2022年4月26日火曜日

内面を生きる時期こそ読書を

  教員採用試験の勉強中の方はご存知かと思いますが,4月23日は,子ども読書の日でした。この日から5月12日までは,子ども読書週間で,子どもの読書を促す取組が各地で実施されます。

 ちょうど連休で時間もとれますので,書店や図書館に足を運び,本を手にとってほしいと思います。

 今の子どもは,どれくらい本を読んでいるか。調査データは無数にありますが,最近の信頼できる公的機関の調査データを見てみましょう。国立青少年教育振興機構が2019年に実施した,『青少年の体験活動等に関する意識調査』です。こちらのページで報告書と単純集計表を閲覧でき,必要とあらば,個票データも申請できます。

 調査対象は小4~6年の児童と,中2と高2の生徒です。1か月に読む本の冊数を尋ねた結果を,学年別にグラフにすると以下のようになります。選択された回答の分布です。漫画や雑誌は含みません。


 小学校4年生では回答が割れていますが,学年を上がるにつれ,「ほとんど読まない」の比重が増してきます。パーセンテージをみると,小4では18.5%でしたが,中2では29.5%となり,高2では58.8%まで跳ね上がります。中学生の3割,高校生の6割近くが本を読まないと。

 言わずもがな,これは受験のためでしょう。

 しかし残念な気もします。自我が芽生え,人生とは何か,自分はどう生きるかに思いをはせる,すなわち「内面」を生きる時期こそ,書物に多く触れることが望ましい。大よそ中高生の頃ですが,日本の現実をみると,本を読まない時期になってしまっています。ウチにこもりたいが,現実はそれを許さず,こうした葛藤が非行等の問題行動につながることもあるでしょう。

 ここで,1995年のジブリ「耳をすませば」が思い出されます。私が大学に入った年に公開された,中3生徒の恋物語です。池袋の映画館まで,1人で観に行った覚えがあります。館内はカップルが多く,居づらい思いをしましたがね…。

 主人公の月島雫は,天沢聖司に魅かれます。天沢少年は,高校には行かず,バイオリン職人になるための修行をすると決め,夢に向かって着々と進んでいく。それに触発され,雫は物語を書こうと決めます。受験勉強はそっちのけ,成績は急降下し家族に心配されますが,粗削りながら一つの作品を仕上げるに至ります。

 その結果,自分の不勉強を自覚し,「これではだめだ,高校に行ってもっと勉強せねば」と,勉学への内発的な動機付けが得られることになりました。無謀な試しですが,15歳の少女にとって非常に意義あるものだったのです。

 多感な思春期にいろいろな本に触れ,志あるならば「試し」をやってみる時間があればいいのにな,と思うのは私だけではありますまい。しかし日本では受験がありますので,なかなかそうはいかない。中高生が手にとる書物は,教科書か受験参考書だけ。

 ちなみに学力による高校受験というのは,どの国にもある普遍的なものではありません。OECDの国際学力調査「PISA 2018」では,15歳生徒が在籍する高校の校長に,入学者の決定に際して,学力を考慮するかと尋ねています。日本を含む主要国の回答分布は以下のごとし。


 日本の回答は予想通りです。「常に考慮する」,つまり入試で学力考査を実施する高校が大半ということです。

 しかし他国はそうではなく,アメリカは55%,イギリスは77%の高校が「全く考慮しない」と答えています。入試で学力テストを実施しない高校の率と読み替えていいでしょう。居住地域や,自校の教育方針に当該の生徒や親が賛同するかどうかなどで,入学者を選ぶわけです。

 高校受験の圧力は,国によって違います。日本の状況を普遍的なこと,致し方ないことと割り切る必然性はどこにもありません。思春期の生徒が奔放な「試し」ができるよう,できることはあるのではないか。入試の廃止は現実的でないですが,学力一辺倒のやり方は変えることができるように思います。

