ページ

2011年4月30日土曜日

現代の高校非進学

 義務教育は,中学校までです。よって,勉強は好きでない,早く社会に出たい,というのであれば,高校に行く必要はありません。

 昔は,高校に行かない生徒が結構いました。「三丁目の夕日」は1958年(昭和33年)の物語ですが,この年の中卒者に占める高校進学者の比率は54%です(文科省『平成22年・文部科学統計要覧』)。逆にいえば,46%の者は中学校を卒業して,すぐに社会に出ていたことになります。

 ですが,今日では,高校に進学しないという「自由」を行使することには,大きな勇気が要ります。2010年春の高校進学率は96.3%です。よって,高校に進学しない者は,同世代の3.7%しかいないことになります。こうなると,中卒者は,就くことのできる職種が極めて限られる,劣悪な条件で働かされるなど,大きな不利益を被ることになります。

 こういうこともあってか,高校までの教育機会は,公的に保障しようということで,昨年4月より,高校無償化政策が施行されています。公立高校の授業料を無償にし,私立高校生には,授業料の補助を行う,というものです。好きで進学しないというならまだしも,貧困という外的要因により高校に行けない,ということはあってはならないことですので,賛意を表します。

 しかるに,高校非進学と貧困との結びつきを示唆する統計があります。私は,東京都内の49市区について,高校非進学率を計算しました。2005~2009年の公立中学校卒業者のうち,高校に進学しなかった者が占める比率です。私が住んでいる多摩市の場合,この5年間の中卒者は5,019人,高校非進学者は84人ですから,高校非進学率は1.7%となります。

 49市区の高校非進学率を地図化すると,以下のようです。資料源は,東京都教育委員会の『公立学校統計調査(進路状況編)』です。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/toukei/toukei.html


 49市区全体の値は2.7%ですが,地域によってかなり異なります。最も高いのは武蔵村山市の5.7%,最も低いのは文京区の1.5%です。前者は,後者の3倍以上です。4%を超えるのは,足立区,立川市,青梅市,昭島市,福生市,東大和市,および武蔵村山市の7地域となっています。黒色と赤色の高率地域は,都内の東部と西部に固まっていることが明らかです。

 さて,高校非進学率が相対的に高い地域は,どういう地域でしょうか。ここでは,各地域の子どもの貧困の度合いとの関連をみてみようと思います。私は,教育扶助を受けている世帯が,全世帯に占める比率を出しました。教育扶助とは,生活保護の一種で,義務教育学校に通う子どもがいる貧困世帯に対し,学用品や給食費などを支給する制度です。この比率が高いほど,子どもの貧困の度合いが高いと解釈されます。

 2008年の教育扶助世帯率と,先ほど明らかにした5年間の高校非進学率を関連づけると,下図のようになります。


 右上がりの正の相関です。相関係数は0.537であり,1%水準で有意とみなされます。若干の撹乱はありますが,大まかには,教育扶助世帯率が高い地域ほど,高校非進学率が高い,という傾向があります。

 前述のように,2010年4月より高校無償化政策が行われていますが,その政策の効果は,上記のような相関,すなわち,高校非進学と貧困との結びつきが解消されているかどうか,という点において検証できるでしょう。

 高校ないしは大学に進学するしないは,個人の自由です。よって,進学率に地域差があることは,ある意味,当たり前のことです。それが,不平等という名の,治療すべき病理現象であるかどうかは,進学率と貧困指標との結びつきの如何によって判断されます。こうした検証作業を継続することが重要であると思います。

2011年4月29日金曜日

ケータイの利用率

 私は,携帯電話(以下,ケータイ)を持っていません。昨年まで持っていたのですが,あまりに利用頻度が低く,基本料金を払うのがバカバカしくなり,解約してしまいました。

 しかし,ケータイを持っていないことを人に告げると,とても驚かれます。学生さんからは,「先生,よく生きてられますね」と言われ,ドコモショップの店員さんからは,「お客さん,本当にいいんですか。何でしたら,通話だけのお安いサービスもありますよ」と,解約を思いとどまるよう,説得されました。

 いやはや,天然記念物扱いです。しかるに,統計をみると,自分がいかに珍しい存在であるかが分かります。総務省の『平成21年・通信利用動向調査』によると,過去1年の間にケータイを使ったことがあるという,ケータイの利用率は,6歳以上の対象者の74.8%だそうです。2001年の41.9%に比して,かなり伸びています。

 ちなみに年齢別にみると,2009年の30代の利用率は95%です。つまり,私は,残りの5%に含まれていることになります。年齢別の利用率の動向を,例の社会地図形式で俯瞰すると,下図のようになります。
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/statistics05a.html


 当然ですが,若年層ほど利用率が高くなっています。最近の20~40代では,利用率が90%を超えています。もっとも,高齢層でも利用率はかなり高くなっており,2009年の70代では40.2%となっています。2001年の10.6%に比して,著しい伸びです。

 ところで,この便利なツールの使用を強制的に制限されている人たちがいます。学校に通う児童生徒です。2009年1月,文科省は「学校における携帯電話の利用等について」という通知を出し,小・中学校では校内への持ち込みを原則禁止,高等学校では校内での利用を制限,という方針を明らかにしました。生徒が授業中にメールをするなど,教育活動に支障が出ている状況を憂いてのことでしょう。私としては,よいことだと思います。

 しかし,一歩校外に出てみると,電車やバスの中で通話するなど,マナー違反をしている大人の姿を,彼らは至る所で目にすることになります。これでは,上記の政策の効果は半減するというものでしょう。子どものケータイ利用の適正化を実現するには,学校内における強制策と同時に,校外において,大人が範を示す,ということも重要だと思います。学校とは,所詮,子どもの生活の場の一部でしかないのですから。

2011年4月27日水曜日

教採の出題傾向分析③

 2010年度の教員採用試験(2009年夏実施)の受験者数は166,747人だったそうです。そのうち最も多いのは東京都で16,121人です。東京だけで,全体の9.7%を占めています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300242.htm

 今回は,この東京都の教職教養試験において,どういう事項が数多く出題されているのかをご覧に入れようと思います。

 私は,時事通信社『教員養成セミナー』2011年3月号の26~63頁の資料を参考に,以下の表をつくりました。2007~2011年度の5回の試験において,4回以上出題されている事項を掲げたものです。5回(=一貫して出題)は「必出」,4回は「準必出」とみてよいでしょう。


