今月も今日でおしまいです。2015年度のスタートはいかがでしたか。今月,私がネット上でキャッチした教員不祥事報道は30件です。新年度で歓迎会などが多いためか,酒がらみの事件が目につきます。
また神奈川の横浜市では,退職した元中学校校長が,在職中からフィリピンで児童買春を繰り返していたことが発覚し,世間に衝撃を与えました。教育委員会は激怒,支払った退職金の返還も求めるとのことです。
教員採用試験を受験される方は,そろそろ本腰を入れて勉強を開始されていると思いますが,公務員としての教員が遵守すべき服務は,教職教養で大変よく出題されます。地公法で規定されている,職務上の3つの義務,身分上の5つの義務をしっかり覚えておきましょう。教え子に対するわいせつ行為などは,同法33条が禁じている「信用失墜行為」に相当します。
これから勉強される方はあまり時間がないかと思いますが,速習には拙著「教職教養らくらくマスター」(実務教育出版)がおススメです。試験に頻出の事項だけを簡潔にまとめた要点整理集です。お手に取ってください。
明日から5月です。明後日からはGW,今日のような晴天が続くとよいですね。ちょっと暑くなってきました。季節の変わり目,体調を崩されませぬよう。
<2015年4月の教員不祥事報道>
・沼津の教諭逮捕 県迷惑防止条例違反容疑(4/1,静岡新聞,静岡,中,男,39)
・県立校元講師、「危険ドラッグ」カナダから輸入(4/2,読売,岩手,高,男,38)
・福岡女子商高、校長がパワハラ(4/2,朝日,福岡,高,男,50代)
・知人女性宅に侵入容疑で小学教諭逮捕(4/4,ニッカンスポーツ,広島,小,男,51)
・<強姦致傷・監禁容疑>鹿島学園高校長を逮捕(4/4,毎日,茨城,男,71)
・妻殴った疑い 高校教諭逮捕(4/6,静岡新聞,静岡,高,男,37)
・中学校長を懲戒免職=女性教諭にわいせつ行為(4/6,時事通信,千葉,中,男,59)
・懲戒処分:体罰繰り返した中学教諭を戒告(4/6,毎日,静岡,中,男,30代)
・北海道で小学校教頭を酒気帯び運転の疑いで逮捕
(4/7,スポニチ,北海道,小,男,47)
・元中学校長を児童買春容疑で逮捕 フィリピンで少女撮影
(4/8,朝日,神奈川,中,男,64)
・授業中、胸や太ももを触る…小学校教諭を懲戒免 (4/11,読売,島根,小,男,40)
・11歳女児に強姦未遂 愛知県の高校教諭を逮捕
(4/13,ライブドアニュース,愛知,高,48)
・教員免許:更新せず1年勤務 小学校教諭、さかのぼり失職
(4/14,毎日,東京,小,男,34)
・小学教諭、中3女子をひき逃げ「人と分からず」(4/14,読売,神奈川,小,男,63)
・生徒「オッス」に着任式で校長「しばいたろか」(4/15,読売,奈良,中,男,55)
・小学校教員、パチンコで借金し放浪(4/16,朝日,東京,小,男,29)
・猫生き埋め容疑、県立高男性教諭を書類送検へ(4/20,読売,千葉,高,男)
・飲酒事故:教諭を停職6カ月に 県教委処分(4/21,毎日,石川,特,男,47)
・高校教諭 酒気帯び運転で逮捕(4/21,NHK,奈良,高,男,50代)
・小学校校長 保護者の金着服か(4/21,毎日,三重,小,男,55)
・盗撮で逮捕の和歌山市立小学校教諭を懲戒免職
(4/22,和歌山放送,和歌山,小,男,25)
・酒気帯び運転で教諭を懲戒免職(4/22,NHK,滋賀,中,男,51)
・人の中傷メール送り逮捕…教諭不祥事相次ぐ県(4/22,読売,長野,小,男,48)
・飲酒後に当て逃げ、小樽の教諭停職5カ月
(4/23,北海道新聞,北海道,当て逃げ:特男31,体罰:高男35,体罰:中男28)
・新潟市教委、男性教諭を懲戒処分
(4/23,新潟日報,新潟,中,男,50代,給食食べさせず)
・紙にカッター、刃折れるまで刺す 教諭ら懲戒処分
(4/28,朝日,福岡,不適切言動:小男59,体罰:中男26,中男27)
・下半身画像を児童宅に送った疑い 31歳教諭を逮捕(4/28,朝日,大阪,小,男,31)
・飲酒運転ばれるの恐れ、追突現場から逃げた教諭(4/29,読売,大阪,中,男,40)
・女性の部屋へ侵入未遂容疑、中学校長を逮捕(4/30,朝日,東京,中,男,59)
・教え子の胸など十数回触る(4/30,神戸新聞,兵庫,高,男,31)
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2015年4月30日木曜日
2015年4月29日水曜日
国会議員の組成
上西小百合議員の除籍騒動がありましたが,彼女は若年女性ということで,国会議員の中ではマイノリティー(少数派)の属性を持っています。
間接民主制の社会では,政治は国民の代表者たる国会議員に託されますが,望むべくは,この議員集団の組成が,国民全体のそれを反映していることです。調査用語でいうと,抽出された(選ばれた)サンプルが,母集団をきちんと代表していることが望まれます。
しかるに,わが国の議員集団の組成が,国民全体のそれからかなり乖離していることは,誰もが感じていることでしょう。この肌感覚をデータで裏付けたいと思い,国会議員の公的な属性統計がないかネットで探してみたのですが,見当たりませんでした。
そこで仕方なく,国会両院のサイトに載っている議員一覧の情報を使って,独自のデータベースを作った次第です。以下のような感じで,両院の議員の基本情報を整理してみました。
私は,最も基本的な属性である性別・年齢の構成を明らかにしたいと考えました。年齢は,生年の西暦下2ケタを115から差し引いて推し量りました。私と同じ76年生まれの場合,今年は,115-76=39歳となるはずです。
性別と年齢(5階層)をクロスさせて,両院の議員の組成を明らかにし,それを視覚的な統計図にしてみました。下図は,選出母体(衆院は25歳以上,参院は30歳以上)の人口構成と対比したものです。
両院とも,ベース人口の組成からかなり隔たっていますね。まず分かるのは,女性の少ないこと。女性比は衆院は9.3%,参院は12.0%です。社会全体では男女半々ですが,指導者層の男女比は「9:1」という有様。ニッポンのジェンダー指数を下げている最大の要素です。
また若手も,ベース人口に比して比重が小さくなっています。上西議員は,女性で若手という2つのマイノリティー属性を持っているのですが,40歳未満女性の比率は選出母体では11.2%ですが,衆院議員の中ではわずか1.5%です。輩出率は,1.5/11.2 ≒ 0.13であり,他の層に比して格段に低くなっています。子育てママの層でもありますが,この部分の声が届きにくい構造であるともいえるでしょう。
国を動かす国会議員の組成は,高齢層の男性に偏している。誰もが常日頃思っていることの可視化です。高齢者が投票者の多くを占めれば,選ばれる議員もまた然り。高齢者の意向を,高齢者が施行する社会ということになるでしょうか。
世論調査のデータでも分かるように,政府への要望事項は,高齢層と若者ではかなり違います。また,同性愛に対する意識一つをとっても分かるように,若者は先進的な意識・価値観を持っています。彼らの意向を取り込めば,社会が変わる可能性は十分にあり。この層がオミットされるのは,問題であるというよりも,モッタイナイことです。
社会調査の層化抽出の原理に依拠して,議席を層ごとに割り振るという発想,どこかで言われているのかしらん。まあ,さしあたりなすべきは,「迷ったらマイノリティー(女性,若者…)の候補者に入れる」ということでしょうね。駒崎弘樹氏が提案されていますが,私もそれに賛意を表したいと思います。
2015年4月28日火曜日
職業別の女性比
今朝の朝日新聞に,「警察官と自衛官が女子会」と題する記事が載っていました。この手の女子会は多くの職場でやっているでしょうが,警官や自衛官となると全国紙のニュースにもなるのですね。
http://www.asahi.com/articles/ASH4Q4GG4H4QOHGB004.html
これらの職業では女性はマイノリティーなのですが,はて,どういう悩みを抱えているものなのか。こういう関心もあろうだろう,という狙いからでしょう。さすが,いいとこに目をつけるものですね。
世の中には無数の職業があるのですが,男性が多い職業もあれば,女性が大半を占める職業もあります。言わずもがな,警察官や自衛官は前者です。保育士や介護職員などは後者でしょう。
今回は,職業別の女性比という基本データをお見せしようと思います。社会に存在する雑多な職業をできるだけ細かく拾った統計として,「国勢調査」の職業小分類の統計があります。232の職業カテゴリーが設けられています。これを使って,232職業の女性比率を計算し,値が高い順に並べたランキング表を作ってみました。
用いたのは,2010年の「国勢調査」のデータです。下記サイトの表10-1から,各職業の全数と女性数を採取し,割り算をしました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001050829&cycode=0
上記の資料によると,2010年10月時点の全就業者は5961万人で,そのうち女性は2551万人です。よって,全職業の女性比は42.8%となります。働いている人の男女比は「6:4」ですが,この比が職業によって大きく異なることは,誰もが知っていること。232職業の女性比を出し,その分布をとると下図のようになります。
数の上では,女性比が10%に満たない職業が最も多くなっています。全体の3割近くがそうです。女子会で注目を集めている警察官や自衛官は,この中に含まれます。保育士は,マックスの階級です。
大よその構造をつかんだところで,それでは,232職業の女性比のランキング表をみていただきましょう。まずは,1位から116位までの上位半分です。
助産師は100%,保育士は97%,幼稚園教員は94%が女性です。介護職員は77%,小学校教員は64%なり。それから下がって,理学療法士・作業療法士までが女性比50%以上の職業です。大学教員は26.4%で,4人に1人というところ。まあこれでも,昔に比べれば上がってきてはいます。
次に,117位以下の下位半分です。
女性が少ない,いわゆるオトコの職業です。医師,弁護士,管理的公務員,警官,自衛官,自動車運転者,消防員,パイロットなどが目につきます。警官は7.5%,自衛官は6.0%ですか。
女性の自動車運転者(トラガール)は全体の2.7%,女性土木従事者(ドボジョ)は1.7%となっています。これらの職業の女子会とか企画したら,注目されるのではないでしょうか。
「国勢調査」の細かい職業小分類の統計を使って,職業別の女性比率を出してみました。資料としてご覧いただければと思います。
http://www.asahi.com/articles/ASH4Q4GG4H4QOHGB004.html
これらの職業では女性はマイノリティーなのですが,はて,どういう悩みを抱えているものなのか。こういう関心もあろうだろう,という狙いからでしょう。さすが,いいとこに目をつけるものですね。
世の中には無数の職業があるのですが,男性が多い職業もあれば,女性が大半を占める職業もあります。言わずもがな,警察官や自衛官は前者です。保育士や介護職員などは後者でしょう。
今回は,職業別の女性比という基本データをお見せしようと思います。社会に存在する雑多な職業をできるだけ細かく拾った統計として,「国勢調査」の職業小分類の統計があります。232の職業カテゴリーが設けられています。これを使って,232職業の女性比率を計算し,値が高い順に並べたランキング表を作ってみました。
用いたのは,2010年の「国勢調査」のデータです。下記サイトの表10-1から,各職業の全数と女性数を採取し,割り算をしました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001050829&cycode=0
上記の資料によると,2010年10月時点の全就業者は5961万人で,そのうち女性は2551万人です。よって,全職業の女性比は42.8%となります。働いている人の男女比は「6:4」ですが,この比が職業によって大きく異なることは,誰もが知っていること。232職業の女性比を出し,その分布をとると下図のようになります。
数の上では,女性比が10%に満たない職業が最も多くなっています。全体の3割近くがそうです。女子会で注目を集めている警察官や自衛官は,この中に含まれます。保育士は,マックスの階級です。
大よその構造をつかんだところで,それでは,232職業の女性比のランキング表をみていただきましょう。まずは,1位から116位までの上位半分です。
助産師は100%,保育士は97%,幼稚園教員は94%が女性です。介護職員は77%,小学校教員は64%なり。それから下がって,理学療法士・作業療法士までが女性比50%以上の職業です。大学教員は26.4%で,4人に1人というところ。まあこれでも,昔に比べれば上がってきてはいます。
次に,117位以下の下位半分です。
女性が少ない,いわゆるオトコの職業です。医師,弁護士,管理的公務員,警官,自衛官,自動車運転者,消防員,パイロットなどが目につきます。警官は7.5%,自衛官は6.0%ですか。
女性の自動車運転者(トラガール)は全体の2.7%,女性土木従事者(ドボジョ)は1.7%となっています。これらの職業の女子会とか企画したら,注目されるのではないでしょうか。
「国勢調査」の細かい職業小分類の統計を使って,職業別の女性比率を出してみました。資料としてご覧いただければと思います。
2015年4月26日日曜日
地方選挙の投票頻度の国際比較
今日は,市議会議員選挙の投票日です。これにちなんで,選挙関連のデータを昨日から見ていたのですが,投票率の時系列推移や,年齢層別の投票率のデータなどは,よく報じられています。しかし,国際比較のデータはあまりないことに気づきました。
