ツイッター上にて,教員の不祥事報道を収集しています。Web記事に添えられているツイートボタンをクリックするだけで,自分のツイッターにストック可能。新聞切り抜きの現代版です。
私が把握し得た今月中の不祥事報道は87件でした。年度末だからでしょうか。数が多くなっています。これまでと同様,記事名,都道府県,媒体,校種,性別,および年齢を記録します。件の詳細を知りたい方は,記事名でググれば引っかかると思います。
明日から新年度です。変わらず,本ブログをよろしくお願い申し上げます。
<2013年3月の教員不祥事報道>
・体罰:部活指導で生徒に、3教諭に厳重文書訓告 「気持ち入りすぎた」
(3/2,朝日,群馬,男性,中40代,高40代,高30代)
・<体罰>投てき道具で教諭にたたかれ中2けが(3/5,毎日,愛知,中,男性)
・ストーカー容疑で中学教頭逮捕 宮城県警 (3/5,宮城,産経,中,男性,53)
・北九州市立小教諭の酒気帯び運転:市教委、教諭を懲戒免職
(3/5,毎日,福岡,小,男性,54)
・大石田の小学校教諭が児童殴る体罰 昨年11月(3/6,山形新聞,山形,小,男性,40代)
・酒気帯びの中学教諭停職3カ月 「進路指導一段落で酒飲み過ぎ」
(3/6,埼玉新聞,埼玉,中,男性,58)
・体罰:高校教諭、頬を平手で二十数発 県教委、減給処分に(3/6,毎日,熊本,高,男性,43)
・野球部監督が部員たたく 静岡県立高、女子マネにお酌も(3/6,産経,静岡,高,男性,30代)
・<男児暴行容疑>支援学級の元担任教諭を書類送検(3/7,毎日,奈良,中,男性,50代)
・体罰:君津の中学野球部顧問、部活中に繰り返す 県教委が戒告処分
(3/7,毎日,千葉,中,男性,35)
・児童買春:容疑で奈良の教諭逮捕--京都府警(3/7,毎日,奈良,中高,男性,42)
・県立小野高:運動部顧問、部員をたたく(3/7,毎日,兵庫,高,男性,40)
・バスケ部顧問を体罰で戒告処分 花山中問題で市教委(3/8,産経,京都,中,男性,29)
・窃盗の教諭懲戒免職 県教委、体罰の教諭に減給処分
(3/8,産経,静岡,高,男性64,男性39)
・バスケ部顧問が体罰 秋田市立中、30代教諭(3/8,読売,秋田,中,男性,30代)
・小学校教諭、教え子の体触る(3/9,読売,秋田,小,男性,50代)
・成績保存したパソコンなど盗難 都城の中学教諭(3/9,宮崎,読売,中,女性,)
・懲戒処分:男児ドアに挟ませ骨折、教頭を減給(3/9,石川,毎日,小,男性,50代)
・県立吉田高教諭の体罰:教諭を戒告処分(3/12,毎日,山梨,高,男性,40)
・盗撮校長を懲戒免(3/12,山梨,産経,小,男性,57)
・体罰の陸上部監督、停職4カ月へ 愛知の豊川工高(3/13,朝日,愛知,高,男性,50)
・中学教諭を停職処分,無免許で物損事故(3/13,大阪,毎日,中,男性,55)
・「見逃し三振」2部員の頭、バットで…教諭減給(3/14,北海道,読売,高,男性,58)
・同上,女子生徒と性的な関係,懲戒免職(3/14,北海道,読売,中,男性,30)
・同上,学校の廊下で女子生徒の尻を触った,懲戒免職(3/14,読売,北海道,高,男性,52)
・同上,インターネットで音楽作成ソフトを違法に販売(3/14,北海道,読売,中,男性,47)
・脱衣チャットの客9人書類送検=少女の裸、録画容疑(3/15,埼玉,時事通信,高,男性,47)
・勤務先トイレを盗撮 小学教諭を懲戒免職(3/15,兵庫,産経,小,男性,30)
・戒告処分:不祥事を未報告で中学校長処分(3/15,長野,毎日,中,男性,57)
・小学校長が女性職員にセクハラ (3/15,青森,東奥日報,小,男性,56)
・酒気帯び運転:筑西の小学教諭を懲戒免(3/15,茨城,毎日,小,男性,55)
・体罰:バレー部元顧問を停職4カ月(3/15,長野,毎日,中,男性50,男性36)
・準強制わいせつ:元教え子被害 容疑で教諭逮捕(3/16,兵庫,毎日,高,男性,57)
・特別支援学校で男児に体罰、女性教諭書類送検へ(3/18,埼玉,読売,特,女性,32)
・体罰で県立高校教諭を戒告処分=女子14人被害、けがも
(3/18,滋賀,時事通信,高,男性,39)
・生徒が眉をそったから… 暴行容疑で高校教諭書類送検(3/19,熊本,朝日,高,男性,43)
・埼玉の特別支援学級で体罰か、暴行容疑で捜査へ(3/19,埼玉,読売,中,男性)
・女児にわいせつ 教諭を懲戒免職(3/19,秋田,産経,小,男性,50代)
・宇都宮の小中校体罰問題 県教委2教諭を懲戒処分(3/19,栃木,産経,男性,小47,中47)
・八幡商高教諭を体罰で戒告処分(3/19,滋賀,中日新聞,高,男性,39)
・「保身のため」平手打ちの数を過小報告した教諭(3/19,鹿児島,読売,中,男性,40代)
・教卓上に成績、生徒が携帯で撮影しLINE送信(3/19,埼玉,読売,高,男性,41)
・高校教諭、喫煙した生徒に「お前は放火魔」(3/19,兵庫,読売,高,男性,50代)
・女子生徒に抱きつく 中学教諭を懲戒免職(3/20,広島,産経,中,男性,53)
・ 浜松商高:プールで生徒、首骨折 業過傷害容疑で校長と教諭、書類送検
(3/20,静岡,毎日,高,男性,60・53)
・無免許運転、不適正な公金処理 2教諭を停職処分(3/20,和歌山,産経,小男55,高男40)
・懲戒処分:車検切れの車で中学教諭が通勤 県教委、減給処分に
(3/20,福島,毎日,中,女性,40代)
・ボールぶつけた女性教諭減給(3/20,和歌山,産経,中,女性,35)
・教師の体罰理由に生徒3人転校(3/22,東京,NHK,中,男性,30代・50代)
・新潟市教委:バス車内で痴漢、教頭を懲戒免職(3/22,新潟,毎日,小,男性,52)
・体罰で小学校と高校教諭を処分(3/22,青森,読売,男性,小51,高45)
・いじめで不登校、校長懲戒へ 府教委「対応不十分」(3/22,京都,京都新聞,小,男性,60)
・部員の頬を15発続けてたたく…体罰で教諭処分 (3/22,千葉,読売,高,男性,29・57)
・中学教諭、少女とわいせつ行為で懲戒免職(3/23,埼玉,TBS,中,男性,30代)
・校長が校舎のトイレで喫煙、停職処分に(3/23,大阪,読売,小,男性,58)
・教諭6人懲戒処分 わいせつ、万引、体罰
(3/23,埼玉,埼玉新聞,男性,中30:わいせつ,小27:万引き,高54:セクハラ,高47:体罰,高42:同,中26:同)
・部員にわいせつ行為、顧問教諭を懲戒免職(3/23,神奈川,神奈川新聞,中,男性,57)
・生徒平手打ちの男性教諭、県教委が戒告処分(3/23,神奈川,神奈川新聞,中,男性,57)
・中学校教諭、体罰で停職3月=女子バレーボール部員平手打ち
(3/23,徳島,時事通信,中,男性,60)
・密漁と万引の鳥取県教諭、停職6カ月(3/23,鳥取,産経,男性,小,52)
・同上,部活指導中の体罰で生徒の腕を骨折させた(3/23,鳥取,産経,中,男性,55)
・東岡山工業高で男性教諭が体罰 県教委、戒告処分(3/23,岡山,産経,高,男性,52)
・同上,銃刀法違反で逮捕(3/23,岡山,産経,特,男性,53)
・東温高教諭が体罰 昨年10月、女子生徒の顔殴る(3/23,愛媛,愛媛新聞,高,男性,50代)
・わいせつ行為:教室で 県教委、中学教諭を懲戒免職(3/23,神奈川,毎日,中,男性,57)
・体罰:昨年夏、山形工業高で 体育教諭、生徒をたたく(3/23,山形,毎日,高,男性)
・生徒2人触り、「クビになる」と口止めした教諭 (3/23,神奈川,読売,中,男性,57)
・同上,男子生徒16人の頬をたたいた(3/23,神奈川,読売,中,男性,57)
・体罰:徳島中の部顧問、停職処分 県立高実習助手は戒告
(3/23,徳島,毎日,男性,中60・高43)
・男性教諭、中1女子を殴打…顔骨折(3/25,奈良,産経,中,男性,30)
・生徒に暴力 けが負わす 県立校教諭を懲戒処分(3/26,栃木,産経,高,男性,25)
・<盗撮>47歳小学校教諭を停職6カ月 名古屋市教委(3/26,愛知,毎日,小,男性,47)
・体罰:安来高で繰り返し 男女バレー部顧問の2人、謝罪し指導自粛
(3/26,島根,毎日,高,男性,40代)
・ミスの部員に「お前は敵だ」 中学バスケ部顧問を処分(3/26,兵庫,産経,中,男性,49)
・置賜の高校教諭を減給、口座カードを第三者に送る(3/27,山形,山形新聞,高,男性,40代)
・児童の個人情報漏洩 小学校長を戒告処分(3/27,広島,産経,小,男性,59)
・小学生に頭突き!! 枚方の小学校教諭が依願退職(3/27,大阪,産経,小,男性,26)
・「ミニスカートで平静を失った」 小学生のスカート内を盗撮した教師、依願退職
(3/27,大阪,産経,特,男性,55)
・児童を「ごみ」扱い、体罰も 大阪、男性教諭懲戒(3/28,大阪,東京新聞,小,男性,26)
・<盗撮>愛知・日進高の50歳教諭 県教委が処分(3/28,愛知,毎日,高,男性,50)
・体罰:部活中、生徒に 各務原高の野球部元監督を処分(3/29,岐阜,毎日,高,男性,50)
・体罰や暴言、県立高女子柔道部の元顧問を懲戒免(3/29,宮崎,読売,高,男性,54)
・体罰:三豊市立中で平手打ちや頭突き、足払い 男性教諭を減給処分
(3/29,香川,毎日,中,男性,49)
・鹿児島の長男殺人未遂:起訴の女性教諭を懲戒免職(3/29,鹿児島,毎日,小,女性,42)
・地下鉄で中学生に痴漢容疑 高校教諭を現行犯逮捕(3/30,愛知,朝日,高,男性,34)
・交通事故:松本市の小学校教諭、飲酒後運転で 送別会帰りに 基準値は下回る
(3/30,長野,毎日,小,男性,40代)
・懲戒処分:スカート内盗撮、小学教諭を停職(3/30,高知,毎日,小,男性,44)
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2013年3月31日日曜日
2013年3月30日土曜日
昔の体罰
大阪の事件を受けて,体罰が社会問題化しています。しかし問題は通底しているといいますか,教員の体罰が大々的に取り沙汰されるのは初めてではありません。
新聞記事データベース『聞蔵』や『ヨミダス歴史館』にて,「体罰」ないしは「教員*打つ」という語を入れてみると,結構な数の記事が引っ掛かります。昔の記事として,以下のようなものがありました。
上は1927(昭和2)年5月30日の読売新聞,下は1952(昭和27)年12月19日の朝日新聞の記事です。教員の体罰に対する異議申し立てがなされ,体罰が子どもにいかに悪影響を与えるかについて,識者が解説しています。ほう。今とそっくりですね。
では,具体的にどういう体罰事件が起きていたのでしょう。時代を少し上がりますが,3件紹介します。子どもが死に至った事件が2件,発狂した事件が1件です。
上は1916(大正5)年5月9日,中は1924(大正13)年8月17日,そして下は1927(昭和2)年5月28日の記事です(東京朝日新聞)。いずれも,大阪の事件に劣らぬほど惨たらしい事件です。
ちなみに,武田さち子さんという方がツイッターで教えて下さったところによると,1952(昭和27)年4月25日,中学校で教員に殴られ教室を追い出された生徒が,校舎の屋上から飛び降り自殺した事件もあったそうな。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが,いじめにせよ体罰にせよ,教育問題への関心というのは,重大事件が起きると加熱し,やがて潮が引くように鎮まり,事件が起きると再び高まるというような,波動をたどる傾向を持っています。
歴史は繰り返す。人間というのは愚かなもので,過去の過ちを繰り返す習性を有しています。このことにかんがみ,未来の教員志望者には,これまでの教育界でどういうことが起きたか,どういう過ちがなされたかを,丁寧に教えることが重要であると思います。それは教育史です。
教育史は教育学の重要な一角を占めており,教員採用試験の教職教養でも出題されますが,悲しいかな,どの自治体もこの分野にあまり重きを置いていないようです。
出題頻度が高いのは,お堅い教育法規や直近の教育時事といったもの。ここ数年,教育史など蚊帳の外という自治体すらあります。試験の過去問をみていて,なんか「近視眼」だな,という印象を持つのです。
教育のこれまでの経緯をしっかりと踏まえているか。こういうことを,もっと問うべきでしょう。私自身,教育史の知識は教科書レベル(それ以下?)のものなので,偉そうなことはいえませんが。
新聞記事データベース『聞蔵』や『ヨミダス歴史館』にて,「体罰」ないしは「教員*打つ」という語を入れてみると,結構な数の記事が引っ掛かります。昔の記事として,以下のようなものがありました。
上は1927(昭和2)年5月30日の読売新聞,下は1952(昭和27)年12月19日の朝日新聞の記事です。教員の体罰に対する異議申し立てがなされ,体罰が子どもにいかに悪影響を与えるかについて,識者が解説しています。ほう。今とそっくりですね。
では,具体的にどういう体罰事件が起きていたのでしょう。時代を少し上がりますが,3件紹介します。子どもが死に至った事件が2件,発狂した事件が1件です。
上は1916(大正5)年5月9日,中は1924(大正13)年8月17日,そして下は1927(昭和2)年5月28日の記事です(東京朝日新聞)。いずれも,大阪の事件に劣らぬほど惨たらしい事件です。
ちなみに,武田さち子さんという方がツイッターで教えて下さったところによると,1952(昭和27)年4月25日,中学校で教員に殴られ教室を追い出された生徒が,校舎の屋上から飛び降り自殺した事件もあったそうな。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といいますが,いじめにせよ体罰にせよ,教育問題への関心というのは,重大事件が起きると加熱し,やがて潮が引くように鎮まり,事件が起きると再び高まるというような,波動をたどる傾向を持っています。
歴史は繰り返す。人間というのは愚かなもので,過去の過ちを繰り返す習性を有しています。このことにかんがみ,未来の教員志望者には,これまでの教育界でどういうことが起きたか,どういう過ちがなされたかを,丁寧に教えることが重要であると思います。それは教育史です。
教育史は教育学の重要な一角を占めており,教員採用試験の教職教養でも出題されますが,悲しいかな,どの自治体もこの分野にあまり重きを置いていないようです。
出題頻度が高いのは,お堅い教育法規や直近の教育時事といったもの。ここ数年,教育史など蚊帳の外という自治体すらあります。試験の過去問をみていて,なんか「近視眼」だな,という印象を持つのです。
教育のこれまでの経緯をしっかりと踏まえているか。こういうことを,もっと問うべきでしょう。私自身,教育史の知識は教科書レベル(それ以下?)のものなので,偉そうなことはいえませんが。
2013年3月29日金曜日
福島における喘息児の増加
本日,2012年度の文科省『学校保健統計調査』の確定値が公表されました。この資料から,各種の疾患を患っている児童・生徒の比率を,都道府県別に知ることができます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa05/hoken/1268826.htm
2011年3月の東日本大震災により,被災地の子どもの健康に悪影響が及んだといわれます。とりわけ,原発事故が起きた福島の状況が懸念されるところです。
昨年の12月26日の記事では,2010年から2012年にかけて,福島の子どもの肥満傾向児率が高まっていることを明らかにしました。これは,当県に固有の傾向です。おそらく,外出制限に伴う運動不足等の影響によるものとみられます。
さて,上記の資料にはいろいろな疾患の罹患率が掲載されているのですが,生活の「室内化」と関係する代表的な疾患として,喘息があります。気管支の機能狭窄により,発作的に呼吸困難になる症状です。
この病は,大気汚染が進んでいる都市で多いと同時に,室内のハウスダストアレルギーとも関連しているといわれます。この伝でいうと,事故が起きた福島では,子どもの喘息罹患率が高まっているのではないかと思われます。この点をデータでみてみましょう。
私は,2010年と2012年の『学校保健統計』の確定値を比較することで,2011年の震災をはさんで,子どもの喘息罹患率がどう変わったのかを調べました。下図は,全国と福島について,小学生(6~11歳)の罹患率の変化を図示したものです。
小学生の喘息罹患率は,全国統計ではほとんど変化なしですが,福島では,どの年齢でも率が大きく伸びています。伸び幅が最も大きいのは9歳児で,この2年間で2.8%から6.6%へと,3.8ポイントも上昇しています。
こうした傾向は,福島以外の県でもみられるのでしょうか。この年齢に限定して,喘息罹患率を全県分出してみました。下表をご覧ください。△は,この2年間の増減がマイナスであることを意味します。
この2年間で罹患率が増えた県は他にもありますが,伸び幅は福島がダントツで大きくなっています。47県中の相対順位も,33位から一気に2位へと高まっている次第です。
私は視覚人間ですので,上表のデータを可視化しておこうと思います。横軸に2010年,縦軸に2012年の喘息罹患率をとった座標上に,47の都道府県をプロットしてみました。
図中の斜線は均等線であり,この線よりも上にある場合,喘息罹患率が高まっていることを示唆します。伸び幅がどれほどかは,均等線からの垂直方向の距離でみてとることができます。福島の増加幅が最も大きいことがお分かりかと存じます。
原発事故に伴う,子どもの生活の「室内化」の影響と断じることはできませんが,その可能性は高いのではないでしょうか。
今回は喘息の罹患率について検討しましたが,『学校保健統計』から,他の疾患の罹患率がどう変わったかも明らかにできます。より分析を深め問題を検出し,必要な対策を講じることが重要であるのは申すまでもありません。今回の作業は,マクロデータを用いた検討の第一歩です。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa05/hoken/1268826.htm
2011年3月の東日本大震災により,被災地の子どもの健康に悪影響が及んだといわれます。とりわけ,原発事故が起きた福島の状況が懸念されるところです。
昨年の12月26日の記事では,2010年から2012年にかけて,福島の子どもの肥満傾向児率が高まっていることを明らかにしました。これは,当県に固有の傾向です。おそらく,外出制限に伴う運動不足等の影響によるものとみられます。
さて,上記の資料にはいろいろな疾患の罹患率が掲載されているのですが,生活の「室内化」と関係する代表的な疾患として,喘息があります。気管支の機能狭窄により,発作的に呼吸困難になる症状です。
この病は,大気汚染が進んでいる都市で多いと同時に,室内のハウスダストアレルギーとも関連しているといわれます。この伝でいうと,事故が起きた福島では,子どもの喘息罹患率が高まっているのではないかと思われます。この点をデータでみてみましょう。
私は,2010年と2012年の『学校保健統計』の確定値を比較することで,2011年の震災をはさんで,子どもの喘息罹患率がどう変わったのかを調べました。下図は,全国と福島について,小学生(6~11歳)の罹患率の変化を図示したものです。
小学生の喘息罹患率は,全国統計ではほとんど変化なしですが,福島では,どの年齢でも率が大きく伸びています。伸び幅が最も大きいのは9歳児で,この2年間で2.8%から6.6%へと,3.8ポイントも上昇しています。
こうした傾向は,福島以外の県でもみられるのでしょうか。この年齢に限定して,喘息罹患率を全県分出してみました。下表をご覧ください。△は,この2年間の増減がマイナスであることを意味します。
この2年間で罹患率が増えた県は他にもありますが,伸び幅は福島がダントツで大きくなっています。47県中の相対順位も,33位から一気に2位へと高まっている次第です。
私は視覚人間ですので,上表のデータを可視化しておこうと思います。横軸に2010年,縦軸に2012年の喘息罹患率をとった座標上に,47の都道府県をプロットしてみました。
図中の斜線は均等線であり,この線よりも上にある場合,喘息罹患率が高まっていることを示唆します。伸び幅がどれほどかは,均等線からの垂直方向の距離でみてとることができます。福島の増加幅が最も大きいことがお分かりかと存じます。
原発事故に伴う,子どもの生活の「室内化」の影響と断じることはできませんが,その可能性は高いのではないでしょうか。
今回は喘息の罹患率について検討しましたが,『学校保健統計』から,他の疾患の罹患率がどう変わったかも明らかにできます。より分析を深め問題を検出し,必要な対策を講じることが重要であるのは申すまでもありません。今回の作業は,マクロデータを用いた検討の第一歩です。
2013年3月28日木曜日
教員・生徒関係の国際比較
教員は「教える」ことを業とする専門職ですが,教授活動が効果を上げるためには,児童・生徒との良好な人間関係を築くことが前提条件となります。
この点については,教育課程の国家基準である学習指導要領でもいわれており,「日ごろから学級経営の充実を図り,教師と児童(生徒)の信頼関係」を育てることとされています(総則)。
しかるに,法や政府文書に書かれていることは理想であって,現実はそれと食い違っていることがしばしばです。意地の悪い私は,後者のほうに目を向けたくなります。国際データをもとに,わが国の教員・生徒関係の良好度を診てみようと思います。
OECDは,3年間隔で国際学力調査PISAを実施しています。対象は,各国の15歳の生徒です。日本では,高校1年生が回答しています。
PISA2009の生徒質問紙調査のQ30では,「あなたの学校の先生について,どのように思っているか」と問い,以下の5つの事項について自己評定するよう求めています。
まずは総合評価(①)から始まり,先生が自分に関心を持ってくれているか(②,③)を問い,さらに,自分に対する先生の扱い(④,⑤)を尋ねる,という仕掛けです。
いずれもポジティヴな項目ですので,選択肢の数値は,教員・生徒関係の良好度を測る尺度として使えます。各項目で選択された数値を足し合わせた値を,教員・生徒関係の良好度スコアとします。全部4を選ぶ生徒は20点,逆に全部1を選ぶような不幸な生徒は5点となります。
私は,当該調査のローデータ(下記サイトよりDL可能)を加工して,74か国,49万7,019人の生徒のスコアを計算しました。いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある者は除いています。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php
手始めに,日本とアメリカの生徒のスコア分布をみていただきましょう。下図は,折れ線によるスコア分布図です。カッコ内はサンプル数であり,日本の場合,6,006人のスコア分布が描かれています。
