2011年8月31日水曜日

教員の死亡率

 教員の死亡率は,どれほどなのでしょうか。激務の仕事なので,人口全体の死亡率よりも高いのではないかと思われますが,数字を出してみるとどうなのでしょう。

 2010年度の文科省『学校教員統計調査』の中間報告によると,2009年度中に,死亡という理由で離職した小学校教員の数は219人だそうです。この年の5月1日時点の小学校の本務教員数は419,518人です。よって,2009年度間の小学校教員の死亡率は,1万人あたりにすると5.2人と算出されます。百分率にすると,0.05%ほどです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 ちなみに,2009年中の20~59歳人口の死亡率は,1万人あたり16.5人です(厚労省『人口動態統計』より計算)。先の予想に反して,小学校教員の死亡率は,同年齢層の人口全体のそれよりも低くなっています。他の学校種の死亡率も,そうなのでしょうか。幼稚園から大学までの各学校種について,教員の死亡率を出してみました。2009年度間の統計です。


 どの学校種の死亡率も,人口全体の死亡率(16.5)を下回っています。6月25日の記事で,教員の自殺率を出したのですが,自殺率も,人口全体の数字をかなり下回っていました。この記事をみて,「教職は本当に過酷なのか」という疑念を表明しておられる方がいます。それが当たっているかどうかはさておき,常識に挑戦するような,ユニークな見解が出てくるのは好ましいことです。
http://plaza.rakuten.co.jp/123manglove/diary/20110814/

 ところで,学校種間で死亡率を比較すると,上級の学校ほど高いことが知られます。前回は,精神疾患による離職率を出したのですが,そこでは,下の学校ほど値が高い傾向がみられました。しかし,死亡率は,それとは真逆の傾向になっています。

 様相を分かりやすくするため,精神疾患による離職率と,死亡による離職率(=死亡率)をグラフ化してみました。双方とも,2009年間の数字です。


 高等学校以降になると,精神疾患の罹患率よりも,死亡率のほうが高くなります。大学では,後者は前者の6倍以上です。学術研究のような知的活動には,多大なストレスが伴うといいます。「研究者は早死にする」という趣旨の文章を,何かの本で読んだ覚えがあります。大学の先生なんてラクでいいよね,などと揶揄されることが多いのですが,研究者には,研究者なりの気苦労もあるのです。

 教員の死亡率は,文科省の『学校教員統計』のバックナンバーをたどれば,過去からの時系列推移を明らかにすることが可能です。機会をみつけて,手がけてみようと思います。

2011年8月29日月曜日

精神疾患による教員の離職率

 7月の末に公表された,2010年度の文科省『学校教員統計調査』の中間報告では,前年度(2009年度)間に離職した教員の数が明らかにされています。理由別の数字が載っているのですが,そのカテゴリーの区分が以前よりも詳しくなっていて,精神疾患を理由とした離職者の数も知ることができます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 上記サイトの教員異動調査の中に,「離職の理由別・離職教員数」という表がアップされています。この表から,各学校種について,精神疾患を理由とした離職者数をハンティングしました。下表のbです。これを,2009年5月1日時点の本務教員数(a)で除して,精神疾患を理由とした,教員の離職率を計算しました。aは,2009年度の文科省『学校基本調査』から得ています。


 精神疾患の理由とした離職率は,幼稚園でダントツに高くなっています。1万人あたり20.7人,百分率にすると0.2%です。以後,階梯を上がるにつれて,離職率は減じていきます。

 以前,理由不詳の離職者数を分子に充てた離職率を出したのですが,そこでは,上級の学校ほど,率が高い傾向がみられました。ですが,精神疾患という理由の離職に限定すると,離職率は,下の学校ほど高いようです。

 幼い子どもを預かる幼稚園では,躾(しつけ)をしてほしい,もっと長時間預かってほしいなど,理不尽な要求を突きつける,モンスター・ペアレントの問題が,小・中学校にもまして大きいのかも知れません。核家族化,共働き化が進むなか,幼児をほったらかしにする親も増えていることでしょう。近年,教職の危機についてよく取り沙汰されますが,就学前の教育機関である幼稚園の困難に,もっと目を向ける必要もあるかと思います。

 幼稚園から高等学校までの各学校種について,精神疾患による離職率を属性別に出すと,以下のようです。


 性別では,男性よりも女性の率が高くなっています。精神疾患を患う確率は,どの学校段階においても,女性教員のほうが高いようです。学校の設置主体別にみると,公立校よりも私立校で離職率が高くなっています。小学校では,私立は公立の倍以上です。ブルジョア階層の子弟を受け入れる私立小学校では,保護者の要求もひときわ厳しい,ということでしょうか。

 低年齢の幼児や児童を預かる学校の教員ほど,精神疾患を患う確率が高い,ということが明らかになりました。少子化で,子どもの数はどんどん減ってきています。教員1人が受け持つ子どもの数(PT比)も,昔に比べれば格段に少なくなっています。しかし,少なくなった顧客を,腫れものに触れるかのごとく,丁重に最大限の神経を使って扱わなければならない,教員の気苦労をお察しします。

2011年8月27日土曜日

教免取得者の教職志望

 2009年度(2009年4月~2010年3月)の大学等卒業者で,小学校の教員免許状を取得したのは18,937人です。2010年度(2010年4月採用)の小学校教員採用試験の新卒受験者は,15,005人です。単純に考えると,2009年度の小学校教員免許取得者のうち,小学校の教壇に立つことを志して採用試験に挑んだ者の比率は79.2%となります。およそ8割です。

 裏返すと,残りの約2割の者は,免許を取得しつつも,教員を志望しないということで,試験を受験しなかったことになります。この中には,大学院で専修免許を取得してから試験に臨もうという者も含まれるでしょうが,大半が,いわゆる「ペーパー・ティーチャー」の予備軍であると考えてよいと思います。

 このような人種が増えることは,あまり歓迎できたものではありません。少なくとも,学校現場では,そのような見方が強いようです。教員免許の取得には,2~3週間の教育実習が必須ですが,実習生の指導をボランティアで引きうける(引き受けさせられる),現場の先生方が,上記の数字をみたら,どのように思うでしょうか。憤りを感じる方もおられることでしょう。

 7月17日の記事でも申しましたが,採用試験を受験することを,実習生受け入れの条件にしている学校が多いと聞きます。中には,念書を書かせる学校もあるそうです。教職を志望しない者の実習指導に,多大な労力を割かなければならない謂われはありません。現場の先生方のお気持ち,お察しします。*私が言えたことではないのですが…

