2011年1月30日日曜日

少年の窃盗犯

 少年の非行といっても,さまざまな罪種があります。最も多いのは窃盗犯で,これだけで全体のおよそ6割を占めます。今回は,10代少年のうち,窃盗で御用となった者がどれほどいるかをみてみようと思います。

 警察庁『平成21年の犯罪』によると,2009年中に窃盗で検挙・補導された10~19歳の少年は65,712人です(用語ですが,14歳に満たない触法少年が警察に捕まった場合は「補導」といいます)。この年の10代人口は1,202.8万人です。よって,前者を後者で除して窃盗犯出現率は5.5‰となります。百分率にすると,0.55%です。ピークであった1985年の9.9‰に比せば,かなり減ってきています。


 ところで,少年といってもさまざまな年齢を含んでいます。1歳刻みで窃盗犯出現率を出し,その時代変化をみてみましょう。例の社会地図の登場です。これによると,1980年代の年少少年(14~15歳)の部分に,17.5‰を超える高率ゾーンが見出されます。

 私よりも少し上の世代ですが,確かに,怖い先輩の話はよく聞かされました。今に比べれば,この頃の少年のほうが悪かったなあ,という印象も持っています。しかし,それだけではありますまい。犯罪や非行の原因は,逸脱主体の側の原因と,統制機関の側の原因に大別されますが,後者についても目配りする必要があります。

 たとえば,セルフサービス店に,私服警備員を多く配置するなど,統制を強化すれば,万引きのような窃盗犯は自ずと多く捕まることでしょう。網を多くかければ,魚が多く獲れるのと同じです。

 1980年代の前半は,少年非行戦後第3のピークなどと騒がれ,警察が少年の取り締まりにやっきになっていた時期です。網を多く張るものだから,少年が多く捕まる。少年がたくさん捕まる事態を憂いて,さらに統制が強化される。するとさらに多くの少年が御用となる…この循環です。

 非行統計を読む際は,相応の注意が求められます。

2011年1月29日土曜日

朝食欠食率

 「朝食パワーで学力アップ」。このような標語を掲げたポスターをよく目にします。その真偽のほどは明らかではありませんが,朝食を抜くことは,確かに体によくないでしょう。空腹で勉強や仕事がはかどらなかったり,昼食時のカロリーが過剰に体内に摂取され,肥満の原因にもなるといわれています。子どもの肥満の増加は,もしかすると,朝食欠食率の高まりと関連しているのかもしれません。

 ところで,欠食が心配されるのは,子どもだけではありません。大人についても然りです。厚労省の『国民健康・栄養調査』によると,15歳以上の男性の朝食欠食率は,1975年では6.7%でしたが,2005年には13.3%にまで高まっています。これは全体の数字ですが,年齢層別にみると,興味深い傾向がみられます。


 この30年間の朝食欠食率の変化を年齢層別に俯瞰すると,上図のようになります。欠食率30%を超えるデンジャラスゾーンが,20代の若者の部分に広がっています。じわじわと病巣が広がっていくような感じで気味が悪いです。高率ゾーンは,20代を中心に,上下へと広がっている感じで,2005年では,15%以上のゾーン(紫色)が,40代の部分にまで垂れてきています。

 言い忘れましたが,この調査でいう欠食率は,「何も食べない」という回答のほか,「菓子,果物,錠剤,カプセル」等で済ませる,という回答も欠食とみなして計算されています。若者の率が高いのは,こうした横着な朝食摂取が多いことによるものと思われます。いずれによせ,あまり好ましいことではないでしょう。

 今,学校現場では食育の取組が盛んです。その本当の成果は,彼らが大人になったとき,どれほど健全な食生活を営めるか,という観点から計測されるべきでしょう。今から10年後の調査において,20代の欠食率はどういう数字になるのか。食育に限らず,教育の効果というのは,長期的な観点からの把握が求められます。

*小・中学生の朝食欠食率については,5月17日の「朝食を抜く子どもたち」の記事で触れています。よろしければ,こちらもご参照ください。

2011年1月28日金曜日

運転免許所有率

 後期の授業もそろそろおしまいです。この時期になると,出席が芳しくなく,単位が危うい学生が必ず哀願にきます。昨日もいました。4年生です。「お願いします」,「どうして出れなかったの」,「免許の教習所に通ってて…」,「…就活というならねえ。教習所通いかあ」,「いや,内定はもう取ってるんです。でも,4月までに,免許とらないといけないんです」,「…」。

 とまあ,こういうやり取りでした。確かに,社会人として働くには,今や,自動車の運転免許はほぼ必須でしょう。警察庁の『平成21年版・運転免許統計』によると,20代の若者の運転免許所有者数はおよそ1,229万人です。当該年齢人口の83%に相当します。全人口(16歳以上)の免許所有率は74%となっています。40年前の1970年では,わずか34%でした。われわれの生活世界で,モータリゼーションが進行していることが分かります。


 では,免許所有率の年齢層別の動向を,例の社会地図で俯瞰してみましょう。所有率が90%を超える場合,黒色としています。いかがでしょう。20代前半では,1990年以降,率が9割を超えています。2009年では,この黒色ゾーンが,40代後半の部分まで垂れてきています。以後,50代の部分も黒色になることが予想されます。

 2009年現在,70歳以上の高齢層の免許所有率は34%です。高齢ドライバーも増えています。事故防止の意図から,高齢層の免許返納を促進する動きがあるようですが,そうする以上,公共交通網の整備が要請されます。

 私は,子どもの頃,バスの運転手になりたいと思っていた時期があります。お年寄りや体の不自由な人を,にこやかな笑顔で運ぶ,公共性の高い仕事だと感じていたからです。でも,労働条件のほうはあまりよくないとか。これからますます需要が高まるであろう,介護や公共交通機関などで働く人たちの労働条件が悪いということは,何とも残念なことだと思います。

2011年1月26日水曜日

大学進学率の将来予測

 2010年春の大学進学率は51.0%です。この数値は,将来,どうなっていくのでしょうか。

 大学進学率とは,大学入学者数を18歳人口で除した値です。この2つの要素のうち,後者は,ある程度高い精度で予測することができます。国立社会保障・人口問題研究所の推計(中位推計)によると,18歳人口は,2020年には116.1万人,2030年には89.1万人,2040年には75.6万人,2050年には68.1万人となることが見込まれています。

 次に,分子となる大学入学者数ですが,2010年春の数値は61.9万人です。仮に,この数を維持しようとすると,下表のような事態になります。


 大学入学者数はそのままで,18歳人口がみるみる減っていくのですから,大学進学率は加速度的に上昇することになります。2030年には69.5%,2050年には90.9%という,とんでもない数字が出てきます。

 これから先,現在の入学者数が維持されるなんて,あり得ないだろう,といわれるかもしれません。しかし,1992年以降,18歳人口が大きく減ってきたにもかかわらず,大学入学者数を(がめつく)増やしてきたという,(悪しき?)実績があります。どうなることやら。しかし,こうなると,子どもの世界は,目を覆いたくなるような事態になるでしょう。何しろ,大学までが義務教育のようになるのですから。

