11月15日の記事では,近年になって餓死者が増えていることをみました。飽食といわれる現代日本での現象であるだけに,注目されるべきことです。
上記記事では,1997年以降の推移をたどったのですが,今回はもっと遡って,戦後初期の頃からの変化を跡づけてみます。ソースは,厚労省の『人口動態統計』です,今日,総務省統計局の図書館に出向いたので,本資料のバックナンバーにあたって,数字を採取してきました。
ここでいう餓死者とは,以下の死因による死亡者のことをいいます。
1950年~1994年 ・・・ 「栄養欠乏」+「飢え,渇,不良環境への放置」
1995年以降 ・・・ 「栄養欠乏」+「栄養失調」+「食料の不足」
1994年までの「栄養欠乏」の中には,栄養失調も含まれます。95年以降は,栄養欠乏と栄養失調のカテゴリーが分かれているので,整合性を持たせるため,両者を合算しました。11月15日の記事では,「栄養失調」と「食料の不足」を足した数を餓死者としましたが,今回の分析では,栄養欠乏も加えています。ゆえに,先の記事とは数が異なることに留意ください。
上記の意味での餓死者数は,1950年から2011年の約60年間において,下図のように推移してきています。
食べ物にも事欠いていた戦後初期の頃では,餓死者が多かったようです。1950年(昭和25年)では,9,119人。しかし,社会が安定するとともに餓死者数はぐんぐん減り,10年後の1960年には1,362人にまで減少します。
高度経済成長期が終わる頃の1970年には622人となり,以後,70年代から80年代にかけては大よそ500人前後で推移します。
陰りが見え始めるのは,1990年代以降です。この時期から餓死者数は増加に転じ,阪神大震災が起きた1995年には1,000人を超えます。今世紀初頭の2001年には1,500人を超え,それから10年を経た2011年現在では2,053人となっています。とうとう2,000人突破です。
現在の餓死者数は,1950年代後半の頃の水準に立ち戻っています。90年代以降の不況や孤族化の影響がまざまざと表れています。
最近10年間のトレンドでいうと,餓死者の年間平均増加数は50人ほどです。今後もこの傾向が続くとすると,今から20年後の2030年あたりには,餓死者数は3,000人を超えることが見込まれます。これは,1954年の数と同じくらいです。
餓死者数の恐怖のU字カーブが描かれることになるのか。加速度的に進む高齢化・孤族化,そして生活保護制度の抜本見直しなど,そうした事態が実現することの条件が多く出てきています。生活保護の不正受給はけしからぬことですが,生存権を保障するための最後のセーフティネットを根こそぎ破壊することがあってはなりません。
雨宮処凛さんの『14歳からわかる生活保護』(河出書房新社,2012年)を,図書館から借りてきました。こういう本を読んで,知的武装を図ることも大切かと。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309616766/
2012年11月22日木曜日
2012年11月21日水曜日
晴天の都立桜ヶ丘公園
昨日に続いて今日も晴天でした。こういう日は外に出るべし。昼下がり,自宅近くの都立桜ヶ丘公園をちょいと歩いてみました。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index065.html
メインロードと小高い丘からの眺望を2枚載せます。
園内には,明治天皇も数回訪れたとされる,旧多摩聖蹟記念館もあります。今日はそっちには行かなかったので,写真は後日。
ブログに写真を載せるのは,自分にとってのアルバムをつくることにもなります。ブログの語源は,WebにLog(記録)することです。ブログは,情報の発信機能とともに,それを蓄積する機能をも果たします。
アルバムは概してかさばるものですが,ブログならスペースいらず。わが子の成長の過程を,写真つきでブログに綴っている親御さんもいるようですが,後々,思い出をクリック一つで呼び出せるのでとても便利ですよね。
もっとも,色あせた写真が詰まったアルバムのほうが含蓄がある,という見方もあるでしょうが。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index065.html
メインロードと小高い丘からの眺望を2枚載せます。
園内には,明治天皇も数回訪れたとされる,旧多摩聖蹟記念館もあります。今日はそっちには行かなかったので,写真は後日。
ブログに写真を載せるのは,自分にとってのアルバムをつくることにもなります。ブログの語源は,WebにLog(記録)することです。ブログは,情報の発信機能とともに,それを蓄積する機能をも果たします。
アルバムは概してかさばるものですが,ブログならスペースいらず。わが子の成長の過程を,写真つきでブログに綴っている親御さんもいるようですが,後々,思い出をクリック一つで呼び出せるのでとても便利ですよね。
もっとも,色あせた写真が詰まったアルバムのほうが含蓄がある,という見方もあるでしょうが。
2012年11月20日火曜日
学歴別の初任給
