2016年6月17日金曜日

保育士の年収の変化

 保育所不足の問題と相まって,いろいろ取り沙汰される保育士の年収ですが,このブログでも幾度かにわたってデータを示してきました。

 今回は,ここ数年でどう変わってきているのかをみてみようと思います。景気回復の影響により,労働者の給与は上がっていると聞きますが,保育士はどうなのか。給与を公的な補助金で賄われる保育士は,その恩恵を受けていないのではないか。

 おおかた,予想がつくことですが,データを出してみましょう。

 資料は,厚労省『賃金構造基本統計』です。2010年と2015年のデータをもとに,保育士の推定年収を計算してみました。各年6月の平均月収(諸手当込)に,前年の年間賞与額を足した値です。2010年の推定年収は,同年6月の月収の12倍に前年(2009年)の年間賞与額を足して出しました。2015年のそれは,「同年6月の月収×12+2014年の年間賞与額」です。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html

 これによると,保育士の推定年収は2010年が324.9万円,2015年が323.3万円と算出されます。増えているどころか,微減しています。

 これは全国の推定年収ですが,県ごとにみると様相は違っています。同じやり方で,2010年と2015年の保育士の推定年収を都道府県別に出してみました。申し忘れましたが,短時間労働者を除く一般労働者のデータです。


 2010年から2015年にかけての増分は,全国値ではマイナス1.6万円ですが,県別にみると様相は実に多様です。増えている県もあれば,減っている県もある。

 赤字は20万円以上ダウンの県です。東京は,2010年の397.7万円から2015年の352.9万円へと,44.7万円も下がっています。経験年数の浅い若手が増えたことによるでしょうが,この減少幅は大きい。

 推定年収が大幅に減っている県は,経験年数の短い保育士が増えた県が多いようですが,岐阜のように,ベテラン保育士が増えても,年収が30万円近くダウンしている県もあります。反対に香川のように,経験年数が下がっても給与が上がっている県もあり(これは希望的事例です)。

 各県の保育士の年収変化は,保育士の経験年数の変化だけではなく,待遇改善に向けた政策にどれほど本腰を入れているかの違いもあるでしょうね。

 次に,各県の全労働者と比べた相対水準はどうか,という点をみてみましょう。下表は,全労働者と保育士の推定年収が,この5年間でどう変わったかを県別に整理したものです。


 アベノミクスの効果か知りませんが,どの県でも全労働者の年収はアップしています。首都の東京は,573.7万円から623.5万円へと,50万円近くの増です。その一方で,保育士の年収は先ほどみたように45万円も下がっている。

 その結果,保育士の年収の相対水準(保育士/全労働者)は,0.693から0.566へと下がっています。2010年では保育士の年収は全労働者の7割ほどでしたが,最近では5割強というところです。

 山陰の鳥取などはもっと事態がひどく,保育士年収の相対倍率は1.059から0.546に急落しています。5年前は保育士の年収は全労働者より高かったほどだが,今では半分ほどに落ちてしまっていると。

 3月19日の記事でみたように,各県の保育士の年収の相対水準は,保育士の離職率と相関しています。相対水準が低いほど,つまり周囲と比した剥奪感を感じる度合いが高い県ほど,保育士の離職率が高い傾向です。

 景気回復により,労働者の給与は上がっていますが,保育士はそうではない。社会的需要がきわめて増しているにもかかわらず,この現象は何ともおかしいことです。保育士の給与は公的な操作が容易なだけに,政治家が腰を上がれば即座のアップも難しくはないでしょう。

 そのためにはデータが要るのですが,ここで示した資料が説得の材料になれば幸いです。県別の傾向も示しましたので,地域レベルにおいて,保育士の状況点検の材料にしていただければとも思います。

2016年6月15日水曜日

起床・就寝時間分布の年齢比較

 アメリカで,中高生の始業時間を8時半以降にすべし,という勧告が医師会より出されたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160615-00000051-reut-n_ame

