総務省統計局の統計図書館をご存知でしょうか。ここには,これまでに刊行された,ありとあらゆる官庁統計が所蔵されています。私にとって「聖地」といえるところです。新宿駅西口から都バスで約15分,国立国際医療センター前下車,すぐ目の前なり。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/4.htm
今週の水曜(6日),久々に行ってきました。目的を終えて館内を何気なくブラブラしていたら,奥のほうの書棚で,『国民生活時間調査・季節調査報告秋季・国民学校児童編』(日本放送協会,1942年10月刊行)という資料に出会いました。
くくってみると,1941年(昭和16年)の秋における,国民学校初等科5年生児童の1日の生活行動を仔細に調べた統計表が載っているではありませんか。「これは使える」と思い,必要箇所をコピー。
いやー,この図書館は「宝の山」です。ちょっとブラつくだけで,ブログのネタにできそうな資料に遭遇することがしばしばあります。私は東京を離れたくないのですが,その理由の一つ,いや最大の理由は,この図書館に通えなくなるのが辛いからなのです・・・。
『国民生活時間調査』は,日本放送協会が5年おきに実施している調査です。上記の1941年調査は,おそらく最古のものではないかしらん。今回はこの資料をもとに,当時の子どもの1日を再現してみようと思います。
http://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/lifetime/index.html
明らかにするのは,1941年11月のある1日(平日)における,時間帯別の子どもの生活行動分布です。ここでいう子どもとは,国民学校初等科5年生の児童なり。国民学校とは,今でいう小学校です。初等科5年生は,年齢でいうとほぼ10歳に相当します。
1941年(昭和16年)11月といえば,太平洋戦争が勃発する直前の時期です。戦前期(昭和初期)の子どもの1日の暮らしぶりはどういうものだったのでしょう。なお,原資料では,大都市と村落に分けてデータが集計されています。今回は,大都市の子どもの暮らしをみてみます。サンプルは,男子が352人,女子が359人なり。
下図は,調査対象日の各時間帯(10分刻み)における行動分布を図示したものです。男女に分けています。
平日ですので,日中は全ての子どもが学校で授業を受けています。これは今でも同じですが,当時の特徴は,登校前と下校後の過ごし方に見出されます。
まず起床の状況をみると,朝の6:00にして,およそ4割の者が起きています。7:00になると,男子の1割,女子の2割ほどが「用事≒お手伝い」。早起きして,朝食の支度などを手伝う者も少なくなかったようです。
なお,朝から遊んでいる子どもが多いことも注目されます。8:00では,4割の者が「遊ビ」です。今の子どもなら,することがない場合,ギリギリまで寝ているのが普通でしょう。当時は,やることの有無に関係なく,子どもは早くに叩き起こされていたことがうかがわれます。「お日様がのぼっているのに布団にくるまっているとは何事か!」という感じでしょうか。
次に下校後ですが,10歳の子どもですから,当然「遊ビ」のシェアが大きくなっています。その次は勉強です。その中には,宿題や予習・復習のほか,各種の習い事も含まれるとのこと。夕方の4~5時あたりになると,用事(お手伝い)をする者も多し。女子では,3割近くがお手伝いをしています。夕食の支度や買い物でしょう。家電品がなかった当時は,子どもがこうした手伝いに駆り出される条件がありました。
夕食後は,勉強や身の廻リ雑事(風呂)に加えて,「教養」というカテゴリーも多くなります(とくに男子)。教養とは,「新聞,雑誌,書物を読むこと,ラジオを聴くこと,音楽や舞踊のおけいこに行くこと」等とされています。現在の行動カテゴリーでいうと,メディア接触のようなものですね。
そして就寝ですが,これがまた早い。夜の9時にして8割,10時になるとほぼ全員が床に就いています。今の小学校5年生だったら,塾で授業を受けている者もいる時間帯です。ちなみに,2010年の『国民生活時間調査』によると,平日の夜の10時で寝ている小学生(5,6年生)の比率は6割ほどです。
いかがでしょう。「早寝早起き・お手伝い」というような,昔の子どもの生活の特徴が検出されたことと思います。今回みたのは,昭和初期の大都市の子どもの1日ですが,言うまでもなく当時は,村落の居住人口が圧倒的に多かった頃です。
都市と村落(農村)では,各種の生活条件が大きく違っていました。故に,子どもの生活にも大きな差異があったことと思われます。次回は,当時の村落における子どもの1日をのぞいてみようと思います。