2012年4月30日月曜日

大学生の1日

大型連休の最中ですが,みなさま,いかがお過ごしでしょうか。明日から2日間は,暦の上では平日となっています。私が学生の頃は,連休の谷間に授業をする大学教員は滅多にいませんでしたが,今はどうなのでしょう。

 私は,2日の水曜は授業をすることになっています(6限!)。半期15回の授業をきっちりやるようにとのお達しが出ているからです。私はヒマだからいいのですが,学生さんからはブーイングが出るだろうなと思っていました。ところがさにあらず。

 「来週は連休の谷間ですが,授業はやりますよ」と言ったところ,嫌そうな顔をする者は一人もおらず,皆,「それが当然」という顔をしています。私の頃だったら,教員が吊るし上げを食らっているところです。私と彼らの年齢差は10歳ちょっとですが,今の学生さんは違うなと,戸惑いにも似た感想を抱いています。「学士力」の育成を掲げる,当局の締めつけの故でしょうか。

 私は,今の大学生の生活実態を知りたくなりました。具体的にいうと,彼らが1日をどのように過ごしているかです。総務省の『社会生活基本調査』では,1日のそれぞれの時間帯における調査対象者の行動分布が細かく調べられています。下記サイトの表10では,在学者の結果がまとめられています。最新の2006年調査の結果です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001008022&cycode=0

 私はこの表のデータを使って,平日の各時間帯における大学生・大学院生の生活行動がどのようなものかを明らかにしました。大学生と大学院生は分かちたいところですが,原資料にて両者が一括されているので,この点は致し方ありません。

 下図は,15分刻みの時間帯ごとに,調査対象となった学生(1,951人)の行動分布を図示したものです。各時間帯において,**をしていた者が何%,というように読んでください。たとえば深夜の3時では,ほとんど(約9割)の者が眠っています。


 学生ですから,起床の時間は一様ではないようです。朝6時で90%,7時で64%,8時で38%,9時になっても23%の者が布団の中にいます。

 日中は,学生の本分である学業に励む者が最多です。ここでいう学業には,授業のほか,授業に関連した予習・復習・課題遂行などが含まれますが,日中の学業のほとんどは授業でしょう。夕方になると,スポーツ(部活,サークル)をする者,帰途につく者が多くなります。そして夜の早い時間はバイト。夜の7時から9時では,対象者の15%割ほどがバイトしています。

 その後は,テレビ,休養,趣味など。一方,やはり学生ですので,この時間帯でも,授業関連の課題をしたり,授業とは無関係の学習・研究に打ち込んだりする者もいます。夜の10時でいうと,この手の勉学クンの者の比率はおよそ1割。

 しかし,就寝は遅いようです。深夜の0時になっても,床に就いた者は4分の1ほどです。この時間になっても,テレビを観たり趣味を楽しんだりしている輩が2割ほどいます。ここでいう趣味・娯楽には,ネットゲームのようなものも含まれていることでしょう。就寝率が8割を超えるのは,深夜の2時になってからです。

 いかがでしょう。まあ,学生の生活なんてこんなもんだろう,と思われただけかもしれません。やはり,あるデータの特徴を検出するには,比較という作業が欠かせません。

 総務省『社会生活基本調査』は5年おきに実施されているのですが,2006年調査の2回前の1996年調査の数字と比べてみましょう。1日あたりの学業の平均時間が何分,睡眠の平均時間が何分というような,統計量の比較を試みます。1996年(平成8年)といったら,私が学部2年生だった頃です。どういう変化がみられることやら。

 下表は,20の生活行動の1日あたりの平均時間を,両年次で比べたものです。この表の数字は,土日も含めた週全体のものであることに注意してください。1996年のデータは,週全体のものしか公表されていませんので,2006年のデータもそれに揃えています。


 この10年間で,学業の平均時間が増しています。177分から210分へと,33分の増です。その分,睡眠,テレビ,および交際といった行動の時間が減じています。うーん,当局の締めつけもあってか,今の学生さんは以前と比べて勉強するようになっています。冒頭で書いた私の印象は,数字でも裏づけられるのだなあ。

 ほか,この期間中に増加が顕著なのは,休養(+11分)や趣味(+12分)です。・・・交際やスポーツの時間が減っていることを考え合わせると,大学生の「内向化」が進んでいるようにも思えます。口が悪い人は,学業時間の増加も加味して,大学生の「ガリ勉化・内向化」が進んでいると形容することでしょう。

 昨年,2011年の『社会生活基本調査』が実施されたところです。2006年から5年を経た2011年では,どういう大学生のすがたが観察されるでしょうか。この期間中,リーマン・ショックをはじめとした,いろいろなことがありました。自己防衛の気風が高まり,上表にみられるような変化がますます進行しているのでしょうか。それだけというのは,ちょっと寂しい思いがします。

 しばらく先になるでしょうが,2011年調査の結果が公表されるのを心待ちにしています。

2012年4月29日日曜日

学歴別にみた30代男性の状態

日本は学歴社会であるといわれます。学歴社会とは,地位や富の配分に際して,学歴がモノをいう度合いが高い社会のことです。今回は,私が属する30代男性の生活状態が,学歴によってどう異なるかをみてみようと思います。

 ロスジェネといわれる30代ですが,彼らのおかれた状態は一様ではありますまい。正規就業が何%,派遣・バイトのような不安定就業が何%,ニートが何%・・・といった統計数字は,学歴によってかなり異なるものと思われます。このほど公表された,2010年の『国勢調査』の産業等基本集計のデータを使って,この点を明らかにしてみます。

 まずは,30代男性の学歴構成はどうかという,基本的な情報から確かめてみましょう。2010年の『国勢調査』によると,30代男性は約917万人ですが,学歴別の内訳を整理すると下表のようになります。統計の出所は,下記サイトの表10-2です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001038689&cycode=0


 非学卒者や状態不詳という者が若干いますが,ひとまず,学卒者の部分に注目しましょう。30代の男性の最終学歴で最も多いのは高卒です。全体の35.6%を占めています。次に多いのは大卒で,全体の29.9%に相当します。義務教育を終えて直ちに社会に出た者(中卒)は5.5%しかいません。

 大卒が最も多いだろうと思っていましたが,私の世代ではまだ,高卒がマジョリティーのようです。20代でみたら,大卒が最も多いことでしょう。周知の通り,大学進学率は50%を超えていますし。

 それはさておき,最終学歴が判明している763万人について,調査時点の生活状態を学歴別に明らかにしてみましょう。生活状態をみる観点はいろいろありますが,30代の男性といったらバリバリの働き盛りです。ここでは,就労状態という視点を据えてみることとします。

 下表は,上記サイトの表11と表12のデータをもとに作成したものです。就業者の就業形態の内訳は,表12にて調べました。


 いかがでしょう。まず正規雇用という形で就業している者の比率は,学歴が上がるほど高くなります。大卒以上の30代男性では,82.6%が正規雇用者です。一方,高卒ではこの比率は7割を切り,中卒になると半分もいません。

 その分,低学歴層では,派遣やバイトのような不安定就労者の比重が相対的に高くなっています。派遣+バイトの比率は,中卒が12.9%,高卒が9.0%,短大・高専卒が7.2%,大卒が5.1%,です。若者の非正規雇用化が問題になっていますが,その程度は学歴によって違うようです。女性でみたら,非正規雇用者率はもっと高いことでしょう。中卒や高卒の女性では,派遣・バイト率が半分を超えるのではないかしらん。

 なお,非就業者の比率も学歴によって相当異なっています。非就業者とは,就労意欲はあるが職に就けていない失業者と,就労意欲がない非労働力人口からなります。30代男性の場合,後者のほとんどはニートでしょう。

 両者を合算した失業・ニート率は,大卒では4.8%ですが,高卒では10.2%と1割を超えます。中卒では22.3%です。5人に1人が,失業ないしはニートの状態であることが知られます。

 30代男性の生活状態が,学歴によってかなり異なることを明らかにしました。まあ,言わずとも知られたことですが,実証的な数量データをあまり目にしないので,それを出してみた次第です。機会をみつけて,女性のデータも計算してみようと思います。女性の場合,男性にもまして学歴差が大きいのではないかなあ。

2012年4月28日土曜日

鹿児島県の小学校教員の離職率(性別・年齢層別)

前々回の記事では,2009年度間の小学校教員の離職率を都道府県別に明らかにしました。その結果,離職率は,最高の38.1‰(鹿児島)から最低の3.3‰(沖縄)まで,大きな開きがあることが分かりました。

 離職率が最も高い鹿児島は,私の郷里です。この県で何が起きているのか気になります。県教委の関係者に取材をするのも一つの手ですが,マクロな統計から引き出せる知見はもっとあります。もう少し詰めてみましょう。

 私は,鹿児島県の小学校教員の離職率を属性別に出してみました。離職率が高いのは男性か女性か,若年層か高齢層か・・・。医学にたとえると,病巣を突き止める作業です。社会病理学の立場から,鹿児島県の教員「社会」の病状を診断してみようと思います。*言葉が悪くてすみません。

 前々回のおさらいですが,ここでいう離職率という指標について説明しておきます。分子の離職者数は,2009年度間の数値で,出所は文科省『学校教員統計調査』(2010年版)です。この資料では,理由別の離職者数が計上されています。設けられている理由カテゴリーは,①定年,②病気,③死亡,④転職,⑤大学等入学,⑥家庭の事情,⑦職務上の問題,⑧その他,です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 私が分子に充てたのは,これらのうち②,⑥,⑦,⑧の理由による離職者数です。これらの合算値は,各種の危機や困難(不適応)によって教壇を去った教員の量の近似値と考えられます。この数を,2009年5月1日時点の本務教員数で除して,千人あたりの離職率を計算しました。分母の本務教員数の出所は,2009年版の文科省『学校基本調査』です。

 なお,年齢層別の離職率を出す際に分母として使った本務教員数は,2010年の『学校教員統計調査』に掲載されている,2010年10月1日時点のものです。年齢層別の教員数は,『学校教員統計調査』の実施年のものしか分かりませんので,このような措置を取ったことをお許しください。

 では,性別・年齢層別の離職率の計算結果をお見せします。鹿児島県の特徴を検出するため,全国統計との比較も行います。下表をご覧ください。


 性別でみると,鹿児島の場合,男女の差が大きくなっています。男性は17.4‰,女性は56.3‰です。56.3‰を百分比にすると5.6%ですから,当県では,女性教員の18人に1人が,定年や転職といったメジャーな理由とは別の理由で職を辞したことになります。

 それ故,全国水準との差は女性で大きくなっています。鹿児島の女性教員の離職率は,全国のそれの4倍以上です。

 次に,年齢層別の離職率をみてみましょう。どの年齢層も,鹿児島の離職率は全国を上回っているのですが,とりわけ20代の離職率が格段に高くなっています。169.1‰ということは16.9%,すなわち6人に1人が,定年や転職とは異なる理由で教壇を去ったことになります。本当かと思い,何度も原資料を見直しましたが,分子の離職者数は137人となります。年次がズレますが,分母の本務教員数は810人です。よって離職率は,137/810≒169.1‰(16.9%)となる次第です。