アメリカのほうが高得点層に多く分布していますね。4項目に「4」と回答した場合,16点となりますが,16点以上の者の比率に注意すると,日本は16.0%,アメリカは35.2%です。その分,わが国の生徒は,低スコアの比重が米国に比して高くなっています。
上の分布からスコア平均を出すと,日本が13.1点,アメリカが15.1点となります。生徒による自己評定ですが,日本のほうが思わしくない,という結果が出ました。
以上は日米比較ですが,比較の対象をPISA2009の全対象国(74か国)に広げましょう。私は同じやり方において,各国の教員・生徒関係スコアの平均値を計算し,高い順に並べたランク表をつくりました。
ここでは,上位10位,下位10位と,主要国の位置をお見せします。先ほど出した日本の値(13.1点)はどこに位置づくか。ご覧ください。
日本のスコア平均は,74か国の中で最下位です。スコアの絶対水準に大きな差はありませんが,相対比較という点でいうなら,わが国の高校の教員・生徒関係は,世界で最も思わしくない,とうことになります。
これをどうみたものでしょう。昨年の10月に私は,「高校理科の授業スタイルの国際比較」という小論をシノドス・ジャーナルに寄稿しました。そこで分かったのは,日本の高校理科の授業スタイルが,開発主義とは最も隔たった知識注入型であることです。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1990703.html
授業は詰め込み,対生徒関係も芳しくない・・・。わが国の教員のパフォーマンスに?がつきそうですが,個々の教員の資質云々の問題ではないと思います。
詰め込み授業は,内容がぎっしり詰まった国定カリキュラム(学習指導要領)に由来する面があるでしょう。対生徒関係スコアの低さにしても,会議や雑務であまりに忙しく,個々の生徒とじっくり向き合う時間がない,という条件によるのではないでしょうか。
また,昨年の10月17日の記事でみたように,教員の非正規化(バイト化)が進んでいることの影響も大きいと思われます。学習指導要領がいう教員・生徒の「信頼関係」とは,長期的な接触の中で育まれるものですが,細切れ雇用の「バイト先生」が増えることは,確実にそれを不可能にします。
教員の多くがバイト先生であるような学校では,生徒が「自分を分かってくれていない」と答えるのも,無理からぬことです。もしかすると,上表の各国のスコアは,教員の非正規率のような指標と相関しているんじゃないかなあ。
なお,ここでのデータは,高校1年生のものであることにも注意が要ります。周知のように,わが国の高校は有名大学進学可能性に依拠して序列づけられている側面があり,いわゆるランクの低い高校の生徒が否定的な回答を多く寄せた,ということかもしれません。小・中学校でみたら,また違った結果になることも考えられます。
学習指導要領でいわれているように,教員・生徒の良好な人間関係は,教授活動が効を上げるための最も基本的な条件です。この点にかんがみ,教員のゆとりの確保,非正規化の抑制が強く求められるといえましょう。
この点については,教育課程の国家基準である学習指導要領でもいわれており,「日ごろから学級経営の充実を図り,教師と児童(生徒)の信頼関係」を育てることとされています(総則)。
しかるに,法や政府文書に書かれていることは理想であって,現実はそれと食い違っていることがしばしばです。意地の悪い私は,後者のほうに目を向けたくなります。国際データをもとに,わが国の教員・生徒関係の良好度を診てみようと思います。
OECDは,3年間隔で国際学力調査PISAを実施しています。対象は,各国の15歳の生徒です。日本では,高校1年生が回答しています。
PISA2009の生徒質問紙調査のQ30では,「あなたの学校の先生について,どのように思っているか」と問い,以下の5つの事項について自己評定するよう求めています。
まずは総合評価(①)から始まり,先生が自分に関心を持ってくれているか(②,③)を問い,さらに,自分に対する先生の扱い(④,⑤)を尋ねる,という仕掛けです。
いずれもポジティヴな項目ですので,選択肢の数値は,教員・生徒関係の良好度を測る尺度として使えます。各項目で選択された数値を足し合わせた値を,教員・生徒関係の良好度スコアとします。全部4を選ぶ生徒は20点,逆に全部1を選ぶような不幸な生徒は5点となります。
私は,当該調査のローデータ(下記サイトよりDL可能)を加工して,74か国,49万7,019人の生徒のスコアを計算しました。いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある者は除いています。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php
手始めに,日本とアメリカの生徒のスコア分布をみていただきましょう。下図は,折れ線によるスコア分布図です。カッコ内はサンプル数であり,日本の場合,6,006人のスコア分布が描かれています。
アメリカのほうが高得点層に多く分布していますね。4項目に「4」と回答した場合,16点となりますが,16点以上の者の比率に注意すると,日本は16.0%,アメリカは35.2%です。その分,わが国の生徒は,低スコアの比重が米国に比して高くなっています。
上の分布からスコア平均を出すと,日本が13.1点,アメリカが15.1点となります。生徒による自己評定ですが,日本のほうが思わしくない,という結果が出ました。
以上は日米比較ですが,比較の対象をPISA2009の全対象国(74か国)に広げましょう。私は同じやり方において,各国の教員・生徒関係スコアの平均値を計算し,高い順に並べたランク表をつくりました。
ここでは,上位10位,下位10位と,主要国の位置をお見せします。先ほど出した日本の値(13.1点)はどこに位置づくか。ご覧ください。
日本のスコア平均は,74か国の中で最下位です。スコアの絶対水準に大きな差はありませんが,相対比較という点でいうなら,わが国の高校の教員・生徒関係は,世界で最も思わしくない,とうことになります。
これをどうみたものでしょう。昨年の10月に私は,「高校理科の授業スタイルの国際比較」という小論をシノドス・ジャーナルに寄稿しました。そこで分かったのは,日本の高校理科の授業スタイルが,開発主義とは最も隔たった知識注入型であることです。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1990703.html
授業は詰め込み,対生徒関係も芳しくない・・・。わが国の教員のパフォーマンスに?がつきそうですが,個々の教員の資質云々の問題ではないと思います。
詰め込み授業は,内容がぎっしり詰まった国定カリキュラム(学習指導要領)に由来する面があるでしょう。対生徒関係スコアの低さにしても,会議や雑務であまりに忙しく,個々の生徒とじっくり向き合う時間がない,という条件によるのではないでしょうか。
また,昨年の10月17日の記事でみたように,教員の非正規化(バイト化)が進んでいることの影響も大きいと思われます。学習指導要領がいう教員・生徒の「信頼関係」とは,長期的な接触の中で育まれるものですが,細切れ雇用の「バイト先生」が増えることは,確実にそれを不可能にします。
教員の多くがバイト先生であるような学校では,生徒が「自分を分かってくれていない」と答えるのも,無理からぬことです。もしかすると,上表の各国のスコアは,教員の非正規率のような指標と相関しているんじゃないかなあ。
なお,ここでのデータは,高校1年生のものであることにも注意が要ります。周知のように,わが国の高校は有名大学進学可能性に依拠して序列づけられている側面があり,いわゆるランクの低い高校の生徒が否定的な回答を多く寄せた,ということかもしれません。小・中学校でみたら,また違った結果になることも考えられます。
学習指導要領でいわれているように,教員・生徒の良好な人間関係は,教授活動が効を上げるための最も基本的な条件です。この点にかんがみ,教員のゆとりの確保,非正規化の抑制が強く求められるといえましょう。
2013年3月27日水曜日
幼子がいる母親の就業率(47都道府県)
前回は,東京都内の地域統計を使って,幼子がいる母親の就業率と保育所供給率の関連を明らかにしました。分かったのは,両指標の間に強い正の相関関係がある,ということです。
ところで,東京に土地勘がなく,いまいちピンとこなかった方もおられるのではないでしょうか。また,東京という局所(大都市)でいえることがどれほど普遍性を持つのか,という疑問もあろうかと存じます。
そこで今回は,分析の次元を引き上げて,47都道府県のデータを用いて同じ分析をしてみようと思います。保育所の供給が多い地域ほど,幼子を抱える母親の就業率は高いか。県レベルのデータをもとに,追試をしてみましょう。
私が住んでいる東京都を例に,指標の計算方法を説明します。まずは,幼子を抱える母親の就業率です。2010年の『国勢調査』によると,都内に居を構える核家族世帯のうち,6歳未満の幼子がいる世帯は418,670世帯です(末子年齢による)。このうち,母親が就業している世帯は153,981世帯。よって,幼子がいる母親の就業率は36.8%となります。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm
ここでいう核家族とは,夫婦がいる核家族であり,母子世帯は含んでいません。また,今出した就業率は,パート等の非正規も含む値であることに留意ください。
次に,保育所供給率です。厚労省の『福祉行政報告例』(2010年)によると,同年4月1日時点における都内の認可保育所の定員数は173,532人となっています。このイスを求める需要者数として,幼子がいる核家族世帯の数を充てることとしましょう。先ほど示したように,その数418,670世帯。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/38-1.html
こう考えると,東京の保育所供給率は,173,532/418,670=41.4%と算出されます。幼子がいる核家族世帯(需要者)に対し,イスがどれほど供されているか,という意味の指標です。
私は,同じやり方にて,この2つの指標を47都道府県について計算しました。下表は,その一覧です。計算に使った分子と分母の数値も漏れなく掲げます。なお,政令指定都市の認可保育所定員(c)は,当該市がある県の分に組み入れたことを申し添えます。
黄色のマークは最高値,青色は最低値です。同じ幼子を抱えるママさんでも,就業率には少なからぬ地域差があり,最高の島根と最低の神奈川では,倍近くもの開きがあります。
続いて保育所供給率をみると,こちらは甚だ大きな都道府県差がみられます。最高の福井では,需要者数を超える定員が用意されていますが,最低の神奈川では,需要者の3分の1ほどしかイスが供されていません。
赤色の数値は,上位5位を意味します。ほう。両者とも,上位県がほとんど重なっていますね。対極をみれば,最下位が神奈川であるのも共通しています。
2つの指標がかなり強い正の相関にあることがうかがわれますが,相関図をつくってみましょう。下図をご覧ください。
保育所供給率が高い県ほど,幼子がいる母親の就業率が高い傾向が明瞭です。都内の49市区データでみた場合よりも,傾向がクリアーです。事実,相関係数は+0.877であり,前回の係数値(+0.618)をかなり上回っています。
図の右上にある北陸や山陰の県は,三世代家族が多いのではないか,といわれるかもしれませんが,ここで出したのは核家族世帯に限定した就業率ですので,そのような要因の影響は除去されています。むろん,同居とはいわずとも,すぐ近くに親(子からすれば祖父母)が住んでいる,という条件があるかもしれませんが・・・。
最後に,母親の就業率と保育所供給率の相関係数を,末子の年齢ごとにみてみましょう。0歳の箇所には,0歳の乳幼児がいる母親の就業率と,上図の保育所供給率の相関係数が示されています。
ほう。都内の地域データでみた場合よりも,相関係数が軒並み高くなっていますね。子が大きくなるにつれて係数値が上がってくるのは,育児休業のような制度の活用が難しくなり,頼みの綱がもっぱら保育所に限定されてしまうためでしょう。
しかし,子が0歳の時点にして相関係数が0.787とはスゴイですねえ。育児休業とか,他の条件の影響はないのかしらん。恐るべし,保育所パワー。
前回も申しましたが,幼子がいる母親の就業率と保育所供給率の相関は,いろいろな視点から読むべきかと思います。育児休業や男性の育児参画のような,保育所とは別の条件の整備が蔑ろにされていることの証左とも読めるでしょう。
上記のデータは,「保育所の増設を!」だけでなく,「育児休業の拡充を!,男性の育児参画の促進を!」というような,別の主張の根拠にも使っていただきたいと思います。「預ける」だけでなく,「休む」,「共に育てる」というような面にも目配りすることです。
ところで,東京に土地勘がなく,いまいちピンとこなかった方もおられるのではないでしょうか。また,東京という局所(大都市)でいえることがどれほど普遍性を持つのか,という疑問もあろうかと存じます。
そこで今回は,分析の次元を引き上げて,47都道府県のデータを用いて同じ分析をしてみようと思います。保育所の供給が多い地域ほど,幼子を抱える母親の就業率は高いか。県レベルのデータをもとに,追試をしてみましょう。
私が住んでいる東京都を例に,指標の計算方法を説明します。まずは,幼子を抱える母親の就業率です。2010年の『国勢調査』によると,都内に居を構える核家族世帯のうち,6歳未満の幼子がいる世帯は418,670世帯です(末子年齢による)。このうち,母親が就業している世帯は153,981世帯。よって,幼子がいる母親の就業率は36.8%となります。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm
ここでいう核家族とは,夫婦がいる核家族であり,母子世帯は含んでいません。また,今出した就業率は,パート等の非正規も含む値であることに留意ください。
次に,保育所供給率です。厚労省の『福祉行政報告例』(2010年)によると,同年4月1日時点における都内の認可保育所の定員数は173,532人となっています。このイスを求める需要者数として,幼子がいる核家族世帯の数を充てることとしましょう。先ほど示したように,その数418,670世帯。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/38-1.html
こう考えると,東京の保育所供給率は,173,532/418,670=41.4%と算出されます。幼子がいる核家族世帯(需要者)に対し,イスがどれほど供されているか,という意味の指標です。
私は,同じやり方にて,この2つの指標を47都道府県について計算しました。下表は,その一覧です。計算に使った分子と分母の数値も漏れなく掲げます。なお,政令指定都市の認可保育所定員(c)は,当該市がある県の分に組み入れたことを申し添えます。
黄色のマークは最高値,青色は最低値です。同じ幼子を抱えるママさんでも,就業率には少なからぬ地域差があり,最高の島根と最低の神奈川では,倍近くもの開きがあります。
続いて保育所供給率をみると,こちらは甚だ大きな都道府県差がみられます。最高の福井では,需要者数を超える定員が用意されていますが,最低の神奈川では,需要者の3分の1ほどしかイスが供されていません。
赤色の数値は,上位5位を意味します。ほう。両者とも,上位県がほとんど重なっていますね。対極をみれば,最下位が神奈川であるのも共通しています。
2つの指標がかなり強い正の相関にあることがうかがわれますが,相関図をつくってみましょう。下図をご覧ください。
保育所供給率が高い県ほど,幼子がいる母親の就業率が高い傾向が明瞭です。都内の49市区データでみた場合よりも,傾向がクリアーです。事実,相関係数は+0.877であり,前回の係数値(+0.618)をかなり上回っています。
図の右上にある北陸や山陰の県は,三世代家族が多いのではないか,といわれるかもしれませんが,ここで出したのは核家族世帯に限定した就業率ですので,そのような要因の影響は除去されています。むろん,同居とはいわずとも,すぐ近くに親(子からすれば祖父母)が住んでいる,という条件があるかもしれませんが・・・。
最後に,母親の就業率と保育所供給率の相関係数を,末子の年齢ごとにみてみましょう。0歳の箇所には,0歳の乳幼児がいる母親の就業率と,上図の保育所供給率の相関係数が示されています。
ほう。都内の地域データでみた場合よりも,相関係数が軒並み高くなっていますね。子が大きくなるにつれて係数値が上がってくるのは,育児休業のような制度の活用が難しくなり,頼みの綱がもっぱら保育所に限定されてしまうためでしょう。
しかし,子が0歳の時点にして相関係数が0.787とはスゴイですねえ。育児休業とか,他の条件の影響はないのかしらん。恐るべし,保育所パワー。
前回も申しましたが,幼子がいる母親の就業率と保育所供給率の相関は,いろいろな視点から読むべきかと思います。育児休業や男性の育児参画のような,保育所とは別の条件の整備が蔑ろにされていることの証左とも読めるでしょう。
上記のデータは,「保育所の増設を!」だけでなく,「育児休業の拡充を!,男性の育児参画の促進を!」というような,別の主張の根拠にも使っていただきたいと思います。「預ける」だけでなく,「休む」,「共に育てる」というような面にも目配りすることです。
2013年3月26日火曜日
幼子がいる母親の就業率(東京都内49市区)
前回は,子どもがいる女性(母親)の就業率の国際比較をしましたが,今回はスケールを縮小して,東京都内の地域比較を手掛けてみましょう。ここでは,就学前の幼子がいる母親に焦点を当てようと思います。
都内の杉並区において,保育所が足りないと訴える母親らの抗議運動が起きているようです。2010年の『国勢調査』によると,当区の核家族世帯のうち,6歳未満の幼子がいる世帯は11,970世帯です。このうち,母親が就業している世帯は4,678世帯となっています。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm
したがって,幼子がいる核家族世帯の母親就業率は39.1%と算出されます。およそ4割です。ここで出したのは,夫婦のいる核家族世帯の数値であり,母子世帯は含んでいません。また,パートやアルバイト等の非正規就業も含む値であることに留意ください。
私は同じやり方にて,都内の49市区(郡部除く)について,幼子がいる核家族世帯の母親就業率を計算してみました。下図は,結果を地図で表現したものです。
同じ都内であっても,幼子がいる母親の就業率は,地域によって違うものですね。最高は千代田区の44.7%,最低は東村山市の29.7%となっています。
女性の就業志向は学歴のような要因に規定される面もありますが,仮にそうであるなら,高学歴層が多い都心部が濃い色に染まるはずです。しかし,上図はそうなっていません。幼子がいる母親の就業率の地域差は,階層的な要因で説明できるものではなさそうです。
現在,各地で保育所の増設を求める運動が起きていることを思うと,上図の地域差は,おそらく保育所供給量の多寡とリンクしているのではないでしょうか。この点を吟味してみようと思います。
東京都『福祉衛生統計年報』(2009年度版)には,2010年4月1日時点の認可保育所の定員数が地域別に掲載されています。それによると,杉並区の保育所定員は5,184人です。これを求めている需要者数として,幼子がいる核家族世帯の数を充ててみましょう。先にみたように,当区の場合,その数11,970世帯なり。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/nenpou/index.html
ゆえに,杉並区の保育所供給率は,5,184/11,970=43.3%となります。幼子がいる核家族世帯に対し,どれほどの保育所定員(イス)が供されているか,という指標です。
私は,この意味での保育供給率を49の市区ごとに計算し,上図の就業率と関連づけてみました。相関図を掲げます。
撹乱はありますが,保育所の供給量が多い地域ほど,幼子がいる核家族世帯の母親の就業率が高い傾向がみられます。両指標の相関係数は+0.618であり,1%水準で有意です。
基底的な性格を同じくする,東京都内の地域統計から明らかになった結果です。自地域に保育所がどれほどあるかは,幼子がいる母親の就業の可否を規定する要因として作用しているとみてよいでしょう。当たり前といえばそうですが・・・。
なお,保育所供給量と母親就業率の関連は,子の年齢によって異なっています。末子の年齢ごとに,核家族世帯の母親の就業率を地域別に出し,上の保育所供給率との相関係数を計算したところ,下表のようになりました。
0~5歳というように,末子の年齢を広く括った就業率との相関係数は+0.618でしたが,係数値は年齢によって違っています。乳児(0歳)のいる母親の就業率との相関がないのは,育児休業のような,保育所とは別の条件があるためでしょう。
しかるに,末子の年が上がるにつれて,母親の就業可能性が保育所の量に規定される度合いが高まってきます。地方公務員の場合,育児休業が認められるのは子が3歳になるまでですが,3歳になると,保育所供給率と母親の就業率の相関係数は0.684になります。そして,小学校に上がる直前の5歳になると,+0.801という相関になる次第です。
子の年齢が3歳を超えると,育児休業をとることも難しくなり,頼みの綱がもっぱら保育所だけになるが故でしょう。なるほど。各地のママさんたちが保育所増設を強く訴えたくなるのも分かろうというものです。
しかし,幼子を持つ母親の就業率と保育所量の相関係数が0.6~0.8にもなる社会って,他にあるのかなあ。前回もちらっと書いたように,子を「預ける」だけでなく,夫婦が子を「共に育てる」という面がもっと充実しているならば,上表の相関係数はもっと低くなるように思えますが。
今回のデータは,いろいろな側面から読んでいただきたいと思います。なお,学齢(おおむね6~9歳)の児童がいる母親の場合,「学童保育」の充実度が重要になってくることでしょう。『国勢調査』から,この年齢の子がいる母親の就業率も地域別に計算できます。今回と同じような実証分析をしてみるのも一興です。
都内の杉並区において,保育所が足りないと訴える母親らの抗議運動が起きているようです。2010年の『国勢調査』によると,当区の核家族世帯のうち,6歳未満の幼子がいる世帯は11,970世帯です。このうち,母親が就業している世帯は4,678世帯となっています。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm
したがって,幼子がいる核家族世帯の母親就業率は39.1%と算出されます。およそ4割です。ここで出したのは,夫婦のいる核家族世帯の数値であり,母子世帯は含んでいません。また,パートやアルバイト等の非正規就業も含む値であることに留意ください。
