8月10日の記事では,民間企業勤務者の年収分布をもとに,ジニ係数の推移を出してみました。しかしこのデータには,就業していない者や公務員は含まれていません。
今回は,社会のありとあらゆる層を含んだ統計を使って,わが国のジニ係数の推移を明らかにしようと思います。用いるのは,厚労省の『国民生活基礎調査』のデータです。この資料では,世帯単位の所得分布が明らかにされています。調査対象世帯は,母集団の縮図となっており,当然,非就業者世帯や単身世帯等も含まれます。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/20-21.html
また,本調査の場合,所得の階級区分が細かいことも特徴です。 25の区切りが設けられています。このデータを使うことで,『家計調査』の10分位階級から出すよりも精緻な形で,ジニ係数を算出することが可能です。
2011年の『国民生活基礎調査』(所得票)の第2表には,1985年から2010年までの世帯単位の所得分布が,相対度数の形で掲載されています。各年の1月1日から12月31日までの所得分布です。2010年の世帯所得分布は,下表の左端の数値です。
最も多いのは,300万円台の前半の階級となっています。全世帯の7.2%がこの階級に含まれます。非就業者世帯等も含む,あらゆる世帯の所得分布ですので,こんなものでしょう。
年収が200万円に満たない世帯は,全体の19.6%です。一方,年収1000万以上の高所得世帯も11.7%存在します。まあ,所得にバラつきがあるのは当然ですが,問題はその度合いです。このデータを用いて,富の配分の格差の度合いを表す,ジニ係数を計算してみましょう。
まず,100世帯にもたらされた富の総量を出してみます。階級値の考え方に依拠して,各階級に属する世帯の所得は,一律に中間の値で代表させます。たとえば,「50万円以上100万円未満」の階級の世帯は,中間をとって,一律に75万円の所得であるとみなします。
この場合,「50万未満」の階級に配分された富の量は,25万×1.3世帯=32.5万円となります。その下の階級は,75万×5.2世帯=390.0万円です。25の全階級についてこの値を出し,合算すると,5億3,445万円という額になります。2010年の間に,100世帯にもたらされた富の総量です。
問題は,この巨額の富が各階級にどう配分されているかです。表の真ん中の富量の相対度数分布によると,200万未満の貧困層には,全体の4.5%の富しか届いていません。逆をみると,1000万以上の富裕層が全富量の3割をもせしめています。
世帯数の上では2割近くを占める貧困層ですが,彼らが受け取っている富は全体のたった4.5%だけ。反対に,世帯数では1割しか占めない富裕層が,社会全体の富の3割をも占有している。これは少なからぬ偏りといえるでしょう。
こうした偏りは,右欄の累積相対度数をみると分かりやすいと存じます。黄色のマークをした箇所をみると,所得が400万円未満の世帯は,数の上では46.5%をも占めますが,この層が受け取っている富は,全体のわずか19.5%であることが知られます。
では,上表の統計を使って,2010年の世帯所得でみたジニ係数を出してみましょう。ジニ係数を出すには,ローレンツ曲線を描くのでしたよね。横軸に世帯の累積度数,縦軸に富量の累積度数をとった座標上に,25の所得階級の値をプロットし,線でつないでできる曲線です。
上図の青色の曲線が,ローレンツ曲線です。お分かりかと思いますが,世帯の累積度数と富量のそれの隔たり(ズレ)が大きいほど,つまり富の配分の偏りが大きいほど,この曲線の底は深くなります。
われわれが求めようとしているジニ係数とは,対角線とローレンツ曲線に囲まれた部分の面積を2倍した値です。上図でいうと,ピンク色の部分の面積です。
極限の不平等状態の場合,この部分の面積は四角形の半分の三角形に等しくなりますから,0.5となります。ゆえに,ジニ係数は1.0となります。逆に,極限の平等状態の場合は,ローレンツ曲線は図中の対角線に一致しますから,ジニ係数は0.0となります。したがってジニ係数は,0.0~1.0までの範囲をとることに留意ください。現存する社会の不平等度は,この両端の間のどこかに位置づきます。
さて,上図の赤色の部分の面積を求めると,0.200となります。よって,世帯単位の所得分布でみた2010年のジニ係数は,これを2倍して0.400と算出されます。1985年(昭和60年)以降の推移をたどることで,この0.400という値を評価してみましょう。下図をご覧ください。
ジニ係数はジグザグしながら上昇してきています。この期間中の最大値は,2008年の0.406です。ほう。リーマンショックが起きた年ですね。
なお,こうした凹凸が激しいデータの推移を均すための手法として,移動平均法というものがあります。ここでは,3年間の移動平均をとることで,推移を均してみました。何のことはありません。当該年と前後両年の3年間の数値を均すだけのことです。たとえば,2000年の数値を均す場合は,1999年,2000年,そして2001年の3年次の数値の平均をとるだけのことです。
図中の赤線は,この手法でジニ係数の推移を滑らかにしたものです。この曲線から,大局的には,わが国のジニ係数が上がってきていることが分かります。つまり,格差が拡大してきている,ということです。昨今いわれる「格差社会化」の傾向が,上図において可視化されています。
ちなみにジニ係数の絶対評価ですが,一般にこの値が0.4を超えた場合,社会が不安定化する恐れがある危険信号と読めるそうです。近年の日本のジニ係数は,この危険水域に達しています。少しばかり怖いことです。
ところで,昨年の7月11日の記事にて,『家計調査』の年収10分位統計から計算した同年のジニ係数は0.336だったのですが,ここのでの値はそれよりも高くなっています。先に申したように,『国民生活基礎調査』では,所得の階級区分が細かいためでしょう。ですが,こちらのほうが現実に近いのではないかと思われます。
今回は全世帯の所得分布をもとにジニ係数を出しましたが,『国民生活基礎調査』には,18歳未満の児童がいる世帯,ないしは高齢者世帯のみの所得分布の統計も掲載されています。機会をみつけて,こうした特定の層に限定したジニ係数も出してみようと思います。
仮に,子どもがいる世帯で富の格差が広がっているとしたら,教育機会の格差を媒介にして,貧困の世代間連鎖が起こる可能性が高くなります。これはえらいことです。
2012年11月30日金曜日
2012年11月28日水曜日
空家率と犯罪率の相関
八王子市は,空家の所有者に適正な管理を義務づける条例の制定を検討しているとのことです。市議会に提出される条例案には,「瓦などの部材が飛散し人がけがをしたり,不審者が侵入して放火や犯罪を誘発したりする恐れがないよう,所有者に管理を義務づける内容」が盛られているとのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20121122-OYT8T01668.htm