 都の教育施策や教員の服務の問題が一貫して出ていることは,出題傾向分析①・②の記事でも指摘しました。それ以外の必出事項をみると,教員研修や教科書に関する法規定が必ず出ているようです。

 また,教育史の進歩主義教育が欠かさず出題されていることも注目されます。教育の歴史を知っておくことは,現代の教育を正しく理解するための前提条件となりますので,好ましいことだと思います。19世紀末~20世紀初頭の進歩主義教育の実践は,児童中心主義の原点ともいえるものです。今振り返っても教えられるところが大ですので,しっかり復習しておきましょう。

 しかし,上記の表を全体的にみると,教育法規のウェイトが高くなっています。とくに,教員研修に関する法規定が大変よく出題されています。初任者研修,10年経験者研修,指導改善研修といった法定研修のほか,都が独自に実施している研修についても知識を得ておく必要があるでしょう。

 教員研修についてよく問われるのは,団塊世代の大量退職に伴い,大量採用を余儀なくされているという,東京独自の事情からかもしれません。新規採用教員の質の低下を憂い,研修に力を入れよう,という方針なのでしょうか。都教育委員会は,2008年10月に,東京都教員人材育成基本方針を出しています。こういう文書の概要にも目を通しておいたほうがよいでしょう。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/jinji/jinzai.htm

 採用試験受験予定のみなさん,自分が受けようとしている自治体について,上記のような表をつくってみることをお勧めします。自分で手を動かして数字を分析し,何がしかの傾向が明らかになった時の快感はひとしおです。こういう経験をぜひ味わっていただきたく存じます。

2011年4月26日火曜日

現代の選抜

 今,天野郁夫教授の『教育と選抜の社会史』ちくま学芸文庫(2006年)を読んでいます。これは,1982年に第一法規から刊行された『教育と選抜』という書物が文庫化されたものです。ハードカバーの,ややかさばる学術書が,コンパクトな文庫になることはよいことだと思います。

 この本には,戦前期日本における教育選抜に関連する,さまざまな統計データが掲載されています。予想がつくことですが,複線型の教育制度であった当時,高等教育まで進学する者というのは,ごくわずかでした。天野教授によると,明治末期の頃,旧制高等学校に進学する者は,同世代の300人に1人にも満たなかったそうです(237頁)。

 旧制高校とは,帝国大学の予備教育機関のようなものです。よって,上記の数字は,帝国大学進学率に読み替えてもよいでしょう。それが,300人に1人(≒0.3%)にも満たなかったというのです。帝国大学とは,「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的」とする機関でしたが,選びに選び抜かれた人間が行くところだったのですね。

  ところで,現在の東大や京大の選抜度は,かつての帝国大学と比してどうなのでしょう。これらの機関に行く者が同世代人口に占める比率も相当小さいものと思われます。私は,興味本位から,現在の「帝国大学」たる東大・京大の選抜度を調べてみました。

  読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論新社(2010年)によると,2010年の東大・京大の在学生数は27,490人です。これを4で除した数(6,873人)を,この年の東大・京大入学者とみなします。この6,873人は,この年の18歳人口のどれほどを占めるのでしょうか。


 上表によると,この意味での東大・京大入学者は,18歳人口全体の0.6%ほどに相当します。0.6%といったら,だいたい167人に1人です。むーん。かつての帝国大学(旧制高校)の選抜度よりは若干低いようですね。

 ついでに,旧帝大と国立大学についても,同じ値を計算しました。旧帝大の入学者数は,先ほどの東大・京大と同じ便法で出しています。国立大学入学者数は,文科省『学校基本調査』によります。これによると,旧帝大入学者数は同世代人口の1.8%,国立大学入学者は8.3%というところです。大学全体の入学者になると,同世代の51%を占めます。大学進学率が50%超とは,こういうことです。

 上記の表の統計を少し加工すると,この年の18歳人口の組成が明らかになります。下図をご覧ください。


 2010年の18歳人口約121万人のうち,東大・京大に入った者は0.6%,それ以外の旧帝大に入った者は1.2%,その他の国立大学に入った者は6.5%,公私立大学に入った者は42.7%,大学に行かなかった者は49.0%,です。

 高等教育進学段階における,現代の選抜の有様というのは,以上のようなものです。旧帝大生のシェアが1.8%,国立大生のそれが8.3%でしかないことは,私にとって発見でした。大学全入とはいっても,これらの機関の選抜度はまだまだ高いようですね。

 もうしばらくは,受験競争の激しさが続きそうです。 

2011年4月24日日曜日

児童虐待の組成の変化

 最近,児童虐待が社会問題化しています。全国の児童相談所に寄せられた相談件数の統計でみると,1997年では5,352件であったのが,2009年では44,211件と,8倍にも増えています(厚労省『社会福祉行政業務報告』)。

 2000年に児童虐待防止法が制定され,児童虐待が正式に社会問題と認知されたことから,通告活動が活発化した,という側面が大きいことでしょう。しかし,この増加ぶりには,目をみはるものがあります。

 ところで,児童虐待といっても,いくつかのタイプがあります。児童虐待防止法第2条が定めるところによると,①身体的虐待,②性的虐待,③ネグレクト,④心理的虐待,の4タイプだそうです。はて,この4タイプの構成は,以前に比してどう変わってきたのでしょうか。


 上図は,相談件数の内訳の変化を図示したものです。身体的虐待やネグレクトが大きな比重を占めるという,基本的な構造には変わりありません。性的虐待が非常に少ないのは,事の性質上,なかなか発覚しにくいためであると思われます。

 さて,1997年から2009年にかけての目立った変化というのは,心理的虐待のウェイトが高まっていることです。8.6%から23.3%へと増えています。子どもの人格を傷つけるような暴言を浴びせる親が増えた,ということでしょうか。

 それもあると思いますが,一番大きな要因は,2004年の児童虐待防止法の改正であると思われます。この改正により,心理的虐待の概念の中に,「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動)」も含まれることになりました。簡単にいえば,子どもの面前での夫婦喧嘩も,心理的虐待に相当する,という解釈が正式化したわけです。

 夫婦喧嘩は,子どもに直接危害を加えるものではありません。しかし,両親が口汚く罵り合う光景を見せられることは,子どもにすればたまったものではないでしょう。当人に,心理的な外傷を与えることにもつながります。

