しょーもない争いの記録でブログが染まっていますので,小ネタでも書きましょう。
ハンス・ロスリングの名著『ファクトフルネス』(日経BP社)を読んでいます。寝る前に,布団の中でちびちび読んでいます。一文一文を噛みしめるように読んでいます。
https://shop.nikkeibp.co.jp/front/commodity/0000/P89600/
バカ売れしているようですねえ。どの書店に行っても,最前列の売れ筋棚に鎮座しています。以下は,紀伊国屋横浜店の陳列棚です。
事実(fact)に基づいて社会を把握する心構えについて説かれています。一般人が陥りがちな社会認識の歪みとして,10の本能が挙げられています。ここにて注目したいのは,ネガティブ本能です。世の中,悪くなっていると思い込むと。
この本ではいくつかのクイズが出されていますが,日本社会に即した問題を出してみましょうか。2015年の内閣府『少年非行に関する世論調査』では,20歳以上の成人に対し,「少年非行は増加していると思うか」と尋ねています。
https://survey.gov-online.go.jp/h27/h27-shounenhikou/index.html
1.増えている
2.変わらない
3.減っている
あなたは,どれに〇をつけますか。集計結果をみると,78.6%が「増えている」を選んだそうです。8割近くの国民が,「非行は増えている!」とネガティブイメージを持っていると。
しかし,犯罪社会学をやっている人にすれば常識なんですが,答えは「3」なんですよね。『犯罪白書』の長期統計をみると,少年の刑法犯検挙・補導人員(触法少年含む)は,ピークの1983年では31万7438人でしたが,2017年では5万209人にまで減っています。戦後最小です。
「子どもの絶対数が減っているからだろ」という声もあるでしょうね。では,10代人口千人あたりの数(年間の検挙・補導人員数を,10月時点の人口で割った値)にしてみると,ピークは1981人の17.2人で,2017年は4.4人です。こちらも戦後最小です。
事態はよくなっているのですね。にもかかわらず,世論はネガティブイメージに囚われていると。
もっとも,非行の大半は遊び感覚の万引きです。もっとシリアスな罪種に絞ってみましょうか。まずは凶悪犯です。字のごとく凶悪な罪種で,殺人・強盗・強姦・放火の総称です。もう一つ,粗暴犯をみてみましょう。暴行・傷害・脅迫・恐喝の総称です。
この2つの罪種で検挙・補導された少年の数を,その年の10代人口で割った出現率にします。これらの罪種は数が少ないので,10万人あたりの人数にします。以下のグラフは,1950年から2017年までの推移を描いたものです。
シリアスな罪種に限っても低下の傾向です。2017年の数値は,凶悪犯が10万人あたり4.5人,粗暴犯が40.5人でどっちも戦後最小です。これはベース人口で割った出現率ですので,少子化の影響は除かれています。
しかし世論はというと,上述の通り,8割近くの国民が「非行は増えている」と考えていると。たまに起きる大事件がセンセーショナルに報じられるからでしょう。『ファクトフルネス』では,良いニュースは広まりにくく,悪いニュースは広まりやすいと言われています。
世論というのは,歪められやすいものです。別に実害はないだろうと言われるかもしれませんが,そうでもありません。国の政策は,世論に押されて決まることが多々ありますので。
2015年に道徳が教科となり,文科省の検定教科書が使われることになりました。戦前の修身科を彷彿させますが,上記のような「非行が増えている」「子どもが悪くなっている」という世論がベースになっているのかもしれません。
「若者のモラル」が低下しているという声も聞きますが,データでみると違っています。統計数理研究所の『国民性調査』では,4つの道徳を提示し,大切と思うものを2つ選んでもらっています。20代の若者の選択率がどう変わってきたかをグラフにすると,以下のようになります。1963~2013年までの半世紀の変化です。
権利尊重と自由は減少し,親孝行と恩返しが増加の傾向にあります。「今の若者は自己チューで,権利ばかり主張する」とは,どの口が言った? 若者は義理堅くなっているではないですか。
こうみると,道徳の教科化を支持する客観的なエビデンスって何だったのでしょう。知っておられる方がいたら,ご教示いただきたいものです。「子どもは悪くなっている」という,国民のネガティブ本能に押されただけのことではないのか。教育政策決定の力学が,このように歪んでいるとしたら恐ろしい。
しかるに,「子どもはよくなっている」「教育はよくなっている」などと言うのは躊躇われるのですよね。「今のままでいいのか,こんなに問題が山積しているではないか」とどやされそうで。楽観的な状況診断が,政策を誤らせてしまったら,それこそ大変です。ひとまずネガティブ論を言っておけば問題ない。学者・評論家の仕事は,基本的には問題提起です。
しかしながら,『ファクトフルネス』で言われていることですが,「悪い」と「良くなっている」は両立します。「悪い」とは今のことで,「良くなっている」とは過去からした変化です。この両輪を見据えることが,社会認識を歪めるネガティブ本能を抑えるのに有効だと,ハンス・ロスリングは述べています。「良くなっている」とは,今のままでOK,何もしなくていい,ということではないのです。
えてして教育論議では,「悪い」と「良くなっている」の両輪のうち,前者ばかりを過大視しがちなので,注意したいものです。後者にも注目しないと,現場で奮闘する教育関係者の意欲も削がれるというもの。
「悪い」と「良くなっている」の両輪がバランスよく見据えられていたら,2015年の道徳教育改革も,また違ったものになったかもしれません。