2012年10月13日土曜日

子どもの遊び場

 ヒマをみては,面白そうな官庁統計資料がないものかサーチしています。政府統計の総合窓口(e-Stat)にて,わが国の官庁統計を軒並み検索することができます。府省別,分野別,さらにはキーワードでの検索も可能です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/eStatTopPortal.do

 文科省の資料はだいたい知り尽くしたので,厚労省のもので,使えそうな未知の資料はないかと探したところ,『全国家庭児童調査』というものをみつけました。18歳未満の児童とその保護者を対象とした調査で,家庭生活,学校生活,交友関係などの様相を,学年別に知ることができるスグレモノです。こんなものがあるとは知らなかった。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/72-16.html

 最新の2009年度調査の統計表をみると,面白そうなものがわんさとあるのですが,その中に,「児童数,学年等,性,遊び場」(第63表)というのがあります。私は,この表のデータを使って,子どもの遊び場が学年によってどう違うかを明らかにしてみました。

 下図は,寄せられた回答(M.A)の内訳を面グラフで表現したものです。


 子どもの生活の中で「遊び」は重要な位置を占めますが,その場所は,発達段階によってかなり異なるようです。小学生では,自宅,友人の家,公園といった近隣がほとんどですが,年齢を上がるにつれて行動範囲が拡大し,高校生段階では,店,繁華街,ゲーセン,そしてファミレスなどが多くを占めるようになります。

 まあ,当然といえば当然ですが,中高生の非行化との関連を懸念する方もおられると思います。非行化の過程は,当人の生活態度が不安定化する過程(プッシュ)と,非行のきっかけ要因に遭遇する過程(プル)の2つに分かれます。

 受験勉強に打ちひしがれている今の中高生は,多かれ少なかれ誰もが生活態度を不安定化させていますが,彼・彼女らが刺激の多い繁華街等に繰り出した場合,非行化に傾きやすくなるともいえます。上述の2つの過程がドッキングするわけです。

 非行の予防活動は,青少年の健全育成と有害環境の除去という,2つの柱からなります。前者は上述のプッシュ要因,後者はプル要因の排除に相当します。この2つは車の両輪のようなもので,いずれも欠くことのできないものです。

 私見ですが,児童期は健全育成,思春期・青年期では有害環境との接触防止に力点を置くべきではないかと考えます。

 かといって,私は,子どもを抗菌空間の中で育てろなどといっているのではありません。そのようなことは,社会の「シャ」の字も知らぬ人間を育てることにつながるのであって,フリーターやニートのような若者の自我拡散傾向も,こうしたよからぬ隔離に由来する面があることは疑い得ないでしょう。

 ですが,子どもの自我の赴くままに,ほったらかしにしておいてよい,ということではありません。今の子どもは,就労経験や生活経験という面では大人の世界から完全に隔離されている一方で,ネット等の普及により,よからぬ部分において,以前は厳としてあった垣根を簡単に飛び越えることができるようになっています。

 なすべきことは,前者の垣根を低くし,後者の垣根を高めることでしょう。有害情報をブロックするフィルタリングソフトの導入などは,後者の仕事に位置すると考えられます。各種の就労体験やインターンシップなどは,前者に属するといえましょう。

 低くすべきとことは低くし,高くすべきところは高くする。現在の青少年施策の難しさは,このような「ビミョー」な綱渡りをしなければならないことにあります。

 上図に戻りますが,中高生にもなると行動範囲が拡大し,各種のピア・グループもできてきます。そこに埋め込まれた「見えざる」教育力は,家庭や学校での教育力をも凌駕することがしばしばです。たとえば,自治や自律の精神などは,対等な人間関係の集団の中で育まれる面を強く持っています。

 ですが,それをほったらかしにしてよい,ということではありません。子どものピアグループというのは,一歩間違うと,即座に非行集団に転化してしまうような弱さを持っています。中高生の行動範囲の拡大にしても,それが見聞を広めることになるか,それとも逸脱カルチャーとの接触の機会を増やすだけのことになるかは,紙一重の差です。それゆえに,保護者や教員による適切な指導(方向づけ)が必要であるといえます。

 非行少年,とりわけ凶悪犯で捕まった少年の母親に,放任的な養育態度の者が多いことは,前回みた通りです。それは,サイモンズがいうように,放任的な親子関係のもとでは攻撃的な人格が形成されることに由来する部分もあるでしょう。ですが,形成途上の自我をうまく指導(ガイド)されなかった少年の悲劇を表現した事実であるともとれます。

 少し長くなりましたが,上記の統計図をみて,私はこのようなことを思った次第です。