2015年1月10日土曜日

自尊心の凝縮化現象

 前々回の記事では,勉強の得意度と自尊心の関連を明らかにしました。小4と高2のデータを比べたのですが,高2になると,ごく一部の勉強の得意な層だけが高い自尊心を保持し,他の大多数の層がそれを剥奪される傾向がみられました。

 自尊心の基盤が勉強のでき具合だけに収束してしまう,憂うべき現象ですが,自尊心の多寡を規定する要因は他にもあるでしょう。スポーツができるか,友達がどれほどいるかなど・・・。今回は,勉強の対である運動の得意度という変数も組み込んで,自尊心の分布を明らかにしてみようと思います。

 前々回と同じく,国立青少年教育振興機構の『青少年の体感活動等に関する実態調査』(2012年度)のデータを使います。あいにく,運動ないしはスポーツの得意度を直に尋ねた設問はないのですが,「体力には自身がある」という項目への反応を問う設問がありますので,これに対する回答をもって,運動の得意度の指標といたしましょう。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/84/

 私は,上記調査のローデータを使って,「勉強の得意度」と「体力の自信度」のクロス表をつくりました。4×4の16セルのクロス表です。前々回と同様,小4と高2の表を作成しました。以下に,実数の原表を掲げます。


 私の世代がみてきたアニメには,勉強はできないがスポーツは得意なガキ大将,その逆のモヤシ君がよく描かれていますが,上表のデータによると,勉強の得意度と体力の自信度は,正の相関関係にあります。赤字はタテ方向の最頻値ですが,勉強が不得意な群ほど,体力に自信がない者が多くなると。

 これは私にとっては発見ですが,今回の主眼は,この「勉強×体力」のマトリクス上に,高い自尊感情がどう分布しているかです。換言すると,自尊感情の規定要因として,どちらが大きいかを調べることです。

 私は,4×4の16の群について,「自分がとても好き」と答えた児童・生徒の割合を明らかにしました。たとえば,小4の一番左上の群(A×a)では,214人のうち122人が「とても自分が好き」と考えています。よってこの群の場合,高い自尊心の保持率は,122/214=57.0%です。

 前々回の手法を継承し,まず,16の群の量的規模を表現した比重図を用意しました。次に,それぞれの群の四角形を,上記の比率(高い自尊心の保持率)の水準で塗り分けてみました。40%以上,30%以上40%未満,20%以上30%未満,20%未満の4階級を設け,濃淡の色をつけました。

 こうすることで,各群が置かれた文脈と自尊心の程度を同時に見てとることができます。ブツは,以下です。


 小学校4年生では色つきのゾーンが多いですが,高校2年生になると,自尊率2割未満の白色が大半になります。後者では,左上の「A×a」の群の自尊感情率が82%と飛びぬけて高くなっています。少数の層に自尊感情が凝縮される構造は,ここでも見受けられます。

 なお,勉強と体力の規定力をみると,小4では図の模様がナナメ方向であることから,双方が効いているようです。しかるに高2では,勉強の得意度の影響が大きいようで,勉強がとても得意なA群の箇所に色が集中しています。体力に自信があっても(a群),勉強が不得意な群(C~D)では色はついていません。

 前々回の分析に追加される知見は,以下のごとし。

①:勉強だけでなく,体力に自信がある生徒も,加齢と共に減少する。
②:量的に少ない,勉強・体力共に自信がある群に,高い自尊心が凝縮される傾向がある。
③:自尊心に対する規定力としては,体力の自信度よりも勉強の得意度が大きい。

 とくに②が重要であり,これを「自尊心の凝縮化現象」と命名しておきましょう。日本の思春期・青年期に固有の現象であるのか,大変興味が持たれるところです。

2015年1月9日金曜日

人生の読書遍歴

 「モノやお金は時によって価値が変わるけれど,頭に入れた知識は生涯の肥やしになってくれる。だから,できるだけたくさんの本を読みなさい」。小学校時代の恩師のお言葉です。

 読書が人間形成に大きな影響を与えることにかんがみ,近年の学校現場では,子どもの読書活動推進の取組が盛んです。しかし,子どものみならず大人にとっても読書は大切。とくにわが国の場合,成人期以降は会社という一つの組織に埋没しがちで,合理的な思考を失いがちです。なるべく本を読んで,外部の空気(知識)を吸収しないといけません。