 2009年度に限って,何か突発的な事情でもあったのでしょうか。この年度において,当県で大量の懲戒・分限免職者が出たという記録はありません。(文科省の「平成21年度・教育職員に係る懲戒処分の状況について」)。私立小学校における大量リストラでしょうか。しかるに,2009年から2010年にかけて,当県の私立小学校の教員数に大きな変化はありません。そもそも,鹿児島では私立小学校はごくわずかです(3校)。

 最近では,教員を民間企業や福祉施設などに派遣する,「長期社会体験研修」を実施している自治体もあるようですが,それでしょうか。長期にわたる研修のため,いったん籍を外して(辞めさせて)派遣する??。これも考えにくいですねえ。

 あと一つ考えられるのは,産休代替講師などの講師の離職です。文科省の統計では,正規の教員と同じ勤務をする常勤講師は,本務教員としてカウントされています。ですが,鹿児島県において,2009年度間に離職した20代の講師は皆無です。

 考えられ得る可能性を潰してきましたが,20代の教員の6人に1人が辞める状況って一体・・・。

 鹿児島の小学校教員の離職率を高らしめている層は,女性,若年層であることが分かりました。既存統計で詰めることができるのはここまでです。この結果を携えて,県教委の関係者の方に取材を申し込んでみようかと。おそらく歓迎はされないでしょうが・・・。

2012年4月27日金曜日

東京の学歴地図

話題変更。4月24日に,2010年の『国勢調査』の産業等基本集計の結果が全県分公表されました。本集計では,対象者の学歴や労働力状態などが明らかにされています。この部分のデータは,社会学の学術研究において使われる頻度が高いものです。

 産業等基本集計の結果が公表され次第,やってみようと思っていたことがあります。東京都内の地域別に,住民に占める高学歴保有者の比率を明らかにすることです。そして,数値に基づいて各地域を塗り分けた「学歴地図」を作成することです。

 大都市の東京は,社会階層による住民の棲み分けが比較的明確です。私はこれまで,東京都内の地域別の統計を使って,さまざまな教育事象の社会的規定性を探求してきました。*子どもの学力の社会的規定性を扱ったものとして,「地域の社会経済特性による子どもの学力の推計」『教育社会学研究』第82集,2008年。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006793455

 東京のこうした地域性に注目し,今後も,この種の実証研究を行っていこうと思う次第です。そのための第一歩として,高学歴人口率のような文化指標の値が,都内の地域間でどれほど異なるかをみてみます。

 『国勢調査』は5年おきに実施されますが,対象者の学歴が調査されるのは,10年に一度です。前回,学歴が調査されたのは2000年です。それから10年が経ちましたが,この期間中,いろいろなことがありました。リーマン・ショックという「100年に一度」と形容される大不況によって,人々の富の開きが拡大した,という面もあるでしょう。

 大都市・東京の内部における,社会経済指標の地域格差はどういうものでしょうか。今回は,所得のような経済面とは異なる,文化的な側面に注視することになります。

 2010年の『国勢調査』の産業等基本集計では,15歳以上の住民の最終学歴が明らかにされています。私は,大学・大学院卒の学歴を持つ者が,学校卒業人口全体に占める比率を計算しました。ベースには,在学者や未就学者を除いた,学校卒業人口を充てることとします。

 日本全国でいうと,大学・大学院学歴保有者は1,772万人,学卒人口は1億245万人です。よって,高学歴人口率はおよそ17.3%と算出されます。東京の場合,この値は25.1%です。大都市ゆえか,値が高くなっています。東京では,15歳以上の学卒人口の4人に1人が大卒以上です。

 それでは,東京都内の地域別にこの指標を出してみましょう。島嶼部を除く,53の市区町の数字を計算しました。計算に使った分子,分母の数字は,下記サイトの表10-2から得ました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001038676&cycode=0

 下図は,結果を地図の形で表現したものです。


 おおよそ,中央部ほど色が濃く,周辺部に行くほど色が薄くなる構造になっています。東部の下町地域や西部の郡部は,高学歴人口率が低くなっています。白色は,20%に満たないことを意味します。

 黒色は,高学歴人口率が3割を超える地域です。上位5位は,武蔵野市(38.1%),千代田区(36.7%),杉並区(36.2%),中央区(35.8%),小金井市(35.8%),です。武蔵野市では,15歳以上の学卒人口の4割近くが大卒者です。

 地図の中央をみると,黒色のゾーンが左に伸びていますが,JR中央線の沿線地域に相当します。都心で勤務するホワイトカラー層のベッドタウンとなっている地域でしょう。上位5位に入っている,武蔵野市や小金井市もこの中に含まれます。

 予想はしていましたが,大都市・東京の内部では,高学歴人口率にかなりの差があります。高率地域や低率地域が固まっていることも注目されます。中央部から周辺部にいくにしたがって色が薄くなる傾向は,シカゴ学派の同心円理論を想起させます。都内における「棲み分け」構造は健在です。

 このような基底的な構造は,各地域の子どものすがたとも関連していることでしょう。2月1日の記事では,2011年3月の公立小学校卒業生のうち,国立・私立中学校に進学した者がどれほどいるかを地域別に計算しました。中学受験現象の量を測る指標ですが,この指標を,上記の高学歴人口率を関連づけてみましょう。


 両者の間には,明瞭な正の相関関係があります。相関係数は0.7009であり,1%水準で有意です。高学歴人口率が高い地域ほど,中学受験をする子どもが多い傾向が明らかです。

 中学受験は,将来の地位達成のための手段としての側面を持っていますが,この戦略を行使するかしないかは,地域環境にかなり規定されていることが知られます。

 上図のデータが示唆しているのは,高学歴の親を持つ子どもほど中学受験をする頻度が高いという,個人的な行動傾向だけではありません。地域に高学歴者が多いことで醸成される,文化的な雰囲気(クライメイト)のようなものが重要であることをも物語っています。

 今回明らかにした高学歴人口率は,子どもの学力指標や,肥満児出現率のような健康指標とも相関しているのではないでしょうか。大都市・東京の経験データを使って,子どもの発達の社会的規定性の諸相を解明する作業を手掛けていきたいと思っております。

2012年4月26日木曜日

都道府県別の小学校教員の離職率(2009年度)

昨年の7月28日の記事では,教員の離職率を県別に明らかにしたのですが,この記事を見てくださる方が多いようです。本記事の離職率は2006年度間のものですが,もっと新しいデータはないか,という要望もあるかと存じます。

 お待たせしました。先月の末に公表された,2010年の文科省『学校教員統計調査』のデータを使って,2009年度の県別離職率を出してみました。同調査の教員異動調査では,調査年の前年度間に離職した教員の数が計上されています。最新の2010年調査では,2009年度間に離職した教員の数が明らかにされているわけです。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 ここでの関心は,各種の危機や困難によって教壇を去った教員の量を測ることです。よって,定年や大学等入学による離職は除きます。また,死亡という理由も,偶発的な要素が濃いので除外します。あと一つ,転職による離職ですが,文科省に問い合わせたところ,現場から指導主事として教育委員会に出向くようなケースも転職とみなされるそうなので,この理由の離職者数も計算に含めないこととします。

 残りの離職理由は,①「病気」,②「家庭の事情」,③「職務上の問題」,および④「その他」というものです。私は,これらの理由による離職者数が,教員全体に占める比率を計算しました。「家庭の事情」を含めることに違和感を持たれる方がいるかと思いますが,この理由カテゴリーは曖昧な要素を持っています。不適応で辞める場合であっても,形式上,このような理由が表明されることが結構あると聞きます。

 なお,2006年度までの離職統計では,上記の②~④は「その他」として一括されていました。過去の離職率との比較も行う関係上,②と③も分子に含めることとした次第です。

 あと一点,申しておくべきことがあります。教員といってもいくつかの学校種がありますが,今回は,小学校教員の県別離職率を計算します。このことの理由についてです。

 県別の理由別の離職者数は,国公私をひっくるめた全体のものしか得られません。中高では私立校のシェアが大きくなりますが,私立校の場合,経営不振に伴うリストラによる離職者が,④の「その他」のカテゴリーに多く含まれると思われます。このような弊を最小限に抑えるため,ほとんどが公立校である小学校段階の離職率を計算することとしました。

 前置きが長くなりました。では,作業に入りましょう。下表のbは,2009年度間の離職者数です。aは,同年5月1日時点の本務教員数です。bの総和をaで除すことで,諸々の危機による,小学校教員の離職率を算出することができます。単位は‰です。千人あたり何人か,という意味です。


 全国値は11.5‰,つまり100人に1人ほどですが,県別にみると,かなりの差異が見受けられます。最も高いのは鹿児島です。私の郷里です・・・。当県の離職率は38.1‰(≒3.8%),およそ26人に1人が,何らかの危機や不適応によって職を辞したと推測されます。

 ほか,離職率が高い県はどこでしょう。20‰(2%)以上の数値は赤色にしましたが,千葉,京都,鳥取,および徳島がこの水準を超えています。

 小学校教員の離職率が最も低いのは沖縄です。たったの3.3‰です。2月19日の記事でみたところによると,精神疾患による休職率はこの県が最高なのですが,離職率は真逆になっています。民間に比した教員の給与水準が高い沖縄では,教員の職を手放すのが惜しく,休職という形で職に留まる者が多い,ということでしょうか。

 離職率が最も高い鹿児島ですが,分子の4つの理由による離職者数は295人です。このうち,20代が137人と,46.4%をも占めています。当県では,危機や不適応によると推測される離職者のほぼ半分が20代の若年教員です。全国の同じ値(28.4%)を大きく上回っています。

 鹿児島では,若年教員の離職率の高さが,全体の離職率の高さとなって表れているものと思われます。年齢層別の離職率を県別に出すのも面白い作業ですが,それは回を改めることとしましょう。

 次にみてみたいのは,2006年度から2009年度にかけて,各県の小学校教員の離職率がどう変わったかです。3月30日の記事では,この期間中にかけて,公立小学校教員の離職率が大幅に伸びていることを知りました。東京都がモンスター・ペアレントに関する実態調査の結果を公表したのは2008年9月ですが,現場の困難度がいっそう高まった時期と解されます。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr080918j.htm#bessi

 はて,この3年間にかけて,各県の小学校教員の離職率はどう動いたのでしょう。2006年度と2009年度の離職率を比較してみます。県別の一覧を掲げるだけというのは芸がないので,結果を視覚的に表現してみましょう。

 横軸に2006年度,縦軸に2009年度の離職率をとった座標上に,47の都道府県を位置づけてみました。Y=Xは均等線です。この線よりも上に位置する場合,この期間中に離職率が高まったことを意味します。下にある場合は,その逆です。Y=2Xよりも上にある場合,この3年間で離職率が2倍以上になったことを示唆します。


 この期間中,離職率が下がったのは8県です。減少幅が最も大きいのは山梨で,16.2‰から6.9‰へと9.3ポイントも減じています。次に減少幅が大きいのは石川で,4.8ポイントの減です。

 これらは事態が好転している県ですが,悲しいかな,残りの大半の県はその逆です。とくに,図中のY=2Xよりも上方に位置する11の県が気がかりです。これらの県では,わずか3年間で離職率が倍増しています。県名が気になる方もいると思うので,掲げておきましょう。宮城,秋田,山形,福島,茨城,福井,滋賀,京都,島根,長崎,鹿児島,です。

 図の位置からお分かりかと思いますが,増加倍率が最高なのは鹿児島です。8.6‰から38.1‰と,4.4倍になっています。故郷だからでもありますが,この県で何が起きているのか気になるなあ。

