2010年12月31日金曜日

大学の退学率

 2009年春の,18歳人口ベースの4年制大学進学率は50.2%です(文科省『文部科学統計要覧・平成22年版』)。つまり,同年代の半分以上が大学に行っていることになります。約半世紀前の1960年では8.2%ですから,進学率が格段に伸びていることが知られます。

 今日,選びさえしなければ,誰もが大学に入れる「大学全入時代」になっているといわれます。こうなると,学生の中には,明確な目的を持たない者や,親に強制されて仕方なく入ったというような不本意進学者も少なからず含まれていることでしょう。そうした事情から,大学生活に不適応を起こして,卒業を待たずして中途退学する者も,結構いるのではないでしょうか。

 読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論新社(2010年)から,全国563大学の中途退学率を知ることができます。ここでいう中退率とは,2006年4月入学者のうち,2010年3月までの中退者・除籍者がどれほどいるかを表したのです。簡単にいえば,在学期間(4年間)の間に,どれほどの者が辞めたかを表す指標です。563大学の平均値は8.4%です。しかし,最も高い大学になると,退学率は32.8%にも及びます。入学者のうち3割の者が,卒業を待たずして去る,ということです。


 上図は,563大学の退学率の度数分布をとったものです。最も多いのは,退学率4~5%台の階級で,104大学(17.6%)がここに収まります。退学率が20%を超える,デンジャラス?大学は22校で,全体の3.7%に相当します。設置主体別にみると,国公立大学は,中退率が低い層に含まれています。中退率が10%を超える大学のほとんどは私立大学です。

 ここでみたのは,563大学のデータですが,2010年の全国の大学数は778校(文科省『学校基本調査』)ですから,母集団の72.4%がカバーされていることになります。読売新聞調査に回答しなかった大学には,退学率を公にしたくないという大学が多いでしょうから,母集団全体でみると,退学率の平均水準はもっと高くなり,分布もより上方に偏ったものになるかもしれません。

 中退の事由としては,不適応のほか,学費が払えないなどの経済的事由も少なくないことでしょう。私が勤務している大学でも,そのような話を耳にすることがあります。そうした個別事情を挙げればキリがないでしょうが,回を改めて,中退率が高い大学の外的特性を探る作業をしてみたいと思います。

 大みそかになりました。では,みなさま,どうかよいお年をお迎えくださいませ。

2010年12月30日木曜日

未婚化

 一昨日の「孤族化」の記事との関連で,今回は,「未婚化」についての統計を出してみたいと思います。いずれも,社会の私事化傾向の表れですが,未婚化は,少子高齢化の最大の原因として注目されているものです。

 なぜ未婚化が進行するかについては,女性の社会進出の増加であるとか,いろいろなことがいわれますけれども,ユニークな見解として,親元(自宅)で優雅な生活を謳歌する独身男女,いわゆるパラサイト・シングルの増殖が大きい,とするものがあります(山田昌弘教授)。

 親元にいれば,家賃など,生活の基礎経費は浮くのですから,給与のほとんどを自分の嗜好に費やせるわけです。そうした心地よい生活を捨ててまで離家して結婚するからには,相手は,それなりの経済力のある人でなければならないでしょう(とくに女性にとっては)。しかし,昨今の不況下では,そのような相手を見つけるのは至難の業です。たとえば女性にとって,親元でのパラサイト生活と同水準の生活を保障してくれる男性をゲットするのは,そうできることではありません。

 昔,たとえば高度経済成長期はどうであったかというと,親元での生活は,兄弟数が多い,ないしは世間体などの理由により,あまり心地よいものではなく,かつ,右上がりの経済成長のなか,結婚することで生活水準の上昇を大いに見込めたわけです。ですが,今日では,そうした好条件は完全になくなっています。そういうわけで,若者の親元志向がどんどん集積し,結果として,社会全体での未婚化が進行する,というわけです。