 さて,小学校の免許取得者の採用試験受験率は,2009年度の卒業者では79.2%なのですが,この値は過去からどう推移してきたのでしょうか。私は,1984年度の卒業者から,この指標の推移を跡づけてみました。資料は,文部省(文部科学省)『教育委員会月報』(第一法規)のバックナンバーです。1996年度の卒業者のみ,数字が見つからなかったので,ペンディングにしています。


 上表によると,免許取得者は減ってきています。少子化による需要減少を見越して,教職課程の定員が削られていることによるものでしょう。併行して,試験の受験者も減じてきています。後者を前者で除した試験受験率は,1984年度卒業者では88.8%でしたが,それは1999年度の63.1%まで下降します。その後は上昇に転じ,2009年度の79.2%に至っています。

 今世紀以降,受験率が高まっているのは,教職課程への当局の指導が強まっているためでしょう。2006年7月の中教審答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」は,教育実習の改善・充実に関連して,「課程認定大学は,教員を志す者としてふさわしい学生を,責任を持って実習校に送り出すことが必要である」とし,「実習開始後に学生の教育実習に臨む姿勢や資質能力に問題が生じた場合には,課程認定大学は速やかに個別指導を行うことはもとより,実習の中止も含め,適切な対応に努めることが必要である」と指摘しています。こうした状況のなか,「ただ免許だけ…」という学生は,相当淘汰されていることと推察されます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910/008.htm

 上記の統計は,小学校の免許取得者のものですが,中学校や高校の免許取得者についてはどうでしょう。各学校種の免許取得者の試験受験率をグラフにしました。下図をご覧ください。


 中学校や高校では,免許取得者の採用試験受験率はかなり低くなっています。2009年度でいうと,中学校は36.1%,高校は13.7%です。逆にいうと,中学では73.9%,高校では86.3%の者が「ペーパー・ティ―チャー」予備軍です。

 中高では,専修免許を取ってから試験を受験する傾向が強いので,こういう結果になっている面もあると思いますが,この数字はいかがなものかという気もします。現場の先生方は,どのような感想をお持ちになるでしょうか。高校に実習生が5人来たとしたら,そのうちの4人は,腹の底では「試験は受験しまい」と考えているわけです。

 中高の教員免許は,現在,ほとんどの大学で取得することができます。2009年度の免許取得者は中学校が47,739人,高校が61,990人です。小学校に比して,かなり多いです。その分,安易な考えで教職課程を履修する学生も少なくない,ということなのでしょう。

 免許を取ったが試験は受験しなかった「ペーパー・ティーチャー」予備軍は,2009年度の場合,小・中・高すべて合わせて87,936人です。ここ数年,毎年,8~9万人ほどの「ペーパー・ティーチャー」予備軍が輩出されています。教育投資に見合った収益回収という点からすると,どういう判断が下されるでしょうか。

 現在,莫大な投資をして育成した博士号取得人材が無職のまま留置かれるという,無職博士問題が深刻になっています。ペーパー・ティーチャー問題という,社会問題が構築される日も来るかもしれません。

2011年8月25日木曜日

気候と肥満

 東京都内49市区の統計でみると,生活保護世帯率が高い地域ほど,肥満児出現率が高い傾向にあります(1月12日の記事を参照)。貧困家庭における食生活の乱れや,ジャンクフードへの依存というようなことが考えられます。

 このように,子どもの肥満は社会的要因と結びついているのですが,自然的・風土的要因とも関連していることを示唆する統計があります。

 文部科学省の『学校保健統計』から,子どもに占める肥満傾向児の比率を県別に知ることができます。ここでいう肥満傾向児とは,「身長別標準体重から肥満度を求め,肥満度が20%以上の者」だそうです。最新の2010年度調査によると,10歳児の場合,この意味での肥満児の比率は9.3%となっています。この比率を県別に出し,地図化すると,以下のようです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001029865&cycode=0


 最大値は北海道の14.7%,最小値は鳥取の6.1%です。両地域では,率に倍以上の差があります。このような差の大きさもさることながら,もっと注目されるのは,高率地域が,東北や北海道といった北国に偏在していることです。

 このことは,気候と肥満児出現率が関連していることを意味します。具体的にいうと,寒い地域ほど肥満児が多い,ということです。事実,上記の県別の肥満児出現率は,各県の平均気温と負の相関関係にあります。下図をご覧ください。相関係数は-0.432で,1%水準で有意です。


 このデータをどう解釈したものでしょう。講義の受講生に,秋田出身の学生がいたので尋ねたところ,ご飯がおいしいからじゃないですか,という返答でした。とくに秋田では,イカの塩辛など,辛いものが美味いのだそうで,その分,ご飯もススムのだとのこと。ユニークな見解です。

 しかし,寒冷な気候との相関を考えると,雪に閉ざされた冬場の運動不足という要因が大きいのではないでしょうか。先の学生によると,冬場では子どもは外で遊べないばかりか,登下校も,保護者の車で送迎してもらうのだそうです。

 気候と肥満の結びつきの度合いが,低学年の児童ほど大きいことを考えると,なるほどと思います。6~14歳の各年齢について,肥満児出現率を県別に出し,平均気温との相関をとってみると,低年齢ほど,相関係数の絶対値が高い傾向にあります。


 肥満児率の地域差が大きいのも,低年齢の児童です。6歳では,最高の青森と最低の京都では,実に4倍を超える開きがあります。そうした差を規定する要因として,気候のような自然要因が大きい,ということです。低年齢の児童は,家族の庇護に依存する度合いが高いことによるものでしょう。雪の日に,車で送迎してもらう頻度も,低年齢の児童のほうが高いことと思われます。

 子どもの肥満化の問題は,当局も認識しているところであり,それへの対策として,食育の充実というようなことがいわれています。しかし,お上の政策文書をみると,肥満の要因として決して小さくない,社会的要因(貧困)や自然的要因(気候)に触れられていないことが気がかりです。

 寒冷な気候という自然条件を克服するための手がかりは,2番目の相関図の中に含まれています。当該の図によると,山形と長野は,平均気温は同じくらいですが,肥満児率が大きく異なっています。この差は何に由来するのか。長野県の教育実践の中身が注目されるところです。

2011年8月23日火曜日

子どもの1日(日曜日)

 前回の続きです。今回は,日曜日の各時間帯において,子ども(10~14歳)がどういう行動をとっているかをみてみましょう。

 資料源は,2006年の総務省『社会生活基本調査』です。2006年の「10月14日から10月22日までの9日間」のうちの日曜日について,対象者がどういう行動をとったかを,15分刻みの細かい時間帯別に明らかにしています。


 前回の平日のものと,図の模様がかなり違うことにお気づきかと思います。当たり前ですが,起床時間が遅くなっているようです。朝の8:00になっても,3割ほどの子どもが眠っています。11:00の状況をみると,スポーツをしている子どもが約2割と最多になっています。部活動や,地域のスポーツクラブに通っている子どもたちでしょう。

