2020年11月10日火曜日

体罰の許容度

  2013年初頭に大阪の高校で体罰自殺事件が起き,以降,学校現場での体罰が社会問題化しています。私の頃なら不問に付されていた行為もガンガン懲戒処分の対象となり,最近では警察沙汰になる頻度も増しています。

 学校は,治外法権が認められる「聖域」ではなくなりつつあるようです。学校の外の道で子どもを叩いたら即110番ですが,こういう一般社会のルールが容赦なく適用されるようになっていると。小・中学校でも,条件つきでスマホの持ち込みが認められるようになりましたが,動画でバッチリ証拠を撮り,生徒自らが通報するようになるかもしれません。

 意識の上では,体罰に対する日本人の目線は厳しいものとなっています。2017~20年実施の『第7回・世界価値観調査』では,子どもを叩くことへの許容度を10段階で問うていますが,日本人(18歳以上)の回答平均値は1.30となっています。9割近くの人が最低の「1」を選んでいますね。

 データが分かる48か国の許容度平均を高い順に並べると,以下のようになります。上記リンク先のリモート集計で,数値はすぐに出せます。


 子どもを叩くことへの意識ですが,国によってかなり違っています。最高の6.01から最低の1.22までの分布幅です。

 左上の上位をみると,発展途上国が多くなっています。体罰意識は,大よそ経済発展のレベルと相関しているようにも見えます。日本は下から2番目で,意識の上ではかなり啓発されているようです。あくまで口先の意識表明で,実際の行動がどうであるかは分かりません。子どもの体罰被害率といった指標では,順位構造がガラッと変わる可能性もあります。

 上記は18歳以上の成人の回答結果ですが,次に問うべきは,どの層で体罰許容度が高いかです。毎度言いますが,全体を見た後は層別に見る,これはデータ観察のイロハです。年齢層別にみてみると,暴力を容認する意識がどうやって形成されるかが,うっすらと見えてきます。

 私は上記調査の個票データを使って,日本人サンプルを10歳刻みの年齢層別に分け,体罰の10段階許容度の分布を出し,平均値を計算しました。ジェンダー差も気になったので,男女別の集計もしました。以下は,結果をグラフにしたものです。


 許容度の絶対水準は群を問わず低いですが,ここで見たいのは相対水準です。体罰許容度は年齢が上がるほど高い,という傾向ではなく,50代で最も高くなっています。この年齢層では性差も大きくなっています。

 教育史の素養がある人はピンとくるでしょう。今の50代といったら,学校が荒れに荒れた70年代後半から80年代初頭に思春期で,秩序維持のため,ものすごい体罰を受けた世代です。とくに男子はそうでしょう。育った時代背景の影響(傷跡)が出ているようで,何とも痛々しい。

 子ども期に体罰を頻繁に受けた子は,暴力を容認するようになる。体罰は世代連鎖する。よく言われることですが,それを傍証するデータのように思えてなりません。その理由については様々なことが言われています。それをくだくだと引用するのは容易いですが,私の言葉で2つの点を書いておきます。

 まずは,体罰を受けると,理性をつかさどる脳の前頭前野が委縮することです。子どもを叩くと脳が縮む。理性の制御が効かなくなりますので,ちょっとしたことで手を上げるようになります。

 あと一つは,体罰を愛情表現と歪んで認知してしまうことです。暴力を受けたことを肯定的に捉えないと生きづらいためで,一種の防衛機制と言ってもいいかと思います。かくして,自分が愛情と信じるところの体罰を,わが子にもしてしまう。体罰の世代連鎖とはこういうことで,体罰とは暴力を未来に波及させることに他なりません。

 教職員の体罰は学校教育法で禁じられ,保護者の体罰も今年4月の児童虐待防止法で禁じられました。

 コロナ禍による巣ごもり生活で,親子が密室で共にいる時間が増え,よからぬことが起きやすくなっています。子がいる親の包摂(インクルージョン)を,身近な地域社会において進めていくべきです。

 兵庫県の明石市が実践している,おむつ宅配による見守りなどは妙案だと思います。今は,宅配による買い物が増え,訪問式のサービスも増えていますが,それをもって,外部の人間と接する機会の創出に利用してもいいでしょう。「届ける,訪問する」のついでに,ちょっとした目配りをするだけでも,インクルージョンの発端になるのです。