11月15日に,2011年の厚労省『賃金構造基本統計』の初任給調査結果が公表されました。新規学卒者の初任給を,学歴別に知ることができます。それをご紹介します。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chingin_zenkoku.html
用語解説によると,初任給とは,「2011年に採用し,6月30日現在で実際に雇用している新規学卒者の所定内給与額から通勤手当を除いたものであり,かつ,2011年6月30日現在で2011年度の初任給額として確定したもの」だそうです。調査対象は,10人以上の事業所とのこと。
下表は,男子新規学卒者の初任給月額を,学歴別に整理したものです。業種ごとの違いにも注意しています。
初任給額は,学歴によって違っています。高学歴の者ほど,多い額を得ています。「そんなの,分かり切ったことじゃん」といわれるかもしれませんが,そもそも学歴によって給与が異なるのはなぜでしょう。
単純な人的資本論によると,人は,教育を受ければ受けるほど生産性が向上すると考えられます。よって,高学歴者は高い給与を得て然るべし,ということになります。
とても分かりやすいロジックですが,「学歴と生産性が比例する」という前提は,怪しいものにも思えます。表をよくみると,大卒と大学院卒の初任給の差が最も大きいのは,卸売業・小売業です。この業種での新規採用者がやる仕事の大半は,店頭での接客でしょう。大学卒よりも,修士論文を仕上げた修士卒のほうが,接客スキルが上なのか。明らかに?です。むしろ,逆であることのほうが多いのではないでしょうか。
企業が学歴で給与に差をつけるのは,生産性を厳密に査定するのは面倒なので,それを手っとり早く測るシグナルとして学歴を利用する,という理由によることがほとんどです。とくに,情報が乏しい新規採用者の初任給については,ほぼ100%学歴に依拠して決められるといってよいでしょう。
なるほど。企業が大学院修了者を雇うのを嫌がるのも,分かろうというものです。即戦力となるスキルがあるかどうか怪しいにもかかわらず(ない場合が多い),形の上では高い給与を払わねばならないわけですから。文系の院修了者に至ってはなおさらです。
そういえば,11月19日の「ダイヤモンド・オンライン」に,面白い記事が載っていました。「一度レールを外れるとバイトにすら就けない!高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実」と題するものです。
http://diamond.jp/articles/-/28112
この記事では,博士号を取得した後,関東の某大学で10年以上研究員を勤めたものの,上司の教授との折り合いが悪くなり,雇い止めとなった女性のケースが紹介されています。
この女性は研究職を諦めて職探しをするのですが,「博士さまを,社員として雇う会社はない」と立て続けに断られます。当面の糊口をしのぐため,ちょっとしたバイトをしようと履歴書を出せば,以下のように怒鳴られたとのこと。
「こんな高学歴なのに,うちでバイトしたいというのか? ふざけているのか?」
「バイトにすら就けない」という,記事のタイトルのフレーズ,偽りなしです。雇う側にすれば,博士号という最高学歴保有者に対しては,とてつもなく高い給与を払わねばならない,という思い込みがあるのでしょう。
多くの企業は,求職に訪れた人間の価値を,年齢や学歴といった分かりやすい属性で判断します。このことは,今問題になっている「高学歴ワーキングプア」が発生することの条件をなしています。9月4日の記事でみたような,大学院博士課程修了者の惨状も,このことに由来するとみられます。
先の女性については,「あなたは経歴からして,本社の業種は初心者であるとみられるので,給与はそれなりの額でいいですか」と聞くことができないのでしょうか。アメリカでは,このようなことを口にしたら,求職者の側から訴えられるという話を聞きますが,そういうことを恐れているのでしょうか。
しからば,数カ月のトライアル雇用でもして,生産性の程度を可視化したうえで,給与の合意に踏み切ればよさそうなものですが,それはコストと労力がかかるのでご免こうむりたい,ということでしょうか。
城繁幸氏は,仕事に給与を割り当てる「職務給」の導入を提言していますが,私もそれに賛成です。それが普及すれば,「低学歴者=生産性不足,高学歴者=高給取り」という機械的な図式に由来する学歴差別の問題も解消されることでしょう。
この案の実現の度合いは,冒頭でみた学歴別の初任給統計の有様によって教えられることになります。今後も,注目していきたいデータです。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chingin_zenkoku.html
用語解説によると,初任給とは,「2011年に採用し,6月30日現在で実際に雇用している新規学卒者の所定内給与額から通勤手当を除いたものであり,かつ,2011年6月30日現在で2011年度の初任給額として確定したもの」だそうです。調査対象は,10人以上の事業所とのこと。
下表は,男子新規学卒者の初任給月額を,学歴別に整理したものです。業種ごとの違いにも注意しています。