 教員志望のみなさん。家族関係が不和であると思われる子どもを見つけたら,家庭訪問などの折に,上記のことを保護者に伝えてあげてください。

 各地の教育委員会も,こうした認識(願い)を持っているのでしょうか。上記の統計は,教員採用試験でも大変よく出題されます。どうぞ,お知りおきください。

2011年4月22日金曜日

職なし非常勤講師

 1991年以降の大学院重点化政策により,大学院博士課程を出ても定職のない,いわゆる無職博士が増えているといわれます。東京学芸大学大学院博士課程の修了者の無職率をもとに推計すると,その数は7万2千人ほどと見積もられます(詳細は,4月4日の記事を参照ください)。

 彼らの多くは,大学や短大などの非常勤講師をすることで,目下の糊口をしのいでいます。しかし,非常勤講師の給与はとても低いので,生活はさぞ苦しいことでしょう。今回は,こういう「職なし非常勤講師」がどれほどいるかを数で把握したいと思います。

 この問題については,2月10日の「ザ・非常勤講師」という記事でも扱いました。しかるに,そこで明らかにしたのは,「教員以外の者からの兼務教員」の数です。この中には,作家や実業家など,教員以外の定職を持つ人間が含まれてしまっています。厳密にいえば,これらの人間は除外することが求められます。

 教員の属性について事細かに調べている,文科省の『学校教員統計調査』をパラパラと見ていたら,大学や短大の兼務教員の数が,本務先の有無別に記載されていることに気づきました。私は,本務先のない兼務教員の数に注目することとしました。以後,「職なし非常勤講師」ということにします。


 職なし非常勤講師の数を跡づけてみると,上図のようになります(『学校教員統計』は3年おきの調査なので,3年刻みになっています)。一貫して増加の傾向です。グラフをよく見ると,1992年と1995年の間に段差があることが分かります。92年では2万8千人であったのが,95年では4万9千人と,2万人以上も増えています。1991年に大学院重点化政策が開始されたのですが,この政策の(悪しき)効果が表れ始めた,ということでしょう。

 職なし非常勤講師の数はその後も増え続け,最新の2007年の統計では,7万7千人ほどになっています。奇しくも,冒頭で紹介した推定無職博士数(7万2千人)とさして違わない数になっています。

 この7万7千人の方々は,大学や短大の非常勤講師一本でやっているわけですから,さぞかし辛い生活を送っていることでしょう。そもそも,大学の非常勤講師制度は,自校の教員で賄うことのできない(特殊な)科目の担当を,他校の教員に委ねる,というような形で発達してきたものです。本業のある人間に任せるのですから,給与は「おこずかい」的な額でよろしい,とされてきました。


 ところが,現在では,非常勤講師の性格は大きく様変わりしています。上表によると,1989年では,大学や短大の非常勤講師の多くを占めるのは,大学の専任教員でした。ですが,2007年では,定職なしの者が45%と半数近くを占めています。その理由については明白でしょう。お気楽な非常勤講師を本業に選ぶ道楽者が増えたからではないことは,言うまでもありません。

 今後,職なし非常勤講師は,数の上でも,大学教員に占める比重の上でもますます増加していくことでしょう。当局も,非常勤講師の性格の変化を認識した上で,待遇改善などの措置をとるべき段階にきているものと思います。

2011年4月21日木曜日

教採の出題傾向分析②

 教員採用試験の出題傾向分析の続きです。前回は,教職教養試験において,ローカル問題の出題頻度を県別に分析しました。今回は,教員の服務の出題頻度を明らかにしようと思います。教員の不祥事が続発していることを受けてか,よく出題される事項です。

 教員が遵守すべき服務は,①職務上の義務と②身分上の義務に大別されます。前者は3つ,後者は5つです。
 ①職務上の義務
  ・服務の宣誓義務(地方公務員法第31条)
  ・法令等及び上司の職務上の命令に従う義務(第32条)
  ・職務に専念する義務(第35条)
 ②身分上の義務
  ・信用失墜行為の禁止(第33条)
  ・秘密を守る義務(第34条)
  ・政治的行為の制限(第36条)
  ・争議行為等の禁止(第37条)
  ・営利企業等の従事制限(第38条)

 新聞紙上でよく取り沙汰される,教員のわいせつ行為などは,上記の「信用失墜行為」に該当します。はて,2007年度~2011年度の5回の試験において,これらの服務に関連する問題はどれほど出ているのでしょうか。時事通信社の『教員養成セミナー』2011年3月号の62~63頁の統計をもとに,下図をつくりました。


 前回のローカル問題の地図に比して,全体的に色が濃くなっています。それだけ,出題頻度が高い,ということです。黒色は5回,つまり,この期間中一貫して服務の問題が出ている地域です。茨城,埼玉,東京,静岡,滋賀,島根,高知,および長崎が該当します。これらの8都県では,2012年度試験でも,服務の問題がほぼ間違いなく出題されるでしょう。

 私は,教員の不祥事が多い県で,この種の問題の出題が多いのではないかと思っていましたが,どうでしょう。懲戒処分の対象となった教員の比率と,上記のデータを関連付けてみると面白いかもしれません。

 今度は,児童生徒の問題行動の出題頻度を分析しようかしらん。

2011年4月20日水曜日

教採の出題傾向分析①

 学校の教員になるには,大学で教職課程を修め,教員免許状を取得しなければなりませんが,これは必要条件であっても,十分条件ではありません。教員になるには,教員採用試験を突破しなければなりません。

 受験者数を採用者数で除した競争率を出すと,2010度の教員採用試験の場合,小学校が4.4倍,中学校が8.7倍,高等学校が8.1倍,特別支援学校が3.4倍,と報告されています(文科省ホームページ)。決して低い倍率ではないようです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300242.htm

 さて,その試験で全校種共通に問われるのが,教職教養です。内容は大きく,①教育原理,②教育史,③教育法規,および④教育心理からなります。これらは,教職課程の講義のテキストや市販の参考書などで,だいたいカバーできます。しかし,各県独自の教育施策に関連する問題が出されることもあります。業界用語で,「ローカル問題」というものです。地方分権化の中,こうしたローカル問題の出題頻度が高まってきているように思います。

 私は,2007年度から2011年度までの5回の教員採用試験において,ローカル問題が出題された回数を自治体別に調べました。資料源は,時事通信社『教員養成セミナー』2011年3月号の36~37頁です。


 その結果を,日本地図で表現しました。黒色は,この期間中一貫して,ローカル問題が出題されている県です。茨城,埼玉,東京,滋賀,高知,宮崎,および鹿児島が該当します。4回は,福島と千葉です。これらの都県では,2012年度試験でも,ローカル問題がかなりの確率で出題されるとみてよいでしょう。