わが国は政治的無関心が蔓延していて,投票率はあまり高くない,若者と高齢者の差も大きい。こんなことがよくいわれますが,世界的視野からみて,そういう性格づけが妥当であるといえるでしょうか。
自国の状況を相対視するには,国際比較がいちばん。今回は,地方選挙の投票頻度の国際比較をしてみようと思います。
用いるのは,「世界価値観調査」(2010~14年)のデータです。この調査では,「地方選挙が実施される時,どれくらいの頻度で投票するか?」と対象者に尋ねています。選択肢は,①いつも投票する,②たいてい投票する,③決して投票しない,の3つです。
http://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp
私は,①の「いつも投票する」の回答比率に注目することとしました。まずは,わが国を含む目ぼしい国のデータをみていただきましょう。投票行動は年齢と関連が強いとみられるので,当該の比率の年齢曲線を描いてみました。無回答や無効回答を除いた,有効回答の中での比率であることを申し添えます。
曲線が右上がりの社会が多くなっています。日本はその典型であり,加齢とともに率がきれいに上昇し,20代前半の若者と60歳以上の高齢者では,「いつも投票する」の割合が40ポイント以上も違っています。
一方,ブラジルように「高原型」の社会もありますが,さすが,投票義務制を採用している国ですね。この南米の大国では,正当な理由がなく投票をしなかった場合,罰金刑が課されるのだそうです。
http://nikkan-spa.jp/3117
比較の対象をもっと広げてみましょう。上記の調査から,56か国の地方選の投票頻度を知ることができますが,全ての社会について,上図のような曲線を描くことはできません。そこで,20代の若者と60歳以上の高齢者だけを切り取った比較をします。横軸に前者,縦軸に後者の「いつも投票する」率をとった座標上に,それぞれの社会を位置付けてみました。
まず横軸でみると,日本の若者の「いつも投票」率は,国際標準よりもちょっと下あたりです。韓国やアメリカよりは高くなっています。高齢者は,中の上という位置です,
ただ日本の場合,世代差が大きいことが特徴です。点斜線よりも上に位置するのは,高齢者が若者よりも40ポイント以上高い国ですが,その数は5つ。わが国は,まぎれもなくこの中に含まれています。
ただでさえ人口の高齢化が進んでいるのに,投票率にこうした世代差があるものですから,わが国にあっては,投票所に足を運ぶ人間の組成は完全に逆ピラミッド型になっています。これでは,政治に高齢者の意向がもっぱら反映されることになります。最近,若者の投票率を何とか上げようという取り組みがされていますが,それは故なきことではないのです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2014/12/blog-post_14.html
短期間で激しい社会変動を経験した日本は,諸々の意識や価値観の世代差が大きい社会といえます。同性愛に対する寛容度一つとっても,若者だけでみるならば世界で5位であり,同性愛を合法化している国と遜色ない水準になっています。この層の意向を取り入れるならば,社会が変わる可能性は十分あるとみてよいでしょう。
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/02/blog-post_15.html
それだけに,この層の政治参画の促進が重要となってきます。「そんなこと不可能だ」と切って捨てる前に,ペルーやブラジルのように,「若者>高齢者」の社会(実斜線より下)だってあることに,われわれはもっと思いをはせるべきです。
なお,ジェンダーによる差も見逃せません。重点的に働き掛けるべき層は若者なのですが,若者の中でみても,投票頻度には性差があります。20代男女の「いつも投票する」率を,上図と同じ形式のグラフにしてみました。
若者の投票行動のジェンダー差ですが,実斜線を基準にすると,「男>女」の社会とその逆の社会がちょうど半々くらいあります。日本は「男>女」の差が大きい社会であり,その差が10ポイントを超えます(点斜線より下)。一方,ニュージーランドなどは,女子の投票率が男子よりもかなり高い社会です。
政治的社会化のジェンダー差という現象にも,注意を払わないといけないようです。まあ,議員のほとんどが男性であるわが国では,「政治は男の世界」という観念を女子が持ってしまうこともあるでしょう。選挙権の付与年齢が18歳まで引き下げられることに伴い,次回の学習指導要領改訂では,社会科や公民科で政治教育の比重が増やされるそうですが,今述べたような「目に見える」アンバランスの是正をまず優先しなければなりますまい。
以上,国際比較によって,わが国の地方選の投票構造を相対視してみました。データで明らかになったのは,世代差と性差の問題です。
ひとまず,本日行われる議会議員選挙には行きましょう。私は,午後に行くつもりです。そうそう,日経デュアル誌にて,駒崎弘樹氏が選挙について「なるほど」と唸らされる原稿を書いておられますので,URLを載せておきます。「これは,ぜひ投票に行かんとな」と考えが変わるような内容ですよ。タイトルは「選挙演説「チッうるさいな」と思う人へ」です。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=5066
わが国は政治的無関心が蔓延していて,投票率はあまり高くない,若者と高齢者の差も大きい。こんなことがよくいわれますが,世界的視野からみて,そういう性格づけが妥当であるといえるでしょうか。
自国の状況を相対視するには,国際比較がいちばん。今回は,地方選挙の投票頻度の国際比較をしてみようと思います。
用いるのは,「世界価値観調査」(2010~14年)のデータです。この調査では,「地方選挙が実施される時,どれくらいの頻度で投票するか?」と対象者に尋ねています。選択肢は,①いつも投票する,②たいてい投票する,③決して投票しない,の3つです。
http://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp
私は,①の「いつも投票する」の回答比率に注目することとしました。まずは,わが国を含む目ぼしい国のデータをみていただきましょう。投票行動は年齢と関連が強いとみられるので,当該の比率の年齢曲線を描いてみました。無回答や無効回答を除いた,有効回答の中での比率であることを申し添えます。
曲線が右上がりの社会が多くなっています。日本はその典型であり,加齢とともに率がきれいに上昇し,20代前半の若者と60歳以上の高齢者では,「いつも投票する」の割合が40ポイント以上も違っています。
一方,ブラジルように「高原型」の社会もありますが,さすが,投票義務制を採用している国ですね。この南米の大国では,正当な理由がなく投票をしなかった場合,罰金刑が課されるのだそうです。
http://nikkan-spa.jp/3117
比較の対象をもっと広げてみましょう。上記の調査から,56か国の地方選の投票頻度を知ることができますが,全ての社会について,上図のような曲線を描くことはできません。そこで,20代の若者と60歳以上の高齢者だけを切り取った比較をします。横軸に前者,縦軸に後者の「いつも投票する」率をとった座標上に,それぞれの社会を位置付けてみました。
まず横軸でみると,日本の若者の「いつも投票」率は,国際標準よりもちょっと下あたりです。韓国やアメリカよりは高くなっています。高齢者は,中の上という位置です,
ただ日本の場合,世代差が大きいことが特徴です。点斜線よりも上に位置するのは,高齢者が若者よりも40ポイント以上高い国ですが,その数は5つ。わが国は,まぎれもなくこの中に含まれています。
ただでさえ人口の高齢化が進んでいるのに,投票率にこうした世代差があるものですから,わが国にあっては,投票所に足を運ぶ人間の組成は完全に逆ピラミッド型になっています。これでは,政治に高齢者の意向がもっぱら反映されることになります。最近,若者の投票率を何とか上げようという取り組みがされていますが,それは故なきことではないのです。
http://tmaita77.blogspot.jp/2014/12/blog-post_14.html
短期間で激しい社会変動を経験した日本は,諸々の意識や価値観の世代差が大きい社会といえます。同性愛に対する寛容度一つとっても,若者だけでみるならば世界で5位であり,同性愛を合法化している国と遜色ない水準になっています。この層の意向を取り入れるならば,社会が変わる可能性は十分あるとみてよいでしょう。
http://tmaita77.blogspot.jp/2015/02/blog-post_15.html
それだけに,この層の政治参画の促進が重要となってきます。「そんなこと不可能だ」と切って捨てる前に,ペルーやブラジルのように,「若者>高齢者」の社会(実斜線より下)だってあることに,われわれはもっと思いをはせるべきです。
なお,ジェンダーによる差も見逃せません。重点的に働き掛けるべき層は若者なのですが,若者の中でみても,投票頻度には性差があります。20代男女の「いつも投票する」率を,上図と同じ形式のグラフにしてみました。
若者の投票行動のジェンダー差ですが,実斜線を基準にすると,「男>女」の社会とその逆の社会がちょうど半々くらいあります。日本は「男>女」の差が大きい社会であり,その差が10ポイントを超えます(点斜線より下)。一方,ニュージーランドなどは,女子の投票率が男子よりもかなり高い社会です。
政治的社会化のジェンダー差という現象にも,注意を払わないといけないようです。まあ,議員のほとんどが男性であるわが国では,「政治は男の世界」という観念を女子が持ってしまうこともあるでしょう。選挙権の付与年齢が18歳まで引き下げられることに伴い,次回の学習指導要領改訂では,社会科や公民科で政治教育の比重が増やされるそうですが,今述べたような「目に見える」アンバランスの是正をまず優先しなければなりますまい。
以上,国際比較によって,わが国の地方選の投票構造を相対視してみました。データで明らかになったのは,世代差と性差の問題です。
ひとまず,本日行われる議会議員選挙には行きましょう。私は,午後に行くつもりです。そうそう,日経デュアル誌にて,駒崎弘樹氏が選挙について「なるほど」と唸らされる原稿を書いておられますので,URLを載せておきます。「これは,ぜひ投票に行かんとな」と考えが変わるような内容ですよ。タイトルは「選挙演説「チッうるさいな」と思う人へ」です。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=5066
2015年4月23日木曜日
青年期の人口移動の世代変化
前々回の記事では,私の世代を例にして,各年齢時の居住地分布がどう変化しているかを明らかにしました。そこで分かったのは,地方県では,18歳時に流出した人口が成人後にあまり帰っていない,ということです。
私の郷里の鹿児島でいうと,14歳時(90年)の人口を100とした指数は,19歳時(95年)が73,24歳時(00年)が74,29歳時(05年)が74,34歳時(10年)も同じく74です。やはり,一度出て行った流出組はなかなか帰ってこないのだな,と思いました。私もそのうちの一人ですが。
これは私の世代(76年生まれ)の例ですが,他の世代はどうなのでしょう。一回り下の86年生まれ世代について,同じデータをつくってみました。14歳人口(00年)と24歳人口(10年)の対比です。24歳といえば,大学を卒業して就職する時期ですが,この世代ではどれほど帰ってきているのでしょう。
上は76年生まれ,下は86年生まれ世代の増加率表です。東京と鹿児島のデータですが,下の世代のほうが,東京の増加率,鹿児島の減少率が高くなっています。鹿児島の減少率は,私の世代では26.4%でしたが,86年生まれ世代では31.3%です。一方,東京の増加率は47.4%から71.8%とかなり増えています。
2都県のケースですが,都市定住の増加,Uターンの減少という傾向が観察されます。「地方創生」を掲げ,都市から地方への人口移動(還流)を促している政府にとっては,何とも具合が悪い・・・。
他の道府県の数値もみてみましょう。また最近の傾向をより広い文脈で吟味するため,上の世代のデータもつくってみました。1946年生まれ,56年生まれ,66年生まれ,76年生まれ,86年生まれの5世代について,14歳から24歳にかけての人口移動率を県別に計算してみました。一番上の46年生まれ世代の場合,14歳時人口(60年)と24歳時人口(70年)を照合した次第です。
上の世代ほど,青年期の人口移動が激しいですね。46年生まれ世代の場合,時代は高度経済成長期の最中。14歳(60年)から24歳(70年)にかけて,東京や神奈川では同世代人口が8割も膨れ上がっています。一方,地方からの流出はすさまじく,わが郷里・鹿児島は,同世代人口が6割も減じています。東京,大阪,名古屋などの大都市に向けて,西鹿児島駅(通称・西駅)から集団就職列車が頻繁に走っていた頃です。
そうした青年期の「大移動」は,世代を下るにつれ緩和されてきます。しかし,76年生まれから86年生まれになると,移動のレベルが再び増します。東京や神奈川のような都市部では,14歳から24歳にかけての増加率が増し,多くの地方県では逆に減少率が増えているのです。最初にみた東京と鹿児島のケースは,イレギュラーではないようです。
これは,都市から地方へのUターンの減少,出て行った者が帰らない(帰れない)傾向が強まっていることの表れともいえます。ネット通販の普及により,小売商店街が打撃を受けるなど,地方の疲弊が進んでいるといいますが,「帰っても仕事がない」状況が強まっているのでしょうか。