初任給額は,学歴によって違っています。高学歴の者ほど,多い額を得ています。「そんなの,分かり切ったことじゃん」といわれるかもしれませんが,そもそも学歴によって給与が異なるのはなぜでしょう。
単純な人的資本論によると,人は,教育を受ければ受けるほど生産性が向上すると考えられます。よって,高学歴者は高い給与を得て然るべし,ということになります。
とても分かりやすいロジックですが,「学歴と生産性が比例する」という前提は,怪しいものにも思えます。表をよくみると,大卒と大学院卒の初任給の差が最も大きいのは,卸売業・小売業です。この業種での新規採用者がやる仕事の大半は,店頭での接客でしょう。大学卒よりも,修士論文を仕上げた修士卒のほうが,接客スキルが上なのか。明らかに?です。むしろ,逆であることのほうが多いのではないでしょうか。
企業が学歴で給与に差をつけるのは,生産性を厳密に査定するのは面倒なので,それを手っとり早く測るシグナルとして学歴を利用する,という理由によることがほとんどです。とくに,情報が乏しい新規採用者の初任給については,ほぼ100%学歴に依拠して決められるといってよいでしょう。
なるほど。企業が大学院修了者を雇うのを嫌がるのも,分かろうというものです。即戦力となるスキルがあるかどうか怪しいにもかかわらず(ない場合が多い),形の上では高い給与を払わねばならないわけですから。文系の院修了者に至ってはなおさらです。
そういえば,11月19日の「ダイヤモンド・オンライン」に,面白い記事が載っていました。「一度レールを外れるとバイトにすら就けない!高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実」と題するものです。
http://diamond.jp/articles/-/28112
この記事では,博士号を取得した後,関東の某大学で10年以上研究員を勤めたものの,上司の教授との折り合いが悪くなり,雇い止めとなった女性のケースが紹介されています。
この女性は研究職を諦めて職探しをするのですが,「博士さまを,社員として雇う会社はない」と立て続けに断られます。当面の糊口をしのぐため,ちょっとしたバイトをしようと履歴書を出せば,以下のように怒鳴られたとのこと。
「こんな高学歴なのに,うちでバイトしたいというのか? ふざけているのか?」
「バイトにすら就けない」という,記事のタイトルのフレーズ,偽りなしです。雇う側にすれば,博士号という最高学歴保有者に対しては,とてつもなく高い給与を払わねばならない,という思い込みがあるのでしょう。
多くの企業は,求職に訪れた人間の価値を,年齢や学歴といった分かりやすい属性で判断します。このことは,今問題になっている「高学歴ワーキングプア」が発生することの条件をなしています。9月4日の記事でみたような,大学院博士課程修了者の惨状も,このことに由来するとみられます。
先の女性については,「あなたは経歴からして,本社の業種は初心者であるとみられるので,給与はそれなりの額でいいですか」と聞くことができないのでしょうか。アメリカでは,このようなことを口にしたら,求職者の側から訴えられるという話を聞きますが,そういうことを恐れているのでしょうか。
しからば,数カ月のトライアル雇用でもして,生産性の程度を可視化したうえで,給与の合意に踏み切ればよさそうなものですが,それはコストと労力がかかるのでご免こうむりたい,ということでしょうか。
城繁幸氏は,仕事に給与を割り当てる「職務給」の導入を提言していますが,私もそれに賛成です。それが普及すれば,「低学歴者=生産性不足,高学歴者=高給取り」という機械的な図式に由来する学歴差別の問題も解消されることでしょう。
この案の実現の度合いは,冒頭でみた学歴別の初任給統計の有様によって教えられることになります。今後も,注目していきたいデータです。
2012年11月18日日曜日
教員の同業婚
批判を込めていうのではないですが,教員は視野が狭いといわれます。子ども期を終え,就職した後もずっと学校で過ごすのですから,学校の外の社会に接する機会を持ち得ないわけです。
このことにかんがみ,教員研修の中に,「社会の構成員としての視野を拡大する等の観点から,現職の教員を民間企業,社会福祉施設等学校以外の施設等へ概ね1か月から1年程度派遣して行う研修」が組み込まれています。長期社会体験研修というものです。2010年度では,543人の教員が民間企業等に派遣されたとのこと(文科省調べ)。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenshu/index.htm
ところで,教員の生活世界が狭いことをうかがわせる統計があります。同業婚の多さです。PISA2006の生徒質問紙調査では,対象の15歳の生徒に対し,両親の職業を尋ねています。この結果を使って,職業別の同業婚率を試算してみました。用いたのは,同調査のローデータです。
http://pisa2006.acer.edu.au/downloads.php
Q8aでは,父親の職業を問うています。職業名を記入してもらい,それを後から分類するアフターコード形式です。日本の生徒の回答をみると,有効回答を寄せた5,475人のうち,247人の回答が"TEACHING PROFESSIONALS"と括られています。小・中・高の教員のほか,特別支援学校教員,大学教員,視学官,および他の教育専門職も含む雑多なカテゴリーですが,多くは小・中・高の教員であると思われます。以下では,単に「教員」ということにしましょう。
