3月27日に,2010年の文科省『学校教員統計調査』の詳細結果が公表されました。この調査は教員個人調査と教員異動調査から構成されますが,後者では,調査年の前年度間に離職した教員の数が明らかにされています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
よって,2010年調査の結果から,2009年度間の離職教員の数値を知ることが可能です。私は,この数を同年の本務教員数で除して,教員の離職率を計算しました。
ここでの目的は,各種の危機や困難によって教壇を去った教員の量を測ることです。そこで,分子の離職者数には,「病気」という理由で離職した者と,メジャーな理由のいずれにも該当しない「その他」の理由で離職した者を充てることとします。
最初に,公立小学校教員の離職率の時系列推移をみてみましょう。下表は,『学校教員統計調査』が実施された年の前年度間の離職率をつなぎ合わせたものです。計算の過程についてイメージを持っていただくため,分母と分子のローデータを掲げています。分母の本務教員の出所は,文科省『学校基本調査』です。
なお,2009年度の「その他」の理由による離職者数(c)は,原資料でいう「家庭の事情」,「職務上の問題」,「その他」の3カテゴリーの数値の合算値です。2006年度までは,これら3つは「その他」のカテゴリーにまとめられていましたが,2009年度の集計表ではカテゴリーが細分されているため,このような措置をとっています。
公立小学校教員の離職率は,1982年に13.4‰とピークに達した後,90年代後半まではおおむね低下の傾向にありましたが,今世紀以降,増加に転じています。とくに最近3年間の伸び幅が目立っています。7.9‰から11.0‰と,離職率はグンと伸びています。
分子をみると,病気による離職者数の伸びが顕著です。370人から609人へと1.6倍も増えています。ちなみに,この609人のうちの57.3%(379人)は精神疾患による離職者数です。
都教委がモンスター・ペアレントに関する実態調査の結果を公表したのは2008年9月ですが,ちょうど時期的に一致しています。学校に理不尽な要求を突き付けるMPの増加というようなことも,教員を追い詰めているものと思われます。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr080918j.htm#bessi
次に,公立中学校と公立高校の離職率も併せて観察してみましょう。下図は,1979年度以降の30年間の変化をグラフ化したものです。
小・中学校の曲線はほぼ重なっています。高校教員の離職率は比較的低いようです。昨年の5月12日の記事のグラフと模様が違うではないかといわれるかもしれませんが,今回は,国私立校を除いた公立校のみのデータを使っています。
私立校では,リストラや任期満了という理由での離職者が分子に多く含まれてしまうためです。先の記事において,高校教員の離職率が高めに出たのは,私立校も計算に含めたためと考えられます。高校では,私立校のシェアが大きいですし。
さて上記のグラフをみると,中高の離職率のピークも1982年にあります。この頃は,全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れた頃です。少年非行の戦後第3のピークも,ちょうどこの時期に位置しています。こういう生徒の問題行動が,辞める(病める)教員を増やしたことは,疑い得ないところです。
高校では問題児はバンバン退学させることができるため,当時にあっても,高校教員の離職率は相対的に低かったのではないでしょうか。
その後離職率は低下しますが,今世紀以降,どの学校の離職率も増加に転じます。小・中学校では最近3年間の伸びが著しいのですが,高校では逆に微減しています。近年の教員の危機は,義務教育学校に集中しているようです。
近年の離職率増について考察を深めるには,細かい属性別の離職率を計算してみる必要があります。離職率が上昇しているのは男性か女性か,若年者か年輩者か,都市か地方か・・・。次回以降,回を細切れにして,計算結果を少しずつ開陳していこうと思います。
2012年3月30日金曜日
2012年3月29日木曜日
教員給与と教員採用試験競争率の相関
閑話休題。前々回の続きです。各県の対民間の教員給与水準は,教員採用試験の競争率とどういう関係にあるのでしょうか。常識的には,給与が高い県ほど,それに魅せられて志願者が多く集まると考えられますが,実情はどうなのでしょう。
前々回の記事では,公立学校の男性教員の給与が,同性・同学歴の民間労働者の何倍かという相対倍率を県別に明らかにしました。3月6日の記事では,各県の2011年度教員採用試験の競争率を調べました。この両者の相関関係をみてみます。学校種ごとの試験区分を設けていない福井を除いた46県のデータを使います。
下図は,横軸に教員給与,縦軸に試験の競争率をとった座標上に,46都道府県を位置づけたものです。左側は小学校,右側は中学校の相関図です。なお,中学校の図の競争率は,中高をひっくるめた競争率です。東京のように,中学と高校の試験を合同で実施している県が若干あるため,このような措置を取りました。
小学校でも中学校でも,おおよそ,教員給与が民間に比して高い県ほど,試験の競争率が高い傾向にあります。相関係数は,小学校は0.464,中学校は0.566です。いずれも1%水準で有意と判断されます。
図の右上には地方県,左下には東京のような大都市県が位置しています。周知の通り,東京は競争率が低いのですが,その一因は,民間と比べた教員給与が低いためであったりして・・・。
むろん,試験の競争率を規定する最も大きな要因は,退職教員の量というような人口学的なものでしょう。しかるに,上記の相関が因果関係的な要素を全く含んでいないとは言い切れますまい。
教員採用と教員給与(待遇)の問題は,切っても切れない関係にあります。前回書きましたが,私は今,昔の教員の悩みや苦境に関連する新聞記事を集めています。今日も図書館に出向き,新聞の縮刷版をくくってきました(ヒマ人!)。今日調べたのは,1940年(昭和15年)から1942年(昭和17年)までの分です。戦時下にあった頃ですね。
どうやらこの頃は,慢性的な教員不足の状態だったようです。いくつかの目ぼしい記事を採集し,例の『教員哀帳』にスクラップしました。その一部をお見せします。
左側は1941年2月11日,右側は同年2月21日の朝日新聞の記事です。右側の記事では,「先生を大量募集:都下小学校,千余名の不足」という見出しが出ています。千余名の不足!今だったら,「じゃあ僕を,私を」と多くの学生さんが殺到することでしょう。
また,教員を養成する師範学校への入学志願者も減っていたようです。師範学校は学費はタダ,それどころか,在学中は生活費までが支給されます。戦前期は,こういう学校で教員が養成されていたのだよと学生さんに話すと,異口同音に「チョー,いいじゃないっすか!」という反応が返ってきます。
しかるに,このような(夢のような)学校への志願者を減少せしめるほど,当時は,教員という職業の魅力が落ちていたようです。
その原因は何でしょう。キツイからでしょうか。それもあると思いますが,一番の原因は待遇の悪さだったようです。事実,上記の記事の周辺には,教員(とくに小学校)の待遇が劣悪であること,教員手当を急ぐ必要があることを訴える社説やコラムがちらほら見られます。
このような世論を受けてか,1943年に師範学校令が改正され,師範学校は専門学校と同程度の学校に昇格しました。このことにより,同校の卒業生の初任給は増額されることとなりました(男子は15円アップ)。また,義務教育費国庫負担法等の改正により,国民学校(以前の尋常小学校,高等小学校)の俸給は公立中学校と同じになりました。*文部省『学制百年史』を参照。
それから約70年を経た現在はというと,給与でみる限り,教員の待遇が下げられる傾向にあるようです。前々回の記事でみたように,学校種を問わず,ここ10年にかけて教員給与は低下の一途をたどっています。
とくに気になるのは東京の小学校で,文科省『学校教員統計』から分かる平均月給が,2001年の40.5万円から2010年の35.5万円まで,5.0万円も減っていることです。全国データで観察される減少幅(3.6万円)を大きく上回っています。