 15:00になると,趣味や何らかの交際をして過ごす子が多いようです。今ぐらいの時間(20:00近辺)では,テレビ等を観ている者が4割をも占めています。いかにも,休日らしい過ごし方ですね。

 ただ,テレビ視聴については,国際学力調査のTIMSS2007の結果から,次のことがいわれています。わが国の子どもは,「宿題をする時間が短く,テレビやビデオを見る時間が長く,家の手伝いをする時間が短い」そうです。下記サイトの「TIMSS2007のポイント」というPDFファイルをご覧ください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/07032813.htm

 なるほど,休日の夜間における「テレビ視聴」の領分の大きさを考えると,さもありなんという感じです。手伝い(雑事)や学習をしている子は,そう多くはありません。

 しかるに,子どもは大人の鏡です。子どもに範を示すべき大人は,1日をどう過ごしているのでしょうか。回を改めて,大人についても同じ統計図をつくって,ご覧に入れようと思います。

2011年8月22日月曜日

子どもの1日(平日)

 現在,夜の8時(20時)過ぎですが,この時間では,子どもは何をしているのでしょうか。テレビを観る,のんびり風呂に入る,宿題をやる…さまざまでしょう。

 総務省の『社会生活基本調査』は,1日(24時間)を15分刻みの96の時間帯に分け,それぞれの時間帯において,対象者がどのような行動をとっているかを調べています。最新の2006年の調査結果から,子どもの1日の過ごし方をのぞかせていただきましょう。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001027246&cycode=0

 ここでいう子どもとは,10~14歳の小・中学生です。2006年の「10月14日から22日までの連続する9日間のうち,連続する2日間」の生活行動を調査したとあります。2日間とあるのは,曜日の種類を変えるためです。

 平日の「20:00~20:15」の時間帯の生活行動をみると,対象者の27.5%がテレビ等を視聴しているとのことです。次に多いのは「食事」で13.0%,その次は「休養・くつろぎ」で12.9%となっています。なるほど,今頃の時間帯では,子どもたちは,1日の疲れをいやすべく,のんびりしているようですね。

 では,96の時間帯をすべてつなぎ合わせて,子どもの1日の生活行動の流れを観察してみましょう。下図は,それぞれの時間帯のおいて,対象者がどのような行動をとっているかを図示したものです。


 当然ですが,深夜の時間帯では,ほとんどすべての子どもが眠っています。10:00では,学校での勉強(学業)が最多になります。夕方の17:00では,スポーツが2割弱を占めます。クラブや部活に励む子どもたちでしょう。夜の20:00では,先ほど述べたように,テレビや休養が多くなります。

 就寝時間ですが,「23:00~23:15」では,77.4%の子どもしか床に就いていません。眠っている子が9割を超えるのは,「23:45~0:00」の時間帯になってからです。本調査の対象が,10~14歳の子どもであることを考えると,就寝時間がやや遅いのではないかとも思います。

 では,23:00を過ぎてから,睡眠以外にどのような行動が多いかというと,趣味(娯楽)や休養といったものです。学習に勤しんでいる子もいます。忙しいのですねえ。

 次回は,日曜日の図をご覧に入れようと思います。

2011年8月21日日曜日

教員採用試験の合格者

 教員採用試験の一次試験の結果が,ぼちぼち発表されているようです。合格された方は,おめでとうございます。私の卒論ゼミ生で,再トライ組が数名いるのですが,彼らはどうなったことやら…

 しかるに,最近は人物重視の方針から,一次試験は多く通して,二次試験でバンバン落とすことが多いと聞きます。「勝って兜の緒を締めよ」という格言があります。最初の関門を通過された方は,気を引き締めて,次の関門(面接等)に臨んでいただきたいと思います。

 東京都の場合,この夏(2012年度採用)の試験への応募者は21,061人だったそうです。採用見込者は3,135人だそうですから,想定倍率は6.7倍となります。採用見込み者数が増加したため,昨年よりも倍率は下がったとのことですが,激戦であることに変わりはありません。青森のような,採用数が少ない県では,もっとそうでしょう。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/06/20l69300.htm

 こうした難関を突破し,晴れて教壇に立つことになるのは,どういう人なのでしょうか。5月29日の記事では,小学校教員採用試験の合格者の外的な属性を分析しました。今回は,他の学校種についても同じ分析をしようと思います。

 年次がやや古くなりますが,2010年度の小学校教員採用試験の最終合格者(採用者)は12,284人だったそうです。このうち,教員養成系大学出身者が4,501人と41.0%を占めています。このグループは,受験者では33.7%しか占めません。よって,このグループからは,通常期待されるよりも,1.22倍多く採用者が出ていることになります(41.0/33.7=1.22)。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300242.htm

 採用者中の比率を,受験者中の比率で除した値を,採用者輩出率と命名しましょう。小学校教員採用試験の採用者輩出率を,性別,学歴別,および新卒・既卒別に出すと,下の表のようになります。


 性別では,採用者輩出率は,男性よりも女性で高くなっています。学歴別では,教員養成系大学出身者が最も健闘しているようです。新卒か既卒では,新卒グループの有利さが目立っています。新卒者は受験者では29.4%しか占めませんが,採用者では38.4%を占有しています。民間企業と同様,教育委員会も,新卒者を好んで採るということでしょうか。まさかねえ…

 上記は,小学校の統計ですが,中学校,高等学校,および特別支援学校についても,同じ統計をつくってみましょう。時代変化の様相も把握するため,1980年度試験と2010度試験の数字を比較してみます。各グループの採用者輩出率は,この30年間でどう変わったのでしょうか。1980年度試験の統計は,文部省『教育委員会月報』(第一法規)の1980年8月号より得ました。


 注目していただきたい数字をゴチにしています。性別でみると,1980年度試験では,男性が優位でした。しかし,2010年度試験では,それがひっくり返っています。

 学歴別でみると,1980年度試験では,教員養成系大学出身者の優位性が明らかでした。このグループの採用者輩出率は,中学校では1.96,高等学校では2.07にも達していました。2010年度試験でも,このグループの相対的優位性が保たれていますが,以前ほどではありません。また,昔は,大学院修了者の採用者輩出率が高かったことも注目されます。当時はまだ院卒者が少なかった頃ですから,それだけ重宝された,ということでしょうか。

 最後に,新卒か既卒かでみると,小学校と特別支援学校(1980年度は特殊教育諸学校)では新卒優位,中学校と高等学校では既卒優位となっています。これは,試験の難易度を反映したものと思われます。倍率が高い中学校や高等学校の試験を一発で突破するのは,なかなか難しい,ということでしょう。