 黒色の7都県について,最新の2011年度試験(2010年夏実施の試験)で出題された施策の内容を示すと,上記のようです。学校教育指針の概要や,教育振興基本計画について問われています。

 教育基本法第17条第1項は,政府に対し,教育振興基本計画を策定することを求めていますが,地方公共団体も,それに依拠して,独自の基本的な計画を定めることとされています(第2項)。各県の教育振興基本計画は,教育委員会のホームページなどで閲覧できますので,確認しておく必要があるでしょう。埼玉県については,以下のURLから閲覧することが可能です。
http://www.pref.saitama.lg.jp/page/saitamakyouikuplan.html

 これから,機会をみつけて,さまざまな角度から,教員採用試験の出題傾向を分析し,結果をご覧に入れようと思います。

2011年4月18日月曜日

投稿論文の採択率

 日本教育社会学会は,年に2回,『教育社会学研究』という学会誌を公刊しています。この雑誌に論文を載せるには,厳しい査読をパスしなければならないのですが,投稿された論文のうち,何本くらいの論文が採択されているのでしょうか。

 当該雑誌の各号の編集後記には,投稿された論文が何本,うち採択された論文が何本という情報が載っています。これらは,Ciniiのサイトから閲覧することができます。私は,1990年以降に発刊された各号について,投稿論文の採択率を明らかにしました。下表がそれです。第55集だけは,なぜかCiniiのサイトでオープンアクセスになっていませんでしたので,ペンディングにしてあります。現物をお持ちの方は,埋めていただけるとありがたいです。すみません。
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN0005780X_ja.html


 第46集から第87集に投稿された論文の総数は975で,うち採択された論文数は219です(第55集は除く)。よって採択率は,219/975≒22.5%となります。5本中1本という具合です。5本投稿があったら,4本は落とされる…厳しいですね。

 しかし,採択率は号によってかなり異なるようです。40%を超える号もあれば,10%を切る号もあります。第82集と最新の第87集は,採択率がわずか9.4%です。10本中1本しか採択されなかったことになります。

 ところで,大まかにみると,最近になるほど,採択率は下降気味であるように思えます。1990年以降の時期を5年刻みで区切って採択率を出すと,下表のようになります。


 結果は予想通りです。32.0%→26.4%→22.9%→16.8%というように,下降の傾向をたどっています。その原因は,採択数が減ったというのではなく,投稿数が激増したことによるものです。1990年代前半では投稿数は128でしたが,2006~2010年では374と3倍近くにも増えています。

 最近,大学院生の数が増えていることを思うと,さもありなんという感じです。博士号学位取得には,査読付き論文が何本か要求されるのが常ですから,彼らも必死なのでしょう。

 でも,学会誌への論文投稿は,自分を鍛えるためのよい機会です。匿名の査読者による講(酷)評は,非常によい糧となります。学会という組織が担っている重要な教育機能といえましょう。私も,機会を見つけて論文を投稿し,鍛えていただこうと思っております。

思い出のアルバム

 ラジオをつけていたら,なつかしの曲ということで,「思い出のアルバム」という歌が流れました。保育園の卒園式で歌った覚えがあります。泣けました。

 この歌は,1981年の2月に,NHKの「みんなのうた」で放映されたことで,世に知られるようになったそうです。私は,翌年の3月に保育園を出たのですが,ちょうどその頃に出た歌だったとは…。さっそく,you tube で動画を検索し,何度も聞き入っています。

2011年4月17日日曜日

α値でみる青年の自殺

 今回にて,このブログの記事の数がちょうど100になります。「社会学は時代の診断学である」というマンハイムの言葉を肝に銘じ,これからも,さまざまな角度から現代社会の診断を手掛けてゆきたいと思います。

 今回は,青年の危機状況を診るユニークな指標を紹介します。α値というものです。こういう(数学)記号をみただけで拒否反応を呈する方もいるかもしれませんが,小難しいものではございません。ある年齢層の自殺率が,人口全体の自殺率の何倍かというものです。

 この指標を考案されたのは,横浜国立大学の渡部真教授です。渡部教授は,青年層の自殺率の絶対水準を観察するだけでは不十分で,社会の中の自殺が青年層にどれほど集中しているかも捉える必要がある,と述べています。

 このような観点から,15~24歳の青年の自殺率を全体のそれで除した値をα値と命名し,この指標の時代比較・国際比較を行っています。当該の論文は,「青年期の自殺の国際比較」というもので,日本教育社会学会の学会誌『教育社会学研究』第34集(1979年)に掲載されています。CiniiのURLを貼っておきます。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001877637

 私は,25~34歳を青年層とみなし,この年齢層のα値の時代推移を明らかにしました。統計の出所は,厚労省『人口動態統計』です。最新の2009年の統計でみると,25~34歳の自殺率は10万人あたりで23.3で,人口全体の自殺率は24.1ですから,α値は,23.3/24.1≒0.97となります。では,時代推移をみてみましょう。


 上図によると,1982年までは,α値は1.0を超えていました。1.0を超えるということは,社会の中の自殺(危機)が,青年層に偏在していることを意味します。1960年代前半までは,1.2を超えていたようです。当時は,高度経済成長期で,中高年層の自殺率が低下するなか,青年層の自殺率だけが伸びていました。よって,全体の自殺率と比した場合の,青年層の自殺率の高さが際立っているわけです。

 当時は,社会の激変期にあり,価値観の急変に適応できず,厭世感に苛まれた純真な青年がさぞ多かったことでしょう。また,昔ながらの「イエ」の慣行により,自由な恋愛結婚を阻まれた男女が無理心中を図る,というようなことも頻繁に起きていたようです。

 しかし,1960年代後半以降,α値はぐんぐん低下し,1983年には1.0を下回ります。その後も低下し,今世紀初頭の2001年には0.77と最低値を記録します。ところが,その後上昇に転じ,2009年では0.97となり,1.0に迫る勢いです。今後,どうなっていくのでしょうか。

 回を改めて,このα値の国際比較を手掛けてみようと思います。各国の年齢層別の自殺率は,WHOのホームページから知ることができます。興味ある方は,どうぞ,数字ハンティングをなさってください。
 http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm

2011年4月15日金曜日

非行の悪質性②

 前回は,非行の質的な変化をとらえるべく,非行の悪質平均点という指標の時代推移をみました。今回は,その値が,少年の年齢別にみてどう違うかをみてみようと思います。悪質平均点の出し方については,前回の記事をご参照ください。

 手始めに,人口あたりの非行少年の量がピークであった1981年と,最新の2009年の統計を比べてみましょう。10代少年全体の悪質平均点は,1981年が3.85点,2009年が3.36点です。はて,年齢別では?