 私は,成人期以降をも射程に入れたロング・スパンの読書率のデータをつくってみました。資料は,国立青少年教育振興機構の『子どもの読書活動の実態とその影響・効果に関する調査研究』(2013年)です。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/72/

 本調査は中高生と20~60代の成人を対象としていますが,成人調査において,これまでの人生の各時期にて本を読んだかを尋ねる設問があります。対象者に回顧してもらう形式です。6つのジャンルの本を提示し,読んだものにチェックを入れてもらっています。

 この設問の回答結果を整理し,グラフにしてみました。各時期において,当該ジャンルの本を読んだ者の割合です。回顧形式による,人生の読書遍歴図をご覧ください。


 まず,「ほとんど本を読まなかった」者の率は子ども期にかけて減少し,成人期以降は2割弱で推移します。残りが何らかの本を読んだ者ですが,どういう本が多いかは時期ごとの特徴が出ています。

 幼少期は物語・フィクションが多いですね。ピークは小学校高学年で63%です。このジャンルはどの時期でも一番読まれていますが,読書率の水準は加齢と共に下がってきます。それと対をなしているのは,趣味の本です。一貫して右上がりのタイプ。実用書は,働き盛りの30代がピークでその後は減少します。

 残りの3ジャンル(自然科学,社会学,生き方・人間関係)のピークは,大学生の時期です。一番時間がある時ですものね。自己アイデンティティ確立のため,いろいろなことをするのを許されるモラトリアムの時期。なお,6ジャンルの読書率を累積すると,ピークはこの時期になります。人生で一番本が読まれる時期なり。

 20~60代の対象者に,これまで経てきた時期の読書経験を振り返ってもらった結果ですが,軒並み「右下がり」というような図柄でないことに,ちょっとばかり安堵しました。しかし,絶対水準としてはいかにも低い。良識ある公民たるべく,社会科学書籍の読書率などはもっと上がって然るべきでしょう。

 最近は,公共図書館のサービスも充実してきています。お目当ての本が所蔵されていなくとも,頼めばすぐに取り寄せてくれます。また電子書籍も登場し,昔の名著はタダで自分の端末に入れて,好きなだけ読むことができます。こういう条件を積極的に活用しようではありませんか。

2015年1月8日木曜日

勉強の得意度と自尊心の関連

 日本の子どもは自尊心(self-esteem)が低いといわれますが,その傾向は学年を上がるにつれ強くなります。

 前回の記事で使った,国立青少年教育機構『青少年の体験活動等に関する調査』(2012年度)によると,「今の自分が好きである」という項目に「とてもそう思う」と答えた者の割合は,小4で30.7%,小5で24.1%,小6で20.9%,中2で8.9%,高2で7.3%というように,どんどん下落してきます。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/84/

 小学校と中学校の段差が大きいようですが,高校受験を見据えたテストの連続で,周囲と比した自分の相対位置を思い知らされることが多くなるためでしょう。よって自尊心の程度が,勉強のでき具合に規定される度合いが高まってくるとみられます。

 私は上記調査のローデータを使って,この2つの関連を調べました。発達段階によって関連の仕方がどう違うかもみるため,小4と高2のクロス表をつくりました。下に掲げるのは,何の加工も施していない実数の原表です。


 「勉強の得意度×自尊心の程度」のクロス表です。赤字はタテ方向の最頻値ですが,勉強の得意度が下がるにつれ,下の方に落ちてきます。勉強がとても得意なA群では「自分がとても好き」が最も多いのですが,勉強が全く得意でないD群では「自分が全く好きでない」者が最多であると。高校2年生では,この傾向がより顕著です。

 上表のデータを視覚化してみましょう。群ごとの自尊心の分布をタテの帯グラフにしようと思いますが,ヨコ幅を使って各群の量も表現してみます。


 勉強が不得意な群ほど自尊心が下がる傾向がみられますが,学年を上がるにつれ,A~Dの相対量が変わることにも要注意。高校2年生になると,勉強がとても得意なA群はわずかになりますが,量的に少ないこの群の自尊心が飛びぬけて高くなります。自尊心の占有化とでも形容し得る現象です。

