2011年2月28日月曜日

鉄道自殺③

 今日も,鉄道自殺がありました。時間は朝の8時45分ごろ,中央線の西荻窪駅構内で,男性が列車に飛び込んだようです。「また中央線か」と思われた方もいるでしょう。首都圏で,自殺が最も多く発生する路線は中央線といわれています。

 はて,本当か。ちょうど,2009年度に発生した鉄道自殺682件のデータベースを作成したところですので,それを分析してみることにしました。原資料は,国土交通省に情報公開申請をして入手したものです。詳細は,2月17日の記事を参照してください。


 まず,どの会社の路線で自殺が多いのかをみてみましょう。件数が上位10位の会社を掲げました。1位は,JR東日本で261件です。これだけで,682件全体の38%,およそ4割を占めます。JRは営業路線が多いので,自ずと件数が多くなるのでしょうが,私鉄でみると,東武,名鉄,西武,東急,そして小田急という順序です。

 以上の点について私的な解釈を加えてもあまり意味はありませんが,これら10社の路線での自殺が,全件数の約9割を占めていることを少し強調しておこうと思います。では,自殺が多発する具体的な路線名を紹介しましょう。上位20位まで示します。


 1位は,巷の通説がいうように,中央線でした。年間32件です。1年は365日ですから,中央線では,おおよそ11日に1件の割合で自殺が起きていることになります。次は,東北本線,東海道本線ですが,場所は,首都圏内が大半です。私鉄でみると,1位は東武東上線,2位は西武池袋線です。いずれも,都心から埼玉方面へ向かう路線です。

 東武東上線のどこで自殺が多く起きているかというと,「大山駅から中板橋駅の間」が4件となっています。都内でも,最も自殺が多い場所です。鉄道と一般道路を仕切る柵が低いなど,飛び込みを誘発する要因でもあるのでしょうか。

 次回は,東京都内で起きた143件に限定して,発生件数の地域マップをお見せします。

2011年2月26日土曜日

乳幼児の状況変化

 最近,駅前のペットショップによく足を運びます。新しく入荷されたという,生後2カ月のダックスフンドの子犬が可愛くて仕方ないのです。私のようなオッサンが,小学生くらいの子どもに交じって,ショーケースの子犬を眺めるのは,やや珍妙な光景ですが。

 ところで,犬とはいえ,生後2カ月といえば,まだ赤ん坊です。母犬に甘え,兄弟犬と遊びたい盛りでしょう。それなのに,無理やり引き離して,ショーケースという四角い空間に閉じ込め,人間の好奇の目にさらすというのは,子犬にすれば,ストレス以外の何ものでもないと思います。生後間もないうちに母犬から引き離された子犬は,成長した後,吠える,かみつくなど,幾多の問題行動を起こしやすい,といわれています。ちなみに,外国では,日本のような陳列式のペットショップはありません。

 前回の記事で,近年,小学校に上がって間もない児童の暴力行為が激増している,という話をしました。このことは,乳幼児の状況変化と何らかの関連があるものと思います。先ほどの子犬の伝でうと,人間の世界でも,生後間もない乳幼児が,血のつながった肉親から乖離されて育てられる,というケースが増えています。幼稚園や保育所に預けられる子どもの増加です。

 今から50年前の1960年では,0~5歳の子どものうち,幼稚園や保育所に預けられる子どもは約120万人で,全体の13%ほどでした。それが2009年の最新データをみると,幼稚園児・保育所在所児の数は351万人にも膨れ上がり,0~5歳人口全体の54%を占めるに至っています。

 では,幼稚園児や保育所在所児のシェアを,年齢別に細かく観察してみましょう。幼稚園児数は,文部省『日本の教育統計』(1966年)と文科省『平成22年版・文部科学統計要覧』から得ました。保育所在所児数は,厚労省の『社会福祉施設調査』から知りました。


 一見して,緑色(幼稚園児)と赤色(保育所児)の領分の拡大が明らかです。3歳児をとると,両者の比重は6%から76%へと激増しています。より低年齢の1歳児でみても,今日では,約2割(5人に1人)が保育所に預けられています。0歳保育の対象者は5%,20人に1人です。いずれも,昔では考えられなかったことです。

 お前は,幼稚園や保育所をなくせというのか,と言われそうですが,そういうことではありません。共働き世帯が増えるなか,保育所などの整備が急務であり,目下,まだまだそれが不十分である,という認識を持っております。しかるに,小1プロブレムのような,低年齢の児童の不適応・問題行動は,上図のような状況変化と関連しているとはいえないでしょうか。

 私は,乳幼児心理学のような分野についてはまったくの素人ですが,早いうちから子どもを肉親から引き離すことが,子どもの人格にどう影響するかという問題に対しては,どういった答えが用意されているのでしょうか。

 私とて,分離不安,母性はく奪,ホスピタリズム(施設病)というレベルのことは存じておりますが,こうした原理論よりももっと,現代のわが国の実情に即した考え方というのは,出されていないのでしょうか。今後,乳幼児の生活の「施設化」はますます進行していきます。こういう状況のなか,まずもって重視されるべき研究課題ではないかと存じます。

2011年2月25日金曜日

キレる子ども

 学校で荒れ狂う子どもの存在は,教員の頭痛の種です。全国的に校内暴力の嵐が吹き荒れたのは,1980年代前半の頃だといわれています。当時に比べると,生徒の暴力行為の発生頻度はかなり少なくなっているといわれますが,実情はどうなのでしょう。生徒の暴力行為については,比較に堪え得る長期的な統計がないので,最近の10年間の推移をみてみようと思います。

 文科省の『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』から,公立の小・中・高等学校で暴力行為を起こした児童・生徒の数を知ることができます。2009年度の加害児童生徒数は58,994人ですが,その大半は,学校内での生徒間暴力(ケンカ)によるものです。対教師暴力は,ごくわずかしかいません。