私は同じやり方にて,都内の49市区(郡部除く)について,幼子がいる核家族世帯の母親就業率を計算してみました。下図は,結果を地図で表現したものです。
同じ都内であっても,幼子がいる母親の就業率は,地域によって違うものですね。最高は千代田区の44.7%,最低は東村山市の29.7%となっています。
女性の就業志向は学歴のような要因に規定される面もありますが,仮にそうであるなら,高学歴層が多い都心部が濃い色に染まるはずです。しかし,上図はそうなっていません。幼子がいる母親の就業率の地域差は,階層的な要因で説明できるものではなさそうです。
現在,各地で保育所の増設を求める運動が起きていることを思うと,上図の地域差は,おそらく保育所供給量の多寡とリンクしているのではないでしょうか。この点を吟味してみようと思います。
東京都『福祉衛生統計年報』(2009年度版)には,2010年4月1日時点の認可保育所の定員数が地域別に掲載されています。それによると,杉並区の保育所定員は5,184人です。これを求めている需要者数として,幼子がいる核家族世帯の数を充ててみましょう。先にみたように,当区の場合,その数11,970世帯なり。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/nenpou/index.html
ゆえに,杉並区の保育所供給率は,5,184/11,970=43.3%となります。幼子がいる核家族世帯に対し,どれほどの保育所定員(イス)が供されているか,という指標です。
私は,この意味での保育供給率を49の市区ごとに計算し,上図の就業率と関連づけてみました。相関図を掲げます。
撹乱はありますが,保育所の供給量が多い地域ほど,幼子がいる核家族世帯の母親の就業率が高い傾向がみられます。両指標の相関係数は+0.618であり,1%水準で有意です。
基底的な性格を同じくする,東京都内の地域統計から明らかになった結果です。自地域に保育所がどれほどあるかは,幼子がいる母親の就業の可否を規定する要因として作用しているとみてよいでしょう。当たり前といえばそうですが・・・。
なお,保育所供給量と母親就業率の関連は,子の年齢によって異なっています。末子の年齢ごとに,核家族世帯の母親の就業率を地域別に出し,上の保育所供給率との相関係数を計算したところ,下表のようになりました。
0~5歳というように,末子の年齢を広く括った就業率との相関係数は+0.618でしたが,係数値は年齢によって違っています。乳児(0歳)のいる母親の就業率との相関がないのは,育児休業のような,保育所とは別の条件があるためでしょう。
しかるに,末子の年が上がるにつれて,母親の就業可能性が保育所の量に規定される度合いが高まってきます。地方公務員の場合,育児休業が認められるのは子が3歳になるまでですが,3歳になると,保育所供給率と母親の就業率の相関係数は0.684になります。そして,小学校に上がる直前の5歳になると,+0.801という相関になる次第です。
子の年齢が3歳を超えると,育児休業をとることも難しくなり,頼みの綱がもっぱら保育所だけになるが故でしょう。なるほど。各地のママさんたちが保育所増設を強く訴えたくなるのも分かろうというものです。
しかし,幼子を持つ母親の就業率と保育所量の相関係数が0.6~0.8にもなる社会って,他にあるのかなあ。前回もちらっと書いたように,子を「預ける」だけでなく,夫婦が子を「共に育てる」という面がもっと充実しているならば,上表の相関係数はもっと低くなるように思えますが。
今回のデータは,いろいろな側面から読んでいただきたいと思います。なお,学齢(おおむね6~9歳)の児童がいる母親の場合,「学童保育」の充実度が重要になってくることでしょう。『国勢調査』から,この年齢の子がいる母親の就業率も地域別に計算できます。今回と同じような実証分析をしてみるのも一興です。
2013年3月25日月曜日
子がいる女性の就業の国際比較
東京の杉並区で,子を保育所に入れられない母親らが区長に詰め寄っている模様です。仕事を持つママさんにとって,幼子を預ける先がないということは,「仕事を辞めろ」と暗に宣告されているようなものです。これは大きな問題といえましょう。
わが国では,子を持つ女性が就業できる条件が整っていないといわれます。上記の例は,いわゆる「待機児童」の問題に通じるものですが,職場においても,子どもができた女性職員に対し「仕事を辞めて育児に専念したらどうか」というような,肩たたきがなされることが少なくないと聞きます。
「子をとるか仕事をとるか」。日本はまだ,こういう二者択一を女性に強いる社会であるように思えます。このことが,わが国で進行する少子化の一因をなしていることは否定できますまい。
ある社会において,このような問題がどれほど深刻であるかは,子がいる女性のフルタイム就業率ないしは専業主婦率を観察することで推し量ることができるでしょう。今回はこの指標の国際比較を行い,日本の現況を性格づけてみようと思います。
用いるのは,2005~2008年の間に実施された,第5回『世界価値観調査』(WVS)のデータです。私は,WVSサイトのオンライン集計機能を使って,「性×子の有無(数)×就業状態」の3重クロス表を国ごとに作成しました。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
手始めに,日本と北欧のフィンランドの統計図をみていただきましょう。WVSの対象は,各国の18歳以上の男女ですが,分析対象を生産年齢相当の女性に限定するため,就業状態が「学生」あるいは「退職者」という者は除外しています。
下図は,女性の就業状態の分布が,子の有無によってどう異なるかを表現したものです。カッコ内はサンプル数であり,D.KやN.Aを除く有効回答の数であることを申し添えます。両国とも2005年の調査データです。
日本では,女性が子どもを持つとフルタイム就業が大きく減り,代わって専業主婦が大幅に増加します。双方の増減の幅がほぼ等しいというのも何だか象徴的ですね。
比較対象のフィンランドでもそのような傾向はありますが,その程度は日本に比したらかなり小さいようです。ふうむ。
では,より多くの国を射程に入れた布置構造の中で,わが国がどこに位置づくのかを明らかにしましょう。私は,子がいる女性のフルタイム就業率と専業主婦率をもとに2次元のマトリクスを構成し,その上に53の社会を散りばめてみました。*米国はデータ計算不可。
なお,日本を含む7か国については,子を持つことでどういう位置変化が起きるかも分かるようにしました。矢印のしっぽは子どもがいない女性,先端は子どもがいる女性の位置を意味します。
図の左上にあるのは,フルタイム就業率が高く専業主婦率が低い国であり,子がいる女性の就業条件が整備されている社会であるとみられます。フランスとスペインの境ある小国アンドラ,北欧のノルウェーとスウェーデン,そして大国ロシアが位置しています。
中国も,子がいる女性のフルタイム就業率が高いのですね。一人っ子政策のような,出産抑制政策がとられているためでしょうか。それとも,社会主義国ゆえか。
対極の右下に位置するのは,子がいる女性の社会進出が少ない国ですが,多くがイスラーム国家です。これらの国では,子がいない女性でも位置はさして変わりません。イスラーム社会では女性はあまり外に出ないといいますが,こういう文化的な要因を反映しているとみられます。
それでは,子の有無による状態変化が分かるようにした7か国に注目してみましょう。スウェーデンを除いて,右下がりの矢印になっています。子を持つことでフルタイム就業が減り,専業主婦が増える,という変化です。
その程度は矢印の長さで表されていますが,子を持つことによる変化が最も激烈なのは韓国です。フルタイムは57.1%から12.4%まで減じ,代わって専業主婦が8.3%から65.7%へと激増するのです。わが国も,韓国ほどではありませんが,位置変化が大きな社会であると判断されます。
独英も位置変化が大きいようですが,矢印が斜線(均等線)を越えていません。つまり,子を持つ女性であっても,専業主婦よりフルタイム就業が多い,ということです。
一方,東アジアの日韓では,子どもができることで,女性のフルタイム就業率と専業主婦率が逆転してしまいます。「子をとるか仕事をとるか」という二者択一を,女性が暗にも明にも強いられる社会である,といったら言い過ぎでしょうか。
先ほどわが国とサシで比較したフィンランドは,位置変化が小さいですねえ。スウェーデンに至っては,子持ちの女性のほうがフルタイム就業率が高い,という傾向すらみられます。むーん。
詳しくは存じませんが,北欧国では,保育所の整備のほかに,男性の育児参画の条件整備のようなことも精力的になされているのではないかなあ。わが国では,子を「預ける」場所の確保ということに議論が集中しているようですが,夫婦で子を「共に育てる」という側面にも注意を払う必要があるかと思います。
2010年末に策定された第3次男女共同参画基本計画では,2020年の数値目標として,「男性の育児休業取得率13%」を掲げているそうな。2009年の実績値(1.72%)よりも大幅増を目指しています。
http://www.gender.go.jp/main_contents/category/houritu_keikaku.html
このような取組を着実に実施することで,上図に描かれた,わが国の矢印が短くなることを願うものです。
わが国では,子を持つ女性が就業できる条件が整っていないといわれます。上記の例は,いわゆる「待機児童」の問題に通じるものですが,職場においても,子どもができた女性職員に対し「仕事を辞めて育児に専念したらどうか」というような,肩たたきがなされることが少なくないと聞きます。
「子をとるか仕事をとるか」。日本はまだ,こういう二者択一を女性に強いる社会であるように思えます。このことが,わが国で進行する少子化の一因をなしていることは否定できますまい。
ある社会において,このような問題がどれほど深刻であるかは,子がいる女性のフルタイム就業率ないしは専業主婦率を観察することで推し量ることができるでしょう。今回はこの指標の国際比較を行い,日本の現況を性格づけてみようと思います。
用いるのは,2005~2008年の間に実施された,第5回『世界価値観調査』(WVS)のデータです。私は,WVSサイトのオンライン集計機能を使って,「性×子の有無(数)×就業状態」の3重クロス表を国ごとに作成しました。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
手始めに,日本と北欧のフィンランドの統計図をみていただきましょう。WVSの対象は,各国の18歳以上の男女ですが,分析対象を生産年齢相当の女性に限定するため,就業状態が「学生」あるいは「退職者」という者は除外しています。
下図は,女性の就業状態の分布が,子の有無によってどう異なるかを表現したものです。カッコ内はサンプル数であり,D.KやN.Aを除く有効回答の数であることを申し添えます。両国とも2005年の調査データです。
日本では,女性が子どもを持つとフルタイム就業が大きく減り,代わって専業主婦が大幅に増加します。双方の増減の幅がほぼ等しいというのも何だか象徴的ですね。
比較対象のフィンランドでもそのような傾向はありますが,その程度は日本に比したらかなり小さいようです。ふうむ。
では,より多くの国を射程に入れた布置構造の中で,わが国がどこに位置づくのかを明らかにしましょう。私は,子がいる女性のフルタイム就業率と専業主婦率をもとに2次元のマトリクスを構成し,その上に53の社会を散りばめてみました。*米国はデータ計算不可。
なお,日本を含む7か国については,子を持つことでどういう位置変化が起きるかも分かるようにしました。矢印のしっぽは子どもがいない女性,先端は子どもがいる女性の位置を意味します。
図の左上にあるのは,フルタイム就業率が高く専業主婦率が低い国であり,子がいる女性の就業条件が整備されている社会であるとみられます。フランスとスペインの境ある小国アンドラ,北欧のノルウェーとスウェーデン,そして大国ロシアが位置しています。
中国も,子がいる女性のフルタイム就業率が高いのですね。一人っ子政策のような,出産抑制政策がとられているためでしょうか。それとも,社会主義国ゆえか。
対極の右下に位置するのは,子がいる女性の社会進出が少ない国ですが,多くがイスラーム国家です。これらの国では,子がいない女性でも位置はさして変わりません。イスラーム社会では女性はあまり外に出ないといいますが,こういう文化的な要因を反映しているとみられます。
それでは,子の有無による状態変化が分かるようにした7か国に注目してみましょう。スウェーデンを除いて,右下がりの矢印になっています。子を持つことでフルタイム就業が減り,専業主婦が増える,という変化です。
その程度は矢印の長さで表されていますが,子を持つことによる変化が最も激烈なのは韓国です。フルタイムは57.1%から12.4%まで減じ,代わって専業主婦が8.3%から65.7%へと激増するのです。わが国も,韓国ほどではありませんが,位置変化が大きな社会であると判断されます。
独英も位置変化が大きいようですが,矢印が斜線(均等線)を越えていません。つまり,子を持つ女性であっても,専業主婦よりフルタイム就業が多い,ということです。
一方,東アジアの日韓では,子どもができることで,女性のフルタイム就業率と専業主婦率が逆転してしまいます。「子をとるか仕事をとるか」という二者択一を,女性が暗にも明にも強いられる社会である,といったら言い過ぎでしょうか。
先ほどわが国とサシで比較したフィンランドは,位置変化が小さいですねえ。スウェーデンに至っては,子持ちの女性のほうがフルタイム就業率が高い,という傾向すらみられます。むーん。
詳しくは存じませんが,北欧国では,保育所の整備のほかに,男性の育児参画の条件整備のようなことも精力的になされているのではないかなあ。わが国では,子を「預ける」場所の確保ということに議論が集中しているようですが,夫婦で子を「共に育てる」という側面にも注意を払う必要があるかと思います。
2010年末に策定された第3次男女共同参画基本計画では,2020年の数値目標として,「男性の育児休業取得率13%」を掲げているそうな。2009年の実績値(1.72%)よりも大幅増を目指しています。
http://www.gender.go.jp/main_contents/category/houritu_keikaku.html
このような取組を着実に実施することで,上図に描かれた,わが国の矢印が短くなることを願うものです。
2013年3月24日日曜日
児童虐待の原義
児童虐待が社会問題化している昨今ですが,当然,この問題は昔もありました。朝日新聞の記事データベース「聞蔵」でこの言葉を入れてみると,最も古い記事として,以下のものがヒットします。
1906(明治39)年9月12日の大阪朝日新聞に掲載された,「児童虐待の弊」と題する社説です。だいぶ前から,この言葉はあったのですね。ですが,その意味するところは今とはちと違っていたようです。
この記事では,児童虐待の主要型として,①「小学に於ける児童の虐待」,②「家庭に於ける児童の虐待」,および③「工場に於ける児童の虐待」という3つを挙げています。
①は,児童に「日々過重の宿題」を課し,その心身の発育に害が及ぶような事態です。②は,女児をして「小学に通学せしむる外,或は裁縫教師の許に送り,或は茶の湯挿花の如き,琴三絃の如き,遊芸を仕込む」など,父母の「虚栄心を満足せしむる器具」にしてしまうようなことです。③は,児童を長時間工場で働かせる,いわゆる児童労働です。
筆者は,「以上の三項を以て,我が少国民に対する現代社会の虐待と為し,国民体力の発達を阻害し,帝国将来の運命にも関する重大の事項なるを信ずる」と述べています。
ひるがえって現在はというと,児童虐待防止法で定められている虐待のタイプは,身体的虐待,性的虐待,ネグレクト,そして心理的虐待です(第2条)。児童に暴力を振るったり,暴言を吐いたり,無視したりするような行いが問題とされています。昔のように,児童を酷使するというような行為は前面に出されていません。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO082.html
しかるに,“child abuse”という児童虐待の英訳から分かるように,この言葉の原義は,児童を異常な仕方で扱うことです。abuseを分解すると,「ab(異常に)+use(使う)」ですから。
このような原義にさかのぼってみると,現行法で定められている児童虐待の概念の拡張が必要ではないか,という気がします。上記の記事の時代から100年と少し経った今でも,①と②に類する行いはあるではありませんか。学力向上を旗印に子どもをやたらと勉学に駆り立てるなど。ますます普及しつつある早期受験にしても,子が親の「虚栄心を満足せしむる器具」にされるような面を多く含んでいます。
上の記事では,「過大の負担を児童に強ひ,活発に喜戯す可き児童の時間を奪ひ,甚だしきは暑中休暇をすら利用する能はざらしむる如きは,其の心身の発育に害ある言を俟たず」といわれていますが,現在においても,こういう事態はいくらでも想起されます。
現在,学力の育成を確かなものにすべく,学校週6日制への回帰が検討されているそうな。しかしこれも度が過ぎると,本来いうところの児童虐待(child abuse)に相当する,ということを認識すべきではないでしょうか。こんなふうに思うのです。
1906(明治39)年9月12日の大阪朝日新聞に掲載された,「児童虐待の弊」と題する社説です。だいぶ前から,この言葉はあったのですね。ですが,その意味するところは今とはちと違っていたようです。
この記事では,児童虐待の主要型として,①「小学に於ける児童の虐待」,②「家庭に於ける児童の虐待」,および③「工場に於ける児童の虐待」という3つを挙げています。
①は,児童に「日々過重の宿題」を課し,その心身の発育に害が及ぶような事態です。②は,女児をして「小学に通学せしむる外,或は裁縫教師の許に送り,或は茶の湯挿花の如き,琴三絃の如き,遊芸を仕込む」など,父母の「虚栄心を満足せしむる器具」にしてしまうようなことです。③は,児童を長時間工場で働かせる,いわゆる児童労働です。
筆者は,「以上の三項を以て,我が少国民に対する現代社会の虐待と為し,国民体力の発達を阻害し,帝国将来の運命にも関する重大の事項なるを信ずる」と述べています。
ひるがえって現在はというと,児童虐待防止法で定められている虐待のタイプは,身体的虐待,性的虐待,ネグレクト,そして心理的虐待です(第2条)。児童に暴力を振るったり,暴言を吐いたり,無視したりするような行いが問題とされています。昔のように,児童を酷使するというような行為は前面に出されていません。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO082.html
しかるに,“child abuse”という児童虐待の英訳から分かるように,この言葉の原義は,児童を異常な仕方で扱うことです。abuseを分解すると,「ab(異常に)+use(使う)」ですから。
このような原義にさかのぼってみると,現行法で定められている児童虐待の概念の拡張が必要ではないか,という気がします。上記の記事の時代から100年と少し経った今でも,①と②に類する行いはあるではありませんか。学力向上を旗印に子どもをやたらと勉学に駆り立てるなど。ますます普及しつつある早期受験にしても,子が親の「虚栄心を満足せしむる器具」にされるような面を多く含んでいます。
上の記事では,「過大の負担を児童に強ひ,活発に喜戯す可き児童の時間を奪ひ,甚だしきは暑中休暇をすら利用する能はざらしむる如きは,其の心身の発育に害ある言を俟たず」といわれていますが,現在においても,こういう事態はいくらでも想起されます。
現在,学力の育成を確かなものにすべく,学校週6日制への回帰が検討されているそうな。しかしこれも度が過ぎると,本来いうところの児童虐待(child abuse)に相当する,ということを認識すべきではないでしょうか。こんなふうに思うのです。
2013年3月23日土曜日
家庭環境と非行
前回は,学歴によって男子少年の少年鑑別所・少年院入所確率がどれほど違うかを明らかにしました。今回は,家庭環境の要因の関与をみてみようと思います。
少年の非行化に際して,家庭環境の影響が大きいことはよくいわれるところです。少年非行のテキストを開くと,「家庭環境と非行」という類のチャプターが必ず設けられています。ここでは,親の有無という外的な形態如何によって,非行確率がどう変異するかを観察してみましょう。
この問題は,昨年の1月5日の記事でも扱っていますが,今回の分析対象は,少年鑑別所や少年院に入るような,非行傾向が進んだ少年です。また,入所率を出す際の母数も,より精緻な数値を使おうと思います。
なお,少年鑑別所や少年院に入るのはほとんどが男子ですので,前回と同様,分析対象は男子少年に限定することとします。
前回のおさらいになりますが,2010年の法務省『少年矯正統計』によると,同年中の少年鑑別所の男子新収容者は11,699人,少年院新収容者は3,285人です。これらの者の保護者は,以下のようになっています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_shonen-kyosei.html
父母がいる少年(①+④+⑤),母のみの少年(③),父のみの少年(②),という3グループに注目します。以後,父母家庭,母子家庭,父子家庭ということにします。
入所率の計算に使う母数は,2010年の『国勢調査』の世帯類型別人員統計から得ました。母子家庭少年の母数は,「女親と子供から成る世帯」に属する12~19歳男子です。父子家庭少年の母数は,「男親と子供から成る世帯」に属する同年齢の男子です。
数的に多い父母家庭少年については,以下の世帯に属する12~19歳男子をベースに充てることとしました。
1)夫婦と子供から成る世帯
2)夫婦,子供と両親から成る世帯
3)夫婦,子供とひとり親から成る世帯
4)夫婦,子供と他の親族(親を含まない)から成る世帯
5)夫婦,子供,親と他の親族から成る世帯
ちなみに,12~19歳という年齢を拾っているのは,少年院への送致可能年齢が「おおむね12歳以上」と法定されていることに依拠しています(少年院法第2条)。
それでは,3グループについて,入所者数を母数で除して入所率を出してみましょう。下表は,結果を整理したものです。
親の状態如何によって,少年鑑別所や少年院に入る確率はかなり違っています。前回みたように,学歴別では中卒の値がかっ飛んでいるのですが,家庭類型別では,父母<母子<父子,というように段階的に高くなっていく傾向です。
3群の差を分かりやすく可視化してみましょう。各群の入所率が,最下段の合計値の何倍に当たるかを出し,折れ線にしてみました。
母子家庭少年の入所率は通常の3倍,父子家庭少年のそれは5~6倍というところです。予想はしていましたが,家庭環境によって,非行少年の出現率は異なるものですね。非行傾向が進んだ少年院入所者において,この差が大きいことも注目されます。
