昨日の文科省の発表によると,2015年度の私大の平均年間授業料は86万8447円で,過去最高を記録したそうです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/1396452.htm
記録更新は毎年のことですので,驚くに値しませんが,「高い」の一言に尽きます。その一方で,親世代の所得は減ってきていますので,家計の負担は大きくなっています。今や親を頼れず,学費稼ぎの無理なバイトをしたり,奨学金という借金をフルに借り込む学生も少なくありません。
私は,このトレンドをグラフで表してみたいと考えました。大学の授業料推移はググれば一発で出てきますが,親世代の所得の推移を重ねたものは見つかりません。あるにしても,全世帯の所得変化とリンクさせたものだけ。
全世帯の所得減少は,高齢化(乏しい年金暮らし世帯の増加)によりますので,これは使わないほうがよいでしょう。願はくは,大学生の親世代の世帯に限定したいもの。
厚労省の『国民生活基礎調査』に,世帯の年間所得分布を,世帯主の年齢層別に集計したデータがあります。年齢区分は10歳刻みになっていますが,世帯主が40~50代の世帯を,大学生の子がいる世帯と見立てることにしましょう。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/20-21.html
最新の2016年版の資料には,前年(2015年)のデータが掲載されています。
両裾が低く,真ん中辺りに山があるノーマルカーブではないようです。最も多いのは,所得1200~1500万円の階級となっています。バリバリの働き盛りで,共働きの世帯も多いでしょうから,こうなるでしょうか。
この幅広い分布を,一つの代表値に集約しましょう。極端な値に引きずられる平均値ではなく,中央値(Median)にします。上記の3216世帯を所得が高い順に並べた時,ちょうど真ん中にくる世帯の所得がナンボかです。
右端の累積相対度数から,中央値は所得600~650万円の階級に含まれることが分かります。按分比例の考えを使って,中央値(50.0)がこの階級の中のどこにあるかを推し量ります。以下の2ステップです。
① (50.0-46.2)/(51.2-46.2)= 0.753
② 600万円+(50万円 × 0.753)≒ 637.7万円
世帯主が40~50代の世帯の年間所得の中央値は,637.7万円と出ました。まあ,違和感はない数値ですね。これは2015年のデータですが,上記の厚労省資料は1996年版までをネットで見れますので,1995年以降の20年間の推移を辿ることができます。
95年といえば,私が大学に入った年。当時と今では状況は変わっているでしょう。親世代の所得の変化と,国公私立大学の年間授業料のそれを併行させると,以下の表のようになります。国立の授業料は,2004年の独法化以降は,国が示した標準額です。公私立大学の額は平均値です。ソースは,冒頭のリンク先の文科省統計です。。
黄色マークは観察期間中の最高値,青色マークは最低値です。
予想通り,親世代の所得は減ってきています。ピークは96年の752.4万円でしたが,2015年現在では637.7万円までダウンしています。115万円の減です。
その一方で,大学の授業料は年々上昇しています。1995年と2015年の両端を比べると,国立は8.8万円,公立は9.7万円,私立は14.0万円の増です。私立の負担増が顕著ですが,私大の比重が高いわが国にあっては,家計へのダメージは大きい。
上表に示されたヤバいトレンドをグラフにしましょうと凹凸が結構ありますので,3年間隔の移動平均法で推移を滑らかにします。当該年と前後の年の数値(3年次)の平均をとるわけです。たとえば2000年の数値は,99年,00年,01年の平均をとります。
このやり方で,親世代の世帯の所得中央値と私大授業料のカーブを描くと,下図のようになります。
きれいな「X」になりました。家計の余裕のなくなりと,それを顧みない(冷酷な)学費増加。大学生のブラックバイトや奨学金返済地獄は,こういう条件に由来することを忘れてなりますまい。
この問題がようやく認識されてきたようで,大学の授業料無償化について議論されています。高等教育は個人的な投資の意味合いが強いので,無償化はどうかという意見もあるようですが,教育を受けることは,奢侈品を買うのとは違います。法律で規定された「権利」です。それが家庭の経済条件に左右されることがあってはならぬこと。
教育基本法第4条は「教育の機会均等」について定めていますが,それは初等・中等教育のみならず,高等教育にも適用されます。
ただ大学の場合,一律に無償化を図るのは,富裕層を優遇することにもなるでしょう。金持ちだらけの大学もありますので。
高等教育のどの部分を無償にするかが議論の焦点のようですが,まずは全体の学費の水準を下げ,貧困層に特化した授業料の減免枠を拡大するのがいいと,私は考えています。特定の部分に資源を注入する(狭く深く)ではなく,まずは「浅く広く」から始めたほうがいいと思います。
私は,大学院以降はずっと授業料免除をもらいましたが,これにはホント救われました。私のような貧乏人が大学院博士課程まで学べたのは,この制度のおかげです。しかるに今は,独法化の影響もあり,枠がうんと減っているとのこと。それでもって,特定の部分を無償化したり,奨学金の貸付を増やすというのは,教育の機会均等に寄与しないでしょう。
要は,「下」に手厚くする,ということです。2010年度に高校無償化政策が実施され,公立高校の学費が軒並み無償になりましたが,2014年度に制度改正されました。授業料の無償は止め,所得が一定水準以下の困窮家庭の生徒に就学支援金を支給する方式に変わりました。所得制限を設ける代わりに,浮いた財源で「下」に対する支援を手厚くする。これと類似のことを,大学段階でもやったらいいのではないか。
日本の大学の授業料はバカ高なのですが,問題なのは,このことによって,大学教育を受けるチャンスが家庭の経済力によって制約されることです。こういう事態は,法が定める「教育の機会均等」の理念にも反すること。先決なのは,この病理を治癒することです。特定部分の無償化よりも,全体の学費の水準を下げる,貧困層を対象とした学費の減免枠を増やす。私がこう主張する所以です。
高等教育の無償化という,インパクト100%の政策が目的化してしまってはいけない。何のためにそれを行うのか。原点を見失わないようにしたいものです。