 回を改めて,当県の性別・年齢層別の離職率を出し,どの層において,全国水準との開きが大きいのかを探ってみることにします。言葉がよくないですが,病巣を突き止める作業です。社会病理学徒の端くれである私に課せられる仕事というのは,こういうことなのかもしれません。

2012年4月23日月曜日

新規採用教諭の採用前の状況

4月3日の記事で明らかにしたところによると,最近では,公立学校の新規採用教諭の3割ほどが30歳以上です。教員採用試験が難関化してきているためでしょうが,民間経験者のような多様な人材が歓迎される傾向が強まっていることも寄与していると思われます。

 新規採用教員のうち,新卒が何%,社会人経験者が何%というような情報はないでしょうか。文科省の『学校教員統計調査』の教員異動調査から,新規採用教員の職名別に,採用前の状況がどうであったかを知ることができます。今回は,この統計を分析してみましょう。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 2010年の同調査によると,前年度(2009年度)間に採用された公立小学校の教諭は12,527人です。ヒラの教諭ですから,当該年度の教員採用試験の合格者と考えてよいでしょう。この12,527人の採用前の状況を整理しました。近年の特徴を見出すため,1997年度のデータとの比較もしてみます。


 この期間にかけて,採用教諭の数は5,520人から12,527人に増えています。団塊世代教員の大量退職のためです。

 採用前の状況をみると,1997年度では新卒が49.1%で最も多かったのですが,2009年度では非常勤,塾講師等が最多です。臨時講師などをしながら試験に数回トライした浪人組であると思われます。このカテゴリーの比重は,39.3%から47.7%へと増加しています。近年の採用試験の難関化を示唆しています。

 さて,注目される社会人経験者の比重はというと,2009年度の採用教諭では,官公庁勤務が3.3%,民間企業勤務が2.4%,自営業が0.2%,です。合算すると5.9%です。1997年度の11.4%よりも減じています。

 現場に多様な人材を,ということで,「教職経験者や社会人(民間企業等での勤務経験を有する者)経験者など,特定の資格や経歴等を持つ者を対象とした特別選考」を実施している自治体が多いようですが,フタを開けてみると,採用者中の社会人経験者率は意外と少ないのですね。近年の減少傾向も予想外でした。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1300238.htm

 次に,公立中学校と公立高校の統計もみてみましょう。結果を帯グラフで表しました。煩雑になるので,上表の②~④は「社会人」として一括しています。


 中高も小学校と同じ傾向が観察されます。新卒の減少,浪人組の増加です。社会人経験者の比率は,2009年度でみると,小学校が5.8%,中学校が8.2%,高校が12.2%です。上級学校ほど,率が高くなっています。しかるに,1997年度に比して率が減少傾向にあるのは全校種共通です。

 4月3日の記事でみた,新規採用教諭の高齢化傾向は,採用試験の難関化に伴う浪人組の増加による部分が大きいようです。社会人経験者の増加によるものではありません。

 まあ,上図の緑色のカテゴリー(非常勤,塾講師等)には,多様な人種が含まれているのですから,教員集団の成員の多様化が進んでいる,という見方もできます。でも,もう少し赤色の領分が増えてもいいのではないか,という気がします。

 社会人枠何%,障害者枠何%,というようなテコ入れも必要になってくるのかなあ。ついでに,博士号取得者枠というのも・・・。これは,水月昭道さんが提案されているようですが。ちなみに,2009年度の公立中学校の採用教諭に,前職がポスドクという者が1人含まれています。女性です。お会いして,採用に至るまでの経緯がどういうものであったかをうかがいたいものです。

 回を改めて,大学の新規採用教員の前職(採用前の状況)についても明らかにしてみようと思います。こちらは,大学外の社会人経験者の比率が高まっていることと思います。

2012年4月22日日曜日

明治時代の狂師

いつの時代にも問題教師はいるものですが,明治時代の教育社会には,以下のようなタイプの「狂師」がいたようです。1890年(明治23年)1月26日の読売新聞によります。学海指針社の雑誌『教育』第31号からの転載だそうです。

①重箱狂師・・・生徒の重箱や持参品(贈物)の多寡によって教授を差別する。賄賂を要求。
②幇間(たいこもち)狂師・・・宴会などで来客の機嫌をとる。
③官員狂師・・・威張り散らし,官吏を気取る。官吏の子分になろうという思想を養成する。
④放蕩(ほうとう)狂師・・・自由気まま,好き勝手。
⑤高利貸狂師・・・金儲けに目がない。自分だけ富めばよい。義理人情など河童の屁。
⑥奴隷狂師・・・官吏や町村吏の言いなり。柔弱卑怯の性質を育成する。
⑦貧乏狂師・・・貯蓄は**(災い?解読不能)のもと。宜しく赤貧に安ずべし。貧乏の先導者。最も多い。
⑧虚言狂師・・・生徒との約束を守らない。
⑨横着狂師・・・校務の整理票簿の整頓をしない,捨てる。窓が壊れ,障子が破けていても気にとめない。
⑩不潔狂師・・・醤油のついたシャツ,フケだらけの髪 etc…不潔を厭わない者の見本。

 いかがでしょう。②と⑥は,官吏などの有力者に頭が上がらなかった,教員の弱い立場を反映しています。当時は,地域の有力者の恣意によって教員の任免がなされていました。

 ⑦と⑩は,当時の教員の待遇の悪さに由来しているように思います。1890年といえば,1886年の諸学校令によって近代学校体系が打ち立てられてから間もない頃です。小学校への就学児童の急増に教員の供給が追いつかず,正規の資格を持たない准教員や代用教員も少なくありませんでした。給与が低い彼らは,貧乏狂師や不潔狂師として世間の目に映じたことでしょう。

 私などは,④と⑦と⑨に該当しそうだなあ。いや,もしかしたら⑩にも当てはまるかも。いろいろな見方があるでしょうが,現代の教師の姿に通じるところもあるかと存じます。

 教職危機の歴史研究,資料を収集中。半マジ,半道楽です。今,『日本之小学教師』という雑誌(1899年;明治32年創刊)の目次集成にあたっているのですが,面白そうな記事がわんさとあります。たくさんあるので,記事タイトルと掲載号をノートに記録するのも疲れます。

 近く,国会図書館に行って,目ぼしい記事のコピーを取ってくる予定です。武蔵野大学の有明キャンパスに出講する曜日にしようかな。そしたら交通費も浮くし。

2012年4月21日土曜日

博士課程院生の研究業績

私の母校の東京学芸大学大学院博士課程は,博士号学位授与の要件として,査読つき論文2本を課しています。博士論文の質を保障しよう,という意図からでしょう。こうした客観的な基準を設けているのは,学芸大だけではないと思います。

 求められる2本の査読論文のうち,1本は学内発行の院生論文集でよいのですが,もう1本は全国レベルの学会誌に載せることとされています。厄介なのは後者です。学内雑誌の場合,お情けで通してくれる面もあるのですが,学会誌はそう甘くありません。複数の匿名レフリーから,情け容赦ない辛辣なコメントが返ってきます。

 私の場合,学会誌(『日本社会教育学会紀要』)への論文掲載が決まったのは,博士課程3年時の2月でした。11月に論文を投稿し,3か月ほど経った2月半ばに審査結果が来たのですが,封筒を開封する時の緊張感は今でも覚えています。

 その時点で留年は決定していたのですが,もし「不採択」という結果の場合,また翌年再トライですので,在学年数がさらに延びることになります。授業料の関係上,それはキツイところです。でも「採択」なら,博士論文提出の資格が得られることに・・・。

 さあ,運命の分かれ道。学会の名が記された長3の封筒をハサミでゆっくりと開封し,手を入れると,3つ折りにされたA4用紙が数枚入っています。1枚が審査結果通知で,残りは査読コメントでしょう。恐る恐る一番上の紙を見ると・・・


 「うおー!」絶叫し,布団にダイブ。数分間転げ回りました。バカ丸出しですが,一度落とされているだけに,嬉しさもひとしおであったのは確かです。

 今も,全国のどこかで,このスリリングなゲームに晒されている院生さんがおられることでしょう。よい結果が出ることをお祈りしています。*他人事のような言い方ですみません。

 このようなことを思い出しているうちに,はて,博士課程院生の平均的な仕事ぶりはどのようなものか,という関心が芽生えてきました。私の場合,査読論文2本書くのに4年を要したわけですが,それよりも短期間で2本も3本も仕立てるような猛者はどれほどいるのでしょう。

 文科省の『大学等におけるフルタイム換算データに関する調査』をもとに,全国の博士課程院生諸賢の業績拝見といきましょう。最新の2008年度調査の結果をみてみます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001058421

 この年の博士課程3年生(2006年入学)の業績分布は下表のようです。サンプル数は626人。博士課程入学後から調査時点までの業績数分布です。上記サイトの表B-12のデータをもとに作成した表であることを申し添えます。


 まず日本語による業績をみると,学会発表は3件という回答が最も多くなっています。まあ,学会発表はそれなりの数をこなしている人が多いようです。5件以上という者も3割ほどいます。私は,D3時点では確か4回だったかな。

 しかるに学会発表は,自分の研究をアピールするためのよい機会ではありますが,純粋な研究業績としてはあまり評価されません。エントリーさえすれば誰だってできるから。著しく水準が低い発表も見受けられることから,日本教育社会学会では,発表の事前審査の導入を検討しているとか。

 それはさておき,論文となると,数がガクンと減ります。1本でも書いたという者の比率は,査読あり論文は28.0%,査読なし論文は23.6%です。裏返せば,残りの7割以上の者が1本も論文を認めていないことになります。

 「少なすぎないか?」と思われるかもしれませんが,単著ないしは第一著者(ファースト・オーサー)の業績に限定しているためでしょう。また,これが最も大きな理由ですが,理系の院生は外国語の業績を挙げることに力を入れているためです。

 理系の場合,日本語の論文は評価されません。理系の研究者の卵たちは,"Nature"や"Science"のような世界レベルの超一級誌に論文を載せることを夢見ています。文系もそうであるべきだ,という意見もあります。社会学徒を名乗るなら,"ASR"や"AJS"といった米国の一級の社会学雑誌に論文を発表することを目指すべきなのかもしれません。

 外国語の査読あり論文を1本でも書いている者は,全体の45.2%です。外国語の学術雑誌のほとんどは査読がつくので,査読なし論文は0件という回答が多いことにご注意ください。

 さて,D3の時点において,学芸大学の博士論文提出条件を満たしている者の比率を出してみましょう。上表によると,日本語の査読あり論文を2本以上書いている者は全体の14.9%,外国語のそれを2本以上書いている者は21.4%です。両者の重複がないと仮定すると,日本語ないしは外国語の査読論文を2本以上発表済みの者の比率は36.3%,およそ4割弱ということになります。

 うーん,4割が3年以内に査読論文を2本揃えるのだなあ。まあ,上記の文科省調査でいう査読論文には,学内の院生論集のような媒体(ある論者曰く,「名ばかりレフリー誌」)のものも多く含まれるのでしょうが。

 しかるに,博士課程の院生諸氏が予想以上にがんばっておられることを知りました。敬意を表します。「絶対に3年で書く!」という意気込みを持っている方も少なくないでしょう。