Q5aでは,母親の職業を聞いています。先ほどの設問への回答とのクロスをとると,父の職業が教員である247人のうち,110人の生徒が,母の職業も教員と分類されています。この結果をもとにすると,男性教員のうち,妻も教員であるという者の比率は,110/247 ≒ 44.5%となります。この値をもって,同業婚率とみなしましょう。男性の側からしたものです。
ほう。教員の場合,同業婚率は半分近くにもなるのですね。はて,この値は高いのか低いのか。他の職業と比べてみましょう。19の職業カテゴリーについて,同じやり方で同業婚率を出してみました。当該職業の父を持つ生徒数(a)が50人に満たないカテゴリーは,分析の対象としていません。
職業カテゴリーの名称は,コードブックに記載されている英文表記を転写しました。私の拙い英語力で訳すよりも,こちらのほうがよいと考えたからです。
教員の同業婚率は,19の職業カテゴリーの中で最も高くなっています。その次が,熟練農漁業労働者(6100)で,38.3%となっています。農村の第1次産業では,同業の夫婦の共働きが多いためでしょう。
3番目は,医療専門職(2200)です。同業婚率35.2%なり。お医者さんなどは,階層的閉鎖性が結構強そうだなあ。
ここで出したのは,子どもの回答を介した同業婚率です。子がいない夫婦はオミットされています。多忙のゆえか,教員はDINKSが結構多いような印象を持ちますが,子がいない夫婦も加味したら,教員の同業婚率はもっとアップしたりして・・・。
大雑把な職業カテゴリーであることに注意を要しますが,教員の同業婚率が高いことを知りました。咎めるようなことではありませんが,先に述べたように,教員の生活世界が狭いことを示唆しているように思います。
教員にあっては,結婚の半分近くが,職場での出会いによる同業婚。学校という職域が生活構造の多くを占め,家庭やその他第3の場での生活が圧迫されているのではないでしょうか。
現在,教員免許更新制導入など,長期休業中まで,教員の生活の「学校化」を押し進める政策がとられています。8月14日の記事でも申しましたが,休みの期間くらい,教員をして「黒板とチョークの世界」から解放すべきであると存じます。8月28日の中教審答申がいうところの,「総合的な人間力」を培養するためにもです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325092.htm
あと一点。5月11日の記事でみたように,教員の自殺原因では,「夫婦間の不和」というものが比較的多いのですが,同業婚が多いことからすると,お互い多忙で,知らぬ間に夫婦関係に亀裂が走る,というようなことが多いのかもしれません。学校のみならず,癒しの場であるはずの家庭までもが「戦場」と化したのでは,たまったものではありますまい。
私は,現代の教職危機というのは,生活者としての教員のトータルな生活構造の面から考察しなければならないと考えています。同業婚を通して,教員の生活構造の歪み・偏りが透けて見えるような気がします。
蛇足ながら,今朝撮った写真を一枚。自宅近くから撮った富士山です。名づけて「朝富士」。
では,よい休日を。
このことにかんがみ,教員研修の中に,「社会の構成員としての視野を拡大する等の観点から,現職の教員を民間企業,社会福祉施設等学校以外の施設等へ概ね1か月から1年程度派遣して行う研修」が組み込まれています。長期社会体験研修というものです。2010年度では,543人の教員が民間企業等に派遣されたとのこと(文科省調べ)。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenshu/index.htm
ところで,教員の生活世界が狭いことをうかがわせる統計があります。同業婚の多さです。PISA2006の生徒質問紙調査では,対象の15歳の生徒に対し,両親の職業を尋ねています。この結果を使って,職業別の同業婚率を試算してみました。用いたのは,同調査のローデータです。
http://pisa2006.acer.edu.au/downloads.php
Q8aでは,父親の職業を問うています。職業名を記入してもらい,それを後から分類するアフターコード形式です。日本の生徒の回答をみると,有効回答を寄せた5,475人のうち,247人の回答が"TEACHING PROFESSIONALS"と括られています。小・中・高の教員のほか,特別支援学校教員,大学教員,視学官,および他の教育専門職も含む雑多なカテゴリーですが,多くは小・中・高の教員であると思われます。以下では,単に「教員」ということにしましょう。
Q5aでは,母親の職業を聞いています。先ほどの設問への回答とのクロスをとると,父の職業が教員である247人のうち,110人の生徒が,母の職業も教員と分類されています。この結果をもとにすると,男性教員のうち,妻も教員であるという者の比率は,110/247 ≒ 44.5%となります。この値をもって,同業婚率とみなしましょう。男性の側からしたものです。