なるほど。管理が不十分な空家が増えることは,屋根瓦が剥がれ落ちて通行人に当たるなど,危険な面が伴います。
しかしもっと怖いのは,「犯罪を誘発」する要因となり得ることです。犯罪学の理論に「割れ窓理論」というものがあります。窓が割れたままになっている建物は,管理人がいないと思われ,空巣などの格好のターゲットになります。麻薬などの貯蔵庫に使われることもあります。さらには,近辺に不審者がうろつくようになり,地域の治安が悪化することにもつながります。
些細な乱れであっても,それを放置(許容)することは,さらなる乱れへと発展します。たとえば,生徒が校内のガラスを叩き割るにしても,最初の1枚を割る時の抵抗は大きいでしょうが,既にどこかが割られているのなら,2枚目,3枚目を割る際のためらいはうんと小さくなります。
この理論は,些細な逸脱であっても毅然とした態度で取り締まるべしという,「ゼロ・トレランス」の考え方に通じています。米国のジョージ・ケリングによって提唱されたものです。
さて,この理論が妥当性を持つなら,住居に占める空家の率が高い地域ほど,犯罪率が高い傾向が観察されるはずです。実情はどうなのでしょう。大都市の東京都内の地域データを用いて,吟味してみようと思います。
まず,都内の市区町別の空家率を出してみましょう。2008年の総務省『住宅・土地統計』から,各地域の住宅総数に占める空家の比率を計算することができます。私が住んでいる多摩市でいうと,空家の数は5,370です。ほう。この市には,5千を超える空家があるのですね。この市の住宅総数は71,780ですから,空家率は前者を後者で除して,7.5%と算出されます。
http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2008/index.htm
私は,同じやり方で,都内の51市区町の空家率を出しました。最も高いのは千代田区の25.8%,最も低いのは日の出町の7.3%でした。下図は,都内の空家率マップです。空家率の2%区分で,それぞれの地域を塗り分けたものです。
傾向としては,空家率は都心のほうで高くなっています。地価の関係でしょうか。最高の千代田区の値は25.8%。この区では,住宅4件につき1件が空家ということになります。
それでは,各地域の空家率を犯罪率と関連づけてみましょう。総務省『統計でみる市区町村のすがた2011』には,都内23区の2009年中の犯罪認知件数が掲載されています。それを同年の各区の人口で除すことで,犯罪発生率を算出しました。人口千人あたりの件数です。
下図は,横軸に空家率,縦軸に犯罪率をとった座標上に,23区をプロットしたものです。空家率と犯罪率の相関図です。
空家率が最高の千代田区は,犯罪率も最も高くなっています。23区全体の傾向でみても,空家率が高い苦ほど,犯罪率が高い傾向です。両指標の相関係数は+0.724であり,1%水準で有意です。
犯罪率が飛びぬけて高い千代田区を「外れ値」として除外すると,相関係数は+0.470となります。これでも,5%の有意水準は保っています。
地域の犯罪率は,空家率だけに規定されるものではありませんが,両指標の正の相関関係が検出されたことは,注意されてよいでしょう。空家の管理の適正化を図る条例をつくろうという,八王子市の動きは,理に適ったものといえなくもありません。
全国統計でみると,空家の数,率ともに増加しています。下表は,『住宅・土地統計』の時系列データから作成したものです。
冒頭で紹介した読売新聞の記事でいわれているように,「核家族化で親の家屋を引き継ぐ世帯が減ったこと」などが,大きいと思われます。
このような変化が,犯罪の増加要因に転じることを防ぐような対策が求められます。八王子市の条例制定に向けた取組は,その先端に位置するものといえるでしょう。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news/20121122-OYT8T01668.htm
なるほど。管理が不十分な空家が増えることは,屋根瓦が剥がれ落ちて通行人に当たるなど,危険な面が伴います。
しかしもっと怖いのは,「犯罪を誘発」する要因となり得ることです。犯罪学の理論に「割れ窓理論」というものがあります。窓が割れたままになっている建物は,管理人がいないと思われ,空巣などの格好のターゲットになります。麻薬などの貯蔵庫に使われることもあります。さらには,近辺に不審者がうろつくようになり,地域の治安が悪化することにもつながります。
些細な乱れであっても,それを放置(許容)することは,さらなる乱れへと発展します。たとえば,生徒が校内のガラスを叩き割るにしても,最初の1枚を割る時の抵抗は大きいでしょうが,既にどこかが割られているのなら,2枚目,3枚目を割る際のためらいはうんと小さくなります。
この理論は,些細な逸脱であっても毅然とした態度で取り締まるべしという,「ゼロ・トレランス」の考え方に通じています。米国のジョージ・ケリングによって提唱されたものです。
さて,この理論が妥当性を持つなら,住居に占める空家の率が高い地域ほど,犯罪率が高い傾向が観察されるはずです。実情はどうなのでしょう。大都市の東京都内の地域データを用いて,吟味してみようと思います。
まず,都内の市区町別の空家率を出してみましょう。2008年の総務省『住宅・土地統計』から,各地域の住宅総数に占める空家の比率を計算することができます。私が住んでいる多摩市でいうと,空家の数は5,370です。ほう。この市には,5千を超える空家があるのですね。この市の住宅総数は71,780ですから,空家率は前者を後者で除して,7.5%と算出されます。
http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2008/index.htm
私は,同じやり方で,都内の51市区町の空家率を出しました。最も高いのは千代田区の25.8%,最も低いのは日の出町の7.3%でした。下図は,都内の空家率マップです。空家率の2%区分で,それぞれの地域を塗り分けたものです。
傾向としては,空家率は都心のほうで高くなっています。地価の関係でしょうか。最高の千代田区の値は25.8%。この区では,住宅4件につき1件が空家ということになります。
それでは,各地域の空家率を犯罪率と関連づけてみましょう。総務省『統計でみる市区町村のすがた2011』には,都内23区の2009年中の犯罪認知件数が掲載されています。それを同年の各区の人口で除すことで,犯罪発生率を算出しました。人口千人あたりの件数です。
下図は,横軸に空家率,縦軸に犯罪率をとった座標上に,23区をプロットしたものです。空家率と犯罪率の相関図です。