 でも,あまり焦るとよいことはありませんよ(だらだらするのはもっとよくありませんが)。学芸大学の博士課程は,修了生をセミナーに招いて,博士論文執筆にまつわる体験談や苦労話を在学生に話してもらう,というイベントを開催しています。下記サイトに,登壇者の話のレジュメがアップされています(「先輩に聞く学位論文執筆経験談」)。参考になる点もあろうかと存じます。興味ある方はご覧あれ。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~graduate/rengou/zaigaku/gyouji/seminar.html

 ちなみに,私のバカ話も載っています。反面教師としてお使いください。

2012年4月18日水曜日

教職教養の必出事項(23都府県)

前回は,東京都の教職教養試験において出題頻度が高い事項を明らかにしました。しかるに,他県はどうかという関心をお持ちの方もおられるでしょう。

 最近5年間(2008~2013年度試験)の各県の教職教養試験で,毎年欠かさず出題されている事項を拾ってみましょう。『教員養成セミナー』2012年3月号(時事通信社)の「最新5ヵ年全国出題頻度表:教職教養編」という資料から,23の都府県について,この期間中一貫して出題されている事項を検出することができます。

 これらの事項は,この夏の2013年度試験でもかなりの確率で出題されると考えてよいでしょう。以下,必出事項と呼ぶことにします。最初に,東日本の8都県の必出事項の一覧を掲げます。


 東京は前回みた通りですが,お隣の埼玉についても,必出事項を多く見出すことができます。この県では毎年,障害に関する事項が出題されています。学校教育法施行令第22条の3で規定されている,特別支援学校の対象となる障害の程度を知っておきましょう。LDやADHDについては,公的な概念規定が重要。これらの子どもは,通常学級にも在籍しています。発達障害に関する理解を深めておくことは重要です。

 福島では,学校の目的・目標について定めた学校教育法の条文の空欄補充問題が毎年出ています。本県の問題は難易度が高く,選択肢が与えられないことがしばしばです。よって,条文中の重要用語の正確な記憶が求められます。労をいとわず,該当条文の音読,書き取りといった作業をしておきましょう。

 あと一点,各県独自の教育施策に関する問題についてです。地方分権化のすう勢のなか,この手の「ローカル問題」を出す県が多くなってきています。福島,茨城,埼玉,および東京では,ローカル問題が必出です。

 2012年度試験で出題された文書をみると,福島は『第6次福島県総合教育計画』,茨城は『平成23年度・学校教育指導方針(茨城県教育委員会)』,埼玉は『埼玉県教育振興基本計画』,東京は『東京都教員人材育成基本方針』などです。いずれも都県教委のサイトで閲覧できますので,概要を押さえておきましょう。エッセンスがまとめられたパンフや概要記事に目を通しておくだけで十分です。福島の上記文書のURLを貼っておきます。
http://www.pref.fks.ed.jp/measure.html

 次に,西日本の15府県です。必出事項を上表と同じ形式で整理しました。


 地域性とでもいいましょうか。関西では,人権教育・同和教育について毎年欠かさず問う県が多いようです。同和問題の概念規定を示した同和問題対策審議会答申(1965年)や,「人権教育の指導方法の在り方について」といった国レベルの文書に加えて,各県の文書も押さえておく必要があります。

 山口では,憲法や民法のような法規が毎年出題されています。2012年度試験では,配偶者の選択や離婚について定めた憲法第24条第2項が出ています。最近,子どもの親世代にあたる30代の離婚率が高まっていることを受けてでしょうか。

 教育と直に関わる内容ではありませんが,子どもの生活領分の大半は,学校の外にあります。とくに家庭は,子どもの成育環境の重要部分をなしていますが,近年,この部分の歪み・ねじれが顕在化してきています。児童虐待の問題などは,その典型です。教育に隣接する,こうした周辺領域の知識も得ておくとよいでしょう。「親権」や「貧困率」といった概念の説明ができますか。

 以上,23の都府県について,この5年間一貫して出題されている事項をみてきました。他の県については,このような必出事項を見出すことができませんでしたが,出題回数が「4回」という準必出事項は検出することができます。関心がある方は,上記の時事通信社の原資料にあたってみてください。

 ひとまず,今回みた23の都府県を受験される方は,上表の事項は必ず学習しておく必要があるかと存じます。試験まであと3カ月弱。みなさまのご健闘をお祈りいたします。

2012年4月16日月曜日

東京都の教職教養の頻出事項

4月になり,教員採用試験の勉強に本腰を入れ始めた方も多いと思います。勉強の記録をブログにつけておられる方もいます。拝見すると,この「はいみー」さんという方は,拙著『教職教養らくらくマスター』を参考書として使ってくださっているようです。光栄に存じます。がんばってください。
http://blog.goo.ne.jp/ah1610

 今回は,この夏実施の2013年度試験を受験される方を想定し,教職教養試験でよく問われる事項がどのようなものかをご覧に入れようと思います。出題傾向は自治体によって異なりますが,ここでは,受験者数が最も多い東京都の傾向をみてみます。

 東京アカデミー社のホームページで公表されている資料によると,東京都の2012年度・小学校試験の受験者は5,378人,最終合格者は1,696人だそうです。よって不合格者は3,682人ですが,このうちの2,312人(62.8%)が筆記試験で落とされた者です。
http://www.tokyo-ac.co.jp/kyousai/ky-data_0.html

 まあ,沖縄や福島のように,受験者の9割近くを筆記で落とす県もあることを考えると,東京は比較的面接重視であるといえます。しかし,筆記も侮れません。要となるのは,校種を問わず,受験者全員に課される教職教養です。この科目の勉強には,とくに力を入れる必要があるでしょう。

 私は,2008~2012年度の東京都の教職教養試験において,どのような事項が多く出題されたのかを調べました。参照したのは,『教員養成セミナー』2012年3月号(時事通信社)の「最新5ヵ年全国出題頻度表:教職教養編」という記事です。この5年間で4回以上出題されたという事項を拾ってみました。


 いかがでしょう。教職教養の内容は,教育原理,教育史,教育法規,および教育心理の4領域に分かれるのですが,全般的にみると,法規のウェイトが大きくなっています。

 現代の教師は,学校という組織の一員として,組織的・体系的な教育の一翼を担うことが期待されます。そうである以上,学校運営に際して依拠すべき諸規則(法規)についてきちんと知っておいていただきたい,という願いが採用側にはあるのでしょう。

 出題回数が5回という事項をみると,この期間中一貫して,服務の問題が出題されています。教員の不祥事が続発していることを受けてでしょうか。公務員としての教員が遵守すべき,職務上の3つの義務と身分上の5つの義務を押さえておきましょう。

 また,東京のような大都市では,学校で荒れ狂う子どもが多いのでしょうか。出席停止制度についても毎年問われています。出席停止は義務教育学校で行うことができる措置ですが,これは他の子どもの学習権を保障するためのもので,懲戒行為ではないことに注意が要ります。

 出席停止を命じる際には,保護者の意見を聴取すること,出席停止期間中の学習支援等の配慮を行うこと,といった留意事項があることにも要注意。表で挙げられている,学校教育法第35条の条文を繰り返し読んでおきましょう。

 あと一点,都の教育施策も必出です。2012年度の試験では,「東京都教員人材育成基本方針」など,都の教員研修に関する文書が出題されています。東京都は現在,団塊世代の大量退職に伴い,大量採用を余儀なくされています。こういう状況のなか,新規採用教員の資質低下を憂いてのことでしょうか,若年教員の研修に力を入れる方針が打ち出されています。上記の文書は,都教委のホームページで閲覧可能です。概要を確認しておきましょう。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/jinji/jinzai.htm

 頻出事項に関するコメントはこれくらいにしますが,東京都の試験を受験予定の方は,上表に盛られた事項を中心に学習を進めると効率的です。教育史も侮るなかれ。表には,進歩主義教育を担った3人の思想家が掲げられていますが,各人に関する重要なキーワードを即答できますか(デューイ=経験主義,キルパトリック=プロジェクト・メソッド,パーカースト=ドルトン・プラン)。

 次回は,他の自治体について,この5年間一貫して出題された事項(必出事項)を明らかにしてみようと思います。

2012年4月14日土曜日

大正期における教員の結核

「教職危機の歴史研究」といったらおこがましいですが,昔の教員の苦境や悩みに関連する新聞記事を採集しています。

 昨日から今日にかけて,大正時代(1912~1926年)の東京朝日新聞の復刻版をくくってきました。今になって気づいたのですが,この時代のものは原寸サイズなので,縮刷版とはいわず「復刻版」というのですね。月単位に綴じてあるのですが,これが重いのなんの。必要な号を棚から取り出し,目ぼしい記事のコピーをとり,また棚に戻す・・・。これのくり返しですが,相当の重労働です。すっかり筋肉痛になりました。

 さて,この時代の新聞をみると,教員の生活難について報じた記事がやたらと目につきます。以下は,スクラップした記事の写真です。


 左側は1918年(大正7年),右側は1926年(大正15年)10月13日の記事です。当時は好景気でしたが,同時に物価の高騰(インフレ)も激しかった頃です。民間はそうした状況に機敏に反応し,従業員の給与を引き上げたのですが,悲しいかな,教員はそうではありませんでした。

 物価が上がるのに給与はそのまま。これでは生活難に陥るはずです。その程度といったら,「食物さへ十分でな」く,弁当は「パン半斤」が当たり前,さらには「一家離散」までが起きるほどであったようです。民間に比べて給与が安い,贅沢ができないというような相対的貧困ではなく,生存が脅かされる絶対的貧困の域にまで達していたことが知られます。

 これではと,1920年(大正9年)に公立学校職員年功加俸国庫補助法,公立学校職員年功加俸令が制定され,給与アップが実現したのですが,それによって教員の生活苦が解消されたわけではなかったようです。事実,右側の記事はそれよりだいぶ後の大正末期のものです。

 こうした状況のなか,病気を患う教員も多かったことでしょう。右側の記事では,教員に病人が多いことがいわれています。現在では教員の精神疾患が問題になっていますが,当時の教員の主な病気とは何だったのでしょうか。

 それは結核です。右側の記事の上段に,「肺患」という太字の語句がみられます。昔は不治の病として恐れられていた結核ですが,この病は,とりわけ教員の間で猛威を振っていたようです。時代は少し上がりますが,1913年(大正2年)2月25日の東京朝日新聞に,明治末期の教員の死亡統計が掲げられています。私はこれをもとに,以下の表をつくってみました。


 注目されるのは,教員(ほとんどが小学校教員)の死因全体に占める結核の比重の高さです。教員では,全死因の3割を結核が占めています。厚生省『人口動態統計』から分かる,同年の人口全体の同じ数値(1割)に比して格段に高くなっています。
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm

 結核による死亡確率(c/a)は全人口のほうが高いのですが,高齢層を除いた就労人口を比較対象に据えた場合,教員の結核死亡率のほうが高くなるのではないかと思われます。

 ちなみに,1913年(大正2年)2月16日の東京朝日新聞の「職業と病気(2)」という記事では,26の職業について,全死因に占める結核の割合が明らかにされています。上表と同様,1909年の統計です。男性でみると,教育に関する業の数値(31.3%)は,銅板及び石版,木版等の彫刻,印刷業(44.0%)に次いで2位となっています。

