2019年2月25日月曜日

子どもの自殺率は戦後最高

 景気回復と自殺対策の成果があってか,国民全体の自殺者数は減少の傾向にあります。

 今世紀初頭の2000年では,年間の自殺者は3万251人と,3万人を超えていました。これが2017年では2万465人となっています(厚労省『人口動態統計』)。今世紀以降,年間の自殺者が3分の2まで減ったわけです。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html

 ところが,子どもはそうではありません。思春期の10代前半の自殺者数をみると,年によって凹凸がありますが,おおむね増加の傾向にあります。2016年の年間自殺者は71人でしたが,2017年では100人と,大幅に増えています。中学生の自殺事件がよく報じられていることを思うと,さもありなんという感じです。

 ただ,ここ数年の観察だけでは状況診断を誤ります。『人口動態統計』は長期的な推移を辿れますので,戦後初期からの自殺カーブを描いてみましょう。

 言わずもがな,自殺者の実数をみてもあまり意味はありません。ベースの子ども人口で割った自殺率のほうがベターです。上述のように,2017年の10代前半の自殺者数は100人で,同年10月時点の当該年齢人口は543.2万人です(総務省『人口推計年報』)。よって,ベース人口100万人あたりの自殺者数にすると18.4人になります。この値を,子どもの自殺率としましょう。

 私は,1950~2017年までの各年について,10代前半の年間自殺者数と人口のデータを集め,前者を後者で割った自殺率を出しました。その推移を描くと,下図のようになります。なお,年による凹凸が激しいので,3年間隔の移動平均も添えました。当該年と前後の2か年の値の平均です(例:2000年の値は,1999~2001年の3年次の自殺率の平均)。こうすることで,大局推移を表す滑らかな曲線ができます。


 どうでしょう。まず,青色の自殺率の実値カーブをみると,凹凸しながらも上昇傾向で,最新の2017年の値が最も高くなっています。タイトルのごとく,子どもの自殺率は戦後最高です。

 赤色の移動平均の推移をみると,凹凸を排した滑らかな傾向を見て取れますが,上昇傾向にあるのが明らかです。とりわけ2010年以降の上昇が目立っています。スマホの普及期と重なっていますね。

 ネットいじめ,自殺勧誘サイト…。思い当たるところは,数多くあります。当局の文書でも言われていますが,ネットパトロールや,SNSを介した相談体制の充実といった対策が求められます。自殺対策の中身は年齢層によって違いますが,中高年のオジサン世代から,子ども・若者に重点をシフトする時です。

 なお,あまり知られていないことですが,子どもの自殺動機の首位は学業不振です。いじめを苦にした自殺(友人関係の不和)ではありません。この点については,日経DUALの寄稿記事で詳しく書きましたので,関心のある方はどうぞ。
https://dual.nikkei.co.jp/article/036/58/

 逆ピラミッドの人口構成になる中,少なくなった子どもに向けられる期待圧力が強まっています。過度の期待で子を自殺未遂に追い込んでしまった親の話の記事を見ましたが,養育態度の歪みには注意しないといけません。

 受験のシーズンですが,早期受験もじわじわと広がっています。わが子のためと思ってしていることが,教育虐待に転化していないか。絶えず反省しないといけません。その術は,子どもの笑顔が消えていないかどうかを確認することです。

 少なくなった子どもが大事に育てられる時代だと言われますが,「生きづらさ」の指標である自殺率をみると,上記のグラフの通りです。もうちょっとしたら,人口構成のうえで「子ども1:大人9」の社会になりますが,その時にはどうなっているか。

 教育学者の端くれである私が言うのもなんですが,「教育に関心がある」などとあまり言わないことですね。教育については誰も語れますが,逆ピラミッドの人口構成の社会で,「一億総教育家」の社会になったら子どもは潰れてしまいます。

 語るならば,自分たちの教育についてのほうがいい。現代は生涯学習の時代。人生100年,かつ変動が激しい時代にあっては,すべてのステージの人が生涯,絶えず学び続けないといけないのです。自殺対策の重点は子どもに移すべきですが,教育の重点は子どもから大人にシフトすべき時なのです。