 同年の公立小・中・高校生は12,570,826人ですから,加害児童生徒の出現率は,千人あたり4.7人となります。10年前の1999年では3.1‰でした。暴力行為をしでかす子どもの率がやや高まっていることが知られます。では,学年別に出現率を細かく出し,例の社会地図で表現してみましょう。


 どの年でも,中学校段階で出現率が高くなっています。高率ゾーンが川のように横切っています。変な表現ですが,中学生の時期は,暴力の季節です。2005年以降,オレンジ色のゾーンが広がり,2007年以降の中2と中3の部分は,12‰を超える黒色に染まっています。最近の中学生の状況が懸念されます。

 では,出現率の上では安全色(青色)に染まっている低年齢の児童は問題ないかといえば,そうでもないようです。この10年間における加害者数の増加率という点でみると,違った側面がみえてきます。


 上記の表によると,加害者数の増加倍率は,低年齢の児童ほど高くなっています。小学校1年生では,43人から299人と,7倍にもなっています。最近よく聞くようになった,暴力の「低年齢化」とは,こうした事態をさすものといってよいでしょう。

 「小1プロブレム」という言葉がありますが,小学校に上がってきた児童が,席につかない,授業をきちんと聞かないなど,集団生活に適応できない現象が問題になっています。この点については,幼児期の社会化不全など,いろいろな原因を推測することができましょう。実証研究の積み重ねが待たれるところです。

 今後,青少年問題研究の対象として,こうした低年齢の児童にも関心が向けられる必要があるものと思います。

2011年2月24日木曜日

大学の退学率の規定要因③

 前回の記事では,2010年における,各大学の専任教員一人あたりの学生数(TP比)を明らかにしました。こうした教育条件指標と,学生の退学率との間には,どういう相関関係があるのでしょうか。

 常識的には,TP比が高い大学ほど,マスプロ教育になりがちで,個々の学生へのケアが行き届きにくいと思われます。そういう大学では,不満を感じる学生が多くなり,ひいては退学率も高くなるのではないでしょうか。

 前回,読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論新社(2010年)より,全国563大学のTP比を計算しました。このうち,退学率も同時に知ることができるのは,554大学です。退学率とは,2006年春入学者のうち,2010年3月までの間に,どれほどのものが退学したかを表す指標です。つまり,在学期間中にどれほどの者が辞めたか,ということです。分析対象とする554大学の退学率の平均値は8.4%ですが,最大の32.8%から最小の0.0%まで大きな開きがあります。こうした退学率の違いは,各大学のTP比と関連があるのでしょうか。


 上図は,両変数の相関図を描いたものです。対数の回帰曲線を入れていますが,傾向としては正の相関です。相関係数は0.250とあまり高くはないですが,554というサンプル数の多さを考慮すると,統計的に有意であると判定されます。

 TP比が高い大学ほど,辞める学生が多い,という統計的事実は,一応は確認されます。むろん,この相関関係が因果関係であると言い切るには,他の要因をも考慮した重回帰分析の結果を待たねばなりません。図をみると,TP比が同じくらいの大学でも,退学率が大きく異なるケースが多々ありますので。

 ひとまず,上記の関係が因果関係であると仮定して,コメントを添えるならば,やはり条件整備が重要である,ということでしょう。昨今,専任教員の数を削減し,安上がりの非常勤教員への依存度を高める大学が多いようですが,そうした姿勢には,退学率の増加という副作用が伴う可能性がある,ということを申したいと思います。

2011年2月23日水曜日

大学教育の条件整備

 私は,非常勤先の武蔵野大学にて,2009年度と2010年度,4年生の卒業論文ゼミを持たせていただきました。ゼミ生の数は09年度が18人,10年度が17人でした。学科全体のゼミの中では多いほうだと聞いていますが,1人でこれだけの人数を相手するのは,いささかしんどい,という感想を持ちました。

 大学教育の質を測る指標の一つに,教員一人あたりの学生数というものがあります。TP比といわれるものです。2010年の武蔵野大学の場合,学生数が5,542人,専任教員数が176人です(読売新聞教育取材班『大学の実力2011』中央公論新社,2010年)。TP比は,前者を後者で除して31.5人となります。同じ資料から,全国568大学のTP比を出し,その平均値をとると20.6人です。武蔵野大学の値は,全国平均をかなり上回っています。

 TP比が高いことは,マスプロ教育など,教育条件が悪いことを意味しますが,逆の見方もあります。あまりに低いと,もう少し教員を減らして,コストを削減する余地はあるだろう,という意見も出てきます。TP比の適量がどれほどかについては,合意はありません。ただ,全大学のTP比の分布を押さえることは,各大学が自前の健康診断を行う上で,参考になると思います。

 私は,上記の資料から,2010年の全国568大学のTP比を出しました。文科省の統計に記載されている,この年の大学数は778校ですので,母集団の73.0%がカバーされていることになります。568大学中の最大値は51.0人でした。大阪の伝統ある私立大学です。最小値は0.7人でした。東京の医科系の私立大学です。学生よりも教員の数が多いことになります。


 では,5人刻みの度数分布をみてみましょう。図をみると,10~15人の階級が最も多く,全体の18.5%(105校)がここに位置します。30人を超える大学は全体の22.5%,40人以上は6.2%に相当します。国公立大学のTP比は私立大学に比して低いようです。

 先にもいいましたが,TP比の適量については合意はありません。しかし,一般には,この値が高いほど教育条件が悪いと考えられているようです。この見解がどれほど妥当性を持つかを検討するため,回を改めて,各大学のTP比と退学率の相関分析をしようと思います。