 そうですねえ。月島少女が背伸びして書き上げた物語を評価する,というのはどうでしょう。すなわち,「試し」の成果を評価要素に入れるのです。そうすることで,思春期の感性を存分に生かした「試し」が促され,結果として,勉学への内発的な動機づけが得られるきっかけを供することになるかもしれません。

 月島少女の頃(90年代半ば)と違って,今は「試し」の成果を発信するツールもたくさんあるわけでしてね。ブログ,SNS,ユーチューブとか。フィードバックを得るのも容易です。

 昭和型の受験勉強を強いることを,(惰性で)いつまでも続けていていいものか。型にはまった労働力を大量生産するにはいいやり方ですが,個性や創造力を育むことには不向きです。昭和と時代背景が異なる令和では,入試のやり方を考え直す余地はあるでしょう。

 読書の話から逸れてきましたが,中高生が書物を手に取れる「ゆとり」が得られるようにすべきです。朝の10分間読書でよし,としてはならないのです。

2022年3月28日月曜日

医学部入学チャンスの性差の変化

 毎年公表されるジェンダーギャップ指数で無様な位置にある日本ですが,とくに酷いのは政治分野です。2021年のデータだと,156か国中147位。国会議員の女性比率が低いことを思うとさもありなんです。今年は参院選ですが,こうした歪みが正されることを切に願います。

 女性比率が低いのは政治家だけではありません。高度専門職も然り。たとえば医師の女性比率をみると,2019年の日本の数値は21.8%です(OECD「Health at a Glance 2021」)。

 われわれ日本人の感覚からすれば「そんなもんだろう」かもしれません。しかし国際的にみると全然普遍的ではなく,先進国の数値を拾うとアメリカは37.0%,イギリスは48.6%,スウェーデンは49.6%と,男女ほぼ半々です。OECD加盟の37か国について,医師の性別構成を比較すると以下のようになります。女性比率が高い順に並べています。


 37か国中14か国において,医師の女性比率が50%を超えています。女性医師のほうが多い,ということです。「医師といえば,まあ男性」。われわれ日本人が抱いている,こんなイメージが覆されますね。

 日本はといえば,見事に最下位です。自分たちが日ごろ目にしている光景は普遍的でも何でもない,むしろ特異である。このことを胸に刻みましょう。

 この惨状がなぜかについては,女子が医師などを志すを表明すると周囲から「止めろ」と言われる,理系の進路に進もうとすると変わり者扱いされる,そもそも女性医師のモデルに接する機会が乏しい…。こんなことがよく言われますが,こうした社会の風潮とは別の可能性も見えてきています。医学部入試での不正です。

 2018年,某私立大学医学部入試で女子の点数を操作していた不正が発覚しました。女性医師は職場の定着率が低い,できるだけ男子をとりたい・・・。こんな思惑でしょうが,医師を志す女子をあざ笑うもので断じて許し難し。

 今朝の朝日新聞ウェブに,近年の医学部合格率の性差が出ていました。不正が発覚した2018年以降,女子の医学部合格率が男子を上回るようになったとのこと。フェア?な競争にしたら,やっぱりこうなると。

 こういう傾向は官庁統計にも出ています。文科省の『学校基本調査』に,大学の医学専攻の入学志願者(延べ数)と,実際の入学者の数が出ています。後者を前者で割れば,合格率の相似値になるでしょう。データがとれる2015年から2021年までの推移を跡付けると以下のごとし。


 注目は,一番下の入学者率です。ご覧あれ,不正が発覚する2018年までは「男子>女子」でしたが,翌年から現在まで見事に反転しています。統計は正直です。

 データの提示は省きますが,国公立大学の医学専攻はこうした傾向はありません。2015年からずっと,男子と女子の入試突破率は近似しています。2018年以降,ガラッと変わったのは私立独特の傾向です。