 青年期には起床や就寝が遅くなる体内メカニズムが働く,という研究結果に依拠するとのこと。若者が夜更かし・朝寝をするのは,誰もが知っていること。私も今は朝型ですが,院生の頃は完全に夜型でした。部屋に差し込んでくる夕日(朝日ではありません)で目を覚ましていましたから。

 しかし,こういうことが生理的メカニズムによるとは初めて知りました。

 この記事に接して,若者の起床時間と就寝時間のデータを作ってみたくなりました。2011年の『社会生活基本調査』から分布を出してみました。出所は,下記サイトの表1-2と表4-2です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001040668&cycode=0

 仕事や学校のない,日曜日の分布を拾ってみました。若者の特徴をみるため,高齢者との比較もします。下表は,20~24歳と75歳以上の起床・就寝時間の分布表です。


 上段の起床時間をみると,高齢者は早いですね。6時台が41.4%で最も多くなっています。対して若者の最頻階級(Mode)は,8時台です。10時以降も3割近くいます。

 就寝時間の差は,もっとクリアーです。若者は半分以上が日をまたいでいます(私も,最近はそうなることが多いのですが)。一方,高齢者は大半が21~22時台に寝てしまうようです。師匠の松本先生も,夜9時ころには寝て,朝の5時半ころ起きると言っておられたなあ・・・。

 右欄の数値は,下から積み上げた累積相対度数です。黄色マークをみると,高齢者の96.6%は朝の9時までに起き,92.6%は夜中の12時までに寝ることが知られます。

 以上は分布ですが,起床時間の平均は20~24歳は8時45分,75歳以上は6時32分です。平均就寝時間は順に,24時16分,21時55分となっています。

 ここでみたのは,若者の「遅寝・遅起き」,高齢者の「早寝・早起き」という,誰もが知っている傾向ですが,データで見るとこんな感じです。年をとるにつれて,前者から後者にシフトするのですが,それが身体の生理メカニズムを反映している可能性があるとは,初めて知りました。

 青少年に,無理に早起きを強いるのは必ずしもよくない,ということになるでしょうか。寝ぼけた頭では,勉強も頭に入らないでしょう。最近,食後の昼寝を公認する学校もあるそうですが,「休む」ことは必要です。南欧流のシエスタがわが国にも根付くといいな,と思います。

 少子高齢化が進み,社会を動かす主体に高齢者が多くなったら,そうならざるを得ないでしょう。
http://tmaita77.blogspot.jp/2016/05/2050.html

2016年6月12日日曜日

年収の企業規模差

 2013年のアベノミクス以降,景気は上向きといわれますが,大企業と中小企業の利益格差が拡大しているそうです。

 当然,労働者が得る年収も大きく違っていることでしょう。年収の性差,年齢差,学歴差についてはよく言及されますが,企業規模差というのも要注意です。組織社会といわれる日本にあっては,なおさらのこと。

 いま,私と同じ30代後半男性を取り出し,学歴と企業規模のどちらが年収に強く影響しているかを検討してみましょう。年齢と性別を統制した上での比較です。

 資料は,2015年の厚労省『賃金構造基本統計』です。学歴と企業規模を組み合わせた9つの群の推定年収がどう異なるか。

 短時間労働者を除く一般労働者でみると,量的に最も多いのは,大卒の大企業(従業員1000人以上)勤務者です。この群の平均月収(諸手当込)は46.69万円,年間賞与額は172.06万円となっています。よって推定年収は,月収の12倍に年間賞与額を足して732.3万円となります。

 下表は,同じやり方で出した9つの群の推定年収です。上段に各群の労働者数,中段に全体に占める割合(%)も掲げています。話を分かりやすくするため,量的に少ない短大・高専卒は,ここでの分析から外していることを申し添えます。