 上図によると,年長少年における点数の低下が目立っています。19歳では,1981年の4.84点から2009年の3.30点まで減っています。ですが,低年齢の児童の点数は,昔と同じかそれ以上になっています。今日では,低年齢の悪質点が高く,高年齢のそれが低いという,やや特異な構造ができています。巷でいわれる「非行の低年齢化」とは,こういうことをいうのでしょうか。

 上記は,2つの年次の観察結果ですが,他の年ではどうでしょうか。1979年から2009年までの年齢別の平均点を,例の社会地図で俯瞰してみましょう。


 1980年代までは,年長少年の部分に4.0点以上のゾーンが広がっていましたが,最近では,それがなくなっています。最近では,13~19歳の部分は,青色の安全色に染まっています。ですが,こうした年長の少年よりも,10~12歳のような年少の少年の値が高いという,特異な構造になっていることが気がかりです。

 2007年の少年法改正により,少年院への送致可能年齢の下限が,「14歳以上」から「おおむね12歳以上」という形に引き下げられました。「おおむね」とありますので,場合によっては,10歳や11歳の少年も少年院に送致できる,ということです。こういう厳罰主義化は,上記のようなデータを認識してのことだったのでしょうか。

 しかるに,非行の悪質性というのは,もっといろいろな側面から把握する必要があるでしょう。今回のデータは,その一面を切り取ったものにすぎません。多面的な角度からデータを収集して,証拠に依拠した政策立案(evidence based policy)がなされることが重要であると存じます。

2011年4月13日水曜日

非行の悪質性①

 今の少年は,昔に比べて悪くなったのでしょうか。非行少年が出る確率という点からすると,答えは否です。10代少年の非行者出現率を長期的にたどると,ピークは1981年(昭和56年)の14.0‰です。この年では,10代少年千人につき,14人の非行者が出ました。ですが,2009年の数字は8.9‰です。率が減少していることが知られます。

 とはいえ,非行といっても,いろいろな罪種があります。万引きのような軽微なものもあれば,殺人のようなシリアスなものもあります。現在では,非行少年の数は少ないものの,殺人や強盗のような悪質度の高い罪種のウェイトが高まっているのではないか,と問われたらどうでしょう。

 非行の量的な変化については『犯罪白書』などで容易に知ることができますが,非行の質的な変化については,必ずしも明らかにされてはいないようです。私は,後者の側面を明らかにしたいと思い,非行の悪質性の時代変化を調べました。

 松本良夫先生の『図説・非行問題の社会学』光生館(1984年)の82頁には,それぞれの罪種の悪質得点が掲載されています。これは,一般住民の評定をもとにしたものだそうです。たとえば,最もシリアスな殺人は88点,強盗は13点,万引きのような非侵入盗は3点とされています。これらをもとに,各年の非行の悪質平均点なるものを出してみようと思います。


 上表の左端には,2009年中に検挙・補導された10代少年の数が罪種別に示されています(警察庁『平成21年の犯罪』による)。万引きのような非侵入盗が63,165人,自転車盗のような横領が21,283人と多くなっています。殺人はわずか52人です。この表から,悪質点の総点を出すと,次のようになります。
  (88点×52人)+(13点×713人)+…(2点×429人)+(1点×103人)=330,708点

 この総点を,検挙・補導人員の総数(98,418人)で除して,1人あたりの悪質平均点は3.36点と算出されます。非侵入盗の3点に近い値です。これは2009年の数字ですが,他の年ではどうなのでしょう。私は,1979年から現在までの約30年間について,この悪質平均点の推移を明らかにしました。下図をご覧ください。


 これによると,2009年の値(3.36点)は,過去の推移の中で高い位置にあるのではなさそうです。平均点が3.8点を超えるのは,1979~1986年と2000年です。悪質性という点からみると,この時期に少年が比較的ヤバかったのですね。2000年から2004年にかけての急落は目を引きますが,最近になって再び上昇の傾向にあるのが少し気にはなります。

 次回は,この悪質平均点が年齢別にみてどう異なるかを明らかにしようと思います。

2011年4月11日月曜日

中学生のいじめ容認率

 いじめは,現代の子どもの問題行動の最たるものですが,その量的規模を把握するのは非常に困難です。文科省『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』にて,2009年度間に公立学校で認知されたいじめの件数(児童生徒1,000人あたり)を県別にみると,最も多いのは熊本県の30.1件です。

 しかし,この数字は,当県がいじめの摘発に本腰を入れたという名誉の数字と読むべきでしょう。いじめの発生頻度を計測するにあたっては,文科省の認知件数の統計は使えません。いじめとは外部から見えにくいものである以上,当事者の意識をフィルターにするのが妥当であると思います。

 文科省が毎年実施している『全国学力・学習状況調査』では,いじめに対する意識を問うています。「いじめは,どんな理由があっても絶対にいけないことだと思いますか」という設問に対し,「あてはまる」,「どちらかといえば当てはまる」,「どちらかといえば当てはまらない」,「当てはまらない」,のいずれかで答えてもらうものです。ここでは,後2者の回答をした者の比率を,いじめ容認率とみなしましょう。

 2010年度調査の公立中学校3年生の結果でいうと,この意味での「いじめ容認率」は8.7%です。47都道府県別にみると,最高は京都の11.8%,最低は鹿児島の4.9%となっています。この両県では,いじめを容認する生徒の比率に倍以上の差があります。

 
 47都道府県の値を地図化すると,上記のようになります。10%を超える県は黒く塗っていますが,首都圏や近畿圏の都市的な地域がほとんどです。赤色の準高率地域も,宮城,愛知,兵庫など,都市的な県が多くなっています。予想されることではありますが,いじめは,都市的な環境と結びついているようです。

 願わくは,このような大雑把な知見だけではなく,いじめの発生基盤に関するより具体的な知見を得たいところです。学校規模との関連,新任教師の比率との関連,塾通いをしている生徒の比率との関連…やってみたい作業はいろいろあります。

 ですが,こうした分析は,都道府県という大きな地域単位のデータでやってもあまり意味はありません。市町村別,学校別といった,細かい集団単位でのデータでなされる必要があるでしょう。

