるのではないか。だとしたら,そのための投資も損とはいえないように感じます。

2016年1月12日火曜日

プレジデント・オンラインで連載スタート

 プレジデント・オンラインにて,連載「データは踊る」がスタートしました。本日,初回の記事「絶望の国 日本は世界一若者自殺者を量産している」が公開されています。


 さまざまな角度から,データで社会を「斬る」論稿を,おおむね2週間に1回ペースで載せていただく予定です。

 これで連載のWeb媒体が3つになりました。日経デュアル,ニューズウィーク日本版,プレジデント・オンラインです。順にND,NW,PR,と略称しようと思います。

 NDは共働き・子育て関連,NWは国際関連と,テーマにやや制限が加わるのですが,PRは「何でもアリ」ということですので,自由奔放にやらせていただこうと思います。これまで溜めたデータを,ガンガン開陳していきます。

 初回は,若者の自殺率について書いてみました。日本は,この20年間で若者の自殺率が主要国トップにのし上がっており,国内でみると若者の自殺率だけが上がっている,という話です。近年の若者の「希望閉塞」が可視化されています。ご覧いただければと存じます。

 次回は,今月下旬公開の予定です。どうぞ,よろしくお願いいたします。

2016年1月10日日曜日

大学受験の50年史

 18歳人口の減少により,受験競争は緩和しているといわれますが,それをデータで可視化してみましょう。

 文科省の『学校基本調査』には,その年の大学入学者数と大学入学志願者数が掲載されています。浪人混みの数値です。ここでいう大学とは,4年制大学であり,短大は含みません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/1267995.htm

 私は1995年春の受験生ですが,この年の大学入学者は56万8576人,大学入学志願者は87万7313人です。前者は,競争を勝ち抜いて大学に入れた合格者です。残念ながら不合格になった人は,後者から前者を引いて30万8737人と見積もられます。入学志願者に占める比率は35.2%です。これは不合格率に相当します。

 へえ,志願者の3人に1人が辛苦を舐めていたのだなあ。私の世代(76年生まれ)はポスト団塊ジュニア世代で競争相手が多く,苦労した覚えはあります。

 しかし,私よりもちょっと上の団塊世代は,もっと大変だったことでしょう。逆に,最近の世代は不合格率はかなり低下しているとみられます。時代変化をたどってみましょう。

 私は『学校基本調査』のバックナンバーに当たって,1965年から2015年までの50年間の数値を採取しました。上記リンク先をみれば分かりますが,現在では本資料のバックナンバーが軒並みネット公開されています。図書館に行って,あの分厚い冊子をくくる必要はないわけです。便利になったものです。

 下の表は,合格者,不合格者,不合格率の推移をまとめたものです。合格者とは大学入学者,不合格者は入学志願者から入学者を差し引いた数を意味します。繰り返しますが,浪人混みの数値です。


 不合格率が競争の激しさの尺度になりますが,時期によってずいぶん違います。赤字は不合格率4割超ですが,60年代末と80年代末~90年代初頭が激戦の時代だったようです。

 言わずもがな,団塊世代と団塊ジュニア世代が受験期(18歳)に達した頃です。黄色マークをつけた67年は48年生まれ,90年は71年生まれ世代が現役で受験した年。90年では,志願者の44.5%が不合格になっていたとみられます。スゴイですねえ。

 この世代が激しい競争にさらされたことは,先日のニューズウィークの世代論の記事でも書きました。それが数値で示されています。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/post-4324.php

 さて,大学入試の不合格率は90年代以降は低下の一途をたどり,2008年には1割を切り,2015年春は6.7%にまで下がっています。逆にいうと合格率93.3%,大学全入時代の到来,さもありなんですね。

 表の数値では変化を捉えにくいので,グラフにしておきましょう。大学受験の50年史のグラフをご覧ください。


 競争のピークだったのは,67年と90年。団塊とそのジュニアの世代が受験にトライした年です。私が受験した年(95年)も35%超ですから,結構大変だったのだな。自分の世代の位置がわかりました。

