今朝の朝日新聞ウェブに,「性暴力が無罪になる国-司法判断の根底には性差別が」という記事が出ています。
https://digital.asahi.com/articles/ASM8V05QJM8TUTIL020.html
近年,性暴力の無罪判決が相次いでいます。「本当に嫌なら激しく抵抗したはずである」と。酒で意識を飛ばせた女性との性行為については,「抵抗が不可能だったのは認めるが,『相手の同意がある』と被告が思った可能性があるので,故意とはいえない」と。
強制性交の要件として,激しい抵抗ないしは抵抗の不能性,そして故意性があるとのことですが,理解不能ですねえ。被害者は極度の恐怖から身体が凍り付いて何もできないことが多し。意識がない相手への行為については,「同意があると思った」と主張すれば,故意とは認められず,無罪放免。ワケが分かんないです。
記事中で角田弁護士が言われているように,同意のない性行為は全て罰するようにすべきかと思います。しかし,同弁護士が続けて言われるように「条文を変えても,運用する人の頭の中が同じであれば」,判断は一緒です。変えるべきは,社会に蔓延る性差別,そして「男社会」と形容される司法の構造なり。
司法の「男社会」の度合いは,法を適用して判断を下す裁判官(判事)がどれくらい男性で占められているか,別の言い方をすれば何%が女性であるか,という指標によって可視化できます。国連薬物犯罪事務所(UNODC)のホームページの統計をもとに,国別の数値を計算してみましたので,ご覧に入れましょう。
https://dataunodc.un.org/crime
私が計算したのは,各国の裁判官・判事(Professional Judges or Magistrates)の女性比率です。データの年次は2014年です。日本でいうと,3750人の裁判官のうち,女性は703人となっています。比率にすると18.7%,5人に1人というところです。
これだけでは「ふーん」「そんなとこだろうね」という感想しか出ないですが,世界各国の分布ではどの辺に位置するのでしょう。上記の資料から62か国のデータを算出できました。高い順に並べてみます。
ぐむむむ。日本の裁判官の女性比率は,下から2番目となっています。相対順位もさることながら,パーセンテージの絶対水準に低さにも絶句します。データをとれた62か国の平均値は47.8%です。裁判官の男女比は「半々」というのが,国際的な標準なり。日本はそれをはるかに下回っています。
異国の人が日本にきて,数日ほど裁判の法廷を見学したら,こう言いたくなるでしょう。「日本の裁判官は男性だらけだが,これでは男性よりの判決が多くなるのではないか」と。実際そうなんですがね。フランスでは,裁判官の7割近くが女性であるようですが,この国の性犯罪の裁判を傍聴してみたいものです。どういうやり取りがされるんでしょう。
日本では,被害者が被害を訴え出て,被害届を警察に受理させ,相手を起訴し,被告として法廷に立たせるのも容易ではありません。
伊藤さんの『Black Box』(文藝春秋)を読むと,警察を動かすのがいかに大変かが分かります。男性警官に事件時のことを根掘り葉掘り聞かれ,性行為をされている体勢を再現させられ,あげく被害届を出さないよう執拗に言われます。セカンドレイプ以外の何物でもありません。被害を訴え出るのも勇気が要りますが,被害届を受理させるのも大変。泣き寝入りする,被害届をつっぱねられる…。こういう人は数多くいるでしょう。裁判以前の問題です。
司法の前段階,最初に被害の訴えを受け付ける警察が「男社会」であるのも問題といえましょう。上表の62か国のうち,42か国について,警察官の女性比率と強姦事件の認知件数(人口10万人あたり)が分かります。警察官の裁判官の女性比のマトリクスに42か国を散りばめ,強姦事件の認知件数で各国のドットの大きさを表現したグラフを作ってみました。
日本は裁判官の女性比は18.7%と低いのですが,警察官の女性比は7.7%ともっと低し。事件を受け付ける警察,裁きを下す司法とも「男社会」です。
こういう構造ゆえか,警察統計に記録されている強姦事件認知件数(2013年)は,人口10万人あたり1.1件と,にわかに信じがたい数値になっています。この背後に膨大な暗数があるであろうことは,想像に難くありません。
冒頭の朝日新聞記事で角田弁護士が言われていますが,性暴力事件に関わるトンデモ判決は以前から出ていました。フラワーデモに象徴されるように,最近になってそれが糾弾されるようになっているのは,メディアの中で女性記者が増えたからではないでしょうか。
この伝でいうと,「性暴力が無罪になる国」を変えるには,まずもって,警察と司法の「男社会」の構造を変えるべきかと思います。その余地が大有りなのは,上記のグラフから明らかです。日本のドットはもっと右上に移行し,ドットがもっと膨らむのが健全であると思います。イギリスやフランスのように。