 こうした傾向が加速すれば,やがては,若者のみならず,中年層,高齢層にも未婚者が増えてくることでしょう。例の社会地図で,その様相をみてみましょう。計算するのは,未婚率です。2005年の総務省『国勢調査』によると,私と同年齢層(30代前半)の未婚者数は約232万人です。同年の当該年齢人口で除して,未婚率は47.1%と算出されます。およそ半分に迫る勢いです。


 上図は,男性の年齢層別の未婚率を俯瞰したものです。2010年以降は,国立社会保障・人口問題研究所の『日本の世帯数の将来推計(2008年3月推計)』に依拠しています。なお,凡例の最高区分は「60~70%」となっていますが,上限はなく,「60%以上」と読み替えてください。

 1975年頃までは,加齢とともに未婚率がきれいに減少していくパターンでした。しかし,それ以降,離婚率の高率ゾーンが徐々に下へと垂れてきます。20年後の2030年では,50代の2~3割,60代や70代でも1割ないしは2割が未婚者という社会になることが予想されます。

 先の山田教授は,著書『パラサイト・シングルの時代』ちくま新書(1999年)において,親同居税を課して,若者の自立を促すべきであると主張されていますが,このような強硬手段をとらねばならないような時代がきているのかもしれません。もっとも,未婚化の原因が,もっぱらパラサイト・シングルの増殖にある,という仮定においてですが。

2010年12月29日水曜日

東大・京大に入るのは誰か②

 12月26日の記事の続きです。今度は,東大・京大合格者の出身地域の偏りについてみてみましょう。前回は,合格者の組成を,高卒者全体のそれと対比しましたが,ここでは違ったやり方をします。県別の合格者数を出し,それを当該県の高卒者数で除して,合格者出現率を算出してみようと思います。

 サンデー毎日の増刊号から分かる,2010年春の東大・京大合格者数は5,928人です。この年の春の高卒者数は,1,069,129人です(文科省『学校基本調査』)。よって,合格者出現率の全国値は,前者を後者で除して,5.5‰となります。‰(パーミル)とは,千人あたりという意味です。千人につき5.5人ということは,だいたい,180人に1人というところです。


 上の地図は,この値を県別に出し,2‰刻みで色分けしたものです。最大は奈良の27.5‰,最低は青森の0.6‰です。奈良では36人に1人であるのに対し,青森では1,666人に1人です。確率の違いが歴然としています。なお,高率地域は,近畿圏に固まっています。一方,北日本の諸県では,軒並み値が低くなっています。実態として,有力大学への進学機会には,相当の地域差があるとみてよいでしょう。

 どうして,そんなに東大・京大にこだわるのか。各県の生徒は,地元の大学に行けばいいだろう,といわれるかもしれません。それはごもっともです。しかし,東北国,九州国というように,自治の区分けが明確にされている場合は,それでよいのですが,実情はそうではありません。全国を統括する中央官僚を多く輩出しているのは,これらの有力大学でしょう。歴史的にみても,明治期では,中央官僚の養成を,東京帝大が一手に担っていた経緯があります。

 こうみると,上記のような地域格差はいかがなものかという気もします。一極集中,地域間の不均衡発展というような歪みの遠因は,もしかすると,こうした人材リクルートに関わる問題に求められるかもしれません。たとえば,郷土に愛着を持った官僚がいないなど。あくまで,私の勝手な推測ですが。

 多額の税金が投入される有力国立大学については,入学者の地域枠のような制度も,検討されてしかるべきかもしれません。すみません。地方出身者としてのコンプレックスがついつい出てしまいました。これでおしまいにします。

2010年12月28日火曜日

孤族化

 現在,朝日新聞にて,「孤族の国」という特集が組まれています。簡単にいえば,地縁,社縁はおろか,頼れる血縁者をも持たない,一人ぼっちの人間が増加する社会です。こうした傾向は,今後,生活保護者や無縁仏の増加など,多くの問題を引き起こすでしょう。社会の近代化に伴う私事化傾向は,ある意味,必然のものですが,最近のそれは,度が過ぎているように思えます。