昨年の大地震の復興財源確保など,いろいろな事情があるかと思いますが,このことがよからぬ事態をもたらしはしないかと気がかりです。
上記写真の左側の記事の見出しは,「青年教員の転職」となっています。当時は,人材が入ってこないばかりか,人材が出ていく問題にも直面していたようです。戦時下でインフレが進行していたにもかかわらず,教員給与はほぼ据え置きのままであったので,生活に困窮した者も多かったことでしょう。給与が安い若年教員は生活もままならず,転職に踏み切らざるを得なかったのではないでしょうか。
「歴史は繰り返す」といいますが,これから先,どうなるでしょう。教員の離職率が上昇傾向にあることは,昨年の5月8日の記事などで明らかにしました。そこで観察したのは2006年度までの統計ですが,それから離職率はどうなったのでしょう。増えたのでしょうか。減ったのでしょうか。
一昨日,2010年の『学校教員統計調査』の詳細結果が公表されたところです。この資料から,2009年度の教員の離職率を計算できます。目下,その作業中です。性別,属性別,地域別など,細かい属性別の率も算出可能です。結果が出次第,この場で随時公表していきたいと思います。
前々回の記事では,公立学校の男性教員の給与が,同性・同学歴の民間労働者の何倍かという相対倍率を県別に明らかにしました。3月6日の記事では,各県の2011年度教員採用試験の競争率を調べました。この両者の相関関係をみてみます。学校種ごとの試験区分を設けていない福井を除いた46県のデータを使います。
下図は,横軸に教員給与,縦軸に試験の競争率をとった座標上に,46都道府県を位置づけたものです。左側は小学校,右側は中学校の相関図です。なお,中学校の図の競争率は,中高をひっくるめた競争率です。東京のように,中学と高校の試験を合同で実施している県が若干あるため,このような措置を取りました。
小学校でも中学校でも,おおよそ,教員給与が民間に比して高い県ほど,試験の競争率が高い傾向にあります。相関係数は,小学校は0.464,中学校は0.566です。いずれも1%水準で有意と判断されます。
図の右上には地方県,左下には東京のような大都市県が位置しています。周知の通り,東京は競争率が低いのですが,その一因は,民間と比べた教員給与が低いためであったりして・・・。
むろん,試験の競争率を規定する最も大きな要因は,退職教員の量というような人口学的なものでしょう。しかるに,上記の相関が因果関係的な要素を全く含んでいないとは言い切れますまい。
教員採用と教員給与(待遇)の問題は,切っても切れない関係にあります。前回書きましたが,私は今,昔の教員の悩みや苦境に関連する新聞記事を集めています。今日も図書館に出向き,新聞の縮刷版をくくってきました(ヒマ人!)。今日調べたのは,1940年(昭和15年)から1942年(昭和17年)までの分です。戦時下にあった頃ですね。
どうやらこの頃は,慢性的な教員不足の状態だったようです。いくつかの目ぼしい記事を採集し,例の『教員哀帳』にスクラップしました。その一部をお見せします。
左側は1941年2月11日,右側は同年2月21日の朝日新聞の記事です。右側の記事では,「先生を大量募集:都下小学校,千余名の不足」という見出しが出ています。千余名の不足!今だったら,「じゃあ僕を,私を」と多くの学生さんが殺到することでしょう。
また,教員を養成する師範学校への入学志願者も減っていたようです。師範学校は学費はタダ,それどころか,在学中は生活費までが支給されます。戦前期は,こういう学校で教員が養成されていたのだよと学生さんに話すと,異口同音に「チョー,いいじゃないっすか!」という反応が返ってきます。
しかるに,このような(夢のような)学校への志願者を減少せしめるほど,当時は,教員という職業の魅力が落ちていたようです。
その原因は何でしょう。キツイからでしょうか。それもあると思いますが,一番の原因は待遇の悪さだったようです。事実,上記の記事の周辺には,教員(とくに小学校)の待遇が劣悪であること,教員手当を急ぐ必要があることを訴える社説やコラムがちらほら見られます。
このような世論を受けてか,1943年に師範学校令が改正され,師範学校は専門学校と同程度の学校に昇格しました。このことにより,同校の卒業生の初任給は増額されることとなりました(男子は15円アップ)。また,義務教育費国庫負担法等の改正により,国民学校(以前の尋常小学校,高等小学校)の俸給は公立中学校と同じになりました。*文部省『学制百年史』を参照。
それから約70年を経た現在はというと,給与でみる限り,教員の待遇が下げられる傾向にあるようです。前々回の記事でみたように,学校種を問わず,ここ10年にかけて教員給与は低下の一途をたどっています。
とくに気になるのは東京の小学校で,文科省『学校教員統計』から分かる平均月給が,2001年の40.5万円から2010年の35.5万円まで,5.0万円も減っていることです。全国データで観察される減少幅(3.6万円)を大きく上回っています。
昨年の大地震の復興財源確保など,いろいろな事情があるかと思いますが,このことがよからぬ事態をもたらしはしないかと気がかりです。
上記写真の左側の記事の見出しは,「青年教員の転職」となっています。当時は,人材が入ってこないばかりか,人材が出ていく問題にも直面していたようです。戦時下でインフレが進行していたにもかかわらず,教員給与はほぼ据え置きのままであったので,生活に困窮した者も多かったことでしょう。給与が安い若年教員は生活もままならず,転職に踏み切らざるを得なかったのではないでしょうか。
「歴史は繰り返す」といいますが,これから先,どうなるでしょう。教員の離職率が上昇傾向にあることは,昨年の5月8日の記事などで明らかにしました。そこで観察したのは2006年度までの統計ですが,それから離職率はどうなったのでしょう。増えたのでしょうか。減ったのでしょうか。
一昨日,2010年の『学校教員統計調査』の詳細結果が公表されたところです。この資料から,2009年度の教員の離職率を計算できます。目下,その作業中です。性別,属性別,地域別など,細かい属性別の率も算出可能です。結果が出次第,この場で随時公表していきたいと思います。
2012年3月28日水曜日
クツみがきをする先生
話題変更。1948年(昭和23年)4月25日の朝日新聞に,「先生の内職:人目をさけてクツみがき」というタイトルの記事が載っています。一部を引用しましょう。
******************************
生活不安から教壇を去る教員は昨年来ひきも切らず文部省でさえ,その正確な不足数がつかめない状態だが,一方教壇にふみ止る教員は何によって生活の最後の一線にしがみついているだろうか。都教組が3月末現在で行った先生たちの内職調査。
回答のあったのは205名,一番多いのはやはり家庭教師の55名だが,昨年10月の調査の家庭教師115名に比べればずっと減っている。これは中学への進学に学科試験がなくなったためと教組では見ている。
これが月200円から400円,つぎが筆耕で1000円から2000円を上げているものが18人,洋裁で200円から300位が12人,ブローカーで2000円くらいの者が10人,日雇労働者で300円から500円くらいが8人,このほか封筒はりで400円から1300円が9人,筆耕で500円くらいが8人,商工会議所の調査員で700円が4人,ダンス・ホールのバンドでピアノ,ギターを奏でて1日200円から300円をかせぎ出すものが2人。
なかには同僚や教え子に見つかってはと,学校から遠く離れた盛り場でクツみがきに身を忍ばせて月500円から1000円をかせいでいるのが2人あった。
しかれど反対に内職するにも時間も手づるもなく職を失って子供3人をかかえ,配給の主食は全部子どもに食べさせ,自分は一週間絶食して落ちこぼれの小麦粉を製造所からもらって辛うじて命をつないだという中央区の某新制中学校教師もあった。
・・・「悲惨」の一言ですね。戦争が終わってからまだ3年も経っていない頃です。復興優先,学校教育については何よりも施設の整備が急がれていた状況でしたから,教員給与に割り当てられた予算は多くはなかったことでしょう。