親がいないといっても,母親がいないことの影響が大きいようです。パーソンズの核家族社会化論では,家庭内で表出的役割を担うのは母親とされていますが,そうした「癒し」が得られないことが痛手となるのでしょうか。
家庭の重要な機能は,成員の情緒安定機能です。今の子どもは,学校をはじめとした,家庭の外の場において,受験勉強やいじめなど,各種の緊張や葛藤にさらされる度合いが高くなっています。それゆえ,家庭では一息つきたいのですが,それが叶わないことの影響が大きいのかしらん。
なお,上表の母数の欄から分かるように,父子家庭少年は小数派ですが,母子家庭少年は結構います。合計に占める比率は12.1%,およそ8人に1人です。これは,夫婦が離婚した際,母親が子を引き取るケースが圧倒的に多いためとみられます。
わが国の母子家庭の貧困率は国際的にみて高いといわれますが,母子家庭の場合,貧困状態に陥るリスクが高くなります。むろん,衣食住にも事欠くような絶対的貧困に陥るのは稀でしょうが,周囲と比した相対的貧困が,子どもの非行化に影響することも考えられます。
思春期にもなれば,やれケータイだとかスマホだとか,仲間との交際にもカネがかかるようになり,それが叶わないとつまはじきにされる・・・。そのことからくる子どもの疎外感は,決して小さなものではないでしょう。
豊かさの中の貧困。この辛さは,「相対的剥奪」という概念にも通じるものです。時系列データを用意できませんが,今回みたような家庭環境と非行の関連は,最近になって強まっているのではないか,という気がします。
過去の『少年矯正統計』と『国勢調査』から,同じ統計をつくれるのかな。だとしたら,ケータイが普及する前の1990年あたりの数値と比較すると面白いかも。私が中学生だった頃です。
『少年矯正統計』から,少年鑑別所・少年院入所者の属性を,さまざまな角度から知ることが可能です。富裕-普通-貧困というような,家庭の生活程度だって分かります。これなどは,『国民生活世論調査』の生活程度設問の回答分布と照らし合わせればいいんじゃないかな。おそらく,貧困層への偏りがみられるのではないでしょうか。
話があちこちにいきますので,今回はこの辺りで。よい週末を。
少年の非行化に際して,家庭環境の影響が大きいことはよくいわれるところです。少年非行のテキストを開くと,「家庭環境と非行」という類のチャプターが必ず設けられています。ここでは,親の有無という外的な形態如何によって,非行確率がどう変異するかを観察してみましょう。
この問題は,昨年の1月5日の記事でも扱っていますが,今回の分析対象は,少年鑑別所や少年院に入るような,非行傾向が進んだ少年です。また,入所率を出す際の母数も,より精緻な数値を使おうと思います。
なお,少年鑑別所や少年院に入るのはほとんどが男子ですので,前回と同様,分析対象は男子少年に限定することとします。
前回のおさらいになりますが,2010年の法務省『少年矯正統計』によると,同年中の少年鑑別所の男子新収容者は11,699人,少年院新収容者は3,285人です。これらの者の保護者は,以下のようになっています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_shonen-kyosei.html
父母がいる少年(①+④+⑤),母のみの少年(③),父のみの少年(②),という3グループに注目します。以後,父母家庭,母子家庭,父子家庭ということにします。
入所率の計算に使う母数は,2010年の『国勢調査』の世帯類型別人員統計から得ました。母子家庭少年の母数は,「女親と子供から成る世帯」に属する12~19歳男子です。父子家庭少年の母数は,「男親と子供から成る世帯」に属する同年齢の男子です。
数的に多い父母家庭少年については,以下の世帯に属する12~19歳男子をベースに充てることとしました。
1)夫婦と子供から成る世帯
2)夫婦,子供と両親から成る世帯
3)夫婦,子供とひとり親から成る世帯
4)夫婦,子供と他の親族(親を含まない)から成る世帯
5)夫婦,子供,親と他の親族から成る世帯
ちなみに,12~19歳という年齢を拾っているのは,少年院への送致可能年齢が「おおむね12歳以上」と法定されていることに依拠しています(少年院法第2条)。
それでは,3グループについて,入所者数を母数で除して入所率を出してみましょう。下表は,結果を整理したものです。
親の状態如何によって,少年鑑別所や少年院に入る確率はかなり違っています。前回みたように,学歴別では中卒の値がかっ飛んでいるのですが,家庭類型別では,父母<母子<父子,というように段階的に高くなっていく傾向です。
3群の差を分かりやすく可視化してみましょう。各群の入所率が,最下段の合計値の何倍に当たるかを出し,折れ線にしてみました。
母子家庭少年の入所率は通常の3倍,父子家庭少年のそれは5~6倍というところです。予想はしていましたが,家庭環境によって,非行少年の出現率は異なるものですね。非行傾向が進んだ少年院入所者において,この差が大きいことも注目されます。
親がいないといっても,母親がいないことの影響が大きいようです。パーソンズの核家族社会化論では,家庭内で表出的役割を担うのは母親とされていますが,そうした「癒し」が得られないことが痛手となるのでしょうか。
家庭の重要な機能は,成員の情緒安定機能です。今の子どもは,学校をはじめとした,家庭の外の場において,受験勉強やいじめなど,各種の緊張や葛藤にさらされる度合いが高くなっています。それゆえ,家庭では一息つきたいのですが,それが叶わないことの影響が大きいのかしらん。
なお,上表の母数の欄から分かるように,父子家庭少年は小数派ですが,母子家庭少年は結構います。合計に占める比率は12.1%,およそ8人に1人です。これは,夫婦が離婚した際,母親が子を引き取るケースが圧倒的に多いためとみられます。
わが国の母子家庭の貧困率は国際的にみて高いといわれますが,母子家庭の場合,貧困状態に陥るリスクが高くなります。むろん,衣食住にも事欠くような絶対的貧困に陥るのは稀でしょうが,周囲と比した相対的貧困が,子どもの非行化に影響することも考えられます。
思春期にもなれば,やれケータイだとかスマホだとか,仲間との交際にもカネがかかるようになり,それが叶わないとつまはじきにされる・・・。そのことからくる子どもの疎外感は,決して小さなものではないでしょう。
豊かさの中の貧困。この辛さは,「相対的剥奪」という概念にも通じるものです。時系列データを用意できませんが,今回みたような家庭環境と非行の関連は,最近になって強まっているのではないか,という気がします。
過去の『少年矯正統計』と『国勢調査』から,同じ統計をつくれるのかな。だとしたら,ケータイが普及する前の1990年あたりの数値と比較すると面白いかも。私が中学生だった頃です。
『少年矯正統計』から,少年鑑別所・少年院入所者の属性を,さまざまな角度から知ることが可能です。富裕-普通-貧困というような,家庭の生活程度だって分かります。これなどは,『国民生活世論調査』の生活程度設問の回答分布と照らし合わせればいいんじゃないかな。おそらく,貧困層への偏りがみられるのではないでしょうか。
話があちこちにいきますので,今回はこの辺りで。よい週末を。
2013年3月22日金曜日
学歴と非行
前回は,学歴と刑務所入所率の関連を検討したのですが,今回は,対象を少年に限定してみようと思います。20歳に満たない少年による法の侵犯行為は,非行といいます。
少年の刑務所といったら少年院ですが,その一歩手前の少年鑑別所への入所率の学歴差もみてみましょう。後者は,家庭裁判所から送致された非行少年を一定期間収容し,資質の鑑別を行う施設です。
もっとも,家裁で言い渡される処遇決定の大半は「審判不開始」ですから,少年鑑別所に送られる少年というのはそう多くありません。少年院に至ってはさらに少数派です。つまり,かなりのワルをしでかした輩ということになります。
厳しいセレクト?を経て,この2つの施設に入る少年はほとんどが男子ですので,ここでの分析対象は男子少年に限ることとします。
2010年の法務省『少年矯正統計』によると,同年中に少年鑑別所に入った男子新収容者11,699人です。少年院への新収容者は3,285人となっています。これらの者の教育程度は,以下のように記録されています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_shonen-kyosei.html
私は,中学校在学者(①),高校在学者(⑤),中卒者(②+④+⑦),および高卒者(⑤+⑨+⑪)の4グループについて,これらの施設への入所確率を計算してみることにしました。
入所率を出すには,各々の数を母数で除す必要があります。中学校在学者と高校在学者については,文科省『学校基本調査』(2010年)から分かる,中学生数と高校生数を充てましょう。中卒者と高卒者の母数としては,2010年の『国勢調査』に載っている,10代後半の中卒人口と高卒人口を使うこととします。『国勢調査』でいう学校卒業人口には,在学者は含まれていません。
各グループの入所者数を母数で除して入所率を出すと,下表のようになります。単位は1万人あたりです。ベース1万人あたり何人か,というように読んでください。
最下段では,少年院に送致可能な12~19歳の男子人口をベースにして入所率を出しています。少年鑑別所は1万人中23.7人,少年院は6.7人です。約分すると順に422人に1人,1,493人に1人。相当の選抜?度ですね。誤弊があるかもしれませんが,東大に入るより難しいのでは。
http://tmaita77.blogspot.jp/2011/04/blog-post_26.html
しかるに,教育程度で分けたグループ別にみると,すさまじい値が出てきます。中卒者です。このグループの場合,少年鑑別所への入所確率は17人に1人,少年院への入所確率は48人に1人です。両施設の入所率を足すと1万人あたり779.7人ですから,13人に1人ということになります。
男子の中卒者では,13人に1人が少年鑑別所ないしは少年院の門をくぐる,という計算になります。
先に述べたように,これらの施設に入るのは,非行少年の中の一部です。警察に検挙・補導された非行少年が,上表の少年鑑別所・少年院入所者の3倍と仮定すると,男子の中卒者では,4人に1人が広義の非行を犯していることになります。
上表のデータをグラフ化しておきましょう。各群の入所率が,最下段の合計値の何倍に当たるかを折れ線にしてみました。
中卒者の少年鑑別所入所率は通常の24.1倍,少年院入所率は31.2倍です。義務教育卒業の学歴しか持たぬ者がいかに不利か,ということが分かります。
前回は,男子人口全体の学歴別刑務所入所率を出したのですが,対象を少年層に絞ると,とてつもない学歴差が出てきます。高校進学率が95%を越えている現在,中卒者は完全なマイノリティーです。それだけに,彼らが被る社会的圧力の大きさというのは,尋常なものではないでしょう。
前回も書きましたが,私は不登校や高校中退はれっきとしたオルタナティヴだと考えています。中卒者はきわめて不利だから高校までは義務化しろとか,高校中退を何が何でも防止しろとかいう主張をするがために,上のデータを使ってほしくありません。四角い空間に長期間閉じ込められるのはご免だ,という者もいるのですから。
大事なのは,四角い空間にしがみつくこととは別のオルタナティヴを整備することでしょう。学びの手段にしても,情報化が進んだ現在,術はいろいろあります。今回の統計は,中卒者の資質云々ということではなく,子ども期の「学校化」が極限まで進んだ現代日本社会の病理を反映したものと読むべきだと思います。
少年の刑務所といったら少年院ですが,その一歩手前の少年鑑別所への入所率の学歴差もみてみましょう。後者は,家庭裁判所から送致された非行少年を一定期間収容し,資質の鑑別を行う施設です。
もっとも,家裁で言い渡される処遇決定の大半は「審判不開始」ですから,少年鑑別所に送られる少年というのはそう多くありません。少年院に至ってはさらに少数派です。つまり,かなりのワルをしでかした輩ということになります。
厳しいセレクト?を経て,この2つの施設に入る少年はほとんどが男子ですので,ここでの分析対象は男子少年に限ることとします。
2010年の法務省『少年矯正統計』によると,同年中に少年鑑別所に入った男子新収容者11,699人です。少年院への新収容者は3,285人となっています。これらの者の教育程度は,以下のように記録されています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_shonen-kyosei.html
私は,中学校在学者(①),高校在学者(⑤),中卒者(②+④+⑦),および高卒者(⑤+⑨+⑪)の4グループについて,これらの施設への入所確率を計算してみることにしました。
入所率を出すには,各々の数を母数で除す必要があります。中学校在学者と高校在学者については,文科省『学校基本調査』(2010年)から分かる,中学生数と高校生数を充てましょう。中卒者と高卒者の母数としては,2010年の『国勢調査』に載っている,10代後半の中卒人口と高卒人口を使うこととします。『国勢調査』でいう学校卒業人口には,在学者は含まれていません。
各グループの入所者数を母数で除して入所率を出すと,下表のようになります。単位は1万人あたりです。ベース1万人あたり何人か,というように読んでください。
最下段では,少年院に送致可能な12~19歳の男子人口をベースにして入所率を出しています。少年鑑別所は1万人中23.7人,少年院は6.7人です。約分すると順に422人に1人,1,493人に1人。相当の選抜?度ですね。誤弊があるかもしれませんが,東大に入るより難しいのでは。
http://tmaita77.blogspot.jp/2011/04/blog-post_26.html
しかるに,教育程度で分けたグループ別にみると,すさまじい値が出てきます。中卒者です。このグループの場合,少年鑑別所への入所確率は17人に1人,少年院への入所確率は48人に1人です。両施設の入所率を足すと1万人あたり779.7人ですから,13人に1人ということになります。
男子の中卒者では,13人に1人が少年鑑別所ないしは少年院の門をくぐる,という計算になります。
先に述べたように,これらの施設に入るのは,非行少年の中の一部です。警察に検挙・補導された非行少年が,上表の少年鑑別所・少年院入所者の3倍と仮定すると,男子の中卒者では,4人に1人が広義の非行を犯していることになります。
上表のデータをグラフ化しておきましょう。各群の入所率が,最下段の合計値の何倍に当たるかを折れ線にしてみました。
中卒者の少年鑑別所入所率は通常の24.1倍,少年院入所率は31.2倍です。義務教育卒業の学歴しか持たぬ者がいかに不利か,ということが分かります。
前回は,男子人口全体の学歴別刑務所入所率を出したのですが,対象を少年層に絞ると,とてつもない学歴差が出てきます。高校進学率が95%を越えている現在,中卒者は完全なマイノリティーです。それだけに,彼らが被る社会的圧力の大きさというのは,尋常なものではないでしょう。
前回も書きましたが,私は不登校や高校中退はれっきとしたオルタナティヴだと考えています。中卒者はきわめて不利だから高校までは義務化しろとか,高校中退を何が何でも防止しろとかいう主張をするがために,上のデータを使ってほしくありません。四角い空間に長期間閉じ込められるのはご免だ,という者もいるのですから。
大事なのは,四角い空間にしがみつくこととは別のオルタナティヴを整備することでしょう。学びの手段にしても,情報化が進んだ現在,術はいろいろあります。今回の統計は,中卒者の資質云々ということではなく,子ども期の「学校化」が極限まで進んだ現代日本社会の病理を反映したものと読むべきだと思います。
2013年3月21日木曜日
学歴と犯罪
昨年の2月29日の記事では,学歴別の刑務所入所率を計算したのですが,ここ2~3日ほど,この記事をみてくださる方が多いようです。日本は学歴社会といわれますが,学歴によって,刑務所入りする確率がどれほど異なるかは,世人の関心をひくところと思います。
むろん,この問題は興味本位の次元にとどまらず,「社会階層と犯罪」という,犯罪社会学の重要テーマにも連なるものです。
今回は,分析をもう少し掘り下げてみたいと思います。先の記事では,全罪種をひっくるめた刑務所入所率を出したのですが,ここでは,入所率の学歴差を罪種ごとにみてみます。一口に犯罪といっても,コソ泥もあれば,よりシリアス度の高いものもあります。学歴による違いは,どういう罪種において大きいのでしょう。この点を吟味します。
法務省『矯正統計』の2010年版によると,同年中に刑務所に入った,男性の刑法犯新受刑者は16,497人だそうですが,その学歴別内訳は以下のように記録されています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_kousei.html
①:小学校中退 ・・・ 42人
②:小学校卒業 ・・・ 108人
③:中学校中退 ・・・ 63人
④:中学校卒業 ・・・ 6,870人
⑤:高校在学 ・・・ 9人
⑥:高校中退 ・・・ 3,631人
⑦:高校卒業 ・・・ 4,426人
⑧:大学在学 ・・・ 13人
⑨:大学中退 ・・・ 493人
⑩:大学卒業 ・・・ 812人
⑪:不就学 ・・・ 9人
⑫:不詳 ・・・ 21人
②+④+⑥を「小・中学校卒」,⑥+⑨を「高校卒」,⑩を「大学卒」とします。順に10,609人,4,919人,812人なり。この数を,2010年の『国勢調査』から分かる学歴人口(男性)で除して,3群の刑務所入所率を計算してみましょう。
ほう。刑務所の門をくぐる確率というのは,学歴によって違うものですね。とくに小・中卒の率が飛び抜けており,この群の入所率は全体の4.6倍,大卒の27.5倍です。
次に,今回の分析の主眼である,罪種別の傾向です。私は同じようにして,男性の学歴別刑務所入所率を,包括罪種ごとに計算しました。下表は数値をまとめたものです。
罪種を問わず,小・中>高>大,という傾向になっています。しかし,学歴差の程度は罪種によって違っています。小・中卒者の値が,最下段の合計値の何倍かに注意すると,粗暴犯では5.5倍にもなりますが,風俗犯では2.8倍というところです。シリアス度の高い凶悪犯(殺人,強盗,強姦,放火)は4.2倍なり。
このやり方にて,学歴差の程度を罪種ごとに可視化してみましょう。それぞれの学歴グループの入所率が,全学歴をひっくるめた合計値の何倍に相当するかを折れ線にしてみました。
線の傾斜が急なほど,学歴差が大きいことを意味します。これによると,粗暴犯の学歴差が最も大きいようです。粗暴犯とは,暴行,傷害,脅迫,および恐喝の総称ですが,この手の暴力犯罪を犯し刑務所に入る確率は,学歴による違いが大きいことが知られます。
その次は窃盗ですが,これは,小・中卒者が高齢者に多いためかもしれません。生活苦から万引きを繰り返し刑務所に入るというのは,高齢者に多いと思われます。窃盗の学歴差は,各群の年齢差の反映であるとみられます。
一方,風俗犯の折れ線は傾斜が緩くなっています。つまり,学歴差が比較的小さい,ということです。賭博とわいせつですが,この手の罪は,高学歴者も結構やらかしますしね。学歴による差が小さいというのも,さもありなんです。
当局の資料から割り出せる,学歴別の刑務所入所率は以上ですが,年齢の影響を除去できたらな,と思います。たとえば20代の若者だけでみたら,学歴差はもっと大きくなるのではないでしょうか。
というのも,この年齢層では中卒者は完全なマイノリティーです。上級学校進学率が低かった上の世代と比べて,諸々の偏見や社会的圧力を被る度合いは増していることでしょう。この点をデータで明らかにし,社会的な対応を促していくことが,「学校化」された子どもの世界に風穴を開けることにもつながると思います。
私は,不登校や高校中退はれっきとしたオルタナティヴだと考えています。情報化が進んだ現在,学校の教室という四角い空間の中でなくとも勉強はできます。しかし,こうした見方はまだ共有されていないようで,早期に標準レール(上級学校進学)を外れた者に対する仕打ちが殊に厳しいというのが,わが国の現状です。
年齢別・学歴別の逸脱統計が整備され,学歴社会の病理をより鮮明にえぐり出せるようになったらな,と思います。
むろん,この問題は興味本位の次元にとどまらず,「社会階層と犯罪」という,犯罪社会学の重要テーマにも連なるものです。
今回は,分析をもう少し掘り下げてみたいと思います。先の記事では,全罪種をひっくるめた刑務所入所率を出したのですが,ここでは,入所率の学歴差を罪種ごとにみてみます。一口に犯罪といっても,コソ泥もあれば,よりシリアス度の高いものもあります。学歴による違いは,どういう罪種において大きいのでしょう。この点を吟味します。
法務省『矯正統計』の2010年版によると,同年中に刑務所に入った,男性の刑法犯新受刑者は16,497人だそうですが,その学歴別内訳は以下のように記録されています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_kousei.html
①:小学校中退 ・・・ 42人
②:小学校卒業 ・・・ 108人
③:中学校中退 ・・・ 63人
④:中学校卒業 ・・・ 6,870人
⑤:高校在学 ・・・ 9人
⑥:高校中退 ・・・ 3,631人
⑦:高校卒業 ・・・ 4,426人
⑧:大学在学 ・・・ 13人
⑨:大学中退 ・・・ 493人
⑩:大学卒業 ・・・ 812人
⑪:不就学 ・・・ 9人
⑫:不詳 ・・・ 21人
②+④+⑥を「小・中学校卒」,⑥+⑨を「高校卒」,⑩を「大学卒」とします。順に10,609人,4,919人,812人なり。この数を,2010年の『国勢調査』から分かる学歴人口(男性)で除して,3群の刑務所入所率を計算してみましょう。
ほう。刑務所の門をくぐる確率というのは,学歴によって違うものですね。とくに小・中卒の率が飛び抜けており,この群の入所率は全体の4.6倍,大卒の27.5倍です。
次に,今回の分析の主眼である,罪種別の傾向です。私は同じようにして,男性の学歴別刑務所入所率を,包括罪種ごとに計算しました。下表は数値をまとめたものです。
罪種を問わず,小・中>高>大,という傾向になっています。しかし,学歴差の程度は罪種によって違っています。小・中卒者の値が,最下段の合計値の何倍かに注意すると,粗暴犯では5.5倍にもなりますが,風俗犯では2.8倍というところです。シリアス度の高い凶悪犯(殺人,強盗,強姦,放火)は4.2倍なり。
このやり方にて,学歴差の程度を罪種ごとに可視化してみましょう。それぞれの学歴グループの入所率が,全学歴をひっくるめた合計値の何倍に相当するかを折れ線にしてみました。
線の傾斜が急なほど,学歴差が大きいことを意味します。これによると,粗暴犯の学歴差が最も大きいようです。粗暴犯とは,暴行,傷害,脅迫,および恐喝の総称ですが,この手の暴力犯罪を犯し刑務所に入る確率は,学歴による違いが大きいことが知られます。