2011年2月21日月曜日

保育所の子どもたち

 小学校に上がる前の子どもを対象とした就学前教育を行う機関として,幼稚園と保育所があります。前者は文科省管轄の学校ですが,後者は厚労省管轄の児童福祉施設です。幼稚園の対象は,満3歳から小学校に上がるまでの子どもですが(学校教育法第26条),保育所の場合,こうした年齢規定はありません。1歳に満たない乳児も在所しています。いわゆる「0歳保育」です。

 最近,少子化により,幼稚園の園児は減少の一途をたどっていますが,保育所の在所児数は逆に増加傾向です。共働世帯が増える中,終日保育を行ってくれる保育所への需要が高まっていることが知られます。都市部では,保育所に入所したくてもできない待機児童の問題が深刻化しているほどです。

 厚労省『社会福祉施設調査』によると,1960年の保育所在所児童数はおよそ69万人で,0~6歳人口の6.1%でした。それから半世紀を経た2009年では,在所児数は約210万人に膨れ上がり,6歳までの乳幼児の28%を占めるに至っています。今日,乳幼児の4人に1人は保育所に預けられているわけです。在所児数をベースの人口で除した在所率を,年齢別にみてみましょう。


 どの年齢でも,時代を下るにつれ在所率が高くなってきます。2009年の3~5歳では,およそ4割です。あと一点,高率ゾーンが下に伸びていっていることも注目されます。今日,1歳でも20%を超えています。0歳の乳児では,4.8%です。「0歳保育」の対象者は,乳児20人に1人という水準です。

 育児をはじめとした家族の諸機能が次第に外部化していくのは,どの社会についてもいえる共通の定理です。それに対応した条件整備が求められます。その意味で,保育所的な機能を備えた幼稚園ともいえる,認定子ども園の制度が創設されたことは,喜ばしいことだと思っています。

2011年2月20日日曜日

朝食パワー?

 1月29日の記事において,朝食欠食率の統計を紹介しました。朝食を抜くことは体によくないことはもちろんですが,子どもの学力にも影響するといわれています。

 文科省が毎年実施している『全国学力・学習状況調査』では,教科のテストのほか,就寝時間や朝食摂取頻度など,子どもの生活面についても調査しています。国立教育政策研究所のホームページ(URLはhttp://www.nier.go.jp/10chousakekkahoukoku/index.htm)において,朝食摂取頻度と学力の相関関係のデータが公表されていますので,それを加工して,下図をつくってみました。2010年度調査の結果です。


 小学校6年生の受験生270,139人を,朝食の摂取頻度に依拠して4群に分け,各群の教科の成績分布をとったものです。成績は,上位4分の1がA層,…下位4分の1がD層というように区分されています。算数Bは,算数の応用的な事項を問うものであり,成績分散が最も大きいものです。

 図をみると,両変数の相関が一目瞭然です。「食べている群」では32%がA層であるのに対し,「食べていない群」では48%,ほぼ半数がD層となっています。これは両端ですが,中間の群をみても,撹乱のまったくない,きれいな相関関係を呈しています。

 朝食を食べている子どもほど,頭に血が回り,授業内容をよく理解できるなど,いろいろな解釈を添えることができるでしょう。しかし,成績と関連しているのは,本当に,朝食を食べているかどうかなのでしょうか。

 実をいうと,サンプル270,139人のうち,ほぼ9割(89.0%)は,「食べている群」なのです。「どちらかといえば食べている群」は7.4%,「あまり食べていない群」は3.0%,「食べていない群」に至るとほんの0.6%しかいません。朝食を食べていない子というのは,相当のマイノリティです。家庭に何らかの問題を抱えた子や,貧困家庭の子が多いのではないかと推測されます。

 こうみると,成績と関連しているのは,朝食をどれほど食べているかではなく,子どもの家庭環境であるといえないでしょうか。勉強部屋がない,塾通いが叶わない…などです。この疑念を払うには,保護者の所得水準や塾通いの頻度が同じくらいの子どもだけを取り出して,同じ図を描いてみる必要があります。それでもなお,上記と同じ模様になるのなら,朝食パワーはある程度信憑性を持つといってよいでしょう。

 公的な数量調査に,「社会階層」という変数を取り入れることは大変嫌われます。ですが,この変数を入れないと解けない問題は多々あります。教育問題については,とくにそうです。一定数の抽出詳細集計の形でもよいですから,こうした真因に迫る分析がなされることを希望いたします。

2011年2月18日金曜日

鉄道自殺②

 前回の続きです。今回は,どの曜日に鉄道自殺が多いのかを見たいと思います。分析対象は,2009年度に発生した鉄道自殺682件です。出所などについては,前回の記事を参照してください。


 棒グラフばかりでは芸がないので,曜日ごとの分布を円グラフで示してみました。これによると,突出して多い曜日はないようです。きれいに,ほぼ7等分されています。相対的に多いのは月曜日の107件で,全体の15.7%にあたります。「月曜の憂鬱」という,よく知られたフレーズを想起させます。

 単純集計はこれくらいにして,2変数をかけたクロス分析に移りましょう。ここでは,前回みた「時刻」と,今みた「曜日」をかけたマトリックス上に,682件の鉄道自殺がどう散らばるかをみてみようと思います。


 各曜日の最頻値(モード)には,黄色をつけています。日曜日では,お昼の時間帯が最多いようです。仕事は休みですので。一方,平日では,18時以降の帰宅ラッシュの時間帯にピークがみられるケースがほとんどです。

 さて,曜日別・時間帯別のマトリックスでみた場合,最も件数が多いデンジャラス・タイムは,水曜日の18~19時台と,土曜日の16~17時台なっています(赤字)。この点についての解釈は,現段階では思いつきません。言えるのは,平日の夕方,休日の昼間が要注意の時間帯ということです。