 某マンモス私大の理事長の脱税が明るみになり,裁判になっています。私大のガバナンスの在り方について問われていますが,一族経営の私学もあるあけで,こういう所では独裁体制もしかれやすい。日本では,公教育に占める私学の比重が高いわけで(とくに高等教育),そこでの経営の歪みは次代を担う青年教育の破壊に直結します。国として,きちんと監督はすべきです。

2022年2月11日金曜日

ロスジェネを教員に

  教員不足が言われています。佐賀県は,小学校教員採用試験を春・秋と,年2回実施するのだそうです(昨日の読売新聞)。夏に受験できなかった人,ないしは他の自治体で不合格になった人を,秋試験で受け入れられますね。

 2021年度の公立小学校教員採用試験(2020年夏実施)の受験者は4万3448人,採用者は1万6440人。競争率は前者を後者で割って2.64倍です。後で述べますが,私の頃と比してだいぶ下がっています。当然,自治体による差もあります。地域差はあまり報じられませんので,私が計算したデータをご覧に入れましょう。

 下の表は,2021年度の小学校試験の競争率を都道府県別に算出し,高い順に並べたものです。政令市は,所在する県の分に含めています。たとえば横浜市の受験者,採用者は神奈川県に含めています。資料は,文科省『公立学校教員採用選考試験の実施状況』です。


 全国値は2.64倍ですが,県による違いがあります。今でも5倍越えの県は3県,マックスは高知の6.85倍です(受験者918人,採用者134人)。

 その一方で13の県で2倍を割っており,最低の佐賀では1.42倍です(受験者280人,採用者197人)。逆の角度で言うと合格率は70%,受験者の7割が通ると。受験者にすれば有難いですが,採用側の心中は穏やかではないでしょう。新規採用者の質の担保も難しいと,頭を抱えているかと思います。それで夏・秋の年2回,採用試験を行うことにしたと。

 リクルートの裾野を広げる上で妙案だと思いますが,上の世代にも目を向けてほしいと思います。われわれロスジェネです。大学卒業時が不況のどん底で,教員採用試験の競争率がものすごく高く,優秀であっても夢破れて教員になれなかった人が多くいます。2000年度の公立小学校採用試験(1999年夏実施)の競争率は12.53倍でした。県別にみると,もっと凄まじい値が出てきます。


 私の頃のデータですが,多くの県で10倍を超えています。20倍を超えるのは11県。マックスの和歌山は54.17倍にもなっていて,何かの間違いではないかと,原資料を何度も確認しましたが,受験者325人,採用者6人という数字がバッチリ記録されています。

 現在,競争率が1.42倍と最も低い佐賀県も,当時は20倍超えでした。現在40代半ばになっていますが,優秀でありながらも,夢破れて教壇に立てなかった人が多くいるかと思われます。

 私の世代では,教員免許状を持ちつつもそれを活用していない,つまり教員になってない人は数で見てどれほどいるのでしょう。私は1999年春に大学を出ましたが,同年春の小学校教員普通免許状授与数は2万205件(文科省『教員免許状授与件数等調査』)。この世代は2019年に43歳ですが,同年の43歳の小学校本務教員は7437人(文科省『学校教員統計』)。単純に考えると,この世代の小学校教員免許活用率は36.8%です。残りの63.2%,実数で見て1万2768人は,いわゆるペーパーティーチャーであると。私もそのうちの一人です。

 小学校教員免許状を持ちつつも,それを使っていない。ロスジェネには,こういうペーパーティーチャーが,上記の数を5倍して6万人はいるのではないでしょうか。採用試験がものすごく厳しかった世代ですので,優秀な人も多く含まれているはずです。最近,地方公務員や国家公務員採用試験で,ロスジェネ限定試験が実施されるケースが増えていますが,教員採用試験でもやってみたらどうでしょう。「夢よもう一度」と,優秀な人材が押し寄せるかもしれません。

 そのためには制度改正も必要で,この世代が有している,失効した教員免許状を回復させる措置が必要です。教員免許更新制の廃止は決まりましたが,失効した教員免許状の回復措置がないならば,幅広い世代からの応募は叶いません。現在,なり手が不足している産休代替教員を募る上でも欠かせません。