空家率が最高の千代田区は,犯罪率も最も高くなっています。23区全体の傾向でみても,空家率が高い苦ほど,犯罪率が高い傾向です。両指標の相関係数は+0.724であり,1%水準で有意です。
犯罪率が飛びぬけて高い千代田区を「外れ値」として除外すると,相関係数は+0.470となります。これでも,5%の有意水準は保っています。
地域の犯罪率は,空家率だけに規定されるものではありませんが,両指標の正の相関関係が検出されたことは,注意されてよいでしょう。空家の管理の適正化を図る条例をつくろうという,八王子市の動きは,理に適ったものといえなくもありません。
全国統計でみると,空家の数,率ともに増加しています。下表は,『住宅・土地統計』の時系列データから作成したものです。
冒頭で紹介した読売新聞の記事でいわれているように,「核家族化で親の家屋を引き継ぐ世帯が減ったこと」などが,大きいと思われます。
このような変化が,犯罪の増加要因に転じることを防ぐような対策が求められます。八王子市の条例制定に向けた取組は,その先端に位置するものといえるでしょう。
2012年11月26日月曜日
若者の生活意識
雇用の非正規化やワープア化の進行など,現代の若者の生活状態はあまりよくないものとみられます。ところで,当の若者たちは,どのような意識を持って日々の生活を送っているのでしょうか。
「実感なき景気回復」という言葉に象徴されるように,客観的な状況とその中で暮らす人々の意識の間には,ズレがみられることがしばしばです。離れた地点から小手をかざして若者を眺めるのではなく,近くにまで行き,彼らと口をきいてみましょう。といっても,代表性を担保し難い自前のインタビューなどをするのではありません。用いるのは,公的な世論調査のデータです。
まず注目するのは,現代の生活にどれほど満足しているかです。いわゆる①生活満足度であり,世論調査の最もオーソドックスな設問といってよいでしょう。この問いに対し,「満足している」あるいは「まあ満足している」と回答した者の比率を出してみましょう。
その次は,②将来展望です。人間にとって希望は重要です。「これから先,生活はどうなっていくと思うか」という設問に対し,「よくなっていく」と答えた者の比率に注目しましょう。①と②の設問は,内閣府の『国民生活に関する世論調査』において設けられています。
http://www8.cao.go.jp/survey/
これらに加えて,あと2つの意識を取り上げます。社会志向と愛国心の程度です。人間は虐げられた状態におかれると,内向き志向になるといいます。そうでなくとも,いつの時代でも,若者は自己チューだとか公共の精神が足りないとかいわれるのですが,それは本当なのか。この点を診てみようと思うのです。
③社会志向については,「国や社会のことにもっと目を向けるべきだ」という意見と「個人生活の充実をもっと重視すべきだ」という意見のどちらに近いかという問いに対し,前者を選んだ者の比率がどれほどかを出してみます。
最後の④愛国心は,他人と比して「国を愛する気持ちは強い方か」という設問に対し,「非常に強い」ないしは「どちらかといえば強い」と回答した者の比率に着目します。③と④のソースは,同じく内閣府の『社会意識に関する世論調査』です。
2012年の20代の若者について4指標の値を出すと,①生活満足度は75.3%,②将来展望良好度は26.0%,③社会志向度は50.2%,④愛国心度は37.0%,です。それらしい値ですが,これだけでは何ともいえません。私は,1980年(昭和55年)以降のおよそ30年間の変動幅の中に,この値を位置づけてみました。下表をみてください。
表の左欄には,この期間中の最大値と最小値が示されています。2012年の生活満足度は75.3%ですが,この値は,過去33年間の変動幅(61.7%~77.5%)の中において高いと判断されます。④の愛国心に至っては,2012年の値は観察期間中で最高です。
表の右端の数値は,観察期間中の最小値を0.0,最大値を1.0とした場合,2012年の値がどうなるかを表したスコアです。1980年以降の変動幅での位置を表す相対スコアです。以下の計算式にて算出しました。OECDの幸福度指数(BLI)において,各国の指標の値を相対化するのに用いられているものです。
(2012年の値-最小値)/(最大値-最小値)
2012年のスコアは,生活満足度は0.87,将来展望良好度が0.41,社会志向度が0.84,愛国心度が1.00,となります。将来展望を除く3つについては,2012年の値は過去に比して高いと判断してよいでしょう。
さて,このスコアを使って,時期ごとの若者の意識を多角的に診るカルテをつくってみましょう。私は,1980年,1990年,2000年,そして2012年の4指標の値を,同じやり方でスコア化しました。下の図は,これらを用いて作成した,4つの時点の若者の意識カルテです。水準が異なる各指標の値を,同列の基準で評価できるようにしている点がミソです。
ちなみに,2000年の生活満足度と将来展望良好度は,翌年の2001年のデータを使っていることを申し添えます。『国民生活に関する世論調査』は,2000年は実施されていないためです。
総体的にみて,現在よりも昔のほうが,図形の面積は小さくなっています。2000年の図形は,識別できぬほど小さいです。この年の将来展望スコアは0.0であり,観察期間中において最も希望閉塞の時期であったことが知られます。私が大学を出た年の翌年ですが,当時の「土砂降り」とも形容される就職難を肌身で知っている者として,まことに分かる気がします。
しかるに,それから12年を経た2012年になると,図形の面積が一気に拡大します。将来展望はともかく,生活満足度,社会志向,そして愛国心の程度は,1980年やバブル末期の1990年よりも高いのです。
これをどうみるか。まず若者の生活満足度がアップしていることですが,雇用の非正規化やワープア化が進んでいることを思うと,主観的な生活満足度も低いと思われるのですが,現実はその逆になっています。
この点については,古市憲寿氏の考察が参考になります。古市氏は,その名も『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社,2011年)という著作において,「『今日よりも明日がよくならない』と思う時,人は『今が幸せ』と答える」のだそうです(103~104頁)。逆にいうと,「今日よりも明日がよくなる」という展望が開けているなら,「今は不幸」と答えることになります。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2170655
なるほど。これからの見通しが開けているのに「今が幸福」と言い切ってしまうことは,そうした展望に蓋(フタ)をしてしまうことと同義です。反対に展望が開けていない場合,今の状態が最高点なのですから,意識の上では「現在の生活に満足」と答える,という論理でしょう。事実,上図にみるように,2012年の将来展望良好度はあまり高くないのです。