 AIの台頭により,労働時間は短くなる見通しですが,それで生まれたヒマを「今時の若いもんは…」と愚痴るのではなく,自身の向上させる学習に当てようではありませんか。

2019年2月22日金曜日

ネガティブ本能

 しょーもない争いの記録でブログが染まっていますので,小ネタでも書きましょう。

 ハンス・ロスリングの名著『ファクトフルネス』(日経BP社)を読んでいます。寝る前に,布団の中でちびちび読んでいます。一文一文を噛みしめるように読んでいます。
https://shop.nikkeibp.co.jp/front/commodity/0000/P89600/

 バカ売れしているようですねえ。どの書店に行っても,最前列の売れ筋棚に鎮座しています。以下は,紀伊国屋横浜店の陳列棚です。


 事実(fact)に基づいて社会を把握する心構えについて説かれています。一般人が陥りがちな社会認識の歪みとして,10の本能が挙げられています。ここにて注目したいのは,ネガティブ本能です。世の中,悪くなっていると思い込むと。

 この本ではいくつかのクイズが出されていますが,日本社会に即した問題を出してみましょうか。2015年の内閣府『少年非行に関する世論調査』では,20歳以上の成人に対し,「少年非行は増加していると思うか」と尋ねています。
https://survey.gov-online.go.jp/h27/h27-shounenhikou/index.html

 1.増えている
 2.変わらない
 3.減っている

 あなたは,どれに〇をつけますか。集計結果をみると,78.6%が「増えている」を選んだそうです。8割近くの国民が,「非行は増えている!」とネガティブイメージを持っていると。

 しかし,犯罪社会学をやっている人にすれば常識なんですが,答えは「3」なんですよね。『犯罪白書』の長期統計をみると,少年の刑法犯検挙・補導人員(触法少年含む)は,ピークの1983年では31万7438人でしたが,2017年では5万209人にまで減っています。戦後最小です。

 「子どもの絶対数が減っているからだろ」という声もあるでしょうね。では,10代人口千人あたりの数(年間の検挙・補導人員数を,10月時点の人口で割った値)にしてみると,ピークは1981人の17.2人で,2017年は4.4人です。こちらも戦後最小です。

 事態はよくなっているのですね。にもかかわらず,世論はネガティブイメージに囚われていると。

 もっとも,非行の大半は遊び感覚の万引きです。もっとシリアスな罪種に絞ってみましょうか。まずは凶悪犯です。字のごとく凶悪な罪種で,殺人・強盗・強姦・放火の総称です。もう一つ,粗暴犯をみてみましょう。暴行・傷害・脅迫・恐喝の総称です。

 この2つの罪種で検挙・補導された少年の数を,その年の10代人口で割った出現率にします。これらの罪種は数が少ないので,10万人あたりの人数にします。以下のグラフは,1950年から2017年までの推移を描いたものです。


 シリアスな罪種に限っても低下の傾向です。2017年の数値は,凶悪犯が10万人あたり4.5人,粗暴犯が40.5人でどっちも戦後最小です。これはベース人口で割った出現率ですので,少子化の影響は除かれています。

 しかし世論はというと,上述の通り,8割近くの国民が「非行は増えている」と考えていると。たまに起きる大事件がセンセーショナルに報じられるからでしょう。『ファクトフルネス』では,良いニュースは広まりにくく,悪いニュースは広まりやすいと言われています。

 世論というのは,歪められやすいものです。別に実害はないだろうと言われるかもしれませんが,そうでもありません。国の政策は,世論に押されて決まることが多々ありますので。

 2015年に道徳が教科となり,文科省の検定教科書が使われることになりました。戦前の修身科を彷彿させますが,上記のような「非行が増えている」「子どもが悪くなっている」という世論がベースになっているのかもしれません。

 「若者のモラル」が低下しているという声も聞きますが,データでみると違っています。統計数理研究所の『国民性調査』では,4つの道徳を提示し,大切と思うものを2つ選んでもらっています。20代の若者の選択率がどう変わってきたかをグラフにすると,以下のようになります。1963~2013年までの半世紀の変化です。