1950年の小学校教員の給与月額をみると,5000~10000円という者が全体の44.8%を占めています。5000円未満という者も35.1%います(文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』1966年,120頁)。平均すると,7000円ほどでないでしょうか。自動車運転手の月給が12000円くらいだった頃ですから,相当低いと判断されます。現在の東京の教員給与は民間の7~8割ほどですが(前回の記事参照),戦後初期の教員の悲惨度は,それをはるかに上回っています。
よって,上記の記事でいわれているような,窮乏する教員も少なくなかったことでしょう。教え子や同僚に見つかりやしないかとビクビクしながら「クツみがき」をする教員も・・・。
戦後初期の新聞の縮刷版をくくってみると,あるわあるわ,当時の教員の悲惨さを伝えてくれる記事がわんさと出てきます。よくない趣味ですが,この手の記事をちょっと集め,ノートにスクラップしてみました。この『教員哀帳』の一部をご覧に入れましょう。
いずれも昭和20年代の朝日新聞の記事です(左側は1946年6月17日,右側は1952年6月24日)。写真がピンボケですが,「闇市に立つ教師」,「先生は忙しい」,「徹夜でお仕事」という見出しが躍っているのがお分かりかと存じます。教員の過労やバーンアウトの問題が取り沙汰されている今日ですが,それは昔も共通していたようです。
右の記事には,生徒に囲まれている中学校の女性教員が映っていますが,生徒らのノートを点検している最中のようです。子どもが多かった頃です。上記の文部省資料によると,1948年の小学校教員1人あたりの児童数(TP比)は38.2人となっています(20頁)。2011年現在の16.4人の倍以上です。
それだけに,教員の負担も大きかったことでしょう。記事に映っている先生は笑顔をみせていますが,内心では,「見なくちゃいけないノートが多いなあ・・・」とイライラをつのらせているのではないでしょうか。男尊女卑の風潮が今よりも強かった頃ですから,女性教員の場合,家事負担もプラスされていたことと思われます。事実,「子供背負って出勤」というような,女性教員の悩みを掲載した記事も見受けられます(1952年8月18日,朝日新聞)。
変なゴシップ趣味はありませんが,この『教員哀帳』を厚くする作業にハマってしまい,ここ3日ほど図書館通いしています。明日も行く予定です。戦後初期の縮刷版はだいたい洗ったので,これから戦前期に遡ってみます。時代状況が異なる戦前期では,どういう教員のすがたが観察されることやら。
教員の歴史に関する書物は多く出ていますが,苦悩や悩みといった負の側面に焦点を当てた教員史というのはあまりないのではないかしらん。いや,柳井久雄先生の『教員哀史』(寺子屋文庫,2006年)が出てるか。読んでみます。
現在は教職受難の時代といわれていますが,それは今に始まったことではありません。問題の底流に流れているものを探り当てる上でも,遠い過去の記憶を掘り起こす作業は無益ではないと思います。
これから面白い情報が出てきましたら,随時ご紹介したいと思います。
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回答のあったのは205名,一番多いのはやはり家庭教師の55名だが,昨年10月の調査の家庭教師115名に比べればずっと減っている。これは中学への進学に学科試験がなくなったためと教組では見ている。
これが月200円から400円,つぎが筆耕で1000円から2000円を上げているものが18人,洋裁で200円から300位が12人,ブローカーで2000円くらいの者が10人,日雇労働者で300円から500円くらいが8人,このほか封筒はりで400円から1300円が9人,筆耕で500円くらいが8人,商工会議所の調査員で700円が4人,ダンス・ホールのバンドでピアノ,ギターを奏でて1日200円から300円をかせぎ出すものが2人。
なかには同僚や教え子に見つかってはと,学校から遠く離れた盛り場でクツみがきに身を忍ばせて月500円から1000円をかせいでいるのが2人あった。
しかれど反対に内職するにも時間も手づるもなく職を失って子供3人をかかえ,配給の主食は全部子どもに食べさせ,自分は一週間絶食して落ちこぼれの小麦粉を製造所からもらって辛うじて命をつないだという中央区の某新制中学校教師もあった。
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・・・「悲惨」の一言ですね。戦争が終わってからまだ3年も経っていない頃です。復興優先,学校教育については何よりも施設の整備が急がれていた状況でしたから,教員給与に割り当てられた予算は多くはなかったことでしょう。
1950年の小学校教員の給与月額をみると,5000~10000円という者が全体の44.8%を占めています。5000円未満という者も35.1%います(文部省『日本の教育統計-新教育の歩み-』1966年,120頁)。平均すると,7000円ほどでないでしょうか。自動車運転手の月給が12000円くらいだった頃ですから,相当低いと判断されます。現在の東京の教員給与は民間の7~8割ほどですが(前回の記事参照),戦後初期の教員の悲惨度は,それをはるかに上回っています。
よって,上記の記事でいわれているような,窮乏する教員も少なくなかったことでしょう。教え子や同僚に見つかりやしないかとビクビクしながら「クツみがき」をする教員も・・・。
戦後初期の新聞の縮刷版をくくってみると,あるわあるわ,当時の教員の悲惨さを伝えてくれる記事がわんさと出てきます。よくない趣味ですが,この手の記事をちょっと集め,ノートにスクラップしてみました。この『教員哀帳』の一部をご覧に入れましょう。
いずれも昭和20年代の朝日新聞の記事です(左側は1946年6月17日,右側は1952年6月24日)。写真がピンボケですが,「闇市に立つ教師」,「先生は忙しい」,「徹夜でお仕事」という見出しが躍っているのがお分かりかと存じます。教員の過労やバーンアウトの問題が取り沙汰されている今日ですが,それは昔も共通していたようです。
右の記事には,生徒に囲まれている中学校の女性教員が映っていますが,生徒らのノートを点検している最中のようです。子どもが多かった頃です。上記の文部省資料によると,1948年の小学校教員1人あたりの児童数(TP比)は38.2人となっています(20頁)。2011年現在の16.4人の倍以上です。
それだけに,教員の負担も大きかったことでしょう。記事に映っている先生は笑顔をみせていますが,内心では,「見なくちゃいけないノートが多いなあ・・・」とイライラをつのらせているのではないでしょうか。男尊女卑の風潮が今よりも強かった頃ですから,女性教員の場合,家事負担もプラスされていたことと思われます。事実,「子供背負って出勤」というような,女性教員の悩みを掲載した記事も見受けられます(1952年8月18日,朝日新聞)。
変なゴシップ趣味はありませんが,この『教員哀帳』を厚くする作業にハマってしまい,ここ3日ほど図書館通いしています。明日も行く予定です。戦後初期の縮刷版はだいたい洗ったので,これから戦前期に遡ってみます。時代状況が異なる戦前期では,どういう教員のすがたが観察されることやら。
教員の歴史に関する書物は多く出ていますが,苦悩や悩みといった負の側面に焦点を当てた教員史というのはあまりないのではないかしらん。いや,柳井久雄先生の『教員哀史』(寺子屋文庫,2006年)が出てるか。読んでみます。
現在は教職受難の時代といわれていますが,それは今に始まったことではありません。問題の底流に流れているものを探り当てる上でも,遠い過去の記憶を掘り起こす作業は無益ではないと思います。
これから面白い情報が出てきましたら,随時ご紹介したいと思います。
2012年3月27日火曜日
教員給与の相対水準(2010年)