次に,社会志向と愛国心が高いことはどうでしょう。今の若者は自己チューだとかいわれますが,データは,そうしたイメージとは逆の事態を物語っています。まず愛国心が強まっていることは,ワールドカップで日の丸を振りながら「ニッポン,ニッポン」と連呼する若者や,2011年の東日本大震災以降の「がんばろうニッポン,つながろうニッポン」ブームにのって被災地ボランティアに出向く若者の姿を思うと,違和感はありません。
基本的な生活条件が満たされている現代日本において,空虚感に苛まれた若者が,何らかのコミットメントの対象を求めてのことではないでしょうか。かつての偏狂な国家主義(ナショナリズム)の発生地盤が出てきているのではないか,という懸念もあるようですが,そういうことではないと思います。社会志向の強まりについても,同じ視点から解釈できるでしょう。
今回の記事では,現代日本の20代の若者の意識を観察したのですが,結果は,一般的にいわれ若者の生活状態から演繹されるであろうものとは違っていました。若者の生活満足度は高く,また一般的なイメージとは異なり,社会志向や愛国心も強いのです。
しかし,生活満足度が高いことは将来展望が開けていないことと表裏であり,社会志向や愛国心が強いことは,空虚な今を生きる若者がコミットメントの対象を求めていることの表れともみられます。また,さまざまな「縁」から隔絶された若者たちが,自己を承認してくれる「承認の共同体」(古市)を渇望しての結果であるとも読めます。
上図で示した若者の意識カルテは,一見したところ,好ましい型を呈しています。ですが,その裏には,将来展望閉塞,コミットメントの対象やつながり(縁)の欠乏という問題が横たわっていることを忘れてはならないでしょう。
「実感なき景気回復」という言葉に象徴されるように,客観的な状況とその中で暮らす人々の意識の間には,ズレがみられることがしばしばです。離れた地点から小手をかざして若者を眺めるのではなく,近くにまで行き,彼らと口をきいてみましょう。といっても,代表性を担保し難い自前のインタビューなどをするのではありません。用いるのは,公的な世論調査のデータです。
まず注目するのは,現代の生活にどれほど満足しているかです。いわゆる①生活満足度であり,世論調査の最もオーソドックスな設問といってよいでしょう。この問いに対し,「満足している」あるいは「まあ満足している」と回答した者の比率を出してみましょう。
その次は,②将来展望です。人間にとって希望は重要です。「これから先,生活はどうなっていくと思うか」という設問に対し,「よくなっていく」と答えた者の比率に注目しましょう。①と②の設問は,内閣府の『国民生活に関する世論調査』において設けられています。
http://www8.cao.go.jp/survey/
これらに加えて,あと2つの意識を取り上げます。社会志向と愛国心の程度です。人間は虐げられた状態におかれると,内向き志向になるといいます。そうでなくとも,いつの時代でも,若者は自己チューだとか公共の精神が足りないとかいわれるのですが,それは本当なのか。この点を診てみようと思うのです。
③社会志向については,「国や社会のことにもっと目を向けるべきだ」という意見と「個人生活の充実をもっと重視すべきだ」という意見のどちらに近いかという問いに対し,前者を選んだ者の比率がどれほどかを出してみます。
最後の④愛国心は,他人と比して「国を愛する気持ちは強い方か」という設問に対し,「非常に強い」ないしは「どちらかといえば強い」と回答した者の比率に着目します。③と④のソースは,同じく内閣府の『社会意識に関する世論調査』です。
2012年の20代の若者について4指標の値を出すと,①生活満足度は75.3%,②将来展望良好度は26.0%,③社会志向度は50.2%,④愛国心度は37.0%,です。それらしい値ですが,これだけでは何ともいえません。私は,1980年(昭和55年)以降のおよそ30年間の変動幅の中に,この値を位置づけてみました。下表をみてください。
表の左欄には,この期間中の最大値と最小値が示されています。2012年の生活満足度は75.3%ですが,この値は,過去33年間の変動幅(61.7%~77.5%)の中において高いと判断されます。④の愛国心に至っては,2012年の値は観察期間中で最高です。
表の右端の数値は,観察期間中の最小値を0.0,最大値を1.0とした場合,2012年の値がどうなるかを表したスコアです。1980年以降の変動幅での位置を表す相対スコアです。以下の計算式にて算出しました。OECDの幸福度指数(BLI)において,各国の指標の値を相対化するのに用いられているものです。
(2012年の値-最小値)/(最大値-最小値)
2012年のスコアは,生活満足度は0.87,将来展望良好度が0.41,社会志向度が0.84,愛国心度が1.00,となります。将来展望を除く3つについては,2012年の値は過去に比して高いと判断してよいでしょう。
さて,このスコアを使って,時期ごとの若者の意識を多角的に診るカルテをつくってみましょう。私は,1980年,1990年,2000年,そして2012年の4指標の値を,同じやり方でスコア化しました。下の図は,これらを用いて作成した,4つの時点の若者の意識カルテです。水準が異なる各指標の値を,同列の基準で評価できるようにしている点がミソです。
ちなみに,2000年の生活満足度と将来展望良好度は,翌年の2001年のデータを使っていることを申し添えます。『国民生活に関する世論調査』は,2000年は実施されていないためです。
総体的にみて,現在よりも昔のほうが,図形の面積は小さくなっています。2000年の図形は,識別できぬほど小さいです。この年の将来展望スコアは0.0であり,観察期間中において最も希望閉塞の時期であったことが知られます。私が大学を出た年の翌年ですが,当時の「土砂降り」とも形容される就職難を肌身で知っている者として,まことに分かる気がします。
しかるに,それから12年を経た2012年になると,図形の面積が一気に拡大します。将来展望はともかく,生活満足度,社会志向,そして愛国心の程度は,1980年やバブル末期の1990年よりも高いのです。
これをどうみるか。まず若者の生活満足度がアップしていることですが,雇用の非正規化やワープア化が進んでいることを思うと,主観的な生活満足度も低いと思われるのですが,現実はその逆になっています。
この点については,古市憲寿氏の考察が参考になります。古市氏は,その名も『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社,2011年)という著作において,「『今日よりも明日がよくならない』と思う時,人は『今が幸せ』と答える」のだそうです(103~104頁)。逆にいうと,「今日よりも明日がよくなる」という展望が開けているなら,「今は不幸」と答えることになります。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2170655