モレッティは「年収は住むところで決まる」(プレジデント社)において,成功したいのなら,一級の知やアイディアに接することのできるイノベーション都市に居住すべしという趣旨のことを述べていますが,それを実践している若者が増えているのか・・・。
いずれにせよ,「地方創生」を掲げる政府にとって,今回のデータはあまり気持ちのいいものではないでしょう。今年(2015年)は「国勢調査」の実施年ですが,1991年生まれ世代(05→15年)の増加率はどうなっているか。注目されるところです。「さとり世代」,「マイルド・ヤンキー」,「地元族」とかいう言葉で特徴づけられる世代ですが,案外,地元定住やUターンが増えているかもしれません。希望的観測を記しておきます。
最後に,上表の世代間の推移をグラフにしておきましょう。東京と鹿児島について,青年期にかけての人口増加率の世代変化を,折れ線グラフにしてみました。最近になって,東京が上向き,鹿児島が下向きになっているのがポイントです。
ただ,九州の大分のように,青年期の減少率が一貫して減少傾向の県もあります。立命館アジア太平洋大学の開学により,海外からの留学生が増えているためかもしれませんが,注目されるケースです。グラフにすれば,他にもいろいろなタイプが出てくるでしょう。ご自身の県の推移を視覚化してみてください。
以上は青年期の変化ですが,引退期の変化も見ものです。55歳時点と65歳時点の人口を対比してみたら,どういう傾向になるでしょう。引退期の人口還流は強まっているのかどうか。それぞれのライフステージごとの様相を,都道府県別に明らかにするのも面白そうです。
人間のライフコースの複雑な現実は,こういう地道な実証作業の積み重ねで解きほぐされると考えています。今年の調査統計法で,学生さんと協力して挑みたい課題の一つです。
私の郷里の鹿児島でいうと,14歳時(90年)の人口を100とした指数は,19歳時(95年)が73,24歳時(00年)が74,29歳時(05年)が74,34歳時(10年)も同じく74です。やはり,一度出て行った流出組はなかなか帰ってこないのだな,と思いました。私もそのうちの一人ですが。
これは私の世代(76年生まれ)の例ですが,他の世代はどうなのでしょう。一回り下の86年生まれ世代について,同じデータをつくってみました。14歳人口(00年)と24歳人口(10年)の対比です。24歳といえば,大学を卒業して就職する時期ですが,この世代ではどれほど帰ってきているのでしょう。
上は76年生まれ,下は86年生まれ世代の増加率表です。東京と鹿児島のデータですが,下の世代のほうが,東京の増加率,鹿児島の減少率が高くなっています。鹿児島の減少率は,私の世代では26.4%でしたが,86年生まれ世代では31.3%です。一方,東京の増加率は47.4%から71.8%とかなり増えています。
2都県のケースですが,都市定住の増加,Uターンの減少という傾向が観察されます。「地方創生」を掲げ,都市から地方への人口移動(還流)を促している政府にとっては,何とも具合が悪い・・・。
他の道府県の数値もみてみましょう。また最近の傾向をより広い文脈で吟味するため,上の世代のデータもつくってみました。1946年生まれ,56年生まれ,66年生まれ,76年生まれ,86年生まれの5世代について,14歳から24歳にかけての人口移動率を県別に計算してみました。一番上の46年生まれ世代の場合,14歳時人口(60年)と24歳時人口(70年)を照合した次第です。
上の世代ほど,青年期の人口移動が激しいですね。46年生まれ世代の場合,時代は高度経済成長期の最中。14歳(60年)から24歳(70年)にかけて,東京や神奈川では同世代人口が8割も膨れ上がっています。一方,地方からの流出はすさまじく,わが郷里・鹿児島は,同世代人口が6割も減じています。東京,大阪,名古屋などの大都市に向けて,西鹿児島駅(通称・西駅)から集団就職列車が頻繁に走っていた頃です。
そうした青年期の「大移動」は,世代を下るにつれ緩和されてきます。しかし,76年生まれから86年生まれになると,移動のレベルが再び増します。東京や神奈川のような都市部では,14歳から24歳にかけての増加率が増し,多くの地方県では逆に減少率が増えているのです。最初にみた東京と鹿児島のケースは,イレギュラーではないようです。
これは,都市から地方へのUターンの減少,出て行った者が帰らない(帰れない)傾向が強まっていることの表れともいえます。ネット通販の普及により,小売商店街が打撃を受けるなど,地方の疲弊が進んでいるといいますが,「帰っても仕事がない」状況が強まっているのでしょうか。
モレッティは「年収は住むところで決まる」(プレジデント社)において,成功したいのなら,一級の知やアイディアに接することのできるイノベーション都市に居住すべしという趣旨のことを述べていますが,それを実践している若者が増えているのか・・・。
いずれにせよ,「地方創生」を掲げる政府にとって,今回のデータはあまり気持ちのいいものではないでしょう。今年(2015年)は「国勢調査」の実施年ですが,1991年生まれ世代(05→15年)の増加率はどうなっているか。注目されるところです。「さとり世代」,「マイルド・ヤンキー」,「地元族」とかいう言葉で特徴づけられる世代ですが,案外,地元定住やUターンが増えているかもしれません。希望的観測を記しておきます。
最後に,上表の世代間の推移をグラフにしておきましょう。東京と鹿児島について,青年期にかけての人口増加率の世代変化を,折れ線グラフにしてみました。最近になって,東京が上向き,鹿児島が下向きになっているのがポイントです。
ただ,九州の大分のように,青年期の減少率が一貫して減少傾向の県もあります。立命館アジア太平洋大学の開学により,海外からの留学生が増えているためかもしれませんが,注目されるケースです。グラフにすれば,他にもいろいろなタイプが出てくるでしょう。ご自身の県の推移を視覚化してみてください。
以上は青年期の変化ですが,引退期の変化も見ものです。55歳時点と65歳時点の人口を対比してみたら,どういう傾向になるでしょう。引退期の人口還流は強まっているのかどうか。それぞれのライフステージごとの様相を,都道府県別に明らかにするのも面白そうです。
人間のライフコースの複雑な現実は,こういう地道な実証作業の積み重ねで解きほぐされると考えています。今年の調査統計法で,学生さんと協力して挑みたい課題の一つです。
2015年4月21日火曜日
おひとりさま
70年代の名曲集をかけていたら,久保田早紀さんの「異邦人」が流れました。79年に大ヒットした曲ですが,36年の時を経た今になって聴いても実にいい。一昨日から,すっかり聴き入っています。
神秘的でエキゾチックな曲です。久保田さんも,そんな雰囲気を醸し出しています。父上が中東のイランから買ってきたアルバムを,幼少期に繰り返し聴いたことが,異国情緒あふれる音楽感を養うことに貢献したのだそうです。
聴くだけでなく,歌いたいという欲求にかられてしまいました。となるとカラオケですが,仲間内で行くのでは,同じ曲を何度も選べません。そこで,いわゆる一人カラオケとなるわけですが,今の若い人で,ヒトカラに行く人が結構いるみたいです。*藤本耕平『つくし世代』光文社新書,2015年,75~78ページ。
私は学生の頃に何度か行ったことありますが,友人とのつながりの多さをステータスと考える今の若者の間で,ヒトカラが流行っているとは,ちょっと驚きました。まあ,友達とSNSで常につながっている(がんじがらめにされている)からこそ,たまには一人になりたい,ということなのかもしれませんね。
ちなみに,ヒトカラにいくときは,歌う曲を前もってメモっていくことが重要なのだそうです(76ページ)。同伴者が歌っている間に曲を選ぶ時間がないからです。それに,一人であの分厚い冊子をめくるというのもちょっと空しい・・・。
カラオケに限らず,一人で食事をする,映画に行く,呑みに行くなどの行為を総称して「おひとりさま」というそうですが,大学生の「おひとりさま」行動の経験率が載っている調査データを見つけました。東京都広告協会の「大学生と友人関係の意識調査」(2012年度)です。
http://www.tokyo-ad.or.jp/activity/seminar/uni-sent.html
大学生に対し,10の「おひとりさま」行動の経験率を尋ねています。それぞれについて,「ある」と答えた学生の割合をグラフにしてみました。ジェンダー差もみるため,男女別にしています。
一人牛丼やラーメンは,男子学生なら8割くらいが経験済みです。そうでしょうね。二郎みたいに,連れ立っての来店をあまり歓迎しない店もありますし。
一人学食の経験率は,男子が54.5%,女子が32.8%です。これくらいいるとしたら,学食に「ぼっち席」を設けることも必要かもしれません。問題の一人カラオケは,男子の30.5%,女子の23.3%が「ある」と答えています。だいたい3割弱。これが,現代大学生のヒトカラの経験率です。
それより右の旅行,呑み,焼肉,遊園地は,経験率はもっと低くなっています。一人での旅行や呑みは,カラオケよりも低いんだな。一人旅行,いいじゃないすか。呑みにしても,ビールジョッキを傾けながら海外旅行記などを読むのは,私の楽しみの一つです。
なお私は,上記の10の「おひとりさま」行動を全てやったことがあります。いずれも,学生時代にです。一人での牛丼,ラーメン,ファミレス,学食,呑みなんてのは,しょっちゅうでした(今も)。映画は,95年上映のジブリ「耳をすませば」を一人で観に行ったのを覚えています。言わずもがな,周りはカップルだらけ!
焼肉は,博士論文の審査がパスした日に行きました(2005年の2月上旬)。もう気分最高で,ガツガツ食って呑み,1万円くらい使ったかな。遊園地は,学部2年のとき,一人で豊島園に行きました。これは,ジェットコースターへの耐性をつけるためです。
これから先,人口構成の上で単身化が進行することは明白ですが,人々の意向や行動の面の「おひとりさま」化が進むともみられます。上記の調査は2012年度のものですが,5年のスパンが開く2017年度あたりに,同じ調査を再度やってほしいと思います。経験率のアップがみられるかが,注目ポイントです。データで実証されるか。
意識や行動の「おひとりさま」化は,重要な社会変化といえます。それは,マーケティングのあり方を大きく揺さぶることになるでしょう。聞くところによると,ヒトカラへの需要の高まりを見越して,最近では一人客専門のカラオケ店があるそうですが,この種の「おひとりさま」ビジネスは,今後増えていくことになるでしょうか。
今ふと思ったのですが,ラーメン二郎が爆発的な人気を博しているのは,味のよさに加えて,一人での来店を想定したシステムになっているからかもしれません。ほとんどの店舗がカウンター・オンリーですし。
今後の動きが注目されます。社会は変わる。だから社会学は面白い。さて,その一人専門店とやらを近場で探し出し,上記の名曲を歌いに行くことにいたしましょう。
神秘的でエキゾチックな曲です。久保田さんも,そんな雰囲気を醸し出しています。父上が中東のイランから買ってきたアルバムを,幼少期に繰り返し聴いたことが,異国情緒あふれる音楽感を養うことに貢献したのだそうです。
聴くだけでなく,歌いたいという欲求にかられてしまいました。となるとカラオケですが,仲間内で行くのでは,同じ曲を何度も選べません。そこで,いわゆる一人カラオケとなるわけですが,今の若い人で,ヒトカラに行く人が結構いるみたいです。*藤本耕平『つくし世代』光文社新書,2015年,75~78ページ。
私は学生の頃に何度か行ったことありますが,友人とのつながりの多さをステータスと考える今の若者の間で,ヒトカラが流行っているとは,ちょっと驚きました。まあ,友達とSNSで常につながっている(がんじがらめにされている)からこそ,たまには一人になりたい,ということなのかもしれませんね。
ちなみに,ヒトカラにいくときは,歌う曲を前もってメモっていくことが重要なのだそうです(76ページ)。同伴者が歌っている間に曲を選ぶ時間がないからです。それに,一人であの分厚い冊子をめくるというのもちょっと空しい・・・。
カラオケに限らず,一人で食事をする,映画に行く,呑みに行くなどの行為を総称して「おひとりさま」というそうですが,大学生の「おひとりさま」行動の経験率が載っている調査データを見つけました。東京都広告協会の「大学生と友人関係の意識調査」(2012年度)です。
http://www.tokyo-ad.or.jp/activity/seminar/uni-sent.html
大学生に対し,10の「おひとりさま」行動の経験率を尋ねています。それぞれについて,「ある」と答えた学生の割合をグラフにしてみました。ジェンダー差もみるため,男女別にしています。
一人牛丼やラーメンは,男子学生なら8割くらいが経験済みです。そうでしょうね。二郎みたいに,連れ立っての来店をあまり歓迎しない店もありますし。
一人学食の経験率は,男子が54.5%,女子が32.8%です。これくらいいるとしたら,学食に「ぼっち席」を設けることも必要かもしれません。問題の一人カラオケは,男子の30.5%,女子の23.3%が「ある」と答えています。だいたい3割弱。これが,現代大学生のヒトカラの経験率です。
それより右の旅行,呑み,焼肉,遊園地は,経験率はもっと低くなっています。一人での旅行や呑みは,カラオケよりも低いんだな。一人旅行,いいじゃないすか。呑みにしても,ビールジョッキを傾けながら海外旅行記などを読むのは,私の楽しみの一つです。
なお私は,上記の10の「おひとりさま」行動を全てやったことがあります。いずれも,学生時代にです。一人での牛丼,ラーメン,ファミレス,学食,呑みなんてのは,しょっちゅうでした(今も)。映画は,95年上映のジブリ「耳をすませば」を一人で観に行ったのを覚えています。言わずもがな,周りはカップルだらけ!
