日本国憲法第25条第1項は,「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。いわゆる生存権です。
この権利を保障するための最後のセーフティネットとして,生活保護制度があります。最近の不況のなか,生活保護受給者が大幅に増え,終戦直後の混乱期の水準に達しつつあるそうです。2009年の生活保護受給者は約167万人です(厚労省「被保護者全国一斉調査」)。国民の1.3%が生活保護を受けていることになります。
この生活保護に関して,気になる新聞記事を目にしました。生活保護受給者の自殺率は,人口全体の自殺率に比して格段に高いのだそうです。むーん。この制度がうまく機能していないか,うまく機能するのを妨げる社会的条件のようなものがあるように思われます。
http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201107120864.html
当局の原統計にあたり,詳細なデータをみてみましょう。厚労省の社会保障審議会生活保護基準部会の資料によると,2009年の生活保護受給者の自殺者数は1,045人です(下記サイトの参考資料2)。先に示したように,この年の生活保護受給者は約167万人ですから,自殺率は10万人あたり62.4人となります。同年の全人口の自殺率(25.8)の2.4倍です。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001ifbg.html
なお,この差は年齢層によって大きく違っています。上記の厚労省資料から,生活保護受給者の自殺率を年齢層別に知ることができます。10歳刻みの年齢層ごとに,生活保護受給者と全人口の自殺率を比較すると,以下のようになりました。
人口全体では,自殺率は高齢層ほど高いのですが,生活保護受給者の場合,それが真逆になっています。その結果,aとbの差は若年層ほど大きく,20代では前者は後者の6.7倍,30代では5.4倍にもなります。
生活保護受給者の(相対的な)困難は,若年層ほど際立っています。なぜでしょうか。いい若いモンが生活保護なんぞ受けやがって,というような非難があるのでしょうか。あるいは,周囲がバリバリ働いてガシガシ稼いでいるのに自分は・・・というような思いに駆られてしまうのでしょうか。
いろいろあるでしょうが,生活保護受給者が置かれた位置を考えてみると,大局的な理解ができるかと思います。20代や30代の場合,生活保護受給者というのは,かなりのマイノリティーです。人口あたりの出現率にすると,20代では3.0‰,30代では6.1‰です。それだけに,彼らが被る社会的圧力は大きなものとなるでしょう。「周囲から自分だけが取り残された」という,相対的剥奪(relative deprivated)の感情を抱く可能性も高くなると推測されます。
一方,生活保護受給者の量が多い高齢層では,言葉が悪いですが,「同士」がたくさんいるわけです。それ故,先ほど述べたような困難を経験する度合いは,若年層に比べてかなり小さいものと思われます。
事実,生活保護受給者の量的規模と自殺率の関係をみると,おおよそ反比例の傾向があります。下図は,横軸に人口あたりの生活保護受給者の比率,縦軸に生活保護受給者の自殺率をとった座標上に,それぞれの年齢層を位置づけたものです。2009年のデータを使って作図しました。
生活保護受給者がマイノリティーである年齢層ほど,自殺率が高くなっています。若年の生活保護受給者が被る諸々の困難は,このような基底条件に由来する面もあるでしょう。
ところで,わが国では,生活保護受給者の出現率が年齢によって大きく異なるのですが,このような国が他にあるのでしょうか。6月26日の記事でみたように,わが国は,自らに責を帰す内向性の強い国民性を擁しています。NHKクローズアップ現代取材班『助けてと言えない-いま30代に何が』(文藝春秋,2010年)のタイトルが示すように,若者は「助けて」と言いません。生活困窮に陥っても,公的な支援を受けようとせず,ネットカフェ難民やホームレスになったりします。
フランスでは,若者は胸を張って生活保護をガンガン受けるといいますが,この国では,今回みたような統計的事実は,おそらく観察されないことでしょう。
現在,性の違いに基づく固定的な役割観念(Gender)を打破しようという取組が急速に進んでいます。今後は,性(ヨコ軸)に加えて年齢(タテ軸)をも組み込んだ枠組みにおいて,このような取組が進展してほしいものです。