 いじめ問題の解決のためには,心の教育というような道徳教育も大切ですが,いじめを誘発する環境要因についても解明されねばなりません。政策によって動かしやすいのは,後者のほうなのですから。文科省の『全国学力・学習状況調査』のデータを仔細に分析すれば,相当のことが分かると思います。私のような人間でも,申請すれば,より細かなデータを使わせてもらえるのかしらん…

2011年4月10日日曜日

女子非行

 近年,子どもを産むなら女の子がよいという,女児選好が強まっていると聞きます。昔であれば,家の継承の関係から男児を望む親が多かったのでしょうが,今日では,そういう柵(しがらみ)はかなり薄れています。

 となれば,男子に比べて大人しくて育てやすい女子を希望する,ということでしょうか。確かに,悪さをしでかす頻度というものは,女子のほうがかなり低いです。警察庁の『平成21年の犯罪』によると,2009年中に検挙・補導された10代の非行少年は106,818人でしたが,そのうち女子は21,973人となっています。比率にすると20.6%,男子4:女子1という具合です。


 非行少年の女子比の推移をたどってみると,上図のようになります。私が生まれた1976年では18.5%でしたが,その後波を打って上昇し,1998年に25.1%とピークを迎えます。最近は下降の傾向で,2009年の20.6%に至っています。

 ところで,これは全体の数字ですが,細かく年齢別にみるとどうでしょうか。女子の比重が高くなる,「危険な年齢」というのはあるのでしょうか。例の社会地図形式によって,1976年以降の年齢別の女子比を俯瞰してみます。


 1990年代後半以降の,14~16歳あたりの部分に,25%以上の高率ゾーンが広がっています。絶対水準としては高いとはいえませんが,最近になって,こうした「思春期の危機」が強まっていることが注目されます。

 私は,大学の講義の受講生に,小学校から高校までの学校体験を書いてもらっています。女子のものをみると,中2頃から皆でつるんで先生に反発し出した,髪を染め始めた,グループで繁華街に繰り出すようになった,というような記述によく出会います。このような個々の事例記述が,マクロデータによって裏付けされた,という印象です。

 ところで,女子の行動を語る際のキーワードは,何といっても「グループ」でしょう。属したグループが,互いに切磋琢磨し,悪いことは悪いと言い合えるような「よい」グループならば結構なのですが,悪さを競い合うような「悪い」グループというのは考えものです。

 「朱に交われば赤くなる」といいますが,人間は,集団の力にはなかなか抗えないものです。とくに,女子少年にあっては,そういう傾向が強いものと思われます。機会をみつけて,非行の形態(単独or集団…)に男女差があるかどうかについても調べてみようと思います。

2011年4月9日土曜日

教員のプロフィール

 文科省『平成19年版・学校教員統計調査』の統計を使って,公立学校の教員のプロフィール表をつくってみました。統計資料のURLは以下です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172


 まあ,だいたい予想がつくものばかりですが,教員養成大学出身の教員は小学校で多いのですね。免許状が,一般大学では取得しにくい,という事情からでしょう。一方,大学院修了者や専修免許状保有者は,小<中<高,という傾向です。高校では,教員の4人に1人が大学院を出ています。

 なお,高校では,校長や教頭のような管理職になるに際しては,原則として専修免許状が求められています(学校教育法施行規則第20条)。そのため,高校の校長の7割,教頭の5割が専修免許状保有者です。


 現在,教員養成の期間を6年間に延ばし,教員志望者には修士の学位を取らせようという案が出ています。保護者のほとんどが大卒という状況のなか,デュルケムのいう,教師の道徳的権威(l'autorité morale)を際立たせるには,こういう措置もやむを得ないのかも知れません。

 ところで,教員集団の組成は,地域によっても異なります。回を改めて,教員養成系大学出身教員や大学院卒教員の割合が,都道府県別にみてどう違うのかという統計をお見せいたします。

2011年4月8日金曜日

学級の小規模化

 昨年,公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律が改正され,公立小学校1年生の,1学級あたりの標準児童数が40人から35人へと変更されました。この新規定は,この春から施行されることになっています。

 しかし,こうした法改正を待つまでもなく,現実には,学級の小規模化はかなり進行しています。少子化のご時世ですので。下図は,文部省『日本の教育統計』(1966年)と,文部科学省『文部科学統計要覧・平成22年版』より作成したものです。


 長期的にみて,小学校の児童数は減少傾向にあります。児童数のピークは,1958年(昭和33年)で,1,349万人もの児童がいました。それが2010年では699万人にまで減っています。ほぼ半減です。

 その一方で,学級の数はほとんど変化していませんので,1学級あたりの児童数(児童数/学級数)は加速度的に減じてきています。図中の棒グラフによると,1950年では44.3人でしたが,2010年では25.2人となっています。これだけみても,法改正で掲げられた35人という標準人数をかなり下回っています。


 次に,小学校の学級数を,収容人員別にみてみましょう。上図は,児童数がピークであった1958年と2010年を比較したものです。これによると。1958年では,41人以上の学級が全体の7割を占め,51人以上という「すし詰め学級」も33%ありました。

 しかし,今日では,41人以上の学級は全体の0.1%しかありません。全体の6割が30人以下で,2割が20人に満たない学級です。学級の小規模化が明らかです。

 文科省の説明文書によると,冒頭でみた法改正の趣旨は,「新学習指導要領の本格実施や、いじめ等の学校教育上の課題に適切に対応ができるよう,35人以下学級について,公立小学校第1学年の学級編制の標準を見直す」というものだそうです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/detail/1302025.htm

 2月25日の「キレる子ども」の記事で書きましたが,入学して間もない小1児童の問題行動(小1プロブレム)が深刻化している状況ですので,考え方としては妥当であると思います。ですが,現実に学級の小規模化が進んでいるにもかかわらず,各種の問題が頻発しています。学級のサイズを縮小すればよい,という単純な話でもなさそうです。

 教育社会学の研究テーマの一つに,学級の適正規模に関する研究というものがあります。どれほどの規模の学級で,子どもの学力が最も上がるか,問題行動が少なくなるか,というものです。文科省の『全国学力・学習状況調査』の結果を仔細に分析すれば,ある程度のことは明らかにし得ると思います。機会をみつけて,手がけてみようと思います。 

2011年4月6日水曜日

若者の自殺の原因

 4月ということで,ブログの背景の色を明るい桜色にしたのに,話題は暗いものばかりが続きます。今回は,若者の自殺の原因についてです。

 自殺者の頭数を数えることも重要ですが,どういう原因で自らを殺める人間が多いのかも気になるところです。この点については,警察庁の統計があります。もっとも,当人の遺書や遺族への聞き取りから,警察官が類推したものですので,信憑性に疑問がないわけでもありませんが,ひとまず,この統計を使いましょう。