 今回は,一般世帯に占める,単独世帯の比率でもって,社会の各層に広がりつつある,孤族化の傾向を可視的に表現してみようと思います。資料は,総務省の『国勢調査』です。2005年の同調査によると,一般世帯のうち,単独世帯はおよそ1,445万世帯です。一般世帯全体に占める比率は,29.5%となります。30年前の1975年の19.4%よりも,10ポイント以上の増です。

 変化の様相を,年齢層別にみてみましょう。上記の社会地図によると,若年者ほど単独世帯が多くなっています。現在,世帯主が20代の世帯では,半分以上が単独世帯です。しかし注目すべきは,単独世帯率20%台のゾーン(緑色)が,40代の部分にまで垂れてきており,一方,高齢層の部分にも浸食してきていることです。世帯の単独化(孤族化)が,上下から押し寄せています。2010年の『国勢調査』の結果を加味すると,どういう図になるでしょうか。

 以前,介護は家族が担ってきましたが,現在では,社会全体でそれを担おうという考え方に変化しています。それに象徴されるように,社会制度は,社会の変化に応じて修正されねばなりません。近代以降のわが国は,2度の大変化(明治維新,敗戦後の民主化)を経験しましたが,孤族化社会の到来というのも,それに劣らぬ大変化だと思います。今,わが国は,大きな転機を迎えている,といってよいでしょう。

2010年12月27日月曜日

人口中の女性比

 この世には,男性と女性という2つの性がありますが,その構成はどうなっているのでしょうか。何をいうか,だいたい半分くらいに決まっているだろう,といわれるかもしれません。

 しかし,一概にそうとは限りません。まあ,女性のほうが寿命が長いので,高齢層では,女性の比率が高い,ということは知られています。ところで,時代軸と年齢軸を交差させて,女性の比率を出してみると,面白いことが分かるのです。


 例の社会地図で表現すると,上のようになります。いかがでしょう。1945年の20代から30代では,女性の比率が高くなっているのですが,この事情はお分かりですね。当時,戦争で若年男性が動員されていたからです。以後,彼らの復員により,比率は下がりますが,戦死者が多かったせいか,この世代では,女性比が54%以上という状態が続くことになるのです。図を斜めに引き裂く,紫色のゾーンがそれです。

 終戦直後は,「男一人に女がトラック一杯」などとオーバーにいわれたものですが,こういう世代も存在するのですね。松本良夫先生が考案された,この社会地図は,綿密に描けば,世代の状況も俯瞰できる,という利点を持っています。

2010年12月26日日曜日

東大・京大に入るのは誰か①

 先の「中学受験」の最後で,有力大学合格者が私立校出身者に寡占される傾向にあるのは,公正の観点からしていかがなものか,という問題提起をしました。ここでは,関連する統計をお見せしたいと思います。

 サンデー毎日特別増刊号『完全版・高校の実力』(2010年6月12日)から,2010年春における,全国3,987高校の東大・京大合格者数を知ることができます(この書物のデータは,教育社会学の研究者もたびたび利用しているものであり,信憑性あるものといえます)。それを総計すると,5,928人となりました。この5,928人の出身高校ですが,本当に私立校が多いのでしょうか。


 上記の図によると,東大・京大合格者5,928人の48.9%が私立校出身者です。国立出身者を合わせると,54.7%,半分以上が公立校以外の出身者ということになります。文科省『学校基本調査』から分かる,同年春の高校卒業生全体では,国・私立生は30.4%しか占めていません。こうみると,母集団に比して,東大・京大合格者は,国・私立校出身者に偏しているといえます。

 なお,このような傾向は以前に比して強まっているようです。苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書(1995年)の63頁の資料によりますと,1975年では,東大合格者に占める私立校出身者の割合は26%です。また,東大合格者数ベスト20位の高校には,公立校も多く含まれていました。しかし,最近では上図の通りで,合格者数の上位校は,国・私立校に寡占されています。一時,こうした寡占傾向を人為的に抑制すべきだという提案がなされたほどですが,さもありなんという感じです。今後,どうなっていくのでしょうか。