 まあ,上記の予測は極端であるとして,では,もう少し現実性のあるシナリオを考えてみましょう。今度は,大学入学者が5年ごとに2.5%減っていくという仮定を立てます。2010年の大学入学者数は62万人ですから,5年後の2015年には,61.9×0.975≒60.4万人となるであろうと考えます。以下,同じです。では,シナリオ2として,下表をご覧ください。


 このシナリオによると,18歳人口減少の大波に抗うことができず,大学入学者数も減っていくことになります。2050年の入学者数は,2010年の8割ほどに落ち込みます。こうなると,学生を集めることができず,倒産する大学も多く出てくるでしょう。しかし,このシナリオでも,大学進学率のほうは,2030年に63%,2050年には74%にも達します。まだまだ,非現実的というべきでしょうか。となると,ますます廃業せざるを得ない大学が…

 以前にもいいましたが,大学の顧客を伝統的進学層(18歳人口)のみに頼れる時代は過ぎ去った,というべきでしょう。生涯学習社会といわれる今日です。社会人など,非伝統的進学層にも目を向けていくことが求められます。

2011年1月25日火曜日

目が悪くなる子ども

 前回に引き続き,子どもの発育に関するお話です。今回は,子どもの視力に関する統計をご紹介したいと思います。勉強のし過ぎか,ゲームのやり過ぎか,理由は分かりませんが,近年,目が悪くなっている子どもが増えているように思うのです。周りをみても,眼鏡をかけている子どもが多いなあ,という印象です。統計の役割は,日常生活の中で生じる,こうした主観的な印象に,確かな根拠を与えることです。

 前回もいいましたが,文科省『学校保健統計調査』には,子どもの年齢ごとに,各種の疾病の疾患率が掲載されています。私は,裸眼視力1.0未満の者の比率に注目しました。2010年の統計によると,6歳~17歳(小学生~高校生)の率の平均値は42%です。子どもの4割が,視力1.0未満ということになります。1975年の28%に比して,率が大きく伸びています。


 では,年齢別の値を細かくみてみましょう。上記の図にみるように,年齢が高くなるほど,目が悪い子どもの率が上がってきます。2010年でみると,6歳では19%であるのが,17歳になると55%にもなるのです。しかるに,時代による変化も明らかで,どの年齢でも,過去に比して率が高くなってきています。10歳と11歳では,1975年から2010年までの間に,率が2倍以上にもなっています。

 視力の低下ということも,子どもの「健康な生」が蝕まれていることを示す,一つの客観的な事実です。

2011年1月23日日曜日

喘息疾患率

 子どもが罹患しやすい病気の一つに,喘息(ぜんそく)というものがあります。喘息とは,気管支の機能狭窄によって,発作的に呼吸困難になることです。アレルギーによるものがほとんどですが,感染や心理的要因によって罹患することもあります。

 文科省の『学校保健統計調査』には,子どもの年齢ごとの喘息罹患率が掲載されています。最新の2010年の統計にて,6歳から17歳(小学生~高校生)の罹患率の平均値を出すと,34‰となります。35年前の1975年ではわずか4‰でした。大気汚染の進行のためでしょうか。喘息を患う子どもが増えているようです。


 例の社会地図形式で,各年齢の罹患率の変化を俯瞰すると,上記のようになります。図の模様は,タテ模様になっています。つまり,時代の変化が大きい,時代現象であることを示唆します。どの年齢の罹患率も上昇しています。2010年では,小学校の年齢帯(6~11歳)が,黒に染まっています。6歳児では,47‰(=4.7%),つまりおよそ25人に1人が喘息疾患者です。

 文科省の『学校保健統計調査』は非常に充実した統計であり,この他にも,さまざまな病気の罹患率を知ることができます。これまでの教育社会学は,子どもの学力や進学率など,教育達成の側面に主に着眼してきましたが,それは,いってみれば,2階の部分です。それらに先立つ,基底部分(1階部分)は,「健康な生」に他なりません。上記の資料を使って,この部分の実態解明にも力を入れようと思います。

2011年1月22日土曜日

雇用労働化

 人の働き方には,いろいろあります。たとえば,『国勢調査』の就労形態のカテゴリーには,「自営業」,「家族従業」,「雇用者」,というものがあります。予想がつくことではありますが,今日,圧倒的に多いのは雇用者,つまり企業などに雇われて働く人です。昔に比べて,自営業や家族従業というのはかなり少なくなっています。

 2005年の『国勢調査』によると,15歳以上の就業者61,505,973人のうち,雇用者は48,333,630人です。比率にすると,78.6%になります。働く人の4分の3以上が雇用者というわけです。半世紀前の1955年では,この比率は45.4%でした。労働の雇用者化が進んでいることが知られます。


 雇用者率を年齢層別に出し,時代変化を俯瞰してみると,上図のようになります。時代を下るほど,若い年齢層ほど,雇用者の比率が高くなってきます。2005年では,最も若い15~19歳の就労者のうち,98%が雇用者です。また,30代前半の部分まで,90%以上のゾーンが伸びてきていることも注目されます。

 こうした労働の雇用化は,親が子どもに,労働のモデルを見せる機会を減少させている側面があります。雇用者の多くは,自宅から遠く離れているオフィスで仕事をするわけですから。子どもが家で目にするのは,夜間や休日に,疲れてゴロ寝する父親の姿だけ,というようなケースもざらでしょう。

 子どもは親の背を見て育つといいますが,かつて,自営業や家族従業が多かった時代は,子どもは,働く親の姿を観察したり,実際に労働に参加したりすることで,生き生きとした職業観を身につけていました。ですが,今日では,そのようなことは期待しづらくなっています。そこで,学校が肩代わりして,キャリア教育などに力を入れるようになっているわけです。

 再び図をみると,現在の小学生の親世代にあたる,30~40代の就労者の8割以上が雇用労働者です。今の子どもたちにとって,労働のモデルの喪失というのは,大きな痛手となっています。こうしたハンディを人為的に補う手立てが要請されるでしょう。

2011年1月21日金曜日

施設の子どもたち

 去る19日の朝日新聞によると,児童養護施設の職員を37年ぶりに増員するとのことです。児童養護施設とは,児童福祉施設の一つで,保護者がいない,ないしは虐待されている児童などを入所させ,養護する施設です(児童福祉法第41条)。1歳に満たない乳児の場合は,原則として,乳児院に入所することになっています。

 このような措置がとられたのは,当該の施設に在所する児童が増えているためです。乳児院ないしは児童養護施設に在所している児童の数は,1995年では28,307人であったのが,2009年では32,866人にまで増えています(厚労省『社会福祉施設等調査』)。20歳未満の子ども人口1万人あたりの人数でみても,9.9人から14.2人へと増えているのです。

 ところで,児童といっても,いろいろな年齢の子どもが含まれます。幼児もいれば,中高生のような,ある程度自我が固まった子どももいるでしょう。ベースの人口あたりの在所率は,どの年齢層で高いのでしょうか。また,50年間くらいの長いスパンでみて,在所率はどう変わってきているのでしょうか。