 わが国では,青年期の入口に差し掛かると,ごく一部の勉強が得意な層だけが高い自尊心を保持し,他の大多数の層がそれを剥奪される傾向がみられます。大学進学規範が強い日本の特徴であるように思えますが,他国でも上記のような図柄になるのでしょうか。

 自尊心の基盤というのは,加齢とともに多様化していくのが望ましいのですが,今の日本社会では,それが勉強の得意・不得意に一元化(収束)される傾向にあります。青年期とは,興味・関心・適性が多様化し始める時期と考えると,上図に描かれている様は,一種の病態を表現しているともいえるでしょう。

 入学者を選抜する試験では相対評価も止むを得ませんが,日々の学校生活では,できない子を「無理やり」作り出す相対評価だけでなく,あくまで目標への到達度を重視する絶対評価,さらには当人の以前の状態と比した個人内評価なども,もっとと入れられるべきではないでしょうか。*近年では,こういう方針が推奨されています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/gaiyou/1292163.htm

 これから先,ただでさえ減っていく子ども人口を,学校教育の中で人為的に潰していくような事態は,何としても避けねばなりません。

2015年1月7日水曜日

どれほどヤバい時代を生きてきたか(改)

 前々回の記事では,自殺率で塗り分けた年譜の上に,各世代が生きてきた軌跡線を引いてみたのですが,この図を見てくださる方が多いようです。

 いろいろコメントをいただきましたが,「自殺率は年齢によって異なるので,人口全体の自殺率で色分けするのは乱暴ではないか」という指摘が多々ありました。ごもっともです。現在の大学生の世代は,平成不況の暗黒期を生きてきましたが,乳幼児や児童であった彼らが自殺へと仕向けられたわけではありません。この発達段階では,自殺率はほぼゼロです。

 私は,各時代の年齢層ごとの自殺率で色分けした譜面をつくり,その上に,それぞれの世代が生きた軌跡を描いてみました。こうすることで,各世代が直面した危機をより立体的に知ることができると考えたからです。

 私は,1950~2013年の各年について,5歳刻みの年齢層別の自殺率を計算しました。各層の自殺者数を当該層の人口で除した値です。分子は厚労省『人口動態統計』,分母は総務省『人口推計年報』のものを使いました。

 その一覧表をみて,自殺率の水準として6段階を設定しました。①10万人あたりの自殺率15未満,②15以上20未満,③20以上25未満,④25以上30未満,⑤30以上35未満,⑥35以上,です。これに依拠して,各年・各年齢層のセルを黒の濃淡で塗り分けました。その上に,4つの世代の軌跡線を引いた次第です。

 ブツを以下に掲げます。


 どうでしょう。1950年代では,青年期の箇所に黒色の膿がみられますが,師匠の松本良夫先生の世代(1931~35年生)は,この上をもろに通過しています。青年期に,大きな困難に遭遇した世代です。

 戦前と戦後の価値観が混沌としている世相にあって,青年期の課題である「自己アイデンティティの確立」を達成するのは容易ではなかったと思われます。ちなみに当時の自殺統計をみると,自殺動機のトップは「厭世」です。世の中が厭(いや)になったということです。青年期という時期を,混乱の世の中で過ごしたことの不幸は大きかったといえるでしょう。

 一回り下の団塊世代(黄色)は,50代の時期に不幸に遭遇しています。前世期末から今世紀初頭にかけて,自殺者が毎年3万人を超える事態が続いたのですが,その主な担い手はこの世代であったようです。無慈悲なリストラによる自殺もさぞ多かったことでしょう。

 今の大学生の世代(ピンク色)は,前々回の図では暗黒期を生きてきた印象でしたが,上記の図では白一色です。これは,子どもは滅多に自殺はしないという発達段階的な特性によるものであり,どの時代でも同じです。しかし,平成不況が本格化した「どんより」としたムードの中で人間形成をしてきたのは,この世代の特徴です。「さとり世代」の所以はこういうところに求められると思われます。

 前々回の図の補足版として,掲載しておこうと思います。自殺率ではなく,不慮の事故死率で譜面を塗り分けても面白いですよね。この指標なら,乳幼児期や児童期も,不気味な色で染まるはずです。人生初期の経験が世代によってどう違うかも可視化されるでしょう。