 今度は,どの路線で多いかを明らかにしようと思いますが,自殺の統計を立て続けにいじっていると気が滅入ってきます。次回は,主題を変えさせてください。

2011年2月17日木曜日

鉄道自殺①

 「現在,~駅で発生した人身事故の影響により,電車の運転を見合わせています」というアナウンスを,よく駅で聞くようになりました。ここでいう人身事故とは,自殺である場合がほとんどです。これから数回かけて,鉄道自殺に関する統計をお見せしたいと存じます。

 私は,国土交通省に情報公開申請をして,2009年度(2009年4月~2010年3月)に発生した鉄道自殺682件の一覧表を入手しました。当該の資料には,事件が起きた日時,場所,路線名などが細かく記録されています。これらのデータをエクセルに入力して,独自のデータベースを作りました。このデータベースをさまざまな角度から分析してみようと思います。

 まずは,どの月で多く発生しているかです。下図は,682件の月別分布を百分率で示したものです。鉄道自殺には,駅構内でのものと,駅間でのものがありますが,2009年度では奇しくも,341件ずつで半々でした。この両者の組成が分かるようにしてあります。


 最も多いのは10月の74件であり,全件数の10.9%を占めています。凍てつく2月あたりに多いのではないかと思いましたが,違いました。読書の秋,スポーツの秋,芸術の秋,食欲の秋…など,いろいろな標語がありますが,「鉄道自殺の秋」などという標語は普及してほしくないものです。


 次に,時間です。0時台~1時台,2時台~3時台…というように,2時間区切りで分布をとってみました。深夜の時間帯に少ないのはよいとして,最も多発する危険な時間帯は,20~21時であるようです。この時間帯の発生件数が全体の12%を占めています。会社で嫌なことがあって,鬱状態になり,やってきた電車に…ということでしょうか。

 このようなラフ・データでは,突出して危険な時間帯というのは検出できませんでした。しかし,平日と休日とに分けて,時間の分布を出すと,何か分かるかも知れません。そのような詳細な解析(多重クロス分析)は,別に機会に譲ろうと思います。

2011年2月15日火曜日

せんせいの学歴

 私は,教員養成系大学の出身ですが,入学時のオリエンテーションの際,次のように言われた記憶があります。「これからの教師には,大学院卒の学歴が求められるようになります。なぜなら,保護者のほとんどが大卒だからです」。当時はあまりピンときませんでしたが。今思うと,なるほどという感じです。

 エミール・デュルケムは,教師にとって不可欠な資質は,道徳的権威(l'autorité morale)であると言っています。卑俗な言い方ですが,こうした権威を裏付けるのは,教師が,子どもや保護者よりも多く学んでいる,という客観的な事実であるといえましょう。

 かつて,進学率が低く,国民の学歴水準が低かった時代には,大学出の教員の言動には,何やら威光のようなものが感じられました。ところが,進学率が急上昇した今日にあっては,そのようなことは望むべくもありません。同じ大卒の保護者は,教員と対等の立場でガンガンもの申してきますし,あれこれと口出ししてきます。このことは,教員の自律性を侵害し,彼らの苦悩の大きな原因となっているのではないでしょうか。

 昨年12月25日の朝日新聞によると,精神疾患で休職に追い込まれる教員の割合は,都市部ほど高いそうです。この点に関する解釈として,久冨善之教授は,「教員より学歴が高い保護者が多く,学校への要望が厳しいことも,率を引き上げているのではないか」と指摘しています。

 現在,教員養成の期間を4年から6年に延ばし,教員志望の学生には修士の学位を取ってもらおう,という案が出ています。教員の学歴水準を保護者よりも一段高くしよう,という意図が込められています。

 さて,現時点において,教員のうち,大学院を出ている者はどれほどいるのでしょうか。ここでは,小学校教員についてみてみようと思います。文科省『学校教員統計調査』には,教員の学歴の統計が掲載されています。2007年でいうと,小学校教員のうち,大学院を出ている者は3.0%です。あまり高くはありませんが,約4半世紀前の1983年の0.3%よりは大きく伸びています。


 この比率を年齢層別にみると,上図のようです。最近の20代後半から30代前半では,5%を超えています。なお,40代や50代のような中高年層でも率が上がってきています。現職のまま,大学院に入学し,学位を取得する道もあるからです。2010年の調査の結果を加えれば,図の右上の高率ゾーンはもっと広がっていることでしょう。

 中学校や高校についても,同じ統計をつくってみたら面白いと思います。これらの中等教育機関では,院卒教員の比率はもっと高いことでしょう。

2011年2月14日月曜日

博士号取得者

 大学院博士課程修了者には,博士号取得者と,それを取得しないで満期退学する者の2種類が含まれています。最近,文科省の政策もあってか,修了者に占める博士号取得者の比重が高まってきているようです。

 文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』には,大学院博士課程修了者の数が計上されていますが,修了者全体から満期退学者の数を引いた数が,博士号取得者であると考えられます。この資料をもとに,1990年から2010年までの動向を5年刻みで追ってみました。


 修了者の数が5,812人から15,842人へと2.7倍に増えていることは,以前の記事でみた通りです。しかし注目されるのは,博士号取得者数の伸びで,この20年間で3.1倍に増えており,全体の増加倍率を上回っています。その結果,修了者に占める博士号取得者の比率も上昇しており,2010年では75%と,4分の3を占めるに至っています。

 ところで,これは文系も理系もひっくるめた全体の傾向ですが,変化が最もドラスティックなのは,やはり人文系でしょう。そこで,人文科学系(文学,史学,哲学等)博士課程修了者に限定して,この20年間の変化を観察してみることにしました。