 上図は,各年齢層の施設在所率を,1960年からおおよそ5年刻みで示したものです。施設在所率とは,施設在所者数を当該年齢人口で除した値です。図をみると,率が17.5を超えるブラックゾーンが,最近の小学校高学年から中学生の部分に広がっています。私としては,幼少の子どもが多いのではないかと思っていましたが,少し意外でした。また,昔のほうが率が高かったのではないかと予想していましたが,これも違っていました。

 この年齢の子どもは,思春期にさしかかった難しいお年頃です。体も大きくなっています。このことを認識してでしょうか。施設の居室面積の最低基準を広げようという方針が打ち出されています。結構なことだと思います。

 施設に入ってくる子どもの多くは,虐待を受けた経験を持っています。彼らに対するきめ細かなケアを講じるためにも,こうした条件整備はとても重要なことであるといえましょう。

2011年1月19日水曜日

大学の定員割れ

 最近,定員割れに悩む大学が多くなっているといわれます。18歳人口が減少する中,大学の数は増えているのですから,学生獲得競争が熾烈化している側面は明らかです。18歳人口(需要量)は,ピーク時の205万人から,2010年では121万人にまで減っています。一方で,大学の数(供給量)は,同じ期間中,523校から773校と,1.4倍も増えているのです。

 実際,定められた定員を満たすことができない大学は,どれほど存在するのでしょうか。この点については,よく新聞などで,全体の4割だとか,半数だとかいわれますけれども,自分の手で明らかにしてみたいと思いました。

 読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論社(2010年)から,2010年における,全国589大学の学生数と定員数を知ることができます。後者は,「大学設置・学校法人審議会で認められた学部・学科の定員数」とされています。設置されて4年経っていない大学は,努力云々と関係なく,定員を満たすことはできませんので,2006年以降に設置された大学(20校)は分析対象から除くこととします。

 私は,残りの569大学について,学生数を定員数で除した,定員充足率を計算しました。私が非常勤講師として勤務する武蔵野大学の場合,学生数は5,542人,定員数は4,835人ですから,定員充足率は114.6%となります。569大学の平均値(103.4%)をかなり上回っています。最も高い大学は168.2%でした。反対に,最も低い大学はわずか24.2%です。定員の4分の1しか学生がいないことになります。


 569大学の定員充足率の度数分布をとると,上図のようになります。定員割れのラインを示していますが,このラインを下回る,つまり充足率が100%未満の大学は186校で,全体の32.7%に相当します。新聞報道などの数字よりも低めですが,読売新聞調査に回答しなかった大学には,定員割れの実態を公にしたくないという大学が多いでしょうから,全大学でみれば,値はもう少し高くなると思われます。

 569大学のうち,私立大学425校だけに限定すると,定員割れ大学の比率は41.6%となります。充足率が80%に満たない大学は73校(12.8%)ですが,これらは全て私立大学です。

 今後,大学は間違いなく,冬の時代,淘汰の時代を迎えることとなります。顧客を18歳人口だけに頼れる時代は終わりました。無理にそういうことをすると,進学を希望しない者までをも引き込み,彼らの人生を狂わせることにもなりかねません。社会正義の観点からもよろしくないでしょう。

 現在,生涯学習社会といわれる時代です。成人した社会人にも,大学教育を欲している層はいます。また,退職した高齢者なども,新たな需要層と想定できるでしょう。こうした,「非伝統的」なニーズを開拓していくことが重要ではないかと思います。大学教育を受けている社会人学生がどれほどいるかなど,成人の学びに関する統計は,おいおい提示したいと存じます。

2011年1月18日火曜日

せんせいのお給料

 物価に地域差があるのと同様,就労者の給与水準にも,相当の地域差があります。大学生がコンビニでバイトするにしても,東京なら時給800~900円というのが相場なのでしょうが,私の出身の鹿児島だと,700円というのがざらです。600円台というケースも聞いたことがあります。バイトだけでなく,就労者全体の平均給与水準でみても,かなりの差があるとみてよいでしょう。

 ところで,給与水準に地域格差が出ないよう,政策的なテコ入れがなされている人たちがいます。それは,公立の義務教育学校の先生たちです。公立の義務教育学校とは,市町村立の小・中学校(特別支援学校小・中学部,中等教育学校前期課程含む)のことです。

 これらの学校の先生の給与は,学校の設置主体の市町村ではなく,都道府県と国が負担することとされています。負担割合は,2:1です。財政格差が大きい市町村に負担を委ねると,教員の給与に著しい地域格差が生じ,ひいては,義務教育の質の地域格差につながります。このことは,憲法が規定する義務教育の根幹(機会均等,水準確保,無償性)を揺るがすことにもなるでしょう。よって,このような均衡措置がとられているわけです。こうした制度のことを,義務教育費国庫負担制度といいます。

 公立小学校の男性教員と,男性の一般労働者の平均給与月額の都道府県差をみてみましょう。前者は,2007年のもので,文科省『平成19年版・学校教員統計調査』から得ました。後者は,2008年のもので,総務省『社会生活統計指標2010』から得ました。


 上図は,全国平均,および47都道府県中の最大値と最小値を示したものです。差の規模に注目してください。最大値と最小値の開きは,一般労働者の給与のほうがはるかに大きくなっています。一般労働者の場合,東京と沖縄では17万円も違います。しかし,公立小学校教員では,両極の差が5万円にとどまっています。

 上記の事実の結果,学校教員の給与と一般労働者の給与の差が大きくなっている県もあります。最も大きいのは,秋田です。当県では,公立小学校の男性教員の給与月額は39.4万円ですが,一般労働者の給与月額は28.7万円です。よって,前者は後者の1.37倍にもなります。一方,東京では,前者が37.7万円,後者が43.9万円と,教員給与のほうが低くなっています。


 この給与倍率を47都道府県について出し,値に基づいて,地図上で色分けすると,上図のようになります。倍率の全国平均は1.04倍ですが,1.2倍を超える県が18県,1.3倍を超える県が6県あります。

 これらの県の「せんせい」はウハウハでいいなあ,という見方もできます。逆に,高給取りと世間から揶揄され,人に比べて高い金もらってんだからもっと働け!と有形無形の圧力を被っているのではないか,というマイナスの見方もできます。上記の給与倍率によって,教員の勤務実態がどう異なるのかを,回を改めて明らかにしようと思います。

2011年1月16日日曜日

東大・京大に入るのは誰か③

 昨年の12月26日と29日の記事では,東大・京大合格者の出身高校種別の偏りや,地域間の偏りについて明らかにしました。今回は,合格者上位校によって,どれほど寡占されているかをみてみようと思います。

 サンデー毎日特別増刊号『完全版・高校の実力』(2010年6月12日)から,2010年春における,全国3,987校の東大・京大合格者を知ることができます。総計は5,928人です。合格者が多い順に各高校を並べ,その上位20位の高校のリストを示すと,下表のようになります。


 20校のうち,私立が15校を占めています。と同時に,これら20校だけで,合格者の数が1,630人にもなり,全体(5,928人)の27.5%をも占有していることに驚かされます。これら20校は,3,987校の卒業生数のうちでは,わずか0.6%しか占めていないことを考えると,この寡占度は相当なものといってよいでしょう。では,上位50位まで幅を広げて,同じ統計をつくってみましょう。