 警察庁の『自殺の概要資料』には,原因別の自殺者数が掲載されています。2006年版までは原因の分類が大雑把なものでしたが,翌年の2007年版より,細かな小分類の表が掲げられています。私は,2007年から2010年にかけて,20~30代の若者の自殺者数が,原因別にみてどう変わったかを調べました。上記の資料は,下記サイトにて,PDFファイルでアップされています。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm


 まずは,大雑把な大分類の表からみてみましょう。これによると,原因が判明した自殺者数は,この期間中,797人増えています。増加率にすると,10.6%増です。原因別にみると,増加した人数では,健康問題という原因が最も多くなっています。しかし,増加率という点からすると,家庭問題や勤務問題の値の高さが目立ちます。その内実は,家族成員間の不和,失業といったものでしょう。

 では,おおよその見当をつけたところで,小分類の表に移ります。小分類だと,原因は52にもなりますので,全部はお見せきでません。そこで,増分が上位10の原因のみを掲げることにします。


 この3年間で,100人以上増えたのは,鬱病,就職失敗,および生活苦といった原因による自殺です。増加率という点でみると,就職失敗の増加率は109%で,3年間で倍増しています。3月8日の記事で,就職失敗による大学生の自殺について書きましたが,若者全体についても,この原因が痛手になっているようです。

 ほか,親子(夫婦)関係の不和など,家庭に関する原因の増も,上位に挙がっていることが気になります。若者の生活構造の主要部である家庭と職場の双方に,歪みが起きていることがうかがわれます。これでは,逃げ場がないのも同然で,当人にすればたまったものではないでしょう。

 ひとまず,最近の若者の自殺増に最も寄与している要因は,就職失敗であることが判明しました。私は今,森健さんの『勤めないという生き方』という本を読んでいます。大学生のみなさん,時間を見つけてこの本を一読し,視野の拡張を図ってください。いろいろな生き方があるものですよ。

2011年4月4日月曜日

無職博士数の推定

 大学院博士課程を出ても定職がない,いわゆる無職博士はどれほどいるのでしょうか。『高学歴ワーキング・プア』著者の水月昭道さんによると,だいたい10万人くらいだそうです。10万人といったら,東京の中央区の人口にほぼ相当します。住民の全員が,最高学歴を持つ無職者…あまり足を踏み入れたくない地域です。

 しかし,この10万人というのは,根拠がはっきりしていないようです。私は,独自のやり方で,大学院博士課程修了の学歴を持ちながらも,定職のない状態に留置かれている人間の数を推し量ってみました。

 私の母校の東京学芸大学大学院博士課程は,修了者の状態を丹念にフォローし,彼らの現況に関する統計をつくっています(私のところにも,毎年,状況の申告を求める手紙がきます)。この統計は,ホームページで閲覧可能です。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~graduate/rengou/data/shusyoku.html


 初めて修了生を出した1999年から2010年までの修了生の総計は254人です。この中には,単位取得満期退学者も含みます。そのうち,2010年4月現在において,未就職ないしは非常勤講師というような無職状態にあるのは76人です。比率にすると,無職率は29.9%,およそ3割です。博士号取得者に限定すると,この率は少し下がります。

 この無職率を全国の博士課程修了者の総数に乗じて,無職者数を割り出してみようと思います。ところで,東京学芸大学の数字(29.9%)が,母集団の状況を的確に言い当てているかは,疑問符がつきます。

 博士課程修了時点の統計によると,2010年春の修了生の無職率は35.9%です。うち,教員養成系の博士課程修了生の無職率は34.0%です(文科省『学校基本調査』)。修了時点の統計を比較する限りでは,まあ,教員養成系の博士課程の数字が,全体のそれとかなり異なる,ということはなさそうです。


 ひとまず,作業をしてみましょう。大学院重点化政策が敷かれた1991年から2010年までの,全国の大学院博士課程修了者の総数は242,343人です。この数字に,先ほどの29.9%を乗じると,推定無職者数は72,512人となります。10万人よりもかなり少ない数字が出ました。


 やはり,想定した無職率が低すぎるのでしょうか。母校を持ち上げるのではありませんが,学芸大学はかなり頑張っているようですし…。では,無職率40%という仮定をおいて同じ計算をすると,上記の表のように,96,937人という数字になり,水月氏のいう10万人にかなり近くなります。

 大学院博士課程修了者の4割が何年経っても無職状態に留置かれる社会…。恐怖です。フリーマンというアメリカの経済学者は,『大学出の価値-教育過剰社会』(1977年刊行)という本の中で,教育過剰社会の危険なことは,「多数の高学歴者が希望通りの経歴をふむことができなかったり,また大学を出てから,自分の立場をより良くする道が見出せない場合,彼らの中には政治的過激運動に走る者も出てくるおそれがあることである」(訳書,230頁)と述べています。

 この伝でいうと,現在のわが国は,少なく見積もって7万人,多く見積もって10万人という危険因子を抱え込んでいることになり,その数は今後も増えることが見込まれます。繰り返します。恐怖です。

2011年4月3日日曜日

失業×自殺の国際比較

 新年度だというのに,失業の話ばかりで恐縮です。前回,わが国は,失業という事態の重みが大きい社会なのではないか,という推測をしました。

 ところで,世界を見渡せば,失業率が高くても自殺率はあまり高くない,という社会もあるでしょう。失業が人々の生活に与えるダメージというのは,社会によって異なると思います。今回は,失業と自殺の関連の仕方の国際比較を手がけてみます。

 私は,世界の42か国について,男性の失業率と自殺率を集めました。失業率とは,完全失業者数を労働力人口で除した値です。単位は%です。自殺率は,その年の自殺者がベースの人口に占める比率です。通常,10万人あたりの人数で表現されます。

 各国の失業率は,総務省『世界の統計2010』あるいは,ILOのホームページから得ました。各国の自殺率は,WHOのホームページから得ました。URLを下記に貼っておきます。統計の年次は,できるだけ新しいものを使いました。
ILO:http://laborsta.ilo.org/STP/guest
WHO:http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm


 上記の表は,自殺率が高い順に42か国のデータを並べたものです。日本の自殺率は,42か国中3位です。一方,失業率はそれほど高い水準ではありません。34位です。にもかかわらず,自殺率が高いということは,失業と自殺の連鎖がそれだけ強い,ということでしょう。