本日,2010年の『学校教員統計調査』の詳細結果が文科省より公表されました。「待ってました!」という思いです。下記サイトにて,ホカホカの統計表がアップされています。さあ,何から分析したものやら。離職率,学歴構成,新規採用者の属性・・・分析してみたい事項は山ほどあります。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
ひとまず,最新の教員給与の統計からみてみましょう。1月29日の記事では,2007年のデータを使って,民間と比した場合の教員給与の相対水準を明らかにしたのですが,この記事をみてくださる方が多いようです。さあ,3年経った2010年のデータでは,どういう傾向が観察されるでしょうか。
上記の文科省調査から,2010年における公立学校教員の平均給与月額を知ることができます。この数値を,全産業の大卒労働者のそれと比較してみます。後者の出所は,2010年の厚労省『賃金構造基本統計調査』です。性別の影響を除去するため,男性のみの統計を使います。
なお,全産業の大卒労働者の給与は,所定内給与の平均月額です。先の記事では,「決まって支給される給与額」を用いたのですが,この中には,超過労働給与額(残業代)が含まれます。教員給与のほうには残業代が含まれていませんので,民間労働者の給与も,残業代を除いた所定内給与額で測ることとします。よって,1月29日の記事の分析結果と単純な比較はできないことに留意ください。
では,作業を始めましょう。まず,公立学校教員と大卒労働者の給与が,この10年間にかけて,どう推移してきたかをみてみます。『学校教員統計調査』が実施された年の数字を拾っています。
悲しいかな,教員のほうは学校種を問わず,給与は低下の一途をたどっています。小学校でいうと,2001年の40.4万円から2010年の36.9万円まで落ちました。民間のほうは,最近3年間の低下が目立っています。おそらく,2008年のリーマンショックの影響でしょう。教員給与の低下も,こうした民間の動向に合わせたものといえるかもしれません。
では,大卒労働者の給与と比べた場合の教員給与の相対水準はどうでしょう。下段の数字は,前者を1.0とした場合の指数です。教員給与が民間の何倍かという測度です。これをみると,少し前の高校を除いて,軒並み1.0を下回っています。つまり,教員の給与は民間よりも低い,ということです。しかも,この倍率は近年になるほど下がってきています。小学校では,0.99から0.93へのダウンです。
むーん。先の記事にコメントを下さった,埼玉県の公立高校の先生は,「名誉職だと思ってがんばります」とおっしゃってましたが,今の現場は,先生方のそういう(健気な)心意気に支えられている部分が大きいのだろうなあ。
しかるに,これは全国の傾向です。個々の教員の任命権者は都道府県ですが,47都道府県ごとにみれば,様相はさぞ多様であることでしょう。
県別の教員給与は文科省の統計から分かりますが,一般労働者のほうは,県別の場合,全学歴をひっくるめた給与額しか分かりません。そこで,全国統計において,大卒労働者の給与が全学歴の労働者の何倍かという倍率を計算し,その値を各県の全学歴の労働者給与に乗じて,県別の大卒労働者給与を推し量りました。
全国統計でいうと,全学歴の男性労働者給与は32.8万円,大卒労働者給与は39.5万円ですから,前者に対する後者の倍率は1.204となります。東京都の場合,全学歴の給与は40.1万円ですから,この地域の大卒給与はこれを1.204倍して,48.3万円と推計されます。
この方式で推し量った各県の大卒労働者給与と,文科省の統計から得た教員給与の県別一覧表を掲げます。
全県で最も高い値には黄色,最も低い値には青色のマークをしています。最大値は,小学校は茨城,中高は広島です。最も低いのは・・・くおー,わが郷里の鹿児島が中高の最低値とは。広島と鹿児島の中高の先生では,およそ7万円の月収差があります。
まあ,それでも鹿児島の教員給与は,同性・同学歴の民間労働者よりは高くなっています。地方は,民間の給与水準が低いからなあ。その民間の大卒労働者の給与(推計値)は,最高は東京,最低は沖縄です。こちらは分かりやすい構図です。しかし,両端で20万円の開きとはスゴイ。教員の場合,給与の地域差が小さいのは,国による給与補助があるためです(義務教育費国庫負担制度)。
ちなみに,教員給与は,3年前の2007年と比べて,かなりの順位変動があります。給与が上がった県もあれば,その逆もあり。2007年の県別教員給与は,1月26日の記事をご覧ください。
それでは最後に,大卒労働者の給与に対する教員給与の相対倍率を出してみましょう。鹿児島や沖縄は1.0を超えるでしょうが,そうでない地域もあります。下表は,指数値の一覧です。
倍率が1.0を超える場合は赤色,1.2を超える場合はゴチの赤色にしています。全国単位でみた場合,教員給与は民間より低いのですが,県ごとに細かくみると,その逆のケースが目立ちます。赤色,とくにゴチの赤色は,北東北や南九州といった周辺地域に多く分布しています。
同性・同学歴の民間労働者と比した給与の相対水準が最高なのは,小・中学校は秋田,高校は青森です。この両県の数字は,オール1.2以上です。秋田は学力テストの上位常連県ですが,こういう待遇の良さが影響していたりして。
その反対は東京です。こちらは,教員給与は民間の7~8割ほどです。大都市では,民間の給与水準が高いためです。大阪,愛知など,他の目ぼしい都市地域も,教員給与のほうが低くなっています。
この指標と教員の離職率の相関をとったら,どういう結果が出るかなあ。常識的には,給与倍率が高い県ほど,そういう好待遇にしがみつく教員が多いでしょうから,負の相関になることが見込まれます。ですが,「この高給取り野郎が・・・」と世間から突き上げを食らい,肩身が狭い思いをしている教員が多いという見方もできますので,逆の結果になるとも考えられます。
まあ,この課題は保留にしておいて,今すぐできる面白い課題があります。3月6日の記事で明らかにした,県別の教員採用試験競争率との相関分析です。仮説的には,給与倍率が高い県ほど志望者が殺到し,競争率が高くなると思われます。
長くなるので,今回はこの辺りで。次回に続きます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172
ひとまず,最新の教員給与の統計からみてみましょう。1月29日の記事では,2007年のデータを使って,民間と比した場合の教員給与の相対水準を明らかにしたのですが,この記事をみてくださる方が多いようです。さあ,3年経った2010年のデータでは,どういう傾向が観察されるでしょうか。
上記の文科省調査から,2010年における公立学校教員の平均給与月額を知ることができます。この数値を,全産業の大卒労働者のそれと比較してみます。後者の出所は,2010年の厚労省『賃金構造基本統計調査』です。性別の影響を除去するため,男性のみの統計を使います。
なお,全産業の大卒労働者の給与は,所定内給与の平均月額です。先の記事では,「決まって支給される給与額」を用いたのですが,この中には,超過労働給与額(残業代)が含まれます。教員給与のほうには残業代が含まれていませんので,民間労働者の給与も,残業代を除いた所定内給与額で測ることとします。よって,1月29日の記事の分析結果と単純な比較はできないことに留意ください。
では,作業を始めましょう。まず,公立学校教員と大卒労働者の給与が,この10年間にかけて,どう推移してきたかをみてみます。『学校教員統計調査』が実施された年の数字を拾っています。
悲しいかな,教員のほうは学校種を問わず,給与は低下の一途をたどっています。小学校でいうと,2001年の40.4万円から2010年の36.9万円まで落ちました。民間のほうは,最近3年間の低下が目立っています。おそらく,2008年のリーマンショックの影響でしょう。教員給与の低下も,こうした民間の動向に合わせたものといえるかもしれません。
では,大卒労働者の給与と比べた場合の教員給与の相対水準はどうでしょう。下段の数字は,前者を1.0とした場合の指数です。教員給与が民間の何倍かという測度です。これをみると,少し前の高校を除いて,軒並み1.0を下回っています。つまり,教員の給与は民間よりも低い,ということです。しかも,この倍率は近年になるほど下がってきています。小学校では,0.99から0.93へのダウンです。