その次は窃盗ですが,これは,小・中卒者が高齢者に多いためかもしれません。生活苦から万引きを繰り返し刑務所に入るというのは,高齢者に多いと思われます。窃盗の学歴差は,各群の年齢差の反映であるとみられます。
一方,風俗犯の折れ線は傾斜が緩くなっています。つまり,学歴差が比較的小さい,ということです。賭博とわいせつですが,この手の罪は,高学歴者も結構やらかしますしね。学歴による差が小さいというのも,さもありなんです。
当局の資料から割り出せる,学歴別の刑務所入所率は以上ですが,年齢の影響を除去できたらな,と思います。たとえば20代の若者だけでみたら,学歴差はもっと大きくなるのではないでしょうか。
というのも,この年齢層では中卒者は完全なマイノリティーです。上級学校進学率が低かった上の世代と比べて,諸々の偏見や社会的圧力を被る度合いは増していることでしょう。この点をデータで明らかにし,社会的な対応を促していくことが,「学校化」された子どもの世界に風穴を開けることにもつながると思います。
私は,不登校や高校中退はれっきとしたオルタナティヴだと考えています。情報化が進んだ現在,学校の教室という四角い空間の中でなくとも勉強はできます。しかし,こうした見方はまだ共有されていないようで,早期に標準レール(上級学校進学)を外れた者に対する仕打ちが殊に厳しいというのが,わが国の現状です。
年齢別・学歴別の逸脱統計が整備され,学歴社会の病理をより鮮明にえぐり出せるようになったらな,と思います。
2013年3月18日月曜日
新卒ニート
3月16日の財経新聞Web版に「新卒ニート3万人」と題する記事が載っています。文科省『学校基本調査』に掲載されている,大学卒業者の進路カテゴリーが詳しくなったことから,この手の人間の数を明らかにすることが可能です。
http://www.zaikei.co.jp/article/20130316/127095.html
『学校基本調査(高等教育機関編)』では,卒業者の進路カテゴリーとして,8つが設けられています。2012年3月の大卒者55万8,692人の内訳は以下のようになっています。
①:進学者 ・・・ 65,683人
②:正規就職 ・・・ 335,048人
③:非正規就職 ・・・ 21,963人
④:臨床研修医 ・・・ 8,893人
⑤:専修学校等 ・・・ 11,173人
⑥:一時的な仕事 ・・・ 19,569人
⑦:その他 ・・・ 86,566人 (=進学準備3,613人+就職準備49,398人+その他33,555人)
⑧:不詳・死亡 ・・・ 9,797人
上記の記事がいう「新卒ニート」とは,7番目の「その他」のうち,事由が進学準備でも就職準備でもない33,555人です。なるほど。卒業時の進路が未定で,今後も就職や進学の意志がなく,何もしていない者であるとみられます。「新卒ニート」と呼んでもよいでしょう。
卒業生全体に占める比率は6.0%なり。およそ17人に1人です。まあこの中には,病気療養中の者や,海外留学の準備中の者なども含まれるでしょうが,先のことを全然考えてない「ボケー」とした者が多くを占めているともとれます。
学校の卒業時点にして,進学の意志も就職の意志もない「新卒ニート」。こういう者があまりに増えることは,問題を含んでいるといえましょう。大学教育の機能不全の指標とも読めます。
大卒者の新卒ニート率を,細かい属性別に計算してみました。下表は,性別,設置主体別,および専攻別の数値をまとめたものです。
全体値(6.0%)を越えている場合,黄色のマークをしています。これに注意すると,新卒ニートの出現率は,男子よりも女子で高いようです。婚約者がいて,花嫁修業を決め込んでいる女子でしょうか。近年,若者の間で伝統的性役割観への回帰が強まっているといいますし・・・。
設置主体別では,国<公<私,となっています。これは,国公立に理系専攻が多く,私立には文系が多いという,専攻構成の差の反映かもしれません。
下の欄にみるように,新卒ニート率は,理系よりも文系で高くなっています。人文系と社会系では7%超です。一方,医学や看護等の保健専攻ではたったの2.5%です。私が出た教育系も比較的低いですね。教員という,明確な志望職種があるためと思います。
なお,芸術系の新卒ニート率が13.8%と飛びぬけて高いのですが,これは留学準備とか,腕一本で食べていくための修行志向とかの表れでしょうか。
あと一点,地域差もみてみましょう。『学校基本調査』から,上記の意味での新卒ニート数を都道府県別に知ることができます。それを各県の大卒者数で除して,県別の大卒者の新卒ニート率を出してみました。結果を地図で示します。
濃い青色の県は,全国値(6.0%)を超える県です。ある程度分散していますが,なんか,九州に多いですね。最も高いのは大分の11.0%であり,2位の岡山(9.7%)を突き放しています。調べてませんが,この県では,芸術系の専攻が多いのかな。
上図の地域差は,就業機会の多寡のような要因と関連しているかもしれませんが,ここで明らかにしたのは,就職の意志そのものがない新卒ニートの比率ですから,それだけを強調するわけにはいきますまい。
専攻構成のような要因を揃えた上で,新卒ニート率の地域差の要因解析をしてみるのも一興です。もしかすると,各県の大学教育の有様が影響していたりして。
以上,『学校基本調査』から分かる,大卒者の新卒ニートの基礎統計を提示しました。ちなみに,短大や大学院についても,卒業者(修了者)中の新卒ニート率を出せます。大学院の博士課程でやったら,どういう値が出るかなあ。短大の状況にも興味が持たれます。
面白い結果が出ましたら,ご報告いたします。
http://www.zaikei.co.jp/article/20130316/127095.html
『学校基本調査(高等教育機関編)』では,卒業者の進路カテゴリーとして,8つが設けられています。2012年3月の大卒者55万8,692人の内訳は以下のようになっています。
①:進学者 ・・・ 65,683人
②:正規就職 ・・・ 335,048人
③:非正規就職 ・・・ 21,963人
④:臨床研修医 ・・・ 8,893人
⑤:専修学校等 ・・・ 11,173人
⑥:一時的な仕事 ・・・ 19,569人
⑦:その他 ・・・ 86,566人 (=進学準備3,613人+就職準備49,398人+その他33,555人)
⑧:不詳・死亡 ・・・ 9,797人
上記の記事がいう「新卒ニート」とは,7番目の「その他」のうち,事由が進学準備でも就職準備でもない33,555人です。なるほど。卒業時の進路が未定で,今後も就職や進学の意志がなく,何もしていない者であるとみられます。「新卒ニート」と呼んでもよいでしょう。
卒業生全体に占める比率は6.0%なり。およそ17人に1人です。まあこの中には,病気療養中の者や,海外留学の準備中の者なども含まれるでしょうが,先のことを全然考えてない「ボケー」とした者が多くを占めているともとれます。
学校の卒業時点にして,進学の意志も就職の意志もない「新卒ニート」。こういう者があまりに増えることは,問題を含んでいるといえましょう。大学教育の機能不全の指標とも読めます。
大卒者の新卒ニート率を,細かい属性別に計算してみました。下表は,性別,設置主体別,および専攻別の数値をまとめたものです。
全体値(6.0%)を越えている場合,黄色のマークをしています。これに注意すると,新卒ニートの出現率は,男子よりも女子で高いようです。婚約者がいて,花嫁修業を決め込んでいる女子でしょうか。近年,若者の間で伝統的性役割観への回帰が強まっているといいますし・・・。
設置主体別では,国<公<私,となっています。これは,国公立に理系専攻が多く,私立には文系が多いという,専攻構成の差の反映かもしれません。
下の欄にみるように,新卒ニート率は,理系よりも文系で高くなっています。人文系と社会系では7%超です。一方,医学や看護等の保健専攻ではたったの2.5%です。私が出た教育系も比較的低いですね。教員という,明確な志望職種があるためと思います。
なお,芸術系の新卒ニート率が13.8%と飛びぬけて高いのですが,これは留学準備とか,腕一本で食べていくための修行志向とかの表れでしょうか。
あと一点,地域差もみてみましょう。『学校基本調査』から,上記の意味での新卒ニート数を都道府県別に知ることができます。それを各県の大卒者数で除して,県別の大卒者の新卒ニート率を出してみました。結果を地図で示します。
濃い青色の県は,全国値(6.0%)を超える県です。ある程度分散していますが,なんか,九州に多いですね。最も高いのは大分の11.0%であり,2位の岡山(9.7%)を突き放しています。調べてませんが,この県では,芸術系の専攻が多いのかな。
上図の地域差は,就業機会の多寡のような要因と関連しているかもしれませんが,ここで明らかにしたのは,就職の意志そのものがない新卒ニートの比率ですから,それだけを強調するわけにはいきますまい。
専攻構成のような要因を揃えた上で,新卒ニート率の地域差の要因解析をしてみるのも一興です。もしかすると,各県の大学教育の有様が影響していたりして。
以上,『学校基本調査』から分かる,大卒者の新卒ニートの基礎統計を提示しました。ちなみに,短大や大学院についても,卒業者(修了者)中の新卒ニート率を出せます。大学院の博士課程でやったら,どういう値が出るかなあ。短大の状況にも興味が持たれます。
面白い結果が出ましたら,ご報告いたします。
2013年3月17日日曜日
人生の段階別の朝食欠食率
朝食は,1日を元気に過ごすための活力の源となるものですが,近年,国民の朝食欠食傾向が問題になっています。このことを憂慮して,2006年度より「早寝早起き朝ごはん国民運動」が展開されていると聞きます。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/asagohan/index.htm
朝食欠食率は,厚労省の『国民健康・栄養調査』に掲載されていますが,より仔細な数値を知ることができる資料があることに気づきました。総務省の『社会生活基本調査』です。
最新の2011年調査では,同年10月中旬の連続する2日間について,調査対象者の1日の生活行動が細かく調べられています。結果表の中に,朝食開始の平均時刻の分布表があるのですが,基礎情報として,当該日に朝食行動をとった者の比率が示されています。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/h23kekka.htm
平日の小学生(男子)でいうと,調査日の朝食行動者率は97.0%です。よって,朝食欠食率はこれを裏返して3.0%と算出されます。男子中学生は3.8%,男子高校生は11.8%なり。
私は同じやり方で,他の段階の朝食欠食率を計算してみました。男性と女性,および平日と日曜の違いもみてみます。下表は,結果を整理したものです。20歳以降の年齢層別の数値は,有業者のものであることを申し添えます。
まず在学者の箇所をみると,発達の段階を上がるほど朝食欠食率は高くなります。朝寝をする者が多いためか,朝食を抜く者は平日よりも日曜で多いようです。「その他の在学者」とは,ほとんどが大学生かと思いますが,男子大学生の日曜の朝食欠食率は41.3%なり。
しかし,社会人になると朝食欠食傾向はもっと激しくなります。20代後半の男性有業者の欠食率は,平日で38.6%,日曜で42.4%にもなります。5人に2人です。独身の一人暮らしが多い,ということも影響しているでしょう。
調査の概要説明をみた限りでは分からないのですが,『社会生活基本調査』の平均時刻集計表でいう「朝食行動者率」とは,主行動として朝食をとった者の比率であると思われます。通勤途中でパンをかじるというような同時行動は除かれていると推測されます。
したがって,今しがた出した朝食欠食率には,同時行動として朝食をとっている者は含まれているとみられます。しかるに,横着な形での食事というのは,広義の欠食に含めてもよいでしょう。上表の欠食率のデータは,国民,とりわけ若年層の間で「食」が疎かにされていることの証左であると読めます。
私は視覚人間ですので,上の段階別の朝食欠食率をグラフ化しておこうと思います。男性と女性で分けて,折れ線グラフを描いてみました。実線は平日,点線は日曜の折れ線です。
最近の学校現場で食育に重きが置かれており,「子どもに朝食を!」を掲げた各種の啓発がなされていると聞きますが,欠食傾向が蔓延しているのは,大人も同じです。これでは,取組の効果も半減する,というものでしょう。上図の緑色の箇所だけを切り取って,ああだこうだ言っても始まりません。
しかし,犯罪やいじめのような問題行動にしても,子どもの部分だけを切り取って議論されることが多いのだよなあ。いじめは,大人の社会にもあります。大人の社会でのいじめのほうが,もっとスゴイともいえます。子どものいじめというのは,それの引き写しである面が大です。
子どもは社会の鏡です。このテーゼの重要性は,どれほど強調しても足りることはありますまい。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/asagohan/index.htm
朝食欠食率は,厚労省の『国民健康・栄養調査』に掲載されていますが,より仔細な数値を知ることができる資料があることに気づきました。総務省の『社会生活基本調査』です。
最新の2011年調査では,同年10月中旬の連続する2日間について,調査対象者の1日の生活行動が細かく調べられています。結果表の中に,朝食開始の平均時刻の分布表があるのですが,基礎情報として,当該日に朝食行動をとった者の比率が示されています。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/h23kekka.htm
平日の小学生(男子)でいうと,調査日の朝食行動者率は97.0%です。よって,朝食欠食率はこれを裏返して3.0%と算出されます。男子中学生は3.8%,男子高校生は11.8%なり。
私は同じやり方で,他の段階の朝食欠食率を計算してみました。男性と女性,および平日と日曜の違いもみてみます。下表は,結果を整理したものです。20歳以降の年齢層別の数値は,有業者のものであることを申し添えます。
まず在学者の箇所をみると,発達の段階を上がるほど朝食欠食率は高くなります。朝寝をする者が多いためか,朝食を抜く者は平日よりも日曜で多いようです。「その他の在学者」とは,ほとんどが大学生かと思いますが,男子大学生の日曜の朝食欠食率は41.3%なり。
しかし,社会人になると朝食欠食傾向はもっと激しくなります。20代後半の男性有業者の欠食率は,平日で38.6%,日曜で42.4%にもなります。5人に2人です。独身の一人暮らしが多い,ということも影響しているでしょう。
調査の概要説明をみた限りでは分からないのですが,『社会生活基本調査』の平均時刻集計表でいう「朝食行動者率」とは,主行動として朝食をとった者の比率であると思われます。通勤途中でパンをかじるというような同時行動は除かれていると推測されます。
したがって,今しがた出した朝食欠食率には,同時行動として朝食をとっている者は含まれているとみられます。しかるに,横着な形での食事というのは,広義の欠食に含めてもよいでしょう。上表の欠食率のデータは,国民,とりわけ若年層の間で「食」が疎かにされていることの証左であると読めます。
私は視覚人間ですので,上の段階別の朝食欠食率をグラフ化しておこうと思います。男性と女性で分けて,折れ線グラフを描いてみました。実線は平日,点線は日曜の折れ線です。
最近の学校現場で食育に重きが置かれており,「子どもに朝食を!」を掲げた各種の啓発がなされていると聞きますが,欠食傾向が蔓延しているのは,大人も同じです。これでは,取組の効果も半減する,というものでしょう。上図の緑色の箇所だけを切り取って,ああだこうだ言っても始まりません。
しかし,犯罪やいじめのような問題行動にしても,子どもの部分だけを切り取って議論されることが多いのだよなあ。いじめは,大人の社会にもあります。大人の社会でのいじめのほうが,もっとスゴイともいえます。子どものいじめというのは,それの引き写しである面が大です。
子どもは社会の鏡です。このテーゼの重要性は,どれほど強調しても足りることはありますまい。
2013年3月14日木曜日
一人ランチ
「便所飯」という言葉をご存知でしょうか。ニコニコ大百科によると,「便所の個室で食事をする行為の事。友人のいない者(主に学生や女性)が,一人で食事をする寂しい姿を見られないよう,衆目を避けて食事を取る」ことだそうです。
http://dic.nicovideo.jp/
「せっかくのお弁当なのに勿体ない・・・」と思ったりしますが,教室のあちこちで3~4人のグループができている中で,一人ぽつねんと弁当を開くというのは,確かに相当の勇気がいることかもしれません。
小・中学校では給食がありますから,この問題?が深刻なのは,高校段階以降でしょう。私が高校生の頃は,自分の席で一人で惣菜パンをぱくついていましたが,恥じらいのようなものはあまり感じなかったけどなあ。でも今の生徒,とりわけ女子生徒にすれば,12~13時を「魔の1時間」と考えるような向きもあるのでしょう。
便所飯かどうかは問わないとして,一人でランチを食べる生徒というのは,どれくらいの割合でいるのでしょう。2011年の総務省『社会生活基本調査』から試算した値をご紹介しようと思います。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
本調査では,2011年10月中旬の連続する2日間について,調査対象者の時間帯別の生活行動を仔細に調べています。報告書には,15分間隔の時間帯ごとに,**をしている者が何%という情報が掲載されています。
平日の12:30~12:45の時間帯において,女子高生が何をしているかに注目すると,①食事をしている者が全体の35.4%,②一人で食事をしている者が1.7%と報告されています。②は①の内数です。
したがって,食事をしている者のうち,一人で食事をしている者の比率は,1.7/35.4=4.9%と算出されます。お昼の他の時間帯について同じ値を計算すると,下表のようになります。
一人ランチ率は時間帯によって違っていますが,4つの数値を均すと5.7%となります。この値をもって,女子高生の一人ランチ率の試算値としましょう。18人に1人。1クラスの女子に1人というところでしょうか。
私の頃は,もっといたような気がするけどなあ。本を読みながらサンドイッチをぱくつく子,学食で一人カレーライスを食す子・・・。私の予想では20%くらいかな,と思っていましたが,それよりもかなり低い値が出たことに驚いています。地方の高校だったからかな。
同じやり方にて,男子の一人ランチ率も出してみましょう。より上の段階の率もみてみましょう。結果をグラフにしました。
一人ランチ率は,女子よりも男子で少し高くなっています。また,段階を上がるにつれてほぼ直線的に上がっていきます。大学には,高校のような四角い教室はありませんしね。いつどこで食べてもよし。一人ランチへの抵抗は,確かに小さくなることでしょう。
高校と大学の境って大きいよなあ。いじめにせよ,一人ランチへの抵抗にせよ,そういう友人関係に起因する問題の頻度が大きく減じます。これは,四角い教室がなくなることに加えて,学級(ホームルーム)という厄介な集団の拘束から解き放たれることによると思います。
今,大学の「小・中・高校化」を押し進めるような施策がとられていますが,私などは,その逆が必要だと思ってしまいます。小・中・高校の「大学化」です。この点については,横浜国立大学の渡部真教授もどこかでいわれていましたが・・・。
ちなみに,学級という制度が普遍的なものでないことは,柳治男教授の『学級の歴史学』講談社(2005年)を読むとよく分かると思います。
http://dic.nicovideo.jp/
「せっかくのお弁当なのに勿体ない・・・」と思ったりしますが,教室のあちこちで3~4人のグループができている中で,一人ぽつねんと弁当を開くというのは,確かに相当の勇気がいることかもしれません。
小・中学校では給食がありますから,この問題?が深刻なのは,高校段階以降でしょう。私が高校生の頃は,自分の席で一人で惣菜パンをぱくついていましたが,恥じらいのようなものはあまり感じなかったけどなあ。でも今の生徒,とりわけ女子生徒にすれば,12~13時を「魔の1時間」と考えるような向きもあるのでしょう。
便所飯かどうかは問わないとして,一人でランチを食べる生徒というのは,どれくらいの割合でいるのでしょう。2011年の総務省『社会生活基本調査』から試算した値をご紹介しようと思います。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/index.htm
本調査では,2011年10月中旬の連続する2日間について,調査対象者の時間帯別の生活行動を仔細に調べています。報告書には,15分間隔の時間帯ごとに,**をしている者が何%という情報が掲載されています。
平日の12:30~12:45の時間帯において,女子高生が何をしているかに注目すると,①食事をしている者が全体の35.4%,②一人で食事をしている者が1.7%と報告されています。②は①の内数です。
したがって,食事をしている者のうち,一人で食事をしている者の比率は,1.7/35.4=4.9%と算出されます。お昼の他の時間帯について同じ値を計算すると,下表のようになります。
一人ランチ率は時間帯によって違っていますが,4つの数値を均すと5.7%となります。この値をもって,女子高生の一人ランチ率の試算値としましょう。18人に1人。1クラスの女子に1人というところでしょうか。
私の頃は,もっといたような気がするけどなあ。本を読みながらサンドイッチをぱくつく子,学食で一人カレーライスを食す子・・・。私の予想では20%くらいかな,と思っていましたが,それよりもかなり低い値が出たことに驚いています。地方の高校だったからかな。
同じやり方にて,男子の一人ランチ率も出してみましょう。より上の段階の率もみてみましょう。結果をグラフにしました。
一人ランチ率は,女子よりも男子で少し高くなっています。また,段階を上がるにつれてほぼ直線的に上がっていきます。大学には,高校のような四角い教室はありませんしね。いつどこで食べてもよし。一人ランチへの抵抗は,確かに小さくなることでしょう。
高校と大学の境って大きいよなあ。いじめにせよ,一人ランチへの抵抗にせよ,そういう友人関係に起因する問題の頻度が大きく減じます。これは,四角い教室がなくなることに加えて,学級(ホームルーム)という厄介な集団の拘束から解き放たれることによると思います。
今,大学の「小・中・高校化」を押し進めるような施策がとられていますが,私などは,その逆が必要だと思ってしまいます。小・中・高校の「大学化」です。この点については,横浜国立大学の渡部真教授もどこかでいわれていましたが・・・。
ちなみに,学級という制度が普遍的なものでないことは,柳治男教授の『学級の歴史学』講談社(2005年)を読むとよく分かると思います。
2013年3月12日火曜日
早寝早起き