 この中でとくにコメントを添えたいのは,学歴別の動向についてです。最近では,昔に比べて,どのグループからも均質に採用者が輩出される傾向にあります。教員の出自が多様化するという意味において,好ましいことだと思います。わが国の教員養成は,開放性の原則に依拠していますが,その趣旨が生かされることにもなるでしょう。

 近年では,民間企業での実務経験者を教員として採用する向きもあると聞きます。こうした社会人が採用者に占めるシェアはどれほどか,また,それはどう変化してきたかも,機会をみつけて明らかにしてみようと思っています。

2011年8月19日金曜日

男性の離別者率

 7月22日の記事にて,配偶関係別の自殺率を出したところ,離別者の自殺率が際立って高いことを知りました。自殺予備軍といっては語弊がありますが,自殺に最も傾きやすい離別者は,人口のどれほどを占めているのでしょうか。

 近年,離婚率が高まっていることからして,離別者は,実数でみても比率でみても増えていることと思います。離別者とは,離婚という理由により,現在は配偶者を持たない者のことです。

 2010年の『国勢調査』の抽出速報結果によると,男性の15歳以上人口5,315万人のうち,離別者はおよそ189万人です。よって,離別者の比率は,189/5,315≒35.6‰となります。千人あたり35.6人という意味です。%にすると3.56%です。約分すると,28人に1人ということになります。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001032402&cycode=0

 この離別者率を,年齢層別に計算してみましょう。時代の変化を知るため,1950年と2010年の統計を比較してみます。下の表をご覧ください。


 まず,15歳以上人口全体の離別者率をみると,1950年では8.9‰でした。2010年の値(35.6‰)は,その4倍に相当します。離婚率の高まりを受けてのことでしょうが,人口中の離別者の比率はかなり上昇していることが分かります。

 年齢層別にみると,1950年では,離別者率が際立って高い層はみられませんが,2010年では,50代あたりの中高年層において,率が目立って高くなっています。40代後半から60代前半では,50‰(=5%)を超えています。自殺率が高い年齢帯と合致しています。

 はて,いつ頃から,中高年層に離別者が集中するようになったのでしょう。私は,1950年から2010年の期間について,5年おきに,上表の5歳刻みの離別者率を出しました。その結果を,上から俯瞰することのできる図をつくりました。例の社会地図です。このブログを長くご覧頂いている方はお分かりかと思います。


 今世紀以降,50代を中心とした中高年のゾーンに,50‰を超える黒い膿(うみ)が広がっています。1980年までは,どの年齢層でも離別者率は20‰未満でした。中高年層を中心に,離別者の比率が伸びてきたのは,80年代の半ばあたりからです。男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年ですが,女性の社会進出と関連があるのでしょうか。

 離別者の自殺率が高いことの原因としては,配偶者に去られることに加え,子どもにも去られるという,ダブルパンチの影響も大きいことでしょう。わが国では,単独親権制がとられていますので,夫婦のいずれかが子どもと強制的に引き離されることになります。

 このことは,子どもの発達上よろしくないということから,離婚後も両親が共に親権を持つことを認める共同親権制の導入が提言されているところです。子どもの権利条約第9条第3項も,「子どもの最善の利益に反しないかぎり,定期的に親双方との個人的な関係および直接の接触を保つ権利を尊重する」ことを求めています。

 このような措置は,子どもの権利保障という点のみならず,離別者の自殺防止という点においても,要請されるのかもしれません。

2011年8月16日火曜日

戦争体験世代の減少

 8月15日は何の日でしょうか。いうまもなく,終戦記念日ですよね。1945年の8月15日,わが国がポツダム宣言を受託したことにより,多くの犠牲者を出した第2次世界大戦が終結しました。今年(2011年)の8月15日は,66回目の終戦記念日に相当します。全国の各地で,戦没者追悼式が開催された模様です。
http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY201108150042.html

 ところで,冒頭の質問を,今の子どもたちに投げかけたら,正答率はどれくらいになるでしょうか。8月15日が終戦記念日だということを知らない子どもも,結構いるのではないでしょうか。今の小学生の保護者は,私と同世代くらいでしょうから,おおよそ1970年代生まれでしょう。その親世代は,団塊の世代をはじめとした,1940年代後半生まれの者が多いと思われます。

 戦争が終わったのは1945年(昭和20年)です。となると,今の小学生からすれば,親の代はもちろん,祖父母の代でも,戦争の怖さを肌身で知っている人間はそう多くないことになります。子どもが,悲惨な戦争体験を親近者の口から聞くことのできる機会は,時代とともに減ってきています。戦争体験の継承という点からすると,看過できることではありません。

 現在,戦争体験世代はどれほどいるのでしょうか。戦争体験世代の定義ですが,ひとまず,1940年以前の生まれの世代としましょう。これによると,最も下の1940年生まれ世代でも,終戦時には5歳になっているわけですから,物心はついていることになります。

 2010年では,この意味での戦争体験世代は70歳以上の方々です。同年の『国勢調査』の抽出速報結果によると,ぞの数は約2,112万人です。総人口の16.5%に該当します。2010年の時点でいうと,国民のおよそ6人に1人が戦争体験世代ということになります。

 戦争体験世代の比率の長期的な変化を観察してみましょう。下図は,1950年以降,4半世紀ごとの時点の数字をとったものです。戦争体験世代(1940年以前の生まれの世代)は,1950年では10歳以上,1975年では35歳以上,2000年では60歳以上,2025年では85歳以上,2050年では110歳以上の人々に相当します。


 1950年では,戦争体験世代が75%,つまり国民の4分の3を占めていました。終戦後5年しかたっていないのですから,当然といえば当然です。当時にあっては,どの家庭でも,親から子へと,戦争の恐ろしさ・悲惨さが生々しく語り継がれていたことでしょう。

 しかし,戦争体験世代の比重は,時の経過とともに減じていきます。私が生まれた頃の1975年では43%,世紀が変わった2000年では23%にまで減少します。この時点において,4人に1人以下です。

 今後どうなるかを,国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口でみると,2025年では人口の6.2%,2050年ではたったの0.1%になることが見込まれます。今から40年後には,戦争体験世代がわが国にはほとんど皆無になることが予想されます。

 このような状況であるだけに,学校における歴史教育の重要性が高まるといえます。また,戦争の悲惨さ・残酷さを告発した本を子どもたちに読ませる取組も必要かと思います。読書活動推進の重要性がいわれている時分でもありますので。

 ブログのプロフィール欄で述べていますが,私は,作家の西村滋さんの『お菓子放浪記』が大好きです。戦争孤児の物語ですが,戦争がいかに馬鹿げたことであるか,戦争がいかに子どもの心に癒えることのない傷を与えるか,ということが生き生きと叙述されています。戦争孤児が焼跡をたくましく生きるというような,美談モノではありません。