焼肉は,博士論文の審査がパスした日に行きました(2005年の2月上旬)。もう気分最高で,ガツガツ食って呑み,1万円くらい使ったかな。遊園地は,学部2年のとき,一人で豊島園に行きました。これは,ジェットコースターへの耐性をつけるためです。
これから先,人口構成の上で単身化が進行することは明白ですが,人々の意向や行動の面の「おひとりさま」化が進むともみられます。上記の調査は2012年度のものですが,5年のスパンが開く2017年度あたりに,同じ調査を再度やってほしいと思います。経験率のアップがみられるかが,注目ポイントです。データで実証されるか。
意識や行動の「おひとりさま」化は,重要な社会変化といえます。それは,マーケティングのあり方を大きく揺さぶることになるでしょう。聞くところによると,ヒトカラへの需要の高まりを見越して,最近では一人客専門のカラオケ店があるそうですが,この種の「おひとりさま」ビジネスは,今後増えていくことになるでしょうか。
今ふと思ったのですが,ラーメン二郎が爆発的な人気を博しているのは,味のよさに加えて,一人での来店を想定したシステムになっているからかもしれません。ほとんどの店舗がカウンター・オンリーですし。
今後の動きが注目されます。社会は変わる。だから社会学は面白い。さて,その一人専門店とやらを近場で探し出し,上記の名曲を歌いに行くことにいたしましょう。
2015年4月19日日曜日
1976年生まれ世代の居住地分布の変化
昨日,高校の同窓会名簿が届きました。私の母校,鹿児島県立甲南高等学校の卒業生名簿です。
私は1995年春の卒業生ですが,該当箇所をみると,懐かしい名前が載っています。住所をみると,鹿児島県内在住者が多いですが,東京,大阪,愛知などの大都市に出ている者も結構います。私もその一人です。
確か,クラスの3分の2くらいが県外の大学に進んだように記憶していますが,どれくらいが卒業後,地元に帰ってきているのかな,という疑問を持ちました。そこで,「国勢調査」の時系列データを接合させて,私の世代の居住地分布がどう変わったかを,5年間隔で明らかにしてみました。用いたのは,都道府県単位の統計です。
私の世代(1976年生まれ)は1990年に14歳,95年に19歳になります。後者は,大学進学などの移動が起きた後になりますので,前者の数をして,流出入前の初期人口とみなすことにしましょう。私の郷里の鹿児島でいうと,その数,26990人です。
それから20年後の2010年には,われわれの世代は34歳になっていますが,同年の鹿児島の34歳人口は19858人です。上記の14歳時点よりかなり減ってますね。26.4%の流出率です。私も,この分の中に含まれます。
他の県はどうでしょうか。47都道府県について,14歳時点(1990年)と34歳時点(2010年)の人口量を照合してみました。
右端の増加率をみると,ほとんどがマイナスです。流出人口が戻ってこないままでいる県が多い,ということです。郷里の鹿児島も,その程度が著しい県と判断されます。同じ九州の長崎などは,この20年間にかけて,同世代人口が3分の1も減じています。
その分を,東京などの大都市が吸収しているわけです。東京の増加率は55%,1.5倍以上の増です。私も,鹿児島のaから東京のbに移った人間ですが。
さて,郷里から流出した人間がどれほどUターンしているかですが,この数値をみる限り,あまり戻ってはいないようです。いやこれでも,大学卒業後の23歳あたりでかなり戻った結果なのでしょうか。観測ポイントを増やしてみましょう。19歳時(95年),24歳時(00年),29歳時(05年)の人口量も加味し,変化をより詳細に明らかにしてみました。
下の表は,初期値(14歳時点の人口)を100とした指数の推移です。
わが郷里をみると,19歳以降は,指数の値が対して変わっていないですね。つまり,18歳時点で出て行った人口がほとんど帰ってきていない,ということです。地元に仕事がないからか,大都市の魅力に取りつかれて帰りたくないのか。あるいは,山内太地さんがいうように,地元の中学時代のスクールカーストに再び取り込まれるのが嫌なのか・・・。
https://twitter.com/yamauchitaiji/status/574005672288722944
すぐ下の沖縄は,20代後半以降,少し帰ってきているようです。本土と文化が異なる面があるので,この県はUターン率が高いということを,何かの本で読んだ覚えがあります。新天地を求めて,大都市からのIターンする者も多いでしょうが。
赤字の3都県の推移をグラフにすると,下図のようになります。
郷里の鹿児島は,19歳以降はほぼフラットです。上述のような理由ゆえか,やはりUターンはなかなか難しいのだなあ。なおずっと地元に留まっている者からすれば,18歳の時点を逃すと,新天地に向けての流出のチャンスがほとんどない,ということをも意味します。これは,ライフコースの硬直性という問題に関わるでしょうか。
ただ県によっていくつかのタイプがあり,たとえば長野などは,18歳時点の流出人口が大学卒業後に戻ってくる傾向が,相対的に強いようです(19歳:70.7 → 24歳:88.0)。静岡,福井,鳥取なども,このタイプに含まれます。もちろん,Uターン,Jターン,Iターンの組成がどうなっているのかは分かりませんが。
上に掲げた指数表から,もっといろんなタイプが検出できるかもしれません。興味ある方は,ご自身の県の指数をグラフにしてみてください。
今回は私の世代の検討でしたが,より上(下)の世代ではどうなっているか,さらにはジェンダーの差も興味深いところです。おそらく,地方からの流出組は男子のほうが多いのでは。これなんかも,面白そうです。
私は1995年春の卒業生ですが,該当箇所をみると,懐かしい名前が載っています。住所をみると,鹿児島県内在住者が多いですが,東京,大阪,愛知などの大都市に出ている者も結構います。私もその一人です。
確か,クラスの3分の2くらいが県外の大学に進んだように記憶していますが,どれくらいが卒業後,地元に帰ってきているのかな,という疑問を持ちました。そこで,「国勢調査」の時系列データを接合させて,私の世代の居住地分布がどう変わったかを,5年間隔で明らかにしてみました。用いたのは,都道府県単位の統計です。
私の世代(1976年生まれ)は1990年に14歳,95年に19歳になります。後者は,大学進学などの移動が起きた後になりますので,前者の数をして,流出入前の初期人口とみなすことにしましょう。私の郷里の鹿児島でいうと,その数,26990人です。
それから20年後の2010年には,われわれの世代は34歳になっていますが,同年の鹿児島の34歳人口は19858人です。上記の14歳時点よりかなり減ってますね。26.4%の流出率です。私も,この分の中に含まれます。
他の県はどうでしょうか。47都道府県について,14歳時点(1990年)と34歳時点(2010年)の人口量を照合してみました。
右端の増加率をみると,ほとんどがマイナスです。流出人口が戻ってこないままでいる県が多い,ということです。郷里の鹿児島も,その程度が著しい県と判断されます。同じ九州の長崎などは,この20年間にかけて,同世代人口が3分の1も減じています。
その分を,東京などの大都市が吸収しているわけです。東京の増加率は55%,1.5倍以上の増です。私も,鹿児島のaから東京のbに移った人間ですが。
さて,郷里から流出した人間がどれほどUターンしているかですが,この数値をみる限り,あまり戻ってはいないようです。いやこれでも,大学卒業後の23歳あたりでかなり戻った結果なのでしょうか。観測ポイントを増やしてみましょう。19歳時(95年),24歳時(00年),29歳時(05年)の人口量も加味し,変化をより詳細に明らかにしてみました。
下の表は,初期値(14歳時点の人口)を100とした指数の推移です。
わが郷里をみると,19歳以降は,指数の値が対して変わっていないですね。つまり,18歳時点で出て行った人口がほとんど帰ってきていない,ということです。地元に仕事がないからか,大都市の魅力に取りつかれて帰りたくないのか。あるいは,山内太地さんがいうように,地元の中学時代のスクールカーストに再び取り込まれるのが嫌なのか・・・。
https://twitter.com/yamauchitaiji/status/574005672288722944
すぐ下の沖縄は,20代後半以降,少し帰ってきているようです。本土と文化が異なる面があるので,この県はUターン率が高いということを,何かの本で読んだ覚えがあります。新天地を求めて,大都市からのIターンする者も多いでしょうが。
赤字の3都県の推移をグラフにすると,下図のようになります。
郷里の鹿児島は,19歳以降はほぼフラットです。上述のような理由ゆえか,やはりUターンはなかなか難しいのだなあ。なおずっと地元に留まっている者からすれば,18歳の時点を逃すと,新天地に向けての流出のチャンスがほとんどない,ということをも意味します。これは,ライフコースの硬直性という問題に関わるでしょうか。
ただ県によっていくつかのタイプがあり,たとえば長野などは,18歳時点の流出人口が大学卒業後に戻ってくる傾向が,相対的に強いようです(19歳:70.7 → 24歳:88.0)。静岡,福井,鳥取なども,このタイプに含まれます。もちろん,Uターン,Jターン,Iターンの組成がどうなっているのかは分かりませんが。
上に掲げた指数表から,もっといろんなタイプが検出できるかもしれません。興味ある方は,ご自身の県の指数をグラフにしてみてください。
今回は私の世代の検討でしたが,より上(下)の世代ではどうなっているか,さらにはジェンダーの差も興味深いところです。おそらく,地方からの流出組は男子のほうが多いのでは。これなんかも,面白そうです。
2015年4月17日金曜日
『体育科教育』に掲載
大修館書店発行の月刊誌『体育科教育』(2015年5月号)に,拙稿が掲載されました。「子どもの体力・健康と家庭の経済力の相関関係」と題する小論です。特集「子どもと貧困と体育」の一角を構成しています。
http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/81505?p=0&srs=%E4%BD%93%E8%82%B2%E7%A7%91%E6%95%99%E8%82%B2
子どもの体力・健康と貧困の関連をデータで明らかにしてほしい,という依頼でした。報告しているのは,大都市・東京都内23区のマクロデータの分析結果です。各区の子どもの体力や健康状態の指標(肥満,虫歯)は,各々の平均世帯年収と強く相関しています。
学力格差はよく指摘されますが,それだけでなく,体力格差や健康格差という現象が厳として存在するという問題提起をしました。これらの総称が,いわゆる教育格差です。
体育系の雑誌から依頼がきた時はちょっとビックリしましたが,貧困・格差というのは,分野を問わず,子どもの発達を規定する条件として重視されているのだなと思いました。
私のはデータ論ですが,体育科教育を通じて格差をどう是正するかという,実践意欲にあふれた論稿も収録されています。大きな書店に行けば,置いてあるかと思います。どうぞ,お手にとってください。
http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/81505?p=0&srs=%E4%BD%93%E8%82%B2%E7%A7%91%E6%95%99%E8%82%B2
子どもの体力・健康と貧困の関連をデータで明らかにしてほしい,という依頼でした。報告しているのは,大都市・東京都内23区のマクロデータの分析結果です。各区の子どもの体力や健康状態の指標(肥満,虫歯)は,各々の平均世帯年収と強く相関しています。
学力格差はよく指摘されますが,それだけでなく,体力格差や健康格差という現象が厳として存在するという問題提起をしました。これらの総称が,いわゆる教育格差です。
体育系の雑誌から依頼がきた時はちょっとビックリしましたが,貧困・格差というのは,分野を問わず,子どもの発達を規定する条件として重視されているのだなと思いました。
私のはデータ論ですが,体育科教育を通じて格差をどう是正するかという,実践意欲にあふれた論稿も収録されています。大きな書店に行けば,置いてあるかと思います。どうぞ,お手にとってください。
2015年4月16日木曜日
共働き夫婦の役割距離
「男は仕事,女は家庭」。わが国は,こういうジェンダー観念の強い社会ですが,その程度を数値化できないものかと前から思っていました。今回は,共働き夫婦の仕事時間,および家事・育児時間のデータを使って,それをしてみようと思います。
資料は,2011年の総務省「社会生活基本調査」です。この資料から,6歳未満の子がいる共働き夫婦について,上記の項目の平均時間を知ることができます。平日1日あたりの平均時間を拾うと,夫は仕事が570分,家事・育児が37分となっています。妻のほうは順に,260分,331分です。
しかしこの数値は,地域によってもかなり違っています。首都の東京と,私の郷里の鹿児島を比べてみましょう。横軸に仕事,縦軸に家事・育児の平均時間をとった座標上に,両都県の夫婦のドットを位置付けてみました。
●は夫,○は妻の位置を表します。この両者の距離によって,幼子がいる共働き夫婦の役割差が表現されているといえます。ここでは,役割距離と呼んでおきましょう。
上図をみると,線分は東京のほうが長いですね。へえ,「男尊女卑」といわれる鹿児島のほうが,共働き夫婦の役割距離は小さくなっています。東京の妻は,仕事時間より家事・育児時間が長くなっていますが(点線より上),鹿児島の妻はその反対です。所得水準が低いので,妻もバリバリ働かないとやっていけない,という事情もあるかと思います。
中学校で習った三平方の定理を使って,両都県の線分の長さを求めると,東京が452.8,鹿児島が308.4となります。
はて,他の県はどうでしょうか。この値が最も小さい,すなわち共働き夫婦の役割距離が最も小さい(先進的な)県はどこでしょうか。47都道府県について,同じ値を求めてみました。下表は,それをまとめたものです。計算に使った原数値も掲げておきます。
右端の役割距離(上図の線分の長さ)をみてください。最低値に黄色マークをしましたが,幼子がいる共働き夫婦の役割距離が最も小さいのは,九州の大分です。前に『受験ジャーナル』誌(実務教育出版)で,イクメン度の都道府県比較をやったのですが,そこでのトップもこの県でした。県主導で,夫のイクメン度を高める取り組みをいろいろやっているようです。
赤字は下位5位ですが,山形,石川,佐賀,そして沖縄も,夫婦ジェンダーが相対的に小さい県と評されます。先の大分も合わせて,先進5県の3県が九州ではないですか。一般のイメージが覆されますね。
逆に,夫婦の役割距離が最も大きいのは岐阜です。ほか,500を超える県を拾ってみると,神奈川,長野,三重,滋賀,京都,大阪,および広島が該当します。「男は仕事,女は家事(育児)」という役割差が相対的に大きい府県です。
この役割距離尺度を地図にしておきましょう。4つの階級を設けて,各県をグラデーションで塗り分けてみました。色が濃いほど,役割差が大きい県です。
列島の真ん中に,インクをこぼしたようなシミが広がっています。願わくは,早く払拭したい模様です。
今回は都道府県比較でしたが,言わずもがな,国際的視野でみるなら,国内の地域比較など,ドングリの背比べです。ちょうど去年の今ころ,日経デュアル誌で国際比較をしたのですが,フィンランドなどの北欧国は,夫婦の間の距離がわが国よりもかなり短くなっています。照準は,こういうところに定めるべきでしょう。
上記の記事でも書きましたが,人間は多様な顔(役割)をもったほうがいいと思います。妻の側は,(自宅での)家事・育児に自らの役割を特化していると,あまりいいことはなさそうです。育児ストレスが高じて,虐待のような病理現象が起こる素地ができることにもなります。どなたかがツイッターに書かれていました。「子育ての疲れは仕事が癒してくれ,仕事の疲れは子育てが癒してくれると」と。
夫の側にしても,職業人としての顔だけでなく,家庭人・地域人としての顔も大事にしないと,顧客(多くは家庭人)の気持ちをくみ取ることができず,営利追求一辺倒の仕事になってしまいそうです。
望ましいのは,最初のマトリクス図において,夫婦のドットが互いに接近していくことです。それは,女性の社会進出,男性の家庭進出ということですが,このことにより,家庭,職場の双方がよくなります。