むーん。先の記事にコメントを下さった,埼玉県の公立高校の先生は,「名誉職だと思ってがんばります」とおっしゃってましたが,今の現場は,先生方のそういう(健気な)心意気に支えられている部分が大きいのだろうなあ。
しかるに,これは全国の傾向です。個々の教員の任命権者は都道府県ですが,47都道府県ごとにみれば,様相はさぞ多様であることでしょう。
県別の教員給与は文科省の統計から分かりますが,一般労働者のほうは,県別の場合,全学歴をひっくるめた給与額しか分かりません。そこで,全国統計において,大卒労働者の給与が全学歴の労働者の何倍かという倍率を計算し,その値を各県の全学歴の労働者給与に乗じて,県別の大卒労働者給与を推し量りました。
全国統計でいうと,全学歴の男性労働者給与は32.8万円,大卒労働者給与は39.5万円ですから,前者に対する後者の倍率は1.204となります。東京都の場合,全学歴の給与は40.1万円ですから,この地域の大卒給与はこれを1.204倍して,48.3万円と推計されます。
この方式で推し量った各県の大卒労働者給与と,文科省の統計から得た教員給与の県別一覧表を掲げます。
全県で最も高い値には黄色,最も低い値には青色のマークをしています。最大値は,小学校は茨城,中高は広島です。最も低いのは・・・くおー,わが郷里の鹿児島が中高の最低値とは。広島と鹿児島の中高の先生では,およそ7万円の月収差があります。
まあ,それでも鹿児島の教員給与は,同性・同学歴の民間労働者よりは高くなっています。地方は,民間の給与水準が低いからなあ。その民間の大卒労働者の給与(推計値)は,最高は東京,最低は沖縄です。こちらは分かりやすい構図です。しかし,両端で20万円の開きとはスゴイ。教員の場合,給与の地域差が小さいのは,国による給与補助があるためです(義務教育費国庫負担制度)。
ちなみに,教員給与は,3年前の2007年と比べて,かなりの順位変動があります。給与が上がった県もあれば,その逆もあり。2007年の県別教員給与は,1月26日の記事をご覧ください。
それでは最後に,大卒労働者の給与に対する教員給与の相対倍率を出してみましょう。鹿児島や沖縄は1.0を超えるでしょうが,そうでない地域もあります。下表は,指数値の一覧です。
倍率が1.0を超える場合は赤色,1.2を超える場合はゴチの赤色にしています。全国単位でみた場合,教員給与は民間より低いのですが,県ごとに細かくみると,その逆のケースが目立ちます。赤色,とくにゴチの赤色は,北東北や南九州といった周辺地域に多く分布しています。
同性・同学歴の民間労働者と比した給与の相対水準が最高なのは,小・中学校は秋田,高校は青森です。この両県の数字は,オール1.2以上です。秋田は学力テストの上位常連県ですが,こういう待遇の良さが影響していたりして。
その反対は東京です。こちらは,教員給与は民間の7~8割ほどです。大都市では,民間の給与水準が高いためです。大阪,愛知など,他の目ぼしい都市地域も,教員給与のほうが低くなっています。
この指標と教員の離職率の相関をとったら,どういう結果が出るかなあ。常識的には,給与倍率が高い県ほど,そういう好待遇にしがみつく教員が多いでしょうから,負の相関になることが見込まれます。ですが,「この高給取り野郎が・・・」と世間から突き上げを食らい,肩身が狭い思いをしている教員が多いという見方もできますので,逆の結果になるとも考えられます。
まあ,この課題は保留にしておいて,今すぐできる面白い課題があります。3月6日の記事で明らかにした,県別の教員採用試験競争率との相関分析です。仮説的には,給与倍率が高い県ほど志望者が殺到し,競争率が高くなると思われます。
長くなるので,今回はこの辺りで。次回に続きます。
2012年3月26日月曜日
加齢に伴う健康格差の変化②
前回は,子どもが成長するにつれて,肥満児がどれほど増えるかが地域によって異なることを明らかにしました。今回は,子どもの発達の社会的規定性を,別の統計指標を使って照射してみようと思います。
今回観察するのは,近視児の出現率です。最近,眼鏡をかけている子どもが多いように感じるのは私だけではありますまい。昨年の1月25日の記事でみたように,統計でみても,目が悪い子どもは増えてきています。ゲームや勉強のし過ぎというような,生活の歪みが影響しているものと思われます。
しかるに,早い頃から目が悪い子というのは,そう多くはないでしょう。加齢に伴い,視力を落としていく子どもが大半であると推測されます。はて,目が悪い子どもは,何歳あたりから増えてくるのでしょうか。また,その様相に,地域差はみられるのでしょうか。
東京都の『東京都の学校保健統計書』から,都内の公立学校の地域別・学年別に,近視児の出現率を計算することができます。ここでいう近視児とは,裸眼視力が0.3に満たない子どものことです。近視児出現率とは,この意味での近視児が,健康診断受診者全体(≒全児童数)の何%に当たるか,という指標です。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/gakumu/kenkou/karada/shcp.html
この資料のバックナンバーをつなぎ合わせることで,特定の世代について,加齢に伴う近視児率の変化を明らかにすることが可能です。私は,2005年に小学校に入学した世代を事例とすることとしました。生年でいうと,1999年4月から2000年3月生まれの世代です。この世代は,2005年は小1,2006年は小2,・・・2010年は小6となります。
よって,2005年の小1,2006年の小2,・・・2010年の小6の近視児率を接合させればよいわけです。前回と同様,都内の23区別に,変化の様相がどうであるかを調べました。なお,世代をもっと前にずらせば,中学校段階までの変化を観察できますが,私立中学校に進む者が多い区もありますので,この点は見送ることとします。地元の公立小学校に在学している間の変化をみることにしましょう。
まず23区全体の傾向をみましょう。予想通り,年齢を上がるほど,近視児率は高くなります。小1では1.2%だったのが,小4になると10%を超え,小6には18.7%と,2割弱の水準に達します。
加齢に伴い,目が悪い子どもが直線的に増えるのは全区の共通の傾向ですが,その程度(右上がりの勾配)は,地域によって異なるようです。
たとえば,文京区と足立区を比べるとどうでしょう。両区の近視児率は小3まではほとんど同じですが,それ以降,差が開きます。小3から小4にかけて,足立区では3.2ポイントしか伸びませんが,文京区では6.5ポイントも伸びます。小4から小5にかけては8.2ポイントも増加し,小5の時点で近視児率が20%を超えます(足立区は12.0%)。
口でくだくだ述べるよりも,両区の傾向をグラフ化したほうが早いですね。
文京区では,近視の子どもが増えるスピードが格段に速いことがしられます。この2区の差は,何故に生じるのでしょう。まあ,理由はだいたい想像できます。所得水準が高い文京区では,小学校高学年になると,塾通いをする子がうんと多くなるためでしょう。文京区は,中学受験の最先進地域です(2月1日の記事を参照)。所得水準が低い足立区では,そのような生活変化は,比較的少ないと思われます。
上表を注視すると,23区の変化のパターンは,おおよそ,文京区型(山の手型)と足立区型(下町型)に大別されます。前者は,住民の所得水準や学歴構成が比較的高い地域です。
事実,学年を上がるほど,各地域の所得水準と近視児出現率の関連が強くなります。下表は,2009年度の住民一人当たり課税額と,各学年段階の近視児率の相関をとったものです。前者の出所は,『平成21年度版・東京都税務統計年報』です。
http://www.tax.metro.tokyo.jp/tokei/tokeih21_hutan.htm
いかがでしょう。高学年になると,税金を多く課されている富裕地域ほど近視児率が高い傾向が,統計的にも支持されます。上図にみられるような,小4以降の文京区と足立区の分化傾向は,両地域の社会経済条件の差を反映したものとみてよいでしょう。