 この本は,正・続・完結の3部からなっています。1976年に刊行された正の本は,同年の全国青少年読書感想文コンクールの課題図書に選定されたのだそうです。それから35年ほど過ぎた現在の子どもたちにも,ぜひ読んでいただきたい書物です。

2011年8月13日土曜日

教育委員の保護者率

 都道府県や市町村といった地方公共団体には,教育委員会が置かれることになっています。教育委員会とは,「当該地方公共団体が処理する教育に関する事務」を管理し,執行する機関です(地方教育行政法第23条)。

 教育委員会は,教員採用に関すること,教科書の採択に関すること,教員の研修に関することなど,重要な事項を司る職務上の権限を有しています(同上)。現在,教員採用試験の一次試験の結果を固唾を飲んで待っている人も多いかと思いますが,教員採用試験の実施主体は,まぎれもなく教育委員会です。

 教育委員会を構成する教育委員の数は,5人が原則ですが,都道府県や市の教育委員会は6人以上,町村の委員会は3人以上でもよいとされています(同法第3条)。はて,重要な権限を付与されている教育委員会を動かす教育委員というのは,どういう人たちなのでしょう。

 教育委員会の委員は,「当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で,人格が高潔で,教育,学術及び文化に関し識見を有するもののうちから,地方公共団体の長が,議会の同意を得て,任命する」ことになっています(第4条第1項)。戦後初期の教育委員会法のもとでは,教育委員は住民の直接選挙で選ばれることになっていましたが,1956年の地方教育行政法制定に伴い,首長の任命で選ばれる方式に変わりました。簡単にいうと,公選制から任命制になったわけです。

 こうなると,首長の好みによって,教育委員の構成に偏りが出てくる恐れがあります。そこで,委員の任命に際しては,「委員の年齢,性別,職業等に著しい偏りが生じないように配慮するとともに,委員のうちに保護者である者が含まれるようにしなければならない」と法定されています(第4項)。2007年の地方教育行政法改正により,保護者の選任義務が明確に規定されたことがポイントです。児童生徒の保護者の意見を教育行政に色濃く反映させることを狙っています。

 文科省『教育行政調査』によると,2009年5月1日時点において,全国の市町村教育委員会の委員は7,495人いるそうです。このうち,保護者は2,066人とのこと。よって,末端の市町村委員会委員に占める保護者の比率は27.6%となります。2001年の12.1%よりもかなり増えています。上記の法改正の影響も大きいことでしょう。
 http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001028814&cycode=0
 
 私は,この値を県別に出してみました。下の表をご覧ください。2001年と2009年5月1日のものです。最大値には黄色,最小値には青色のマークをしてあります。


 2009年でみると,最も高いのは佐賀の34.2%,最も低いのは山梨の20.8%です。教育委員に占める保護者率には,13ポイントほどのレインヂ(極差)があります。47都道府県の標準偏差を出すと,2001年が3.87,2009年が3.07です。委員の保護者率の地域差は,縮まってきています。各県とも,保護者を選任することに懸命になったことの表れでしょう。神奈川では,7.3%から33.1%と,保護者率が4.5倍にも増えています。


 2009年の保護者率を地図化すると,上記の図のようになります。教育委員の保護者率は,東北の諸県で比較的高いようです。子どもの学力上位,博士号取得教員の積極採用など,いろいろと注目を集めている秋田ですが,このような偉業は,教育行政に保護者の意向が反映されていることの所産でしょうか。

 保護者率が最も低い山梨ですが,7月28日の記事でみたように,この県の小・中学校教員の離職率は全国で最も高い水準にあります。教員の離職率の高さと,教育委員の構成との間に,何か関連でもあるのでしょうか。

 こうみると,教育委員の構成というのは,各県の教育の有様と,無関係ではないようです。文科省の『教育行政調査』からは,各県の委員の年齢構成や職業構成,さらには在職期間の構成をも知ることができます。これらを説明変数,教員の離職率を被説明変数に据えた分析をしてみるのも一興かと思います。

 みなさま,よいお盆休みをお過ごしください。

2011年8月11日木曜日

大学生の留年(続)

 1月8日の記事において,大学生のうち,最低修業年限を超過して在学している者(留年生)の比率を計算しました。2010年の数字でいうと4%,つまり25人に1人ほどでした。今回は,この留年生出現率が過去からどう推移してきたか,またどの学部で率が高いかを明らかにしようと思います。

 最近,卒業年度中に就職が決まらなかった学生が,翌年度も「新卒枠」で就職活動を行うべく,自発的に留年をするケースが増えていると聞きます。そのような学生には,留年期間中の学費を軽減するなどを措置をとる大学も出てきています。

 それだけ,現在の学生さんの就職が厳しい,ということでしょう。仮説的には,大学生に占める留年生の比率は上昇してきているように思いますが,実情はどうなのでしょう。

 8月4日に,2011年度の文科省『学校基本調査』の速報結果が公表されました。それによると,同年5月1日時点の大学生2,893,434人のうち,最低修業年限を超過して在学している,いわゆる留年生は111,768人だそうです。よって,この年の大学生の留年生出現率は38.6‰となります。大学生のおおよそ26人に1人が留年生です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528

 私は,1975年(昭和50年)から,この指標の値がどう推移してきたかを調べました。下図をご覧ください。1年超過者と2年以上超過者の組成が分かるようにしてあります。なお,今回は,在学期間が5年ないしは6年の大学も計算に入れていますので,1月8日の記事とは,数字が若干異なることに留意ください。


 図によると,この期間中,大学生の留年率が最も高かったのは,1978年の51.9‰です。この年では,留年生の比率が5%を超えていたわけです。大学生の留年率は大局的には減少の傾向にあります。ですが,2009年以降は増加に転じています。08年のリーマンショックによる不況の影響のためと思われます。

 大学生の留年率は,昔のほうが高かったのですねスチューデント・アパシーというやつでしょうか。1970年代半ばといえば,大学が多すぎるということで,都市部において,大学進学抑制政策が敷かれた頃です。また,実用的な教育を行う専門学校が創設された頃でもあります。勉強しない大学生,無気力な大学生という問題を,当局が認識してのことだったのでしょうか。

 ところで,大学といっても,いろいろな学部(Faculty)があります。どの学部の学生で留年生が多いのかも気になるところです。2011年の速報統計からは,学部別の留年率を出すことはできませんので,2010年の統計を使って,主な学部の留年率を出してみましょう。私は,学生数が1万人を超える主な学部について,留年率を計算しました。