 当然予想されることですが,地域間でもかなりの偏りがみられます。数字は,後ほど提示いたします。

2010年12月25日土曜日

給与の男女差

 以前,「専業主婦の消滅」と題する記事を書きましたが,このことは,女性の社会進出が進んでいることと表裏をなしていると思います。実際,女性の就業条件も以前と比べたら整備されてきているといえるでしょう。今回は,その度合いを一つの尺度で測ってみたいと思います。

 私が計算したのは,一般労働者の月給の男女差です。2009年の厚労省『賃金構造基本調査』によりますと,男性労働者の「決まって支給する現金給与」月額の平均値は,354.6千円だそうです。女性の平均額は243.2千円。前者を後者で除して,男性の月給は女性のおよそ1.46倍です。この値をどうみるかですが,以前よりは小さくなっているようです。今から30年前の1980年では,1.79倍でした。では,細かく年齢層別に,時代による変化を俯瞰してみましょう。


 倍率が高いブラックゾーンは,1980年代の中高年層の部分にあります。この時代のこの層では,給与の性差が2倍以上あったわけです。しかし,最近では,こうした極端な格差はどの層でもみられなくなっています。

 確か,女子差別撤廃条約をわが国が批准したのが1985年,1999年には男女共同参画社会基本法が制定され,施策の具体化のための基本計画も策定されています。給与の性差の改善は,こうした努力の賜物であるといえましょう。しかし,絶対水準でいうと,まだ十分とはいえないようです。何しろ,まだ1.46倍ですから。

 回を改めて,今度は学歴による差をみてみようと存じます。

2010年12月24日金曜日

交通事故死

 今回の主題は,交通事故についてです。私は,子どもの頃,2回自動車にはねられたことがあります。一度は私の飛び出し,もう一度は,運転手の不注意なバックによるものです。幸い,双方とも軽傷で済んだのですが,一歩間違えば死んでいたかもしれません。モータリゼーションが進行した今日,交通事故で命を落とすというケースは少なくないものと思います。少なくとも,前々回みた他殺による死亡率よりは,格段に高いことでしょう。

 2009年の厚労省『人口動態統計』によると,この年の交通事故による死亡者は7,309人であったそうです。この年の総人口に占める比率を出すと,10万人あたりでみて5.7人となります。これは全体の数字ですが,年齢層別にみるとどうでしょうか。また,昔に比べて減っているのでしょうか。増えているのでしょうか。この点を一度に俯瞰できる社会地図に登場願います。


 1960年代から70年代の中年層以降の部分において,高率ゾーンがみられます。全体的にみて,交通事故による死亡率は,この時期に高かったようです。1970年の値は23.0,先ほどみた2009年の値の4倍です。高度経済成長期を経て,自動車が普及する一方で,事故防止のための条件整備が未発達であった当時,とくに高齢層が事故に遭う確率が高かったようです。

 その後,安全のための条件整備や人々への啓発が進んだためか,死亡率は,全体的に低くなっています。しかし,今日でも,飲酒運転などによる悲惨な事故が起きていることも事実です。年末ですが,ドライバーのみなさん,間違っても飲酒運転などをせず,安全運転を心がけてくださいますよう。

2010年12月23日木曜日

学校を休む

 前回は,他殺被害率という指標を使って,現在の社会の危険度を相対化してみました。今回は,学校を長期間休む子どもの比率について,同じことをしてみようと思います。学校に来ない子どもの存在は,教師の頭痛のタネの一つですが,長期欠席の現代的な特徴を浮き彫りにすることで,もしかすると,問題の打開に向けた視点が出てくるかもしれません。

 現在の文科省の統計(『学校基本調査』)では,長期欠席とは,年間30日以上休むことと定義づけられています。1990年までは年間50日以上でしたが,翌年以降,上記のように基準が変更されています。さて,上記調査によりますと,2009年度間の小・中学校の長欠児童生徒数は180,647人です。同年の全児童・生徒数(10,663,929人)に占める比率は1.69%となります。20世紀後半にかけての,この値の推移を折れ線グラフで示すと,以下のようです。