ほう。教員の場合,同業婚率は半分近くにもなるのですね。はて,この値は高いのか低いのか。他の職業と比べてみましょう。19の職業カテゴリーについて,同じやり方で同業婚率を出してみました。当該職業の父を持つ生徒数(a)が50人に満たないカテゴリーは,分析の対象としていません。
職業カテゴリーの名称は,コードブックに記載されている英文表記を転写しました。私の拙い英語力で訳すよりも,こちらのほうがよいと考えたからです。
教員の同業婚率は,19の職業カテゴリーの中で最も高くなっています。その次が,熟練農漁業労働者(6100)で,38.3%となっています。農村の第1次産業では,同業の夫婦の共働きが多いためでしょう。
3番目は,医療専門職(2200)です。同業婚率35.2%なり。お医者さんなどは,階層的閉鎖性が結構強そうだなあ。
ここで出したのは,子どもの回答を介した同業婚率です。子がいない夫婦はオミットされています。多忙のゆえか,教員はDINKSが結構多いような印象を持ちますが,子がいない夫婦も加味したら,教員の同業婚率はもっとアップしたりして・・・。
大雑把な職業カテゴリーであることに注意を要しますが,教員の同業婚率が高いことを知りました。咎めるようなことではありませんが,先に述べたように,教員の生活世界が狭いことを示唆しているように思います。
教員にあっては,結婚の半分近くが,職場での出会いによる同業婚。学校という職域が生活構造の多くを占め,家庭やその他第3の場での生活が圧迫されているのではないでしょうか。
現在,教員免許更新制導入など,長期休業中まで,教員の生活の「学校化」を押し進める政策がとられています。8月14日の記事でも申しましたが,休みの期間くらい,教員をして「黒板とチョークの世界」から解放すべきであると存じます。8月28日の中教審答申がいうところの,「総合的な人間力」を培養するためにもです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325092.htm
あと一点。5月11日の記事でみたように,教員の自殺原因では,「夫婦間の不和」というものが比較的多いのですが,同業婚が多いことからすると,お互い多忙で,知らぬ間に夫婦関係に亀裂が走る,というようなことが多いのかもしれません。学校のみならず,癒しの場であるはずの家庭までもが「戦場」と化したのでは,たまったものではありますまい。
私は,現代の教職危機というのは,生活者としての教員のトータルな生活構造の面から考察しなければならないと考えています。同業婚を通して,教員の生活構造の歪み・偏りが透けて見えるような気がします。
蛇足ながら,今朝撮った写真を一枚。自宅近くから撮った富士山です。名づけて「朝富士」。
では,よい休日を。
2012年11月16日金曜日
紅葉の高尾山
今日は,非常勤の授業の帰りに,高尾山に行ってきました。京王線の高尾山口駅からちょっと歩いて,エコーリフトで登ること約15分。展望台に到着です。そこからの眺めは壮観なり。
まずは北側を一枚。中央道が写っています。この季節ですので,葉っぱが色づいています。澄みわたる青空と紅葉のコントラストがナイス。
続いて都心方面です。天気がいい日はスカイツリーも見えるそうですが,ここには写っていません。方向を外したかしらん。
高尾山の紅葉は,11月の下旬頃までが見頃だそうです。近場ですので,足を運ばれてはいかがでしょう。リフトで登った後,徒歩で標高599メートルの頂上まで登ってみるのもよし。ただし,山頂は冷えますので厚着で行かれますよう。
http://www.takaotozan.co.jp/
ところで高尾山のリフトですが,勾配が急で,しかもシートベルトがついてないので,下りは結構怖いです。眼下に広がる景色の中に,いきなり投げ出されるかのような感触を持ちます。そういうのはちょっと・・・という方は,並行して走るケーブルカーにしたほうがよいかもしれません。
私は出不精ですが,こういう行楽の機会を意図的に設けています。ただ,いつも一人というのが何とも寂しいのですが・・・。
まずは北側を一枚。中央道が写っています。この季節ですので,葉っぱが色づいています。澄みわたる青空と紅葉のコントラストがナイス。
続いて都心方面です。天気がいい日はスカイツリーも見えるそうですが,ここには写っていません。方向を外したかしらん。
高尾山の紅葉は,11月の下旬頃までが見頃だそうです。近場ですので,足を運ばれてはいかがでしょう。リフトで登った後,徒歩で標高599メートルの頂上まで登ってみるのもよし。ただし,山頂は冷えますので厚着で行かれますよう。
http://www.takaotozan.co.jp/
ところで高尾山のリフトですが,勾配が急で,しかもシートベルトがついてないので,下りは結構怖いです。眼下に広がる景色の中に,いきなり投げ出されるかのような感触を持ちます。そういうのはちょっと・・・という方は,並行して走るケーブルカーにしたほうがよいかもしれません。
私は出不精ですが,こういう行楽の機会を意図的に設けています。ただ,いつも一人というのが何とも寂しいのですが・・・。
2012年11月15日木曜日
餓死
2007年7月,北九州市で,50代男性のミイラ化した遺体が発見されました。死因は餓死。傍らの日記には,「おにぎりが食べたい」と記されていたそうです。