 2019年春に,朝日新聞から「ロスジェネ救済策」について取材を受けましたが,今だったら,教員をはじめとした「公」の仕事への吸収促進を,と答えていたでしょう。

2022年1月8日土曜日

失業と自殺の相関の性差

  コロナ禍が少し和らいだかと思いきや,今度はオミクロン株の台頭で,人々の暮らしが再び脅かされています。政府はまん延防止措置を適用する方針で,経済活動はまたも制限され,失職し生活に困る人が出てくるのではと懸念されています。公的扶助も不十分で,助けてももらえず,悲観して自らを殺めてしまうこことも…。

 自己責任の風潮が強い日本では,こういう事態がしばしばあることは,よく知られています。データでも「見える化」できます。失業と自殺の時系列相関でです。とくに男性では強く相関するのが常です。働いて稼ぎを得るという役割期待が,ものすごく大きいためでしょう。

 しかし,コロナ禍になって以降のデータを観察すると「?」という傾向が出てきます。こここ10年余りのデータ照らしても特異であることが判明しましたので,ここにてデータを提示し,議論の喚起に与せたらと思います。コロナ禍が始まったのは2020年春ですので,観察するのは月単位のデータです。以下は,2019年1月から2021年11月までの失業者数と自殺者数の推移です。前者は総務省『労働力調査』,後者は警察庁『自殺の概要』から得ました。


 どうでしょう。男女とも,コロナ禍になってから失業者数が増えています。男性は100万人,女性は70万人を超える水準が続いています。この35か月間の失業者数の分布幅は,男性は91~131万人,女性は62~88万人です。

 一方,自殺者数の幅は,男性は1012~1341人,女性は433~889人と,女性のほうが大きくなっています。

 さて,ここでの関心事は上表の失業と自殺がどう相関しているかです。横軸に失業者数,縦軸に自殺者数をとった座標上に,男女の35か月のドットを位置付けてみます。下図は,結果を1枚の図に表現したものです。


 失業者数,自殺者数ともに多い男性のドットは,図の右上のほうに位置します。しかし,失業と自殺の間に有意な相関関係は見受けられません。一方,女性の失業と自殺は+0.6841と,強いプラスの相関関係にあります。

 上述のように,失業と自殺は男性で強く相関するのが常なんですが,コロナ禍の月単位のデータでは逆になっています。コロナで失職したのは,販売やサービス産業の非正規女性なんですが,生活に切羽詰まったシングルマザーなどが多かったのでしょうか。

 他の時期ではどうなのか,という疑問もあるでしょう。2010年以降の3年間隔で,男女の失業と自殺の相関係数を算出すると以下のようになります。それぞれ,3年間(36か月)のデータから出した数値です。

2010年1月~2012年12月
 男性=+0.5361 女性=+0.2079

2013年1月~2015年12月
 男性=+0.6419 女性=+0.4772

2016年1月~2018年12月
 男性=+0.3072 女性=+0.1983

2019年1月~2021年11月
 男性=+0.1588 女性=+0.6841

 どの時期でも男性のほうが高かったのが,コロナ禍を含む最近3年間では逆転しています。「失業→生活苦→自殺」という推定因果経路は,男性より女性で強くなっていると。コロナ禍では,失業した人の層が違います。先に述べたように,販売やサービスの非正規女性です。この中には,失職したら即生活破綻というギリギリの生活をしている人も含まれるでしょう。たとえばシングルマザーです。

 こういう人たちに公的扶助の手が差し伸べられたらいいのですが,日本の生活保護はあまり機能していません。ツイッターで何度か発信しましたが,コロナ禍になっても生活保護受給者数の棒グラフは真っ平です。母子世帯にあっては,減少の傾向すらあります(詳細はコチラの記事)。母子世帯をターゲットにして,生活保護削減が図られているのではないか,という疑いもあるくらいです。