 1975年まで減少し,その後増加に転じています。青少年問題の研究者にはよく知られた,長期欠席率のU字曲線です。このような曲線になるのは,昔と今では,長欠の内実が大きく異なっているからです。


 このことは,長欠の理由の内訳をみると,よく分かります。現在では,理由の大半が不登校です(以前は,学校ぎらいといっていました)。中学校では,長欠の約8割が不登校によるものです。しかし,先ほどのカーブの始点にあたる1952年では,それ以外の理由が目につきます。病気,貧困など。また,当時の「その他」の中には,親の無理解というものがあったようです。学校に行かせる意義を認めず,子どもを働かせて,生計の足しにするなど。

 このように内実をのぞいてみると,上記のU字曲線の意味するところが分かります。つまり,終戦後間もない混乱期から,経済の高度成長期を経る中で,貧困や親の無理解など,外的理由による長欠が減ってきました。変わって,1975年以降,受験競争の激化,いじめや校内暴力などの学校病理現象が噴出する中,今度は,当人が学校を嫌う不登校による長欠が増えてきた,と解されます。いみじくも,20世紀後半期の長欠のターニング・ポイントは,ちょうど中間の1975年であったことが知られます。

 こうみると,どうでしょうか。昔の長欠は,就学条件の是正や学校側の働きかけで,解決できる側面を含んでいました。ですが,今日にあっては,そうしたことをすればするほど,北風と太陽のごとく,問題がこじれていく恐れが多分にあります。社会が豊かになり,情報化も著しく進んだ今日,そもそも子どもたちは,学校で勉強することの意義を見出しにくくなっているのですから。

 近年,学校外の教育施設(フリースクールなど)での学習やIT学習などによって,学校の指導要録上,出席扱いされることが可能になっています。こうした柔軟な対応は,大変賢明であると思います。教育は社会に応じて変わる,これは教育社会学が拠り所とするテーゼですが,成熟社会・情報化社会という,今日の社会状況を勘案するならば,四角い学校空間が教育を独占することは,もはや不可能であるというべきでしょう。

2010年12月22日水曜日

殺人被害

 昨晩,卒論ゼミの学生と一杯飲んでました。飲んだ後の眠りはかなり深いのか,私の場合,翌朝は,早く目が覚めてしまうのです。別にやることがないので,ブログでも書くかと,少しズキズキする頭を抱えながら,パソコンに向かってます。

 さて,再び物騒な話題に戻ることをお許しください。今回は,殺人被害に遭う確率を計算してみたいと思います。簡単にいうと,殺される確率です。去る12月17日の朝,茨城県の取手駅前で,無差別殺人未遂事件がありました。容疑者の若者は,「人生を終わらせたかった」と語っています。生きづらい世の中,自棄(ヤケ)を起こした人間による,こうした凶行に,いつ自分も遭遇するかと,危機感を抱いている人も少なくないでしょう。この点について,数字をお見せしたいのです。

 2009年の厚生労働省『人口動態統計』によると,他殺による死亡者は479人と報告されています。同年の人口全体に占める比率を出すと,10万人あたり0.4人です。つまり100万人に4人,約分すると,25万人に1人というところです。25万人といえば,私が住んでいる多摩市のお隣の府中市の人口にほぼ相当します。1年の間に,同市の住民に1人が不幸にして殺人に遭遇する,ということです。確率的には,かなり低いです。不謹慎な言い方ですが,宝くじに当たるよりも難しいかもしれません。では,この率を時代別・年齢層別に細かく出し,例の社会地図で表現してみましょう。


 図をみると,最近は,安全色(青色)で染まっています。昔のほうが,物騒であったようです。ブラックゾーンは,1955年の20代に見出されます。当時のこの層は自殺率も高いのですが,自殺する者も多ければ,殺される者も多い,ハンパじゃない状況であったようです。この世代は1930~35年生まれ,現在,70代後半から80歳あたりの方々ですが,幾人かの方に若き頃のお話をうかがうと,一様に「大変だった」とおっしゃられます。なるほど,上記の図から,さもありなんです。今日の若者の生きづらさの打開策は,もしかすると,この世代の体験に求められるかもしれません。