なるほど。これからの見通しが開けているのに「今が幸福」と言い切ってしまうことは,そうした展望に蓋(フタ)をしてしまうことと同義です。反対に展望が開けていない場合,今の状態が最高点なのですから,意識の上では「現在の生活に満足」と答える,という論理でしょう。事実,上図にみるように,2012年の将来展望良好度はあまり高くないのです。
次に,社会志向と愛国心が高いことはどうでしょう。今の若者は自己チューだとかいわれますが,データは,そうしたイメージとは逆の事態を物語っています。まず愛国心が強まっていることは,ワールドカップで日の丸を振りながら「ニッポン,ニッポン」と連呼する若者や,2011年の東日本大震災以降の「がんばろうニッポン,つながろうニッポン」ブームにのって被災地ボランティアに出向く若者の姿を思うと,違和感はありません。
基本的な生活条件が満たされている現代日本において,空虚感に苛まれた若者が,何らかのコミットメントの対象を求めてのことではないでしょうか。かつての偏狂な国家主義(ナショナリズム)の発生地盤が出てきているのではないか,という懸念もあるようですが,そういうことではないと思います。社会志向の強まりについても,同じ視点から解釈できるでしょう。
今回の記事では,現代日本の20代の若者の意識を観察したのですが,結果は,一般的にいわれ若者の生活状態から演繹されるであろうものとは違っていました。若者の生活満足度は高く,また一般的なイメージとは異なり,社会志向や愛国心も強いのです。
しかし,生活満足度が高いことは将来展望が開けていないことと表裏であり,社会志向や愛国心が強いことは,空虚な今を生きる若者がコミットメントの対象を求めていることの表れともみられます。また,さまざまな「縁」から隔絶された若者たちが,自己を承認してくれる「承認の共同体」(古市)を渇望しての結果であるとも読めます。
上図で示した若者の意識カルテは,一見したところ,好ましい型を呈しています。ですが,その裏には,将来展望閉塞,コミットメントの対象やつながり(縁)の欠乏という問題が横たわっていることを忘れてはならないでしょう。
2012年11月24日土曜日
自損(傷)行為
現代の若者の逸脱行動として注目されるものに,自傷行為があります。自傷行為とは,自分で自分の身体を傷つける行為の総称であり,壁に頭を打ちつける,自分の頭や顔をたたく,爪でひっかく,噛みつく,さらには手首を切る(リストカット)など,行為形態はさまざまです。
この自傷行為の数を表す統計がないものか探していたのですが,『東京消防庁統計書』という資料において,自損行為によって救急車で搬送された人間の数が集計されていることを知りました。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-kikakuka/toukei/index.html
おそらくは,リストカットやオーバードーズなどによって,救急車で運ばれた者の数であると思います。中等度以上の自傷行為の数を表す指標とみてよいのではないでしょうか。
私は,上記資料のバックナンバーにあたって,1990年から2011年までの年間搬送者数の推移をたどってみました。申すまでもなく,東京都内の統計です。
自損行為者の数は,1990年代の半ば以降,ぐんと増えています。97年から98年にかけて大きく伸びていること(3,186人→3,719人)は,自殺者の傾向とそっくりです。自殺未遂者数の指標として読んでもいいかもしれません。
2005年の4,933人をピークにやや減少し,近年は横ばいです。最新の2011年の年間搬送人員数は4,775人となっています。この年の東京の人口は1,319万人ほどですから,10万人あたりの出現率にすると,36.2人となります。
この値を日本の総人口(1億2千万人)に乗じると,4万3,440人という数が出てきます。わが国の自殺未遂者数の試算値です。年間の自殺者はだいたい3万人ほどですが,その裏には,結構な数の未遂者がいることがうかがわれます。
話が逸れましたが,上記の4,775人を性別に分解すると,男性が1,765人,女性が3,020人であり,女性のほうが多くなっています。自殺者では男性のほうが圧倒的に多いのですが,自損行為でいうと,女性のほうが多し。そういえば,リストカットなどは,アイデンティティクライシスに悩む若年女性が,生きていることを実感するためになす行為である,というイメージがあります。
次に,年齢層別にみるとどうでしょう。1990年以降の年齢層別の搬送人員数をグラフにしてみました(隔年)。それぞれの年の各年齢層の数値を,上から俯瞰する社会地図方式です。色の違いに依拠して,大よその数を読み取ってください。
どの年でも,20代が最も多くなっています。今世紀以降では,20代の搬送者数は毎年1,200人を超えています(黒色)。自損(傷)行為は,やはり若年層で多いことが分かります。
あと一点,都内の地域別の統計もご覧にいれましょう。上記資料では,都内の市区町村別の搬送人員数も計上されています。救急車が出向いた先の地域に依拠して作成されたものです。私が住んでいる多摩市の場合,2011年の年間搬送人員は45人です。同年10月時点の同市の人口は14万7千人ほどですから,人口10万人あたりの比率にすると,30.7人となります。
私は,この値を都内48市区について計算しました。4町村は,搬送者の数が少ないので出現率の計算は控えました。稲城市は神奈川県川崎市の管轄なので,搬送人員のデータが載っていませんでした。下図は,これら5市町村を除く48市区の搬送人員の出現率を,地図で表したものです。
大雑把にいうと,東高西低という構造であり,東の区部において出現率が高くなっています。10万人あたりの出現率が50を超えるのは,千代田区,新宿区,そして台東区です。区部では,単身の若者が多いことを考えると,さもありなんという感じです。
未だ描かれたことのない,自傷行為マップの試作品として,上図を展示しておきます。
最近は当局の公表資料が充実してきており,厚労省の『人口動態統計』では,各県内の市区町村別の年間自殺者数も明らかにされています。自殺者の居住地に基づく統計です。これを使えば,市区町村別の自殺率を出すこともできます。機会をみつけて,都内の自殺率マップもつくってみるつもりです。
この自傷行為の数を表す統計がないものか探していたのですが,『東京消防庁統計書』という資料において,自損行為によって救急車で搬送された人間の数が集計されていることを知りました。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-kikakuka/toukei/index.html