 こういうことから,コロナ禍になって,女性の失業と自殺が強く相関するようになっていることも考えられますね。コロナ禍でダメージを受けているのは社会の弱い層で,公的支援の手も差し伸べられない…。こうした病理の表れではないか。

 コロナ禍で生活に困っている人(とくに女性)が増えているにもかかわらず,生活保護受給者は横ばいで,母子世帯に限ると減少傾向すらある。どう考えてもおかしい。生活保護の運用実態について,外部機関による厳格な検証が入るべきです。

2021年12月23日木曜日

都道府県別の大学進学率(2021年春)

  今年の文科省『学校基本調査』の確報結果が公表されました。この資料が出たら,私はまず都道府県別の大学進学率を計算することにしています。リンクはコチラ

 大学進学率とは,同世代の何%が4年制大学(以下,大学)に入ったかという指標です。単純なようですが,算出はそう簡単ではありません。高卒者の進路統計に当たって,卒業者のうち大学に進学した生徒の率を出せばいいじゃん,と思われるかもしれませんが,同世代の中には高校に行っていない人もいますし,浪人経由で入る人がオミットされてしまいます。

 文科省で採用されている,公的な計算方法を説明しましょう。分母には,高卒者ではなく推定18歳人口を充てます。3年前の中学校,中等教育前期課程,義務教育学校の卒業者数です。今年(2021年)春の3年前だと,2018年春のデータを取ればいいことになります。『学校基本調査』のバックナンバーによると,2018年春の中学校卒業者は113万3016人,中等教育学校前期課程卒業者は5515人,義務教育学校卒業者は2609人,合わせて114万1140人(a)です。これが今年春の推定18歳人口で,大学進学率の分母に使う数値になります。

 分子には,今年春に大学に入った人の数を使います。昨日公表された確報値によると,2021年春の大学入学者数は62万7040人(b)です。この中には,過年度の高卒者(浪人経由者)も含まれますが,今年春の現役世代からも,同数の浪人経由の大学入学者が出ると仮定し,両者が相殺するとみなします。

 これで分母と分子が得られましたので,2021年春の大学進学率は,bをaで割って54.9%となる次第です。文科省の公表数値と一致しています。今の日本の大学進学率は50%超,同世代の半分が大学に行くことの数値的な表現です。

 このやり方で性別の大学進学率を出すと,男子が58.1%,女子が51.7%となります。男子が女子より6.4ポイント高くなっています。多くの人が肌身で感じている,大学進学チャンスのジェンダー差です。

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 さて,本題はここからです。文科省の公表統計では,全国の大学進学率は出ていますが,47都道府県別の大学進学率は出ていません。上記の計算方法に沿って,都道府県別の大学進学率を独自に計算してみます。

 都道府県別の場合,分子には,当該県の高校出身の大学入学者数を充てます。私の郷里の鹿児島県を例にすると,今年の春,本県の高校出身の大学入学者は6126人で,推定18歳人口(3年前の中学校,中等教育前期課程,義務教育学校の卒業者数)は1万5625人。よって,2021年春の鹿児島県の大学進学率は39.2%となります。全国値よりだいぶ低いですね…。

 私はこのやり方で,今年春の47都道府県別の大学進学率を計算しました。性差にも興味があるので,各県の性別の数値も出しました。以下に,一覧表を掲げます。このデータは文科省の公表資料に出ているものではなく,舞田が独自に計算したものであることを申し添えておきます。


 黄色マークは最高値,青色マークは最低値です。男女計をみると,最高は東京の75.1%,最低は山口の38.5%です。同じ国内でも,18歳人口の大学進学率に倍以上の開き。毎年のことですので,データを継続的にウォッチしている私は驚きませんが,初めて目にする人は「!」でしょう。

 しかし東京はスゴイですね。4人に3人が大学に行くと。自宅から通える大学がたくさんあり,親年代の所得も高く,かつ大卒人口も多いので,幼少期から大学に行くのは当たり前という感覚で育つ。地方はその反対で,上表の大学進学率の地域格差は,地域間の社会経済格差の引き写しに他なりません。