 50‰(=5%)を超える学部は,ゴチにしています。ゴチになっているのは,外国語学部,法学部,政治経済学部,経済学部,商学部,経営情報学部,理学部,工学部,理工学部,です。外国語学部の留年率が高いのは,留学による最低修業年限超過が多いものと推察されます。

 ほか,留年率が高いのは,法学部や経済学などの社会科学系学部,および理学部や工学部などの理系学部です。私は,昨年度まで,武蔵野大学政治経済学部の卒論ゼミを持っていましたが,政経学部の留年率は高いのだなあ。冒頭で述べたような,就職未決定による留年も多いことと思います。

 1月8日の記事でも申しましたが,大学生の留年率は,道草を許さない,日本社会の世知辛さを可視的に表現する指標とも読めます。新卒至上主義であり,大学卒業後の経歴に,ほんの少しのブランクが出ることも許さない。このような奇妙な慣行のために,留年を強いられ,時間とお金を浪費せざるを得ない若者が多く出ることは,何とも悲しいことです。

 「卒業後3年までは新卒扱いにせよ」という要望が,文科省から経団連に出されたようですが,効をあげているのかしらん。

2011年8月9日火曜日

失業者の犯罪

 6月28日の記事において,失業者の犯罪率は,一般人よりも高いことを知りました。当然といえば当然ですが,失業者の犯罪率は,過去からどう推移してきたのでしょうか。

 現在,孤族化の進行により,頼れる親族を持たない,一人ぼっちの人間が増えているといわれます。昔は,失業しても,親族間の相互扶助のネットワークにより,何とか急場をしのげたのでしょうが,今日では,そのようなことを望み得ない人も少なくないことでしょう。それだけに,「失業=即生活崩壊」という図式が強まり,失業者の犯罪率も上がってきているものと思われます。

 2009年の警察庁『犯罪統計書』によると,この年の刑法犯検挙人員のうち,犯行時の職業が「失業者」というカテゴリーの者は9,352人です。この年の完全失業者の数は約336万人です(総務省『労働力調査」)。よって,2009年の失業者の犯罪者出現率は,およそ2.8‰となります。千人あたり2.8人という意味です。6月28日の記事でみたように,この犯罪率は,人口全体のそれよりも若干高い水準にあります。

 失業者の犯罪率は,1973年から算出可能です。この年からの推移をとってみました。図には,失業者の量的規模を表す完全失業率のカーブも添えています。完全失業率とは,完全失業者数を労働力人口で除した値です。


 失業率は1990年代以降,上がってきています。その後減少しますが,2008年のリーマンショックの影響で,最近再上昇しています。では,失業者の犯罪率はというと,予想に反して,大局的には減少の傾向です。2009年の値(2.8‰)は,1973年の値(7.2‰)の半分以下です。

 これをどう解釈したものでしょうか。相対的剥奪感(relative deprivation)という概念があります。「自らが虐げられている(剥奪されている)」と人が感じる度合いは,周囲の状況に依存するというものです。たとえば,クーラーが家にない人が抱く「剥奪感」は,昔はそれほど大きくなかったことでしょう。クーラーがないという状況が当たり前だったのですから。しかし今日では,クーラーがないことは,生活保護世帯以下の生活水準であることを意味します。

 この伝でいうと,上記のデータも読めないことはありません。1973年では,失業者の実数は68万人で,働く意欲のある労働力人口に占める比率はわずか1.3%でした。言葉が悪いですが,現在と比べれば「選りすぐり」の人たちでした。周囲のほとんどの人間が就労している状況下では,職にありつけない人間が抱くところの「剥奪感」は相当大きかったのではないでしょうか。

 ところが,2009年現在では,失業者の数は336万人にまで膨れ上がり,労働力人口に占める比率も5.1%まで上がっています。またまた言葉がよくないですが,「同士」が増えたわけです。よって,個々の失業者が抱く「剥奪感」は,1973年当時に比べれば減じてきていると思われます。失業者の犯罪率の減少傾向は,このような見方から解釈できないこともありません。

 ですが,失業者の状況がやはり悪化してきていることを示唆する統計があります。浮浪者の犯罪者数の増加です。完全失業率のカーブと,気持ち悪いくらい似通っています(下図)。浮浪者については,ベースの規模が分からないので,犯罪率を出すことができません。よって,刑法犯検挙人員の実数の推移をとっています。


 冒頭で述べたような「孤族化」の進行により,失業者は即,住居のような生活基盤を喪失し,浮浪者に転落する,ということでしょうか。住み込みの派遣労働者は,契約期間終了と同時に,寮からの退去を求められるといいますが,頼れる親族がいない場合,行くアテはありません。結果,直ちに路上生活となり,生活困窮から窃盗などの犯罪に手を染める,という成り行きも多いことと思います。

 こうみると,失業者の犯罪率の減少は,浮浪者の犯罪者の増加によって代替されているのかもしれません。

 失業率と浮浪者の犯罪者数のパラレルな傾向は,「失業=即生活崩壊(ホームレス化)」という図式が強まっていると読むこともできます。孤族化の進んだ現代日本社会の病理が,ここに表現されています。

2011年8月7日日曜日

教員の犯罪

 わいせつ目的で,小学校6年生の女子児童を車で連れ去った,川崎市の小学校教諭が逮捕されたそうです。昨年の同じ頃,小・中学生の少女5人を強姦した罪で,稲城市の小学校教諭が逮捕されたことも記憶に新しいところです。
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY201108040932.html

 新聞報道に接する限り,こうした犯罪行為をしでかす教員が増えているような感覚を持ちます。とくに,女児に乱暴やわいせつ行為をはたらく,性犯罪(sexual crime)が多いような印象を受けます。数字でみるとどうなのでしょう。

 警察庁が毎年発刊している『犯罪統計書』には,刑法犯による検挙人員が,犯行時の職業別に記載されています。その中に,「教員」というカテゴリーがあります。小学校や中学校のような,学校教育法第1条が定める正規の学校のほか,専修学校や各種学校の教員なども含んでいるのでしょうが,母集団の構成からして,多くが,小・中・高等学校の教員とみて間違いないでしょう。

 最新の2009年の統計をみると,刑法犯で検挙された教員の数は585人です。そのうち,性犯罪(強姦,わいせつ)による者は45人となっています。この数字は,どう推移してきたのでしょう。「教員」というカテゴリーの検挙人員が分かるのは1996年からですので,この年からの推移をとってみます。


 上表によると,警察の御用となった教員の数は増えてきています。1996年では365人でしたが,2002年に500人を超え,2004年には601人とピークを迎えます。2009年の数字は,それよりも少し減って585人です。1996年の数を100とした指数をみると,この期間中,検挙人員の総数は1.6倍になったようです。性犯罪者の増加率はもっと高く,2.1倍です。