3月9日の朝日新聞Web版によると,早寝早起き日本一の県は青森だそうです。ソースの総務省『社会生活基本調査』(2011年)をみると,本県の平日の平均起床時間は6時19分となっており,確かに全県で最も早くなっています。
http://www.asahi.com/area/aomori/articles/TKY201303080415.html
早寝早起きは,健康な生活の基本的な条件となるものです。私は,夜11時過ぎに寝て朝の7時前に起きるという日々ですが,就寝時刻と起床時刻をツイッターに記録して,自己管理に役立てています。
早寝早起きの習慣は早いうちから身につけたいものですが,今の子どもたちの状況はどうなのでしょう。子どもの平均起床(就寝)時間については多くの調査がなされており,上記の『社会生活基本調査』からも知ることができます。
しかるに,そこで明らかにされている数値は全国のものです。私は,都道府県別の違いに関心を持ちます。拙著『47都道府県の子どもたち』武蔵野大学出版会(2008年)で申したように,子どものすがた,ならびに彼らを取り巻く環境は地域によって異なっています。夜遅くまでの通塾というように,早寝早起きを阻害する条件の多寡にしても,県によってバラエティがあります。
今回は,子どもの平均起床(就寝)時間を都道府県別に明らかにしてみようと思います。資料は,2010年度の文科省『全国学力・学習状況調査』です。本調査では,対象の小6児童,中3生徒に対し,「普段(月~金曜日),どれくらいの時刻に起きて(寝て)いるか」と尋ねています。
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/index.htm
公立中学校3年生の回答分布は以下のようです。D.KとN.Aを加えていないため,合計が100%になっていないことに留意ください。
起床時間は,6時半から7時までの間が32.8%と最も多くなっています。就寝時間は,4割が23時台。日をまたいでしまう「午前様」も27.7%います。中学3年ともなれば,深夜まで塾通いする生徒も多いと思いますが,こうしたことの影響とみられます。
上表の分布を使って,中3生徒の起床時間の平均値(average)を出してみましょう。各階級の生徒の起床時間は,一律に中間の時刻とみなします。6時~6時半の生徒は,一律に6時15分と考えるわけです。6時より前の生徒は6時,8時より遅い生徒は8時と仮定しましょう。
この場合,6時00分からの経過時間の平均値は,以下のようにして求められます。
[(0分×8.9)+(15分×25.4)+(45分×32.8)+・・・(120分×0.9)]/99.9 ≒ 46分
よって,公立中学校3年生の平均起床時間は6時46分となります。同じやり方で,就寝時間の平均を出すと23時26分となります。ふむふむ。まあ,こんなものではないでしょうか。今の私は,中学生の平均像に近いのだなあ・・・。
これは全国の数値ですが,私は同じ手続きにて,47都道府県の公立小学校6年生,中学校3年生の平均起床時間,平均就寝時間を計算しました。下表は,その一覧です。最も早い県の時刻には黄色,最も遅い県の時刻には青色のマークをしています。右欄には,早い順の順位を掲げました。1~5位までは赤色にしています。
小6の起床時間が最も早いのは,冒頭の新聞記事でいわれていた青森です。中3は長野。逆に最も遅いのは,双方とも大阪です。東京も遅いですね。
表の右欄の順位をみると,長野は,4つの順位とも赤色(5位以内)となっています。子どもでいうと,日本一の早寝早起き県は長野県なり。反対に,大阪や東京のような都市部では,それが芳しくないようです。夜遅くまで通塾,朝起きれない・・・。こういう子どもが少なくないのでしょう。
私は視覚人間ですので,ベタな数値の一覧を提示して終わり,というのは気が引けます。そこで,中学校3年生の早起きマップをつくってみました。小6から中3にかけて。子どもの起床時間は遅くなり,かつ地域差も大きくなります。下図は,中3の平均起床時間に依拠して,47都道府県を塗り分けたものです。
5分間隔の区分けですが,近畿や首都圏南部が黒く染まっています。6時50分よりも遅い,ということです。白色は6時35分より早い県であり,中部や北関東の5県,青森,そして宮崎が該当します。早起き県です。
上図の模様と,子どもの育ちの様がどういう関係にあるのかも興味深いですね。学力や非行率などと相関をとったら,どういう値になるか。
早寝早起きの効果に関する実証研究というのは,探せばあるのでしょうが,こういう追試可能なマクロデータで+の効果が明らかになれば,エビデンスとしての意味合いは大きいものと思います。県単位でなく,市町村単位でこの手の分析ができるようになれば,もっとよいのですが・・・。
http://www.asahi.com/area/aomori/articles/TKY201303080415.html
早寝早起きは,健康な生活の基本的な条件となるものです。私は,夜11時過ぎに寝て朝の7時前に起きるという日々ですが,就寝時刻と起床時刻をツイッターに記録して,自己管理に役立てています。
早寝早起きの習慣は早いうちから身につけたいものですが,今の子どもたちの状況はどうなのでしょう。子どもの平均起床(就寝)時間については多くの調査がなされており,上記の『社会生活基本調査』からも知ることができます。
しかるに,そこで明らかにされている数値は全国のものです。私は,都道府県別の違いに関心を持ちます。拙著『47都道府県の子どもたち』武蔵野大学出版会(2008年)で申したように,子どものすがた,ならびに彼らを取り巻く環境は地域によって異なっています。夜遅くまでの通塾というように,早寝早起きを阻害する条件の多寡にしても,県によってバラエティがあります。
今回は,子どもの平均起床(就寝)時間を都道府県別に明らかにしてみようと思います。資料は,2010年度の文科省『全国学力・学習状況調査』です。本調査では,対象の小6児童,中3生徒に対し,「普段(月~金曜日),どれくらいの時刻に起きて(寝て)いるか」と尋ねています。
http://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/index.htm
公立中学校3年生の回答分布は以下のようです。D.KとN.Aを加えていないため,合計が100%になっていないことに留意ください。
起床時間は,6時半から7時までの間が32.8%と最も多くなっています。就寝時間は,4割が23時台。日をまたいでしまう「午前様」も27.7%います。中学3年ともなれば,深夜まで塾通いする生徒も多いと思いますが,こうしたことの影響とみられます。
上表の分布を使って,中3生徒の起床時間の平均値(average)を出してみましょう。各階級の生徒の起床時間は,一律に中間の時刻とみなします。6時~6時半の生徒は,一律に6時15分と考えるわけです。6時より前の生徒は6時,8時より遅い生徒は8時と仮定しましょう。
この場合,6時00分からの経過時間の平均値は,以下のようにして求められます。
[(0分×8.9)+(15分×25.4)+(45分×32.8)+・・・(120分×0.9)]/99.9 ≒ 46分
よって,公立中学校3年生の平均起床時間は6時46分となります。同じやり方で,就寝時間の平均を出すと23時26分となります。ふむふむ。まあ,こんなものではないでしょうか。今の私は,中学生の平均像に近いのだなあ・・・。
これは全国の数値ですが,私は同じ手続きにて,47都道府県の公立小学校6年生,中学校3年生の平均起床時間,平均就寝時間を計算しました。下表は,その一覧です。最も早い県の時刻には黄色,最も遅い県の時刻には青色のマークをしています。右欄には,早い順の順位を掲げました。1~5位までは赤色にしています。
小6の起床時間が最も早いのは,冒頭の新聞記事でいわれていた青森です。中3は長野。逆に最も遅いのは,双方とも大阪です。東京も遅いですね。
表の右欄の順位をみると,長野は,4つの順位とも赤色(5位以内)となっています。子どもでいうと,日本一の早寝早起き県は長野県なり。反対に,大阪や東京のような都市部では,それが芳しくないようです。夜遅くまで通塾,朝起きれない・・・。こういう子どもが少なくないのでしょう。
私は視覚人間ですので,ベタな数値の一覧を提示して終わり,というのは気が引けます。そこで,中学校3年生の早起きマップをつくってみました。小6から中3にかけて。子どもの起床時間は遅くなり,かつ地域差も大きくなります。下図は,中3の平均起床時間に依拠して,47都道府県を塗り分けたものです。
5分間隔の区分けですが,近畿や首都圏南部が黒く染まっています。6時50分よりも遅い,ということです。白色は6時35分より早い県であり,中部や北関東の5県,青森,そして宮崎が該当します。早起き県です。
上図の模様と,子どもの育ちの様がどういう関係にあるのかも興味深いですね。学力や非行率などと相関をとったら,どういう値になるか。
早寝早起きの効果に関する実証研究というのは,探せばあるのでしょうが,こういう追試可能なマクロデータで+の効果が明らかになれば,エビデンスとしての意味合いは大きいものと思います。県単位でなく,市町村単位でこの手の分析ができるようになれば,もっとよいのですが・・・。
2013年3月10日日曜日
児童の面前での教員の自殺未遂
現在は教職危機の時代といわれますが,その通底にあるものを探るべく,昔の教員の苦悩や困難に関する新聞記事を収集しています。
週に2回,図書館に行って『朝日新聞記事総覧』をくくり,目ぼしい記事をノートに記録し,必要と判断したものについては,原寸の復刻版からコピーを取る。この作業の継続です。
8日の金曜日は,1932(昭和7)年から1934年までの記事をハントしてきました。そのうちの一つを紹介します。1934(昭和9)年2月28日の「授業中児童の前で教員頸部を切る 突如,懐中から剃刀」という記事です。
惨劇が起きたのは,本記事の前日の午前10時頃。東京神田の尋常小学校の教室内でした。28歳の男性訓導は「六年女組の二時間目の綴方の授業を始めようとし突然ポケットからだした日本かみそりでけい部を左右二ヶ所切り自殺をはかり教壇にうつ伏した」とのことです。
血まみれになって伏した恩師を目の当たりにした女子児童のショックといったら,もう計り知れないものだったことでしょう。今だったら,PTSDとか心のケアだとか,大変な騒ぎになっているところです。
当該訓導は一命をとりとめ,自殺は未遂に終わったようですが,動機は教え子の「成績を憂へた」ためとのこと。「六年生を受持ち卒業生の入学試験を控へ生徒の成績が自分の思ふやうにならぬのに責任を感じて自殺を企てたものではないか」。これは,左の記事に掲載されている校長の言です。
教え子の成績が振るわないことへの自責や焦りの念。いつの時代にも通底する,教員の苦悩の源泉だと思います。先日,横浜市の小学校の4教諭が,市の学力テストの問題を児童に事前に教えていたという報道がありましたが,当該の教諭らは「テストの結果は保護者に説明しなければならず、指導力不足が露呈するのが怖かった」と話しているそうです。
http://www.asahi.com/national/update/0214/TKY201302140002.html?tr=pc
学校評価や説明責任の重要性がいわれている現在,こういう悩みに苛まれる度合いは,昔に比して大きくなっているとも考えられます。約80年前の惨劇が再び繰り返されないとも限りません。
でも教育社会学の研究成果によると,子どもの学力の要因って,教師の指導力だけではないんだけどなあ。出身階層や居住地域の環境など,社会的な要因の規定を強く被っています。
昭和初期の頃では,学力の教育社会学的研究がまだなされていなかったので,上記記事の若き訓導は,教え子の成績不振の原因を,もっぱら自身の指導力不足に帰してしまったのでしょうか。しかし今では,この手の実証研究がわんさと蓄積されています。それを分かりやすい形で,世間に広く知らしめることが重要でしょう。
来月の下旬に実施される2013年度の『全国学力・学習状況調査』は,「きめ細かい調査」を標榜し,子どもの学力と関連する家庭環境要因の析出を目指すのだそうです。調査対象として,一部の児童生徒の保護者も据えられることとなります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/085/houkoku/1316096.htm
本調査の結果が開示されることで,学力の社会的規定性に関する認識が広まり,「何でもかんでも教員の力量不足のせい」という偏った見方が正されたらな,と思います。
週に2回,図書館に行って『朝日新聞記事総覧』をくくり,目ぼしい記事をノートに記録し,必要と判断したものについては,原寸の復刻版からコピーを取る。この作業の継続です。
8日の金曜日は,1932(昭和7)年から1934年までの記事をハントしてきました。そのうちの一つを紹介します。1934(昭和9)年2月28日の「授業中児童の前で教員頸部を切る 突如,懐中から剃刀」という記事です。
惨劇が起きたのは,本記事の前日の午前10時頃。東京神田の尋常小学校の教室内でした。28歳の男性訓導は「六年女組の二時間目の綴方の授業を始めようとし突然ポケットからだした日本かみそりでけい部を左右二ヶ所切り自殺をはかり教壇にうつ伏した」とのことです。
血まみれになって伏した恩師を目の当たりにした女子児童のショックといったら,もう計り知れないものだったことでしょう。今だったら,PTSDとか心のケアだとか,大変な騒ぎになっているところです。
当該訓導は一命をとりとめ,自殺は未遂に終わったようですが,動機は教え子の「成績を憂へた」ためとのこと。「六年生を受持ち卒業生の入学試験を控へ生徒の成績が自分の思ふやうにならぬのに責任を感じて自殺を企てたものではないか」。これは,左の記事に掲載されている校長の言です。
教え子の成績が振るわないことへの自責や焦りの念。いつの時代にも通底する,教員の苦悩の源泉だと思います。先日,横浜市の小学校の4教諭が,市の学力テストの問題を児童に事前に教えていたという報道がありましたが,当該の教諭らは「テストの結果は保護者に説明しなければならず、指導力不足が露呈するのが怖かった」と話しているそうです。
http://www.asahi.com/national/update/0214/TKY201302140002.html?tr=pc
学校評価や説明責任の重要性がいわれている現在,こういう悩みに苛まれる度合いは,昔に比して大きくなっているとも考えられます。約80年前の惨劇が再び繰り返されないとも限りません。
でも教育社会学の研究成果によると,子どもの学力の要因って,教師の指導力だけではないんだけどなあ。出身階層や居住地域の環境など,社会的な要因の規定を強く被っています。
昭和初期の頃では,学力の教育社会学的研究がまだなされていなかったので,上記記事の若き訓導は,教え子の成績不振の原因を,もっぱら自身の指導力不足に帰してしまったのでしょうか。しかし今では,この手の実証研究がわんさと蓄積されています。それを分かりやすい形で,世間に広く知らしめることが重要でしょう。
来月の下旬に実施される2013年度の『全国学力・学習状況調査』は,「きめ細かい調査」を標榜し,子どもの学力と関連する家庭環境要因の析出を目指すのだそうです。調査対象として,一部の児童生徒の保護者も据えられることとなります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/085/houkoku/1316096.htm
本調査の結果が開示されることで,学力の社会的規定性に関する認識が広まり,「何でもかんでも教員の力量不足のせい」という偏った見方が正されたらな,と思います。
2013年3月8日金曜日
健康格差の国際比較
近年の日本は,格差社会化の途をたどっているといいます。社会が不安定化するまでに,成員間の富の差が大きくなることです。
このことを条件にして,生活の諸次元においても格差が生じるようになってきています。たとえば教育格差,結婚格差,夫婦格差など。「**格差」と銘打った本を目にすることも多くなりました。こういうネーミングにすれば売れるという,出版社の目論見もあるのでしょう。それだけ,われわれが「格差」というものにセンシティヴになっている,ということです。
私は,こうした諸々の格差の中でも,健康格差という現象に関心を持っています。健康とは,人々が生を営むに際しての最も基本的な条件となるものですが,その様態には階層差があるというのです。
健康と社会階層がどうつながるのか「?」かもしれませんが,ちょっと考えれば,いろいろな経路を想起できます。貧困層は医者にかかれない,劣悪な住環境を強いられる,食事にしても安価でお腹が膨れるジャンクフードに頼る頻度が高くなる,etc・・・。アメリカに少しでも滞在したことがある方なら,すぐにピンとくるかと思います。
わが国でも,健康格差の問題には関心が向けられるようになっており,学術研究もなされています。主な文献として,近藤克則教授の『健康格差社会』医学書院(2005年)などがあります。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=13254
今回は,日本において健康格差なるものが存在するか,それはどの程度のものか,ということを明らかにしようと思います。具体的には,健康状態の自己評定が,属する世帯の収入階層によってどう違うかをみてみます。
用いる資料は,第5回『世界価値観調査』(WVS)です。本調査では,各国の18歳以上の男女に対し,家族全員の年収(世帯収入)を尋ね,10段階の収入階層に割り振っています。階層区分の仕方は,国によってまちまちです。
第1~2層を貧困層,3~6層を中間層,7~10層を富裕層と括りましょう。こうすると,ほとんどの国において,3群の量の均衡がとれるようになります。日本でいうと,貧困層が282人,中間層が430人,富裕層が281人です。
私は,この3群の間で,自分の健康状態への自己評価(5段階)がどう違うかを調べました。手始めに日米比較をしてみましょう。下図は,有効回答の分布です。
あくまで自己評定ですが,両国とも,階層によって健康状態が異なっています。模様の傾斜をみると,アメリカのほうがきついようです。「非常によい」+「よい」の比重に注意すると,日本では貧困層が45.4%,富裕層が64.4%です。しかしアメリカでは,順に62.1%,88.4%というように,26.2ポイントも開いています。
健康格差の程度は,アメリカのほうが大きいようですね。 この辺りのことは,堤未果さんの『貧困大国アメリカ』岩波新書(2008年)でいわれていますが,それがデータで可視化されています。
しかるにわが国においても,富の格差に由来する健康格差は存在しています。米国と比せばその程度は小さいですが,他の国と比べたらどうでしょう。より多くの社会を見据えた,広い国際統計の中でみて,日本の健康格差の程度はどの辺りに位置するのでしょう。
私は,WVSサイトのオンライン集計機能を使って,「国×収入階層×健康状態」の3重クロス表を作成し,世界の51か国について,収入階層と健康状態の関連を明らかにしました。やり方は,先ほどの日米と同じです。
健康状態が良好な者(「非常によい」+「よい」)の比率が,貧困層と富裕層でどれほど違うかを,国ごとに整理しました。下表をご覧ください。両群の差が大きい順に,各国を配列しています。
上にあるほど,富の差に由来する健康格差が大きな社会です。トップは旧ソ連のウクライナ。この国では,健康状態良好の者は富裕層では75.7%ですが,貧困層ではたったの14.8%です。2つの階層の間では,実に60ポイントをも越える開きがあります。
上位10位は,ウクライナ,セルビア,ポーランド,スペイン,ルワンダ,スロベニア,ルーマニア,グルジア,中国,およびモロッコとなっています。東欧や中欧の社会が多いですね。アフリカ国が2国,アジアの大国・中国も名を連ねています。中国では,近年になって富の開きが急激に拡大していると聞きますが。その影響かしらん。
赤色の主要国の位置に注目すると,英独,そして先に取り上げた米国が「中の上」あたりです。お隣の韓国と仏国が「中」,わが国は「中の下」というところでしょうか。北欧のスウェーデンは,健康格差が小さい社会です。なんか分かるな。
上表の順位構造は,各国の富の配分の不平等度,すなわちジニ係数のような指標と相関しているのではないか,と思われる方が多いでしょう。
しかるに,そう単純な話ではありません。昨年の5月8日の記事では,43か国のジニ係数を出したのですが,係数値が0.532とべらぼうに高いブラジルの健康格差は,わが国のすぐ上という程度です。一方,平等社会と評されるフィンランドの健康格差は,米国や英国以上なのです。
それぞれの社会における健康格差の程度は,多様な要因によって規定を被っていることでしょう。たとえば医療制度をとると,ウクライナについては,外務省のHPにて次のようにいわれています。この国で健康格差が大きいことの理由の一端がうかがわせる記述です。
「医療面については西欧諸国と比較して依然として立ち後れています。・・・交通事故・けが・急病の場合には市の救急車により救急センターに運ばれます。その場合において最低限の治療は確保されますが,予算不足によりウクライナ国民でさえも注射・薬・フィルム・手術代等の費用は,自己負担しているのが現状です」。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/europe/ukraine.html
さて日本は,世界的にみれば健康格差の程度は大きくはないのですが,懸念材料もあります。ここ数年間における変化です。私は,第2回のWVSの結果を用いて,上と同じ手法で1990年の日本の健康格差を明らかにしました。下図は,この15年間の変化を示したものです。
どうでしょう。わが国では,健康状態良好の者の比率は総体としては上がっていますが,その階層格差が拡大しています。一方,海を隔てた米国のほうは,1990年代初頭に比べればそれが縮小しています。
1990年代以降,わが国に暗雲が立ち込めてきたこととリンクしているようで不気味です。時系列比較は,上記の2つの社会しかしていませんが,もしかすると日本は,近年において国民の健康格差が拡大している数少ない社会であるのかもしれません。
現在実施中の第6回のWVSから分かる,2010年の状況はどうなっていることか。上図の高低線がさらに長くなっていたりして・・・。この期間中,2008年のリーマンショックなど,いろいろなことがありましたしね。
階層要因によって「生」が規定されるのは恐ろしいことですが,同時に怖いのは,こうした「生」の格差が子ども世代に伝達されることです。無力な子どもにあっては,健康状態如何は家庭環境に規定される側面が大です。医者にかかろうにも,親にその意志やカネがなければ,それは叶いません。
2011年7月15日の記事では,東京都内の地域統計を使って,貧困地域ほど子どもの虫歯保有率が高いことを明らかにしました。同年1月12日の記事では,同じ統計を分析して,生活保護率と子どもの肥満児率が正の相関関係にあることを示しました。社会全体の健康格差拡大と歩調を合わせて,子どもの世界のそれも大きくなっているのではないか,という懸念が持たれます。これは,れっきとした教育学上の問題です。