おそらくは,リストカットやオーバードーズなどによって,救急車で運ばれた者の数であると思います。中等度以上の自傷行為の数を表す指標とみてよいのではないでしょうか。
私は,上記資料のバックナンバーにあたって,1990年から2011年までの年間搬送者数の推移をたどってみました。申すまでもなく,東京都内の統計です。
自損行為者の数は,1990年代の半ば以降,ぐんと増えています。97年から98年にかけて大きく伸びていること(3,186人→3,719人)は,自殺者の傾向とそっくりです。自殺未遂者数の指標として読んでもいいかもしれません。
2005年の4,933人をピークにやや減少し,近年は横ばいです。最新の2011年の年間搬送人員数は4,775人となっています。この年の東京の人口は1,319万人ほどですから,10万人あたりの出現率にすると,36.2人となります。
この値を日本の総人口(1億2千万人)に乗じると,4万3,440人という数が出てきます。わが国の自殺未遂者数の試算値です。年間の自殺者はだいたい3万人ほどですが,その裏には,結構な数の未遂者がいることがうかがわれます。
話が逸れましたが,上記の4,775人を性別に分解すると,男性が1,765人,女性が3,020人であり,女性のほうが多くなっています。自殺者では男性のほうが圧倒的に多いのですが,自損行為でいうと,女性のほうが多し。そういえば,リストカットなどは,アイデンティティクライシスに悩む若年女性が,生きていることを実感するためになす行為である,というイメージがあります。
次に,年齢層別にみるとどうでしょう。1990年以降の年齢層別の搬送人員数をグラフにしてみました(隔年)。それぞれの年の各年齢層の数値を,上から俯瞰する社会地図方式です。色の違いに依拠して,大よその数を読み取ってください。
どの年でも,20代が最も多くなっています。今世紀以降では,20代の搬送者数は毎年1,200人を超えています(黒色)。自損(傷)行為は,やはり若年層で多いことが分かります。
あと一点,都内の地域別の統計もご覧にいれましょう。上記資料では,都内の市区町村別の搬送人員数も計上されています。救急車が出向いた先の地域に依拠して作成されたものです。私が住んでいる多摩市の場合,2011年の年間搬送人員は45人です。同年10月時点の同市の人口は14万7千人ほどですから,人口10万人あたりの比率にすると,30.7人となります。
私は,この値を都内48市区について計算しました。4町村は,搬送者の数が少ないので出現率の計算は控えました。稲城市は神奈川県川崎市の管轄なので,搬送人員のデータが載っていませんでした。下図は,これら5市町村を除く48市区の搬送人員の出現率を,地図で表したものです。
大雑把にいうと,東高西低という構造であり,東の区部において出現率が高くなっています。10万人あたりの出現率が50を超えるのは,千代田区,新宿区,そして台東区です。区部では,単身の若者が多いことを考えると,さもありなんという感じです。
未だ描かれたことのない,自傷行為マップの試作品として,上図を展示しておきます。
最近は当局の公表資料が充実してきており,厚労省の『人口動態統計』では,各県内の市区町村別の年間自殺者数も明らかにされています。自殺者の居住地に基づく統計です。これを使えば,市区町村別の自殺率を出すこともできます。機会をみつけて,都内の自殺率マップもつくってみるつもりです。
2012年11月22日木曜日
餓死者数の長期推移
11月15日の記事では,近年になって餓死者が増えていることをみました。飽食といわれる現代日本での現象であるだけに,注目されるべきことです。
上記記事では,1997年以降の推移をたどったのですが,今回はもっと遡って,戦後初期の頃からの変化を跡づけてみます。ソースは,厚労省の『人口動態統計』です,今日,総務省統計局の図書館に出向いたので,本資料のバックナンバーにあたって,数字を採取してきました。
ここでいう餓死者とは,以下の死因による死亡者のことをいいます。
1950年~1994年 ・・・ 「栄養欠乏」+「飢え,渇,不良環境への放置」
1995年以降 ・・・ 「栄養欠乏」+「栄養失調」+「食料の不足」
1994年までの「栄養欠乏」の中には,栄養失調も含まれます。95年以降は,栄養欠乏と栄養失調のカテゴリーが分かれているので,整合性を持たせるため,両者を合算しました。11月15日の記事では,「栄養失調」と「食料の不足」を足した数を餓死者としましたが,今回の分析では,栄養欠乏も加えています。ゆえに,先の記事とは数が異なることに留意ください。
上記の意味での餓死者数は,1950年から2011年の約60年間において,下図のように推移してきています。
食べ物にも事欠いていた戦後初期の頃では,餓死者が多かったようです。1950年(昭和25年)では,9,119人。しかし,社会が安定するとともに餓死者数はぐんぐん減り,10年後の1960年には1,362人にまで減少します。
高度経済成長期が終わる頃の1970年には622人となり,以後,70年代から80年代にかけては大よそ500人前後で推移します。
陰りが見え始めるのは,1990年代以降です。この時期から餓死者数は増加に転じ,阪神大震災が起きた1995年には1,000人を超えます。今世紀初頭の2001年には1,500人を超え,それから10年を経た2011年現在では2,053人となっています。とうとう2,000人突破です。
現在の餓死者数は,1950年代後半の頃の水準に立ち戻っています。90年代以降の不況や孤族化の影響がまざまざと表れています。
最近10年間のトレンドでいうと,餓死者の年間平均増加数は50人ほどです。今後もこの傾向が続くとすると,今から20年後の2030年あたりには,餓死者数は3,000人を超えることが見込まれます。これは,1954年の数と同じくらいです。
餓死者数の恐怖のU字カーブが描かれることになるのか。加速度的に進む高齢化・孤族化,そして生活保護制度の抜本見直しなど,そうした事態が実現することの条件が多く出てきています。生活保護の不正受給はけしからぬことですが,生存権を保障するための最後のセーフティネットを根こそぎ破壊することがあってはなりません。
雨宮処凛さんの『14歳からわかる生活保護』(河出書房新社,2012年)を,図書館から借りてきました。こういう本を読んで,知的武装を図ることも大切かと。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309616766/
上記記事では,1997年以降の推移をたどったのですが,今回はもっと遡って,戦後初期の頃からの変化を跡づけてみます。ソースは,厚労省の『人口動態統計』です,今日,総務省統計局の図書館に出向いたので,本資料のバックナンバーにあたって,数字を採取してきました。
ここでいう餓死者とは,以下の死因による死亡者のことをいいます。