 この「ジェネレーション・グラム」の図法は,いろいろな可能性を秘めています。電車のダイヤグラムの応用ですが,これを世代理解のツールに仕立て上げた松本良夫先生の功績に,改めて敬意を表したいと思います。

2015年1月6日火曜日

好かれない教科

 ヒマをみては,公的機関が何か面白い調査をしていないかとサーチしているのですが,国立青少年教育研究機構が,青少年に関わるいろいろな調査をしているようです。
http://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/

 その中の一つに,『青少年の体験活動等に関する実態調査』(2012年度)があります。主眼は,青少年の体験活動の頻度と生活意識の関連分析のようですが,調査票をみると,いろいろ興味深い設問が盛られています。

 私は,好きな教科を尋ねている設問に関心を持ちました。小学校調査では問9,中学校調査では問10です。9の教科を提示し,自分の好きなもの全てに丸をつけてもらう形式なり。丸をつけた児童・生徒の比率が各教科の「好き」率になりますが,ひねくれ者の私は,その逆の比率に注目してみました。当該の教科を選ばなかった者の率,すなわち「好きでない」率です。

 たとえば,小学校5年生男子のうち,国語に丸をつけた児童は全体の17.4%です。よって残りの82.6%が,当該教科を好んでいないことになります。以下では「好きでない」率ということにしましょう。

 私は,各教科について,小5と中2の男女の「好きでない」率を明らかにしました。下表は,値を整理したものです。(   )内は,中学校の教科名称です。


 どの教科も値が高いですね。まあ,「好きでない=普通+嫌い」ですから,量は多いのでしょうが,ここまでとは思いませんでした。

 なお男女とも,小5から中2になるに伴い,比率が上昇します。女子の家庭科(技術・家庭科)にあっては,「好きでない」率は39.9%から81.0%へと倍増しています。私の頃は,男子は技術,女子は家庭というようにパッカリ分かれていましたが,今は女子も技術をやるのですよね。針や包丁ならいいが,金槌や鋸を握るとなるとちょっと・・・という子が多いのでしょうか。

 あとジェンダーの差にも注目。予想通りといいますか,理数教科を好まない者の率は「男子<女子」であり,中学校になるとその差が開きます。国語や芸術教科を好まぬ者の率は,その反対です。よく言われることですが,教科嗜好のジェンダー差も出ていますね。

 それでは,上表のデータをビジュアル化してみましょう。学年差と性差を同時に見てとれる図をつくってみました。横軸に男子,縦軸に女子の「好きでない」率をとった座標上に,小5と中2の各教科のドットを位置づけ,学年間を線で結びました。

 末尾を小5,先端を中2とした矢印にしています。これで,小5から中2にかけての変化がイメージしやすくなるかと思います。


 ほとんどの教科が右上に動いています。男女とも,「好きでない」の者の率が上がっている,ということです。しかし,その増加幅は教科によって違っていて,家庭科(技術・家庭科)では,矢印が長くなっています。先ほど述べたように,この教科を好かない女子の率が急騰するためです。

 美術や保健体育の矢印も長いですね。小学校から中学校に上がるに伴い,実技系教科の状況が芳しくなくなるようです。しかるに,それは主要教科も同じであり,算数(数学)と理科は,小5の時点で高い「好きでない」率が中2になるとさらにアップし,女子では8割を超えるようになります。

 性差という点でいうと,点の斜線より上にある教科は「男子<女子」,これより下にある教科はその逆ですが,それぞれのゾーンにある教科にはジェンダー色が出ています。

 肌感覚でも分かるように,女子で理数教科を好まない者が多いのですが,全員がそうではありません。理科を好む女子は,小5では36.5%,中2では16.4%います。追及すべきは,こうしたリケジョがどういう環境で育っているかです。

 実は今日,上記の調査のローデータを入手したところです。それぞれの設問の回答を,家庭環境の設問とクロスさせることもできます。保護者の養育態度との関連も興味深い。女子の理系嗜好の要因分析なんていう研究もできるかも。理科が好きか否かを外的基準に立てた,数量化Ⅱ類のようなタッチもいい。課題として記しておこうと思います。

2015年1月4日日曜日

どれほどヤバい時代を生きてきたか

 社会がどれほどヤバいかをみるには,自殺率が一番であると思います。デュルケムはこの指標を使って,19世紀のヨーロッパ社会の病理をえぐり出してみせました(『自殺論』)。