今後,「社会生活基本調査」が実施されるのは来年(2016年)ですが,各県の役割距離指数はどうなっているか。それによって,近年の政策の効果が測られることになるでしょう。注目したいと思います。
2015年4月13日月曜日
アラフォー年代の結婚チャンス
「アラフォー」という言葉をご存知でしょうか。40歳近辺の年齢を指す言葉であり,「アラウンド・フォーティー」を略したものです。今年39歳になる私は,まさにこの層に属することになります。
今回は,この年齢層の結婚チャンスを明らかにしてみようと思います,よく「35を過ぎたら結婚は無理だ」などといわれますが,数値でその確率を表現するとどれくらいになるのか。こういう問題です。まだ希望を捨てていないアラフォー未婚者,あるいは婚活関係者の中には,この点に関心をお持ちの方も多いでしょう。
ここでいう結婚チャンスとは,未婚者のうち何人が結婚できるかです。分子は,2010年の厚労省「人口動態統計」の婚姻統計を使います。同年中に婚姻を届け出た者(初婚者)の数です。分母は,同じく2010年の「国勢調査」に掲載されている未婚者の数を使います。同年10月時点の未婚者数です。データの年次がちょっと古いですが,分母は「国勢調査」の年のものしか得られませんので,ご寛恕ください。
これらの資料によると,2010年中の40歳男性の初婚者数は6434人です。同年10月時点の40歳の未婚男性数は288672人。よって,前者を後者で除して,40歳男性の結婚率は22.3‰と算出されます。1000人中22.3人,40歳オトコの結婚確率はおよそ45人に1人なり。
このやり方で,15~60歳の各年齢の結婚率を計算してみました。ジェンダー差もみるため,男女で分けて率を出しています。下の図は,各年齢の結婚率を結んで描いた曲線です。結婚率年齢曲線と呼びましょう。
男女とも,30歳あたりに山があるきれいな曲線です。なるほど,ピークを過ぎると結婚チャンスは急降下していき,40歳の結婚率は男性で22.3‰(45人に1人),女性で21.1‰(47人に1人)となります。確かに厳しくなりますねえ。
50歳以降は,両性とも地を這うかのごとく低くなります。いわゆる生涯未婚率(一生結婚しない者の出現率)は50歳時点の未婚率で代替されるのですが,この仮定は妥当性を持っているようです。
これは全国のデータですが,都道府県別にみるとどうでしょう。アラフォー年代の結婚チャンスが相対的に開けている県はどこかです。県別の場合,分子は5歳刻みの数値しか得られませんので,35~44歳の結婚率を出すこととします。まさに,アラフォー年代です。
下表は,上記と同じやり方で計算した,アラフォー男女の結婚率の県別一覧表です。最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。上位5位の数値は赤色にしています。
ほう。結構地域差があるようで,アラフォー男性の結婚チャンスは34.7‰~21.8‰,アラフォー女背御のそれは40.0‰~24.3‰の分布幅を擁しています。
トップは男性は奈良,女性は山梨ですか・・・。なお若干の地域性もあり,男性では近畿,女性は中部や北陸のゾーンの値が高くなっています。この点を看取できる図も載せておきましょう。アラフォー男性の結婚チャンスを地図にしてみました。上表の結婚率を2‰刻みで塗り分けたものです。
近畿や北陸の色が濃いのはさておき,全体的にみて,西高東低の模様になっているのも興味深い。希望は西にありってことでしょうか。
これは2010年の古いデータですので,この地図を頼りに,各地の実践を調べても意味はないでしょう。ただ,こういう測定の方法はどうかという提案をしておこうと思います。
少子化の最大の原因は未婚化なのですが,これを何とかしようと,どの自治体も婚活支援に力を入れていることでしょう。とくに,量的に多いアラフォー年代(≒団塊ジュニア世代)の動向は大きな関心事であると推察します。
今年(2015年)は「国勢調査」の実施年であり,ここで紹介したアラフォー年代の未婚率を計算することができます。このデータは,近年の各地の婚活支援の成果を教えてくれる指標(measure)となることでしょう。
話は変わりますが,私は現在,実務教育出版の『受験ジャーナル』という雑誌にて,「データで見る47都道府県の今」という連載を持たせていただいてます。先日,最終回の原稿を脱稿したのですが,そこにて都道府県別の希望指数というのを出しています。今回のアラフォー未婚率に,非正規から正規への移動率,若者の起業率といった希望の指標も加え,それらを合成した数値です。
http://jitsumu.hondana.jp/search/g203.html
希望の地はどこかを明らかにする試みです。当該の原稿が載る号の発刊はまだちょっと先ですが,ツイッター等で告知しますので,ぜひご覧いただければと存じます。
今回は,この年齢層の結婚チャンスを明らかにしてみようと思います,よく「35を過ぎたら結婚は無理だ」などといわれますが,数値でその確率を表現するとどれくらいになるのか。こういう問題です。まだ希望を捨てていないアラフォー未婚者,あるいは婚活関係者の中には,この点に関心をお持ちの方も多いでしょう。
ここでいう結婚チャンスとは,未婚者のうち何人が結婚できるかです。分子は,2010年の厚労省「人口動態統計」の婚姻統計を使います。同年中に婚姻を届け出た者(初婚者)の数です。分母は,同じく2010年の「国勢調査」に掲載されている未婚者の数を使います。同年10月時点の未婚者数です。データの年次がちょっと古いですが,分母は「国勢調査」の年のものしか得られませんので,ご寛恕ください。
これらの資料によると,2010年中の40歳男性の初婚者数は6434人です。同年10月時点の40歳の未婚男性数は288672人。よって,前者を後者で除して,40歳男性の結婚率は22.3‰と算出されます。1000人中22.3人,40歳オトコの結婚確率はおよそ45人に1人なり。
このやり方で,15~60歳の各年齢の結婚率を計算してみました。ジェンダー差もみるため,男女で分けて率を出しています。下の図は,各年齢の結婚率を結んで描いた曲線です。結婚率年齢曲線と呼びましょう。
男女とも,30歳あたりに山があるきれいな曲線です。なるほど,ピークを過ぎると結婚チャンスは急降下していき,40歳の結婚率は男性で22.3‰(45人に1人),女性で21.1‰(47人に1人)となります。確かに厳しくなりますねえ。
50歳以降は,両性とも地を這うかのごとく低くなります。いわゆる生涯未婚率(一生結婚しない者の出現率)は50歳時点の未婚率で代替されるのですが,この仮定は妥当性を持っているようです。
これは全国のデータですが,都道府県別にみるとどうでしょう。アラフォー年代の結婚チャンスが相対的に開けている県はどこかです。県別の場合,分子は5歳刻みの数値しか得られませんので,35~44歳の結婚率を出すこととします。まさに,アラフォー年代です。
下表は,上記と同じやり方で計算した,アラフォー男女の結婚率の県別一覧表です。最高値には黄色,最低値には青色のマークをしました。上位5位の数値は赤色にしています。
ほう。結構地域差があるようで,アラフォー男性の結婚チャンスは34.7‰~21.8‰,アラフォー女背御のそれは40.0‰~24.3‰の分布幅を擁しています。
トップは男性は奈良,女性は山梨ですか・・・。なお若干の地域性もあり,男性では近畿,女性は中部や北陸のゾーンの値が高くなっています。この点を看取できる図も載せておきましょう。アラフォー男性の結婚チャンスを地図にしてみました。上表の結婚率を2‰刻みで塗り分けたものです。
近畿や北陸の色が濃いのはさておき,全体的にみて,西高東低の模様になっているのも興味深い。希望は西にありってことでしょうか。
これは2010年の古いデータですので,この地図を頼りに,各地の実践を調べても意味はないでしょう。ただ,こういう測定の方法はどうかという提案をしておこうと思います。
少子化の最大の原因は未婚化なのですが,これを何とかしようと,どの自治体も婚活支援に力を入れていることでしょう。とくに,量的に多いアラフォー年代(≒団塊ジュニア世代)の動向は大きな関心事であると推察します。
今年(2015年)は「国勢調査」の実施年であり,ここで紹介したアラフォー年代の未婚率を計算することができます。このデータは,近年の各地の婚活支援の成果を教えてくれる指標(measure)となることでしょう。
話は変わりますが,私は現在,実務教育出版の『受験ジャーナル』という雑誌にて,「データで見る47都道府県の今」という連載を持たせていただいてます。先日,最終回の原稿を脱稿したのですが,そこにて都道府県別の希望指数というのを出しています。今回のアラフォー未婚率に,非正規から正規への移動率,若者の起業率といった希望の指標も加え,それらを合成した数値です。
http://jitsumu.hondana.jp/search/g203.html
希望の地はどこかを明らかにする試みです。当該の原稿が載る号の発刊はまだちょっと先ですが,ツイッター等で告知しますので,ぜひご覧いただければと存じます。
2015年4月11日土曜日
孤独死の統計
誰にも看取られずに死んでいく・・・。近年,注目を集めている孤独死ですが,その量が統計で表現されることはあまりないようですので,ここにてそれをしてみようと思います。いずれも,官庁統計のデータを加工して作成したものです。
まず,全国で起きている孤独死の近似数(相似数)ですが,厚労省「人口動態統計」の死因統計の死因カテゴリーに,「立会者のいない死亡」というものがあります。死亡時に立会者がおらず,死因を特定できない者です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
2013年のデータで見ると,同年中の当該カテゴリーの死亡者は2371人となっています。同年10月時点の総人口(1億2730万人)で除すと,人口100万人あたり18.6人という出現率です。この2371人の性別・年齢別内訳をグラフにすると,下図のようになります(年齢不詳は除く)。
ピークは60代前半で,女性より男性が圧倒的に多くなっています。女性のほうが,人づきあいの頻度が高いためでしょう。60代の前半で最も多いのは,退職から年金支給開始までの無収入期で,生活に困窮するためでしょうか。
次に,この数で測られる孤独死の量が,過去からどう推移してみたのかをみてみましょう。人口変化を考慮するため,各年の死者数をベース人口で除した出現率の推移をたどってみます。厚労省の統計には,都道府県別の数値も出ていますので,大都市の東京の時系列カーブも描いてみました。
わが国の孤独死率は増加の傾向にあります。よくいわれる,孤族化・孤独死化の様相がデータで可視化されています。とくに大都市の東京ではそれが顕著で,今世紀になってから,孤独死の発生率が5倍以上に増えています。やはり,人間関係が希薄な大都市で多いのですね。
ここで観察しているのは,死亡時に立会者がおらず,死因を特定できない死亡者の出現率ですが,死因を特定できた者も含めたら,値はもっと高くなります。
なお,大都市・東京の内部でも,孤独死の発生率の地域差があります。指標が異なりますが,東京都監察医務院の孤独死統計を使って,この点も明らかにしてみましょう。この資料でいう孤独死とは,自宅で死亡した,単身世帯の異状死者のことです。異状死とは,内因か外因か,はっきりとした死因を特定できない死を意味します。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kansatsu/kodokusi25.html
上記の資料には,この数が都内の23区別に掲載されています。これを各区の15歳以上人口で除して,23区の孤独死発生率を試算してみました。分子は2013年中の死亡者数,分母は同年1月1日時点の人口です。
人口10万人あたりの孤独死者数にして,それを地図にしてみました。大都市という地域特性を同じくながらも,孤独死の発生率は区によってかなり違っています。最高の豊島区は,最低の千代田区の倍以上です。
また,色が濃い高率地域がある程度固まっているのも注目されます。個々人の個別事情を超えた,孤独死の社会的規定性のようなものを感じさせる図柄です。
その一端をご覧にいれましょう。3月1日の記事にて,都内23区の平均世帯年収を計算したのですが,この指標と,上記の孤独死発生率の相関図を描いてみました。
年収と孤独死発生率の間には,有意な負の相関関係がみられます。年収が低い区ほど,孤独死の発生率が高い,という傾向です。これは,貧困と孤独死の相関のマクロ表現といってよいでしょう。
経済資本と社会関係資本は連動するといいます。自分の惨めな状況を親族や知人に見られたくない。それで,他者との関係を一切断ち切って引きこもってしまう・・・。こういう面もあるのではないでしょうか。
このような現象は前からあったものなのか,それとも近年固有のものなのか。この点にも興味が持たれます。私は,後者ではないかという仮説を持っています。それが検証されたら,ここにてご報告いたします。
まず,全国で起きている孤独死の近似数(相似数)ですが,厚労省「人口動態統計」の死因統計の死因カテゴリーに,「立会者のいない死亡」というものがあります。死亡時に立会者がおらず,死因を特定できない者です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
2013年のデータで見ると,同年中の当該カテゴリーの死亡者は2371人となっています。同年10月時点の総人口(1億2730万人)で除すと,人口100万人あたり18.6人という出現率です。この2371人の性別・年齢別内訳をグラフにすると,下図のようになります(年齢不詳は除く)。
ピークは60代前半で,女性より男性が圧倒的に多くなっています。女性のほうが,人づきあいの頻度が高いためでしょう。60代の前半で最も多いのは,退職から年金支給開始までの無収入期で,生活に困窮するためでしょうか。
次に,この数で測られる孤独死の量が,過去からどう推移してみたのかをみてみましょう。人口変化を考慮するため,各年の死者数をベース人口で除した出現率の推移をたどってみます。厚労省の統計には,都道府県別の数値も出ていますので,大都市の東京の時系列カーブも描いてみました。
わが国の孤独死率は増加の傾向にあります。よくいわれる,孤族化・孤独死化の様相がデータで可視化されています。とくに大都市の東京ではそれが顕著で,今世紀になってから,孤独死の発生率が5倍以上に増えています。やはり,人間関係が希薄な大都市で多いのですね。
ここで観察しているのは,死亡時に立会者がおらず,死因を特定できない死亡者の出現率ですが,死因を特定できた者も含めたら,値はもっと高くなります。
なお,大都市・東京の内部でも,孤独死の発生率の地域差があります。指標が異なりますが,東京都監察医務院の孤独死統計を使って,この点も明らかにしてみましょう。この資料でいう孤独死とは,自宅で死亡した,単身世帯の異状死者のことです。異状死とは,内因か外因か,はっきりとした死因を特定できない死を意味します。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kansatsu/kodokusi25.html
上記の資料には,この数が都内の23区別に掲載されています。これを各区の15歳以上人口で除して,23区の孤独死発生率を試算してみました。分子は2013年中の死亡者数,分母は同年1月1日時点の人口です。
人口10万人あたりの孤独死者数にして,それを地図にしてみました。大都市という地域特性を同じくながらも,孤独死の発生率は区によってかなり違っています。最高の豊島区は,最低の千代田区の倍以上です。
また,色が濃い高率地域がある程度固まっているのも注目されます。個々人の個別事情を超えた,孤独死の社会的規定性のようなものを感じさせる図柄です。
その一端をご覧にいれましょう。3月1日の記事にて,都内23区の平均世帯年収を計算したのですが,この指標と,上記の孤独死発生率の相関図を描いてみました。
年収と孤独死発生率の間には,有意な負の相関関係がみられます。年収が低い区ほど,孤独死の発生率が高い,という傾向です。これは,貧困と孤独死の相関のマクロ表現といってよいでしょう。
経済資本と社会関係資本は連動するといいます。自分の惨めな状況を親族や知人に見られたくない。それで,他者との関係を一切断ち切って引きこもってしまう・・・。こういう面もあるのではないでしょうか。
このような現象は前からあったものなのか,それとも近年固有のものなのか。この点にも興味が持たれます。私は,後者ではないかという仮説を持っています。それが検証されたら,ここにてご報告いたします。
