上記の問いを投げかけられた場合,おそらくは「NO」と答える方も少なくないと思います。はて,統計でみるとどうなのでしょう。内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2013年)において,上記の設問がそのまま盛られています。各国の若者の回答を比べてみましょう。
私は,本調査のローデータを加工して,20代の学校卒業者の回答分布を明らかにしました。下図は,それをグラフにしたものです。どの国も,350人以上のサンプルがあります(日本は490人)。
日本は,他国に比して肯定の回答が少なくなっています。他国は7~9割が「意義があった」と答えていますが,日本は半分ほど。逆にいえば,残りの半分は「意義がなかった」と考えていることになります。
日本の職業教育の脆弱性はよく指摘されるところですが,卒業生の評価もそれを表しているようです。わが国の場合,上記のサンプルの多くは大卒者ですが,職業教育に特化した専門大学をつくろう,という議論がなされています。確かに,ユニバーサル化した大学教育の大半がアカデミックなんて,ポエムですしね。
次に,属性によって回答がどう違うかをみてみましょう。上図のサンプルは20代の学校卒業者ですが,その中にはしっかりとした形で職業生活に参入している者もいれば,そうでない者もいます。私は,日本の男性サンプルを正規職員とその他(非正規職員,失業,無職)に分かち,両群の回答分布を比較してみました。性別の影響を除くため,男性のサンプルを使っています。
学校時代,仕事に有用な教育を受けたと評する者の率は,正社員で高くなっています。見方を変えると,職業的意義の高い教育が正社員の地位ゲットにつながりやすいと。
まあ,ここでいう評価はあくまで自己評定であり,「一つのことをじっくり追求する構え」や「考える力」というような,曖昧な事柄が想定されているのだと思われます。職業に直結するスキルを念頭に,学校教育は仕事の能力獲得の上で意義があったと評している者は多くないでしょう。
職業教育の専門大学をつくろうという議論は,後者のようなはっきりとした職業的意義を高めることを想定しているのでしょうが,「役立つスキルは陳腐化が速い,汎用性がない」ともいいます。変動が激しい時代にあっては,こちらの面を強調し過ぎてもいけません。既存のシステムのよい所は残し,その上に必要な新たな要素を付加する。「産湯と共に赤子を流す」ことがあってはなりません。
目下台頭している「文系大学切り捨て論」にも,このことは言えるのではないか,と考えています。