教育社会学では,子どもの学力格差の議論に関心が集中しているような感がありますが,それはいうなれば「2階」の部分の格差であって,もっとプライマリーな次元に,ここでみたような健康格差の問題が横たわっています。
子どもは生活者です。 こういう基底部分の社会的規定性の問題にも関心を払わねばなりますまい。前にどこかで申しましたが,学会誌『教育社会学研究』の特集テーマとして,「生の社会学」とかいいんじゃないか,と思っています。個人的に。
このことを条件にして,生活の諸次元においても格差が生じるようになってきています。たとえば教育格差,結婚格差,夫婦格差など。「**格差」と銘打った本を目にすることも多くなりました。こういうネーミングにすれば売れるという,出版社の目論見もあるのでしょう。それだけ,われわれが「格差」というものにセンシティヴになっている,ということです。
私は,こうした諸々の格差の中でも,健康格差という現象に関心を持っています。健康とは,人々が生を営むに際しての最も基本的な条件となるものですが,その様態には階層差があるというのです。
健康と社会階層がどうつながるのか「?」かもしれませんが,ちょっと考えれば,いろいろな経路を想起できます。貧困層は医者にかかれない,劣悪な住環境を強いられる,食事にしても安価でお腹が膨れるジャンクフードに頼る頻度が高くなる,etc・・・。アメリカに少しでも滞在したことがある方なら,すぐにピンとくるかと思います。
わが国でも,健康格差の問題には関心が向けられるようになっており,学術研究もなされています。主な文献として,近藤克則教授の『健康格差社会』医学書院(2005年)などがあります。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=13254
今回は,日本において健康格差なるものが存在するか,それはどの程度のものか,ということを明らかにしようと思います。具体的には,健康状態の自己評定が,属する世帯の収入階層によってどう違うかをみてみます。
用いる資料は,第5回『世界価値観調査』(WVS)です。本調査では,各国の18歳以上の男女に対し,家族全員の年収(世帯収入)を尋ね,10段階の収入階層に割り振っています。階層区分の仕方は,国によってまちまちです。
第1~2層を貧困層,3~6層を中間層,7~10層を富裕層と括りましょう。こうすると,ほとんどの国において,3群の量の均衡がとれるようになります。日本でいうと,貧困層が282人,中間層が430人,富裕層が281人です。
私は,この3群の間で,自分の健康状態への自己評価(5段階)がどう違うかを調べました。手始めに日米比較をしてみましょう。下図は,有効回答の分布です。
あくまで自己評定ですが,両国とも,階層によって健康状態が異なっています。模様の傾斜をみると,アメリカのほうがきついようです。「非常によい」+「よい」の比重に注意すると,日本では貧困層が45.4%,富裕層が64.4%です。しかしアメリカでは,順に62.1%,88.4%というように,26.2ポイントも開いています。
健康格差の程度は,アメリカのほうが大きいようですね。 この辺りのことは,堤未果さんの『貧困大国アメリカ』岩波新書(2008年)でいわれていますが,それがデータで可視化されています。
しかるにわが国においても,富の格差に由来する健康格差は存在しています。米国と比せばその程度は小さいですが,他の国と比べたらどうでしょう。より多くの社会を見据えた,広い国際統計の中でみて,日本の健康格差の程度はどの辺りに位置するのでしょう。
私は,WVSサイトのオンライン集計機能を使って,「国×収入階層×健康状態」の3重クロス表を作成し,世界の51か国について,収入階層と健康状態の関連を明らかにしました。やり方は,先ほどの日米と同じです。
健康状態が良好な者(「非常によい」+「よい」)の比率が,貧困層と富裕層でどれほど違うかを,国ごとに整理しました。下表をご覧ください。両群の差が大きい順に,各国を配列しています。
上にあるほど,富の差に由来する健康格差が大きな社会です。トップは旧ソ連のウクライナ。この国では,健康状態良好の者は富裕層では75.7%ですが,貧困層ではたったの14.8%です。2つの階層の間では,実に60ポイントをも越える開きがあります。
上位10位は,ウクライナ,セルビア,ポーランド,スペイン,ルワンダ,スロベニア,ルーマニア,グルジア,中国,およびモロッコとなっています。東欧や中欧の社会が多いですね。アフリカ国が2国,アジアの大国・中国も名を連ねています。中国では,近年になって富の開きが急激に拡大していると聞きますが。その影響かしらん。
赤色の主要国の位置に注目すると,英独,そして先に取り上げた米国が「中の上」あたりです。お隣の韓国と仏国が「中」,わが国は「中の下」というところでしょうか。北欧のスウェーデンは,健康格差が小さい社会です。なんか分かるな。
上表の順位構造は,各国の富の配分の不平等度,すなわちジニ係数のような指標と相関しているのではないか,と思われる方が多いでしょう。
しかるに,そう単純な話ではありません。昨年の5月8日の記事では,43か国のジニ係数を出したのですが,係数値が0.532とべらぼうに高いブラジルの健康格差は,わが国のすぐ上という程度です。一方,平等社会と評されるフィンランドの健康格差は,米国や英国以上なのです。
それぞれの社会における健康格差の程度は,多様な要因によって規定を被っていることでしょう。たとえば医療制度をとると,ウクライナについては,外務省のHPにて次のようにいわれています。この国で健康格差が大きいことの理由の一端がうかがわせる記述です。
「医療面については西欧諸国と比較して依然として立ち後れています。・・・交通事故・けが・急病の場合には市の救急車により救急センターに運ばれます。その場合において最低限の治療は確保されますが,予算不足によりウクライナ国民でさえも注射・薬・フィルム・手術代等の費用は,自己負担しているのが現状です」。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/europe/ukraine.html
さて日本は,世界的にみれば健康格差の程度は大きくはないのですが,懸念材料もあります。ここ数年間における変化です。私は,第2回のWVSの結果を用いて,上と同じ手法で1990年の日本の健康格差を明らかにしました。下図は,この15年間の変化を示したものです。
どうでしょう。わが国では,健康状態良好の者の比率は総体としては上がっていますが,その階層格差が拡大しています。一方,海を隔てた米国のほうは,1990年代初頭に比べればそれが縮小しています。
1990年代以降,わが国に暗雲が立ち込めてきたこととリンクしているようで不気味です。時系列比較は,上記の2つの社会しかしていませんが,もしかすると日本は,近年において国民の健康格差が拡大している数少ない社会であるのかもしれません。
現在実施中の第6回のWVSから分かる,2010年の状況はどうなっていることか。上図の高低線がさらに長くなっていたりして・・・。この期間中,2008年のリーマンショックなど,いろいろなことがありましたしね。
階層要因によって「生」が規定されるのは恐ろしいことですが,同時に怖いのは,こうした「生」の格差が子ども世代に伝達されることです。無力な子どもにあっては,健康状態如何は家庭環境に規定される側面が大です。医者にかかろうにも,親にその意志やカネがなければ,それは叶いません。
2011年7月15日の記事では,東京都内の地域統計を使って,貧困地域ほど子どもの虫歯保有率が高いことを明らかにしました。同年1月12日の記事では,同じ統計を分析して,生活保護率と子どもの肥満児率が正の相関関係にあることを示しました。社会全体の健康格差拡大と歩調を合わせて,子どもの世界のそれも大きくなっているのではないか,という懸念が持たれます。これは,れっきとした教育学上の問題です。
教育社会学では,子どもの学力格差の議論に関心が集中しているような感がありますが,それはいうなれば「2階」の部分の格差であって,もっとプライマリーな次元に,ここでみたような健康格差の問題が横たわっています。
子どもは生活者です。 こういう基底部分の社会的規定性の問題にも関心を払わねばなりますまい。前にどこかで申しましたが,学会誌『教育社会学研究』の特集テーマとして,「生の社会学」とかいいんじゃないか,と思っています。個人的に。
2013年3月6日水曜日
ゆるい社会に向けて
2月14日の記事「働かなくてもいい社会」が,ガジェット通信に転載されました。字のごとく,働かなくてもいい社会の可能性について私見を述べたものです。
それに寄せられたコメントを拝見すると,「働かない人を賛美するな」,「皆が働かなくなったらどうなる?」という趣旨のものが見受けられます。ふむふむ。ちと論が偏っていたでしょうか。
ただ私は,働かない人を賛美した覚えはなく,働きたくないなら働かないというオプションを認めることはできないものか,という意見を申したまでです。こういうことを認めると,皆が働かなくなってしまうではないか,といわれるでしょうが,はたしてそうでしょうか。
人間にとっての最大の敵は「退屈」であるといいますが,何もしないでボーっとしているなど,そうそうできたことではありません。それに,人はそもそも社会的な存在であるので,地位や役割を剥奪された「のっぺり」な状態に置かれることには,苦痛を感じるものです。ゆえに,働かない自由が得られたにしても,少しの間が過ぎれば,多くの人が自ずと働き始めるでしょう。
しかるに,数的には少数ながら,そのような性向を持たない人間もいます。そういう人については,無理に働かせるのではなく,働かないでいてもらってもよいのではないか,という思いがするのです。
phaさんが『ニートの歩き方』技術評論社(2012年)でいわれていましたが,蟻の集団を観察すると,働く蟻と働かない蟻が一定割合で存在するのだそうです。およおその比は,8:2であるとのこと。この割合は,人間社会にも当てはまるのではないかしらん。
成員の8割が働けば,社会は何とか回るのではないでしょうか。2月16日の記事でみたように,国民の3~4割しか働いていない社会だって存在します。
むろん,働く者と働かない者とでは,富の配分に傾斜をつけることが必要になってきます。あと,「疲れたら休む」というように,双方の間を自由に行き来できるようにすることも求められます。こういう仕掛けを施せば,何とかなるんじゃないかなあ。楽観!
まあ,中学校の社会科で習ったように,勤労は国民の義務と法定されています。就労能力のある私くらいの年齢の者は働くべきである,という前提はそのままにしましょう。でも,私のように出不精で体力のない輩であっても勤まるような,「ゆるい」働き方を認めていただけないものか。そういう方向に社会が動いていかないものか・・・。
このところ毎回使っている『世界価値観調査』(WVS)の中に,この点についての示唆を与えてくれるデータがあります。「生活様式の変化として,働くことがあまり重要でなくなる」ことへの意見です。用意されている選択肢は,「良いことだ」,「気にしない」,「悪いことだ」の3つ。至ってシンプルです。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
わが国を含む主要国について,第5回調査(2005~08年実施)の回答結果をみてみましょう。調査対象となった18歳以上の男女の回答分布です。D.KとN.Aは除きます。( )内はサンプル数です。日韓は2005年,米英独仏瑞は2006年の調査データであることを申し添えます。
日本では,79.7%が「悪いことだ」と答えています。「良いことだ」は5%しかいません。お隣の韓国も似たような分布です。ドイツも,否定派が半分を超えています。しかるに,残りの4か国では,否定派よりも肯定派のほうが多くなっています。フランスやスウェーデンでは,こういう傾向が顕著ですね。
以上は主要6か国の比較ですが,上記の調査資料から,世界の56か国の回答分布を知ることができます。これらを射程に入れた広いマトリクスにおいて,わが国はどこに位置するかをみてみましょう。また,過去からどう動いてきたかという軌跡を描いてみましょう。
私は,横軸に「悪いことだ」,縦軸に「良いことだ」という回答の比率をとった座標上に,56の社会をプロットした図をつくりました。先の6か国については,第1回WVS調査の結果と接合させ,1980年代初頭からの位置変化も分かるようにしました。矢印のしっぽは1981(82)年,先端は2005(06)年の位置を表します。
お分かりかと思いますが,図の左上にあるのは,就労に重きが置かれなくなることを歓迎する「ゆるい」社会です。右下には,それとは逆の社会が位置しています。
図の最も左上にある社会はアンドラです。2月27日の記事でみたところによると,この国は女性の社会進出が最も進んでいるのですが,個々の国民は,生活において就労をあまり重視していないようです。男女共同参画が実現することで,個々人の労働時間が適度に抑制された,ワークシェアリング型の社会であるのかも。
フランスとスペインの間にある,この小社会には興味を持ちますねえ。この国への旅行体験記とか滞在記とか出ていないかな。*彩図社さん,企画されてはどうでしょう。
図中の斜線は均等線であり,これよりも上に位置するのは,否定派よりも肯定派が多い社会です。イギリスとスウェーデンは,この4半世紀の間に,こういう社会に様変わりしました。アメリカはあとちょっとというところ。独仏は反対方向に動いていますが,後者は現時点でも「ゆるい」社会であることに変わりありません。
さて日本はというと,図の右下に位置する「タイト」な社会です。しかも,1980年代の初頭以降,位置がほとんど変わっていません。ワークホリックの国などと揶揄され,総体として労働時間が短縮されてきた経緯はありますが,国民の意識は旧態依然のまま。・・・今後の変化も知れているような気がします。
右下の点線の丸に囲われた社会は,日本のほか,ルワンダ,エジプト,インドネシア,台湾,ブルキナファソ,そしてモロッコです。なんか,日本だけが異色ですね。
成熟化を遂げた社会において,働くことを重視し過ぎるのは,よからぬことを引き起こすのではないかなあ。仕事がないにもかかわらず,「働かざる者食うべからず」が強調され,人を欺くような仕事でもいいから形の上で就労させる。こういうことでニート率を減らしても,社会的にはマイナスでしょう。
現代日本の基底的な土台条件を考えると,その上で暮す人々の意識は,上図の左上にシフトして然るべきだと思います。「ゆるい」社会への移行です。
ここでいう「ゆるい」とは,働き方を形容します。わが国で「働く」というと,週5日,朝から夜遅くまで働くというようなフルタイム就業と考えられがちです。若年の生活保護受給者に就労指導が入る際,いきなりこうした長時間労働を促されるといいますが,これなどは,短時間就業は各種の保険を受けるに値しない,とみなされていることの証左です。
こういう極端な捉え方が,「過労死するほど仕事があり,自殺するほど仕事が無い」という特異な状況をもたらしているのではないでしょうか。もっと「ゆるい」働き方を認めることで,これを是正することが求められると思います。*こうすることで,統計上のニートはかなり減るのでは。
それは,仕事に打ち込む「職業人」としての顔と同時に,社会的な関心をも持つ「社会人」としての顔も併せ持った人間が増える過程でもあります。上図の赤色の矢印が左上に伸びることが,それが実現するための条件であるといえましょう。
2月14日の記事では「働かなくてもいい社会」を提起しましたが,ここでは,「ゆるい働き方ができる社会」を理想郷として掲げることとします。本記事タイトルでは,それを簡略化して「ゆるい社会」とした次第です。
それに寄せられたコメントを拝見すると,「働かない人を賛美するな」,「皆が働かなくなったらどうなる?」という趣旨のものが見受けられます。ふむふむ。ちと論が偏っていたでしょうか。
ただ私は,働かない人を賛美した覚えはなく,働きたくないなら働かないというオプションを認めることはできないものか,という意見を申したまでです。こういうことを認めると,皆が働かなくなってしまうではないか,といわれるでしょうが,はたしてそうでしょうか。
人間にとっての最大の敵は「退屈」であるといいますが,何もしないでボーっとしているなど,そうそうできたことではありません。それに,人はそもそも社会的な存在であるので,地位や役割を剥奪された「のっぺり」な状態に置かれることには,苦痛を感じるものです。ゆえに,働かない自由が得られたにしても,少しの間が過ぎれば,多くの人が自ずと働き始めるでしょう。
しかるに,数的には少数ながら,そのような性向を持たない人間もいます。そういう人については,無理に働かせるのではなく,働かないでいてもらってもよいのではないか,という思いがするのです。
phaさんが『ニートの歩き方』技術評論社(2012年)でいわれていましたが,蟻の集団を観察すると,働く蟻と働かない蟻が一定割合で存在するのだそうです。およおその比は,8:2であるとのこと。この割合は,人間社会にも当てはまるのではないかしらん。
成員の8割が働けば,社会は何とか回るのではないでしょうか。2月16日の記事でみたように,国民の3~4割しか働いていない社会だって存在します。
むろん,働く者と働かない者とでは,富の配分に傾斜をつけることが必要になってきます。あと,「疲れたら休む」というように,双方の間を自由に行き来できるようにすることも求められます。こういう仕掛けを施せば,何とかなるんじゃないかなあ。楽観!
まあ,中学校の社会科で習ったように,勤労は国民の義務と法定されています。就労能力のある私くらいの年齢の者は働くべきである,という前提はそのままにしましょう。でも,私のように出不精で体力のない輩であっても勤まるような,「ゆるい」働き方を認めていただけないものか。そういう方向に社会が動いていかないものか・・・。
このところ毎回使っている『世界価値観調査』(WVS)の中に,この点についての示唆を与えてくれるデータがあります。「生活様式の変化として,働くことがあまり重要でなくなる」ことへの意見です。用意されている選択肢は,「良いことだ」,「気にしない」,「悪いことだ」の3つ。至ってシンプルです。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
わが国を含む主要国について,第5回調査(2005~08年実施)の回答結果をみてみましょう。調査対象となった18歳以上の男女の回答分布です。D.KとN.Aは除きます。( )内はサンプル数です。日韓は2005年,米英独仏瑞は2006年の調査データであることを申し添えます。
日本では,79.7%が「悪いことだ」と答えています。「良いことだ」は5%しかいません。お隣の韓国も似たような分布です。ドイツも,否定派が半分を超えています。しかるに,残りの4か国では,否定派よりも肯定派のほうが多くなっています。フランスやスウェーデンでは,こういう傾向が顕著ですね。
以上は主要6か国の比較ですが,上記の調査資料から,世界の56か国の回答分布を知ることができます。これらを射程に入れた広いマトリクスにおいて,わが国はどこに位置するかをみてみましょう。また,過去からどう動いてきたかという軌跡を描いてみましょう。
私は,横軸に「悪いことだ」,縦軸に「良いことだ」という回答の比率をとった座標上に,56の社会をプロットした図をつくりました。先の6か国については,第1回WVS調査の結果と接合させ,1980年代初頭からの位置変化も分かるようにしました。矢印のしっぽは1981(82)年,先端は2005(06)年の位置を表します。
お分かりかと思いますが,図の左上にあるのは,就労に重きが置かれなくなることを歓迎する「ゆるい」社会です。右下には,それとは逆の社会が位置しています。
図の最も左上にある社会はアンドラです。2月27日の記事でみたところによると,この国は女性の社会進出が最も進んでいるのですが,個々の国民は,生活において就労をあまり重視していないようです。男女共同参画が実現することで,個々人の労働時間が適度に抑制された,ワークシェアリング型の社会であるのかも。
フランスとスペインの間にある,この小社会には興味を持ちますねえ。この国への旅行体験記とか滞在記とか出ていないかな。*彩図社さん,企画されてはどうでしょう。
図中の斜線は均等線であり,これよりも上に位置するのは,否定派よりも肯定派が多い社会です。イギリスとスウェーデンは,この4半世紀の間に,こういう社会に様変わりしました。アメリカはあとちょっとというところ。独仏は反対方向に動いていますが,後者は現時点でも「ゆるい」社会であることに変わりありません。
さて日本はというと,図の右下に位置する「タイト」な社会です。しかも,1980年代の初頭以降,位置がほとんど変わっていません。ワークホリックの国などと揶揄され,総体として労働時間が短縮されてきた経緯はありますが,国民の意識は旧態依然のまま。・・・今後の変化も知れているような気がします。
右下の点線の丸に囲われた社会は,日本のほか,ルワンダ,エジプト,インドネシア,台湾,ブルキナファソ,そしてモロッコです。なんか,日本だけが異色ですね。
成熟化を遂げた社会において,働くことを重視し過ぎるのは,よからぬことを引き起こすのではないかなあ。仕事がないにもかかわらず,「働かざる者食うべからず」が強調され,人を欺くような仕事でもいいから形の上で就労させる。こういうことでニート率を減らしても,社会的にはマイナスでしょう。
現代日本の基底的な土台条件を考えると,その上で暮す人々の意識は,上図の左上にシフトして然るべきだと思います。「ゆるい」社会への移行です。
ここでいう「ゆるい」とは,働き方を形容します。わが国で「働く」というと,週5日,朝から夜遅くまで働くというようなフルタイム就業と考えられがちです。若年の生活保護受給者に就労指導が入る際,いきなりこうした長時間労働を促されるといいますが,これなどは,短時間就業は各種の保険を受けるに値しない,とみなされていることの証左です。
こういう極端な捉え方が,「過労死するほど仕事があり,自殺するほど仕事が無い」という特異な状況をもたらしているのではないでしょうか。もっと「ゆるい」働き方を認めることで,これを是正することが求められると思います。*こうすることで,統計上のニートはかなり減るのでは。
それは,仕事に打ち込む「職業人」としての顔と同時に,社会的な関心をも持つ「社会人」としての顔も併せ持った人間が増える過程でもあります。上図の赤色の矢印が左上に伸びることが,それが実現するための条件であるといえましょう。
2月14日の記事では「働かなくてもいい社会」を提起しましたが,ここでは,「ゆるい働き方ができる社会」を理想郷として掲げることとします。本記事タイトルでは,それを簡略化して「ゆるい社会」とした次第です。
2013年3月4日月曜日
若者は萎縮させられている?