2015年4月8日水曜日
大学教員の研究時間の減少
昨日の日本経済新聞Web版にて,大学教員の研究時間の減少が報じられています。現場の人間が日ごろ思っていることが可視化されたわけですが,こういう実態が世に知れ渡るのは結構なことだと思います。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07H80_X00C15A4CR8000/
記事で引用されているデータのソースは,文科省「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」です。5年おきに実施されている調査で,大学教員等の研究者の職務時間が詳細に明らかにされています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa06/fulltime/1284874.htm
上記の記事では,大学教員の研究時間の減少がいわれているのですが,一口に大学教員といても,いろいろな属性があります。教授と若手では様相は異なるでしょう。国立と私立,文系と理系・・・こういう違いも見逃せません。
全体分析の後にくるべきは,層別の分析です。研究時間の減少が著しいのは,どの層か。こういう問題を考えてみようと思います。
冒頭の記事のおさらいになりますが,まずは大学教員全体の変化を概観することから始めましょう。大学教員の年間職務時間は,2008年が2793時間,2008年が2920時間,2013年が2573時間というように推移しています。
この5年間で減っていますが,年間2573時間というのは,一般の労働者よりもかなり長いと判断されます。2013年の「毎月勤労統計調査」から推計される,全産業の常用労働者の年間勤務時間は1746時間です。
誤解されがちですが,大学のセンセイは働いているんすよ。週2~3日大学に来るだけで,あとは遊んでいるなどといわれますが,さにあらず。自宅でいろいろな書類を書いたり,原稿を書いたり,授業の準備をしたり・・・もちろん,研究も重要なタスクです。5月のGWはどこに行こうかと計画を練っている方が多いと思いますが,大学教員にとっては貴重な「稼ぎ時」です。たまった雑務を片づけたり,滞っていた研究を進めたりと。遊びに行こうなんて考えている人は,少ないんじゃないかなあ。
ちなみに本調査では,勤務時間ではなく,職務時間という言葉が使われています。仕事とプライベートの境界があいまいな大学教員の性格を物語っているといえるでしょう。
さて問題は,この職務時間の中身がどう変わったかです。ここでは研究に焦点を当てますが,他の要素についてもみておきましょう。文科省の調査では,教育,研究,社会サービス,その他という4カテゴリーが設けられ,各々の年間平均時間が集計されています。
それぞれの変化をグラフにしてみました。左側は年間平均時間の折れ線グラフ,右側はこの4つの内訳を帯グラフにしたものです。
大学教員は研究者ですので,研究時間が最も長くなっていますが,この10年ほどで減っています。代わって,社会サービスが増えてきています。講演や産学連携などでしょう。
意外なのは,「その他」が減っていることです。学内業務等のいわゆる雑務ですが,統計上は減少しているのですね。最近,シラバスの電子化や自動出席管理システムなどが導入されていますが,こういうICT技術の恩恵ゆえでしょうか。
右側は4つの比重図ですが,注目すべきは,赤色の研究時間の部分です。2002年では全体の46.5%を占めていましたが,2013年では35.0%にまで減少しています。昨日の日経記事で強調されていたのは,このことです。
では,この研究時間にスポットを当てましょう。注目点は,大学教員のどの層で研究時間の減少が著しいかです。私は,文科省調査の原資料から,設置主体別,職階別,専攻分野別の年間研究時間のデータを採取しました。
下の表は,各年の数値をまとめたものです。2013年の助手は助教と読み替えてください。上段は年間の平均研究時間,下段は職務時間全体に占める比率です。
研究時間の長さは,「国>公>私」となっています。職階別では,双六を上がった教授よりも,これから昇進の審査に晒される若手で長くなっています。文系と理系では,やっぱり後者ですね。下段の比重も,おおよそ同じです。
右欄には,2013年と2002年の差分を掲げていますが,値は軒並みマイナスです。層を問わず,この10年あまりで大学教員の研究時間は減っている,ということです。
しかし,その幅にはバリエイションがあり,職階別でみると,一番下の助手(助教)では576時間も減っています。比重の減も顕著で,55.8%から40.8%へと,15ポイントも下がっています。あと研究時間の減少が目立つのは,比重でみて,私大や理系の教員です。
大学教員が多忙化し,研究の時間がとれない。よくいわれることですが,データでもそれは支持されます。このことは,各人の研究者としての自我を傷つけ,わが国の総体としての知的体力低下にもつながる,という問題をはらんでいます。
といっても,大学の大衆化が進んでいるということは,教員の大衆化も進んでいるということ。大学本務教員の数は,1960年では4万人ほどでしたが,2014年では18万人にまで膨れ上がっています。この中には,研究よりも,教育や各種の社会サービスに己の使命を見出している者も多く含まれるでしょう。近年では,大学の側もそういう人間を歓迎する向きがあり,教員公募の書類に「講師・准教授公募」ではなく,「教育職員公募」と書かれることも多くなりました。また,私が知る某教授は,「これからの採用条件は,研究者としてではなく,一職員として勤務できるかどうかだ」とおっしゃっていました。
社会の変化に応じて,教育も変わる。教育社会学の基本テーゼですが,大学教員の役割革新の時期なのかもしれません。研究スタッフと教育スタッフに分けたらどうかという提言がありますが,こういうのも現実味を帯びているように思います。
といっても,研究と教育は互いに補完し合うもの。教育(社会サービス)は,タコつぼの研究を広い視界に引き上げる役割を果たしてくれます。世間一般の問題と関連付けながら,学生に説明しないといけないわけですから。一方,研究の裏付けのない教育というのは味気ない。ただの「しゃべり屋」です。学生に上から講釈する教育者だけでなく,真理の下僕としての(謙虚な)研究者という位置に自らを置かないと,人格形成上もよくありません。
要はバランスなのでしょうが,最近の状況をみるに,研究者としての側面が度を超えて軽んじられているようにも思えます。これは是正されねばならないでしょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07H80_X00C15A4CR8000/
記事で引用されているデータのソースは,文科省「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」です。5年おきに実施されている調査で,大学教員等の研究者の職務時間が詳細に明らかにされています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa06/fulltime/1284874.htm
上記の記事では,大学教員の研究時間の減少がいわれているのですが,一口に大学教員といても,いろいろな属性があります。教授と若手では様相は異なるでしょう。国立と私立,文系と理系・・・こういう違いも見逃せません。
全体分析の後にくるべきは,層別の分析です。研究時間の減少が著しいのは,どの層か。こういう問題を考えてみようと思います。
冒頭の記事のおさらいになりますが,まずは大学教員全体の変化を概観することから始めましょう。大学教員の年間職務時間は,2008年が2793時間,2008年が2920時間,2013年が2573時間というように推移しています。
この5年間で減っていますが,年間2573時間というのは,一般の労働者よりもかなり長いと判断されます。2013年の「毎月勤労統計調査」から推計される,全産業の常用労働者の年間勤務時間は1746時間です。
誤解されがちですが,大学のセンセイは働いているんすよ。週2~3日大学に来るだけで,あとは遊んでいるなどといわれますが,さにあらず。自宅でいろいろな書類を書いたり,原稿を書いたり,授業の準備をしたり・・・もちろん,研究も重要なタスクです。5月のGWはどこに行こうかと計画を練っている方が多いと思いますが,大学教員にとっては貴重な「稼ぎ時」です。たまった雑務を片づけたり,滞っていた研究を進めたりと。遊びに行こうなんて考えている人は,少ないんじゃないかなあ。
ちなみに本調査では,勤務時間ではなく,職務時間という言葉が使われています。仕事とプライベートの境界があいまいな大学教員の性格を物語っているといえるでしょう。
さて問題は,この職務時間の中身がどう変わったかです。ここでは研究に焦点を当てますが,他の要素についてもみておきましょう。文科省の調査では,教育,研究,社会サービス,その他という4カテゴリーが設けられ,各々の年間平均時間が集計されています。
それぞれの変化をグラフにしてみました。左側は年間平均時間の折れ線グラフ,右側はこの4つの内訳を帯グラフにしたものです。
大学教員は研究者ですので,研究時間が最も長くなっていますが,この10年ほどで減っています。代わって,社会サービスが増えてきています。講演や産学連携などでしょう。
意外なのは,「その他」が減っていることです。学内業務等のいわゆる雑務ですが,統計上は減少しているのですね。最近,シラバスの電子化や自動出席管理システムなどが導入されていますが,こういうICT技術の恩恵ゆえでしょうか。
右側は4つの比重図ですが,注目すべきは,赤色の研究時間の部分です。2002年では全体の46.5%を占めていましたが,2013年では35.0%にまで減少しています。昨日の日経記事で強調されていたのは,このことです。
では,この研究時間にスポットを当てましょう。注目点は,大学教員のどの層で研究時間の減少が著しいかです。私は,文科省調査の原資料から,設置主体別,職階別,専攻分野別の年間研究時間のデータを採取しました。
下の表は,各年の数値をまとめたものです。2013年の助手は助教と読み替えてください。上段は年間の平均研究時間,下段は職務時間全体に占める比率です。
研究時間の長さは,「国>公>私」となっています。職階別では,双六を上がった教授よりも,これから昇進の審査に晒される若手で長くなっています。文系と理系では,やっぱり後者ですね。下段の比重も,おおよそ同じです。
右欄には,2013年と2002年の差分を掲げていますが,値は軒並みマイナスです。層を問わず,この10年あまりで大学教員の研究時間は減っている,ということです。
しかし,その幅にはバリエイションがあり,職階別でみると,一番下の助手(助教)では576時間も減っています。比重の減も顕著で,55.8%から40.8%へと,15ポイントも下がっています。あと研究時間の減少が目立つのは,比重でみて,私大や理系の教員です。
大学教員が多忙化し,研究の時間がとれない。よくいわれることですが,データでもそれは支持されます。このことは,各人の研究者としての自我を傷つけ,わが国の総体としての知的体力低下にもつながる,という問題をはらんでいます。
といっても,大学の大衆化が進んでいるということは,教員の大衆化も進んでいるということ。大学本務教員の数は,1960年では4万人ほどでしたが,2014年では18万人にまで膨れ上がっています。この中には,研究よりも,教育や各種の社会サービスに己の使命を見出している者も多く含まれるでしょう。近年では,大学の側もそういう人間を歓迎する向きがあり,教員公募の書類に「講師・准教授公募」ではなく,「教育職員公募」と書かれることも多くなりました。また,私が知る某教授は,「これからの採用条件は,研究者としてではなく,一職員として勤務できるかどうかだ」とおっしゃっていました。
社会の変化に応じて,教育も変わる。教育社会学の基本テーゼですが,大学教員の役割革新の時期なのかもしれません。研究スタッフと教育スタッフに分けたらどうかという提言がありますが,こういうのも現実味を帯びているように思います。
といっても,研究と教育は互いに補完し合うもの。教育(社会サービス)は,タコつぼの研究を広い視界に引き上げる役割を果たしてくれます。世間一般の問題と関連付けながら,学生に説明しないといけないわけですから。一方,研究の裏付けのない教育というのは味気ない。ただの「しゃべり屋」です。学生に上から講釈する教育者だけでなく,真理の下僕としての(謙虚な)研究者という位置に自らを置かないと,人格形成上もよくありません。
要はバランスなのでしょうが,最近の状況をみるに,研究者としての側面が度を超えて軽んじられているようにも思えます。これは是正されねばならないでしょう。
2015年4月7日火曜日
職業別の年収ランキング
毎朝,ネット上のニュースをチェックしているのですが,大学教授の平均年収を報じた記事が目に止まりました。2011年の厚労省「賃金構造基本統計調査」から割り出したもので,その額1112万円だそうです。
http://heikinnenshu.jp/komuin/kyoju.html
実をいうと,この資料から多くの職業の年収を計算することができます。上記の記事は大学教授に焦点を当てていますが,他の職業はどうなのか。近年,需要が著しく増している保育士や介護職の年収はどれくらいか。こういう関心もあおりでしょう。
この点については随所で明らかにされていますが,全体構造の中での位置付けも添えた情報は,あまり提供されていないのではないでしょうか。今回は,それをご覧に入れようと思います。タイトルにあるような,職業別の年収ランキング表の作成です。
まずは,年収の計算方法を説明します。上記の厚労省資料には,(短時間労働者を除く)一般労働者の平均月収と年間賞与額が,職業別に掲載されています。前者は,調査年の6月の平均月収であり,この中には残業代等の手当ても含みます。後者は,調査前年の1年間の年間賞与額です。
この情報を使って,各職業の推定年収を出すことができます。計算式は,「月収×12+年間賞与額」です。私は,最新の2014年調査のデータを使って,129の職業の推定年収を計算しました。計算に使った数値は,下記サイトの表1から取り出したものです。月収は,「きまって支給する現金給与額」です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&tclassID=000001054146&cycleCode=0&requestSender=estat
手始めに,6つの職業の計算表をみていただきましょう。医師,大学教授,高校教員,バス運転手,保育士,福祉施設介助員の年収を,先ほど述べた方法で見積もってみました。
冒頭の記事で取り上げられていた大学教授は,最新の2014年調査のデータでは,月収66万円,ボーナス285万円,推定年収は1074万円です。大学によって違うでしょうが,全体を均した平均はこんなものでしょう。医師はそれよりも高く,1154万円です。開業医が多いので,ボーナスの比重は小さくなっています。高校教員は706万円。小・中学校教員というカテゴリーはないのですが,これよりもちょっと少ないくらいでしょうね。
下の3つは,少子高齢化・共働き化が進む中,需要が高まってくるとみられる職業ですが,年収はあまり高くないようです。バス運転手は455万円,保育士は317万円,介助員(介護士)は309万円なり。これらの職業の窮状がよくいわれますが,さもありなんです。
計算の過程についてイメージしていただけたと思いますので,129職業の推定年収のランキング表をご覧いただきましょう。上記と同じやり方で各職業の推定年収を出し,高い順に並べたものです。
先ほど計算した医師がトップかと思いきや,まだ上がいました。航空機操縦士(パイロット)です。年収1712万円なり。平均でこれですから,ベテランだと2000万超はザラでしょう。
赤字は上位10ですが,パイロット,医師,大学教授,弁護士,記者,公認会計士など,高度専門職のオンパレードです。ただ,年収1000万超の職業が4つしかないのは,予想外でした。1000万プレーヤーの敷居って,結構高いのですね。
目ぼしい職業に黄色マークをしましたが,バス運転手やトラック運転手が全職業の平均くらいで,保育士,介護士,タクシー運転手などは,それを大きく下回っています。若者のあこがれである理容師・美容師に至っては,惨状がもっと際立っています。年収263万円です。