 上記の帯グラフは,東大・京大合格者5,928人と,3,987校の卒業生960,435人の組成を比較したものです。2010年春の東大・京大合格者は,合格者数上位50位の高校だけで46.8%,およそ半分が占められています。これらの高校は,卒業生全体ではほんの1.6%しか占めていないにもかかわらずです。

 これら50校の多くが,受験勉強や入学に多額の費用を要する国私立高校であることを思うと,公正の観点からしていかがなものか,という疑義が出されます。以前は,こうした上位校に公立校も結構含まれていましたが,最近では,国私立校に寡占されている状況です。

 わが国のエリート候補生は,出身高校の上でも,出身地域の上でも,単色化しつつあります。社会全体の多様な人間構成をあまり反映していません。今後,国際化,グローバル化,少子高齢化というような社会変動にさらされる中,異質な他者への共感性を持った指導者が求められるようになるかと思います,上記の事実は,こうした時代のながれに背いているような気がしないでもありません。

2011年1月15日土曜日

一極集中

 私は東京都民ですが,2005年の『国勢調査』によると,東京都在住者は約1,242万人となっています。総人口の9.8%,ほぼ1割に相当します。面積の上では,全国の0.5%しか占めない東京に,人口の1割が居住しているわけです。相当な集中度といってよいでしょう。

 この東京居住率の推移をみると,最も高かったのは,1965年の11.0%でした。それが,1995年の9.4%まで減少し,最近増加に転じ,今日の9.8%に至っています。しかし,国立社会保障・人口問題研究所の将来推計(中位推計)によると,2035年には,11.5%にまで高まるであろうと予測されています。

 以上は,国民全体の値ですが,東京居住率は,年齢層によってかなり異なると思われます。若いうちは東京に出てきて,以後,Uターンするというケースも多いですので。そこで,例の社会地図を使って,東京居住率を年齢階層別に出し,その変化と今後の予測を一望してみることにしました。


 まず,16%を超える黒色のゾーンが,1965年の20代前半の部分に見出されます。高度経済成長期にあった当時,多くの若者が,地方から大都市・東京に出てきていたためです。その後は,こうした極端な山はなくなっています。ですが,やはり若年層で率が相対的に高いことは変わりません。

 あと一点,図には右下がりの斜線模様が目立ちますが,これは,当該の現象が世代現象であることを示唆しています。たとえば,私の世代(2010年で30代前半)の場合,今後,12%以上が都内に住み続けることが予想されています。2025年以降,20代から30代の部分に水色のゾーンが広がっていますが,この世代は,われわれの子ども世代に該当します。

 時代軸で相対化してみると,かつてのような,極端な一極集中はなくなっているように思えます。ですが,都の周辺3県や京阪神をも加えると,違った様相が出てくるかもしれません。とくに,首都圏では,埼玉や千葉などの近郊県で人口が増加する,いわゆるドーナツ化現象がありますから。この作業は,機会を改めることとします。

2011年1月14日金曜日

日本社会の内向性

 今,飯島裕子さんの『ルポ・若者ホームレス』ちくま新書(2011年)を読んでいます。20~30代の若年ホームレス50人について,詳細な聞き取り調査を行った労作です。それによると,彼らの多くが,現在の苦境に陥った原因として,「自分が悪い」,「自業自得」というように考えているようです。職場の一方的な都合で解雇された,どんなに職探しをしても職にありつけない,という客観的な事実があるにもかかわらずです。

 このように,日本社会では,自らに責を帰す傾向が強い,もしくはそれが美徳と考えられているふしがあるように思いますが,それは,自殺率の高さにつながっているようにみえます。下表は,わが国の自殺率を他国と比したものです。自殺率とは,人口10万人あたりの自殺者数で,WHOホームページのMortality Databaseから得ました。


 これによると,わが国の自殺率が最も高いようです。でも,その一方で,殺人発生率(人口10万人あたりの殺人事件認知件数,資料は法務総合研究所『犯罪白書・平成19年版』)は,際立って低いのです。

 両者を突き合わせて考えると,やや奇異な感じがします。「社会が悪い」,「今の俺たちの苦境をどうしてくれる!」という気概があるならば,自殺率に相応して,殺人率ももう少し高くなっても不思議でないように思います。今,殺人率と自殺率を合算した値(H+S)を,社会における極限の危機状況の総量とみなすと,わが国では,そのうちの96%が,自らを殺めることによって処理されているわけです。アメリカの66%とは,えらい違いです。


 なお,このような兆候は,最近になって強まってきたようです。上図は,横軸に自殺率,縦軸に殺人率をとった座標上に,1995年と2005年の各国のデータを位置づけたものです。日本のみが,他国と違った動きを示しています。わが国は,殺人率低,自殺率高の内向ゾーンに逃避しているようにみえます。「なに,一人でいじけているの?」という感じです。

 日本は,治安のよい国だといわれますが,社会内部に存在する,極限の危機状況の総量は,他国に劣るものではありません。ただ,そうした害毒の大半が,自らを殺めることによって処理されているだけのことです。しかし,自らにのみ向けられていた殺意が,いつ,外向きに転じるか分かりません。最近における,無差別殺傷事件の続発が,このことを警告しています。

 自らにのみ責を帰す,何でもかんでも自己責任という,内向性の強い国民性があることをいいことに,お上が惰眠をむさぼる,というようなことがあってはならないでしょう。

2011年1月12日水曜日

健康格差

 再び,子どもの肥満についてのお話です。国内の地域別にみると,肥満児が多い地域,少ない地域が見受けられます。私は,『47都道府県の子どもたち』武蔵野大学出版会(2008年)において,小・中学生の肥満児出現率を県別に出したことがあります。それによると,上位5位は,青森,宮城,北海道,岩手,徳島,でした。ほとんどが北国です。雪に閉ざされた冬場の運動不足の影響が大きいのではないか,と推測されました。

 しかるに,気候のような自然条件を同じくする場合であっても,肥満児の多寡には,やはり地域差があります。私は,東京都教育委員会『東京の学校保健統計・平成21年版』の統計を使って,都内49市区について,公立小・中学生(男子)の肥満児出現率を出しました。本調査でいう肥満児とは,学校医によって肥満傾向にあると判定された者のことです。文科省調査でいう肥満児の定義(肥満度20%以上)とは異なることに留意ください。

 私が住んでいる多摩市の場合,上記の意味での肥満児は33人と報告されています。同市の公立小・中学校在籍者(5,056人)の0.65%に相当します。49市区の平均値(2.28%)よりもかなり低い水準です。この値の高低に基づいて,49市区を塗り分けた地図を示すと,下図のようです。


 0.5%刻みで塗り分けています。注目されるのは,黒色の3%を超える地域が,都内の東北部に集中していることです。最も率が高い台東区(4.32%)は,このゾーンに位置しています。

 私は,この図をみて,各地域の肥満傾児出現率は,生活保護率のような貧困指標と関連があるのでは,と直感しました。そこで,生活保護世帯数を総世帯数で除した生活保護世帯率(2008年データ)を出し,肥満児出現率との相関をとってみました。以下は,その相関図です。


 予感通り,正の相関でした。生活保護世帯率が高い地域ほど,肥満児出現率が高い傾向にあります。相関係数は0.667であり,1%水準で有意であると判断されます。図の右上に位置するのは台東区です。同区は,両指標とも最も高い位置にあります。