前回みた肥満は貧困地域に多い発育の歪みですが,今回みた近視は,富裕地域のそれと性格づけることができます。予想ですが,喘息などは,どちらかといえば後者に括られるのではないでしょうか。興味ある方は,上記のサイトから東京都の原統計にアクセスして,検討してみてください。学生さんには,こういう課題を出してみようかな。
前回と今回の分析から,子どもの発達の社会的規定性の一端を浮き彫りにすることができたかと思います。社会階層による住民の棲み分けが比較的明確である東京は,このような現象をあぶり出すための格好のフィールド?です。今後も,この地でのフィールド・ワーク?を継続したいと存じます。
今回観察するのは,近視児の出現率です。最近,眼鏡をかけている子どもが多いように感じるのは私だけではありますまい。昨年の1月25日の記事でみたように,統計でみても,目が悪い子どもは増えてきています。ゲームや勉強のし過ぎというような,生活の歪みが影響しているものと思われます。
しかるに,早い頃から目が悪い子というのは,そう多くはないでしょう。加齢に伴い,視力を落としていく子どもが大半であると推測されます。はて,目が悪い子どもは,何歳あたりから増えてくるのでしょうか。また,その様相に,地域差はみられるのでしょうか。
東京都の『東京都の学校保健統計書』から,都内の公立学校の地域別・学年別に,近視児の出現率を計算することができます。ここでいう近視児とは,裸眼視力が0.3に満たない子どものことです。近視児出現率とは,この意味での近視児が,健康診断受診者全体(≒全児童数)の何%に当たるか,という指標です。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/gakumu/kenkou/karada/shcp.html
この資料のバックナンバーをつなぎ合わせることで,特定の世代について,加齢に伴う近視児率の変化を明らかにすることが可能です。私は,2005年に小学校に入学した世代を事例とすることとしました。生年でいうと,1999年4月から2000年3月生まれの世代です。この世代は,2005年は小1,2006年は小2,・・・2010年は小6となります。
よって,2005年の小1,2006年の小2,・・・2010年の小6の近視児率を接合させればよいわけです。前回と同様,都内の23区別に,変化の様相がどうであるかを調べました。なお,世代をもっと前にずらせば,中学校段階までの変化を観察できますが,私立中学校に進む者が多い区もありますので,この点は見送ることとします。地元の公立小学校に在学している間の変化をみることにしましょう。
まず23区全体の傾向をみましょう。予想通り,年齢を上がるほど,近視児率は高くなります。小1では1.2%だったのが,小4になると10%を超え,小6には18.7%と,2割弱の水準に達します。
加齢に伴い,目が悪い子どもが直線的に増えるのは全区の共通の傾向ですが,その程度(右上がりの勾配)は,地域によって異なるようです。
たとえば,文京区と足立区を比べるとどうでしょう。両区の近視児率は小3まではほとんど同じですが,それ以降,差が開きます。小3から小4にかけて,足立区では3.2ポイントしか伸びませんが,文京区では6.5ポイントも伸びます。小4から小5にかけては8.2ポイントも増加し,小5の時点で近視児率が20%を超えます(足立区は12.0%)。
口でくだくだ述べるよりも,両区の傾向をグラフ化したほうが早いですね。
文京区では,近視の子どもが増えるスピードが格段に速いことがしられます。この2区の差は,何故に生じるのでしょう。まあ,理由はだいたい想像できます。所得水準が高い文京区では,小学校高学年になると,塾通いをする子がうんと多くなるためでしょう。文京区は,中学受験の最先進地域です(2月1日の記事を参照)。所得水準が低い足立区では,そのような生活変化は,比較的少ないと思われます。
上表を注視すると,23区の変化のパターンは,おおよそ,文京区型(山の手型)と足立区型(下町型)に大別されます。前者は,住民の所得水準や学歴構成が比較的高い地域です。
事実,学年を上がるほど,各地域の所得水準と近視児出現率の関連が強くなります。下表は,2009年度の住民一人当たり課税額と,各学年段階の近視児率の相関をとったものです。前者の出所は,『平成21年度版・東京都税務統計年報』です。
http://www.tax.metro.tokyo.jp/tokei/tokeih21_hutan.htm
いかがでしょう。高学年になると,税金を多く課されている富裕地域ほど近視児率が高い傾向が,統計的にも支持されます。上図にみられるような,小4以降の文京区と足立区の分化傾向は,両地域の社会経済条件の差を反映したものとみてよいでしょう。
前回みた肥満は貧困地域に多い発育の歪みですが,今回みた近視は,富裕地域のそれと性格づけることができます。予想ですが,喘息などは,どちらかといえば後者に括られるのではないでしょうか。興味ある方は,上記のサイトから東京都の原統計にアクセスして,検討してみてください。学生さんには,こういう課題を出してみようかな。
前回と今回の分析から,子どもの発達の社会的規定性の一端を浮き彫りにすることができたかと思います。社会階層による住民の棲み分けが比較的明確である東京は,このような現象をあぶり出すための格好のフィールド?です。今後も,この地でのフィールド・ワーク?を継続したいと存じます。
加齢に伴う健康格差の変化①
昨日,近場のデパートの文具コーナーに行ったら,入学記念セールをやっていました。真新しいランドセルに子どもの腕を通している親御さんの姿もあり,微笑ましい限りでした。
この4月から小学校に上がるお子さんでしょう。一昨年の10月時点の4歳人口(『国勢調査』)から推測すると,この春,小学校に入学するのは106万人ほどと思われます。この子らは,在学期間中にかけて,著しい心身の変化を遂げることになります。
ところで,その変化の有様は,当人をとりまく社会的な環境によって規定される面があります。たとえば,子どもの肥満が問題になっていますが,当局の統計によると,肥満傾向児の出現率は,おおよそ年齢を上がるほど高くなります。
ですが,この指標が加齢に伴いどう変異するかは,地域によって多様です。今回は,地域別・年齢別の肥満児出現率の観察を通して,子どもの発達の社会的規定性を可視化してみようと思います。
東京都が毎年刊行している『東京都の学校保健統計書』から,公立学校の各学年の肥満傾向児出現率を,都内の地域別に計算することができます。肥満傾向児出現率とは,健康診断受診者(≒全児童数)のうち,学校医によって「肥満傾向」と判断された者が何%いるかです。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/gakumu/kenkou/karada/shcp.html
この資料のバックナンバーをつなぎ合わせることで,特定の世代について,加齢に伴う肥満児出現率の変化を,地域別に明らかにすることができます。
私は,2005年4月に小学校に入学した世代を事例として,小学校在学中に肥満児出現率がどう変化したかを明らかにしました。この世代(1999年4月~2000年3月生まれ)は,2005年は小1,2006年は小2,・・・2010年には小6となります。下表は,加齢に伴う変化の様相を,都内の23区別に示したものです。公立学校の統計です。
まず23区全体の傾向をみると,小1の2.1%から始まり,小4に3.1%とピークを迎え,その後は率が下がります。
では,23区別にみるとどうでしょう。全体の傾向と同様,小4をピークとした「山型」が多いようですが,北区や練馬区のように,加齢と共に一貫して肥満児率が上昇する地域もあります。両区とも,小1から小6までの間にかけて,数値が倍以上になっています。
一方,世田谷区のように,数値が一貫して低い地域もあります。対照的といえる,北区と世田谷区の傾向をグラフ化してみましょう。
小1時点では1.8ポイントしか差がなかったのが,小6時にはその差が4.7ポイントにまで開いています。まさに,「健康格差の拡大」と言い表すことができましょう。
はて,この両区では何が違うのでしょうか。近年,健康問題の社会学という領域が開拓されていますが,そこで指摘されているのは,肥満と貧困との関連です。なるほど。貧困家庭ほど,安価なジャンクフードが食卓にのぼる頻度は高いと思われます。