 しかるに,これとは対極の社会もあります。南アフリカは失業率が22.6%とぶっちぎりで高いのに,自殺率はわずか1.5です。両者にまったく関連がないことがうかがわれます。


 様相を分かりやすくするため,横軸に失業率,縦軸に自殺率をとった座標上に,42か国をプロットしました。図の右下のほうに位置する国は,失業率は高いが自殺率は低い国です。南アフリカ,ベネズエラ,フィリピンなどが位置しています。

 もっとも,これらの国において,失業が人々の生活に何ら影響しない,とは言い切れません。いずれも凶悪犯罪の発生率が高い国です。失業が多いことによる生活不安が,自殺とは別の害毒をもたらしている可能性があります。しかし,失業しても相互扶助により何とか生活できるのでは,という憶測もしたいところです。

 日本は,こうした国々とは対極的な社会でしょう。失業による生活不安が自殺に直結するような,内向的な国民性を持っています。また,孤族化の進行により,少し失業率が上がるだけで,自殺率が急上昇するという弱さもうかがわせます。

 図の右下に位置する社会は,言ってみれば,「ホット」な社会です。暴れる,助け合う社会です。逆に,左上に位置する社会は,「クール」な社会といえないでしょうか。暴れない,自分を責める,助け合わない社会です。

 日本が,後者の「クール」な社会になりつつあるように思うのは,私だけではないでしょう。

2011年4月2日土曜日

失業率が上がると…

 震災の爪跡が深刻な状況ですが,昨日,全国の各地で入社式が行われたことと思います。晴れて就職し,社会人生活のスタートを切った方々は,さぞ希望に満ち溢れていることでしょう。

 その一方で,3月末で雇い止めにされ,無職状態になり,今後どうしたものかと途方に暮れている方もいることでしょう。「非正規」,「任期付き」という言葉に象徴される不安定雇用がはびこっている今日,その量的規模は決して少なくはないと思います。

 社会病理学を専攻する私としては,どうしても,後者の「おめでたくない」方々の話をしたくなります。こうした方々の多くは,就業の意志があり,これから求職活動をされるでしょうから,統計上は,完全失業者として括られます。働きたくても働けない…この種の人間がこれからどんどん増えて,完全失業率が上昇すると,どういう事態になるでしょうか。

 最も懸念されるのは,自殺の増加です。失業→生活困窮,自己アイデンティティの喪失→自殺,という連鎖は,よく指摘されるところです。事実,完全失業率と自殺率の時系列曲線は,かなり似通っています。下図をみてください。失業率は,総務省『労働力調査』から計算しました。自殺率は,厚労省『人口動態統計』から得ました。


 1980年代末のバブル経済の時期に下がり,それが崩壊した1990年代以降,急上昇している点もそっくりです。このおよそ40年間の数字から,両指標の相関係数を出すと0.904にもなります。大変高い値です。

 ここまで強く相関していると,失業率が分かれば,自殺率もだいたい言い当てることができます。今,1968年から2009年までのデータを使って,両指標の関係を定式化すると,次のようになります。Y=2.3757X+12.489です。Yは自殺率,Xは完全失業率です。

 2009年の失業率は5.1%ですが,この値を代入して,2009年の自殺率の理論値を求めると,2.3757×5.1+12.489≒24.6となります。これは,この年の自殺率の実値(24.1)と近い数字です。上記の関係式の予測精度は,かなりのものとみてよいでしょう。

 仮に,失業率が現在の倍の10%になったら,自殺率は,上記の式から36.2になることが予測されます。今から10年後の2020年にこういう事態になったとすると,この年の人口は約122,74万人ほどですので,実数にして,4万5千人ほどの自殺者が出ることが見込まれます。2009年の3万人の1.5倍です。

 国際比較をしたわけではありませんが,わが国は,失業(unemployment)という事態の重みがことのほか大きい社会であると思われます。今後,孤族化が進行し,頼れる親族がいない一人ぼっちの人間が増えるなか,「失業=生活崩壊」という図式は,ますます濃厚になっていくでしょう。それだけに,雇用対策の重要性が高まってきます。

 私見を申しますと,わが国の自殺対策は,個々人の心のケアというような,心理的側面にやや偏しているように思います。しかるに,失職状態が長引き,鬱になり,精神科を訪れる患者の多くは,「薬はよいから仕事をくれ」と思っているのではないでしょうか。社会的な側面からのアプローチがなされることも,希望いたします。

2011年4月1日金曜日

失業率

 灯台もと暗しではありませんが,現代社会の状況診断を行う際に,まずもって観測すべき指標を今まで落としていました。それは失業率です。統計上の用語では完全失業率といい,完全失業者数を労働力人口で除して算出されます。

 労働力人口とは,働く意志のある人間です。学生や専業主婦など,働く意志がない人間は,非労働力として括られます。要するに,完全失業率とは,働きたいにもかかわらず,職に就けていない人間がどれほどいるかを示す指標です。

 2010年の『国勢調査』の結果がまだ発表されていませんので,2005年の同調査の数字でいうと,労働力人口6,540万人のうち,完全失業者は389万人です。よって,後者を前者で除して,失業率は約6.0%となります。この値を半世紀ほどさかのぼると,最も低かったのは1960年の0.7%です。高度経済成長期にあった当時の様相を物語っています。しかし,その後じわりじわりと上昇し,1995年には4.3%,2005年には6.0%に至っています。

 では,失業率を年齢層別に出し,例の社会地図で俯瞰してみましょう。2009年の率は,総務省『労働力調査』の統計から計算しました。


 よく誤解されるのですが,失業率が高いのは若年層です。中高年のお父さん世代ではありません。失業率が高いゾーンは,1990年代以降の若年層の部分にあり,だんだんと下のほうに垂れてきています。2005年では,30代前半までが失業率6%以上でしたが,最近は少し持ち直しています。しかし,50代前半で率の上昇がみられることが気がかりです。

 しかし,若者の失業率の高さは目を引きます。まあ,こうした若者の不遇は多くの国に共通のことなのでしょうが,わが国の特徴というのは,若者が大人しいことでしょう。フランスやエジプトでは若者が暴れています。昔のわが国でも,学生運動に象徴されるように,若者が暴れていた頃がありました。しかし,現在ではそういうことはなくなっています。

 1月14日の記事で指摘したように,自らに責を帰す「内向性」が強まっているためでしょうか。前にも言いましたが,お上(政府)がこのような好?条件の上にあぐらをかき,惰眠をむさぼるようなことがあってはならないと思います。