 教員の結核は,当時かなり問題視されていたようであり,新聞紙上でも関連記事が多くあります。①「小学教師と結核」(1911年5月10日,東京朝日新聞),②「小学教師の肺病:世界一の高率」(1912年6月3日),③「恐るべき子供の結核:学校や家庭で注意せよ,小学教員に結核患者が多い」(1917年3月30日),など。生身の子どもを相手にする教員,とくに低年齢の児童を受け持つ小学校の教員に,伝染性の高い結核の罹患者が多いことは,ただならぬことでした。

 なぜ,教員(とくに小学校教員)に結核が多かったのでしょう。銅板及び石版,木版等の彫刻,印刷業の場合,粉じんを吸いやすい環境での就労であることから,結核の罹患率が高いのは分かるのですが,教員については如何。

 この点について,上記の②の記事では,1)其業務煩雑にして健康に可ならざる為他より伝染し易く,2)而も同症に犯され乍ら比較的勤め易き為退職する者少く,3)給料薄きため栄養不良に陥り易く,4)又向上心有る者は争ふて中等教員たらんとし同検定試験を受けんと過度の勉強を為す者多きに因る,といわれています。

 過労や薄給に加えて,「ガンバリ過ぎ」の状態に陥りやすい職業上の性格も指摘されています。教員の場合,職務の際限というものがありません。石を*個積めば終わりというのではなく,完璧を求めるなら,職務の範囲は際限なく広がってしまいます(自己研鑽,勤務時間外の個別指導・・・)。

 こうした職業上の性質は,現在では精神疾患やバーン・アウトにつながっていますが,昔は,薄給による栄養不良のような条件と相まって,結核という不治の病に連動していたようです。

 日本の教員史研究では,大正期は「生活難の時代」であったということで,諸家の見解が一致しているようですが,「結核の時代」という特徴づけもできるのではないかと存じます。

 さて,次は明治期ですが,この時期になると,新聞記事の記事総覧がありません。よって,朝日新聞なら「聞蔵」というオンラインデータベースで,「教員&悩み」というようなキーワードで記事検索をすることになりそうです。

 でも新聞記事に当たるのはそろそろ飽きてきたので,趣向を変えて,昔の主な教育雑誌に目を向けてみようと思います。恩師の陣内靖彦教授の『日本の教員社会-歴史社会学の視野-』(東洋館出版,1988年)の232頁によると,明治・大正期の主な教育雑誌として,『帝国教育』,『日本之小学教師』,『小学校』,『内外教育評論』などがあるそうです。

 主な読者層である教員の投稿記事(生の声)も盛りだくさんとのこと。上記の陣内先生の著作でも,自身の悩みや不平・不満を訴える教員の投稿記事が数多く紹介されています。この手の記事を狩猟していこうと思います。『教育関係雑誌目次集成』(日本図書センター)にて目ぼしい記事を探し,現物に当たる,という段取りになりそうです。

 目次集成は都立多摩図書館,雑誌の現物は国立国会図書館で閲覧することになるだろうな。うーん,地元の図書館で軽い気持ちで新聞の縮刷版をくくっていたのが,だんだん本格的になってきました。これを機に,歴史研究の方法を体得してみようと思っております。

2012年4月12日木曜日

年齢別の運転免許保有率

そろそろ前期の授業が始まります。今,大学から送られてきた授業関係の書類に目を通しているのですが,年々,授業実施に際しての要望(注文)事項が多くなってきているように感じます。

 イ)半期の15回の講義を必ず実施すること,ロ)出席管理を厳重にすること,ハ)ロクに出てこない学生に情で単位を与えないこと,云々・・・。ハ)については,私などは,学生さんに拝み倒されると弱いのだよなあ。ついつい,特別指導や救済レポートの措置をとる形になってしまいます。今年こそは毅然とした対応をと思うのですが,どうなることやら。

 さて,「ロクに出てこない」学生さんですが,多くは4年生で,理由のほとんどはシューカツです。まあ,この理由は大学も公認するところであり,教務課の判が押されている色つきの紙(免罪符)を持ってくればOKということになっています。

 しかし,それを持っていない者もいます。事情を聞くと「免許の教習所に通ってました」という答え。これはシュカーツではないですから,救済対象にはなりません。しかし,「入社までに運転免許を取るという条件で内定もらったんです。どうかどうか・・・」とすがってきます。むーん,これも広義のシューカツだろうなと,勝手に概念を拡張する私です。そして,(無償の)特別指導をすることに・・・。

 でも考えてみれば,社会に出るにあたって運転免許はほぼ必須でしょう。昨年の1月28日の記事でみたように,現在では,若年層の9割以上が運転免許を保有しています。件の学生さんも,免許を持っていないということで先方に渋面をつくられたそうですが,「卒業までに必ず取りますから」と必死に説得し,何とか内定にこぎつけたとのこと。これを見捨てておかれよか。

 今回は,運転免許の保有状況の統計をみてみようと思います。先の記事では,5歳刻みの年齢層別の免許保有率を出したのですが,最近は当局の公表資料も充実してきており,細かい1歳刻みの免許保有者数も知ることができます。これを各年齢の人口で除して,1歳刻みの免許保有率を計算してみようと思います。

 分子の免許保有者数の出所は,警察庁『運転免許統計(2010年版』です。同資料の補足資料2において,同年末の時点における年齢別の免許保有者数が示されています。ここでいう免許とは,大型から原付までの全種の免許のことです。複数の免許を持っている者は,上位のほうの免許保有者として計上されています。

 なお,公表されているのは県別の数値で,全県を合算した全国統計ではありません。私は,人口が最も多い東京のデータを使うこととしました。分母の年齢別人口は,同年の総務省『国勢調査』の数字を用いました。
http://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/index.htm

 私は35歳の東京都民ですが,東京の35歳男性の運転免許保有者は104,465人だそうです。『国勢調査』から分かる当該カテゴリーの人口は114,505人。よって,免許保有率は91.2%と算出されます。私も一応,免許保有者です,全然乗りませんから,優良運転者です。

 では,この免許保有率を1歳刻みで出し,折れ線で結んだグラフを描いてみましょう。男女の2本の曲線を描きました。


 16歳から原付の免許,18歳から普通自動車の免許が取れるようになります。免許保有率は年齢とともに上昇し,大学卒業年齢の22歳では64.1%になります(男性)。以後,25歳で8割を超え,29歳で9割を超えます。以降,働き盛りの年齢層において,免許保有率が9割を超える高原状態が継続します。

 しかし,高齢期になると数値が落ちてきます。図中では,65歳と75歳の線を引いていますが,男性の64歳の保有率は76.6%,75歳の保有率は54.1%です。後期高齢者の入り口の段階の免許保有率は5割強というところです。

 その後,免許返納の動きが高まるのか,80歳が36.1%,90歳が7.0%というように,免許保有率が急速に低下します。

 1歳刻みの精密な免許保有率年齢曲線は以上のようですが,これは大都市の東京のものです。公共交通網が乏しい地方県では,様相は異なるものと思われます。私の出身の鹿児島と比べてみましょう。

 上図と同形式で曲線を比較するというのは芸がないので,両都県の人口ピラミッド(男女計)を免許保有状況で塗り分けた図をつくってみました。東京と鹿児島では人口のケタが違いますので,全人口の100%とした相対度数のピラミッドであることを申し添えます。


 いかがでしょうか。鹿児島では,働き盛りの男女のほとんどが免許保有者です。地方では,就労にあたって運転免許が必須となっていることが知られます。教習所通いで授業に出ない(出れない)学生さんは,地方の大学ではもっと多いのだろうなあ。鹿児島大学などはどうなのかしらん。

 高齢層でも,青色の比重は鹿児島のほうが大きいようです。後期高齢者の入り口である75歳の免許保有率は,東京は28.6%,鹿児島は52.7%です。後者では,75歳の男女の半分以上が免許を持っています。まあ,この年齢では,身分証代わりに免許を持っているだけで運転しない人も多いのでしょうが。

 ちなみに鹿児島では,20歳に満たない子どもの年齢層でも免許保有率が比較的高いようです。当県では,高校に上がったばかりの16歳でも,免許保有者は2割弱います。バスも通っていない僻地部では,原付通学を余儀なくされるためです。

 現在,交通事故の防止のため,高齢層の免許返納を促す取組が盛んですが,そのためには,公共交通網の整備が必要条件となります。私はバス通勤ですが,お年寄りにとってバスが重要な足になっているのを感じます。

 職に就けないでいる若年層を,バス運転手のような社会的・公共的需要の高い職業に仕向ける訓練プログラムでもつくってみたらどうかなあ。いや,既になされているのかもしれませんが。

2012年4月10日火曜日

教員の学歴構成

文科省『学校教員統計調査』は,教員個人調査と教員異動調査からなるのですが,前者では,教員の基本的な属性別の人数が示されています。今回は,最新の2010年調査のデータを使って,公立学校教員の学歴構成を明らかにしようと思います。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 先生はみんな大卒に決まってるじゃん,といわれるかもしれませんが,大卒といっても,教員養成系大学卒と一般大学卒に分かれます。また最近では,大卒よりも一段高い大学院卒の先生も増えてきていることと思います。

 私は,公立の幼稚園,小学校,中学校,および高等学校の教員の学歴構成を調べました。①大学院卒,②教員養成系大学卒,③一般大学卒,④短期大学卒,⑤その他,という5カテゴリーの組成がどうなっているかをグラフにしてみます。


 幼稚園の教員は,ほぼ7割が短大卒です。小学校では教員養成大学卒の比重が高く,中高では一般大学卒業者の比重が高くなっています。大学院の修了者は上の段階の学校ほど高くなります。幼稚園は0.7%,小学校は3.1%,中学校は5.8%,高校は12.8%,です。

 当然といえば当然ですが,上級の学校ほど,教員の学歴構成は高くなっています。次に,各学校の年齢層別の様相も観察してみましょう。若年教員と年輩教員とでは,また違った傾向が出てきます。下図は,各学校について,5歳刻みの年齢層別の学歴構成を図示したものです。


 幼稚園では,短大卒(紫色)の領分が大きいのですが,若年層ほどそれが小さくなり,代わって大卒の比重が増してきます。小学校でも,年齢を下がるにつれ,短大卒の比率が減じてきます。

 中学や高校といった中等教育機関では,若年層において,大学院修了者の比率が相対的に高いことが注目されます。高校の20代後半では,院卒教員の比率は21.1%です。5人に1人が院卒ということになります。

 上図からはいろいろな傾向が看取されるのですが,私が注目したいのは,大学院修了者の比重です。最近は,大学進学率の上昇により,児童・生徒の保護者の多くが大卒という状況です。これでは知識の伝達者としての教員の威厳が,ということで,教員養成の期間を6年に延ばし,教員志望者には修士の学位をとらせよう,という案が浮上しています。

 この案が実現すれば,上図の青色の領分がうんと広がることになりますが,そうならずとも,院卒教員の比率は伸びていくことでしょう。文科省の大学院重点化政策により,大学院修了者が激増している状況です。大学院を終えて,修士ないしは博士の学位を取っても定職に就けない者もいます。知的資源の浪費以外の何ものでもありません。こういう輩に対し,中高の教員への道が開かれるのは結構なことです。

 現在,秋田県のように,博士号取得教員の採用に積極的な姿勢を示している自治体もあります。この県では,高校教員のうち何%くらいが院卒者なのかしらん。

 公立高校教員に占める院卒者の比率を県別に出してみました。最近10年ほどで,各県の値がどう変わったかもみてみようと思います。下図は,1998年と2010年の県別数値を地図化したものです。両年とも,同じ基準で塗り分けました。