 大学進学率の地域格差の要因について,私が考えるところは,ブログの前の記事で書いてますので,ここで繰り返しません。以下の記事を参照ください。県別の平均年収や大卒人口率と大学進学率の相関図も掲げています。

 ・都道府県別の大学進学率(2019年春)

 ・都道府県別の大学進学率(2020年春)

2021年12月16日木曜日

ツイッターのグラフについて

  ツイッターで発信した,国別の大学院修了者率のグラフについて,疑問が寄せられてますので,算出の手続きを書いておきます。

 データは,ISSP(国際社会調査プログラム)が2018年に実施した「宗教に関する意識調査」のものです。メインの主題は年によって違い,2018年調査では宗教の設問に重点が置かれています。ISSP調査の概要は,NHKによるコチラのページが分かりやすいです。

 私は「Religion Ⅳ-ISSP 2018」の個票データに当たって,各国の25~54歳のサンプルを取り出し,自身が持つ最高学歴(DEGREE)の設問への回答を分析しました。



 私は,6「Upper level tertiary(Master, Doctor)」を選んだ者のパーセンテージを出しました。9の無回答は分母から除外しています。

 各国の回答分布の表を掲げておきます。%にする前の人数の表です。


 日本だと,6「Upper level tertiary(Master, Doctor)」を選んだ人は23人で,9の無回答を抜いたベースは636人です。よって大学院修了者率は,23/636=3.6%となる次第です。

 「Upper level tertiary(Master, Doctor)」の定義は,国によって異なることもあり得るので,大学院修了者率というタイトルは不適切でした。当該グラフのツイートは削除します。記録として,スクショを以下に残しておきます。

2021年12月4日土曜日

社会科教員の女性比率

  ジェンダー平等という言葉が,今年の流行語になりました。関心が高まっているのは,これまで不問にされていたこと,肌感覚のレベルで何となく認識されているだけのことが,客観的なデータで可視化されているからだと思います。

 そのデータの最たるものは,国別のジェンダー平等指数です。日本の国際的な位置が無様なのは毎年のことで,分野別にみると政治分野がとくに酷い。国会議員など,政治家の女性比率が著しく低いことを思うとさもありなんです。最近知ったのですが,若者参画意欲にも性差があります。「政策決定に参画したいとは思わない」と考える20代の率は,男性では44%ですが,女性では63%なり(内閣府『我が国と諸外国の若者の意識調査』2018年)。他国では,ここまで大きな性差はありません。

 これがなぜかについて,女子は頭を押さえつけられて育つとか,政治の話を女子がすると変な目で見られるとか,世間一般で言われることを強調しても,あまり生産的ではありません。井戸端談義ではなく,データで可視化でき,かつ政策で変えることができるような要因に注目することが望ましい。

 ここでは,進路選択を控えた女子生徒が目にする職業モデルについて考えてみます。政治や経済について語る女性,具体的に言うと,学校で社会科を教える女性教員です。こういうロールモデルに多く接するならば,女子生徒の政治的関心も高くなるでしょう。はて,社会科教員の女性割合は,現状でどれほどなのでしょうか。おそらく低いと思われますが,具体的なパーセンテージはあまり目にしませんよね。

 文科省の『学校教員統計』に,各教科を担当している教員の割合が出ています。2019年の高校のデータを見ると,本務教員のうち,国語を担当している教員の割合は男性で9.0%,女性で19.2%となっています(こちらのサイトの表55)。ベースの本務教員数は,男性が15万2446人,女性が7万1592人ですので,先ほどの比率をかけて実数にすると,国語担当教員は男性が1万3720人,女性が1万3746人と見積もられます。ほぼ半々ですね。

 では,他の教科はどうか。同じやり方で,各教科の担当教員の実数を男女別に推計し,性別構成のグラフにすると以下のようになります。タテの点線は,全教員でみた女性割合です(32.0%)。


