前回は,1941年(昭和16年)秋の大都市における,子どもの1日の暮らしぶりを観察しました。今回は,村落に目を転じてみましょう。
都市化が進んだ現在では,人口の大半は都市に住んでいますが,昔は違いました。1940年の『国勢調査報告』によると,人口の6割は町村の居住者で,そのうちの半分は人口が5千人に満たない町村の居住者です。よって,当時の子どもの生活の実相を知るには,村落(農村)に目を向けることが不可欠です。
総務省統計局の図書館で,『国民生活時間調査・季節調査報告秋季・国民学校児童編』(日本放送協会,1942年10月刊行)という資料をみつけました。この資料から,1941年11月のある1日(平日)における,時間帯別の子どもの生活行動分布を知ることができます。ここでいう子どもとは,国民学校初等科5年生の児童です。年齢でいうと,ほぼ10歳。
前回は大都市のデータをみました。今回は,村落のそれをみてみます。サンプル数は,男子が439人,女子が445人なり。大都市よりも若干多くなっています。下図は,10分刻みの時間帯別に生活行動の分布を図示したものです。男女で分けています。
村落の子どもの場合,都市部にもまして,起床の時間が早くなっています。朝の5:30にして6割,6:00では8割の者が起きています。今の子どもだったら考えられないことですね。
朝の時間帯に,お手伝い(用事)をする者や遊ぶ者が少なくないのは都市部と同じですが,村落の特徴は,通学のシェアが大きいことです。7時台のほとんどは通学に費やされています。村落の場合,遠距離通学がさぞ多かったことと思われます。歩いて1時間なんてのはザラでしょう。
放課後の14~15時台も,通学に多くが喰われています。帰宅した後は,多くの子どもがお手伝い。17:00~17:10の時間帯でみると,男子の40%,女子の45%がお手伝い(用事)をこなしています。この比率は,前回みた大都市よりもはるかに高くなっています。参考までに,この時間帯の行動分布を大都市と村落で比べた表を掲げておきましょう。
村落の子どものお手伝い実施率の高さには驚かされます。夕食の支度・お使いに加えて,家畜の世話,農作物の管理・収穫,子守のような仕事も子どもに割り振られたことでしょう。農作業にしても機械化が進んでおらず,多くが手作業であったため,子どもも貴重な労働力であったわけです。
村落ではその分,勉強や遊びのウェイトが小さくなっています。上図をよくみると,学校に登校してから授業が始まるまでの間に勉強する者が2割ほどいます。夜は宿題をやる暇がないので,朝方に急いで仕上げるのでしょうか。
最後に就寝時間です。朝が早いためか,布団に入る時間は都市部よりも早くなっています。夜の8:00で約半分,9:00になると9割の者が床に就いています。今だったら,ほとんどの子が塾で授業を受けたり,自室でくつろいだりしている時間です。
1941年といったら,今から70年前ですが,子どもの生活はまったく違っていたのですね。とくに村落では,「早寝早起き・お手伝い」が都市部よりももっと徹底されていたようです。徒歩1時間の通学はザラ,その上,家での各種のお手伝いで体を動かしていたのですから,当時の村落の子どもは体力があったのではないかなあ。
当時の子どもの生活を無条件に賛美するつもりはありません。「百姓の子が勉強などするでない。手伝いをせい!」などと親から言われ,勉強したくてもできない子が数多くいたというなら,それは不幸なことです。
しかるに,昔の子どもの生活は,文字通り,「生」きるための「活」動という意味合いを色濃く持っていたことは,注目されるべきでしょう。今の子どもたちは,こうした原義的な意味での「生活」から完全に乖離しています。彼らの1日の多くは,学校での机上の勉強,マスメディア視聴,ネットゲームなどで占められています。モノの生産者ではなく,モノの消費者です。このことに伴う諸問題については,ここで申すまでもありますまい。
時代が変わったといわれればそれまでですが,現代の子どもたちをして,「生活」に意図的に接近させる実践も必要であると思われます。小学校低学年における生活科の創設,近年のキャリア教育の進展などは,それに沿うものでしょう。昨年に起きた東日本大震災も,子どもたちに基本的な「生」を見つめさせる機会となっています。
このようなことを述べるのは,今の子どもたちの暮らしぶりをデータで明らかにした後にすべきかもしれません。最新の『国民生活時間調査』の統計を使って,現在の小学生の1日を俯瞰できる統計図をつくり,昔と比較する作業を手がけてみようと思います。