 子どもの肥満は,生理現象・自然現象と考えられがちですが,社会現象としての側面も持っていることが分かりました。2004年の中央教育審議会答申は,子どもの肥満化の原因として,食生活の乱れというものを指摘していますが,こうした乱れは,貧困家庭に偏在している,ということもできるでしょう。朝食を食べさせない,食事は菓子パンやインスタントラーメンばかりなど…

 現在,格差社会化が進行しているといわれます。このことは,育った家庭環境と結びついた,子どもの学力格差を大きくさせるといわれますが,ここでみたような健康格差をも顕在化させる恐れがあります。この面にも,研究者の関心が注がれることを願うものです。

2011年1月11日火曜日

思春期やせ症

 肥満も問題ですが,痩身(やせ過ぎ)も考えものです。昨年の12月20日の記事では,小・中学生に占める肥満傾向児の比率を調べましたが,痩身傾向児はどれほどいるのでしょうか。ここでは,女子に焦点を当てようと思います。

 文科省の『学校保健統計調査』では,各人の実測体重を身長別標準体重と照らして肥満度を出し,この値が-20%以下の者を「痩身傾向児」と判定しています。この痩身傾向児が,全児童生徒に占める比率を,痩身傾向児出現率といたしましょう。この指標の値を年齢別・時代別に俯瞰すると,下図のようになります。


 近年の12~13歳をピークとする,なだらかな同心円状になっています。2005年の12歳では,4.67%にもなります。女子に発症率の高い摂食障害の一つに,拒食症というものがあります。やせたいあまりに,食べることを拒否し,ガリガリになってしまう症状です。12歳以降の思春期に多発するので,「思春期やせ症」ともいいますが,図のブラックゾーンは,この症状の存在を示唆しています。

 思春期にさしかかった多感な女子児童生徒は,痩身を美とする社会的風潮を意識させられる,ということでしょう。しかし,人間にとっての基本的な営みである「食」を疎かにする理由にはならないはずです。食育の重点ターゲットとすべきは,この年齢層の女子であるかもしれません。

2011年1月10日月曜日

東京の高校階層構造

 あまり大っぴらに言えたことではありませんが,わが国の高校には,暗黙のランクのようなものがあります。私の頃などは,進学校,普通校,底辺校といった言葉が,中学校の進路指導の教師の口からぽんぽん飛び出ていましたが,今はどうなのでしょう。

 一般に,高校ランクというのは,有名大学への進学可能性に依拠したものといえます。有名大学合格率に基づいて,各高校を層化した図のことを,高校階層構造といいます。今回は,2010年春の有名大学合格者出現率の統計を用いて,東京都内437高校の高校階層構造を描いてみようと思います。

 こうした作業に何の意味があるかと問われるならば,2つのことを述べることができます。その1は,公正にかかわるものです。昨年の12月26日の記事と関連することですが,有名大学への合格者を多数輩出する上位校が,(多額の学費を要する)私立高校に寡占されるというような構造になっているとしたら,それはいかがなものか,という問題が提起されます。

 その2は,各県の政策評価に関するものです。高校階層構造の形状は,各県の高校教育政策と関連している側面を持っています。たとえば,公立高校の学区制で大学区制をとる場合,高校格差が大きくなり,上層が細く,下層が分厚い,鋭利なピラミッド型ができるといわれます。反対に,かつての京都府のように,小学区制を採用するならば,各高校が比較的均質になり,極端な進学校や底辺校が少ない,中層が太った構造になると考えられます。高校階層構造の形状を明らかにすることで,各県の高校教育政策の在り方を考える道筋が見えてきます。

 私は,サンデー毎日特別増刊号『完全版・高校の実力』(2010年6月12日)の資料から,2010年春における,都内437高校の有名大学合格者数を知りました。有名大学とは,東大,京大,東工大,一橋大,お茶の水女子大,東京外大,早稲田大,慶応大,国際基督教大,上智大,そしてMARCHの5大学を合わせた15大学です。これらの大学の合格者数を,各高校の卒業生数で除して,合格者出現率を計算しました。437高校の平均値は,30.8%でした。しかし最も高い高校だと,262.5%にもなりました。合格者数は延べ数ですので,卒業生の数を超えることもあり得ます。

 続いて,この合格者出現率に依拠して,各高校を11の階層に割り振りました。A層(90%以上),B層(80%台),C層(70%台)…,H層(20%台),I層(10%台),J層(0.1%以上10%未満),K層(0%=合格者なし),です。これらの各層に含まれる高校の数を図示すると,以下のようになります。これが,いわゆる高校階層構造です。


 基本的には,下層部が厚く,上層部が薄い,ピラミッド型になっています。しかし,最上層(A層)の比重も結構あるので,上下に分極した分極型ともいえそうです。

 さて,上記の2つの観点に照らして,図を眺めてみましょう。まず,A層の高校58校のうち,39校(67%)が私立校であることが注目されます。437高校全体で,私立校が占めるシェア(55%)を凌駕しています。東京の場合,上位校は私立校に偏しているといってよいでしょう。

 次に,都の高校学区政策との関連についてです。東京都は,2003年度より,公立高校の通学区を撤廃しています。その後,高校格差が大きくなったといわれます。上記の図で,公立校の部分だけに注目すると,なるほど,上が細く,下が分厚い,ピラミッド型ができています。A層に含まれる公立校は15校ですが,ここには,都教委が進学重点校に指定している7校が位置しています。上記の形状は,少ない高校に資源を重点投資する,都教委の政策による部分もあるかと思います。

 この点を検証するには,学区撤廃前の統計を使って,同じ図を描き,比較してみる必要があります。機会があれば,やってみたいと思っています。また,他県についても,高校階層構造を描く作業をしてみようと思います。

2011年1月9日日曜日

大学の退学率の規定要因②

 もう少し,大学関連の話をいたしましょう。1月3日の記事の続きです。今回は,各大学の入試方法のあり方と,退学率との相関関係を調べたいと思います。

 大学入試というと,学力検査を受けて入る一般入試を想定する方が多いと思いますが,それ以外にも,AO入試や指定校推薦など,多様な形態があります。学力だけでは測れない,多様な個性を持った学生を入れようという意図を持っていますが,学力検査を課すと学生が集まらないのでという,「お客さん集め」的な側面があることも否めません。

 私は,統計学の授業で,百分率(%)の概念を知らないという学生に出会い,いささか驚嘆したことがあります。話を聞くと,指定校推薦で入ってきたので,数学はまるっきりやらなかったとのこと。入試形態のオプションを広げるのはよいですが,それだけではいけないと感じました。入学後,学生が不適応を起こさないためにもです。

 1月3日の記事で退学率を分析した415私立大学のうち,371大学について,2010年春の入学者の内訳を知ることができます(読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論新社,2010年)。私は,この371私立大学の入学者のうち,一般入試を経ていない者がどれほどいるかを計算しました。私が非常勤講師として勤務する武蔵野大学の場合,入学者総数は1,435人,うち一般入試経由者は536人ですから,一般入試を経ていない者の比率は,(1,435-536)/1,435=62.6%となります。371大学の平均値(60.1%)とほぼ同程度です。しかし,一番高い大学になると,98.8%にもなります。

