18歳人口の減少により,受験競争は緩和しているといわれますが,それをデータで可視化してみましょう。
文科省の『学校基本調査』には,その年の大学入学者数と大学入学志願者数が掲載されています。浪人混みの数値です。ここでいう大学とは,4年制大学であり,短大は含みません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/1267995.htm
私は1995年春の受験生ですが,この年の大学入学者は56万8576人,大学入学志願者は87万7313人です。前者は,競争を勝ち抜いて大学に入れた合格者です。残念ながら不合格になった人は,後者から前者を引いて30万8737人と見積もられます。入学志願者に占める比率は35.2%です。これは不合格率に相当します。
へえ,志願者の3人に1人が辛苦を舐めていたのだなあ。私の世代(76年生まれ)はポスト団塊ジュニア世代で競争相手が多く,苦労した覚えはあります。
しかし,私よりもちょっと上の団塊世代は,もっと大変だったことでしょう。逆に,最近の世代は不合格率はかなり低下しているとみられます。時代変化をたどってみましょう。
私は『学校基本調査』のバックナンバーに当たって,1965年から2015年までの50年間の数値を採取しました。上記リンク先をみれば分かりますが,現在では本資料のバックナンバーが軒並みネット公開されています。図書館に行って,あの分厚い冊子をくくる必要はないわけです。便利になったものです。
下の表は,合格者,不合格者,不合格率の推移をまとめたものです。合格者とは大学入学者,不合格者は入学志願者から入学者を差し引いた数を意味します。繰り返しますが,浪人混みの数値です。
不合格率が競争の激しさの尺度になりますが,時期によってずいぶん違います。赤字は不合格率4割超ですが,60年代末と80年代末~90年代初頭が激戦の時代だったようです。
言わずもがな,団塊世代と団塊ジュニア世代が受験期(18歳)に達した頃です。黄色マークをつけた67年は48年生まれ,90年は71年生まれ世代が現役で受験した年。90年では,志願者の44.5%が不合格になっていたとみられます。スゴイですねえ。
この世代が激しい競争にさらされたことは,先日のニューズウィークの世代論の記事でも書きました。それが数値で示されています。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/post-4324.php
さて,大学入試の不合格率は90年代以降は低下の一途をたどり,2008年には1割を切り,2015年春は6.7%にまで下がっています。逆にいうと合格率93.3%,大学全入時代の到来,さもありなんですね。
表の数値では変化を捉えにくいので,グラフにしておきましょう。大学受験の50年史のグラフをご覧ください。
競争のピークだったのは,67年と90年。団塊とそのジュニアの世代が受験にトライした年です。私が受験した年(95年)も35%超ですから,結構大変だったのだな。自分の世代の位置がわかりました。
わが国は受験競争の激しい社会ですが,子ども期に経験した競争のレベルは,世代によって大きく違います。こういう違いによって,人間形成にどういう差異が出てくるかは,興味ある課題です。非行の世代統計に注目すると,競争が激しかった団塊と団塊ジュニア世代は,非行を多くやらかした世代でもあります。前者は非行第1ピーク,後者は第2ピークの主な担い手でした。競争に敗れたことによる,地位剥奪感なども大きいでしょう。
今後も緑色の不合格率は低下を続け,0%に近い水準にまで落ちるのか。2018年から18歳人口が急減する「2018年問題」に大学関係者は慄いていますが,18歳人口ベースの大学進学率50%が維持されたままなら,2025年ころには,少なからぬ大学が倒産するとみられます。現在のパイをキープするには,大学進学率が55%,60%にならないといけませんが,これ以上伸びるのかどうか・・・。
大学側が自らの維持存続のために,大学進学率の上昇を煽るようなことはすべきではないでしょう。18歳時に大学への進学が社会的に強制されるような社会は,健全とはいえますまい。顧客にすべきは,青少年ではなく大人です。まもなく人口が「子ども1:大人9」の社会になりますが,少なくなった子どもを奪い合うというのは,いかにも見苦しい。青年期の教育機関から,大人の学びのセンターとしての存在に自己を変革できるか。
社会の人口動態は大学に対し,未来形のすがたに変身することを強く求めています。