 人文科学系の博士課程修了者は,1990年では631人であったのが2010年では1,393人になっています。上図は,その組成の変化をみたものですが,博士号取得者の比重の増加が明らかです。図の左上の構成比グラフをみると,1990年の16%から2010年の43%へと激増しています。人文系でも,博士号取得者が半分近くを占めるようになりつつあります。

 人文系の博士号は,かつては研究の集大成のような意味合いがありましたが,最近では,理系と同様,研究者のライセンス的なものへと変わってきています。ところが,このようにして量産された博士号取得者たちの活躍の場が限られていることは,よく指摘されるところです。せっかくの人的資源を枯れさせることがないよう,ノン・アカデミックなキャリアパスの整備などの施策が要請されます。

2011年2月13日日曜日

展望不良(近況詳細)

 内閣府の『国民生活世論調査』の中に,「これから先,生活はどうなっていくと思いますか」という設問があります。社会の希望の多寡を測る大変重要な設問であり,今後とも,継続して設けていただきたいものです。

 去る2月2日の記事では,「悪くなっていく」と答えた者の比率を,10歳刻みの年齢層別にみてみました。ここでは,もっとレンズをしぼって,5歳区分でみてみようと思います。期間は,1990年代以降とします。この時期にかけて,日本社会に暗雲が立ち込めてきたことは,誰もが認めるところでしょう。1991年から隔年のデータをとってみます。


 「生活がこれから悪くなっていく」と答えた者の比率は,1991年では9.6%でしたが,2009年では32.3%にもなっています。社会に蔓延する展望不良の総量が3倍に増えたわけです。年齢層別に細かくみると,今世紀以降の50代から60代の部分にブラックゾーンが広がっています。2009年の50代後半では41.9%です。

 この層の展望不良の内実は,老後の生活不安というものが大半と思われます。年金制度の崩壊,孤族化が進むなか,老後の生活を頼れる家族がいないなど,不安因子は数多くあります。

 とはいえ,展望不良の問題は,こうした中高年層に限られるものではありません。図をよくみると,高率ゾーンが次第に下の年齢層に伸びてきています。2009年の値を1991年の値で除した増加倍率をとると,最も高いのは20代後半で6倍です(2.7%→16.1%)。

 若者が希望を持てない社会というのは,何ともさびしいものです。子どもと高齢者の狭間に位置する,若者に関連する施策にも,力が注がれることを欲します。

2011年2月12日土曜日

塾通い

 今の子どもの多くは,学校のほかに,学習塾という「もう一つの学校」に通っています。学校で夕方まで勉強した後,夕食もそこそこに,夜遅くまで塾に行くのも,大変だなあと思います。かくいう私は,塾通いをしたことがありません。

 学習塾に通う子どもがどれほどいるかについては,いろいろな調査がなされていますが,公的なものとしては,2007年11月に文科省が実施した『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査』があります。対象は,全国の公立小・中学生の児童・生徒です。調査結果が公表されている文科省サイトのURLを張っておきます。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/08/08080710.htm


 学習塾(お習字などの習い事は除く)に通っている者の比率,いわゆる通塾率を学年ごとに表現すると,上図のようになります。小1では16%であったのが,学年を上がるごとに上昇し,中3では65%にも達しています。3人に2人が塾通いをしているわけです。これは全国の統計ですが,東京のような大都市だけに限定すると,通塾率はもっと高いことが予想されます。

 さて,次なる関心事は,こうした塾通いが,子どもの生活にどう影響しているかです。それはいろいろな面から捉える必要があるでしょうが,ここでは,就寝時間の分布をとってみようと思います。下図は,学校に行く前日の就寝時間の分布を示したものです。


 通塾率の増加と比例するがごとく,学年を上がるにつれ,就寝時間が遅くなる傾向があります。中3では,半分以上が「午前様」です。こうした傾向が,もっぱら塾通いによるものだと断定はできません。しかるに,非通塾者と通塾者を比べると,後者の就寝時間が明らかに遅くなっています。

 塾通いが生活に及ぼす(悪)影響は,他にも考えられます。家庭生活や地域生活の破壊です。後者についていうと,最近,地域社会において,群れをつくって遊ぶ子どもの姿を見かけなくなりました。通塾のため,各人のスケジュール調整が難しい,という事情によると思われます。同年齢集団による群れ遊びは,子どもが自治や自律の精神を学ぶよい機会となり得るのですが,何とも残念なことです。こうした,いわゆるギャング・エイジの喪失が,子どもの社会性の欠如に影響している側面があります。

 ところで,最近,生活保護世帯の子どもの通塾費用を公的に援助しようという動きがあります。貧困の連鎖を断ち切ろうという意図には,深く敬意を表します。しかるに,このことは,塾通いをすることがノーマルで,塾通いをしないことがアブノーマルになっていることを示唆しています。子ども期において,2つの学校に通うことを義務づけられる社会というのは,いかにも窮屈です。

 子どもの生活の健全度を測る目安の一つは,家庭,学校,地域社会という,異なる生活の場がバランスよく充実しているかどうか,ということであると思います。こうした基本的な視点から,子どもの「生」を捉えなおすことも必要であるかと存じます。

2011年2月10日木曜日

ザ・非常勤講師

 2月7日の記事において,大学院博士課程の修了者の進路は,20年前とほとんど変わっていないことを示しました。しかし,これは修了時点の状況であって,その後,辛い思いをする人間が増えていることを示唆する統計があります。大学の非常勤教員の増加です。

 大学関係者ならば誰もが知っていることですが,大学教員には,本務教員(専任教員)と非常勤教員という2種類の人種がいます。後者は,本務校のある教員や,著述業など他に本業のある人間が掛け持ちしている場合もありますが,そうでない場合がほとんどです。非常勤教員の大半は,他に本業がなく,それだけでやっている者が大半であると思われます。たとえば,博士課程を出ても定職がない者です。統計をみると,こうした非常勤教員が増えているのです。大学と短期大学の教員の組成が,最近どう変化したかをみてみましょう。