 全国値は8.3%から12.8%へと伸びていますが,院卒教員の増加傾向は地域を問わないようです。この期間中にかけて,全体的に地図の色が濃くなっています。

 2010年の最大値は佐賀です。当県では,高校教員のほぼ2割が大学院修了者です。最も低いのは埼玉の6.8%。この県だけが,1998年から2010年にかけて院卒教員率が減少しています(7.2%→6.8%)。

 それはさておき,大学院修了教員の多寡によって,教育効果がどれほど違うかは興味深い問題です。専門性の高い指導により子どもの学力アップ!ということがあるのでしょうか。公立小・中学校の院卒教員率と,2010年の『全国学力・学習状況調査』の各教科の平均正答率との相関をとったところ,どの教科の正答率とも無相関でした。

 うーん,残念。もし強い正の相関(院卒教員が多い県ほど正答率が高い)が認められれば,大学院バンザイ!と喝采を叫べるのですが。いや,国語や算数(数学)という教科だからかも。2012年度の学力調査から,新たに理科も調査教科に加えられるそうですが,理科の正答率とは関連があるのでは・・・。希望的観測を書いておきます。

2012年4月8日日曜日

教員採用試験の選考過程

「あの県は筆記重視だから,1次さえ通れば楽勝だよ」,「**県は,1次はたくさん通すけど2次でバンバン落とす」・・・。教員志望の学生さんの間で,こういう会話が交わされるのをよく耳にします。

 最近の教員採用試験では,人物重視の傾向が強まっています。面接や模擬授業等に,選考の重点を置いている自治体が増えていることは確かだと思います。しかるに,1次試験(筆記試験)のハードルを高くして,その後はよほどのヘマをしない限り通す,という県もあることでしょう。

 自分が受けようとしている県は筆記重視か,それとも面接等重視か。こういう関心をお持ちの方も多いと思います。文科省の統計では,段階ごとの合格者数は集計されていないのですが,東京アカデミーが全自治体を対象に独自の調査を行っていることを知りました。

 同社のサイトでは,それぞれの自治体について,受験者が何人,1次試験合格者が何人,最終合格者が何人,というデータが公表されています。
http://www.tokyo-ac.co.jp/kyousai/ky-data_0.html

 私はこのデータを使って,2012年度の小学校教員採用試験の選考過程がどうであったかを,都道府県別に明らかにしました。まずは,対照的な2県のケースをみていただきましょう。


 上図は,受験者数を100人とした場合,1次合格者,最終合格者が何人であったかを図示したものです。1次試験合格率,最終合格率と同義です。

 神奈川(指定都市含む)では,100人の受験者のうち,1次を突破したのは70人で,さらに最終合格までこぎつけたのは30人です。沖縄は,100人のチャレンジャーのうち,1次合格者は16人,最終合格者は12人だったとのこと。

 この2県を比べるとどうでしょう。沖縄では,筆記試験のハードルがかなり高いようですが,それさえ突破すれば後は楽勝?の感があります。面接等で振り落とされたのは,1次合格者16人のうちわずか4人です。

 一方の神奈川はというと,1次試験はほんの小手調べに過ぎず,本格的なセレクションはその後に控えています。当県では,筆記での脱落者数(30人)よりも,面接等での脱落者数(40人)のほうが多いのです。沖縄とは大違いです。

 神奈川は面接等重視型,沖縄は筆記重視型といえましょう。では,他県の状況もみてみましょう。試験の段階区分を設けていない石川を除いた46県のデータを掲げます。指定都市の分は,当該市がある県の分に含めています。たとえば北海道の統計は,北海道と札幌市を合算したものです。


 各県について,筆記試験でつまずいた者が何人,面接等で弾かれた者が何人かを計算しました。神奈川をみると,脱落者総数3,700人のうち,およそ6割(2,111人)が面接等での脱落者であることが知られます。沖縄は,脱落者の96%が筆記試験で弾かれた者です。

 表の右端の覧では,面接等での脱落者が脱落者全体に占める比率を出していますが,この指標でもって,各県がどれほど面接等重視か(人物重視か)を計測することができます。

 この指標が最も高いのは神奈川の57.1%,最も低いのは福島の1.9%です。福島は,筆記重視なのですね。そういえば,この県の教職教養試験の問題は難しい印象を受けます。過去問をみると,選択肢を与えないで書かせる問題が多いのです。

 ほか,筆記試験重視の県として,青森,山形,福井,愛媛,長崎,宮崎,鹿児島,そして沖縄という県が挙げられます。いずれも,表の右端の数値が10%未満です。受験者の多くを筆記で落とす県です。これらの県を受験される方は,筆記試験の準備に力を入れる必要がありそうです。

 最後に,筆記での脱落者と面接等での脱落者の組成を,全県について明らかにした統計図をお見せします。46県を,面接等での脱落者の比重が高い順に配列しています。上方ほど面接等重視(人物重視),下方ほど筆記重視の県です。


 教員採用試験の有様は,県によってかなり違うようです。人物重視の選考をしているか,筆記重視の選考をしているかによって,各県の教員のパフォーマンスがどう異なるか,という興味深い問題も横たわっています。

 3月11日の記事では,県別の教員のパフォーマンス指数なる指標を出したところです。今回明らかにした,採用試験における人物重視度との相関関係をとってみると,どういう結果が出るかしらん。

 教員採用試験のあり方を考えるには,この種の実証研究も必要になってくるでしょう。教員採用の改善について,当局がいろいろな方針を打ち出していますが,それがどれほど科学的な研究(エビデンス)に裏付けされたものであるかは,疑わしいような気もするのです。

2012年4月6日金曜日

昭和初期の教員の過労

私は今,昔の教員の苦境や困難に関する新聞記事を集めています。教職受難といわれる現在の状況を,歴史的な視点から逆照射してみるためです。

 人の不幸を採集しているようなものなので,根性がいやらしくなってきますが,掘れば結構出てくるもので,楽しみも覚えています。目ぼしい記事をスクラップしたノート(『教員哀帳』)も2冊目になりました。そろそろ3冊目です。

 今日は,1928年(昭和3年)から1925年(大正14年)までの縮刷版をくくってきました。この時期になると,地元の多摩市立図書館には縮刷版がないので,お隣の府中市の中央図書館まで足を伸ばしています。

 府中市立中央図書館は,多摩圏域で最も大きな図書館です。とてもきれいで,研究個室が使えるのもナイス。周囲に気兼ねなく,バカでかい縮刷版をくくることができます。使ったことがある方はお分かりでしょうが,昔の縮刷版は原寸サイズなので非常にかさばるのです。

 片道340円(バス代210円,電車代130円),往復680円はキツイのですが,「今日はどんな記事が出てくるだろう」という好奇心に突き動かされています。

 さて,今日もいろいろな記事を狩猟してきたのですが,そのうちの一つをご紹介します。


 「小学校教師の自殺:借金苦を苦にして」という物騒な記事も写っていますが,それは置いておいて,見ていただきたいのは右側の記事です。「教師の過労の弊」と題する投書で,1928年(昭和3年)1月24日の朝日新聞東京版に掲載されていたものです。

 過労・・・。現在の病める教員の姿をそのまま重ね合わせることができます。80年以上前の昭和初期における教員の過労とは,どういうものだったのでしょうか。記事の一部を引用しましょう。旧字体は適宜修正しています。


 どうやら投書の主は,小学校で6年生を担当している教員のようです。進学を希望する教え子の必要書類の準備に忙殺されている様がうかがえます。

 願書や履歴書といった基本書類に加え,成績表,身体検査表,個性調査書,家庭状況調・・・。しかも,学校ごとに様式が異なるときています。当時は,尋常小学校の上に,高等小学校,中学校,高等女学校,実業学校など,多種多様な学校がありました。帝国大学への進学コースの入り口である中学校と,中堅技術者を養成する実業学校では,求められる書類は全く違っていたことでしょう。

 故に,個々の児童の志望校1校ごとに,独自の書類をつくらないといけない。この時代はパソコンなどありませんから,フォーマットをストックしておいて使い回す(コピペ),というような芸当はできません。それどころかコピー機すらないのですから,オール手書きです。

 下から2段目の計算式にあるように,1校につき4時間かかるというのも納得です。進学希望者は約20人,1人3校志望が相場ですから,なるほど必要な労働時間は,4×20×3=240時間となるわけです。1月~2月の60日間でこの仕事(雑務)を仕上げる場合,1日あたり4時間の超過労働が,6年生の担当教員に発生することになります。

 また,こういう悲惨な状態もさることながら,そのことに対し世間が無関心であったのも苦痛だったようです。冒頭では,「(われわれが)どんなに働いているかを見てくれる人はいない」と嘆かれています。

 現在では,教員の過労は広く社会問題として認知され,多くの調査がなされ,対策についても論議されています。しかし,昔は違いました。激務の上に世間の同情もなく,おまけに待遇も悪かったのですから,当時の教員の状況は「踏んだり蹴ったり」だったともいえます。上記のような投書をしたくなる気持ちも分かろう,というものです。

 まあ,個別の事情を挙げればキリがありませんが,当時の教員が過労(多忙)状態であったであろうことを推測させる統計指標があります。それはTP比です。具体的にいうと,教員一人あたりの児童数です。この値が高いほど,教員の負担は大きいものと判断されます。

 3月28日の記事では,戦後初期の教員の多忙問題を報じた新聞記事(1952年6月24日,朝日新聞)を紹介し,その一因としてTP比が高いことがあるのでは,という推測をしました。しかるに戦前期では,この指標はもっと高かったようです。

 上記の記事の1928年,先の記事の1952年,そして現在という3時点について,小学校のTP比を出してみました。


 1928年では,教員数23万人に対し,児童数968万人です。教員一人あたり児童数は42.2人なり。多いですねえ。わが子の学級には60人を超える児童がひしめいており,これだけの「児童を責任をもって教育することは,並大抵の仕事ではない」と述べている,父兄の投書もあります(1927年7月21日,朝日新聞東京版)。

 なぜ,こういう状況だったのでしょう。まず,子どもが多かったためです。時期が少しズレますが,1920年の人口ピラミッドが,下が厚く上が細い純然たる「ピラミッド型」であったのは,昨年の5月15日の記事でみた通りです。

 加えて,教員の数が少なかったことにも注意を払う必要があります。当時は,慢性的な教員不足の状態にありました。大正末期の新聞をみると,「先生が足りない」,「臨時教員養成所増設」というような見出しの記事がちらほら目につきます

 待遇の悪さの故か,教員のなり手がいなかった頃です。昭和初期の不況期では違ったでしょうが,大正期の好景気の時期では,職業を聞かれた際,「教員」と答えるのをためらう輩もいたそうな(唐澤富太郎『教師の歴史』創文社,1955年,頁は失念)。

 極端な例では,教員になるのを嫌がり,自殺にまで至った者もあったそうです(1922年6月28日,東京朝日新聞)。小学校校長の養子で,教員になるのを強いられたとのこと。現在において,こういうことが考えられるでしょうか。そろそろ前期の授業が始まりますが,学生さんに聞いてみましょう。どういう反応が返ってくることやら。