前回は,世界51か国の若者のクリエイティヴ・冒険志向の国際比較を行ったのですが,この記事をみてくださる方が多いようです。自己評定のデータですが,こういうのが物珍しいためでしょうか。
結果は,わが国の若者が(ダントツで)最下位だったのですが,ツイッター等でのコメントを拝見すると,「若者だけの問題か」,「大人の意識も含めて社会の責任だ」というようなものが見受けられます。ふむふむ。私も同感です。
前回は若者だけを切り取って比較したのですが,今回は,中高年層も交えた国際比較をしてみようと思います。日本の若者は,同じ社会の中高年層と比してどうなのか,後者は,他の社会の同年齢層と比べてどうなのか。このような織り交ぜをすることで,議論がより立体的になるでしょう。
用いるのは,第5回『世界価値観調査』(WVS)のデータです。本調査は,2005~08年にかけて,世界の数十か国の国民を対象に実施されたものです(日本は2005年)。以下の2つの人間像に,自分がどれほど当てはまるかを自己評定してもらった結果に注目します。
①:新しいアイディアを思いつき,創造的であること,自分のやり方で行うことが大切な人
②:冒険し,リスクを冒すこと,刺激のある生活が大切な人
前者はクリエイティヴ人間,後者は冒険志向人間です。WVSサイトのオンライン集計機能を使って,日本の15~29歳の若者と,30歳以上の中高年者の回答分布を出してみましょう。下表に,D.KとN.Aを除く有効回答分布を示しました。< >内はサンプル数です。
程度を度外視すると,自分をクリエイティヴ人間と評している者の比率は,若者で77.0%,中高年で73.7%です。冒険志向人間と自己評定している者は順に,38.1%,25.2%なり。何だ,中高年のほうが低いではないですか。
今のは分布の一部をすくっただけですが,分布全体を考慮した「当てはまり度」を出すとどうでしょう。やり方は前回と同じです。「非常によく当てはまる」には6点,「よく当てはまるには」5点,「まあ当てはまる」には4点,「少し当てはまる」には3点,「当てはまらない」には2点,「全く当てはまらない」には1点を与えた場合,平均(average)が何点になるかを求めます。クリエイティヴ人間への若者の「当てはまり度」は,次のようにして算出されます。
[(6点×6.3)+(5点×16.1)+(4点×22.4)+・・・(1点×3.4)]/100.0 ≒ 3.5点
このスコアを中高年について出すと3.4点となります。冒険志向スコアは,若者が2.4点,中高年が2.1点です。・・・いずれも年長者のほうが低いじゃん。前回の国際統計を,「だから若者はダメなんだ」という論の材料に使うことはできないようです。中高年も同じなり。
それでは,前回比較した51の社会について,双方の年齢層のスコアを出し,わが国の位置を明らかにしてみましょう。下表は,その一覧表です。51か国中の最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。日韓と米英独仏の6か国の国名は赤色にしています。
若者のクリエイティヴ志向・冒険志向が最下位なのは前回みた通りですが,中高年の冒険志向も然り。クリエイティヴ志向は,ウクライナに次いで下から2位です。
自己評定の結果ですが,創造性やチャレンジ精神に乏しいのは,若者に限ったことでなく,国民全体についていえるようです。若者が縮こまってしまうに際しては,社会の有様が大きな影を落としているといえましょう。
若者は真空の中で生きているのではありません。日本社会の中で暮らし,いつだって,そこに蔓延するクライメイトの影響を被っています。ある方が「(創造性や冒険欲)が評価される社会じゃないんだから当然」とツイッターでおっしゃっていましたが,こうしたことも,社会的な影響の一つの相をなしていると思います。
ところで,上表をみていて気になることがあります。冒険志向スコアの年齢差です。全ての社会において,中高年よりも若者の冒険志向が強くなっています。まあこれは当然のことで,いつの時代でもどの社会でも,失うものがあまりない若者のほうが,失敗をものともしない冒険欲は旺盛でしょう。気力や体力の違いに由来する生理現象とみることだってできます。
しかるに日本の場合,その差が小さいのです。若者が2.4,中高年が2.1で,たったの0.3ポイントしか違いません。すぐ上をみると,アメリカでは0.7ポイント,カナダでは1.1ポイントも違っています。どういうことでしょうか。
各国の冒険志向スコアの年齢差を可視化してみましょう。横軸に中高年,縦軸に若者のスコアをとった座標上に,51の社会を散りばめてみました。
図の斜線は均等線であり,この線からの垂直方向の距離をもって,冒険志向の年齢差を国ごとにみてとることができます。
主要6か国は線を引きましたが,日本が一番短くなっています。若者の冒険志向の程度が,中高年とさして変わらない,ということです。むろん,均等線により密接している社会はありますが,わが国の場合,スコアの絶対水準が低いことを勘案せねばなりますまい。
若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会。こういう社会は,日本とエジプトくらいです。本来なら,高い冒険欲を呈するはずの若者が,上の世代によって押さえられつけられているのではないか,足を引っ張られているのではないか,低いほうへと収斂させられているのではないか。俗的にいうなら,若者は萎縮しているのではなく,萎縮させられているのではないか,ということです。人口構成をみても,日本は若者よりも中高年がマジョリティーの社会ですしね。
私はここで,城繁幸さんの『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』ちくま新書(2008年)の81~84頁で紹介されている,三十路過ぎの若者の話を思い出します。
米国でMBAを取得したこの若者は,勤め先の企業が米国企業との戦略提携交渉をもつ場に通訳として同席します。しかし,50代の日ノ丸経営陣はボロを出すのを恐れてか,煮え切らないやり取りばかり。
これではいかんと,当人が交渉に割って入り,上司の顔色も見ないまま積極的にイニシアチブをとり,先方からは好意的な評価を得ます。ところが,会議終了後に役員から鬼のような形相ですごまれ,こういわれます。「おまえ,なに勝手に仕切ってんだよ!」。
上図の左下にあり,かつ均等線の近くに位置する社会って,こういう日常がありふれている社会ではないのかなあ。まあエジプトなどは,文化の違いも考慮しないといけませんが。
繰り返します。日本は,若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会です。上図をもう一度みてほしいのですが,日本とドイツは,中高年層の冒険志向はほぼ同程度ですが,若者のそれが大きく違っています。
この差は,若者の冒険やチャレンジに対して,社会がどれほど寛容であるかの違いを表しているように思えます。クリエイティヴ志向は別として,日本の若者の冒険志向の低さは,まさに社会の問題,大人の意識の問題と捉えることができるでしょう。
結果は,わが国の若者が(ダントツで)最下位だったのですが,ツイッター等でのコメントを拝見すると,「若者だけの問題か」,「大人の意識も含めて社会の責任だ」というようなものが見受けられます。ふむふむ。私も同感です。
前回は若者だけを切り取って比較したのですが,今回は,中高年層も交えた国際比較をしてみようと思います。日本の若者は,同じ社会の中高年層と比してどうなのか,後者は,他の社会の同年齢層と比べてどうなのか。このような織り交ぜをすることで,議論がより立体的になるでしょう。
用いるのは,第5回『世界価値観調査』(WVS)のデータです。本調査は,2005~08年にかけて,世界の数十か国の国民を対象に実施されたものです(日本は2005年)。以下の2つの人間像に,自分がどれほど当てはまるかを自己評定してもらった結果に注目します。
①:新しいアイディアを思いつき,創造的であること,自分のやり方で行うことが大切な人
②:冒険し,リスクを冒すこと,刺激のある生活が大切な人
前者はクリエイティヴ人間,後者は冒険志向人間です。WVSサイトのオンライン集計機能を使って,日本の15~29歳の若者と,30歳以上の中高年者の回答分布を出してみましょう。下表に,D.KとN.Aを除く有効回答分布を示しました。< >内はサンプル数です。
程度を度外視すると,自分をクリエイティヴ人間と評している者の比率は,若者で77.0%,中高年で73.7%です。冒険志向人間と自己評定している者は順に,38.1%,25.2%なり。何だ,中高年のほうが低いではないですか。
今のは分布の一部をすくっただけですが,分布全体を考慮した「当てはまり度」を出すとどうでしょう。やり方は前回と同じです。「非常によく当てはまる」には6点,「よく当てはまるには」5点,「まあ当てはまる」には4点,「少し当てはまる」には3点,「当てはまらない」には2点,「全く当てはまらない」には1点を与えた場合,平均(average)が何点になるかを求めます。クリエイティヴ人間への若者の「当てはまり度」は,次のようにして算出されます。
[(6点×6.3)+(5点×16.1)+(4点×22.4)+・・・(1点×3.4)]/100.0 ≒ 3.5点
このスコアを中高年について出すと3.4点となります。冒険志向スコアは,若者が2.4点,中高年が2.1点です。・・・いずれも年長者のほうが低いじゃん。前回の国際統計を,「だから若者はダメなんだ」という論の材料に使うことはできないようです。中高年も同じなり。
それでは,前回比較した51の社会について,双方の年齢層のスコアを出し,わが国の位置を明らかにしてみましょう。下表は,その一覧表です。51か国中の最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。日韓と米英独仏の6か国の国名は赤色にしています。
若者のクリエイティヴ志向・冒険志向が最下位なのは前回みた通りですが,中高年の冒険志向も然り。クリエイティヴ志向は,ウクライナに次いで下から2位です。
自己評定の結果ですが,創造性やチャレンジ精神に乏しいのは,若者に限ったことでなく,国民全体についていえるようです。若者が縮こまってしまうに際しては,社会の有様が大きな影を落としているといえましょう。
若者は真空の中で生きているのではありません。日本社会の中で暮らし,いつだって,そこに蔓延するクライメイトの影響を被っています。ある方が「(創造性や冒険欲)が評価される社会じゃないんだから当然」とツイッターでおっしゃっていましたが,こうしたことも,社会的な影響の一つの相をなしていると思います。
ところで,上表をみていて気になることがあります。冒険志向スコアの年齢差です。全ての社会において,中高年よりも若者の冒険志向が強くなっています。まあこれは当然のことで,いつの時代でもどの社会でも,失うものがあまりない若者のほうが,失敗をものともしない冒険欲は旺盛でしょう。気力や体力の違いに由来する生理現象とみることだってできます。
しかるに日本の場合,その差が小さいのです。若者が2.4,中高年が2.1で,たったの0.3ポイントしか違いません。すぐ上をみると,アメリカでは0.7ポイント,カナダでは1.1ポイントも違っています。どういうことでしょうか。
各国の冒険志向スコアの年齢差を可視化してみましょう。横軸に中高年,縦軸に若者のスコアをとった座標上に,51の社会を散りばめてみました。
図の斜線は均等線であり,この線からの垂直方向の距離をもって,冒険志向の年齢差を国ごとにみてとることができます。
主要6か国は線を引きましたが,日本が一番短くなっています。若者の冒険志向の程度が,中高年とさして変わらない,ということです。むろん,均等線により密接している社会はありますが,わが国の場合,スコアの絶対水準が低いことを勘案せねばなりますまい。
若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会。こういう社会は,日本とエジプトくらいです。本来なら,高い冒険欲を呈するはずの若者が,上の世代によって押さえられつけられているのではないか,足を引っ張られているのではないか,低いほうへと収斂させられているのではないか。俗的にいうなら,若者は萎縮しているのではなく,萎縮させられているのではないか,ということです。人口構成をみても,日本は若者よりも中高年がマジョリティーの社会ですしね。
私はここで,城繁幸さんの『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』ちくま新書(2008年)の81~84頁で紹介されている,三十路過ぎの若者の話を思い出します。
米国でMBAを取得したこの若者は,勤め先の企業が米国企業との戦略提携交渉をもつ場に通訳として同席します。しかし,50代の日ノ丸経営陣はボロを出すのを恐れてか,煮え切らないやり取りばかり。
これではいかんと,当人が交渉に割って入り,上司の顔色も見ないまま積極的にイニシアチブをとり,先方からは好意的な評価を得ます。ところが,会議終了後に役員から鬼のような形相ですごまれ,こういわれます。「おまえ,なに勝手に仕切ってんだよ!」。
上図の左下にあり,かつ均等線の近くに位置する社会って,こういう日常がありふれている社会ではないのかなあ。まあエジプトなどは,文化の違いも考慮しないといけませんが。
繰り返します。日本は,若者の冒険志向の水準そのものが低く,かつ,年長層との差も小さい社会です。上図をもう一度みてほしいのですが,日本とドイツは,中高年層の冒険志向はほぼ同程度ですが,若者のそれが大きく違っています。
この差は,若者の冒険やチャレンジに対して,社会がどれほど寛容であるかの違いを表しているように思えます。クリエイティヴ志向は別として,日本の若者の冒険志向の低さは,まさに社会の問題,大人の意識の問題と捉えることができるでしょう。
2013年3月2日土曜日
若者のクリエイティヴ・冒険志向の国際比較
読売新聞では,有名企業の人事担当者に,就活生へのアドバイスを語ってもらう特集を組んでいます。その名も「人事の眼」。「こういう学生がほしい」ということが,選考担当者の目線から語られています。毎回,欠かさず目を通している学生さんも多いことでしょう。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/syuukatsu/eye/
それをみると,来てほしい学生のタイプとして「言われたことをやるだけでなく,自分で考え,積極的に新しいことを提案できる人」,「失敗恐れず,チャレンジ精神が旺盛な人」というようなことがいわれています。
紋切り型といえばそれまでですが,まあいつの時代でも,企業が求める若者のすがたというのは,こういうものでしょう。
では,当の若者は,この手の資質をどれほど身につけているのでしょうか。この点を知るには,概念を明確に定義した上で,それを測る客観テストをしなければいけませんが,あいにくそのような統計は存在しません。
しかるに,彼らの自己評定がどういうものかを教えてくれる調査資料があります。このところ毎回使っている,第5回の『世界価値観調査』(WVS)です。調査年次は2005~08年であり,国によって違います。
本調査では,複数の人物像を提示し,それぞれに自分がどれほど当てはまるかを尋ねています(日本語調査票では問32)。6段階で自己評定してもらう形式です。私は,15~29歳の若者が,以下の2つの人間像に自分をどう重ねているかを明らかにしました。
①:新しいアイディアを思いつき,創造的であること,自分のやり方で行うことが大切な人
②:冒険し,リスクを冒すこと,刺激のある生活が大切な人
前者はクリエイティヴ人間,後者は冒険志向人間です。それぞれに対し,自分はどれほど当てはまるか。日本(2005年)とアメリカ(2006年)の若者の回答分布を比較してみましょう。D.KとN.Aを除いた有効回答の分布をみてみます。< >内はサンプル数です。
なお,この統計を作成するにあたっては,WVSサイトのオンライン集計ツールを使用したことを申し添えます。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
程度はどうであれ,自分をクリエイティヴ人間と考えている者は,日本では77.0%,アメリカでは90.9%です。自分を冒険志向人間と評価している者の比率は,順に38.1%,71.9%となっています。
あくまで自己評定ですが,日本はアメリカに比して,若者の創造性や冒険志向が低いようですね。巷でよくいわれることとも合致しているように思えます。
これは日米比較ですが,比較対象を増やし,より広い国際統計の中でみた場合,わが国はどこあたりに位置づくでしょう。私は,世界51か国の若者の有効回答分布を明らかにし,両項目への「当てはまり度」を測る一元尺度を計算しました。
何のことはありません。「非常によく当てはまる」には6点,「よく当てはまるには」5点,「まあ当てはまる」には4点,「少し当てはまる」には3点,「当てはまらない」には2点,「全く当てはまらない」には1点を与えた場合,平均(average)が何点になるかを求めただけです。日本の若者の場合,クリエイティヴ人間への「当てはまり度」は,以下のようにして算出されます。
[(6点×6.3)+(5点×16.1)+(4点×22.4)+・・・(1点×3.4)]/100.0 ≒ 3.5点
アメリカの同じ値は4.3点です。冒険志向の当てはまり度は,日本が2.4点,アメリカは3.5点なり。こちらは1.0ポイント以上違っています。差が大きいですね。
これによると,分布全体を勘案した創造性,冒険志向性の程度(自己評定)を測ることができます。上表のような程度回答の場合,分布の一部だけを切り取るよりも,こちらのほうがベターかと存じます。
私は,51か国の若者について,同じ尺度を軒並み計算しました。下の図は,横軸にクリエイティヴ人間,縦軸に冒険志向人間への当てはまり度をとった座標上に,51の社会の若者を位置づけたものです。
ほう。日本は左下の極地に位置していますね。自己評定の結果ですが,若者のクリエイティヴ志向,冒険志向とも,国際的にみて最も低い社会であることが知られます。多くの国が密集している群から離れていることからして,「ダントツ」という副詞をつけても言い過ぎではないでしょう。
先ほどサシで比較したアメリカが,ちょうど真ん中あたりというところです。世界は広し。その上が結構います。右上には,中東のヨルダンのほか,昨今の経済発展が著しいインドやインドネシア,そしてガーナやマリといったアフリカ国も顔をのぞかせています。
こういう展望が開けている社会では,若者のクリエイティヴ志向や冒険志向が強くなるのでしょうか。インドネシアの経済発展などは,若者のこうした志向の集積によって牽引されているのかもしれないな。
お隣の韓国は,わが国と近い位置かと思いきや,そうではありません。この国では,冒険志向と自己評定する若者が比較的多し。日本以上の格差社会といわれる韓国では,すっかり若者が委縮し,守りの姿勢に入っているのではと踏んでいましたが,スパイシーな生活を楽しんでいる若者も結構いそうですね。
対して日本の若者はといえば,すっかり小さくなってしまっています。上図を経団連のお偉いさんがみたら,何とおっしゃることやら。今度は,コミュニケーション能力ならぬ,創造力・冒険力を鍛えてくれと,大学にいってくるでしょうか。
しかるにクリエイティヴ志向はともかく,冒険志向の低さなどは,失敗に寛容でない日本社会の有様にも起因しているでしょう。わが国は,22歳の時点において,一点の曇りもない完璧な形での「学校から職業への移行(TSW)」を若者に強いる社会です。それができなかった者には厳しい仕打ちが下されることは,1月3日の記事に掲載した,22歳の自殺統計をみればよく分かります。
こういう社会では,若者が小さくなってしまうのも無理からぬことです。若者の冒険志向を高めようというなら,新卒一括採用というような,おそらくは日本に固有とみられる奇妙な慣行を是正することのほうが先決ではないかしらん。
今回の統計では,時系列データを用意できないのですが,日本の若者は時とともに上図の左下に動いているのではないか,という危惧も持たれます。第6回(2010年)のWVSデータでは,どういう位置になっていることか。2005年以降,リーマンショックをはじめとして,若者の展望を暗くするような事態がいろいろと起きました。もしかしたら,もっと左下になっていたりして・・・。
なお,クリエイティヴ志向や冒険志向のジェンダー差も気になりますね。昨年の11月8日の記事でみたように,わが国は,女子高校生の理系志向が最も低い社会です。女子の創造性やチャレンジ精神を抑えつけるジェンダー的社会化が,幼少期より暗にも明にも進行している可能性があります。上記サイトのオンライン分析にて,性という変数を入れた多重クロス集計もしてみるつもりです。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/syuukatsu/eye/
それをみると,来てほしい学生のタイプとして「言われたことをやるだけでなく,自分で考え,積極的に新しいことを提案できる人」,「失敗恐れず,チャレンジ精神が旺盛な人」というようなことがいわれています。
紋切り型といえばそれまでですが,まあいつの時代でも,企業が求める若者のすがたというのは,こういうものでしょう。
では,当の若者は,この手の資質をどれほど身につけているのでしょうか。この点を知るには,概念を明確に定義した上で,それを測る客観テストをしなければいけませんが,あいにくそのような統計は存在しません。
しかるに,彼らの自己評定がどういうものかを教えてくれる調査資料があります。このところ毎回使っている,第5回の『世界価値観調査』(WVS)です。調査年次は2005~08年であり,国によって違います。
本調査では,複数の人物像を提示し,それぞれに自分がどれほど当てはまるかを尋ねています(日本語調査票では問32)。6段階で自己評定してもらう形式です。私は,15~29歳の若者が,以下の2つの人間像に自分をどう重ねているかを明らかにしました。
①:新しいアイディアを思いつき,創造的であること,自分のやり方で行うことが大切な人
②:冒険し,リスクを冒すこと,刺激のある生活が大切な人
前者はクリエイティヴ人間,後者は冒険志向人間です。それぞれに対し,自分はどれほど当てはまるか。日本(2005年)とアメリカ(2006年)の若者の回答分布を比較してみましょう。D.KとN.Aを除いた有効回答の分布をみてみます。< >内はサンプル数です。
なお,この統計を作成するにあたっては,WVSサイトのオンライン集計ツールを使用したことを申し添えます。
http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalize.jsp
程度はどうであれ,自分をクリエイティヴ人間と考えている者は,日本では77.0%,アメリカでは90.9%です。自分を冒険志向人間と評価している者の比率は,順に38.1%,71.9%となっています。
あくまで自己評定ですが,日本はアメリカに比して,若者の創造性や冒険志向が低いようですね。巷でよくいわれることとも合致しているように思えます。
これは日米比較ですが,比較対象を増やし,より広い国際統計の中でみた場合,わが国はどこあたりに位置づくでしょう。私は,世界51か国の若者の有効回答分布を明らかにし,両項目への「当てはまり度」を測る一元尺度を計算しました。
何のことはありません。「非常によく当てはまる」には6点,「よく当てはまるには」5点,「まあ当てはまる」には4点,「少し当てはまる」には3点,「当てはまらない」には2点,「全く当てはまらない」には1点を与えた場合,平均(average)が何点になるかを求めただけです。日本の若者の場合,クリエイティヴ人間への「当てはまり度」は,以下のようにして算出されます。
[(6点×6.3)+(5点×16.1)+(4点×22.4)+・・・(1点×3.4)]/100.0 ≒ 3.5点
アメリカの同じ値は4.3点です。冒険志向の当てはまり度は,日本が2.4点,アメリカは3.5点なり。こちらは1.0ポイント以上違っています。差が大きいですね。
これによると,分布全体を勘案した創造性,冒険志向性の程度(自己評定)を測ることができます。上表のような程度回答の場合,分布の一部だけを切り取るよりも,こちらのほうがベターかと存じます。
私は,51か国の若者について,同じ尺度を軒並み計算しました。下の図は,横軸にクリエイティヴ人間,縦軸に冒険志向人間への当てはまり度をとった座標上に,51の社会の若者を位置づけたものです。
ほう。日本は左下の極地に位置していますね。自己評定の結果ですが,若者のクリエイティヴ志向,冒険志向とも,国際的にみて最も低い社会であることが知られます。多くの国が密集している群から離れていることからして,「ダントツ」という副詞をつけても言い過ぎではないでしょう。
先ほどサシで比較したアメリカが,ちょうど真ん中あたりというところです。世界は広し。その上が結構います。右上には,中東のヨルダンのほか,昨今の経済発展が著しいインドやインドネシア,そしてガーナやマリといったアフリカ国も顔をのぞかせています。
こういう展望が開けている社会では,若者のクリエイティヴ志向や冒険志向が強くなるのでしょうか。インドネシアの経済発展などは,若者のこうした志向の集積によって牽引されているのかもしれないな。
お隣の韓国は,わが国と近い位置かと思いきや,そうではありません。この国では,冒険志向と自己評定する若者が比較的多し。日本以上の格差社会といわれる韓国では,すっかり若者が委縮し,守りの姿勢に入っているのではと踏んでいましたが,スパイシーな生活を楽しんでいる若者も結構いそうですね。
対して日本の若者はといえば,すっかり小さくなってしまっています。上図を経団連のお偉いさんがみたら,何とおっしゃることやら。今度は,コミュニケーション能力ならぬ,創造力・冒険力を鍛えてくれと,大学にいってくるでしょうか。
しかるにクリエイティヴ志向はともかく,冒険志向の低さなどは,失敗に寛容でない日本社会の有様にも起因しているでしょう。わが国は,22歳の時点において,一点の曇りもない完璧な形での「学校から職業への移行(TSW)」を若者に強いる社会です。それができなかった者には厳しい仕打ちが下されることは,1月3日の記事に掲載した,22歳の自殺統計をみればよく分かります。
こういう社会では,若者が小さくなってしまうのも無理からぬことです。若者の冒険志向を高めようというなら,新卒一括採用というような,おそらくは日本に固有とみられる奇妙な慣行を是正することのほうが先決ではないかしらん。
今回の統計では,時系列データを用意できないのですが,日本の若者は時とともに上図の左下に動いているのではないか,という危惧も持たれます。第6回(2010年)のWVSデータでは,どういう位置になっていることか。2005年以降,リーマンショックをはじめとして,若者の展望を暗くするような事態がいろいろと起きました。もしかしたら,もっと左下になっていたりして・・・。
なお,クリエイティヴ志向や冒険志向のジェンダー差も気になりますね。昨年の11月8日の記事でみたように,わが国は,女子高校生の理系志向が最も低い社会です。女子の創造性やチャレンジ精神を抑えつけるジェンダー的社会化が,幼少期より暗にも明にも進行している可能性があります。上記サイトのオンライン分析にて,性という変数を入れた多重クロス集計もしてみるつもりです。