 上記の表は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』から作成したものです。ここでいう非常勤教員とは,兼務教員のうち,「教員以外から」の者のことです。表をみると,この約20年間において,非常勤教員は5万8千人から13万4千人へと2.3倍に増えています。本務教員の増加倍率(1.3倍)を大きく上回っています。その結果,大学教員全体に占める非常勤教員の比重も増加し,2009年では42%にもなっています。


 大学と短期大学に分けて,非常勤教員の比率の変化をたどってみると,上のグラフのようになります。双方とも右上がり傾向です。短大では,2009年では61%にも達しています。本務教員よりも非常勤教員のほうが多いわけです。短大は,安上がりの非常勤教員をフル活用して,目下の経営危機を乗り切っている,というのが実情のようです。

 こうみると,1990年代の大学院重点化政策は,負の遺産を遺した側面も否めないようです。かつては,博士課程修了後,何年かすれば定職にありつけたのでしょうが,修了者がうんと増えた今日では,それはなかなか叶わない。よって,長期の間,非常勤一本で生計を立てざるを得ない者が増えた,ということでしょう。文科省の修了時点での進路統計からは見えない現実がここにあります。

 とある中堅私立大学が,「本学に~研究科博士課程開設。新たな可能性への扉がまた一つ開かれました」と宣伝していました。「新たな可能性」の箇所を「地獄」と書き直せば,正直な記述になると思います。

2011年2月9日水曜日

大卒無業率②

 前回の続きです。最近,学生の就職が厳しくなっているといわれます。私自身,卒論ゼミ生の状況を目の当たりにして,このことを肌身に感じています。ところで,大学生といってもいろいろな属性があります。前回みた地域もその一つです。今回は,学生の性別,専攻分野によって無業率がどう違うかをみてみましょう。無業率の定義は,前回の記事を参照してください。統計の出所は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』です。


 まず性別にみると,この20年間の伸びは,男子学生で顕著です。2010年では,性差がほとんどなくなっています。専攻分野ごとにみると,芸術専攻学生の無業率が目を引きます。2010年の無業率は47%,ほぼ半数です。次いで高いのが人文科学系。創作活動を志向する文学青年や芸術青年は就職を忌避するといいますが,このことをうかがわせるデータです。

 もっとも,芸術専攻学生は,卒業生全体のわずか3%しか占めないマイノリティです。卒業生のほぼ半数を占める,人文科学系と社会科学系の無業率の高さが,全体の無業率を高らしめる主因であることは間違いないでしょう。そこで,これら2専攻について,さらに細かくみてみようと思います。


 上段は人文科学系の学問分類,下段は社会科学系の学問分類ごとに,無業率を出したものです。文学,哲学,史学といった人文御三家では,無業率が3割を超えます。最近の伸び幅は,文学専攻の学生で最も大きくなっています。

 しかるに,無業率を最も伸ばしているのは,社会科学系の商学経済学専攻学生です。1990年では8.9%であったのが,2010年では25.1%にもなっています。就職に有利そうな実学を学んだ学生が案外苦戦しているようです。その一方で,社会学の学生が結構健闘しています。最近の伸び幅が最も小さく,2010年では,法学や経済学専攻学生よりも,無業率が小さくなっています。社会学を勉強する私としては,ほくそ笑みたくなるような数字です。

 肝心なのは,やはり,何ができるか,ということでしょう。学生さんも,在学期間中,「自分をしっかり磨く」という気概を持って,大いに奮闘していただきたいと思います。

2011年2月8日火曜日

大卒無業率①

 前回は,大学院博士課程無業者のお話でしたが,博士課程修了者は量的にはごくわずかです。世間の人が関心を寄せているのは,大学卒業者の進路でしょう。2010年春の大学卒業者は541,428人でした(文科省『学校基本調査(高等教育機関編』)。このうち,無業者がどれほどいるのかをみてみたいと思います。

 上記の卒業者全体のうち,「一時的な仕事」は19,332人,「無業」は87,174人,「死亡・不詳」は10,807人です。これらを合算した117,313人を無業者と括ります。卒業生全体に占める比率は21.7%です。大卒者のおよそ2割が無業者ということになります。1990年では10.4%でした。それ以降の不況の影響をまざまざと思い知らせてくれる数字です。


 この無業率を県別に算出し,地図化すると上図のようになります。5%刻みごとに塗り分けています。最高は沖縄の39.2%です。最低は福井の6.8%です。地図をみると,率が高いのは都市的な地域です。首都圏や近畿圏が黒く染まっています。就業機会に乏しい地方のほうが高いかと思っていましたが,少し意外でした。

 こうした地域差の原因の一つに,都市にはアルバイト仕事が豊富にある,ということが挙げられるでしょう。事実,東京では「一時的な仕事」が6,362人もいるのに対し,秋田では一人もいません。こういうバイトをしながら,本命の大企業を狙う,という就職浪人の存在があるのではないでしょうか。

 ところが地方ではそうはいかない。バイトの機会もない。大企業の立地もない。よって,中小企業も厭わず就職する,というような潔さがあるものと思います。2月5日の朝日新聞によると,大学生の中小企業志向が強まっているようです。都市の学生も,目の前にある選択肢の多さにキョロキョロしている場合ではない,ということでしょうか。

 ところで,1990年からの無業率の変化を県別にみると,いろいろなパターンがあります。当然,率を増加させている県がほとんどです。東京は,13.7%から24.3%へと10ポイント以上増えています。しかし,率が減っている県もあります。秋田,岐阜,高知の3県です。快挙といってよいでしょう。この3県の内実を調べてみるのも,また一興かもしれません。