 では,この371大学の一般入試非経由率と退学率の相関図を描いてみましょう。退学率とは,2006年春入学者のうち,2010年3月までの退学者・除籍者がどれほどいるかを表したものです。簡単にいうと,在学期間中に辞めた者の比率です(資料は上記と同じ)。


 データの数が371と多いので,はっきりとした傾向ではありませんが,うっすらとした正の相関が見受けられます。相関係数は0.563,1%水準で有意です。一般入試以外の方法で学生を多く入れいている大学ほど,中退率が高い傾向は看取されます。

 このデータを突き付けて,もっと厳格な入試をしろなどと,お説教めいたことを言うつもりはございません。ただ,多様な方法で学生を入れる以上,その後のケアのようなものが必要であるかと思います。図をよくみると,一般入試非経由率がほぼ100%に近い大学でも,退学率が大きく異なっています。33%の大学もあれば,0%の大学もあるのです。この違いが何に由来するかも,興味深い課題ではないかと存じます。

2011年1月8日土曜日

大学生の留年

 前回は,大学の入り口にまつわるトピックでした。今回は,大学の出口についてです。大学の修業年限は4年間(一部は6年)ですが,この最低年限で学業を終え,卒業していく者もいれば,そうでない者もいます。後者は,いわゆる留年生といわれる人種です。私の印象では,最近,留年をする学生が増えているように思うのですが,実情はどうなのでしょう。

 文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』によると,2010年の大学生(修業年限4年)のうち,4年という最低修業年限を超えて在学している者は,106,406人であるそうです。この年の大学生の数は2,559,191人ですから,留年生の比率は,前者を後者で除して,41.6‰となります。%にすると,およそ4%。つまり,学生の25人に1人が留年生という計算になります。

 この値をどう評価するかですが,以前に比して増えているのでしょうか。前回の作業と同様,1992年の統計と比較してみようと思います。この年は,18歳人口がピークであった年です。


 上記の棒グラフは,学生千人あたりの留年生の数を示したものです。これによると,1992年では,留年生の比率は39.0‰でした。2010年の値は41.6‰ですから,微増していることになります。留年の年数をみると,留年生のほとんどが,1~2年というところです。

 しかし,学生の性別や,在学している大学の種別によって,留年率は異なるものと思われます。そこで,前回と同じく,以下の表をつくってみました。


 この表は,留年学生の比率をカテゴリーごとに出したものです。まず,女子学生よりも男子学生で留年率が明らかに高いことが注目されます。1992年では,4倍以上でした。しかし,2010年データでは,その差が縮まっています。次に,大学の種別でみると,留年生の比率は国立大学で最も高くなっています。2010年データでは,国>公>私という,明確な構造ができています。これは少し意外でした。

 さて,この結果をどう解釈すべきでしょう。留年の理由は,勉強を怠けて単位を落としたという類のものが多いのでしょうが,最近では,別の理由も目立ってきています。それは,就職が決まらなかった学生が,翌年も新卒枠で就職活動を行うために,わざと留年するというものです。こうみると,学費が比較的安い国公立大学で留年率が高い,という傾向も合点がいきます。私立大学にも,こうした学生の意向に応えるべく,留年期間中の学費を値下げする大学が出てきているくらいです。

 わが国の労働市場には,新卒至上主義という奇妙な慣行があります。私は,この分野に詳しくないのですが,若者の労働市場が新卒枠と既卒枠とに分かれているような国が,他にあるのでしょうか。経団連も,この慣行の奇妙さに気づいたのか,卒業後3年までは新卒扱いにしてほしいという要望を出しています。しかし,どうなることやら…

 私の卒論ゼミの学生にも,「就職決まらないんで,留年しようかと思うんですけど」と言ってくる学生がいます。もったいないな,と正直思います。お金もですが,時間もです。卒業して,何かやりたいことをしながら,就職活動をすればよいではないか,と言いたくて仕方ありません。でも,当人のためを思えば,それは無責任な発言になるのでしょうね。採用面接で,「大学を卒業してから遊んでいたのか!」と一蹴されることになるのですから。

 道草ができない社会,日本。この社会の世知辛さが,大学生の留年率という指標によって,可視的になっているように思います。

2011年1月7日金曜日

浪人生の減少

 大学全入時代の到来により,大学に入りやすくなっているといわれます。18歳人口(需要層)の減少にもかかわらず,大学数(供給層)は増えているわけですから。前者について,具体的な数をみると,ピーク時の1992年では約205万人であったのが,2010年では121万人にまで減っているのです。

 こうした状況の中,大学入学者に占める,いわゆる「浪人生」の比重もかなり減じているのではないでしょうか。私の頃は,周囲に,浪人経験者が結構いました。中には,4浪というツワモノも。一般に,3浪以上のことを「多浪」と括るようですが,こうした多浪(タロウ)くんにお目にかかることも,少なくありませんでした。はて,現在ではどうなのでしょう。


 上の帯グラフは,18歳人口ピーク時の1992年春の大学入学者と,2010年春の大学入学者の組成を比較したものです。資料は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』です。「その他」とは,外国の学校卒業者や,大検経由者などです。まず,入学者の数をみると,18歳人口の激減にもかかわらず,54万人から62万人に増えています。これは,進学率が増加しているためです。

 さて,入学者の組成をみると,現役生の比率が63%から83%へと,20ポイントも増えています。現在では,入学者の8割が現役生です。一方,浪人生(1浪~4浪以上)の比率は,35%から13%まで減っています。大学全入時代,さもありなんです。


 ところで,男性と女性ではどう違うのでしょう。国立大学入学者と私立大学入学者とでは,どう違うのでしょうか。上記の表は,それぞれのカテゴリーごとに,浪人生の比率をまとめたものです。性別にみると,女子よりも男子で高いようです。1992年では,男子入学者の42%が浪人生だったのですね。

 大学の種別にみると,1992年では,国公私間にそれほど差はないのですが,2010年では,国>公>私という,きれいな差が出ています。現在でも,国立大学入学者の2割は浪人生です。表には示しませんが,国立大学医学部入学者では,2010年入学者の45%が浪人生です。まだ,大学の種別や学部による差は残っていそうです。

 このように,浪人生が減じているわけですが,これをどう考えるか。浪人生活を経ることに対し,一定の教育的意義を付与する見方もあります。昨年,私の卒論指導学生の中に,「浪人生が勉強以外に学ぶものは何か」という論文を書いた者がいますが,それによると,耐性がついた,視野が広がった,苦労を共にした生涯の友人ができたなど,さまざまな効用があるとのこと。研究者による学術研究でも,同様の問題を扱ったものがあります(塚田守『浪人生のソシオロジー』大学教育出版,1999年)。

 ストレートな人生をまっしぐらに歩んだ者は,一度挫折すると,なかなか起き上がれないといいます。大学生の組成が,現役生一色で染まっていく傾向は,いかがなものかという気がしないでもありません。

2011年1月6日木曜日

『国勢調査』の危機?