 わが国は受験競争の激しい社会ですが,子ども期に経験した競争のレベルは,世代によって大きく違います。こういう違いによって,人間形成にどういう差異が出てくるかは,興味ある課題です。非行の世代統計に注目すると,競争が激しかった団塊と団塊ジュニア世代は,非行を多くやらかした世代でもあります。前者は非行第1ピーク,後者は第2ピークの主な担い手でした。競争に敗れたことによる,地位剥奪感なども大きいでしょう。

 今後も緑色の不合格率は低下を続け,0%に近い水準にまで落ちるのか。2018年から18歳人口が急減する「2018年問題」に大学関係者は慄いていますが,18歳人口ベースの大学進学率50%が維持されたままなら,2025年ころには,少なからぬ大学が倒産するとみられます。現在のパイをキープするには,大学進学率が55%,60%にならないといけませんが,これ以上伸びるのかどうか・・・。

 大学側が自らの維持存続のために,大学進学率の上昇を煽るようなことはすべきではないでしょう。18歳時に大学への進学が社会的に強制されるような社会は,健全とはいえますまい。顧客にすべきは,青少年ではなく大人です。まもなく人口が「子ども1:大人9」の社会になりますが,少なくなった子どもを奪い合うというのは,いかにも見苦しい。青年期の教育機関から,大人の学びのセンターとしての存在に自己を変革できるか。

 社会の人口動態は大学に対し,未来形のすがたに変身することを強く求めています。

2016年1月8日金曜日

労働者の過不足DI

 人手不足が叫ばれるようになって久しいですが,その程度を可視的に測る指標があります。タイトルに記した,労働者過不足DIというものです。

 労働者が不足の事業所割合から,過剰の事業所割合を差し引いて出されます。厚労省が3か月おきに実施している『労働経済動向調査』では,常用労働者30人以上の民間事業所に対し,労働者の過不足状況を尋ね,このDI指数も算出されています。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/43-1.html

 最新の2015年11月調査によると,常用労働者が不足していると答えた事業所は41%,過剰と答えた事業所は3%です。よって過不足DIは,前者から後者を引いて38ポイントとなります。近年の人手不足の状況が「見える化」されますねえ。

 時系列推移をたどると,近年の特徴がはっきりします。下図は,1999年2月から2015年11月までのDI指数の推移をグラフにしたものです。


 1999年はどの月もマイナスになっていますが,これは,労働者が不足の事業所よりも過剰の事業所が多いこと,つまり「人余り」の状況を意味します。

 97年に山一証券が倒産,翌年に経済状況が急激に悪化し(98年問題),自殺者が年間3万人を突破。その余波があった頃です。私は99年に大学を卒業しましたが,当時の状況の厳しさは肌身をもって知っています。われわれの世代が,ついてない「ロスジェネ」といわれる所以です。

 その後は団塊世代の定年退職もあり,DIはプラスに転じます。2009年に再びマイナスになっていますが,これは前年のリーマンショックの影響でしょう。

 しかしその後は,人手不足の企業が増える一方で,2015年11月の過不足DIは過去最高の38ポイントに達しています。団塊世代の退職はもっと前でしたが,震災復興やオリンピックに伴う建設需要,高齢化による介護需要などが高まっているためです。

 次に,2015年11月の過不足DIを産業別にみてみましょう。人手不足が激しいのは,どの産業か。言わずとも知れたことですが,データを出してみましょう。常用労働者という括りは広すぎるので,正社員とパート労働者に分けてみます。

 横軸に正社員,縦軸にパート労働者の過不足DIをとった座標上に,14の産業を配置すると,下図のようになります。点線は,全産業のDI値を意味します。


 右下にあるのは,正社員の不足が著しい産業です。医療・福祉や建設は,このゾーンにあります。人は欲しいが,相応のスキルのある人でないと困る。建設業なら,クレーンを動かせる人が欲しいと。「求める人がこない」タイプです。