1950年~1994年 ・・・ 「栄養欠乏」+「飢え,渇,不良環境への放置」
1995年以降 ・・・ 「栄養欠乏」+「栄養失調」+「食料の不足」
1994年までの「栄養欠乏」の中には,栄養失調も含まれます。95年以降は,栄養欠乏と栄養失調のカテゴリーが分かれているので,整合性を持たせるため,両者を合算しました。11月15日の記事では,「栄養失調」と「食料の不足」を足した数を餓死者としましたが,今回の分析では,栄養欠乏も加えています。ゆえに,先の記事とは数が異なることに留意ください。
上記の意味での餓死者数は,1950年から2011年の約60年間において,下図のように推移してきています。
食べ物にも事欠いていた戦後初期の頃では,餓死者が多かったようです。1950年(昭和25年)では,9,119人。しかし,社会が安定するとともに餓死者数はぐんぐん減り,10年後の1960年には1,362人にまで減少します。
高度経済成長期が終わる頃の1970年には622人となり,以後,70年代から80年代にかけては大よそ500人前後で推移します。
陰りが見え始めるのは,1990年代以降です。この時期から餓死者数は増加に転じ,阪神大震災が起きた1995年には1,000人を超えます。今世紀初頭の2001年には1,500人を超え,それから10年を経た2011年現在では2,053人となっています。とうとう2,000人突破です。
現在の餓死者数は,1950年代後半の頃の水準に立ち戻っています。90年代以降の不況や孤族化の影響がまざまざと表れています。
最近10年間のトレンドでいうと,餓死者の年間平均増加数は50人ほどです。今後もこの傾向が続くとすると,今から20年後の2030年あたりには,餓死者数は3,000人を超えることが見込まれます。これは,1954年の数と同じくらいです。
餓死者数の恐怖のU字カーブが描かれることになるのか。加速度的に進む高齢化・孤族化,そして生活保護制度の抜本見直しなど,そうした事態が実現することの条件が多く出てきています。生活保護の不正受給はけしからぬことですが,生存権を保障するための最後のセーフティネットを根こそぎ破壊することがあってはなりません。
雨宮処凛さんの『14歳からわかる生活保護』(河出書房新社,2012年)を,図書館から借りてきました。こういう本を読んで,知的武装を図ることも大切かと。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309616766/
2012年11月21日水曜日
晴天の都立桜ヶ丘公園
昨日に続いて今日も晴天でした。こういう日は外に出るべし。昼下がり,自宅近くの都立桜ヶ丘公園をちょいと歩いてみました。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index065.html
メインロードと小高い丘からの眺望を2枚載せます。
園内には,明治天皇も数回訪れたとされる,旧多摩聖蹟記念館もあります。今日はそっちには行かなかったので,写真は後日。
ブログに写真を載せるのは,自分にとってのアルバムをつくることにもなります。ブログの語源は,WebにLog(記録)することです。ブログは,情報の発信機能とともに,それを蓄積する機能をも果たします。
アルバムは概してかさばるものですが,ブログならスペースいらず。わが子の成長の過程を,写真つきでブログに綴っている親御さんもいるようですが,後々,思い出をクリック一つで呼び出せるのでとても便利ですよね。
もっとも,色あせた写真が詰まったアルバムのほうが含蓄がある,という見方もあるでしょうが。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index065.html
メインロードと小高い丘からの眺望を2枚載せます。
園内には,明治天皇も数回訪れたとされる,旧多摩聖蹟記念館もあります。今日はそっちには行かなかったので,写真は後日。
ブログに写真を載せるのは,自分にとってのアルバムをつくることにもなります。ブログの語源は,WebにLog(記録)することです。ブログは,情報の発信機能とともに,それを蓄積する機能をも果たします。
アルバムは概してかさばるものですが,ブログならスペースいらず。わが子の成長の過程を,写真つきでブログに綴っている親御さんもいるようですが,後々,思い出をクリック一つで呼び出せるのでとても便利ですよね。
もっとも,色あせた写真が詰まったアルバムのほうが含蓄がある,という見方もあるでしょうが。
2012年11月20日火曜日
学歴別の初任給
11月15日に,2011年の厚労省『賃金構造基本統計』の初任給調査結果が公表されました。新規学卒者の初任給を,学歴別に知ることができます。それをご紹介します。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chingin_zenkoku.html
用語解説によると,初任給とは,「2011年に採用し,6月30日現在で実際に雇用している新規学卒者の所定内給与額から通勤手当を除いたものであり,かつ,2011年6月30日現在で2011年度の初任給額として確定したもの」だそうです。調査対象は,10人以上の事業所とのこと。
下表は,男子新規学卒者の初任給月額を,学歴別に整理したものです。業種ごとの違いにも注意しています。
初任給額は,学歴によって違っています。高学歴の者ほど,多い額を得ています。「そんなの,分かり切ったことじゃん」といわれるかもしれませんが,そもそも学歴によって給与が異なるのはなぜでしょう。
単純な人的資本論によると,人は,教育を受ければ受けるほど生産性が向上すると考えられます。よって,高学歴者は高い給与を得て然るべし,ということになります。
とても分かりやすいロジックですが,「学歴と生産性が比例する」という前提は,怪しいものにも思えます。表をよくみると,大卒と大学院卒の初任給の差が最も大きいのは,卸売業・小売業です。この業種での新規採用者がやる仕事の大半は,店頭での接客でしょう。大学卒よりも,修士論文を仕上げた修士卒のほうが,接客スキルが上なのか。明らかに?です。むしろ,逆であることのほうが多いのではないでしょうか。
企業が学歴で給与に差をつけるのは,生産性を厳密に査定するのは面倒なので,それを手っとり早く測るシグナルとして学歴を利用する,という理由によることがほとんどです。とくに,情報が乏しい新規採用者の初任給については,ほぼ100%学歴に依拠して決められるといってよいでしょう。
なるほど。企業が大学院修了者を雇うのを嫌がるのも,分かろうというものです。即戦力となるスキルがあるかどうか怪しいにもかかわらず(ない場合が多い),形の上では高い給与を払わねばならないわけですから。文系の院修了者に至ってはなおさらです。