この男性は,就労できないにもかかわらず生活保護を打ち切られ,その後飢餓状態に苦しみ,餓死するに至ったとのことです。この事件は,わが国の生活保護の在り方を問い質す,「おにぎり食べたい事件」として広く知られています。
今の日本で餓死なんてあるのかと思われるかもしれませんが,格差社会化とともに,いざという時に助けてくれる「縁」を持たない人間が増える孤族化も進行しています。前回の記事では,孤独死が増えていることをみました。こうした社会変化は,上記のような悲劇が生じる条件を準備しているといえます。
飽食といわれる現代日本において,餓死する人間はどれほどいるのでしょう。厚労省の『人口動態統計』では,細かい死因ごとに死亡者の数が計上されているのですが,そこで設けられている死因カテゴリーに,「食糧の不足」と「栄養失調」があります。
この2つを足し合わせた数が,餓死者数の近似値であるとみてよいでしょう。厳密にいうと,後者の栄養失調は「食物の摂取不足,または摂取は十分でも消化・吸収の悪い時,あるいは食物の成分の不均衡,特に蛋白質の不足により現れる異常状態」(広辞苑)であり,全てが飢餓に由来するとは限りません。近似値という断りを入れるのは,このためです。ただし,以下では餓死者数ということにします。
『人口動態統計』の死因小分類については,1997年以降の結果をネット上で閲覧できます。私は,この年以降の餓死者数の推移をたどってみました。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
若干の凹凸はありますが,餓死者は年々増加しています。2011年の年間数値は1,746人です。1997年に比して1.7倍になっています。総人口は約1億2千万人ですから,確率的には「数万人に1人」というところですが,飽食の現代日本において,餓死が増えていることは注目されます。おそらくは,格差社会化,孤族化というような社会変化の影響が大きいことと思われます。
次に,年齢層別のトレンドもみてみましょう。冒頭の「おにぎり食べたい事件」の餓死者は50代でしが,統計的には,どの年齢層で餓死は多いのでしょうか。前回と同様,それぞれの年の各年齢層の数値を上から俯瞰する「社会地図」形式で結果を表現します。
餓死者は高齢層で多くなっています。2005年以降,80代では毎年500人以上の餓死者が出ています。①身体が弱ってくるという生理的要因,②働き口がないという社会的要因,そして③孤族化という近年固有の要因が,高齢層の餓死の増加をもたらしているものと思われます。社会的な介入が要請されるのは,②と③に対してです。
なお,餓死が増えているのは高齢者だけではありません。私の年齢層(30代)でも,1997年の26人から2011年の32人へと増加をみています。働き盛りだから大丈夫という予断は禁物です。若年のホームレスが増えているという報告もあります。
現代日本は,物質的には豊かな社会であるといわれます。ですが,「豊かさの中の貧困」は,近年,確実に広がってきています。生活保護受給者の増加,貧困率の上昇など,それを立証するデータは数多し。今回みた餓死者数も,そのうちの一つです。
この男性は,就労できないにもかかわらず生活保護を打ち切られ,その後飢餓状態に苦しみ,餓死するに至ったとのことです。この事件は,わが国の生活保護の在り方を問い質す,「おにぎり食べたい事件」として広く知られています。
今の日本で餓死なんてあるのかと思われるかもしれませんが,格差社会化とともに,いざという時に助けてくれる「縁」を持たない人間が増える孤族化も進行しています。前回の記事では,孤独死が増えていることをみました。こうした社会変化は,上記のような悲劇が生じる条件を準備しているといえます。
飽食といわれる現代日本において,餓死する人間はどれほどいるのでしょう。厚労省の『人口動態統計』では,細かい死因ごとに死亡者の数が計上されているのですが,そこで設けられている死因カテゴリーに,「食糧の不足」と「栄養失調」があります。
この2つを足し合わせた数が,餓死者数の近似値であるとみてよいでしょう。厳密にいうと,後者の栄養失調は「食物の摂取不足,または摂取は十分でも消化・吸収の悪い時,あるいは食物の成分の不均衡,特に蛋白質の不足により現れる異常状態」(広辞苑)であり,全てが飢餓に由来するとは限りません。近似値という断りを入れるのは,このためです。ただし,以下では餓死者数ということにします。
『人口動態統計』の死因小分類については,1997年以降の結果をネット上で閲覧できます。私は,この年以降の餓死者数の推移をたどってみました。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
若干の凹凸はありますが,餓死者は年々増加しています。2011年の年間数値は1,746人です。1997年に比して1.7倍になっています。総人口は約1億2千万人ですから,確率的には「数万人に1人」というところですが,飽食の現代日本において,餓死が増えていることは注目されます。おそらくは,格差社会化,孤族化というような社会変化の影響が大きいことと思われます。