 権利尊重と自由は減少し,親孝行と恩返しが増加の傾向にあります。「今の若者は自己チューで,権利ばかり主張する」とは,どの口が言った? 若者は義理堅くなっているではないですか。

 こうみると,道徳の教科化を支持する客観的なエビデンスって何だったのでしょう。知っておられる方がいたら,ご教示いただきたいものです。「子どもは悪くなっている」という,国民のネガティブ本能に押されただけのことではないのか。教育政策決定の力学が,このように歪んでいるとしたら恐ろしい。

 しかるに,「子どもはよくなっている」「教育はよくなっている」などと言うのは躊躇われるのですよね。「今のままでいいのか,こんなに問題が山積しているではないか」とどやされそうで。楽観的な状況診断が,政策を誤らせてしまったら,それこそ大変です。ひとまずネガティブ論を言っておけば問題ない。学者・評論家の仕事は,基本的には問題提起です。

 しかしながら,『ファクトフルネス』で言われていることですが,「悪い」と「良くなっている」は両立します。「悪い」とは今のことで,「良くなっている」とは過去からした変化です。この両輪を見据えることが,社会認識を歪めるネガティブ本能を抑えるのに有効だと,ハンス・ロスリングは述べています。「良くなっている」とは,今のままでOK,何もしなくていい,ということではないのです。

 えてして教育論議では,「悪い」と「良くなっている」の両輪のうち,前者ばかりを過大視しがちなので,注意したいものです。後者にも注目しないと,現場で奮闘する教育関係者の意欲も削がれるというもの。

 「悪い」と「良くなっている」の両輪がバランスよく見据えられていたら,2015年の道徳教育改革も,また違ったものになったかもしれません。

2019年2月20日水曜日

年収のジェンダー差の国際比較

 タナカキミアキが,チャンネルを移動するそうです。長年かけて育て上げた今のチャンネルを捨てると。相手との対話もせず,そういう極端な手段に出る。自信がないのでしょうね。

 私のことを色々言って下さっていますが,スルーしておきましょう。このブログを,あなたの話題で埋めるのは気持ち悪いのでね。

 本日,ニューズウィーク日本サイトにて,拙稿「年功賃金,男女格差……収入カーブから見える日本社会の歪み」が公開されています。年収の年齢カーブを国ごとに比べています。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11728.php

 当該記事の図2を見ていただければ,日本のカーブの特異性がお分かりになるかと思います。年功賃金,高齢期になると急減する,そして凄まじいジェンダー格差…。初めてグラフを見る方は,言葉を失うかと思います。

 多くの国の収入曲線を描き込むとグチャグチャしますので,日本,韓国,アメリカ,スウェーデンの4国のグラフしか紹介していません。OECD「PIAAC 2012」の対象は25か国ですが,他の国はどうか,という関心もあるかと思います。とりわけ,日本のものすごいジェンダー差は,25か国の中でどうなのか,という疑問を持たれるでしょう。

 働き盛りの35~44歳に焦点を当てて,収入のジェンダー差の国際比較をやってみましょう。OECD「PIAAC 2012」では,有業者に年収を尋ね,有業者全体の中での相対階層に割り振っています。以下の表は,日本の男女の分布表です。リモートツールで出しましたので,粗い整数値になっていますがご容赦ください。


 同じアラフォーですが,男女では分布が全然違いますねえ。男性は高収入層ほど多いですが,女性はその逆です。男性は上位10%以内が28%と最多ですが,女性は下位10%未満が50%(半分!)です。

 言わずもがな,男性はバリバリ稼ぐフルタイム就業が大半であるのに対し,女性は家計補助のパート就業が多いためです。配偶者控除(150万円)のラインを意識した働き方をしている女性も多し。

 上表の分布をもとに,年収の相対値の中央値を出してみましょう。累積相対度数が50ジャストの値です。按分比例を使って割り出します。本ブログを長くご覧いただいている方は,もう慣れっこですよね。