 私の世代のデータですが,高学歴化が進んでいますので,中卒はマイノリティです。9つの群の中で人数的に最も多いのは,先ほど述べたように,大卒の大企業勤務者です(全体の22.0%)。その次が同じく大卒の中企業勤務者,その次が高卒の小企業勤務者となっています。

 年収ですが,同じ大卒でも企業規模によって違いますねえ。大卒の小企業では487.8万円ですが,大企業では732.3万円です。その差は244.5万円。大企業内の中卒と大卒の格差より大きくなっています。

 表の下段の年収をみると,ヨコの学歴差よりも,タテの企業規模差のほうが大きいことが知られます。年収って,学歴差よりも企業規模差のほうが大きいのですね。

 上表のデータをグラフにしましょう。9つの群の量を四角形の面積で表し,各群の年収に応じて色分けしてみました。


 ヨコよりも,タテの色の違いが際立っています。高卒大卒では,企業規模が上がるにつれて色が一段ずつ濃くなっていきます。繰り返しますが,年収の学歴差よりも企業規模差が大きいことの表れです。

 あと一つ,面白いグラフをお見せしましょう。日本では年功賃金が強いのですが,年収は年齢とも強く関連しています。「年齢×企業規模」の群で,平均年収がどう違うか。2012年の『就業構造基本調査』のデータをもとに,男性正社員のグラフを作ってみました。

 各群の平均年収の水準を,等高線の色分けで示したものです。


 年齢が高く,企業規模が大きい右下の群ほど,平均年収が高くなっています。緑色は,平均年収700万以上のゾーンです。40~50代では,ヨコの企業規模差が大きいですね。

 組織社会の日本では,個人の属性や能力よりも,勤めている会社の規模によって収入が強く規定される傾向にあると。予想ですが,個々の労働者が自分のスキルを売りにして複数の組織を渡り歩く欧米では,そうではないと思われます。

 大企業が下請け企業の仕事を買いたたく「下請けいじめ」の件数が増えているそうですが,公正の観点から注意すべきなのは,組織間の格差かもしれません。性差,年齢差,学歴差などは「同一労働同一賃金」の掛け声のもと,糾弾されるようになっていますが,企業規模間の差への関心は,これに比したら薄いのではないかと。

 2番目の面積グラフを業界ごとにつくり,各業界の自浄作用を促すことも求められるでしょう。『賃金構造基本統計』では産業別の統計もあるようですので,やってみようかと思っております。小池徹平さん主演の映画『ブラック会社に勤めてるんだが,もう俺は限界かもしれない』(2009年)では,IT業界における搾取が描かれていますが,この業界なんかは酷そうですね。ヤバい業界はどこか? 願わくは,マンパワーのある厚労省の統計部に作っていただきたいのですが・・・。

2016年6月9日木曜日

子どもの政治的関心の階層差

 選挙権の付与年齢が20歳から18歳に引き下げられ,高校生にも,社会を動かす主体として振る舞う途が開かれました。

 しかしまだ18歳の少年ですので,政治意識は未熟であるのが常。それを高めようと,高校ではいろいろな取組がなされていると聞きます(模擬選挙など)。各政党も,政策を分かりやすく伝える漫画などを作成している模様です。来月実施される参院選では,10代の投票率がどれほどになるか注目されます。

 ところで,子どもは一枚岩の存在ではありません。教育社会学では階層差に焦点を当てますが,学力の階層差があるのはよく知られていること。前回みたように,勉強の得意意識も階層によって大きく違っています(とくに算数)。

 しからば,政治への関心はどうでしょう。前回と同様,国立青少年教育振興機構『青少年の体験活動等に関する実態調査』(2014年)のローデータを使って,この点を吟味できます。下図は,小学校4~6年生の政治関心が,家庭の年収によってどう違うかをグラフにしたものです。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/107/


 小学生のデータですが,年収が高い家庭の児童ほど政治的関心が高いという,きれいな相関がみられます。最も強い肯定の回答割合は,年収200万未満の貧困層では9.0%ですが,1000万超の富裕層では20.6%と倍以上です。

