落第とは,法律用語で原級留置といいます。字のごとく,次の学年に進級できず,当該の学年に留置かれることです。
学校教育法施行規則第57条では,校長は平素の成績を勘案して,進級や卒業の可否を決めることと定められています。高校や大学だけでなく,義務教育の小・中学校でも同じです。よって小・中学校でも,成績不良者や長欠者の落第はあり得ることになります。
しかしながら,「かわいそう」という思いからか,日本では小・中学校で落第の措置がとられることはまずありません。年齢を重ねたら自動的に進級させる,年齢主義の考え方がとられています。
一方,諸外国はそうではありません。学部の比較教育の授業で,フランスでは小学校でもガンガン落第させると習った覚えがあります。課程の内容を習得しているかが厳密に試験され,それをもとに,進級の可否が決められるとのこと。年齢ではなく,課程の習得状況を重視する,課程主義の考えが採用されているわけです。
教育は社会によって異なりますが,義務教育段階での落第という点において,その差を明瞭に見てとることができます。今回は,小・中学校の落第率の国際比較をしてみましょう。
OECDの国際学力調査『PISA 2012』では,対象の15歳生徒に対し,「ISCED1」と「ISCED2」の段階の学校で,落第したことがあるかと尋ねています(Q7)。前者は初等教育(primary education),後者は前期中等教育(lower secondary education)に相当です。日本でいう,義務教育の小・中学校に対応するとみてよいでしょう。
https://pisa2012.acer.edu.au/
めぼしい国を取り出し,小学校段階の回答をグラフにすると,下図のようになります。日本の生徒は,この質問には回答していません。小学校での落第なんて皆無と分かり切っているためでしょう。
主要国の15歳生徒の回答ですが,小学校での落第経験者は少しはいます。韓国は3.2%,アメリカは10.2%,イギリスは1.9%,ドイツは10.0%,フランスは16.4%,スウェーデンは3.1%,ブラジルは23.4%です。
米独仏は10%超で,南米のブラジルでは小学校でも4人に1人が落第させられたと。スゴイですねえ。われわれの感覚からしたら,ちょっと驚きです。
なお他の国をみると,もっと高い値が出てきます。調査対象の60か国について,小・中学校での落第経験率を計算し,高い順に並べたランキング表をつくってみました(日本は0.0%と仮定)。
小学校の経験率トップはポルトガルで24.5%,中学校は北アフリカのチュニジアが最高です(29.9%)。小学校で4人に1人,中学校で3人に1人を落第させる社会もあると。
上位をみると,南米などの発展途上国が多く名を連ねています。おそらくは,児童労働の問題も絡んでいることでしょう。
先進国ではフランスがトップです。なるほど,学部の比較教育の講義で習った通り。この文化国では,小・中学校といえど,課程の習得状況が厳正に試験され,進級の可否が決められているようです。
われわれが信じて疑わない常識が相対化されますね。しかし世界からすれば,日本の状況が特異と驚かれることでしょう。「小・中学校の落第率0%! さすがジャパン。全ての児童・生徒に,課程の内容を習得させることに成功している」と。
しかし,こんなことを言われたら,歯がゆさを禁じえません。わが国において,形式的就学(進級)が蔓延っているのは,よく知られていること。授業を理解している者の比率は小学校で7割,中学校で5割,高校で3割といわれ,「七五三」などと揶揄されています。
最後に,60か国の義務教育の落第経験率をグラフにしておきます。横軸に小学校,縦軸に中学校での落第経験率をとった座標上に,60の社会をプロットしたものです。
日本では,義務教育段階で落第させるのは,「恥をかかせること,かわいそう」という思いが強くあります。確かに,年下の子どもと机を並べるのは,屈辱感を伴うでしょう。何事も年齢を重視するわが国あっては,なおのこと。だから年齢を重ねたら自動的に進級させる,年齢主義が採用されているわけです。
しかしフランスなどの諸外国では,課程の内容をちゃんと習得しないまま進級させることこそ「かわいそう」という見方がとられています。
文化の違いといえばそれまでですが,日本でも,形式的就学(進級)の病理を克服しようという動きが出ています。2008年の改定学習指導要領では,課程の内容をきちんと習得・定着させるため,前学年の内容を必要に応じて復習することと定めています。算数や理科といった理系教科では,とくにです。
落第はさせないという考えは残した,対処療法です。年齢主義の伝統が強いわが国,いきなり欧米流の落第方式を持ち込んだら,大きな混乱が起きることは必至。よって,自国に即したやり方で,事態を徐々に変えていく。現段階でできるのは,こういうことです。
ただ,自国のやり方(年齢主義)というのが,国際的にみたら普遍的でも何でもない,むしろ特異なものであることが,今回のデータから分かるかと思います。こういう視点を持つと,教育改革の道筋を考える際も,発想の幅が広がりますよね。
まあしかし,これから日本でも,外国籍の子どもが増えるなど,学校が多国籍化していきます。こうなった時,日本流の年齢主義をいつまでも固持することができるか。国際化の波に洗われた10年後,20年後あたりは,上記の図における日本の位置も違っているかもしれません。
私としては,それをちょっと期待します。教育は変わるという,希望的事実になるからです。