男性:
 按分比=(50-45)/(72-45)=0.1852
 中央値=50+(25×0.1852)=77.8

女性:
 按分比=(50-0)/(50-0)=1.0000
 中央値=0+(10×1.0000)=10.0

 男性は77.8,女性は10.0という数値です。意味はお分かりですね。普通のアラフォー男性の稼ぎは上位20%,女性は下位10%,という具合です。この差は酷い…。

 他国では,こんなに大きな開きがあるのでしょうか。私は同じやり方で,25か国のアラフォー男女の年収相対値の中央値を計算しました。結果をグラフにしますが,どういう図法にするか。ここでの主眼はジェンダー差を可視化することですので,男女のドットの開きが分かる図にしましょう。


 男性と女性の差が大きい順に,25か国を配列しました。日本のジェンダー差がダントツではありませんか。

 われわれの感覚では,「子育て中で,稼ぎ過ぎないよう就業調整しているママが多いんだから当たり前だろ」ですが,われわれが見慣れている光景は,全然普遍的ではないのですね。それどころか,国際的な標準からすれば完全にアブノーマルです。異常です。

 右側をみると,東欧の旧共産圏ではジェンダー差が小さいようですが,国民皆労働の伝統があるためでしょうか。フランスも小さいですねえ。子育て中のママといえど,シッターを雇う,家事の手抜きをするなど,バリバリ働く社会です。

 自国の状況を普遍的だと思ってはいけません。国際比較をすると,本当に日本の特異性が浮かび上がることに驚きます。だからこそ,止められないのですが。これも,「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリング)の実践の範疇に入ると,勝手に思っています。

2019年2月8日金曜日

熱中症,凍死による死者数

 明日から3連休ですが,今年最強の寒波が襲ってくるそうです。北海道ではマイナス22度,危険な寒さです。鼻水が凍ります。当地にお出かけになる方は,防寒対策をしていきましょう。

 ここ横須賀も,明日は3度までしか上がらないとのこと。雪もチラつくようなので,週末のお楽しみの長井水産には行けそうにありません。

 ここ数年,夏は異常な暑さによる熱中症が問題化されていますが,冬場には凍死があります。前者は異常な高温,後者は異常な低温に晒されることで起きるものですが,数としてはどちらが多いのでしょう。

 厚労省『人口動態統計』の詳細死因分類に,「自然の過度の高温への曝露(X30)」,「自然の過度の低温への曝露(X31)」というカテゴリーがあります。前者は熱中症,後者は凍死による死亡とみてよいでしょう。

 この数字を拾うと,2017年中の熱中症死亡者は635人,凍死死亡者は1371人となっています。数としては,凍死のほうがずっと多いのですね。倍以上の差です。こういうマイナーな死因は年による変動が大きいと思われますが,どの年でも,熱中症より凍死が多いのでしょうか。ネットでは,『人口動態統計』の詳細統計は1999年まで遡れますので,この年から2017年までの推移をまとめてみました。


 年による凹凸はありますが,熱中症・凍死による死者は,大まかには増加の傾向にあります。人口の高齢化により,抵抗力の弱い高齢者が増えているためでしょう。

 両者の数を比べると,2007年と2010年を除く年で,凍死のほうが多くなっています。先ほど述べたように,最新の2017年の死者数は,熱中症が635人,凍死が1371人です。

 数の上では凍死が多いのに,問題化されている度合いは熱中症のほうが高し。これは,熱中症は全ての人に関わる病だと認識されているからでしょうね。凍死は,雪山に挑んで遭難するとか,泥酔して路上で寝込むとか,当人の過失による部分が大きい,と思われていると。

 しからば,凍死者には若者が多いように思われますが,どうなのでしょう。2017年の死者数の年齢カーブを描くと,以下のようになります。


 予想に反して,凍死は高齢者で多くなっています。ほぼ9割が60歳以上の高齢者です。無茶をしがちな若者の凍死者はわずかしかいません。

 もう一つ,われわれの予想を裏切る統計的事実があります。凍死が起きる場所は,屋外ではないのです。2016年の『人口動態統計』の内部保管統計に,死因小分類と死亡場所のクロス集計表があります。これをもとに,熱中症と凍死の死亡場所の内訳表を作ってみました。