 学力や勉学嗜好と同じく,こういう面の社会的規定性もあることを知っておかねばなりません。

 なぜこういう差が出るかですが,家庭においてどれほど政治の話をするか,ニュースをどれほどみるか,新聞をとっているか,といった要因に影響されるでしょう。

 ちなみに新聞を購読しているかどうかは,家庭の年収と関連しています。小学生の親世代(30~40代)の新聞購読状況を世帯年収別にみると,下図のようになります。同じく国立青少年教育振興機構が実施した,『子どもの読書活動の実態とその影響・効果に関する調査研究』(2013年)のローデータから作成したグラフです。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/72/


 年収が高い世帯ほど朝日新聞を読んでいるという傾向はさておき,ここで注目すべきは,新聞を読まない層(右端)の比重です。おおむね,年収が低い層ほど新聞を読まない傾向が見受けられます。

 小学生の親世代のデータですが,こういう違いが子どもの政治的関心に投影される可能性は否めないでしょう。

 しかしそれよりも重要と思われるのは,やはり親のモデルです。保護者の政治的関心が高く,当たり前のように毎回投票する姿を目にする子どもは,自ずと政治的関心も高くなるでしょう。下図は,同じく小学生の親世代の投票行動の階層差をグラフにしたものです。


 「すべての選挙で投票する」の肯定率は,年収が高い層ほど高い傾向にあります。最初にみた小学生の政治的関心の階層格差は,親世代の投票行動のそれを反映したものである可能性も大です。

 政治意識(行動)の階層差ですが,これがあまりに強くなると「強者による強者のための政治」になり,既存の体制が再生産されやすくなります。

 貧困に象徴されるように,厳しい生活条件に置かれている者ほど,社会問題に対する鋭い関心を持っているものです。それは政治的関心に昇華されてはじめて,社会変革に結び付くことができます。学校の政治教育でなすべきは,それを促すことです。

 言わずもがな,社会変革の合法的な手段は政治参画(投票)であって,暴動やテロなどではありません。しかし現状では,貧困層のパワーが後者のよからぬ方向に向いてしまう可能性がある。あるいは,政治に見切りをつけ,自分たちの内の閉じこもり,結果として社会分裂が生じる恐れもありです。

 学校の政治教育では,彼らが現に直面している問題を取り上げ,それは政策によって解決できる,ということを具体例をもって提示するとよいと思います。その点で私は,高等学校において「社会問題」科という教科を作ったらどうかと思っているのですが,いかがでしょう。次期学習指導要領で構想されている,説教臭い「公共」科よりもです。

 それはさておき,政治教育の目標の一つは,生徒たちの政治的関心を高めるですが,その階層格差を縮めることにも注意する必要があるでしょう。最初のグラフは,小学校4~6年生の政治的関心の階層差ですが,これが中学生や高校生になったら,どういう模様になるか。階層差は消えているかどうか。この点も,政治教育の成果を測る重要な指標です。

 国立青少年教育振興機構『青少年の体験活動等に関する実態調査』(2014年)では,小学生しか保護者調査が実施されてないのが残念です。中学生や高校生についてもそれを実施し,今回みたような政治意識をはじめ,自尊心や将来展望の階層差が,学校教育を通じてどう変わるかを解明できるようにしてほしいです。

 身体の成長も含め,子どものドラスティックな分化(segregation)が生じてくるのは,思春期以降です。好ましい方向に動くのは誰か? 社会階層との関連を明らかにするのは,教育社会学のきわめて重要な課題といえます。

2016年6月7日火曜日

教科の得意率の階層差

 学校の成績に階層格差があるのは,教育社会学で繰り返し明らかにされていることです。国立青少年教育振興機構『青少年の体験活動等に関する実態調査』(2014年度)のローデータを使って,この点に関する実証データを作ることができます。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/107/