 次回は,性別や専攻学科などの属性によって,無業率がどう違うかをみてみたいと思います。

2011年2月7日月曜日

大学院博士課程修了者の進路

 大学院博士課程を修了し,博士号を取得しても定職に就けない「無職博士」の存在が話題になっています。その原因としてよく指摘されるのが,1990年代以降に文科省が行った大学院重点化政策です。需要量(研究者のポスト)がないのに,供給量(大学院修了者)をうんと増やしたことが,そもそもの間違いであったと。

 一方で,博士課程修了者の進路は以前から厳しいものであった,という意見もあります。統計はどちらの見解を支持しているのか。大学院重点化政策が実施される前の1990年と,2010年の修了者の進路状況を比較してみようと思います。統計の出所は,文科省『学校基本調査(高等教育機関編)』です。


 この20年間で,博士課程修了者(単位取得退学者含む)は,5,812人から15,842人へと,2.7倍に増えました。では,就職率はどう変わったかというと,67%から64%へと少し減っただけです。就職率およそ6割という状況は以前から続いていたようです。

 しかし,これは全体の傾向であって,専攻ごとにみたら違うのではないか,という意見もありましょう。とくに,人文系の悲惨さはよくいわれるところです。では,人文科学系(文学,史学,哲学等)に限定して,同じ図をつくってみましょう。


 なるほど。人文科学系に限定すると,就職率は約4割に急落します。逆に,「無業・不詳」が半分以上という惨状になっています。でも,1990年からの変化は,それほど大きなものではありません。

 統計の取り方が変わったのではないかと思い,調査概要などにも注意を払ってみましたが,目を引くものはありませんでした。こうみると,オーバードクター問題の原因を,文科省の大学院重点化政策にだけ求めるのは誤りのようです。事実,1983年の時点において既に,日本科学者会議編『オーバードクター問題-学術体制への警告-』(青木書店)という本が出ています。

 とはいえ,絶対水準でみた場合,博士課程修了者の無職率の高さは,やはりどうかという気がします。趣味や嗜好が高じてアーティストを私的に志した人たちとは違って,国税を使って育成された人たちです。こうした人的資源をむざむざと壊してしまうのは,国にとっても損であると思います。

 追記:博士課程修了後,何年かしてから正規の研究職に就くケースが多いので,修了時点の比較では不十分ではないか,というご意見をいただきました。ごもっともです。修了後5年くらいまでを追跡した統計を比較すれば,違いがクリアーに出るかもしれません。こういう追跡調査を文科省がしてくだされば,と思います。

2011年2月6日日曜日

生活不満

 世論調査の最もオーソドックスな設問に,「今の生活に満足ですか」というものがあります。1990年代以降の近況に限定して,この問いへの回答がどう変わってきたのかをみてみましょう。

 内閣府が毎年実施している『国民生活に関する世論調査』では,上記の設問を設け,「満足」,「まあ満足」,「やや不満」,「不満」の4段階で答えてもらっています。ここでは,後2者を合算した「不満」の割合に注目します。

 1991年から2009年までの隔年の統計をみると,最も低かったのは1995年の24.6%です。最も高いのは2003年の39.6%です。2009年では37.7%であり,少し減少しています。では,2009年の生活不満率を年齢層別に仔細にみてみましょう。


 今世紀以降,30代後半から50代までの働き盛りの層において,不満率が40%を超えています。インクをこぼしたように,黒色に染まっているのが不気味です。ここでは示していませんが,不満率は女性よりも男性で高いことを考慮すると,おそらく収入や職場生活面での不満が大きいものと思われます。ちなみに,2009年の不満率のピークは40代前半で47.6%,ほぼ半数に達します。

 社会の健全度を測るには,経済成長率のような経済指標ももちろん重要ですが,それだけでは不十分です。「実感なき経済成長」という言葉があるように,現実と人々の生活意識はしばしば食い違っています。社会の成員が将来に希望を見出しているか,生活に満足しているか,という意識面の計測も大事です。今後も,公的な世論調査にあたって,使えそうな指標がないかを調べてみます。

2011年2月4日金曜日

大学教員の組成

 このブログの記事も少しはたまってきました。ブログの統計ツールにて,どの記事の閲覧頻度が高いかをたまにチェックしますと,「大学の退学率」とか「大学の定員割れ」とかいう,大学関連の記事を見てくださる方が比較的多いようです。

 それを受けてではありませんが,今回は,大学のせんせいに関するお話です。大学教員の年齢や性別の構成はどうなっているかを明らかにしようと思います。わが国の大学教員に占める女性比は国際的にみて,かなり低いことがいわれています。年齢構成については,高齢層が多いことが指摘されています(たとえば,潮木守一『職業としての大学教授』中央公論新社,2009年)。

 まずは,時計の針を30年ほど戻して,1977年の状況をみてみましょう。下図は,各年齢層の教員が全体に占める比率(%)を表現したものです。性別の組成が分かるようにもしてあります。ここでいう大学教員とは,本務教員のことです。非常勤講師は除きます。資料は,文科省『学校教員統計調査』によります。


 モード(最頻値)は,30代前半にあります。右上の簡略図をみても分かるように,おおよそ,若年層が多く,高齢層が少ないピラミッド型であったようです。20代が少ないのは,この業界の常です。大学院博士課程を最短で終えたとしても27歳なのですから。

 では,最新の2007年の統計を使って,同じ図を描いてみましょう。この30年間の間に,大学教員の数は9万6千人から16万8千人へと増えました。女性の割合は,8.4%から18.2%へと伸びました。最近,教員採用に際して,女性を優遇する向きがあるようですが,今後,女性比はますます高まることと思われます。結構なことです。


