2013年3月8日金曜日

健康格差の国際比較

 近年の日本は,格差社会化の途をたどっているといいます。社会が不安定化するまでに,成員間の富の差が大きくなることです。

 このことを条件にして,生活の諸次元においても格差が生じるようになってきています。たとえば教育格差,結婚格差,夫婦格差など。「**格差」と銘打った本を目にすることも多くなりました。こういうネーミングにすれば売れるという,出版社の目論見もあるのでしょう。それだけ,われわれが「格差」というものにセンシティヴになっている,ということです。

 私は,こうした諸々の格差の中でも,健康格差という現象に関心を持っています。健康とは,人々が生を営むに際しての最も基本的な条件となるものですが,その様態には階層差があるというのです。

 健康と社会階層がどうつながるのか「?」かもしれませんが,ちょっと考えれば,いろいろな経路を想起できます。貧困層は医者にかかれない,劣悪な住環境を強いられる,食事にしても安価でお腹が膨れるジャンクフードに頼る頻度が高くなる,etc・・・。アメリカに少しでも滞在したことがある方なら,すぐにピンとくるかと思います。

 わが国でも,健康格差の問題には関心が向けられるようになっており,学術研究もなされています。主な文献として,近藤克則教授の『健康格差社会』医学書院(2005年)などがあります。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=13254

 今回は,日本において健康格差なるものが存在するか,それはどの程度のものか,ということを明らかにしようと思います。具体的には,健康状態の自己評定が,属する世帯の収入階層によってどう違うかをみてみます。

 用いる資料は,第5回『世界価値観調査』(WVS)です。本調査では,各国の18歳以上の男女に対し,家族全員の年収(世帯収入)を尋ね,10段階の収入階層に割り振っています。階層区分の仕方は,国によってまちまちです。

 第1~2層を貧困層,3~6層を中間層,7~10層を富裕層と括りましょう。こうすると,ほとんどの国において,3群の量の均衡がとれるようになります。日本でいうと,貧困層が282人,中間層が430人,富裕層が281人です。

 私は,この3群の間で,自分の健康状態への自己評価(5段階)がどう違うかを調べました。手始めに日米比較をしてみましょう。下図は,有効回答の分布です。


  あくまで自己評定ですが,両国とも,階層によって健康状態が異なっています。模様の傾斜をみると,アメリカのほうがきついようです。「非常によい」+「よい」の比重に注意すると,日本では貧困層が45.4%,富裕層が64.4%です。しかしアメリカでは,順に62.1%,88.4%というように,26.2ポイントも開いています。

 健康格差の程度は,アメリカのほうが大きいようですね。 この辺りのことは,堤未果さんの『貧困大国アメリカ』岩波新書(2008年)でいわれていますが,それがデータで可視化されています。

 しかるにわが国においても,富の格差に由来する健康格差は存在しています。米国と比せばその程度は小さいですが,他の国と比べたらどうでしょう。より多くの社会を見据えた,広い国際統計の中でみて,日本の健康格差の程度はどの辺りに位置するのでしょう。

 私は,WVSサイトのオンライン集計機能を使って,「国×収入階層×健康状態」の3重クロス表を作成し,世界の51か国について,収入階層と健康状態の関連を明らかにしました。やり方は,先ほどの日米と同じです。

 健康状態が良好な者(「非常によい」+「よい」)の比率が,貧困層と富裕層でどれほど違うかを,国ごとに整理しました。下表をご覧ください。両群の差が大きい順に,各国を配列しています。


 上にあるほど,富の差に由来する健康格差が大きな社会です。トップは旧ソ連のウクライナ。この国では,健康状態良好の者は富裕層では75.7%ですが,貧困層ではたったの14.8%です。2つの階層の間では,実に60ポイントをも越える開きがあります。

 上位10位は,ウクライナ,セルビア,ポーランド,スペイン,ルワンダ,スロベニア,ルーマニア,グルジア,中国,およびモロッコとなっています。東欧や中欧の社会が多いですね。アフリカ国が2国,アジアの大国・中国も名を連ねています。中国では,近年になって富の開きが急激に拡大していると聞きますが。その影響かしらん。

 赤色の主要国の位置に注目すると,英独,そして先に取り上げた米国が「中の上」あたりです。お隣の韓国と仏国が「中」,わが国は「中の下」というところでしょうか。北欧のスウェーデンは,健康格差が小さい社会です。なんか分かるな。

 上表の順位構造は,各国の富の配分の不平等度,すなわちジニ係数のような指標と相関しているのではないか,と思われる方が多いでしょう。

 しかるに,そう単純な話ではありません。昨年の5月8日の記事では,43か国のジニ係数を出したのですが,係数値が0.532とべらぼうに高いブラジルの健康格差は,わが国のすぐ上という程度です。一方,平等社会と評されるフィンランドの健康格差は,米国や英国以上なのです。

 それぞれの社会における健康格差の程度は,多様な要因によって規定を被っていることでしょう。たとえば医療制度をとると,ウクライナについては,外務省のHPにて次のようにいわれています。この国で健康格差が大きいことの理由の一端がうかがわせる記述です。

 「医療面については西欧諸国と比較して依然として立ち後れています。・・・交通事故・けが・急病の場合には市の救急車により救急センターに運ばれます。その場合において最低限の治療は確保されますが,予算不足によりウクライナ国民でさえも注射・薬・フィルム・手術代等の費用は,自己負担しているのが現状です」。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/europe/ukraine.html

 さて日本は,世界的にみれば健康格差の程度は大きくはないのですが,懸念材料もあります。ここ数年間における変化です。私は,第2回のWVSの結果を用いて,上と同じ手法で1990年の日本の健康格差を明らかにしました。下図は,この15年間の変化を示したものです。


 どうでしょう。わが国では,健康状態良好の者の比率は総体としては上がっていますが,その階層格差が拡大しています。一方,海を隔てた米国のほうは,1990年代初頭に比べればそれが縮小しています。

 1990年代以降,わが国に暗雲が立ち込めてきたこととリンクしているようで不気味です。時系列比較は,上記の2つの社会しかしていませんが,もしかすると日本は,近年において国民の健康格差が拡大している数少ない社会であるのかもしれません。

 現在実施中の第6回のWVSから分かる,2010年の状況はどうなっていることか。上図の高低線がさらに長くなっていたりして・・・。この期間中,2008年のリーマンショックなど,いろいろなことがありましたしね。

 階層要因によって「生」が規定されるのは恐ろしいことですが,同時に怖いのは,こうした「生」の格差が子ども世代に伝達されることです。無力な子どもにあっては,健康状態如何は家庭環境に規定される側面が大です。医者にかかろうにも,親にその意志やカネがなければ,それは叶いません。

 2011年7月15日の記事では,東京都内の地域統計を使って,貧困地域ほど子どもの虫歯保有率が高いことを明らかにしました。同年1月12日の記事では,同じ統計を分析して,生活保護率と子どもの肥満児率が正の相関関係にあることを示しました。社会全体の健康格差拡大と歩調を合わせて,子どもの世界のそれも大きくなっているのではないか,という懸念が持たれます。これは,れっきとした教育学上の問題です。

 教育社会学では,子どもの学力格差の議論に関心が集中しているような感がありますが,それはいうなれば「2階」の部分の格差であって,もっとプライマリーな次元に,ここでみたような健康格差の問題が横たわっています。

 子どもは生活者です。 こういう基底部分の社会的規定性の問題にも関心を払わねばなりますまい。前にどこかで申しましたが,学会誌『教育社会学研究』の特集テーマとして,「生の社会学」とかいいんじゃないか,と思っています。個人的に。