 日本の自殺率の長期推移を描くと,下図のようになります。1900(明治33)年から2013(平成25)までの,100年以上にわたる曲線です。自殺率とは,人口10万人あたりの自殺者数であり,厚労省の『人口動態統計』に,計算済みの数値が掲載されています。


 自殺率は時期によってかなり違いますが,その水準を5段階に区分してみました。①16未満,②16以上18未満,③18以上20未満,④20以上22未満,⑤22以上,です。この段階分けは,社会の「ヤバい」度レベルとみなせます。

 ⑤の時期に該当するのは,1954~1959年と1998~2011年です。戦後混乱期から高度経済成長期への移行期(激変期),および平成不況が本格化した時期です。歴史的にみて,社会が最も病んでいた時期といえましょう。現在もレベル④であり,予断を許さない状況です。

 これで日本社会の暗雲度を色分けする基準を得ましたが,上記の5段階で塗り分けた年譜の上に,それぞれの世代が生きた軌跡線を引いてみました。師匠の松本良夫先生が属する1931~35年生まれ世代の場合,(0~4歳,1935年)と(60~64歳,1995年)を結んだ直線で表されます。

 松本先生の世代のほか,5つの世代の斜線をも書き込んでいます。各世代がどれほどヤバい時期を生きてきたか。乳幼児期,児童期,青年期といった発達段階を,どういう時代で過ごしたか。これらの点を視覚的にみてとることができます。


 色が濃いほど,自殺率が高いヤバい時代ですが,松本先生の世代(青色)は,ちょうど青年期と重なっています。時代は1950年代の後半。戦前と戦後の新旧の価値観が混在していた頃ですが,こうした不安定な時期に,自己のアイデンティティ(生き方)を確立するのは容易ではなかったこと思います。

 私の世代(緑色)は,ちょうど社会に出る頃,暗雲期に突入します。わが国の自殺率は97年から98年の間に急騰し,自殺者数も3万人台にのったのですが(98年問題),私が大学を出たのは翌年の99年です。人呼んで,ロスジェネなり。

 黄色の団塊の世代は,50代の時期にこの暗雲期を経験しましたが,無慈悲なリストラによる自殺者数を多く出したことでしょう。総決算でみると,自殺者を最も多く輩出したのは,この世代かもしれません。青年期は白色の高度経済成長期でしたが,定年間際の50代は暗雲期。苦も味わっているわけです。この世代を見る眼差しが,ちょっと変わりました。

 一番下のピンク色は,今の大学生の世代ですが,幼少期からブラックの暗雲期を過ごしてきています。この世代は「さとり世代」などといわれますが,現実を悟っているクールなメンタリテは,彼らが育ってきた時代状況と無縁ではないでしょう。

 今回は自殺率でしたが,景気動向指数や失業率で塗り分けた図面の上に,各世代の軌跡を引いてみるのもいいかもしれませんね。前回の学習指導要領の図も合わせて,こういう素材を蓄積することで,異世代間の理解もいっそう深まると思います。

2015年1月1日木曜日

どの学習指導要領で育ったか

 年が明けました。今年もどうぞ,よろしくお願いいたします。

 2015年は戦後70年に当たります。この節目の年のスタートということで,特定の観点から戦後史を振り返ってみようと思います。具体的には,学習指導要領の変遷史の上に,各世代の軌跡を書き込んでみます。タイトルのごとく,それぞれの世代は「どの学習指導要領で育ったか」を可視化する試みです。

 学習指導要領とは教育課程の国家基準ですが,その内容は時代ともに改訂されてきています。大よそ10年間隔です。その変遷史をみると,能力主義の考え方のもと,授業時数や教育内容がうんと増やされた時期もあれば,その逆の時期もあります。後者の学習指導要領で育った世代は,「ゆとり世代」などといわれたりします。

 どの学習指導要領で育ったかは,各世代の人間形成に少なからず影響していることでしょう。学習指導要領をして「国民形成の設計書」となぞらえた論者もいますが,その規定力(拘束性)を侮るわけにはいきません。
http://www.tups.jp/book/book.php?id=224

