今週から,後期の授業が始まりました。後期は,某大学の教職課程で,「教育社会学」を担当します。初回の昨日は,教育の社会的機能についてお話しました。
簡単にいえば,教育が社会の中で果たしている役割のことです。それにはいろいろあるのですが,主なものとして,選抜・配分機能というものがあります。社会には,威信や収入を異にする無数の地位(職業)があります。教育の役割は,社会への新参者(子ども)を,合理的なプロセスを経て,それらの地位に配分することです。
学校がなかった時代では,世の中の各種の地位への配分は,もっぱら世襲や人脈(コネ)によってなされていました。しかし,近代以降では,学校における競争という,合理的で公平な手段がそれに取って代わっています。もっとも,学校での競争とて,完全に公平であるのではないのですが。
毎年のことですが,このような話をすると,学生さんは怪訝な顔をします。とくに,「社会には,威信や収入を異にする無数の地位(職業)がある」というテーゼが気にいらないようです。以前,リアクションペーパーを出してもらったところ,「職業に貴賎はありません!!!」とデカデカと書かれたことがあります。感嘆符3個入りです。よほど頭にきたのでしょう。
確かに,理念の上ではそうでしょう。しかし,得るこのとできる収入や威信が職業によって異なることは,数字によって客観的に表現することができます。前者は年収(月収)の額で測ることができますし,後者にしても,職業威信スコアという尺度が開発されています。
このような弁明を行ったところ,授業後に,「職業に貴賎はありません!!!」と書いた張本人が名乗り出てきました。気丈そうな女子学生です。
「職業で収入の差があるのは分かりますが,そのこと自体がおかしいのではないですか?程度の問題ですが,なるべく平等であるべきではないですか?収入が高い職業と低い職業では何が違うのですか?」などと,機関銃のようにまくし立ててきます。
最後の質問ですが,収入の職業差というのは,いったいどういう要因によるのでしょう。「あなたは,どう思いますか」と問い返したところ,「分かりませんが,私としては,働く時間の長さで収入は決められるべきだと思います」という答えでした。微塵のためらいもない,即答です。
そうですねえ。働く時間が長い者ほど多くの汗をかいているわけですから,高いお給料を得て然るべきかもしれません。現実はどうなっているのでしょう。興味を覚えたので,厚労省の『賃金構造基本統計調査』にあたってみました。当該の資料には,常用の男女一般労働者の就労時間と給与額が,職業別に記載されています。最新の2010年調査から,129の職種の数字をハントしました。月あたりの平均値です。
129の職業を,2変数のマトリックス上に位置づけてみると,上図のようです。点線は,129職業の平均値です。月あたりの労働時間は167時間,月給は30.9万円というのがフツーの水準です。
分布の様相をみると,残念ながら,先の学生さんがいう理想郷のようにはなっていないようです。むしろ,労働時間が長いほど給与が低いという,負の相関がうっすらとみえます。
給与のベスト5は,弁護士(95.6万円),航空機操縦士(90.0万円),医師(87.5万円),大学教授(67.2万円),公認会計士・税理士(59.7万円),です。弁護士をのぞいて,これらの職の労働時間はさして長いものではありません。
それぞれの職業の給与水準は,職務の専門性の度合いや,なるまでに要する訓練投資額の多寡などによって規定されるのでしょう。大学の教員になるには,30~35歳頃まで,食えない無職期間を過ごさなくてはいけないわけです。大学教員は儲かるといわれますが,若いころの無職期間の長さを勘案すると,生涯所得はそれほど多くはない,という見方もあります。
ひとまず,先の学生さんには,このような趣旨の説明をしました。また,空想主義社会主義の世界でもあるまいし,すべての人間の給与が同じなんて,あまりにもつまらないではないか。世の中には,威信や収入を異にする地位がひしめいていてよい。しかし,それらの地位への配分の仕方は,できるだけ公平でなければならない。それが教育の役目だ。このように述べました。
竹を割ったような性格の子で,あっさりと考えを変えてくれました。通すところは通す,折れるところは折れる。とてもバランスのとれた人です。教員志望だそうですが,採用試験の面接でも,おそらく好印象を与えることでしょう。
今頃,どうしているかしらん。私は,火曜日の6限に出講しています。見かけたら,声をかけてください。