 どうでしょう。2016年の凍死者1093人のうち,最も多いのは自宅での死者数です。その数414人で,全体の4割近くを占めています。遭難したとか,路上で寝込んだとか,そういうのがマジョリティではないのですね。

 屋根があり,雨露をしのげる屋内でも凍死は起こり得る,いやこちらがメインであると。明日から北海道は危険な寒さになるそうですが,こんな土地で,布団をかぶらないで寝たら危ないでしょう。気温11度で命を落としたケースもあるとのこと。寒さの感覚が鈍くなる高齢者は要注意(老人性低体温症)。
http://news.livedoor.com/article/detail/14319574/

 日本の「家のつくり」も問題なんでしょうね。ある方がツイッターで教えてくれたのですが,徒然草で「家の作りやうは,夏をむねとすべし。冬は,いかなる所にも住まる」と言われているそうです。湿度が高い日本では,古来から,住居は夏向けに作られてきたと。海外はそうではなく,ヨーロッパではレンガ造りの住居が主で断熱性に優れています。ドイツでは,寒い家を貸した家主は裁判で負けるのだそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190206-00185115-hbolz-soci

 家の造りも,見直さないといけないですね。それと暖房代です。夏場の冷房代もかかりますが,額としては冬の暖房代のほうがかかります。冷房が使えず熱中症で亡くなった高齢者の事件がよく報じられますが,暖房をつけられず極寒の室内で凍死した事件も起きているはず。基本的人権(生存権)を保証する範疇として,空調代は生活保護において支給しないといけません。

 「住」は生活の基盤です。まっとうな家に住みたいというのは,誰もが願うところ。夏場で熱中症が問題化していますが,冬場の凍死についても,もっと注目されてよいでしょう。学校ではどうなのでしょう。極寒の日に,半袖・半パンの体操着で体育の授業を遣るなどという愚は,そろそろ止めにしてほしいものです。

2019年2月3日日曜日

高等教育の私費負担額の国際比較

 日本が教育にカネを使わない社会であるのは知れ渡っていますが,その根拠として出されるのが,教育費の公的支出額の対GDP比です。

 最新の2015年の統計によると,高等教育への公的支出額のGDP比は0.45%で,OECD加盟国では最低となっています。大学進学率が高い教育大国ですが,費用をどうやって賄っているのか。言わずもがな,学生の家庭に払ってもらっているわけです。高等教育への家計支出額(保護者が払った学費等)の対GDP比は0.94%,政府支出額より多いことが知られます。

 OECDの「Education at a Glance 2018」という資料から拾った数字ですが,これだけでは,学生の親がどれほど懐を痛めているかのイメージがわきません。上記の比率をGDPにかけて実額にし,推定学生数で割って,学生1人あたりの額にしてみましょう。

 2015年の日本の名目GDPは4兆3954万億8700万円です(総務省『世界の統計2018』)。先ほどの比率をこれにかけると,政府が支出した高等教育費は197億7400万ドル,家計が支出した高等教育費は412億2600万ドルとなります。

 このやり方で,高等教育費の公費と私費の実額を国ごとに計算すると,以下の表のようになります。OECD加盟の33か国のデータです。


 額が大きいのでピンときませんが,日本の数値を他国と比すとどうでしょう。ドイツやフランスの政府支出額は,日本より多いですね。これらの国の学生数は,日本よりもかなり少ないにもかかわらずです。その分,私費負担額は少なくなっています。日・独・仏の3国について,高等教育の私費負担の比重を計算してみましょうか。

 日本 = 41226/(19774+41226)= 67.6%
 ドイツ = 6314/(34172+6314)= 15.6%
 フランス = 7233/(27734+7233)= 20.7%