 教員採用試験を受験予定の方は勉強済みかと思いますが,学習指導要領は以下のように変遷していきています。

 ①1947年版学習指導要領(小・中は47年,高は48年より実施)
 ②1951年版学習指導要領(小・中・高とも51年より実施)
 ③1958年版学習指導要領(小は61年,中は62年,高は63年より実施)
 ④1968年版学習指導要領(小は71年,中は72年,高は73年より実施)
 ⑤1977年版学習指導要領(小は80年,中は81年,高は82年より実施)
 ⑥1989年版学習指導要領(小は92年,中は93年,高は94年より実施)
 ⑦1998年版学習指導要領(小・中は02年,高は03年より実施)
 ⑧2008年版学習指導要領(小は11年,中は12年,高は13年より学年進行で実施)

 私の世代(1976年生まれ)は,⑤の77年版学習指導要領のもとで育ったことになります。今年,杏林大学で教えている1年生の学生さん(95年生まれ)は,⑦の98年版学習指導要領の世代です。

 ①~⑧の学習指導要領の実施期間で塗り分けた図のうえに,それぞれの世代の軌跡を書き込んでみました。私の世代の軌跡は,(83年,小1)と(94年,高3)を結んだ直線で表されます。

 ほか,40年生まれ世代(私の母の世代),48年生まれ世代(団塊の世代),68年生まれ世代(非行世代),84年生まれ世代(メグカナ世代),95年生まれ世代(今の大学1年生)の軌跡線も引いてみました。

 では,ブツをみていただきましょう。


 今の大学1年生は,学校生活のほとんどを⑦のもとで過ごしてきた世代です。ご存じのとおり,ゆとり教育を掲げ,授業時数を3割削減した指導要領ですが,その洗礼をもろに受けた純粋「ゆとり」世代です。

 しかるに,かくいう私も「ゆとり」世代です。⑤の指導要領は,それ以前の能力主義を反省し,「ゆとり」「精選」の方針のもと,授業時数を削減したものでした。社会奉仕や勤労体験学習が重視されたのも特徴です。そういえば,休み中の地域清掃活動などがあったなあ。これが効をなしたのかは知りませんが,私の世代は,総決算でみて最も非行少年が少なかった世代です。
http://tmaita77.blogspot.jp/2011/03/blog-post_11.html

 その一つ上の68年生まれ世代は,逆に非行が最も多かった世代(delinquent generation)なり。80年代初頭の非行の「第3ピーク」は,この世代が主に担ってくれたものでした。児童期を④の能力主義的指導要領のもとで過ごし,思春期になって急に「ゆとり」「精選」に転換されたのですが,それに対する戸惑いがあったのか,タガが外れてしまったのか・・・。こうした急転が,多感な思春期の入口と重なったことも不運であったといえるかもしれません。

 さらに一つ上の48年生まれ世代は,人数的に最も多い団塊の世代。児童期は,法的拘束がなく,授業時間も一律に定められていなかった「ゆるい」指導要領で育ちましたが,思春期以降,締め付けが厳しくなります。能力主義方針のもと,高校職業学科の学科が細分され,差別的な選り分けがなされたのもこの頃です。68年生まれ世代と同じく,多感な時期に指導要領の急転換を経験した世代ですが,学生運動の闘志のルーツはこういうところにあったのではないかという気もします。

 最後に84年生まれ世代ですが,今世紀初頭の「キレる子ども」の主役を演じてくれた世代です。一貫して⑥の指導要領のもとで育ちつつも,10代の時期にネットの普及という大変化を経験した世代。指導要領の上では「社会の情報化への対応」がいわれましたが,この頃の脆弱な情報教育では,青少年をして,情報化社会へと適応させるのは難しかったようです。高校に情報科という教科ができたのは,その後の⑦の指導要領においてでした。

 上図には,私が関心をもつ6つの世代の軌跡線を引いていますが,ご自身の軌跡を書きこんでみるのもいいでしょう。ご家族全員の線を引いてみるのもいい。家族の相互理解を深める,お正月の娯楽としていかがでしょうか。

 なお今回の図は,師匠の松本良夫先生が考案された「ジェネレーション・グラム」という図法に基づいています。昨年の8月7日の記事では,社会的な出来事を書きこんだ図を展示しています。こちらも,異世代理解を深めるためのルールとしてお使いいただけるのではないかと思います。

 それでは皆様,よいお正月をお過ごしください。