 こういうことから,少ない教員で多くの児童を相手にせざるを得なかった状況でした。昭和の初期では,現在の半数ほどの教員で,今よりも多い児童の教育を行っていたわけです。

 話が脱線しましたが,小学校のTP比が,明治初期から現在までどう変化してきたかをたどってみましょう。文部省『学制百年史』と『学校基本調査』の統計を接合させました。各年の教員数と児童数を採集し,割り算をするだけですので,さほど時間は要しません。後者はもちろん,前者も文科省のHPで閲覧することができます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/index.html


 上記の投書が新聞に載った1928年(昭和3年)のTP比は42.2ですが,それよりも前の大正期,さらには明治期では,値がもっと高かったことが知られます。ピークは,1894年(明治27年)の55.5です。教員一人あたり55人超。すさまじいとしか言いようがありません。

 森有礼文相の諸学校令によって,近代的な学校体系が打ち立てられたのは1886年(明治19年)です。以後,小学校への就学督促が強化され,児童数が激増するのですが,初期の頃は,教員数の増加がそれに追いつかなかったためと思われます。

 TP比という単一の指標でみる限り,教員の負担は,時代を上がるほど大きかったようです。これから大正,明治期の縮刷版に当たってみるつもりですが,どういう教員の姿が出てくることやら。TP比が50人超の時代の教員って一体・・・。

 『大正期の身の上相談』(カタログハウス編,ちくま文庫,2002年)という本が出ていますが,『先生のお悩み相談』とでもいうような本がないかなあ。単行本ではないにしても,何かの教育雑誌で特集でも組まれているかも。新聞だけでなく,当時の雑 誌などにも目配りが要るようです。

 確か,『教育関係雑誌目録集成』(日本図書センター)という資料があったような。戦前期の教育雑誌の目次を集めたものです。これは都立図書館クラスでないとないだろうなあ。来週,都心で知り合いと飲むので,その日に行ってみることにします。

2012年4月5日木曜日

春の晴天日

今日は天気がよかったので,駅から坂道を,えっちらおっちら登って帰ってきました。よい運動になります。最近,お腹が出てきたので,晴れの日は歩く習慣をつけないと。

 さて,道中の写真を2枚ほど。


 都立桜ヶ丘公園内の階段です。これを上がりきったところが,1月14日の記事で紹介した,「ゆうひの丘」展望台です。都内でも有数の夜景スポットといわれています。

 あと一枚,展望台出口付近の桜です。


 全開の状態ではありませんが,癒されます。近くにベンチにありますが,夜桜を見ながら酒盛りでもしたら最高だろうな。

 一枚目の写真は気に入ったので,デスクトップの壁紙に使っています。名づけて「青空への階段」。新年度がスタートしましたが,広大な青空(希望)への階段を一歩一歩登って行こうと思う次第です。

2012年4月4日水曜日

新規採用教諭の年齢構成②

前回は,公立学校の新規採用教諭の年齢構成を明らかにしました。そこで分かったのは,新卒該当年齢(20代前半)が思ったより少ないこと,以前より高齢化が進んでいることです。

 採用試験の難関化により,現役一発ではなかなか受かりにくくなっている,ということがあるでしょう。と同時に,民間企業での勤務経験者のような,多様な人材が求められる傾向が強まっていることも影響していると推察されます。

 今回は,都道府県別のデータをみてみようと思います。私は,2009年度の小・中学校の新規採用教諭の年齢構成を県別に明らかにしました。資料は,2010年の文科省『学校教員統計調査』です。なお,新規採用教諭の県別の年齢層別数値は,国公私の全体のものしかとれません。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 まあ,小・中学校では,国私立校のウェイトはごくわずかですから,公立学校の採用試験の合格者とほぼ近似する集団とみなしてよいでしょう。

 下表は,各県の新規採用教諭の中で,30歳を超える者がどれほど占めるかを整理した一覧表です。最大値には黄色,最小値には青色のマークをしています。


 一番下の全国値をみると,30歳以上の者の比率は,小学校は23.4%,中学校は28.4%です。前回みた,公立学校の数値と大差はありません。

 県別にみるとどうでしょう。私が在住している東京の小学校では,新規採用教諭1,629人のうち,30歳を超える者は340人です。率にすると20.9%で,全国水準よりは低くなっています。中学校は33.1%で,こちらは全国値を凌駕しています。

 47都道府県中の最大値は,小,中学校とも沖縄です。この県では,新規採用教諭のほぼ7割が30歳以上です。最も低いのは愛媛です。当県の小学校の新規採用教諭は,9割以上が20代です。すごい差ですね。

 40%を超える場合,数字を赤色にしています。小学校では4県,中学校では7県において,30歳以上の者の比率が4割を超えていることが知られます。新規採用教員の年齢構成は,県によって違うものですね。社会人経験者を対象とした特別選抜を実施しているかどうかなど,要因はいろいろ考えられますが,ここでは深入りしません。

 小学校の新採用教諭について,30歳以上の者の比率を地図化してみました。10%の区分で塗り分けた日本地図です。


 新規採用教諭の高齢化が比較的進んでいる,黒色と赤色の地域は,東北や四国・九州など,周辺部に分布しています。首都圏や近畿の都市部の県は,色が薄くなっています。

 今思ったのですが,地方周辺県で採用者の高齢化が進んでいるのは,都市からのUターン組が多いためではないでしょうか。私は,鹿児島県奄美群島の高卒者の人生行路を調べたことがあるのですが,調査対象者の多くが高卒後都市部(本土)に出て,30近くになってから地元にUターンする,という経路をたどっていました。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006490522

 面接対象者の中に,「教免でもあれば,地元の採用試験を受けるんだけどねえ」と言っていた人がいました。沖縄では,本土からのUターン者が受験者に多く含まれているのではないかしらん。となると,上記のデータは,地元での「再チャレンジ」の機会がそれなりに与えられているという解釈も可能です。

 しかるに沖縄では,若年(20代)の採用者が少ないためか,教員の年齢構成がやや「いびつ」になっています。


 上図は,2010年の文科省『学校教員統計調査』から作成したものですが,沖縄は20代の比重が極端に少なく,中堅層が出っ張った型になっています。20代の比率は全国は13.3%ですが,沖縄はわずか3.2%です。

 2月19日の記事でみたように,沖縄は教員の精神疾患率が全国で最も高いのですが,その一因は,こうした教員集団の組成にあるのかもしれません。少数の若年教員にかかる圧力も大きいものと思われます。

 文科省の『学校教員統計調査』からは,新規採用教諭の「採用前の状況」も知ることができます。社会人が何%いるか,という情報を得ることも可能です。こちらも手掛けてみたい課題です。

 この調査は,本当に「宝の山」です。教員研究に携わっておられる大学院生のみなさん,本調査を存分に活用なさってください。忙しい現場の先生に調査をお願いするのは,こういう既存資料をしゃぶり尽くしてからにしたほうがよいかと思います。

 「これだけは自前で調査しないと分からない,これだけは明らかにしたい!」という焦点が鮮明になっているなら,調査票はごくシンプルなものになるはずです。ぶくぶく太った調査票になるのは,焦点が定まっていない証拠です。それは先方への失礼以外の何ものでもありません。

 最近,外部からの調査に対する,学校現場のガードが非常に固くなっていると聞きますが,それは当然の成り行きともいえます。大学院生が急増した現在,事前の詰めもなく,安易な調査依頼をする輩が増えていますので。

2012年4月3日火曜日

新規採用教諭の年齢構成①

昨日,各地の官公庁や企業で,新入職員の辞令交付式が行われた模様です。新規採用教員に辞令が交付されたのも,昨日だったのではないでしょうか。この4月から晴れて教壇に立つこととなった皆さま,おめでとうございます。

 さて,辞令交付式の会場に,激戦を勝ち抜いた同士が集ったことと思いますが,その顔ぶれはいかがでしたか。若い人が多かったでしょうが,中には,年輩の方もおられたのではないでしょか。

 教員採用試験の受験年齢の上限は30歳だとか35歳だとかいう噂が飛び交っていますが,そのようなことはありません。資料は後でお見せしますが,現在,ほとんどの県において,年齢の上限は高めに設定されています。年齢制限を設けていない県も少なくありません。

 最近は,多様な人材を得たいということから,民間経験者が歓迎される向きもあります。もしかすると,白髪の交じった中年以上の方が会場を埋め尽くした自治体もあったかもしれません。

 今回は,公立学校の新規採用教諭の年齢構成を明らかにしてみようと思います。「自分はもう30半ばだけど,可能性はあるかな」といった疑問を持っておられる方の参考になればと存じます。

 文科省の『学校教員統計調査』から,新規採用教員の年齢構成を職種別に知ることができます。ここで明らかにするのは,新規採用された「教諭」の年齢構成です。公立学校の新規採用教諭は,教員採用試験の合格者とほぼ同じであると考えてよいでしょう。

 2010年の上記調査から,前年度間(2009年度間)の新規採用教諭の年齢構成を把握しました。公立小学校,中学校,そして高等学校の数字をみてみましょう。時代変化も押さえるため,1997年度のデータとの比較もします。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172


 小学校では,新規採用教諭の数がグンと増えていますねえ。5,520人から12,527人と,2.3倍にもなっています。団塊世代教員の大量退職といった人口的要因が効いています。中高は微増です。

 その新規採用教諭の年齢はというと,小・中学校では20代前半,高校では20代後半が最も多くなっています。近年の変化に注目すると,どの学校でも,20代前半の比重が大きく減じています。高校でいうと,1997年度ではほぼ半数を占めていましたが,2009年度ではほぼ2割にまで減っているのです。

 代わって,それ以上の年齢層の比重が増しています。各学校の両年次の分布を,簡易な代表値で要約してみましょう。30歳以上の者の比率と,平均年齢をとってみました。平均年齢は,原資料に掲載されているものです。


 小学校では約2割,中学校では約3割,高等学校では約4割が30歳以上です。全体を均した平均値の伸びも観察されます。公立学校の新規採用教諭の高齢化が進んでいることが明白です。

 新卒時の就職失敗を苦にした自殺者が出るほど,わが国では新卒至上主義が根強いのですが,教員の世界は,さにあらず。「再チャレンジ」可能な世界であり,その程度は年々強まっています。辞令交付式の会場に多様な人材が集うことは,当局の側も望んでいるところなのではないでしょうか。

 思ったより新卒該当年齢(20代前半)が少ないことを知りました。当初の予想では,6~7割くらいだろうと踏んでいたのですが。でも,ちょっぴりうれしい誤算でもあります。

 今みたのは,全国レベルの新規採用教諭の年齢構成ですが,当然,個々の自治体によって傾向は異なるでしょう。次回は,47都道府県別の統計をご覧に入れようと思います。高齢層の比重が比較的大きい県はどこでしょう。

 その前の予備知識といっては何ですが,教員採用試験の年齢制限を,それぞれの県がどのように定めているかをみておきましょう。2012年度試験の資料に依拠して,各県を塗り分けてみました。指定都市は除きます。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/senkou/1314466.htm


 30代後半という県が最も多いようですが,40代,さらには制限そのものを設けていない県も見受けられます。上限が最も低いのは秋田で,この県のみ,30代の前半です。当県は,博士号取得教員の積極採用に乗り出している県ですが,一般試験の年齢制限は比較的低くなっています。