 教員の犯罪が増えていることが確認されましたが,犯罪といっても,いろいろな罪種があります。最新の2009年の検挙人員について,包括罪種の内訳をみてみましょう。教員の特徴を浮かび上がらせるため,成人(20歳以上)の検挙人員全体のものと対比してみます。


 上図によると,成人全体では窃盗犯が最も多いのですが,教員では,粗暴犯による者が32.6%と最多を占めています。粗暴犯とは,暴行,傷害,脅迫,および恐喝の総称です。教員の場合,一般人に比して,こうした暴力犯罪の比重が高くなっています。また,風俗犯の比率が比較的大きいことも注目されます。わいせつは,風俗犯に含まれます。

 数の上ではごくわずかですが,子どもを教え,導く存在である教員の犯罪が増えていることは忌々しき事態です。教員採用試験の教職教養において,公務員が遵守すべき服務について問われる頻度が高いというのも,さもありなん,という感じです。この夏に実施された,東京都の試験の教職教養では,服務の問題が出題されています。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/24senko/answer.htm

 研修などを強化し,服務をしっかりと教え込むことは,犯罪への誘発要因(プル要因)への免疫をつけることにはなるでしょう。しかし,それだけでは不十分であり,犯罪行為へと主体を突き動かすような,プッシュ要因への対処も必要になります。ここでいうプッシュ要因とは,不安定な生活態度が形成されることです。過重な勤務によるストレス増などは,この典型に位置します。

 昨年の夏,小・中学生の女児に対する性犯罪で逮捕された,稲城市の小学校教諭は,動機として「高学年の担当でストレスがたまった」と供述しています。不安定な生活態度(プッシュ要因)が,純粋無垢な女児と接する機会が多いという,プル要因に結びついたが故の犯行といえないでしょうか。

 教員の勤務条件の改善ということも,犯罪抑止策の一翼を担うものと思います。

2011年8月5日金曜日

文化的再生産

 小学校の教員採用試験の要点整理集を執筆しています。小学校の試験では,9教科の内容のほかに,学習指導要領についても出題されます。学習指導要領とは,各学校が教育課程を編成する際に依拠すべき国家基準のことです。各教科の目標や内容のほか,指導にあたっての配慮事項なども,事細かに記載されています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/zu.htm

 現在,図画工作の章を書いています。図画工作の内容は,大きく,「表現」と「鑑賞」に分かれるのですが,後者の指導内容として,高学年では,「我が国や諸外国の親しみのある美術作品,暮らしの中の作品などを鑑賞して,よさや美しさを感じ取ること」というものが挙げられています。芸術作品の「よさや美しさを感じ取ること」など,教師から綿密な手ほどきを受けたとしても,育ちの悪い私には,なかなかできそうにはありません。

 この種の鑑賞能力は,学校での授業によって一朝一夕に身につくものではなく,子どもがどういう家庭環境で育ってきたかに大きく規定されます。たとえば,保護者が芸術好きで,美術館に連れて行ってもらう頻度が高い子どもほど,芸術作品の鑑賞能力の素地は備わっていると思われます。

 となると,保護者の芸術嗜好がものをいうわけですが,それは,最終学歴の程度によって大きく異なるのです。総務省『平成18年・社会生活基本調査』の統計から,2005年10月から2006年10月までの間に,美術鑑賞(テレビ,DVDなどは除く)を一度でもした者の比率を,最終学歴別に出すことができます。小学生の親世代にあたる30代の男女について,数字をお見せしましょう。出所は,下記サイトの表65-1です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001008009&cycode=0


 最終学歴で最も多いのは,男女とも高卒です。高卒の男性でいうと,ベースの人口401万人のうち,最近1年間において一度でも美術鑑賞をした者は29万人だそうです。よって,美術鑑賞行動実施率は7.3%となります。この数字は,学歴を上がるほど高くなり,大学・大学院卒業者では,22.3%にもなります。

 女性では,こうした学歴差がもっと顕著です。大卒では,鑑賞率が39.2%にも達します。高卒のおよそ3倍です。女性(母親)のほうが,子どもと接する頻度は高いでしょうから,親世代の芸術嗜好の学歴差は,子どもに大きく反映される可能性があります。保護者が高学歴の子どもほど,学校の図画の授業で高い成績を修める,というように。

 ここで述べていることは,ピエール・ブルデューが提起した「文化的再生産」の理論に通じます。上流階層の子弟ほど,文化的な家庭環境が整っており,学校で教えられる抽象的な教授内容にも親しみやすい。結果,彼らは学校で高い成績を修め,引いては,親と同様,高い地位を手に入れる。つまり,文化資本という「見えざる」資本によって,親から子へと高い地位が再生産されていることになります。ブルデューは,このような過程を「文化的再生産」と呼んだのです。

 一見,公平な競争の場に見える学校において,文化を介した「見えざる」不平等が進行していることを暴いたブルデューの功績は大きい,というべきでしょう。上記のデータをみる限り,わが国の学校でも,文化的再生産の過程が潜んでいるのではないか,という懸念が持たれます。

 2008年,2009年に改訂された新学習指導要領のキーワードは「生きる力」です。「基礎・基本を確実に身に付け,いかに社会が変化しようと,自ら課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力」と定義されています(1996年7月,中教審答申)。

 とても曖昧です。曖昧なだけに,教師の評価も,多分に主観的なものにならざるを得ないのではないでしょうか。子どもの品性や立ち振る舞いなど,社会階層の影響を多分に受ける要素が,評価の因子として入り込んでくる恐れがあります。

 「生きる力」を身につけるのは誰か。教育を蝕む「見えざる」メカニズムの解明を使命とする,教育社会学の重要課題であるといえましょう。

2011年8月3日水曜日

地域密着人口

 広井良典教授の『創造的福祉社会』(ちくま新書,2011年)を読んでいます。副題のごとく,成長が終わった後の社会のすがたについて構想をめぐらした書物です。内容は多岐にわたるのですが,帯には,「グローバル化の先のローカル化へ!」と記されています。

 「グローバル化」とは,簡単にいえば,人々の生活圏が拡大することです。かつての人間は,生まれてから死ぬまで,一つの(狭い)地域社会の中で暮らしていました。日常生活における生産や消費も,そこにて完結していたわけです。

 しかし,現在はそうではなくなっています。たいていの人は,生涯の間に複数回,地域移動(引っ越し)をしますし,日常生活でも,自宅から職場などへと,複数の地域を渡り歩いています。生活物資にしたって,インターネットなどのツールを使って,遠く離れた場所から取り寄せることも少なくありません。今時,自宅から歩いて行ける範囲において生活が完結するような人は,滅多にいないでしょう。