 わが国では,5年おきに,『国勢調査』という大規模調査が実施されています。本調査は,国民全員を対象とした悉皆(しっかい)調査で,その結果は,国の政策立案などに活用されます。その意味で,大変重要な調査なのですが,この調査の一部の設問に対して,回答をためらう人が出てきているようです。

 まあ,最終学歴については,「こんなこと,答えにゃいかんのか」と,回答を拒否する人が結構いると聞きますが,回答拒否率が高いと思われる設問が他にもあります。たとえば,配偶関係です。2005年調査の結果によると,30代後半の男性の回答は,未婚が1,320,943人,有配偶が2,760,286人,死別が5,851人,離別が153,470人,です。合算すると4,240,550,人ですが,この年の同性・同年齢人口総数(4,402,787人)よりも,162,237人不足しています。

 この162,237人は,この設問への回答を拒否した者と推定されます。比率にすると,男性30代後半人口(4,402,787人)の36.8‰に相当します。%にすると,3.7%というところです。この比率(回答拒否率)を各年齢層別に出し,その時代推移もみると,下の図のようになります。


 1990年の10~20代にやや高いゾーンがありますが,注目されるのは,2005年の30代後半層の山です。この層では,回答拒否と推定される者の比率が,30‰を超えています。この年齢層の未婚者などは,調査票の「未婚」の選択肢を塗りつぶすのに,強い不快感を感じる,ということでしょうか。

 時代推移をみると,1985年までは,一様に低率色(青色)で染まっています。しかし,1995年から,30代あたりを中心に,拒否率が急激に高まっていることが知られます。昨年の10月,2010年調査が実施されましたが,その結果を加えると,どういう模様になるでしょうか。若干の不安をぬぐえません。2010年調査は,10年に一度の大規模調査ですので,最終学歴についても尋ねています。この設問については,どういうことになるのやら・・・

 未婚率,単独世帯率など,社会の私事化の度合いを計測する指標はいろいろあるのですが,『国勢調査』への回答拒否率というのも,使えるかもしれません。

2011年1月5日水曜日

老けて見える?日本

 一昨日の朝日新聞Web版に,面白い記事がありました。博報堂生活総合研究所が,全国の1,756人(15~69歳)に対し,日本を含む9ヵ国について,「人間の年齢にたとえるとしたら何歳くらいか」と問うたところ,日本の平均値は51.7歳であったというのです。同記事に掲載されている,日本の国民の平均年齢は43.9歳ですから,実際よりもかなり老けて見える,ということでしょう。

 では,他国についてはどうなのでしょうか。記事に掲載されている9ヵ国のデータを,前回と同じグラフで表現してみました。記事のURLも,一応,張っておきます。
http://www.asahi.com/business/update/0102/TKY201101020172.html


 グラフの見方は,前回のものと同じです。点線の均等線よりも,上方に隔たっているほど,イメージ年齢が,国民の平均年齢(実年齢)を上回る,ということです。下方にある場合はその逆で,実際よりも若く見える,ということです。

 図によると,9ヵ国中6ヵ国が,実際よりも老けて見えるようです。その度合いは,アメリカや日本という,先進国で大きいことも注目されます。反対に,韓国,シンガポール,そして中国といったアジア諸国は,人にたとえると,「年齢よりもお若く見えますねえ」という評価です。なお,イメージ年齢の絶対水準に着目すると,先進国4ヵ国と発展途上国5ヵ国との間に,明確な隔たりが看取されます。日本は,先進国の中でも高く,唯一,イメージ年齢が50歳を超えています。

 以上の結果について,どう解釈するか。高度経済成長期の頃の日本ならば,おそらく,図の左下あたりに位置づけられたことでしょう。しかし,現在では,その対極にプロットされています。成熟社会という言葉に象徴されるように,日本などの先進国は,既にある程度の豊かさを達成していますが,その先はもう見込めない,後は衰退の一途であろう,ということでしょうか。少しさびしい気がします。

 私も,そろそろ30代半ばにさしかかり,お恥ずかしいですが,白髪が目立つようになってきました。でも,まだまだこれからという,心の若さは,いつまでもキープしたいと念じています。Jさん(日本を人にたとえた場合の呼称)にも,こうした心意気を共有してほしいものです。

2011年1月4日火曜日

青年の自殺の国際比較

 元旦の記事において,最近のわが国では,青年の自殺が増大していることを指摘しました。こうした危機兆候は,わが国固有のものなのでしょうか。これまで,どのトピックでも,国「内」にこもりがちであったので,ここで初めて,視野を世界に拡大してみたいと思います。

 私は,1995年と2005年における,世界各国の青年の自殺率をできるだけ多く集めました。WHOの国際統計では,年齢区分が「15~24歳」,「25~34歳」という区切りになっているので,ひとまず,後者を青年と考えることにしました。性別は,男性に限定することにしました。男性の率のほうが,各国の社会状況の変化を鋭敏に反映すると考えるからです。

 統計の出所は,WHOホームページのMortality Databaseです。URLを下記に示します。
 http://apps.who.int/whosis/database/mort/table1.cfm

 さて,数字ハンティングの結果,47ヵ国の青年男性の自殺率の近況を知ることができました。グラフにする前の,統計の原表を掲げます。


 国の順序は,2005年の率が高い順にしています。日本(赤字)は,2005年でいうと,47ヵ国中7位です。10年前のランクは25位でした。不名誉のランクアップを遂げています。

 次に,この10年間における自殺率の増減ですが,わが国のように増えている国もあれば,その逆の国もあります。フランス,アメリカ,イギリス,ドイツなどの先進国は,いずれも値を減少させています。大国ロシアも,率はぶっちぎりで高いですが,10年前よりは自殺率が下がっています。


 口であれこれ言っても分かりにくいですので,「百聞は一見に如かず」,変化を一目で大観できるグラフをお見せします。横軸に1995年の自殺率(X),縦軸に2005年の自殺率(Y)をとった座標上に,47ヵ国をプロットした散布図です。斜めの実線(均等線:Y=X)より上方に位置する場合,この10年間で値が上がっていることを意味します。下方にある場合は,その反対です。なお,点線の斜線(Y=X±10)よりも外側にある場合,自殺率が10ポイント以上増減していることになります。

 図をみると,この期間中に自殺率が増大している国は,どちらかといえば,少数派のようです。ましてや,わが国のように,10ポイント以上伸びている国は,ガイアナしかありません。

 こうみると,わが国の青年の危機兆候は,国際的にみても際立っているといえそうです。これをどう乗り切るか。図をみると,エストニアやフィンランドでは,青年の自殺率が大きく減少しています。前者ではマイナス35ポイント,後者ではマイナス22ポイントです。こうした,自殺対策先進国の実践に教えを請うことも有益であるかと存じます。

2011年1月3日月曜日

大学の退学率の規定要因①

 昨年の大みそかの記事において,全国563大学の中途退学率を明らかにしました。今回は,それに続く作業として,退学率と関連が深い,大学の外的特性を探ってみたいと思います。設置主体(国立or公立or私立)の影響を除くため,大学の大半を占める私立大学に限定して分析をします。対象は,退学率が分かる415大学です。

 私は,各大学の退学率は,設置時期と関連があるのではないか,という仮説を立てました。少子化傾向にもかかわらず,雨後のタケノコのごとく,大学が次々と新設されていますが,新設校は,よほどの特色を出さない限り,学生を引きつけることは難しいのではないかと思うからです。