 左上は,パート労働者の不足にあえいでいる産業。飲食や小売業(コンビニなど)は,このタイプです。資格やスキルがなくてもこなせるが,「人がこない」タイプ。最近,こうした産業のパートには,外国人が増えてきています。2015年の『国勢調査』から分かる,就業者の外国人比率はどうなっているか,見ものです。

 運輸・郵便業は,正社員とパートの双方の不足が著しいと。トラックやバス運転手の不足は,よく指摘されるところです。

 正社員とパートの過不足DIを全産業でみると,今年以降は,前者のほうが高くなっています。人手不足は,ただ人が来ないというのではないく。即戦力となる人を採れない問題であると。それだけに,教育の職業的レリバンス強化の必要を感じます。高校段階における,工業科や福祉科の拡充など。これらの学科の正社員就職率が高いのは,昨年の12月27日の記事でみました。

 といっても,時代の要請に即応する知識やスキルほど,状況の変化に弱い面もあります。産業界から歓迎される即戦力と同時に,汎用性の高い一般知識・スキルも身に付けさせる。それと,生涯にわたって学び続けるという構えも。この按配をどうとるか。普通教育と専門教育が同居する,中等教育の一番難しいところです。

2016年1月4日月曜日

高齢男性の家事分担率と熟年離婚率の相関

 内閣府は,「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」を5年間隔で実施しています。高齢化が進んだ日本にとって,重要性を増している調査です。現在,2015年度の第8回が実施中です。

 はて,どういうデータが公表されているのかと,2010年度の第7回調査のページをのぞいてみると,興味深い集計表が結構あります。私が興味を持ったのは,対象の高齢者(60歳以上)に対し,家庭内で担っている役割を訊いた設問です。
http://www8.cao.go.jp/kourei/ishiki/h22/kiso/zentai/index.html

 いくつかの項目を提示し,それを担っているかどうかを尋ねています。同居者のいる高齢者のうち,家事を担っている者の割合を,国ごとに比べると下図のようになります。


 日本の高齢男性の家事実施率が,極端に低くなっています。たったの14.0%です。一方,女性は83.5%。これでは,熟年離婚も起きるだろうなと思います。「定年退職して,家事もしない夫が毎日家にいると思うと気が遠くなる。離婚したい・・・」。こんな投書を新聞で読んだことがありますが,さもありなんです。

 私は,定年退職した無職男性の家事分担率と,熟年離婚率の相関関係を知りたくなりました。都道府県単位の統計を使って検討してみましたので,今回は,その結果をご報告します。

 まずは,無職の高齢男性の家事分担率を県別に出してみましょう。2011年の『社会生活基本調査』から,無職の65歳以上男女の平均家事時間(平日1日あたり)を知ることができます。男性の値を男女計の値で除せば,夫の家事分担率の近似値になるでしょう。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm

 下の表は,都道府県別の一覧表です。黄色は最高値,青色は最低値です。上位5位の分担率は赤色にしました。


 夫分担率の全国値は22.5%,およそ5分の1ですが,県別にみると値がバラついていますね。最高は長野の37.8%,最低は大阪の13.9%です。この両端では,20ポイント以上の開きがあります。

 ここでの関心は,各県の高齢夫の家事分担率が,熟年離婚率とどう相関しているかです。次に,後者を県別に計算してみましょう。私は,2012年中に離婚を届け出た60歳以上の妻の数を,同年10月時点の同年齢の有配偶女性数で除した値を計算しました。前者の出所は厚労省『人口動態統計』(2012年),後者は総務省『就業構造基本調査』(2012年)です。

 東京でいうと,分子は1626人,分母は109万7700人です。よって,2012年の60歳以上女性の離婚率は,ベース1万人あたり14.8と算出されます。これを熟年離婚率といたしましょう。

