2012年12月16日日曜日

落第の国際比較

 落第とは,専門用語で原級留置といいます。ある学年の教育課程を修めたものの,その成果が不十分であり,進級が認められず,当該の学年に留置かれる措置のことです。

 日本では,落第の措置があるのは高校段階以降だろうと思われているようですが,法律上は,そうではありません。学校教育法施行規則第57条は,「小学校において,各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当たつては,児童の平素の成績を評価して,これを定めなければならない」と規定しています(他の学校にも準用)。

 したがって,義務教育学校においても,成績不良者や長期欠席者の落第はあり得る,ということになります。ですが,わが国では,義務教育学校にて落第の措置がとられることはまずありません。法規定はともかく,実際のところは,加齢と共に自動的に進級させる,年齢主義の考え方が採用されています。

 しかるに,他国はそうではありません。課程の内容の習得状況をもとに進級の可否を決める,課程主義の方針をとっている国がほとんどです。学部の頃,「比較教育論」の授業で,フランスでは小学校でもガンガン落第させる,という話を聞いた覚えがあります。

 落第率の国際比較ができれば面白いのになあと思っていたのですが,それができる統計をみつけました。本ブログでも何回か使用している,OECDの国際学力調査PISA2009です。

 PISA2009の生徒質問紙調査のQ7では,対象の15歳生徒に対し,初等教育段階,前期中等教育段階において,同じ学年(grade)を繰り返したことがあるかと尋ねています。日本の制度に即していうと,初等教育は小学校,前期中等教育は中学校に相当します。

 例外もあるでしょうが,前期中等教育までを義務教育としている国が多いと思われます。ゆえに,この設問の回答結果をもとに,義務教育段階での落第経験率の国際比較を行うことができます。

 私は,OECDのホームページからPISA2009のローデータをダウンロードし,69か国について,上記設問への回答分布を明らかにしました。手始めに,先ほどちらっと挙げたフランスのデータを紹介しましょう。無回答,無効回答は,分析から除外しています。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php


 落第経験率は,初等教育段階は17.0%,前期中等教育段階は23.1%です。大雑把にいうと,小学校では6人に1人,コレージュでは4人に1人の生徒が落第することになります。なるほど。「ガンガン」という比喩は大げさでしょうが,この国では,義務教育段階でも落第は結構あるようです。

 では,69か国の15歳生徒の落第経験率をご覧に入れましょう。「1回ある」+「2回以上ある」が,有効回答全体に占める比率です。ちなみに,本設問には,日本の生徒は回答していません。しかし,両段階の経験率とも,限りなく0%に近いとみてよいでしょう。他国は如何。下表をみてください。


 10%超の数値は赤色,20%超の数値はゴチの赤色にしています。黄色のマークは,69か国中の最大値です。タイでは,27.8%の生徒が,初等教育段階において落第を経験しています。前期中等教育段階での落第経験率が最も高いのは,チュニジアの36.1%です。

 北アフリカのチュニジアでは,日本でいう中学校段階において,3人に1人の生徒が落第することが知られます。これは,「ガンガン」というに相応しい状態といえましょう。

 ゴチの赤色(20%超)の分布に注目すると,ブラジル,コロンビア,コスタリカ,モーリシャス,パナマ,タイ,チュニジア,そしてウルグアイといった発展途上国において,義務教育段階での落第率が高いことが分かります。もしかすると,児童労働の問題も絡んでいるのかもしれません。

 しかるに,ドイツやフランス等,先進国でも落第率が高いケースが多々みられます。経済発展の度合いとリニアに関連するというような,単純な傾向でもありません。子どもの教育に対する,考え方の違いも影響していることでしょう。この点については後述します。

 私は視覚人間ですので,上表のデータをビジュアライズしておこうと思います。横軸に初等教育段階,縦軸に前期中等教育段階での落第経験率をとった座標上に,69か国を位置づけた図をつくってみました。


 この図から,両段階の落第率の関係も分かるかと思います。タイでは,初等教育段階の落第率がべらぼうに高いのですが,前期中等教育段階のそれは低くなっています。チュニジアは,その反対です。

 図中の斜線は均等線です。この線よりも上にある場合,前期中等教育での落第率が,初等教育段階より高いことを意味します。数でいうと,初等教育段階の落第率のほうが高い国が多くなっています。基礎・基本をしっかりさせないと後々困る,という考え方の反映でしょうか。

 日本では,義務教育段階で落第措置がとられることはほぼ皆無です。しかるにそれは,国際的にみたら特異なことであることが分かります。われわれが常識と信じて疑わないことが,国際比較によって相対化されるわけです。
 
 わが国において,落第の措置が躊躇われるのは,当の子どもに恥をかかせたくない,という思いが強いためです。確かに,同年齢の友人が進級していくなか,自分だけ取り残され,年下の者と机を並べることの屈辱感は,決して小さなものではないでしょう。「横並び意識」の強い日本では,なおさらです。

 しかるに外国では,当該学年の課程の内容をきちんと習得させないまま進級させることこそ,当人のためにならない,という見方がとられているのだと思われます。学部の「比較教育論」の授業で習ったところによると,フランスでは,こういう考え方が殊に強いのだそうです。 
 
 わが国でも,高等教育(大学)段階では,このような課程主義を厳格に適用することが提言されています。その先駆をいっている,秋田の国際教養大学では,4年間でのストレート卒業率が半分にも満たないことは,昨年の12月9日の記事でみたとおりです。この点について,同大学の学長は,「力をつけた学生だけ卒業させている」,「4年で卒業という概念を捨ててほしい」と語っています。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/campus/jitsuryoku/20091207-OYT8T00451.htm

 国民の共通基盤教育としての義務教育においても,このような見方が幾分かはとられる必要があるのかもしれません。現に,他国ではそうなのですから。むろん,その程度が過ぎたものになってはいけませんが。