 本調査の対象は,小学校4~6年生,中学校2年生,高校2年生ですが,小学生については保護者調査も合わせて実施し,家庭の年収も訊いています。

 小学生のサンプルを使って,家庭の年収と勉強の得意意識のクロスをとると,下図のようになります。無回答は除いた,回答分布です。

 意識と実際の成績は違いますが,自分の成績を念頭に得意かどうかを答える児童が多いでしょうから,問題はないでしょう。


 年収が高い群ほど,「勉強はとても得意」と評する児童の比率が高くなっています。年収200万未満の貧困層では10.0%ですが,年収1000万超の富裕層では29.5%,およそ3倍です。 逆に,最も強い否定の回答比率は,貧困層ほど高くなっています。

 攪乱が全くない,きれいな傾向です。家庭の経済資本や文化資本の差の反映であることは,言うまでもありません。

 ところで,一口に勉強といっても,内容は多岐にわたります。たとえば学校には複数の教科がありますが,得意度が家庭環境要因と関連するレベルは,教科によって異なると思われます。

 上記の調査では,対象の小学生に対し,8つの教科と外国語活動が得意か否かを訊いています。最高学年の6年生のサンプルを取り出し,算数と家庭の得意率が,家庭の年収によってどう変わるかをグラフにすると,以下のようです。


 算数の得意率は,家庭の年収ときれいに比例しています。しかし家庭はそうではなく,むしろ年収が低い層のほうが得意率は高くなっています。

 家庭の内容は,裁縫やり料理など,実生活に即したものですが,低収入層の子どもは,自宅でそれをする(させられる)機会が多いので,得意率が高いのでしょうか。

 これは6年生の算数と家庭の傾向ですが,他学年や他教科ではどうでしょう。4~6年生の各教科について,年収階層の両端(200万未満,1000万超)の得意率を出し,表に整理してみました。貧困層と富裕層の比較です。


 教科によって,得意率の階層差の様相は違っています。おおむね,座学の教科では富裕層の方が高く,実技系ではその逆になっています。算数は前者,家庭は後者の典型例です。

 赤色は,富裕層の得意率が貧困層の1.2倍以上であることを示します。階層格差が大きい教科ですが,要注意はやはり算数ですね。4年生では1.73倍,5年生では1.99倍,6年生では2.01倍というように,学年を上がるにつれて,階層差が開いていく傾向もあります。

 内容が高度化し,塾通いなどができる子が有利になる,ということだと思われます。

 外国語活動(英語)は,階層差が学年を経るにつれ小さくなってきます。やりだしの4年生では,幼少期の英語教室通いの違いなどが反映されるのでしょう。

 学力の階層差を縮めようという実践がされていますが,観察される格差は,教科によって異なるようです。「個に応じた指導」の重点の置き具合も,教科によって違ってきます。データで要注意の部分を析出し,個別指導の力点の傾斜を設けるなど,一様ではない対策も求められます。

 蛇足ですが,富裕層の家庭科の得意率が低いことは,生活構造の歪みの投影といえるかもしれません。過度の塾通いなど。

2016年6月5日日曜日

人口あたりの学習塾数マップ

 5月4日の記事では,本屋さんの数が90年代初頭から最近にかけてどう変わったのかをみました。ネット書店の台頭により,街の本屋さんの数は減ってきています。

 情報化という社会変化の所産ですが,数の変化が,社会の変化に対応していない事業所もあります。それは,学習塾です。わが国では少子化が加速度的に進んでいることを考えると,学習塾は淘汰されて減っているように思えますが,現実はその逆です。

 総務省『経済センサス』の事業所産業小分類統計によると,学習塾の数は,1991年では45,856でしたが,2014年では55,037に増えています。この期間中,子ども人口は減っていますから,子ども人口あたりの学習塾数も増えています。年少人口1万人あたりの塾数は,1991年が20.9,2014年が33.9です。
http://www.stat.go.jp/data/e-census/2014/index.htm