 あと一点,注目したいのは,子どもの殺人被害です。今日,子どもが危ない,危ないといわれますが,殺人被害率をみると,昔のほうがはるかに高かったようです。0~9歳でいうと,1950年が3.2,2009年が0.4です。現在,各地で行われている,子どもを守る取組に水をさすのではありません。ですが,このような状況認識は重要であると存じます。

2010年12月21日火曜日

中学受験

 前回の話で,「中学受験」という言葉が出ました。田舎だったせいか,私の周りには中学受験をする級友など皆無でしたが,勤務先の大学(東京所在)の学生と話してみると,ことのほか,中学校から私立だったという者が多いことに驚かされます。2009年の文科省『学校基本調査』によると,中学生のおよそ7%が私立生ですが,東京では,この比率は27%にもなります。なるほど,上記の経験も,さもありなんという感じです。

 私は,興味本位から,中学受験の先進地である東京都内の中学受験地図を作ってみました。東京都内の市区町村について,2009年春の公立小学校卒業生のうち,国立ないしは私立の中学校に進学した者の比率を出し,値の高低にしたがって,各地域を塗り分けてみました。統計の資料源は,東京都教育委員会『平成21年度・公立学校統計調査報告(進路状況編)』です。この年の国立・私立中学進学率は,都全体では17.8%となっています。はて,地域別では??


 2009年春の,東京都内の中学受験地図は上のようです。黒色は,進学率が30%を超える地域です。率が最も高い文京区では,43.3%にもなります。同区では,地元の小学校卒業生の4割以上が,国立ないしは私立の中学校に進学しているわけです。脅威です。なお,地理的にみて,高率地域が固まっていることも注目されます。

 興味本位で作った図ですが,ここで問題関心が芽生えてきました。それは,中学受験が盛んな地域では,子どもの育ちはどうか,ということです。まず,勉強のし過ぎから,目が悪くなるのではないでしょうか。私は,2009年の東京都の『学校保健統計調査』から,都内の各地域の公立小学校6年生について,近視児(視力0.3未満)の比率を出し,上記の進学率の数字と関連づけてみました。


 上図は,町村を除く49市区のデータから描いた相関図です。予想通り,中学受験が盛んな地域では,近視の子どもが多い傾向にあります。図の右上に位置するのは文京区です。進学率がトップの同区では,小学生のおよそ4人に1人が近視児です。両変数の相関係数は0.678,1%水準で有意と判定されます。中学受験の過熱は,他にも,さまざまな面で,子どもの生活に歪みを与えると推測されます,たとえば,肥満や各種疾病の疾患率など。興味ある方は,追究されるとよいでしょう。

 しかし,それよりも大きな問題は,不平等という問題です。東京大学などの有力大学合格者が私立校出身者によって寡占される傾向が強まっているといわれます。有力大学に入るには,それなりの経済水準の家庭に生まれ,幼いころから通塾し,多額の費用をかけて早い段階から私立校に行かないといけない。このような傾向が濃厚になるならば,わが国は,生まれが人生を決定する階層社会と化してしまうでしょう。有力大学合格者の出身高校のデータについては,後ほど紹介したいと思います。

2010年12月20日月曜日

子どもの肥満化

 最近,子どもの肥満が問題になっています。運動不足や食生活の乱れなど,いくつか原因は考えられますが,当局はとくに後者を重視しているようであり,近年の学校現場では,食育推進の取組が盛んになっています。今回は,小・中学生のうち,肥満児は何%いるか,その値は時代や年齢によってどう変異するか,ということを明らかにしたいと思います。

 文部科学省の『学校保健統計調査』は,各児童生徒の実測体重と身長別標準体重から肥満度を出し,この値が20%を超える者を肥満児としています。最新の2010年調査によると,10歳児童のうち,9.3%が肥満児と判定されています。およそ1割です。私が生まれた頃の1977年では,この値は5.3%でした。なるほど,確かに子どもの肥満化は進んでいるようです。


