小学校の教員採用試験の要点整理集を執筆しています。小学校の試験では,9教科の内容のほかに,学習指導要領についても出題されます。学習指導要領とは,各学校が教育課程を編成する際に依拠すべき国家基準のことです。各教科の目標や内容のほか,指導にあたっての配慮事項なども,事細かに記載されています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/zu.htm
現在,図画工作の章を書いています。図画工作の内容は,大きく,「表現」と「鑑賞」に分かれるのですが,後者の指導内容として,高学年では,「我が国や諸外国の親しみのある美術作品,暮らしの中の作品などを鑑賞して,よさや美しさを感じ取ること」というものが挙げられています。芸術作品の「よさや美しさを感じ取ること」など,教師から綿密な手ほどきを受けたとしても,育ちの悪い私には,なかなかできそうにはありません。
この種の鑑賞能力は,学校での授業によって一朝一夕に身につくものではなく,子どもがどういう家庭環境で育ってきたかに大きく規定されます。たとえば,保護者が芸術好きで,美術館に連れて行ってもらう頻度が高い子どもほど,芸術作品の鑑賞能力の素地は備わっていると思われます。
となると,保護者の芸術嗜好がものをいうわけですが,それは,最終学歴の程度によって大きく異なるのです。総務省『平成18年・社会生活基本調査』の統計から,2005年10月から2006年10月までの間に,美術鑑賞(テレビ,DVDなどは除く)を一度でもした者の比率を,最終学歴別に出すことができます。小学生の親世代にあたる30代の男女について,数字をお見せしましょう。出所は,下記サイトの表65-1です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001008009&cycode=0
最終学歴で最も多いのは,男女とも高卒です。高卒の男性でいうと,ベースの人口401万人のうち,最近1年間において一度でも美術鑑賞をした者は29万人だそうです。よって,美術鑑賞行動実施率は7.3%となります。この数字は,学歴を上がるほど高くなり,大学・大学院卒業者では,22.3%にもなります。
女性では,こうした学歴差がもっと顕著です。大卒では,鑑賞率が39.2%にも達します。高卒のおよそ3倍です。女性(母親)のほうが,子どもと接する頻度は高いでしょうから,親世代の芸術嗜好の学歴差は,子どもに大きく反映される可能性があります。保護者が高学歴の子どもほど,学校の図画の授業で高い成績を修める,というように。
ここで述べていることは,ピエール・ブルデューが提起した「文化的再生産」の理論に通じます。上流階層の子弟ほど,文化的な家庭環境が整っており,学校で教えられる抽象的な教授内容にも親しみやすい。結果,彼らは学校で高い成績を修め,引いては,親と同様,高い地位を手に入れる。つまり,文化資本という「見えざる」資本によって,親から子へと高い地位が再生産されていることになります。ブルデューは,このような過程を「文化的再生産」と呼んだのです。
一見,公平な競争の場に見える学校において,文化を介した「見えざる」不平等が進行していることを暴いたブルデューの功績は大きい,というべきでしょう。上記のデータをみる限り,わが国の学校でも,文化的再生産の過程が潜んでいるのではないか,という懸念が持たれます。
2008年,2009年に改訂された新学習指導要領のキーワードは「生きる力」です。「基礎・基本を確実に身に付け,いかに社会が変化しようと,自ら課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力」と定義されています(1996年7月,中教審答申)。
とても曖昧です。曖昧なだけに,教師の評価も,多分に主観的なものにならざるを得ないのではないでしょうか。子どもの品性や立ち振る舞いなど,社会階層の影響を多分に受ける要素が,評価の因子として入り込んでくる恐れがあります。
「生きる力」を身につけるのは誰か。教育を蝕む「見えざる」メカニズムの解明を使命とする,教育社会学の重要課題であるといえましょう。