そういえば,11月19日の「ダイヤモンド・オンライン」に,面白い記事が載っていました。「一度レールを外れるとバイトにすら就けない!高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実」と題するものです。
http://diamond.jp/articles/-/28112
この記事では,博士号を取得した後,関東の某大学で10年以上研究員を勤めたものの,上司の教授との折り合いが悪くなり,雇い止めとなった女性のケースが紹介されています。
この女性は研究職を諦めて職探しをするのですが,「博士さまを,社員として雇う会社はない」と立て続けに断られます。当面の糊口をしのぐため,ちょっとしたバイトをしようと履歴書を出せば,以下のように怒鳴られたとのこと。
「こんな高学歴なのに,うちでバイトしたいというのか? ふざけているのか?」
「バイトにすら就けない」という,記事のタイトルのフレーズ,偽りなしです。雇う側にすれば,博士号という最高学歴保有者に対しては,とてつもなく高い給与を払わねばならない,という思い込みがあるのでしょう。
多くの企業は,求職に訪れた人間の価値を,年齢や学歴といった分かりやすい属性で判断します。このことは,今問題になっている「高学歴ワーキングプア」が発生することの条件をなしています。9月4日の記事でみたような,大学院博士課程修了者の惨状も,このことに由来するとみられます。
先の女性については,「あなたは経歴からして,本社の業種は初心者であるとみられるので,給与はそれなりの額でいいですか」と聞くことができないのでしょうか。アメリカでは,このようなことを口にしたら,求職者の側から訴えられるという話を聞きますが,そういうことを恐れているのでしょうか。
しからば,数カ月のトライアル雇用でもして,生産性の程度を可視化したうえで,給与の合意に踏み切ればよさそうなものですが,それはコストと労力がかかるのでご免こうむりたい,ということでしょうか。
城繁幸氏は,仕事に給与を割り当てる「職務給」の導入を提言していますが,私もそれに賛成です。それが普及すれば,「低学歴者=生産性不足,高学歴者=高給取り」という機械的な図式に由来する学歴差別の問題も解消されることでしょう。
この案の実現の度合いは,冒頭でみた学歴別の初任給統計の有様によって教えられることになります。今後も,注目していきたいデータです。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chingin_zenkoku.html
用語解説によると,初任給とは,「2011年に採用し,6月30日現在で実際に雇用している新規学卒者の所定内給与額から通勤手当を除いたものであり,かつ,2011年6月30日現在で2011年度の初任給額として確定したもの」だそうです。調査対象は,10人以上の事業所とのこと。
下表は,男子新規学卒者の初任給月額を,学歴別に整理したものです。業種ごとの違いにも注意しています。
初任給額は,学歴によって違っています。高学歴の者ほど,多い額を得ています。「そんなの,分かり切ったことじゃん」といわれるかもしれませんが,そもそも学歴によって給与が異なるのはなぜでしょう。
単純な人的資本論によると,人は,教育を受ければ受けるほど生産性が向上すると考えられます。よって,高学歴者は高い給与を得て然るべし,ということになります。
とても分かりやすいロジックですが,「学歴と生産性が比例する」という前提は,怪しいものにも思えます。表をよくみると,大卒と大学院卒の初任給の差が最も大きいのは,卸売業・小売業です。この業種での新規採用者がやる仕事の大半は,店頭での接客でしょう。大学卒よりも,修士論文を仕上げた修士卒のほうが,接客スキルが上なのか。明らかに?です。むしろ,逆であることのほうが多いのではないでしょうか。
企業が学歴で給与に差をつけるのは,生産性を厳密に査定するのは面倒なので,それを手っとり早く測るシグナルとして学歴を利用する,という理由によることがほとんどです。とくに,情報が乏しい新規採用者の初任給については,ほぼ100%学歴に依拠して決められるといってよいでしょう。
なるほど。企業が大学院修了者を雇うのを嫌がるのも,分かろうというものです。即戦力となるスキルがあるかどうか怪しいにもかかわらず(ない場合が多い),形の上では高い給与を払わねばならないわけですから。文系の院修了者に至ってはなおさらです。
そういえば,11月19日の「ダイヤモンド・オンライン」に,面白い記事が載っていました。「一度レールを外れるとバイトにすら就けない!高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実」と題するものです。
http://diamond.jp/articles/-/28112
この記事では,博士号を取得した後,関東の某大学で10年以上研究員を勤めたものの,上司の教授との折り合いが悪くなり,雇い止めとなった女性のケースが紹介されています。
この女性は研究職を諦めて職探しをするのですが,「博士さまを,社員として雇う会社はない」と立て続けに断られます。当面の糊口をしのぐため,ちょっとしたバイトをしようと履歴書を出せば,以下のように怒鳴られたとのこと。
「こんな高学歴なのに,うちでバイトしたいというのか? ふざけているのか?」
「バイトにすら就けない」という,記事のタイトルのフレーズ,偽りなしです。雇う側にすれば,博士号という最高学歴保有者に対しては,とてつもなく高い給与を払わねばならない,という思い込みがあるのでしょう。
多くの企業は,求職に訪れた人間の価値を,年齢や学歴といった分かりやすい属性で判断します。このことは,今問題になっている「高学歴ワーキングプア」が発生することの条件をなしています。9月4日の記事でみたような,大学院博士課程修了者の惨状も,このことに由来するとみられます。
先の女性については,「あなたは経歴からして,本社の業種は初心者であるとみられるので,給与はそれなりの額でいいですか」と聞くことができないのでしょうか。アメリカでは,このようなことを口にしたら,求職者の側から訴えられるという話を聞きますが,そういうことを恐れているのでしょうか。
しからば,数カ月のトライアル雇用でもして,生産性の程度を可視化したうえで,給与の合意に踏み切ればよさそうなものですが,それはコストと労力がかかるのでご免こうむりたい,ということでしょうか。
城繁幸氏は,仕事に給与を割り当てる「職務給」の導入を提言していますが,私もそれに賛成です。それが普及すれば,「低学歴者=生産性不足,高学歴者=高給取り」という機械的な図式に由来する学歴差別の問題も解消されることでしょう。
この案の実現の度合いは,冒頭でみた学歴別の初任給統計の有様によって教えられることになります。今後も,注目していきたいデータです。
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