あと一つ,マークをし忘れましたが,塾・予備校講師が396万円と400万円を切っているのが意外です。まあこれはあくまで平均値であり,稼いでいるカリスマ講師と不人気講師の格差が大きい,ということでしょうね。7位の歯科医師なども,格差が大きい職業と聞きます。
社会には無数の地位があり,各々が受け取る富の量には傾斜がつけられていますが,21世紀初頭の日本社会の現実態は,以上のようなものです。やはり保育士や介護士の位置が気になりますが,我が国と同じく少子高齢化が進んだ他の先進国では,これらの職業の位置付けはどうなっているのか。気になるところです。
http://heikinnenshu.jp/komuin/kyoju.html
実をいうと,この資料から多くの職業の年収を計算することができます。上記の記事は大学教授に焦点を当てていますが,他の職業はどうなのか。近年,需要が著しく増している保育士や介護職の年収はどれくらいか。こういう関心もあおりでしょう。
この点については随所で明らかにされていますが,全体構造の中での位置付けも添えた情報は,あまり提供されていないのではないでしょうか。今回は,それをご覧に入れようと思います。タイトルにあるような,職業別の年収ランキング表の作成です。
まずは,年収の計算方法を説明します。上記の厚労省資料には,(短時間労働者を除く)一般労働者の平均月収と年間賞与額が,職業別に掲載されています。前者は,調査年の6月の平均月収であり,この中には残業代等の手当ても含みます。後者は,調査前年の1年間の年間賞与額です。
この情報を使って,各職業の推定年収を出すことができます。計算式は,「月収×12+年間賞与額」です。私は,最新の2014年調査のデータを使って,129の職業の推定年収を計算しました。計算に使った数値は,下記サイトの表1から取り出したものです。月収は,「きまって支給する現金給与額」です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&tclassID=000001054146&cycleCode=0&requestSender=estat
手始めに,6つの職業の計算表をみていただきましょう。医師,大学教授,高校教員,バス運転手,保育士,福祉施設介助員の年収を,先ほど述べた方法で見積もってみました。
冒頭の記事で取り上げられていた大学教授は,最新の2014年調査のデータでは,月収66万円,ボーナス285万円,推定年収は1074万円です。大学によって違うでしょうが,全体を均した平均はこんなものでしょう。医師はそれよりも高く,1154万円です。開業医が多いので,ボーナスの比重は小さくなっています。高校教員は706万円。小・中学校教員というカテゴリーはないのですが,これよりもちょっと少ないくらいでしょうね。
下の3つは,少子高齢化・共働き化が進む中,需要が高まってくるとみられる職業ですが,年収はあまり高くないようです。バス運転手は455万円,保育士は317万円,介助員(介護士)は309万円なり。これらの職業の窮状がよくいわれますが,さもありなんです。
計算の過程についてイメージしていただけたと思いますので,129職業の推定年収のランキング表をご覧いただきましょう。上記と同じやり方で各職業の推定年収を出し,高い順に並べたものです。
先ほど計算した医師がトップかと思いきや,まだ上がいました。航空機操縦士(パイロット)です。年収1712万円なり。平均でこれですから,ベテランだと2000万超はザラでしょう。
赤字は上位10ですが,パイロット,医師,大学教授,弁護士,記者,公認会計士など,高度専門職のオンパレードです。ただ,年収1000万超の職業が4つしかないのは,予想外でした。1000万プレーヤーの敷居って,結構高いのですね。
目ぼしい職業に黄色マークをしましたが,バス運転手やトラック運転手が全職業の平均くらいで,保育士,介護士,タクシー運転手などは,それを大きく下回っています。若者のあこがれである理容師・美容師に至っては,惨状がもっと際立っています。年収263万円です。
あと一つ,マークをし忘れましたが,塾・予備校講師が396万円と400万円を切っているのが意外です。まあこれはあくまで平均値であり,稼いでいるカリスマ講師と不人気講師の格差が大きい,ということでしょうね。7位の歯科医師なども,格差が大きい職業と聞きます。
社会には無数の地位があり,各々が受け取る富の量には傾斜がつけられていますが,21世紀初頭の日本社会の現実態は,以上のようなものです。やはり保育士や介護士の位置が気になりますが,我が国と同じく少子高齢化が進んだ他の先進国では,これらの職業の位置付けはどうなっているのか。気になるところです。
2015年4月5日日曜日
団塊世代のジェネレーショングラム
このブログで何度かお見せしているジェネレーショングラムは,それぞれの世代が生きた軌跡を,時代状況との関連で俯瞰できる図法です。
別に込み入った図法ではなく,横軸に年齢,縦軸に時代(年)をとった平面の上に,各世代の斜めの軌跡線を描くだけのことです。私の恩師の松本良夫先生が,電車の時刻表をヒントに考案された表現法です。ダイヤグラムをもじって,ジェネレーショングラムと命名されています。
私はこの方法によって,団塊世代が生きてきた軌跡を可視化してみました。戦後初期の頃に産声を上げた,量的に多い世代です。量の多さもさることながら,その生きた時代の特殊性もあって,注目されることの多い世代です。この世代に焦点を当てた戦後史の文献も存在します。*三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫,2007年。
詳しくはこういう本を読んでいただければいいのですが,この世代の軌跡を視覚的に一望できる図があればいいなと,前から思っていました。そこで今回,この世代のジェネレーショングラムを作ってみた次第です。
さっそく,ブツをご覧いただきましょう。団塊世代といっても諸説がありますが,私は1948年生まれ世代の軌跡を描いてみました。この春定年退職された,私が知る編集者さんの世代です。お世話になった,この方への贐(はなむけ)の意味合いも込めています。太線がそれです。
ついでに,その子どもの世代(団塊ジュニア)の軌跡も書き入れてみました。下の細線がそれで,1972年生まれ世代の軌跡線です。
この図をみていただければよいのですが,少しだけ解釈を添えましょう。この世代の乳幼児期は,戦後混乱期でした。食べ物もなく,栄養状態・衛生状態も悪かった頃です。乳幼児死亡率もさぞ高かったことでしょう。こういう大変な時代に,人格の礎が築かれる乳幼児期を過ごしたことになります。
学校に上がるのは50年代の半ばですが,戦後の新教育も板についてきた頃。それまでの(米国流の)自由主義路線を転換し,学習指導要領をカリキュラムの国家基準化するなど,規制の強化が図られてきます。アプレの腐敗を嘆く世相に押されたのか,58年の学習指導要領改訂によって道徳の時間も新設されます。
児童期の終わり(思春期)あたりは,高度経済成長期の只中ということもあり,能力主義や高校多様化(差別的複線コース化)という事態に直面します。といっても,この世代が15歳であった1963年の高校進学率は67%(地方では半分以下)であり,義務教育卒業者の進路は進学と就職にパッカリ分かれていました。中卒者が「金の卵」といわれ,田舎から都会へ集団就職列車が頻繁に走っていたのもこの頃です。
この世代の場合,青年期の入口の10代後半は生徒(学生)と勤労者に2分されていたのですが,そうした地位の分化(segregate)が諍いを生じさせたのか,暴力非行や性非行も多発しました。戦後の非行の第2ピークは64年ですが,その主な担い手の世代であったと考えられます。
続く青年期は,ご存じのとおり,学生運動で大暴れします。この世代が成人するのは,運動が最も激化した68年のことです。
多感な思春期・青年期が,高度経済成長期という激変期と重なったことが,団塊世代の何よりの特徴です。若気と「イケイケ」ムードの時代風潮が合体したことの影響は,大きいと見るべきでしょうね。
70年代前半には大学を卒業し,大半が社会人になります。結婚して,子どもも生まれます。その子どもが,いわゆる団塊ジュニアです。ここから先は,子どもの成長と併行した人生になります。
働き盛りの壮年期は,70年代後半から80年代です。86年に男女雇用機会均等法が施行され,幼少期より身に付けたジェンダー意識の変革を求められるようになります。また,児童期に達したわが子がファミコンにのめり込む,学校でいじめが蔓延する,そして激しい受験競争など,子育てにも苦慮したのではないでしょうか。子どもが大学受験を迎える頃はバブル期であり,経済的な心配は今と比したら小さかったかもしれませんが。
しかしバブル景気も91年に終り,そこからは不況の暗黒期。年齢的には中年期ですが,人件費がかさむということで,リストラという憂き目にあったお父さんも多かったことでしょう。97年から98年自殺者が激増し,3万人の大台にのるのですが,その増分の多くは,この世代の男性であったとみられます。その上,定年間際にはリーマンショックが起きるわ,年金が消えたとか言われるわ,ツイてなかったのですね。
現在は,引退期に入っています。上記のような時代の虐げへの反動か,あるいは激変の時代を生きてきた活力があり余っているのか,各地でキレる,暴力沙汰を起こすなど,「暴走老人」と形容される振る舞いをしている者もいるようです。
ごく大雑把にみると,こんな感じでしょうか。この世代はエネルギーを持っているようなので,盆栽やゲートボールなどという,従来型の年寄り趣味ではなく,ゲームとかLINEとか,今風の趣味に仕向けてみるのもいいかもしれません。聞けば,LINEスタンプの制作が老人にウケているそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150404-00000539-san-life
今回は,団塊世代のジェネレーショングラムの紹介でした。上述のように,お世話になった編集者さんへの贐でもあります。実名掲載の許可をいただいていませんので,伏字としますが,**さん,お世話になりました。これからも,私の活動を見守っていてください。いつまでも,お元気で。私からも随時,近況報告をさせていただきます。
2015年葉桜の候
舞田 敏彦
別に込み入った図法ではなく,横軸に年齢,縦軸に時代(年)をとった平面の上に,各世代の斜めの軌跡線を描くだけのことです。私の恩師の松本良夫先生が,電車の時刻表をヒントに考案された表現法です。ダイヤグラムをもじって,ジェネレーショングラムと命名されています。
私はこの方法によって,団塊世代が生きてきた軌跡を可視化してみました。戦後初期の頃に産声を上げた,量的に多い世代です。量の多さもさることながら,その生きた時代の特殊性もあって,注目されることの多い世代です。この世代に焦点を当てた戦後史の文献も存在します。*三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫,2007年。
詳しくはこういう本を読んでいただければいいのですが,この世代の軌跡を視覚的に一望できる図があればいいなと,前から思っていました。そこで今回,この世代のジェネレーショングラムを作ってみた次第です。
さっそく,ブツをご覧いただきましょう。団塊世代といっても諸説がありますが,私は1948年生まれ世代の軌跡を描いてみました。この春定年退職された,私が知る編集者さんの世代です。お世話になった,この方への贐(はなむけ)の意味合いも込めています。太線がそれです。
ついでに,その子どもの世代(団塊ジュニア)の軌跡も書き入れてみました。下の細線がそれで,1972年生まれ世代の軌跡線です。
この図をみていただければよいのですが,少しだけ解釈を添えましょう。この世代の乳幼児期は,戦後混乱期でした。食べ物もなく,栄養状態・衛生状態も悪かった頃です。乳幼児死亡率もさぞ高かったことでしょう。こういう大変な時代に,人格の礎が築かれる乳幼児期を過ごしたことになります。
学校に上がるのは50年代の半ばですが,戦後の新教育も板についてきた頃。それまでの(米国流の)自由主義路線を転換し,学習指導要領をカリキュラムの国家基準化するなど,規制の強化が図られてきます。アプレの腐敗を嘆く世相に押されたのか,58年の学習指導要領改訂によって道徳の時間も新設されます。
児童期の終わり(思春期)あたりは,高度経済成長期の只中ということもあり,能力主義や高校多様化(差別的複線コース化)という事態に直面します。といっても,この世代が15歳であった1963年の高校進学率は67%(地方では半分以下)であり,義務教育卒業者の進路は進学と就職にパッカリ分かれていました。中卒者が「金の卵」といわれ,田舎から都会へ集団就職列車が頻繁に走っていたのもこの頃です。
この世代の場合,青年期の入口の10代後半は生徒(学生)と勤労者に2分されていたのですが,そうした地位の分化(segregate)が諍いを生じさせたのか,暴力非行や性非行も多発しました。戦後の非行の第2ピークは64年ですが,その主な担い手の世代であったと考えられます。
続く青年期は,ご存じのとおり,学生運動で大暴れします。この世代が成人するのは,運動が最も激化した68年のことです。
多感な思春期・青年期が,高度経済成長期という激変期と重なったことが,団塊世代の何よりの特徴です。若気と「イケイケ」ムードの時代風潮が合体したことの影響は,大きいと見るべきでしょうね。
70年代前半には大学を卒業し,大半が社会人になります。結婚して,子どもも生まれます。その子どもが,いわゆる団塊ジュニアです。ここから先は,子どもの成長と併行した人生になります。
働き盛りの壮年期は,70年代後半から80年代です。86年に男女雇用機会均等法が施行され,幼少期より身に付けたジェンダー意識の変革を求められるようになります。また,児童期に達したわが子がファミコンにのめり込む,学校でいじめが蔓延する,そして激しい受験競争など,子育てにも苦慮したのではないでしょうか。子どもが大学受験を迎える頃はバブル期であり,経済的な心配は今と比したら小さかったかもしれませんが。
しかしバブル景気も91年に終り,そこからは不況の暗黒期。年齢的には中年期ですが,人件費がかさむということで,リストラという憂き目にあったお父さんも多かったことでしょう。97年から98年自殺者が激増し,3万人の大台にのるのですが,その増分の多くは,この世代の男性であったとみられます。その上,定年間際にはリーマンショックが起きるわ,年金が消えたとか言われるわ,ツイてなかったのですね。
現在は,引退期に入っています。上記のような時代の虐げへの反動か,あるいは激変の時代を生きてきた活力があり余っているのか,各地でキレる,暴力沙汰を起こすなど,「暴走老人」と形容される振る舞いをしている者もいるようです。
ごく大雑把にみると,こんな感じでしょうか。この世代はエネルギーを持っているようなので,盆栽やゲートボールなどという,従来型の年寄り趣味ではなく,ゲームとかLINEとか,今風の趣味に仕向けてみるのもいいかもしれません。聞けば,LINEスタンプの制作が老人にウケているそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150404-00000539-san-life
今回は,団塊世代のジェネレーショングラムの紹介でした。上述のように,お世話になった編集者さんへの贐でもあります。実名掲載の許可をいただいていませんので,伏字としますが,**さん,お世話になりました。これからも,私の活動を見守っていてください。いつまでも,お元気で。私からも随時,近況報告をさせていただきます。
2015年葉桜の候
舞田 敏彦
2015年4月4日土曜日
大卒者の就職率の長期推移
私のささやかな夢が一つ実現しました。文科省「学校基本調査」のバックナンバーが,ネット公開されたことです。戦後初期の1948年度調査から現在までの統計表が,軒並みアップされています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528
前は1993年度までの分しかアップされていませんでしたが,戦後の全てをネット上で見れることになります。エクセルファイルの表ですので,入力の手間もいりません。コピペして,直ちに必要な加工を施すことができます。
図書館に出向き,あの分厚い冊子の必要箇所をコピーして,それをエクセルに入力していた学生の頃を思うと,感無量です。それが嫌で,日本の古本屋サイトで売られている,「学校基本調査」時系列揃え(30万円!)を買おうかと幾度も迷いましたが,その必要もなくなりました。