 では,時代と年齢を同時に俯瞰する社会地図の登場です。図の模様は,おおよそ円形になっています。それは,当該の事象が,時代とともに変わる時代現象であると同時に,年齢によっても変異する年齢現象であることを示唆します。幾重からなる同心円のピークは,2000年以降の11~12歳の部分にあります。最近のこの年齢では,肥満児の比率が10%を超えます。

 最近,中学受験をする子どもが増えていますが,受験勉強による運動不足故でしょうか。それとも,第2次性徴の始まりという,生理的原因がこの年齢の肥満に関与しているのでしょうか。いずれにせよ,この年齢帯をデンジャラス・エイジと認識し,対策を講じることが求められるでしょう。

2010年12月19日日曜日

専業主婦の消滅?

 私は,いくつかの私立大学で非常勤講師として勤務していますが,学生さんの就職も大変なようです。私の頃(1999年大学卒業)も大変でしたが,今日も,それに劣らず状況がよくないようです。私らの世代は,ロスト・ジェネレーション(ついてない世代)といわれますが,彼らは,第2のロスジェネといってもよいでしょう。

 女子学生には,「専業主婦になりたいなあ」とこぼす者もいます。なるほど,以前は,専業主婦という人種が結構いました。ですが,男女共同参画の取組が進行し,女性の就業環境も次第に整うなか,専業主婦は少なくなっているように思えます。実情はどうなのでしょうか。

 まず,私と同年代の30代前半についてみてみます。総務省『国勢調査』は,人口の労働力状態について調査していますが,2005年調査で,「主に家事」と答えた30~34歳の女性は約165万人です。ベースの同年齢人口に占める比率は34.2%となります。30年前の1975年では,この値は56.4%です。かなり比率が減じています。


 では,社会地図に登場願いましょう。図によると,1965年から1980年頃までは,20代後半から30代前半の女性の半分以上が専業主婦だったようです。結婚や出産を機に仕事を辞め,この年齢を専業主婦として過ごした後,再び就業する,というライフコースがあったようです。しかし,2005年では,このような極端な高率ゾーンは存在しなくなっています。男女共同参画の取組の賜物といえましょうか。あるいは,共働きしなければ生活が成り立たない,という強制的な面もあるのかも知れません。

 上記の図は,男女共同参画政策の成果を表すものともいえるでしょう。しかし,先の学生さんは,「ああ,今時,専業主婦にはなかなかなれないのだな」と肩を落とすでしょう。実際,当事者(若年女性)の専業主婦志向は,社会全体でみて,どれほどのものなのでしょうか。それがどのようなものかによって,上記の図の評価も違ってきます。私の印象では,決して少なくはないと思うのですが。このことを明らかにする,公的な世論調査のようなものはあるのでしょうか。探してみようと思います。

2010年12月18日土曜日

海外渡航

 初っ端から暗い話題が続きました。少し向きを変えましょう。

 2008年7月7日の朝日新聞は,「若者の海外旅行離れ加速」と題する記事を掲載しています。その原因として,「カネなし,好奇心も薄れた?」ということがいわれています。前者の原因は仕方がないにしても,後者についてはいかがなものでしょう。国際化・グローバル化が進行するなか,若者の海外への関心が薄れるというのは,問題であるとする向きが強いようです。

 はて,現在の日本人は,どれほどが海外渡航しているのでしょうか。法務省は『出入国管理統計』を毎年作成していますが,それによると,2007年の出国者数はおよそ1729万人だったそうです。同年の人口に占める比率は13.5%です。バブル期の1990年の8.9%よりは増加しています。では,年齢層別にみるとどうなのでしょうか。