 この意味での熟年離婚率を県別に計算し,上表の無職高齢男性の家事分担率との相関をとってみました。横軸に後者,縦軸に前者をとった座標上に,47都道府県をプロットすると下図のようになります。


 無職高齢男性の家事分担率が低い県ほど,熟年離婚率が高い傾向にあります。相関係数は-0.5012であり,1%水準で有意です。

 大阪や沖縄の熟年離婚率が高いのは,高齢者の生活が苦しいとか,所得格差が大きいとか,他にも要因がありそうですが,47都道府県の総体でみて,定年後の夫の家事分担度と熟年離婚率の有意な相関がみられたのは,注目に値するかと思います。

 熟年離婚が悪いなどとは言いませんが,妻に去られた夫は,苦悩に満ちた生活を送ることになるかもしれません。家事など一切できないのですから。前に日経デュアルの記事で検討したところによると,時系列統計でみて,男性の離婚率と自殺率はプラスの相関関係にありますが,女性はその逆なのです。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=4666

 今後,こういう高齢期の悲劇が増えてくるかもしれません。退職高齢者がますます多くなるのですから。妻をして,「定年退職して,家事もしない夫が毎日家にいると思うと気が遠くなる。離婚したい・・・」と思わせないためにも,家事をしましょう。今回のデータは,定年を控えた中高年男性にみていただきたいと思います。

2016年1月2日土曜日

三世代同居の国際比較

 年末は,表記のデータ使用許可をめぐってプチ・バトルをしたのですが,今眺めてみると,ブログにも載せるべきかなと思い,公開することとします。
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/12/blog-post_29.html

 子どもがいる30~40代の父母のうち,自分の親と同居している者は何%かです。いわゆる,三世代同居の量を測る指標になるでしょう。

 資料は,2010~14年にかけて,各国の研究者が共同で実施した『世界価値観調査』です。私は,この調査のローデータ(個票データ)を使って,上記の率を国別に計算しました。エクセルのピボットテーブル機能で,「年齢×子どもの有無×国×親との同居状況」の多重クロスをしました。
http://www.worldvaluessurvey.org/wvs.jsp

 手始めに,主要国の数値をみていただきましょう。サンプルサイズについてイメージいただくため,分母と分子も示します。英仏は,この調査の対象とはなっていないようです。


 日本の子持ちの30~40代サンプルは565人ですが,このうち親と同居しているのは135人となっています。比率にすると23.9%,およそ4人に1人です。米独は5%ほど,北欧のスウェーデンに至っては1%もいません。欧米では,成人したら親元を離れるのがフツーですからね。

 比較の対象を増やし,世界全体での日本の位置を明らかにしてみましょう。上記のWVS調査の対象となった59か国について,同じ値を計算し,高い順に並べたランキング表にしてみました。


 子育て年代の親同居率は,アジア諸国で高くなっています。インドが60%でダントツのトップ。人口がべらぼうに多い国ですが,それだけに住宅事情が厳しいのでしょうか。日本は,59か国の中で8位です。

 わが国の三世代同居の量は,世界的にみても多いことがうかがわれます。公的な保育や介護サービスが十分に供給できないので,三世代同居を促し,家族間でそれをまかなってもらおう,という方針が出されています。わが国の,こうした「私」依存体質は相変わらずです。

 三世代同居をしたければすればいいですが,それを強いられるのはまっぴらごめん。この正月に帰省して,その思いを改めて強くしたママさん・パパさんも少なくないと思います。

 日本では,家族に絶対的な信頼が置かれがちですが,最近は負担が限界に達しつつあるのか,家庭が危険な空間となりつつあります。介護殺人や虐待死が頻発していることからも,それがうかがえます。2012年中に認知された殺人事件884件のうち,446件(50.4%)は家族間殺人です(警察庁『犯罪統計書』)。


 家族に信頼を寄せすぎない,「私」依存体質を改める。社会保障政策,教育政策の根底に,こういうテイストが流れる年になってほしいと思います。