次に,年齢層別のトレンドもみてみましょう。冒頭の「おにぎり食べたい事件」の餓死者は50代でしが,統計的には,どの年齢層で餓死は多いのでしょうか。前回と同様,それぞれの年の各年齢層の数値を上から俯瞰する「社会地図」形式で結果を表現します。
餓死者は高齢層で多くなっています。2005年以降,80代では毎年500人以上の餓死者が出ています。①身体が弱ってくるという生理的要因,②働き口がないという社会的要因,そして③孤族化という近年固有の要因が,高齢層の餓死の増加をもたらしているものと思われます。社会的な介入が要請されるのは,②と③に対してです。
なお,餓死が増えているのは高齢者だけではありません。私の年齢層(30代)でも,1997年の26人から2011年の32人へと増加をみています。働き盛りだから大丈夫という予断は禁物です。若年のホームレスが増えているという報告もあります。
現代日本は,物質的には豊かな社会であるといわれます。ですが,「豊かさの中の貧困」は,近年,確実に広がってきています。生活保護受給者の増加,貧困率の上昇など,それを立証するデータは数多し。今回みた餓死者数も,そのうちの一つです。
2012年11月13日火曜日
孤独死
現代日本では,血縁,地縁,社縁など,あらゆる「縁」から断絶された,孤独な人間が増えているといわれます。無縁社会の到来です。2010年11月に刊行された,NHK無縁社会プロジェクト取材班『無縁社会-無縁死3万2千人の衝撃-』(文藝春秋)は,大きな反響を呼びました。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163733807
この本では,誰にも看取られることなく息絶え,かつ遺骨の引き取り人もいない,無縁死を遂げた人間の数が明らかにされています。その数が,副題に掲げられている「3万2千人」であるとのことです。これは,年間の自殺者よりも少し多い数に相当します。
本書で無縁死とされているのは,行旅病人及行旅死亡人取扱法第1条2項がいう「住所,居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人」です。このような形の死亡者は,自治体が火葬・埋葬することとされています。その件数を,NHK取材班が全国の自治体に問い合わせ,総計した結果,上記の数になったということです。
さしあたりこの数が,無縁死の量を最も正確に表現しているとみてよいでしょう。ですが,時系列推移をたどれない,属性別の数を知ることができない,という不満も残ります。そこで,何か別の尺度はないかと探したところ,厚労省『人口動態統計』の死因統計の中に,「立会者のいない死亡」という死因カテゴリーがあることに気づきました。
「診断名不明確及び原因不明の死亡」という大カテゴリーに含まれる,小カテゴリーの一つです。死亡時に立会人がおらず,死因を特定できない死亡者です。原因不明の死亡に限定されますが,誰にも看取られることなく息絶えた人間の数を表していることは確かです。
私は,「立会者のいない死亡」という死因カテゴリーに相当する死亡者の数をもって,無縁死の量を測ることとしました。なお,「孤独死」という言い方のほうがポピュラーであると思うので,以下ではそういうことにします。
まずは,この数の時系列推移をたどってみましょう。『人口動態統計』については,政府統計の総合窓口(e-Sata)にて,1997年以降の結果を閲覧することができます。この年から2011年までの間に,立会者のいない死亡者の数がどう変化したかを跡づけました。以下では,孤独死者といいます。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
孤独死者の数は,年々増えています。世紀の変わり目に1,000人を超え,リーマンショックの翌年の2009年には2,000人に達しました。最新の2011年の年間数値は2,304人です。均すと,1日に約6人に割合で孤独死者が出ていることになります。
NHK取材班が明らかにした「3万2千人」よりもかなり少なくなっていますが,これは,原因不明の死亡に限定されているためと思われます。ちょっと「?」がつく数字ですが,先に記したように,孤独な死を遂げた人間の数であることは間違いないので,孤独死の現実数の相似値であるとみなす分には問題ありますまい。
原因不明の死亡に限られているというデメリットがありますが,それに代わるメリットもあります。属性別の数が分かることです。孤独死というと高齢者に固有の現象とみられがちですが,そうとは限りません。私くらいの年齢層でも起こり得ることです。上表の孤独死者数のトレンドを,年齢層別に分解してみましょう。
結果を一覧表で示すのは煩雑ですので,表現方法を工夫します。各年・各年齢層の孤独死者数を,上から俯瞰することのできる図をつくりました。恩師の松本良夫先生が考案された,社会地図図式です。
該当箇所の孤独死者数の概数が色で示されています。たとえば,2011年の60代の孤独死者数は699人ですから,黒色になっている次第です。
ざっとみてどうでしょう。時の経過とともに,50~70代あたりの部分に怪しい色が広がってきています。現在では,孤独死者数が最も多いのは60代です。2011年でいうと,60代の数(699人)が,全体の30.3%を占めています。