 では,次回に続きます。

2012年4月2日月曜日

職なし非常勤教員の増加

文科省の『学校教員統計調査』は宝の山です。3月27日に公表された,2010年調査の詳細結果の統計表を眺めていると,やりたいことが次から次へと出てきます。その関係上,教員関係の話ばかりが続いてすみません。

 今回は,大学と短大の教員のうち,定職のない非常勤教員がどれほどいるかを把握してみようと思います。大学教員には,当該大学に正規に属する専任教員と,何時間かの授業を行うためだけに雇われている非常勤教員という,2種類の人種がいます。

 大学関係者の間では常識ですが,同じ大学教員でも,専任と非常勤では待遇が大違いです。婚活中の女性の方は,お見合いパーティーなどで「大学教員(講師)です」と名乗る男性に会ったら,「専任ですか?非常勤ですか?」と聞いたほうがよいかと存じます。「わあ,やった。当たりくじ!」などと,即座に舞上がってはいけません。下手をすると,「貧困層転落への当たりくじ」を掴まされることになります(水月昭道『ホームレス博士』光文社新書,2010年,45頁)。

 「大変ったって,一応は大学の先生なんだから,人並みの収入はあるんでしょ」と思われるかもしれませんが,さにあらず。そういう人もいるのは確かですが,それはほんの一握りでしょう。まあ,下記のサイトでもご覧になってください。
http://www.j-cast.com/2009/05/06040504.html?p=all

 実態がお分かりいただけたでしょうか。こういう「悲惨」な輩がどれほどいるのか,大学教育のどれほどを担っているのかを数量的に明らかにするのが,今回の記事の目的です。

 文科省の上記調査から,大学の本務教員と兼務教員の数を知ることができます。後者が,授業をするためだけに雇われている,いわゆる非常勤教員です。ここで注目するのは,この中でも,本務先(本業)を持たない非常勤教員のことです。要するに,非常勤教員の薄給だけで,もしくはそれをメインにして生計を立てている者です。「専業非常勤教員」と呼ばれたりしますが,ここでは「職なし非常勤教員」ということにしましょう。上記のJCASTニュースで哀れみをもって紹介されているのは,このような人種です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 まずは,この意味での「職なし非常勤教員」の数がどう推移してきたのかを跡づけてみましょう。『学校教員統計調査』の実施年(3年刻み)のデータをつなぎ合わせてみました。


 大学・短大の「職なし非常勤教員」は,年々増え続けています。1989年では2万4千人であったのが,今世紀初頭の2001年では6万7千人になり,それから10年を経た2010年現在では9万3千人に達しています。

 すごい増加傾向ですが,まずは需要側の要因があるでしょう。少子化により,経営危機に瀕している大学が増えていますが,そういう大学にすれば,割安の非常勤教員は大歓迎です。同じ授業をさせるにしても,専任を雇うのと非常勤を雇うのとでは,コストが大違いです。多くの大学が,人件費の節約のため,非常勤教員の比重を増やしていることでしょう。

 もう一方に,供給側の要因があります。1991年以降の当局の大学院重点化政策により,大学院の修了者が急増してきています。修士課程ならまだつぶしが効きますが,博士課程まで出てしまうと,ほぼ大学の教員しか道はありません(とくに文系)。そんな彼らは,たとえ薄給の非常勤教員であっても,声がかかれば喜んで飛びつきます。

 この2種の要因のうちどちらが強いかといえば,明らかに後者です。前掲のJCASTニュースの記事で,非常勤を頼まれた場合,給与を聞くことすらできない,ということがいわれていますが,これなどは,求人側(需要側)の立場が際立って強いことを物語っています。なり手(希望者)はいくらでもいるのですから,待遇を上げずとも,人材は簡単に集まる仕組みです。

 上記のグラフをよくみると,1992年と95年の間に段差があります。文科省の大学院重点化政策が開始されたのは1991年ですが,この政策の悪しき効果が表出し始めた頃と解釈できます。

 普通は,待遇がよくない仕事には人は集まりません。好景気で,民間の給与水準が高い時期は,公務員試験の競争率は下がります。これではいけないと,求人側は給与を上げる,それを受けて応募者が増える・・・これが市場原理でしょう。しかるに,需要と供給のバランスが完全に崩壊している大学教員市場では,そのような原理が作動する余地はないようです。

 水月昭道さんによると,大学院博士課程を修了しても定職のない「無職博士」は,およそ10万人ほどと見積もられるそうです。2010年の大学・短大の「職なし非常勤講師」は約9万3千人。両者は近似しています。これは偶然なのか,それとも前もって予測できたであろう必然の結果なのか・・・。

 次に,職なし非常勤教員の量を,大学教員全体の中に位置づけてみましょう。私は,大学・短大の本務教員と兼務教員の数を調べました。業界用語に即して,前者を専任教員,後者を非常勤教員ということにします。広義の大学教員の数は,この両者を足し合わせた数です。このうち,職なし非常勤教員が何%を占めるかを計算しました。下表は,この指標の推移をとったものです。


 職なし非常勤教員が教員全体に占める比率(依存率)は,大学でも短大でも上昇してきています。この20年間で,大学は9.4%から25.9%への増,短大は21.7%から38.9%への増です。現在の短大では,職なし非常勤への依存率はほぼ4割です。短大で教えている教員の5人に2人が,本職のない非常勤教員ということになります。a<cというのも驚きです。

 最後に,大学教員の内訳の変化を観察してみましょう。大学教員は,①専任教員,②定職あり非常勤教員,③職なし非常勤教員,の3種から構成されると考えられます。②は,上表のbからcを差し引いた数です。非常勤であっても,研究所の研究員や実業家というような本職がある者です。

 大学と短大について,この3者の組成がどう変わってきたかを,視覚的な統計図で表現してみました。


 大学,短大とも,専任教員の比重が減り,職なし非常勤教員の比重が増えてきています。今後,青色はどんどんやせ細り,緑色の領分が増していくのでしょうか。それに伴い,大学教育の質はどうなっていくのだろう,という疑問を持たずにはいられません。

 昨年の12月3日の記事では,578大学のデータを使って,非常勤教員率と学生の退学率の相関分析を行いましたが,両変数の間に統計的に有意な正の相関関係がみられました。非常勤率(依存率)を高くしている大学ほど,退学率が高い傾向にあります。

 「先生,質問があるんですけど,研究室に行っていいですか?」と尋ねた際,「いや,僕は非常勤だから・・・」という答えばかりが返ってくるような大学では,学生さんの志気は下がるというものでしょう。とりわけ,定職のない非常勤教員の場合,劣悪な待遇に不満を高じさせ,投げやりな態度で授業を行っている輩もいるのではないか,という懸念が持たれます。上記のリンク先の記事で,大学非常勤組合のアンケート調査の自由記述を引用していますので,興味ある方はご一読を。

 ひとまず,今日の大学教育の多くは,定職のない不安定な生活状態にある非常勤教員によって担われている,ということを強調しておきたいと思います。

2012年4月1日日曜日

教員の離職率(2009年度)②

今回は,2009年度の教員の離職率を,性別・年齢層別に出してみようと思います。ここでいう離職率とは,「病気」もしくは,メジャーな理由に括られない「その他」の理由で離職した教員の数を,本務教員数で除した値です。教員の脱学校兆候を測る指標として考案したものであります。

 分子の離職者数の出所は,2010年の文科省『学校教員統計調査』です。この資料から,2009年度の離職者数を把握することができます。分母の本務教員数は,同省『学校基本調査』から採取したもので,同年5月1日時点の数字です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172

 なお,年齢層別の離職率の計算に際して分母とした使った年齢層別の教員数は,2010年10月1日時点の数値です。年齢層別の教員数が分かるのは,『学校教員統計調査』の実施年に限られますので,このような措置をとったことをお許しください。まあ,1年程度のラグなら問題はないと思われます。

 あと一点,2009年度の「その他」の理由による離職者数は,原資料でいう「家庭の事情」,「職務上の問題」,「その他」の3カテゴリーの合算値です。2006年度までの離職者数調査では,これら3つは「その他」のカテゴリー下に一括されていました。過去のデータとの整合性を保つための措置です。

 まずは,公立小学校教員の性別・年齢層別の離職率を計算してみましょう。単位は‰です。本務教員千人あたり離職者が何人か,という意味です。


 性別でみると,男性よりも女性の離職率が高くなっています。ほぼ倍の差があります。女性教員の場合,結婚退職が多いのではないかといわれるかもしれませんが,育児休業制度などが充実している教育公務員の場合,それは少ないのではないでしょうか。

 昨年の5月8日の記事でみたように,両性の離職率の時系列曲線は近似しています。このことは,男性教員と女性教員の離職の原因が似通ったものであることを示唆しています。

 次に,下段の年齢層別の離職率をみると,20代の若年教員の離職率がダントツで高いようです。25.1‰=2.5%ですから,20代では,40人に1人の割合で離職者が出たことになります。

 なお,離職率が最も低いのは40代の中堅教員です。3月22日の記事でみたところによると,精神疾患による休職率は40代で最も高いのですが,これはどういうことでしょう。40代は,子どもと老親という,上下の扶養家族に挟まれた「サンドイッチ世代」です。それだけになかなか離職に踏み切ることができず,休職という対応をとる教員が多いのではないでしょうか。20代は,このような縛りがないので離職率が高い,ということも考えられます。

 年齢層別の離職率と休職率は対照的なのですが,もしかすると,両者はトレードオフの関係にあるのかもしれません。

 続いて,公立中学校と公立高校の属性別離職率も観察してみましょう。結果を,折れ線グラフの形に凝縮してみました。


 男性よりも女性の離職率が高いのは,どの学校でも同じです。高校教員の離職率が相対的に低いのは,前回でも明らかにした通りです。

 年齢層別でみても,曲線の型は小・中・高とも共通しています。20代で最も高く,40代で最も低い型です。しかし,傾斜の度合いは,学校種によって違っています。とくに目をひくのは,中学校の20代の離職率が格段に高いことです。35.3‰,およそ28人に1人です。高校でも,20代の離職率は小学校を上回っています。中等教育機関の若年教員の危機がうかがわれます。

 一方,40代の中堅期を過ぎると,離職率は小学校で最も高くなります。小学校では女性教員が多いのですが,老親の介護という理由で教壇を去る中高年の女性教員も多かったりして。

 もう少し分析を深めてみましょう。前回の記事にて,最近3年間で,小・中学校教員の離職率が大きく伸びていることを突き止めたのですが,それはどの属性で顕著なのでしょう。小・中学校教員の性別・年齢層別の離職率を,2006年度と2009年度で比べてみました。


 この3年間の離職率の増加倍率が高いのは,小学校では,女性および高齢層です。50代では,7.4‰から11.4‰と,1.55倍に増えています。うーん,やはり高齢女性教員の介護退職の増加という事情があるのかもなあ。

 中学校で離職率の伸びが比較的大きいのは,男性,若年層です。中学校の20代の離職率は,この3年間で10ポイント近くも増えています。教員の年齢構成からすると,中学校は,小学校に比して若年教員の比重が小さいのですが,量的に少ない彼らに圧力が大きくかかるのでしょうか。難しい年頃の中学生を指導するにあたっては,やはり経験がモノをいうのでしょうか。

 いろいろ想像をめぐらすことができますが,離職率の地域差分析をしてみることで,事態の深層に接近できるかもしれません。離職率が高いのはどういう地域か。この点を明らかにしてみるのも有益かと存じます。