 出国者率の社会地図によりますと,率が最も高いのは,20代後半であるようです。しかし,そのピークは1995年から2000年にあり,最近では,上記の記事がいうように,率が下がっています。今後,どうなっていくのでしょうか。若者の巣籠り傾向は増していくのでしょうか。しかるに,下川裕治『日本を降りる若者たち』講談社現代新書(2007年)という本では,ギスギスとした日本を捨て,海外での生活に癒しを求める若者が描かれています。また,海外での生活にハマる「外こもり」という言葉も流布しているくらいです。

 このような海外志向は,若者の一種の脱社会傾向といえなくもありません。現在のわが国は,若者を遇していませんので。出国率は,社会の危機兆候を測る指標としても使えるかもしれません。

2010年12月17日金曜日

離婚

 今回の主題は,離婚です。離婚とは,家族解体を表す典型現象ですが,昨今,DVや虐待など,家族内でのトラブルが頻発していることから,離婚の頻度が増しているものと思われます。実のところ,どうなのでしょうか。

 私は,離婚率を計算しました。ここでいう離婚率とは,ある年のうちに,離婚を届け出た夫の数を,男性人口で除したものです(別に,妻の数を女性人口で除してもいいのですが)。私は今34歳ですが,2009年内に離婚を届け出た,30~34歳の夫は33003人だったそうです(厚労省『人口動態統計』)。この年の同年齢層の男性人口はおよそ436万人。よって,離婚率は前者を後者で除して,1万人あたり75.7人と計算されます。では,前回同様,松本良夫先生の「社会地図」方式で,男性の離婚率を表現してみましょう。


 図をみると,離婚率が70を超えるブラックゾーンが,2000年以降の30代の部分に広がっています。現在,30代の危機がよくいわれますが,そのことを象徴しているように思えます。30代といえば,幼い子どもがいるケースも多いでしょう。単独親権制をとっているわが国では,片親から強制的に引き離された子どもが,各種の精神疾患を患うようなことも懸念されます。このような状況のなか,現在,共同親権制にしようという動きもあるようです。

男性の自殺について

 最近,自殺が問題になっています。自殺というと,高齢者に固有の現象に思われがちですが,昨今,若者の自殺も増えているように思えます。「生きづらい」世の中ですので。

 それぞれの時代ごとに,年齢別の自殺率を俯瞰できるグラフがあります。それは,等高線グラフです。もともとは,気温と湿度の組み合わせによって,不快指数がどのように変異するかを示すがためによく使われるグラフですが,これは,社会現象の観測にも使えることに気づきました。


 上の図は,男性の自殺率を俯瞰したものです。自殺率とは,自殺者数を人口で除した値です。2009年でいうと,男性の自殺者数は22189人(厚労省『人口動態統計』),人口は約6200万人(総務省『人口推計年報』)ですから,前者を後者で除して,自殺率は,10万人あたり35.7人と算出されます。この値を,それぞれの年について,年齢層別に計算した結果を表現したものが,上記の図なのです。

 いかがでしょうか。この図から,それぞれの時代におけるデンジャラス・ゾーンというものが一目で分かります。近年では,自殺率が60を超えるブラックゾーンは,50代にあるようです。リストラ世代の悲惨さがうかがわれます。一方,今から50年以上前の1955年における20代青年の危機状況も注目されます。社会の激変期にあったこの頃,価値観の急変に適応できなかった純粋な青年の,厭世感による自殺が多かったことと思われます。あと一点,自殺率30台(紫色)のゾーンが,2000年以降,若年層に伸びてきていることも不気味です。

 この図式は,私の恩師である松本良夫先生が考案されたものです。松本先生は,自殺や犯罪について,このようなグラフを作成され,論稿を発表しておられます。先生は,この図を「社会地図」と命名されています。私も,この「社会地図」方式に依拠して,しばし,別の社会事象を表現してみたいと思います。 

2010年12月16日木曜日

ごあいさつ

 現在,ブログを使って,誰でも自由に言いたいことを発信できるようになっています。

 私も,この便利なツールを使わぬ手はないと思い,手をつけてみることにしました。

 といっても,別に題材はないのですが,さしあたり,独自に作成した統計資料を使って,自分の思うところを述べることから始めてみたいと存じます。