 一方の「ローカル化」とは,各人が住んでいる地域の重要性が増していくことです。自宅から歩いて行ける範囲よりも少し広いくらいの地域を想定すればよいでしょうか。生産や消費などの面からなる生活が,小さな地域の中で完結する度合いが高まることになります。自宅から近い場所で働く,買い物は近くの商店街で済ますなど…。

 広井教授によると,今後は,グローバル化よりもローカル化の傾向が強まっていくであろう,とのことです。はて,歴史の時計の針が逆戻りするような事態が,本当に起きるのでしょうか。広井教授の予測は,ある統計指標の動向を踏まえています。その指標とは,地域密着人口の比率です。

 地域密着人口とは,年少人口(15歳未満)と老年人口(65歳以上)が,全人口に占める比率のことです。年少人口と老年人口は,生産人口に比して,自分が暮らす地域への密着の度合いが高いと解釈されます。こうした地域密着人口の比重が高まることは,ローカル化が進展することの基盤条件であるといえましょう(上記文献,87頁)。


 上図は,わが国の人口の長期的な変化を図示したものです。現在はちょうど人口がピークの時であり,これから先,人口減少の局面に入っていくことになります。しかし,その組成をみると,緑色の老年人口の比重の増加が明らかです。2050年では,全人口のおよそ4割が,65歳以上の老年人口で占められることになります。

 老年人口は地域密着人口に含まれますから,地域密着人口の比重も高まっていくことになります。地域密着人口(年少+老年)の比率をピンポイントで出してみると,1920年が41.7%,1950年が40.3%,1980年が32.6%,2010年が36.1%,2050年が48.2%,です。昔は子どもが多かったので,地域密着人口率は高かったようです。これから先は,高齢者が増えることで,この指標の数字が高まっていくことが見込まれます。


 地域密着人口の比率をグラフ化してみましょう。この指標は,1950年までは40%を超えていましたが,その後急減の時期に入り,1970年には31%まで低下します。この時期は,高度経済成長期と一致します。「成長」の時期です。

 しかし,1990年代以降,地域密着人口率は増加の局面に入り,2020年には再び4割を超えることが見込まれます。2070年には50%を超え,人口の半分が地域密着人口という社会になることが予想されます。ローカル化が進行するための人口学的条件は,確実に熟していくというべきでしょう。

 私が感動した,映画「コクリコ坂から」は1963年の物語ですが,この映画で描かれていたような,活気ある地域社会が,全国の至る所でカムバックするのでしょうか。そうだとしたら,嬉しい気がします。これから先のローカル化は,もっぱら高齢者によって担われることに注意しなければなりませんが。

 いずれによせ,「成長の後」の社会は,ローカル化が進んだ社会になることは,かなりの確率で予言できると思います。

2011年8月1日月曜日

「コクリコ坂から」を観て

 スタジオジブリの最新作「コクリコ坂から」を近場の映画館で観てきました。物語のあらすじは申しませんが,1963年(昭和38年)という時代を思わせる,「生活臭」ただようお話でした。
http://kokurikozaka.jp/

 マッチで火をつけて,お釜でご飯を炊く,活気ある商店街…。物語の主人公は,松崎海という高校2年生の少女ですが,年齢にすると17歳でしょうから,戦争が終わって間もない1946年(昭和21年)生まれと推定されます。私の母親よりも少し下の世代です。現在は,64~65歳くらいになられていると思います。

 バスの中で,この世代と思しき高齢者を見かける機会が多いのですが,この方々は,10代後半の多感な思春期を,あのような時代で過ごされたのですね。高齢者をジジイ呼ばわりして,厄介者扱いするのは簡単ですが,彼らが生きてきた時代というのに思いを寄せるならば,そのようなことは,なかなかできなくなります。「高齢者に罵声を浴びせる若者は,彼らが生きてきた時代を想像することができない」という趣旨のセンテンスを,何かの本で読んだ覚えがあります。

 私は頭が単純ですので,すっかり,「昔はよかった」というノスタルジーにかられてしまっています。映画では,当時の「明」の部分のみが強調されているにもかかわらず。まあ,こういう「おめでたさ」は脇に置くとして,当時と現在とでは,何が違っているのかしらん。それは無数にあるでしょうけれども,一つだけ統計をお見せしましょう。総務省『労働力調査』の長期統計から作成したものです。下記サイトの表4の(1)から数字をハントしました。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm


 物語の年の少し前の1960年では,就業者のうち,46.6%が自営業ないしは家族従業でした。しかし,2010年現在では,その比率はわずか12.3%です。残りの87.7%は,組織に雇われて働く雇用者となっています。

 自営業や家族従業の場合,住む場所と働く場所が一致していること(職住一致)がほとんどでしょう。単純に考えると,1960年では,働く人間の半分ほどが,生活の場と同じ場で仕事をしていたわけです。物語で描かれているような,地域社会の活気ぶりは,このような基盤条件によるところが大きいと思います。ちなみに,松崎海は,丘の上にあるコクリコ荘という下宿屋を切り盛りしている少女です。まぎれもなく,職住一致です。

 うって変わって,現在では,就業者のおよそ9割が雇用者です。彼らの多くは,自宅から遠く離れたオフィスに通勤しています。地域社会は,自宅から職場への単なる通り道でしかない,という人も結構いるのではないでしょうか。物心ついた頃から,こういう状況に慣れ親しんでいる私だからこそ,「コクリコ坂から」を観て,感動を覚えるのかもしれません。

 しかし,こういう過去の記憶を,高校生の恋愛物語という映画に仕上げて世に問う仕事には,敬意を払います。私も,こういう,人に感動を与えるような仕事をしたいなあ。

 主人公が通う高校で,カルチェラタンという,文化系の部室の建物を取り壊すかどうかという,論戦がはられたシーンがありました。松崎海が恋をする風間俊という少年は,椅子の上に立ち上がり,こう呼びかけます。「古くなったから壊すというなら,君たちの頭こそ打ち砕け!…(中略)…新しいものばかりに飛びついて,歴史を顧みない君たちに未来などあるか!」。

 まったくもって賛意を表します。私は,教育社会学徒の端くれですが,教育社会学の源流は,デュルケムの『フランス教育思想史』のような歴史研究に見出されます。教育現実というのは,アンケートのような方法だけで把握され得るものではありません。生きた人々の行為は,過去の記録の中にぎっしり詰まっています。こちらのほうが,客観性の高いデータであるといえましょう。私も,自分の関心に即して,過去の記憶を掘り起こす仕事をせねばならぬと感じているところです。

 「コクリコ坂から」は,DVD化されるまでしばらくかかるでしょうから,映画館通いしなければ…そうだな,1週間に1度くらい…。多すぎですか?