年齢が高いほど孤独死が多い,ということではなさそうです。80代や90代になると,施設に入所する高齢者が多いためと思われます。
ところで,若年層でも孤独死が増えてきています。私が属する30代でいうと,1997年では16人でしたが,2011年では97人です。未婚,ニート,ヒッキーなど,若年層の孤独を言い表す語は数多し。今後は,若年層の動向にも目配りする必要があるでしょう。
上図は,「孤独死化」という,現代日本社会の病理兆候を可視的に表現した図ととってください。次回は,同じく『人口動態統計』の死因統計を使って,また違った面の病理を表現してみようと思います。それは「餓死化」です。
ではこの辺りで。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163733807
この本では,誰にも看取られることなく息絶え,かつ遺骨の引き取り人もいない,無縁死を遂げた人間の数が明らかにされています。その数が,副題に掲げられている「3万2千人」であるとのことです。これは,年間の自殺者よりも少し多い数に相当します。
本書で無縁死とされているのは,行旅病人及行旅死亡人取扱法第1条2項がいう「住所,居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人」です。このような形の死亡者は,自治体が火葬・埋葬することとされています。その件数を,NHK取材班が全国の自治体に問い合わせ,総計した結果,上記の数になったということです。
さしあたりこの数が,無縁死の量を最も正確に表現しているとみてよいでしょう。ですが,時系列推移をたどれない,属性別の数を知ることができない,という不満も残ります。そこで,何か別の尺度はないかと探したところ,厚労省『人口動態統計』の死因統計の中に,「立会者のいない死亡」という死因カテゴリーがあることに気づきました。
「診断名不明確及び原因不明の死亡」という大カテゴリーに含まれる,小カテゴリーの一つです。死亡時に立会人がおらず,死因を特定できない死亡者です。原因不明の死亡に限定されますが,誰にも看取られることなく息絶えた人間の数を表していることは確かです。
私は,「立会者のいない死亡」という死因カテゴリーに相当する死亡者の数をもって,無縁死の量を測ることとしました。なお,「孤独死」という言い方のほうがポピュラーであると思うので,以下ではそういうことにします。
まずは,この数の時系列推移をたどってみましょう。『人口動態統計』については,政府統計の総合窓口(e-Sata)にて,1997年以降の結果を閲覧することができます。この年から2011年までの間に,立会者のいない死亡者の数がどう変化したかを跡づけました。以下では,孤独死者といいます。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html
孤独死者の数は,年々増えています。世紀の変わり目に1,000人を超え,リーマンショックの翌年の2009年には2,000人に達しました。最新の2011年の年間数値は2,304人です。均すと,1日に約6人に割合で孤独死者が出ていることになります。
NHK取材班が明らかにした「3万2千人」よりもかなり少なくなっていますが,これは,原因不明の死亡に限定されているためと思われます。ちょっと「?」がつく数字ですが,先に記したように,孤独な死を遂げた人間の数であることは間違いないので,孤独死の現実数の相似値であるとみなす分には問題ありますまい。
原因不明の死亡に限られているというデメリットがありますが,それに代わるメリットもあります。属性別の数が分かることです。孤独死というと高齢者に固有の現象とみられがちですが,そうとは限りません。私くらいの年齢層でも起こり得ることです。上表の孤独死者数のトレンドを,年齢層別に分解してみましょう。
結果を一覧表で示すのは煩雑ですので,表現方法を工夫します。各年・各年齢層の孤独死者数を,上から俯瞰することのできる図をつくりました。恩師の松本良夫先生が考案された,社会地図図式です。
該当箇所の孤独死者数の概数が色で示されています。たとえば,2011年の60代の孤独死者数は699人ですから,黒色になっている次第です。
ざっとみてどうでしょう。時の経過とともに,50~70代あたりの部分に怪しい色が広がってきています。現在では,孤独死者数が最も多いのは60代です。2011年でいうと,60代の数(699人)が,全体の30.3%を占めています。
年齢が高いほど孤独死が多い,ということではなさそうです。80代や90代になると,施設に入所する高齢者が多いためと思われます。
ところで,若年層でも孤独死が増えてきています。私が属する30代でいうと,1997年では16人でしたが,2011年では97人です。未婚,ニート,ヒッキーなど,若年層の孤独を言い表す語は数多し。今後は,若年層の動向にも目配りする必要があるでしょう。
上図は,「孤独死化」という,現代日本社会の病理兆候を可視的に表現した図ととってください。次回は,同じく『人口動態統計』の死因統計を使って,また違った面の病理を表現してみようと思います。それは「餓死化」です。
ではこの辺りで。
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