 さて,時期区分をどうするかですが,それを考えるため,大学の数の推移をみましょう。


 文部科学省『文部科学統計要覧・平成22年版』より,4年制大学の数の推移を描くと,上図のようになります。曲線の型から,おおよそ3つのエポックに区切ることができそうです。まずは,1966年までの時期。戦前期から高度経済成長期の只中の時期です。次は,1967年から1985年までの時期。経済成長末期を経て,70年半ばから80年代半ば,大学設置抑制政策が敷かれた時期です。最後に,1986年から現在まで。抑制政策が緩和されて,大学が自由奔放に数多くつくられる時期です。順に,Ⅰ期,Ⅱ期,Ⅲ期,といたしましょう。

 415大学を分類すると,Ⅰ期にできた大学が201校,Ⅱ期にできた大学が68校,Ⅲ期にできた大学が146校です。各大学の設置年は,退学率を得た資料と同じものから知りました。資料の詳細は,12月31日の記事をみてください。これらのグループごとに,退学率の平均値を出すと,順に,8.7%,10.6%,11.8%,となりました。やはり,新設群ほど,退学率が高い傾向にあります。


 平均比較だけでは事を見誤る危険があるので,群ごとに,2%刻みの退学率分布をとると,上記のようになります。やや煩雑ですが,退学率10%の箇所で区切ると,傾向が明瞭です(赤線)。Ⅱ期以降の大学では,半分以上が,退学率10%以上の大学です。Ⅲ期にできた大学では,全体の1割以上が,退学率20%を超えていることも注目されます。

 常識的にも見当がつくことではありますが,各大学の退学率は,設置時期と関連があることが分かりました。ほかにも,立地地域とか,どういう入試方法をメインに据えているかなど,いろいろな条件が関与していることでしょう。機会を改めて,これらの変数との関連も調べたいと思っています。

2011年1月2日日曜日

発達加速現象

 みなさま,楽しいお正月をお過ごしのことと拝察いたします。久しぶりに帰省したお孫さんの,大きく成長した姿を目にして,びっくりされているご高齢の方も多いのではないでしょうか。統計でみても,子どもの平均体位は,昔に比べてかなり大きくなっています。

 
 上の図は,男子の平均身長が,年齢別にどう変化してきたかを示したものです。文部科学省『学校保健統計調査』のデータから作成しました。身長は,基本的に年齢現象ですので,ほぼ横シマ模様になっていますが,時代による変化も看取されます。12歳では,1950年では136㎝でしたが,60年を経た2010年では152cmまで伸びています。

 発達心理学では,こうした体位の向上のことを,発達加速現象と呼ぶようです。昔に比して,栄養状態がよくなったことなどが原因として挙げられましょう。

 しかし,最近の子どもをみるに,こうした身体の成熟速度に,精神の成熟速度が追いついていないように思えます。成熟する身体と未熟なままの心というのは,まあ,思春期の特性ともいえるものですが,近年,このようなギャップがますます大きくなっているのではないでしょうか。今の日本は,半分以上の若者を,20歳過ぎまで学校に囲い込む社会なのですから。

 現代青年の各種の逸脱行動は,身体が一人前になっているにもかかわらず,大人としての役割をいつまでも与えられないことに対する,抵抗としての意味合いを持っているのかもしれません。最近,インターンシップなど,在学中の青年を社会と接触させようという取組が盛んですが,こうした問題を認識してのことであると思います。

2011年1月1日土曜日

よい年でありますように

 年が明けました。当方,喪中につき,新年の祝いの詞は控えさせていただきますが,今年もよろしくお願いいたします。2011年は,どういう年になるでしょうか。願わくは,若者にとって希望が持てるような年になってほしいものです。

 内閣府『国民生活に関する世論調査』によりますと,将来を悲観する若者が増えています。今後の生活の見通しとして,「これから生活が悪くなっていく」と答えた者の比率は,私と同年代の30代のうち26.6%,およそ4分の1に達します(2009年)。10年前の1999年(19.0%)よりもかなり増えています。昨年10月に発刊された,NHKクローズアップ現代取材班『助けてと言えない-いま30代に何が-』(文藝春秋)がかなり売れているようですが,その購買層の多くが30代ではないでしょうか。「われわれの声をよく代弁してくれた!」と。かくいう私も買いました。

 年明け早々,物騒な話になりますが,近年の30代の状況が分かる統計をご覧に入れようと存じます。


 上記の折れ線グラフは,近年の自殺者数の推移を年齢層別にみたものです。資料は,警察庁『平成21年中における自殺の概要資料』です。1997年の人数を100とした指数で表しています。1997年から1998年にかけて,どの層でも自殺者数が増えています。50代では,およそ1.5倍です。この時期に,わが国の経済状況は大きく悪化しました。いわゆる「98年問題」です。大手の証券会社,山一證券が倒産したのも97年でした。そうした状況下で,無慈悲なリストラに遭遇した,この年代(とくに男性)の多くが自殺した,ということでしょう。

 しかし,その後の状況は違っています。50代は,2003年まで高原状態をたどりますが,以後,減少に転じています。今世紀になっても増加傾向にあるのは,太い赤線で示した30代なのです。2009年の指数値は173,1997年の1.7倍の水準です。他の年齢層にはみられない,独自の様相を呈しています。

 なぜ,30代で,こうした悲惨な状況になっているのでしょうか。私は,各年齢層の自殺率曲線と関連が深い社会指標について調べたことがあります(拙稿「性別・年齢層別にみた自殺率と生活不安指標の時系列的関連」『武蔵野大学政治経済学部紀要』第1号,2009年)。その結果,30代では,「これから先,生活が悪くなっていく」と考える者の比率,すなわち「展望不良率」が,自殺率の推移と最も近似していることが分かりました。


 展望不良率とは,内閣府『国民生活に関する世論調査』において,「これから先,生活が悪くなっていく」と答えた者の比率(%)です。自殺率は,自殺者数を当該年齢層人口で除した値(10万人あたり)です。これら2指標の時系列推移を,3年刻みの移動平均法で表すと,上記のようになります。

 いかがでしょう。両指標の推移がかなり似ていることが分かります。1990年代後半以降,跳ね上がっている傾向もそっくりです。この期間中の両指標の相関係数は0.8624と,大変高くなっています。なお,こうした関連は,30代に固有のものでした。自殺率が高い50代では,予想されることですが,失業率が自殺率に最も大きく影響していました。

 人間にとって重要であるのは,「希望」であるといわれます。高度経済成長期では,若者の自殺率は格段に低かったのですが,それは,現時点での生活の水準が低くとも,将来に希望が見出せたが故と思われます。しかし,現在ではそうではない。私は,2005年に上映された「ALWAYS・三丁目の夕日」のDVDを繰り返し観ながら,このようなことを思うのです。最近,東大の玄田教授を中心に,「希望学」という学問領域の開拓が目指されているようです。大変意義ある取組であると,敬意を表します。

 長くなりました。このあたりで止めにします。寒波の到来で,寒いお正月となりそうです。みなさま,どうかご自愛のほど。