 日本は高等教育費の7割近くが私費(家計負担)で賄われていますが,独仏では8割ほどが公費でカバーされています。フィンランドやノルウェーでは,95%以上が公費です。

 上表の公費・私費の実額を学生数で割れば,政府ないしは家計が1人の学生につきいくら払っているかが分かります。各国の親が,子どもを大学にやるのに年間いくら負担しているかの目安になります。日本は100万円ほどでしょうか。北欧諸国では限りなくゼロに近いのでは…。

 高等教育機関の学生数を国別に知ることはできません。乱暴なのを承知で,人口統計と高等教育修了率から便法で割り出してみます。

 2015年の国連人口統計「World Population Prospects」によると,日本の15~24歳人口は1211.9万人です。これに0.7をかけて,高等教育就学年齢人口である18~24歳人口848.3万人を得ます。このうちの何%が学生かですが,2015年の25~54歳の高等教育修了者比率(51.4%)を使いましょう(OECD「Education at a Glance 2018」)。日本の高等教育機関の学生数は,848.3×0.514=436.4万人と見積もられます。

 上表の公費・私費総額を,この推定学生数で割ると,学生1人あたりの公費は4531ドル,私費は9447ドルとなる次第です。1ドルを110円とすると,1人あたりの公費は49.8万円,私費は103.9万円ですかね。大学生等の親の年間負担額はおよそ104万円。まあ,違和感のない数値です。均したらこんなもんでしょう。

 かなり乱暴ですが,同じ手法で学生1人あたりの公費・私費の実額を国別に試算すると,以下のようになります。私費負担割合は,公私の合算に占める私費の割合(%)です。


 日本の公費は50万円,私費は104万円ですが,フィンランドでは公費は204万円,私費は7万円となっています。すごいコントラストですね。フィンランドでは,家計の年間負担額はたった7万円なり。その分,政府が学生1人につき年間204万円支出していると。

 日本の家計負担が大きいのは明らかですが,これを上回る国もあります。オーストラリア,カナダ,チリ,イギリス,アメリカです。評判にもれず,アメリカの私費負担は年間232万円とメチャ高。まあ,この国では各種の奨学金が充実していることを割り引く必要はあるでしょう。国の支出額も126万円と,日本よりはうんと多くなっています。日本が「高負担・低支給」なら,米国は「高負担・高支給」の社会です。

 日本の高等教育の年間私費額は104万円で,高等教育費全体の7割ほどが家計負担で賄われていることが知られます。これが国際標準から隔たっていることは,火を見るより明らかでしょう。

 ここで試算したのは2015年のデータで,高等教育の無償化が施行される今年度以降では,日本の様相はかなり変わるかもしれません。いや,支援の対象は非課税世帯に限定されますので,そんなに変わらないか…。

 大学生等の親が年間いくら払うか。日本は100万円超ですが,33か国の平均値はその半分の55万円というところです。20万円,いや10万円にも達しない国だって存在します。ここでお見せしたのは学生1人あたりの額であり,高等教育の普及度のような要因は除かれています。教育をどう見ているかの違いでしょう。

 「北欧諸国はバカ高い税金をとっているからだ,日本でそれをやれというのか」という声が多数ですが,「消費税20%!」というような,日常生活全般に響くような政策は大きな混乱をきたすでしょうただ,次世代育成税のような課税をしてもいいかなと。介護保険税とロジックは同じです。「誰しもやがては要介護状態になる」と同時に,「子の有無に関係なく,上の世代は誰しも下の世代の世話になる」のです。

 「下の世代」が健やかに育つための費用負担を,国民皆で分担してもいいのではないか。用途としては,ここでみたような歪な高等教育財政の是正,また超薄給といわれる保育士の待遇改善等が考えられます。これで少子化に歯止めがかかるのなら,投じた費用は回収されるように思うのですが,どうでしょうか。少子化が進む最大の要因は,「教育費が高いこと」「夫婦2馬力で稼げなくなること」であるのは,各種の調査から分かり切っています。

 財政のド素人が頭の中で描いていることですので,読み流していただいていいのですが,申したいのは,未来の社会の担い手を育てるための費用は国民皆で負うべきだ,ということです。