 さて,年齢構成はどうでしょうか。まず,右上の簡略図からみると,30年前のピラミッド型が崩れて「壺型」に移行しています。高齢層の比重が増していることが一目瞭然です。50歳以上の教員の比率は,1977年では26.7%でしたが,2007年では44.0%にもなっています。60歳以上の教員も17.7%と,2割近くを占めるようになっています。

 社会全体で高齢化が進んでいるといわれますけれども,大学教員の世界では,それがもっと顕著です。ベストセラー『世界がもし100人の村だったら』的にいうと,「大学のせんせい100人のうち,44人は50歳以上の人です」となります。この点についての解釈は,イデオロギー的な感情が出そうですので,控えさせていただきます。

2011年2月2日水曜日

展望不良

 前にも書きましたが,私は,「三丁目の夕日」が大好きです。映画のDVDはもちろん,西岸良平さんの『夕焼けの詩』のコミックも全巻そろえています。月並みな感想ですが,昭和30年代前半の時代状況を,生き生きと簡素な絵で描いてあるのがよいのです。

 当時の生活水準は,今よりも格段に低いものでした。家電はなし,学校にくる子どもの半分はランドセル,半分は肩掛けカバン。服は,一部の子をのぞいて,一週間同じというのがざら・・・例を挙げればきりがありません。でも,「これから生活はよくなる」という希望が世の中全体に充満していました。当時の自殺率の低さが,このことを物語っています。

 ところが,現在はその逆です。家電やパソコン等が普及し,生活水準は大きく向上しましたが,今後の見通しは,社会の一部の層をのぞいて,暗いものとなっています。2010年6月の内閣府『国民生活世論調査』にて,今後の生活の見通しについて問うた結果をみると,対象者の26.7%,およそ4分の1が「悪くなる」と答えています。この比率の時代推移は下図のようです。


 1990年代初頭のバブル期をボトムとして,以後,値が急上昇しています。ピークは2008年の36.9%でした。リーマンショックの年です。最近は値が減じていますが,今後,再び反転しないとも限りません。いや,その可能性は大きいというべきでしょう。では,年齢層別にみるとどうでしょうか。例の社会地図の出番です。


 値が30%を超えるブラックゾーンに注目すると,今世紀以降,50~60代が黒く染まっています。老後の生活は悲惨なものになるという,将来悲観でしょうか。私などは,今は老後のことなど考えないようにしていますが,この年齢になったらどうなるやら。

 比率が5%に満たない安全色(青色)は,1990年代初頭の若者に見出されます。バブル期にあった当時,さぞうかれていたのでしょう。しかし,そんな彼らも今,40代あたりにさしかかり,大変な思いをしているわけです。

 これから,この地図を右に延ばしていくと,どういう模様になるのでしょうか。黒い膿が広がり,直視できないような事態になっているかもしれません。元旦の記事でもいいましたが,人間にとって重要なのは希望です。経済成長率と同時に,希望所有率というような指標も開発し,政策立案に供していただきたいものです。

2011年2月1日火曜日

教員採用試験の競争率

 最近,団塊世代の大量退職により,教員採用試験の競争率がいくぶんか低くなっているといわれています。しかし,県によってかなり差があるようです。東京などの大都市では,倍率がかなり低くなっており,小学校では,3倍を下回った年もあるようです。これでは優秀な人材を確保できないということで,地方の学生を呼び寄せるべく,東京バスツアーのような企画も行っていると聞きます。その一方で,地方県ではまだまだ倍率が高い県が多いようです。

 文部科学省がホームページ上で公表している統計によると,2009年度採用試験(2008年夏実施)における,公立学校教員志願者は158,874人いたそうです。そのうち,合格したのは25,897人。よって競争率は前者を後者で除して,6.1倍となります。県別にみると,最も低いのは東京の4.2倍,最も高いのは鳥取の20.4倍です。なお,指定都市は,当該県に含めて算出しています。たとえば福岡市は,福岡県の統計と合算して,福岡県のものとして計算しています。


 47都道府県の競争率を地図化してみました。10倍を超える県が14県,12倍を超える県が7県あります。北東北のゾーンは,黒く染まっています。ところで,この地図の模様,1月18日の記事で紹介した,小学校教員の給与倍率の地図と似ていませんか。給与倍率とは,小学校教員(男性)の給与を,一般労働者(男性)の給与で除した値です。詳細は,1月18日の記事をみてください。

 何やら,民間と比した,教員の給与水準が高い県ほど,競争率が高い,という関係が潜んでいそうです。私は,1月18日の記事で作成した,47都道府県の小学校教員の相対給与水準と,今計算した採用試験倍率との相関関係を明らかにしました。下図がそれです。


 予想通り,正の相関でした。教員の相対給与水準が最も高い沖縄や秋田では,採用試験の競争率も高い水準にあります。反対に,教員の給与が民間を下回っている東京,神奈川,大阪は,採用試験の倍率が低くなっています。両変数の相関係数は0.722であり,1%水準で有意です。

 教員採用試験の倍率を決める最も大きな要因は,各県の教員の年齢構成であることに間違いはないでしょう。東京や大阪のような大都市では,団塊世代が相対的に多く,現在のところ,大量採用に踏み切っているだけだ,と言われればそれまでです。

 しかし,人間は所詮,エコノミックアニマル的な側面も持っています。あまり上品な話ではありませんが,優秀な人材を確保しようとするなら,待遇改善という面にも注目しなければならないことは事実でしょう。教育基本法第9条2項も,「教員については,その使命と職責の重要性にかんがみ,その身分は尊重され,待遇の適正が期せられる」べきことを定めています。

 回を改めて,教員の給与水準と離職率の関連を解明する作業も手掛けてみたいと思います。