これで,戦後の教育変動を思う存分,明らかにできます。戦後初期の教育の原風景を描いてみるのも面白い。この恩恵を活用していこうと思っております。
https://twitter.com/tmaita77/status/583808552650678272
https://twitter.com/tmaita77/status/583819443811315712
今回は,このデータを使った戦後の教育変動分析の第一報です。タイトルのごとく,大卒者の就職率の時系列変化です。白書や新聞等で目にするのはせいぜい10年間くらいの推移ですが,戦後60年あまりの長期的視野を据えて,その変化を観察してみたいと思います。
なお,一般に報じられる就職率は卒業者数ベースの率ですが,この中には大学院進学者など,就職の意志のない学生も含まれますので,それを除く必要があります。ここで報告する就職率の計算式を示しておきます。大学卒業者の進路カテゴリーが時代によって変わっていますので,それに応じて計算方法も変えています。
1955~1968年 就職率=就職者/(卒業者-進学者)
1969~2003年 就職率=(就職者+研修医)/(卒業者-進学者)
2004~2014年 就職率=(就職者+研修医)/(卒業者-進学者-専門学校等入学者)
医学部卒業生の場合は,キャリアが研修医から始まるのが一般的ですので,これも分子に含めました。就職の意思がない大学院進学者や専門学校入学者は,分母から除いています。このやり方で,就職の意思がある(とみられる)学生をベースとした就職率を計算しました。
私はジェンダーの差もみるため,男子と女子の2本のカーブを描きました。また,大学卒業者の量のイメージを添えるため,同世代中の大学進学率の変化も背景に添えました。大学進学率は今でこそ50%と半分を超えていますが,今回のデータの始点の1955年ではわずか7.9%でした。トロウ流にいうと,エリート段階とユニバーサル段階の隔たりに相当します。
下に掲げるのは,これらの情報を盛り込んだグラフです。男女の就職率は左軸,大学進学率は右軸で読んでください。
まず背景の大学進学率をみると,始点の1955年では1割未満でしたが,高度経済成長期にかけて上昇し,私が生まれた70年代半ばに,4割近くで頭打ちになります。大学進学率が高すぎるということで,大学設置抑制政策が施行されたためです。また,75年に専修学校の制度ができたことも大きいでしょう。
こういうことがあって80年代は進学率は停滞するのですが,第二次ベビーブームの大波が押し寄せることをにらんで,上記の抑制政策は緩和されます。このことと少子化が合わさり,90年代以降は大学進学率が直線的に増えている次第です。2014年春の18歳人口ベースの大学進学率は51.5%,同世代の2人に1人が大学に行く時代になっているわけです。
今日では,労働市場に入ってくる新規学校卒業者のマジョリティーは大卒者なのですが,この層の就職率はどう変わってきたのでしょう。図中の2本の折れ線は,上記のやり方で計算した,男女の就職率の推移です。
アップダウンしていますが,転換点は時代のターニングポイントにも相当します。60年代前半の高度経済成長絶頂期,70年代初頭の成長終焉期,90年代初頭のバブル期,不況が本格化した世紀の変わり目,リーマンショックや震災が起きた2010年前後,こんな感じです。
大卒者の就職率の上下動は,景気動向と密接に関連していることが知られます。ちなみに私は,どん底近辺の99年の卒業生です。当時の就職戦線の厳しさは,肌身で知っています。学校卒業の時期は選べませんが,われわれは「ついてない世代」,人呼んで「ロスト・ジェネレーション」です。最近は人手不足もあって,バブル期以上の売り手市場だそうですが,そういう報道に接するたびに僻みのような感情も抱いていしまいます。
なお最近はそうでもないですが,昔はジェンダー差が大きかったのですね。高度経済成長期の只中の60年代前半をみると,男子は9割以上であるのに対し,女子は7割ほどです。企業がつっぱねていたのか,「卒業後は花嫁修業を」という女子学生が多かったのか…。そういえば,70年代の初頭あたりですか,どうせ家庭に入るのだから,多額の税金を費やして女子に高等教育を施すのは無益であるという,女子学生亡国論なんていう議論もありました。
しかし,70年代後半から80年代にかけて,女子の就職率がぐんぐん上昇します。国際的には79年に女子差別撤廃条約が国連で採択され,国内では86年に男女雇用機会均等法が施行されるなど,男女平等の機運が高まったのと期を同じくしています。
世紀の変わり目にはジェンダー差はほとんどなく,最近では女子のほうが高いくらいです。日経デュアル誌にも書きましたが,とくに理系女子(リケジョ)は強い。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=3276
あと数年すれば,大卒者の就職率は,高度経済成長期の60年代前半の水準に達するかもしれません。今度は,男女そろって。
今回は,大学卒業者の就職率の推移を明らかにしてみました。今度は,専攻別(文系/理系)の推移線を描いてみるのもいいですね。「学校基本調査」の原統計のバックナンバーを使って明らかにできる,教育変動の諸相。今後,随時発信していきたいと考えております。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528
前は1993年度までの分しかアップされていませんでしたが,戦後の全てをネット上で見れることになります。エクセルファイルの表ですので,入力の手間もいりません。コピペして,直ちに必要な加工を施すことができます。
図書館に出向き,あの分厚い冊子の必要箇所をコピーして,それをエクセルに入力していた学生の頃を思うと,感無量です。それが嫌で,日本の古本屋サイトで売られている,「学校基本調査」時系列揃え(30万円!)を買おうかと幾度も迷いましたが,その必要もなくなりました。
これで,戦後の教育変動を思う存分,明らかにできます。戦後初期の教育の原風景を描いてみるのも面白い。この恩恵を活用していこうと思っております。
https://twitter.com/tmaita77/status/583808552650678272
https://twitter.com/tmaita77/status/583819443811315712
今回は,このデータを使った戦後の教育変動分析の第一報です。タイトルのごとく,大卒者の就職率の時系列変化です。白書や新聞等で目にするのはせいぜい10年間くらいの推移ですが,戦後60年あまりの長期的視野を据えて,その変化を観察してみたいと思います。
なお,一般に報じられる就職率は卒業者数ベースの率ですが,この中には大学院進学者など,就職の意志のない学生も含まれますので,それを除く必要があります。ここで報告する就職率の計算式を示しておきます。大学卒業者の進路カテゴリーが時代によって変わっていますので,それに応じて計算方法も変えています。
1955~1968年 就職率=就職者/(卒業者-進学者)
1969~2003年 就職率=(就職者+研修医)/(卒業者-進学者)
2004~2014年 就職率=(就職者+研修医)/(卒業者-進学者-専門学校等入学者)
医学部卒業生の場合は,キャリアが研修医から始まるのが一般的ですので,これも分子に含めました。就職の意思がない大学院進学者や専門学校入学者は,分母から除いています。このやり方で,就職の意思がある(とみられる)学生をベースとした就職率を計算しました。
私はジェンダーの差もみるため,男子と女子の2本のカーブを描きました。また,大学卒業者の量のイメージを添えるため,同世代中の大学進学率の変化も背景に添えました。大学進学率は今でこそ50%と半分を超えていますが,今回のデータの始点の1955年ではわずか7.9%でした。トロウ流にいうと,エリート段階とユニバーサル段階の隔たりに相当します。
下に掲げるのは,これらの情報を盛り込んだグラフです。男女の就職率は左軸,大学進学率は右軸で読んでください。
まず背景の大学進学率をみると,始点の1955年では1割未満でしたが,高度経済成長期にかけて上昇し,私が生まれた70年代半ばに,4割近くで頭打ちになります。大学進学率が高すぎるということで,大学設置抑制政策が施行されたためです。また,75年に専修学校の制度ができたことも大きいでしょう。
こういうことがあって80年代は進学率は停滞するのですが,第二次ベビーブームの大波が押し寄せることをにらんで,上記の抑制政策は緩和されます。このことと少子化が合わさり,90年代以降は大学進学率が直線的に増えている次第です。2014年春の18歳人口ベースの大学進学率は51.5%,同世代の2人に1人が大学に行く時代になっているわけです。
今日では,労働市場に入ってくる新規学校卒業者のマジョリティーは大卒者なのですが,この層の就職率はどう変わってきたのでしょう。図中の2本の折れ線は,上記のやり方で計算した,男女の就職率の推移です。
アップダウンしていますが,転換点は時代のターニングポイントにも相当します。60年代前半の高度経済成長絶頂期,70年代初頭の成長終焉期,90年代初頭のバブル期,不況が本格化した世紀の変わり目,リーマンショックや震災が起きた2010年前後,こんな感じです。
大卒者の就職率の上下動は,景気動向と密接に関連していることが知られます。ちなみに私は,どん底近辺の99年の卒業生です。当時の就職戦線の厳しさは,肌身で知っています。学校卒業の時期は選べませんが,われわれは「ついてない世代」,人呼んで「ロスト・ジェネレーション」です。最近は人手不足もあって,バブル期以上の売り手市場だそうですが,そういう報道に接するたびに僻みのような感情も抱いていしまいます。
なお最近はそうでもないですが,昔はジェンダー差が大きかったのですね。高度経済成長期の只中の60年代前半をみると,男子は9割以上であるのに対し,女子は7割ほどです。企業がつっぱねていたのか,「卒業後は花嫁修業を」という女子学生が多かったのか…。そういえば,70年代の初頭あたりですか,どうせ家庭に入るのだから,多額の税金を費やして女子に高等教育を施すのは無益であるという,女子学生亡国論なんていう議論もありました。
しかし,70年代後半から80年代にかけて,女子の就職率がぐんぐん上昇します。国際的には79年に女子差別撤廃条約が国連で採択され,国内では86年に男女雇用機会均等法が施行されるなど,男女平等の機運が高まったのと期を同じくしています。
世紀の変わり目にはジェンダー差はほとんどなく,最近では女子のほうが高いくらいです。日経デュアル誌にも書きましたが,とくに理系女子(リケジョ)は強い。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=3276
あと数年すれば,大卒者の就職率は,高度経済成長期の60年代前半の水準に達するかもしれません。今度は,男女そろって。
今回は,大学卒業者の就職率の推移を明らかにしてみました。今度は,専攻別(文系/理系)の推移線を描いてみるのもいいですね。「学校基本調査」の原統計のバックナンバーを使って明らかにできる,教育変動の諸相。今後,随時発信していきたいと考えております。
2015年4月2日木曜日
若者の将来展望と自殺率の関連
新年度から物騒ですが,自殺のお話です。自殺の統計的研究は,私の研究テーマの一つであり,これまで地域比較,国際比較など,いろいろな分析を手掛けてきました。
今回の主眼は,時系列分析です。自殺率は社会の病理度を測る最高の指標といいますが,その時系列推移は,時代の相を色濃く反映したものになっています。ちなみに男性の自殺率カーブは失業率と酷似していて,60年間(1953~2013年)のデータで相関係数を出すと,+0.891にもなります。
単なる共変関係ですが,「失業(収入減を絶たれる)→自殺」という因果関係を推測する人がほとんどでしょう。一家を養うべしという役割期待を向けられている男性にあっては,なおのことです。
ところで,失業率と自殺率が強く関連しているのは中高年の男性であって,若年層はそうではありません。若者の場合,親に頼るなどの選択肢があるためでしょう。しからば,若者の自殺は何の要因の規定も被っていないかというと,さにあらず。若者の自殺率と推移線が似ている指標があります。それは,展望不良に苛まれている者の比率です。
内閣府の『国民生活に関する世論調査』では,「これから先,生活はどうなっていくと思うか」と尋ねています。選択肢は,よくなっていく,同じようなもの,悪くなっていく,分からない,の4つです。私は,「悪くなっていく」と答えた20代男性の比率がどう変わってきたのかを調べ,同じ属性の自殺率の推移と重ね合わせることを思いつきました。後者は人口10万人あたりの自殺者数で,厚労省「人口動態統計」に計算済みの数値が載っています。
下の表は,1970年代半ばからの推移をまとめたものです。上記の世論調査で将来展望について尋ねているのは1974年からのようですので,この年を始点にしています。およそ40年間の変化をみてとれます。
観察期間中の最高値には黄色,最低値には青色のマークをしましたが,20代男性の展望不良率が最も高かったのは1974年です。オイルショックが起き,高度経済成長の終焉がいわれた頃ですが,こういう時代状況ゆえのことでしょう。
その後,若者の展望不良率はジグザグしながらも減少し,バブル末期の91年には2.1%と最低になります。しかしそれ以降,平成不況の本格化により,展望不良率は増加に転じます。私が大学を出た99年に10%を超え,東日本大震災が起きた2011年には15.8%と2番目のピークに達しました。最近は,景気の回復もあってか,2年連続で減少しています。
自殺率もだいたい似たような変化で,青色の最低値が91年であるのは同じです。その後,不況の深刻化に伴い,率は増加し,2009~2012年の4年間は30を超える高原状態を経験しました。リーマンショック,内定切り,シューカツ失敗自殺という言葉が流布していたのは,記憶に新しいところです。
さて,この2指標の推移をグラフの上で重ねてみようと思いますが,実値は凹凸がやや激しいので,移動平均法で均した曲線を比べてみます。右欄の移動平均値とは,その年と前後の年の値を平均したものです。1975年の値は,74,75,76年の実値を平均値です。
こうすることで,凹凸の激しい実値の推移線が滑らかになります。下図は,この移動平均値のカーブです。
双方とも,90年代の初頭に谷がある「V字」型です。バブル期にかけて下がって,それ以降の不況期で上がると。展望不良(希望閉塞)が強くなると,自殺率が高まるという共変関係が観察されます。事実,相関係数も+0.8706と大変高くなっています。このような現象は,他の層にはみられない,若年男性固有のものであることも付け加えておきます。
上図に描かれているのはあくまで共変関係ですが,「展望不良→自殺」という因果連関は分からないことではありません。若者は先行きを展望して生きる存在ですが,それが開けていないことは,大きな苦悩の源泉になり得ます。今の貧しい状態がこれからずっと続くのか,という思い込みにもかられやすくなるでしょう。
今世紀以降,わが国の自殺率は低下してきています。中高年の自殺率が下がったためですが,上図にみるように,若年層の自殺率だけは上昇し続けています。自殺対策の重点層を,前者から後者にシフトする必要があるかと思います。
上記のような統計的事実があることを踏まえるなら,その基本的視点は,若者が希望を持てる社会を構築することとなります。若者を使いつぶすブラック企業の撲滅なども,広くとれば,この傘下に位置するでしょう。
昨日,多くの企業で入社式が行われたようですが,出席した若き新入社員は,さぞ希望にあふれていることと思います。しかし,そうではない若者もいます。不幸にして就職活動に失敗した者,既卒のフリーターなど。まさに希望格差です。自殺に傾きやすいのは,後者の層であることは言うまでもありません。この層が「やり直し」を図れるようにするのも重要なことです。
少子高齢化による人材不足もあり,採用活動にあたって,新卒だけでなく,第二新卒にも目を向けようという企業が増えているそうです。新卒だろうが,第二新卒だろうが,われわれのようなロスジェネだろうが,同じ人間。何も違うところはありません。新卒至上主義のようなバカげた慣行は,まずもって撤廃していただきたいものです。
今後の自殺対策を打ち出すに際しては,「希望」が重要なキーワードになるでしょう。自殺率の属性分析から導き出される知見です。