北区と世田谷区の子どもの貧困度を,教育扶助世帯率で測ってみましょう。教育扶助世帯率とは,2010年の教育扶助受給世帯(月平均)が,6~14歳の子がいる世帯のうちどれほどを占めるかです。分子は『東京都福祉・衛生統計年報』,分母は『国勢調査』(2010年)から得ました。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/nenpou/index.html
この指標の値は,北区は26.2‰,世田谷区は8.5‰です。前者は後者の約3倍です。子どもの貧困度は,明らかに北区のほうが高いと判断されます。
上図の傾向は,こうした社会条件の違いに規定されている面が強いと思われます。しかし,2つの区のデータだけから事を判断するのは乱暴です。23区のデータを使って,肥満傾向児出現率と教育扶助世帯率の相関関係を出してみましょう。下表は,各学年段階の肥満児率と,2010年の教育扶助世帯率の相関係数を整理したものです。
各区の教育扶助世帯率は,どの段階の肥満児率とも正の相関関係にあります。統計的に有意と判定されるのは,高学年の肥満率との相関です。このことは,加齢に伴い,子どもの発育の歪みと貧困との関連が強くなることを示唆しています。
栄養の摂取により,加齢に伴い,身体に肉がつくのは生理現象です。しかし,それが正常の域を超えた,肥満という病理状態になる確率は,子どもが置かれた社会環境に少なからず規定されるようです。
小学校高学年といえば,ちょうど思春期に差し掛かる頃であり,身体の成長(性徴)がめざましい時期です。しかし,その勢いが方向を誤ると厄介なことになります。それだけに,この時期における健康教育が重要となるでしょう。体育の授業における保健領域の学習に加えて,家庭に対する健康指導といったことも,重要な要素です。
次回は,別の統計指標を使って,加齢に伴う健康格差の変化の様相を観察しようと思います。
この4月から小学校に上がるお子さんでしょう。一昨年の10月時点の4歳人口(『国勢調査』)から推測すると,この春,小学校に入学するのは106万人ほどと思われます。この子らは,在学期間中にかけて,著しい心身の変化を遂げることになります。
ところで,その変化の有様は,当人をとりまく社会的な環境によって規定される面があります。たとえば,子どもの肥満が問題になっていますが,当局の統計によると,肥満傾向児の出現率は,おおよそ年齢を上がるほど高くなります。
ですが,この指標が加齢に伴いどう変異するかは,地域によって多様です。今回は,地域別・年齢別の肥満児出現率の観察を通して,子どもの発達の社会的規定性を可視化してみようと思います。
東京都が毎年刊行している『東京都の学校保健統計書』から,公立学校の各学年の肥満傾向児出現率を,都内の地域別に計算することができます。肥満傾向児出現率とは,健康診断受診者(≒全児童数)のうち,学校医によって「肥満傾向」と判断された者が何%いるかです。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/gakumu/kenkou/karada/shcp.html
この資料のバックナンバーをつなぎ合わせることで,特定の世代について,加齢に伴う肥満児出現率の変化を,地域別に明らかにすることができます。
私は,2005年4月に小学校に入学した世代を事例として,小学校在学中に肥満児出現率がどう変化したかを明らかにしました。この世代(1999年4月~2000年3月生まれ)は,2005年は小1,2006年は小2,・・・2010年には小6となります。下表は,加齢に伴う変化の様相を,都内の23区別に示したものです。公立学校の統計です。
まず23区全体の傾向をみると,小1の2.1%から始まり,小4に3.1%とピークを迎え,その後は率が下がります。
では,23区別にみるとどうでしょう。全体の傾向と同様,小4をピークとした「山型」が多いようですが,北区や練馬区のように,加齢と共に一貫して肥満児率が上昇する地域もあります。両区とも,小1から小6までの間にかけて,数値が倍以上になっています。
一方,世田谷区のように,数値が一貫して低い地域もあります。対照的といえる,北区と世田谷区の傾向をグラフ化してみましょう。
小1時点では1.8ポイントしか差がなかったのが,小6時にはその差が4.7ポイントにまで開いています。まさに,「健康格差の拡大」と言い表すことができましょう。
はて,この両区では何が違うのでしょうか。近年,健康問題の社会学という領域が開拓されていますが,そこで指摘されているのは,肥満と貧困との関連です。なるほど。貧困家庭ほど,安価なジャンクフードが食卓にのぼる頻度は高いと思われます。
北区と世田谷区の子どもの貧困度を,教育扶助世帯率で測ってみましょう。教育扶助世帯率とは,2010年の教育扶助受給世帯(月平均)が,6~14歳の子がいる世帯のうちどれほどを占めるかです。分子は『東京都福祉・衛生統計年報』,分母は『国勢調査』(2010年)から得ました。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kiban/chosa_tokei/nenpou/index.html
この指標の値は,北区は26.2‰,世田谷区は8.5‰です。前者は後者の約3倍です。子どもの貧困度は,明らかに北区のほうが高いと判断されます。
上図の傾向は,こうした社会条件の違いに規定されている面が強いと思われます。しかし,2つの区のデータだけから事を判断するのは乱暴です。23区のデータを使って,肥満傾向児出現率と教育扶助世帯率の相関関係を出してみましょう。下表は,各学年段階の肥満児率と,2010年の教育扶助世帯率の相関係数を整理したものです。
各区の教育扶助世帯率は,どの段階の肥満児率とも正の相関関係にあります。統計的に有意と判定されるのは,高学年の肥満率との相関です。このことは,加齢に伴い,子どもの発育の歪みと貧困との関連が強くなることを示唆しています。
栄養の摂取により,加齢に伴い,身体に肉がつくのは生理現象です。しかし,それが正常の域を超えた,肥満という病理状態になる確率は,子どもが置かれた社会環境に少なからず規定されるようです。
小学校高学年といえば,ちょうど思春期に差し掛かる頃であり,身体の成長(性徴)がめざましい時期です。しかし,その勢いが方向を誤ると厄介なことになります。それだけに,この時期における健康教育が重要となるでしょう。体育の授業における保健領域の学習に加えて,家庭に対する健康指導といったことも,重要な要素です。
次回は,別の統計指標を使って,加齢に伴う健康格差の変化の様相を観察しようと思います。
2012年3月25日日曜日
子どもの希望の剥奪
前回,若者(30代)の「希望」の話が出ましたが,「絶望の国」と形容される今の日本社会において,子どもたちはどれほど希望を持っているのでしょうか。
世間ズレしていない子どもの場合,大人とは違った側面が出てくると思われます。小学校低学年の児童に,将来の夢を尋ねた場合,「会社員」や「公務員」などというシニカルな答えが返ってくることは,そうはありますまい。スポーツ選手や芸術家など,大きな夢を口にする子どもが多いと思われます。
しかるに,そうした大きな希望も,在学期間中に,徐々に現実的なものに「クールアウト」されます。残念ですが,このようなことも,学校に期待される重要な社会的機能の一つです。
ですが,それも程度問題です。夢や希望を現実的な水準に「冷却」するというのならまだしも,それらの存在そのものが「破壊」されるというのは問題です。社会の中で果たすべき役割(アイデンティティ)を子どもに自覚させるべき学校において,それとは真逆のことが行われていることになります。
このような事態になっていないかを確認するには,将来の夢や目標を持っている(持っていない)子どもの量が,在学期間中にどう変化するかを観察するのがよいと思います。
小学校6年生と中学校3年生を対象とする,文科省の『全国学力・学習状況調査』は,2007年度から実施されています。同年度の調査対象となった小学校6年生は,3年後の2010年度には中学校3年生になっています。つまり,2010年度調査において,再び調査対象に据えられているわけです。