 これは全国の数値ですが,都道府県別に計算し,マップにすると以下のようになります。県別の数値については,下記ツイートをご覧ください。
https://twitter.com/tmaita77/status/737214853660606464


 この15年間で,地図の模様が濃くなっています。首都圏よりも,近畿や四国で塾は多いのですね。それと広島。近畿では早期受験が多いでしょうから頷けるのですが,はて四国はなぜでしょう。

 それはさておき,上の地図の模様変化は,子どもの生活の「塾」化が進んでいることをうかがわせます。通塾率の比較データ見当たりませんが,おそらくは,どの年齢でも塾通いをする子どもは増えていることでしょう。

 1991年といったら,私が中3の頃ですが,田舎だったこともあるでしょうけど,塾通いをする子はそう多くなかったと記憶しています。

 しかし現在,それも都市部ではそうではありますまい。前に卒論ゼミをもったとき,ゼミ生諸君に学校体験レポートを書いてもらったことがありますが,通塾経験率は100%,皆が皆,塾通いの経験者でした。

 今,「都市部」と書きましたが,大都市・東京内部の地域別に同じ指標を計算し,ランキングにすると下表のようになります。


 上位5位は,千代田区,武蔵野市,国立市,渋谷区,豊島区ですか。教育熱心な親御さんが多い地域のように思えますが,塾の側もそれを見込んで,立地戦略を立てているのでしょうか。

 塾というのは,学校の勉強を補いたい,受験のための高度な学習をしたい,という動機で行くものですが,最近では,そういう目的の有無に関係なく,すべての子どもが塾通いを強いられるような状況になっているようにも思えます。

 生活保護世帯の子どもの通塾費用を公的に援助する取組がなされていますが,塾通いをするのがノーマルで,それをしないのはアブノーマル。もちろん,貧困の世代連鎖を防ごうという意図での実践には敬意を表しますが,2つの学校(two schools)に通うことを強いられる,今の子どもは大変だなとも思うのです。

 私は子どもの頃,夕方まで教室で座学してヘトヘトなのに,それをさらに夜遅くまでやらされるなんてまっぴら御免と考えていました。

 子どもの生活の場は,大雑把にいって,家庭,学校,地域社会に区分されますが,2番目の学校があまりに肥大し過ぎて,残りの2つを圧迫してしまっている。子どもの生活は,これら3つの場での生活が均衡しているとき,健全と判断されます。「くらし・まなび・あそび」は,子どもの人間形成にとって,異なる意味合いを持っています。「まなび」だけでは,偏った人間ができてしまうことは,明白なこと。

 私の予想ですが,上記の3つの場での生活が最も均衡しているのは,秋田ではないかと。この県は,小学生の通塾率は最下位です。しかし,よく知られているように学力は常にトップ。最近の学力テストでは,知識だけでなく思考力や行動力をも含む「確かな学力」の計測が目指されていますが,この種の力量を育むには,やはり「くらし・まなび・あそび」の均衡が重要だということでしょうね。ちなみに公立小学校6年生のデータでみると,47都道府県の通塾率と教科の正答率はマイナスの相関関係にあります。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=7513

 わが国は,子どもにとって「教育過剰」,大人にとっては「教育過少」の状況にあるのではないか。大学も,どんどんやせ細っていく18歳人口を必死で奪い合っている。その持てる資源を成人教育に振り向けるべきでしょう。2050年の人口ピラミッドにみるように,わが国では少子高齢化が極限まで進みます。現代は生涯学習の時代であり,子ども期は,生涯にわたって学ぶ意欲を涵養する時期で,学習への嫌悪感(押し付けられ感)を植え付けられる時期ではないのです。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/20-12.php