 国語はちょうど半々ですが,教科によって違いますね。男性より女性が多い教科は,音楽,書道,家庭,福祉で,それ以外は男性が多し。よく知られれていることですが,数学や理科教員の女性比率は低くなっています。理系に進む女子を増やすにあたって,これをどうにかしないといけないことは,前から繰り返し申してきました。

 しかし,もっと女性比率が低い教科があります。何と何と,公民ではないですか。公民を教える高校教員のうち女性は14.0%で,どの教科よりも低くなっています。このデータをツイッターで発信したところ,「これは知らんかった」と驚かれましたが,私もそうです。政治や経済について説く女性のロールモデル,学校で女子生徒になかなか見せられない。こういう現実が,データで露わになりました。

 日本よりジェンダー平等が進んでいる海外ではどうでしょう。国際比較は中学校段階でしかできませんが,アメリカの中学校の社会科担当教員に占める女性の割合は61.8%で,日本の26.1%よりだいぶ高くなっています(OECD「TALIS 2018」)。中学校教員全体の女性比率は,アメリカが65.8%,日本は42.2%。アメリカの社会科教員の女性比率は全教員と接近してますが,日本はさにあらず。全教員の女性比率は42.2%なのに,社会科教員だと26.1%でしかない。このズレに,社会科教員に女性がなりにくいことが表れています。

 以下は,主な7か国のデータです。個票データに当たらずとも,こちらのサイトのリモート集計で作れます。ドイツは,「TALIS 2018」には参加してません。


 全教員の女性比と,社会科教員の女性比がどれほどズレているかですが,日本以外の国では接近していますね。女性が社会科教員になりやすい度合いは,後者を前者で割った値で測られます。男女で均等ならば,表のaとbの値は等しくなり,よって1.000となるはずです。日本は0.618で,通常の期待値(1.000)をかなり下回っています。

 7か国だけでは心もとないので,比較の対象をもっと増やしましょうか。以下に掲げるのは,データが得られる48か国について,女性教員輩出度(上記の表の右端)を算出したものです。社会科教員の女性比が,全教員の女性比の何倍か。高い順に並べています。


 女性が,社会科教員にどれほどなりやすいかの指標(measure)です。20の国で1.0を超えていますね。男性よりも女性が,社会科教員になる傾向がある国。首位のニュージーランドは,全教員の女性比率は65.4%ですが,社会科担当教員のそれは72.7%です。

 その対極にあるのは日本で,算出された値は0.618と,48か国の中で最も低くなっています。女性が社会科教員になりにくい国,女子生徒に,政治や経済について説く女性のモデルを見せられない国です。そもそも社会科教員の女性比率が26.1%などというのも,国際標準からすれば異常で,上表の48か国のうち45か国で50%(半数)を越えています。

 こうなるともう,アファマーティブ・アクションの考えのもと,教員採用試験でも,社会科教員への女性の採用者数を意図的に増やす策も必要かもしれません。政治分野でのジェンダー平等を促進するというビジョンにおいてです。

 中高では教科担任制なんですが,各教科について教壇で説く教員の性別構成は,生徒の職業志向に少なからず影響を及ぼす「隠れたカリキュラム」と言えます。最初のグラフで,高校の教科別の教員の性別構成を示しましたが,これが社会の職業構成ときっかり対応してるんですよね。高校生にとって,ロールモデルの影響は大きい。

 ジェンダー不平等の要因はたくさんあり,大きくは社会の文化といった抽象度の高い次元に還元されますが,まずは,政策で変えやすい次元にまで降りてみることです。学校の教員のジェンダーアンバランスはその最たるもので,まずはこの部分から人為的に変えるべきかと思うのですが,どうでしょうか。

 しかし何と言いますか,他国と比較すると,自国の状況が「自然なこと,仕方ないこと」と割り切ってはいけないことが分かりますね。これぞ国際比較の意義で,止めることはできません。