2015年12月13日日曜日

健康格差に対する認識

 先日,2014年の厚労省『国民健康栄養調査』の結果が公表されました。新聞等でも報じられましたが,今回の目玉は,対象者の世帯所得との関連を分析していることです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000106405.html

 上記サイトの調査結果ポイントによると,「所得の低い世帯では,所得の高い世帯と比較して,穀類の摂取量が多く野菜類や肉類の摂取量が少ない,習慣的に喫煙している者の割合が高い,健診の未受診者の割合が高い,歯の本数が20歯未満の者の割合が高いなど,世帯の所得の違いにより差がみられた」とのこと。

   既存統計を使って,この手の分析を多く手掛けている私にすれば,さもありなんです。それが官庁調査の個人データで明らかにされたのは画期的です。傾向がクリアーな4項目のデータをグラフにしておきます。成人男性のデータです。統計的手法により,年齢ならびに世帯人員の影響は除去されているそうです。


   健診未受診率,肥満率,歯の数が20本に満たない者の率は,低所得層ほど高くなる。野菜摂取量は,高所得層ほど高い傾向。低所得層は生活にカツカツで,自身の健康に気を配る余裕がないためでしょう。

   肉を好み野菜を食べない,ラーメン二郎のようなジャンクなものを好んで食す,飲酒や喫煙をするなどは個人の嗜好ですので,他人がとやかく言うことではありません。しかし,それが度を超すと健康に悪影響が出ることは,医学上の定説です。さらにそうした偏りが低所得層に集中しているとなると,社会的な啓発や支援も必要になります。当人の自己責任として放置してよいことにはなりません。

   しかるに,上記のようなデータがあまり出されないためか,日本人は貧困に由来する健康格差問題への認識が薄いようです。国際社会調査プログラム(ISSP)が2011年に実施した健康意識調査によると,「貧困は,健康問題の原因となる」という項目に「そう思う」と答えた者の比率は,日本では29.7%だったそうです。韓国は65.7%,アメリカは54.0%,イギリスは53.7%,西ドイツは51.2%,フランスは54.5%,スウェーデンは42.7%ですから,主要国の中ではダントツで低くなっています。
   
   問題の原因を,当人の健康管理の欠如,怠惰に帰しているのでしょう。確かにそうなのですが,そうした乱れ(荒み)が,貧困という生活条件から来ていることへの認識が薄い。これがわが国の特徴です。

   それゆえに,健康問題の解決に税金を投じることに賛成する国民の率も,他国に比して低くなっています。「肥満防止施策に税金を使う」ことに対する賛成率は,日本は40.6%で,こちらも主要国では最下位です。

   もっと多くの国を含めた全体構造の中に,日本を位置付けてみましょう。横軸に「貧困は,健康問題の原因となると思う」の率,縦軸に「肥満防止施策に税金を使うことに賛成」の率をとったマトリクス上に,上記のISSP調査の対象となった34か国をプロットしてみました。


   ご覧のように,日本は最も左下にあります。健康問題を当人の自己責任として捨てるのではなく,社会的な視野で考えようという意識が,最も希薄な社会です。

   これはおそらく,他の問題についてもいえるのではないでしょうか。たとえば,横軸の「健康問題」を「学力遅滞」,縦軸の「肥満防止施策」を「学力格差是正施策」に変えて意見を問うても,似たような図柄になると思われます。

   わが国では,この種の問題の原因を当人の責に帰す傾向が強く,家庭環境のような外的条件に目を向けることはタブー視されるきらいがあります。教育社会学者の多くが感じている不満でしょうが,アンケートで保護者の年収や学歴などを尋ねようとすると,拒否されるのが常です。これでは,不利な条件の家庭の子どもに対する支援はおぼつきません。貧困に由来する,学力格差や健康格差の問題から目をそらしてはいけないと思います。

   最近ではようやく事態が変わり,2013年度の『全国学力・学習状況調査』では,対象児童・生徒の家庭環境が把握され,学力との関連が分析されました。そこで提示されたデータは,保護者の学歴や年収と平均正答率の,「残酷」ともいえるまでの相関関係です。

   これにより,問題の社会的規定性が世間に理解され,東京都の足立区のように,子どもの貧困実態調査を独自に行う自治体も出てきました。こうした取組により,「生まれ」によってライフチャンスや心身の健康が制約されることのないような社会の実現が望まれます。

   上記の散布図は2011年の国際データですが,数年後に実施される同種の健康意識調査では,日本の位置が変わっていることを強く欲します。

   しかし,社会を動かす上で,データの力は侮れないと感じます。握りこぶしを振り上げて「**すべし」と訴えるのは簡単ですが,それが世論を説得し,資源の投入が認められ,具体的な政策につながるには,データ(エビデンス)が求められます。よくいわれる「Evidence based policy」とは,このことです。

   私は,4月8日の日経デュアル記事にて,家庭環境と非行発生率の関連を明らかにしたのですが,「こういうデータは,一人親家庭への偏見を助長する」というコメントが書き込まれました。まったく心外です。私は,そんなことは微塵も意図していません。非行防止に際して,不利な条件の家庭への支援が必要であると主張したいまでです。それを具現するには,こういうデータ提示が不可欠であることは,言うまでもありません。それとも,この種の分析をやってはいけないのでしょうか?

   このような考えが,問題に対する世人の目を曇らせ,社会的な次元での解決策を滞らせていると思います。私はFBをやっていませんので,ここで反論しておくことにいたしましょう。