2016年6月3日金曜日

自尊心格差

 国立青少年教育振興機構『青少年の体験活動等に関する実態調査』(2014年度)のローデータが公開されました。資格申請すれば,エクセルファイルでDLできます。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/107/

 調査対象は小学校4~6年生,中学校2年生,高校2年生です。小学生については保護者調査も実施し,家庭環境や育児方針についても尋ねています。

 最新の2014年度調査の目玉は,家庭の年収を訊いていることです(保護者調査票,問14)。これを子どもの勉学嗜好や自己意識とクロスしてみると,面白い。子どもの発達の社会的規定性が,リアルに明らかになります。

 昨日,早速ローデータをDLし,いくつかの設問とクロスしてみたのですが,「おお」という傾向が出てきました。それは,自尊心との関連です。「今の自分が好きだ」という項目に対する4段階の回答を求めるものですが,小学生の回答分布を,家庭の年収群ごとにみると下図のようになります。


 各群とも,十分なサンプルサイズです。グラフによると,年収が高い家庭ほど,「自分を好き」と考える子どもが多い傾向にあります。「とても思う」という強い肯定の割合は,年収200万未満の貧困家庭では20.1%ですが,年収1200万超の富裕層では倍の40.4%となっています。

 日本の子どもの自尊心が低いのはよく知られていますが,家庭の年収とこうも明瞭に関連しているとは。家庭環境とリンクした,自尊心格差なる現象があることがうかがえます。

 自尊心(self-esteem)というのは,他者から認められる経験を積むことで育まれますが,それがどれほど得られるかは家庭環境で異なる面はあるでしょう。勉強や運動の出来も,家庭の経済水準と関連しています(学力格差,体力格差)。よって褒められる経験の量が違い,上記のような自尊心格差となって表れる。こういう事態も想起されます。

 家族病理の影響も考えられます。生活苦(貧困)は虐待やDVなどを生じせしめる条件になり得ますが,こういったトラブルに遭遇した子どもの自尊心が低いことは,よく指摘されるところです。虐待を受けた子どもは自尊心を剥奪され,「褒める」指導が通用しなくなる。
http://mainichi.jp/articles/20151024/ddf/041/040/008000c

 想像をめぐらすとキリがありませんが,日本の子どもの場合,やはり学校の成績が自尊心の基盤になっていることは否めないでしょう。それは,学年を上がるほど,家庭の年収と自尊心の関連がクリアーになることから知られます。

 「今の自分が好きだ」という項目に「とても思う」と回答した児童の割合が,家庭の年収階層に応じてどう変化するか。小学校4年生と6年生を比べると,様相は異なるのです。


 4年生では関連がクリアーではないですが,6年生になると,富裕層の家庭の子どもほど自尊心が高いという傾向が明瞭になります。

 上図の傾向は,「高年収→高学力(成績)→高自尊心」という因果経路の表現かと思います。中学生,高校生になったら,右上がりの傾斜はもっと強くなると予想されます。

 学力の相対テストにさらされる機会が多くなり,かつその出来が将来の進路に影響する。こういう社会では,年齢が上がるにつれて,青少年の自尊心の基盤が成績に矮小化されてしまうのは,無理からぬこと。他国でも,こういう傾向があるのか,ぜひ知りたいものです。

 子どもの興味・関心は,年齢を上がるほど分化してきます。よって普通に考えると,年齢を上がるにつれて自尊心の基盤は多様化していくはずですが,現実にはその逆になっている。

 小学校高学年や中学生にもなれば,「こういうことをしたい,こういう道に行きたい」と表明する子どもも増えてきます。いささか突飛なものでも,「そんなことができて何になる」などと頭ごなしに否定しないで,それを伸ばしていく構えも持ちたいものです。

 嫌がる子を無理に大学に行かせ,当人が大卒ニートになった時,それに気づく親御さんが多いのでしょうね。

 自尊心は,人として生きていくための基盤になるものですが,それまでもが社会階層に規定されるというのは,憂うべき事実です。