2020年8月4日火曜日

批判的思考を育む授業

 今朝の日経新聞ウェブに「教員養成,現場の創造性高めよ 批判的な見方が必要」という記事が出ています。語り手は,常葉大学の紅林伸幸教授です。滋賀大学におられたかと思うのですが,移られたのですね。

 それはさておき,教員志望の学生を対象とした,紅林教授の調査結果が紹介されています。同一の対象を追跡したパネル調査にて,1年生と4年生の学びや意識を比較しています。4年生になると現場と結びついた実践的なことを学んでいる学生の率が高まる一方で,社会問題や政治・選挙への関心は薄まるとのこと。

 前者の知見は想像できますが,後者の知見は驚きです。4年間の教職課程において,教員に必要な力量を身につける,凝った言い回しをすると「教職的社会化」を遂げるのですが,それは従順に飼い慣らされる過程でもあるんだなあと。

 最近の教職課程では,授業の技術に加え,トラブルへの対処や保護者との付き合い方など,いわゆる「ハウツー」に重きが置かれると聞きます。早い段階から実習の機会も用意されるのですが,紅林教授によると,そのことが「未熟な自分と経験豊かな優れた教師」というフレームを形成し,学生は物言わぬ従順な教師へと仕向けられるのだそうです。

 自由奔放な思想や行動が許される学生の時期までもが,今の教職課程では,学校現場の色に染められてしまうと。風変わりなことや批判めいたことを言うと嫌われますので,社会に対する学生の関心,批判意識が薄れるというのも道理です。教職課程の学生の読書時間は,普通の学生より低いなんていう現実もあるかもですね(忙しいという要因を引いても)。

 こういう学生が教員採用試験を突破し,学校現場にやってきたらどうなるか。教育委員会や管理職にしたら,まあ扱いやすい存在でしょうが,今の現場に新風を吹き込む創造性なんて持たないでしょうし,今の社会の問題について子どもたちに熱く語るなんてこともないでしょう。学習指導要領では重要とされている「批判的思考」を育む授業も,望むべくもありません。

 それはデータで裏付けられます。OECDの国際教員調査「TALIS 2018」では,授業において批判的思考を促すことがどれほどあるか,と問うています(対象は中学校教員)。選択肢は4つですが,最も強い肯定の回答「A lot(しばしばする)」の回答比率は,日本は3.1%,海を隔てたアメリカは33.6%です。スゴイ差ですね。

 主要国について,4つの回答の分布を出すと以下のごとし。個票データから独自に集計して作図しました。ドイツは調査に参加してません。


 日本の回答分布は,他の7国とかけ離れています。他国では「A lot(しばしば)」と「Quite a bit(かなり)」が大半ですが,日本はたった24.4%しかいません。

 個票データから48か国・地域の数値を出せますが,日本より,批判的思考を促す授業の頻度が低い国ってあるでしょうか。上記の2カテゴリーの比率を拾い,48の国・地域をランクづけると下表のようになります。


 日本の率は48国・地域の中で最も低く,すぐ上のノルウェーとの落差も大きくなってます。ダントツのワーストです。率が低いことに加え,国際標準から大きく外れていることも強調しないといけません。

 「批判的思考とは何ぞや?」と深く考えちゃったのかもしれませんが,ここまで他国と違うとは驚きです。まあ,従順に飼い慣らされ,批判思考の牙を抜かれた教員が,それを育む授業をするのは難しいというもの。教員が考えないのに,子どもが考えるはずはありません。

 前にニューズウィーク記事にて,日本の若者の創造性や冒険志向は世界最下位というデータを出しましたが,学校でどういう授業を受けてきたかの違いによるかもしれません。だとしたら,えらいことです。

 ちなみに「TALIS 2018」では,「批判的思考が必要な課題をどれほど出すか」も尋ねています。この設問への回答も加味し,日本の位置を視覚的に表現してみましょう。選択肢は同じく4つですが,肯定の2つの回答(「Always 」,「Frequently」)の比率をとります。

 下図は,横軸に批判的思考を促す頻度,縦軸に批判的思考が必要な課題を出す頻度をとった座標上に,48の社会を配置したグラフです。


 エクセルでこのグラフが出てきた瞬間,目を疑いました。強烈ですねえ。両軸ともダントツで最下位で,他国の群れから大きく取り残されています。異国の人が見たら,日本人が大人しい理由が分かった,と膝を打つでしょうか。「やはり教育なんだな」と。

 上記のようなショッキングな事実の要因はいろいろあります。そもそも日本では批判思考を重視する授業に馴染みがなく,教員も多忙で,そういう工夫された授業を練る時間が取れないという条件もあります。最初の表をみると,上位には南欧や南米の国がありますが,これらの国では教員の仕事の大半は授業です。日本みたいに,仕事の半分が授業以外の雑務なんてことは考えられません。

 こういう勤務条件の改善とともに,教員の研修を充実すべし,と言いたい人もおられるでしょう。研修は入職前と入職後に分解されますが,紅林教授の調査結果と,ここでお見せしたデータを踏まえると,前者の入職前,つまり教員養成の問い直しが求められるといえます。

 未来の教員を育てる教職課程だからといって,職務と直結した実践的なことに重きを置き過ぎ,疑似的な学校空間に学生を閉じ込めてはいないか。多様な学びの機会を学生から取り上げ,社会から目を逸らさせてはいないか。学部時代,デュルケムの原書講読の手引きをしてくださった,教育哲学のH教授が「今の文部省は,実践的なことをやれ,そればっかりなんだよ」と言われていたのを思い出します。

 組織としての学校を成り立たせるには,ある程度の従順さや協調性は不可欠ですが,」創造性や批判的思考を持ち合わせない人が教壇に立つと,未来を担う子どもの教育にも影を落とします。

 教職課程のカリキュラムを点検しろ,という提言で結ぶのは簡単ですが,以下の提案をしておきましょう。教職課程の学生の読書調査です。紅林教授の調査のように,パネルの追跡調査が望ましい。普通の学生と比べてどうか。問題を可視化し,改革の提言に説得力を持たせるには,これがいいかと思うのです。