2007年度の小6調査と,2010年度の中3調査の結果を比較することで,同一集団(1995年4月~1996年3月生まれ世代)の意識の変化を明らかにすることができます。私は,「将来の夢や目標を持っていますか」という問いに対する,この世代の回答分布が,小6から中3にかけてどう変わったかを調べました。
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/zenkokugakuryoku.html
文科省の上記調査は,2010年度より抽出調査になっています。よって,調査対象校の設置者構成(国公私)が変わっていることが考えられますので,公立学校の対象者の統計を使います。
上図によると,小6から中3までの3年間にかけて,将来の夢や目標(以下,希望)を持っている子どもが減っています。「あてはまる」という最も強い肯定の回答の量は,66.6%から44.3%に減少します。代わって,後二者の否定の回答の数値が16.1%から28.2%へと増加します。
小6から中3にかけての変化は,希望の内容の修正(冷却)というよりも,希望そのものの剥奪という性質のものであるようです。わずか3年間で,これほどまでの変化があるとは。
中学校になると,試験の回数が多くなり,周囲と比した自分の位置を冷徹に思い知らされる機会が多くなります。また,主要教科の勉強が重視されるようになり,工作や音楽などができても,「そんなことができて何になるのだ」と一蹴されることも多くなるでしょう。こういうことが,上記のような(病理)現象を来たしているのかもしれません。
ところで,上図にみられるような,希望の「剥落」現象の程度は,地域によって異なっています。私は,上図と同じ統計を47都道府県について作成しました。上記の設問に対し,「あてはまる」と答えた者の比率が,小6から中3にかけてどう変わったかを,県別にみてみましょう。
希望を持っている子どもの比率は,小6,中3とも,宮崎が最も高くなっています。その反対は新潟です。小6から中3にかけて数値が低下するのは全県共通の傾向ですが,その程度は一様ではありません。
この3年間の減少率を出すと,最も高いのは岩手で,38.6%の減です(65.0→39.9)。減少率の上位5位は,岩手,鳥取,滋賀,新潟,および福岡です。これらの県は,中学校在学中における,子どもの希望の剥落が比較的大きいと判断されます。
減少率が最も低いのは福井で,それに次いで,栃木,宮崎,青森,秋田,となっています。福井と秋田は学力テストの上位常連県ですが,この2県の偉業は,子どもの希望の剥落の程度が小さい点にも見出されます。
上表の減少率が大きい県と小さい県では,何が違うのでしょうか。学力の地域差の要因に関心が向けられることが多いのですが,こういう面での地域差の要因分析も重要であると存じます。この点については,地域の社会経済特性よりも,各県の学校における教育実践の中身の要因の規定力が大きいと思われます。
文科省の『全国学力・学習状況調査』では,調査対象の各学校に対し,「児童・生徒に将来就きたい仕事や夢について考えさせる指導をしていますか」と問うています。この設問への回答状況と,子どもの希望の量の相関分析をしてみたらどうでしょう。
文科省の学力調査は「宝の山」で,いろいろやりたい課題が出てきます。きちんとメモを取っておかねば。
世間ズレしていない子どもの場合,大人とは違った側面が出てくると思われます。小学校低学年の児童に,将来の夢を尋ねた場合,「会社員」や「公務員」などというシニカルな答えが返ってくることは,そうはありますまい。スポーツ選手や芸術家など,大きな夢を口にする子どもが多いと思われます。
しかるに,そうした大きな希望も,在学期間中に,徐々に現実的なものに「クールアウト」されます。残念ですが,このようなことも,学校に期待される重要な社会的機能の一つです。
ですが,それも程度問題です。夢や希望を現実的な水準に「冷却」するというのならまだしも,それらの存在そのものが「破壊」されるというのは問題です。社会の中で果たすべき役割(アイデンティティ)を子どもに自覚させるべき学校において,それとは真逆のことが行われていることになります。
このような事態になっていないかを確認するには,将来の夢や目標を持っている(持っていない)子どもの量が,在学期間中にどう変化するかを観察するのがよいと思います。
小学校6年生と中学校3年生を対象とする,文科省の『全国学力・学習状況調査』は,2007年度から実施されています。同年度の調査対象となった小学校6年生は,3年後の2010年度には中学校3年生になっています。つまり,2010年度調査において,再び調査対象に据えられているわけです。
2007年度の小6調査と,2010年度の中3調査の結果を比較することで,同一集団(1995年4月~1996年3月生まれ世代)の意識の変化を明らかにすることができます。私は,「将来の夢や目標を持っていますか」という問いに対する,この世代の回答分布が,小6から中3にかけてどう変わったかを調べました。
http://www.nier.go.jp/kaihatsu/zenkokugakuryoku.html
文科省の上記調査は,2010年度より抽出調査になっています。よって,調査対象校の設置者構成(国公私)が変わっていることが考えられますので,公立学校の対象者の統計を使います。
上図によると,小6から中3までの3年間にかけて,将来の夢や目標(以下,希望)を持っている子どもが減っています。「あてはまる」という最も強い肯定の回答の量は,66.6%から44.3%に減少します。代わって,後二者の否定の回答の数値が16.1%から28.2%へと増加します。
小6から中3にかけての変化は,希望の内容の修正(冷却)というよりも,希望そのものの剥奪という性質のものであるようです。わずか3年間で,これほどまでの変化があるとは。
中学校になると,試験の回数が多くなり,周囲と比した自分の位置を冷徹に思い知らされる機会が多くなります。また,主要教科の勉強が重視されるようになり,工作や音楽などができても,「そんなことができて何になるのだ」と一蹴されることも多くなるでしょう。こういうことが,上記のような(病理)現象を来たしているのかもしれません。
ところで,上図にみられるような,希望の「剥落」現象の程度は,地域によって異なっています。私は,上図と同じ統計を47都道府県について作成しました。上記の設問に対し,「あてはまる」と答えた者の比率が,小6から中3にかけてどう変わったかを,県別にみてみましょう。
希望を持っている子どもの比率は,小6,中3とも,宮崎が最も高くなっています。その反対は新潟です。小6から中3にかけて数値が低下するのは全県共通の傾向ですが,その程度は一様ではありません。
この3年間の減少率を出すと,最も高いのは岩手で,38.6%の減です(65.0→39.9)。減少率の上位5位は,岩手,鳥取,滋賀,新潟,および福岡です。これらの県は,中学校在学中における,子どもの希望の剥落が比較的大きいと判断されます。
減少率が最も低いのは福井で,それに次いで,栃木,宮崎,青森,秋田,となっています。福井と秋田は学力テストの上位常連県ですが,この2県の偉業は,子どもの希望の剥落の程度が小さい点にも見出されます。
上表の減少率が大きい県と小さい県では,何が違うのでしょうか。学力の地域差の要因に関心が向けられることが多いのですが,こういう面での地域差の要因分析も重要であると存じます。この点については,地域の社会経済特性よりも,各県の学校における教育実践の中身の要因の規定力が大きいと思われます。
文科省の『全国学力・学習状況調査』では,調査対象の各学校に対し,「児童・生徒に将来就きたい仕事や夢について考えさせる指導をしていますか」と問うています。この設問への回答状況と,子どもの希望の量の相関分析をしてみたらどうでしょう。
文科省の学力調査は「宝の山」で,いろいろやりたい課題が出てきます。きちんとメモを取っておかねば。
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