2012年12月31日月曜日

2012年の総括

 今年も残すところ数時間となりました。昨年と同様,今年(2012年)についても,やったことの総括をしておこうと思います。

 まずは大学の非常勤講師。前期は,武蔵野大学環境学部の「調査統計法2」,武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部の「リカレント教育論」を担当しました。後期は,杏林大学教職課程の「教育社会学」,武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部の「ボランティア論」を持ちました。

 次に文筆ですが,教員採用試験参考書の新刊として,『中学校・高等学校学習指導要領らくらくマスター(2014年度版)』を実務教育出版社より刊行しました。昨年まで中学と高校とで分けていたのを,1冊にまとめたものです。どちらの校種の試験にも対応できるようにしてあります。お手にとっていただければ幸いです。
http://jitsumu.hondana.jp/book/b104148.html

 それと,TBSドラマ「黒の女教師」の台本の統計データ監修を引き受けました。この夏に放映されたドラマです。ご覧になった方もおられるかと存じます。「金八先生」のような熱血教師モノとは全く違った内容のものです。1月11日にDVDが発売されます。
http://www.tbs.co.jp/kuro-no-onna/

 最後に,本業の研究。6月に,統計で日本の教育と社会を概観する本の企画案が承認され,その原稿を書いてきました。年明けに原稿を出し,編集作業を経て刊行という段取りになるかと思います。刊行時期の目処がつき次第,お知らせします。

 以上が今年中にやったことですが,本ブログの総括もしておきましょう。昨年の総括記事によると,昨年の12月31日時点のブログ記事閲覧数(PV数)は7万1,009でした。今,本記事を書いている時点のPV数は56万3,623です。よって,この1年間のPV数は49万2,614とうことになります。1日あたり1,350です。

 閲覧頻度が高い記事を紹介します。こちらは,ブログ開設日(2010年12月17日)以降のPV数に依拠したものです。


 今年の8月30日に書いた「専攻別にみた博士課程修了生の惨状」が6万近くでダントツトップです。やはり,無職博士問題に関心をお持ちの方が多いのだな,と思います。それと,PISA調査のデータを使った,教育の国際比較の記事をみてくださった方が多いようです。

 これからも,定期的に記事を更新して参ります。なお,12月18日よりツイッターを始めました。長い解説を添える必要がない,「ただみてほしい」という統計図は,こちらで紹介していく予定です。日記風のくだいないつぶやきも多々ありますが,ツイッターもご覧いただければと存じます。

 それでは皆さま,よいお年をお迎えください。

舞田敏彦 拝

2012年12月29日土曜日

嫌われる学歴回答

 『国勢調査』の結果が続々と公表されていますが,最新の2010年調査の目玉は,国民の学歴が調査されていることです。この変数をコアにして,さまざまな分析を手掛けている社会学の研究者も多いと思います。私も,その端くれの一人です。

 ところで,学歴の調査結果をみていて気になることがあります。学歴不詳というカテゴリーに含まれる人間の多さです。2010年調査でいうと,在学者や未就学者を除く学校卒業人口は1億244万人ですが,そのうち,1,338万人が学歴不詳と報告されています。額面通りにとると,学校卒業者の学歴不詳率は13.1%ということになります。

 自分の最終学歴を知らないという者はほぼ皆無でしょう。考えられ得る理由は,回答漏れか回答拒否のいずれかですが,おそらくは大半が後者であると思われます。

 人間誰しも,突っ込んだことを聞かれるのには抵抗を感じるものです。「こんなこと,答えにゃいかんのか」。怒りにも似た思いを抱いて,学歴欄はどの選択肢にもマークしないで調査票を出す。こういう人もおられると思います。

 学歴不詳率が13%にもなると,国民の学歴分布を正確に把握するのは難しくなります。しかるに,この値を細かい地域別に計算すると,とてつもない値が次から次へと出てきます。2010年の『国勢調査』結果をもとに,首都圏(1都3県)の243区市町村の学歴不詳率地図をつくってみました。MANDARAは便利。この手の地図の作成もらくらくです。
http://ktgis.net/mandara/


 黒色は,25%(4人に1人)を超える地域ですが,東京の23区のほとんどが黒く染まっています。単身の若者が多いためでしょう。

 豊島区の場合,学校卒業人口23万9千人のうち,10万2千人が学歴不詳となっています。当該区の学歴不詳率は42.9%です。ここまでくると,住民の学歴構成を知るための資料としては使えません。

 他にも,学歴不詳率が高い地域は数多し。こうなると,地域単位の統計を使って,社会階層と子どもの教育達成の関連を分析するというような研究はできなくなります。学術研究のみならず,各種の企画・政策立案等にも支障が出てくることでしょう。

 『国勢調査』において,学歴不詳率が高まってきたのは,つい最近のことです。1990年は1.6%,2000年は3.8%であったのが,2010年になって13.1%にまで急上昇しています。

 2003年の個人情報保護法制定に象徴されるように,今世紀以降,われわれは個人情報にピリピリするようになっています。自分の回答が変なことに使われるのではないか・・・。『国勢調査』は記名式ですので,そういう警戒心が生まれるのも無理からぬことです。

 ですが,公的な基幹統計調査にあっては,情報漏洩の心配はありません。きちんと回答し,正確な統計資料が作成されることに貢献したいものです。

 なお,『国勢調査』のような基幹統計調査への回答は法で義務づけられており,それを拒むことはできません(統計法第13条)。この義務の履行を怠った場合,50万円以下の罰金刑が科されることになっています(第61条)。
http://www.stat.go.jp/index/seido/houbun2n.htm

 こうした法規定をもっと厳格に適用していく必要があるかもしれません。と同時に,社会調査全般への不信を増長させてしまうような,安易な調査の実施は慎まねばなりますまい。あと一点。われわれは個人情報にいささか過敏になり過ぎている向きがあるので,個人情報保護法の規定を正確に知らしめる啓発活動も重要といえましょう。

2012年12月27日木曜日

家族と夕食をとらない子ども

 血縁で結ばれた成員からなる家庭は,情緒的・情愛的な人間関係が支配的な第1次集団です。この集団には,子どもの社会化機能とともに,成員の情緒安定機能を果たすことが期待されています。

 学校や職場では緊張(strain)を強いられることが多くても,家庭に帰ってくればホッとします。お父さんは堅苦しいスーツを脱ぎ,ステテコ姿になって晩酌。子どもはといえば,何の遠慮もいらない親兄弟に,学校であった嫌なことを洗いざらいぶちまけ,心の安定を得る。家庭ってそういうところです。

 しかるに,現代の家庭の現実態は,それとは異なるようにも思えます。同じ屋根の下に暮らしながらも,各人が自室にこもり,ろくに会話しない。食事も一緒にとらない。父は会社,母は地域活動,子は学校・塾というように,成員はそれぞれ外部関係を持っていますが,今日ではその比重がことに高まり,家庭生活を圧迫しています。お父さんはいつも午前様,子は夜遅くまで塾通い・・・。こういうことはザラでしょう。

 このことは,家族と夕食をとらない子どもが少なくないことからも知られます。文科省の『全国学力・学習状況調査』では,対象の児童・生徒(小6,中3)に対し,「家の人と普段(月~金曜日),夕食を一緒に食べているか」と尋ねています。程度を4段階で自己評定してもらう形式です。
http://www.nier.go.jp/09chousakekkahoukoku/index.htm

 2009年度調査の結果にて,最も強い肯定の回答(「している」)の比重をみると,公立小学校6年生は70.9%です。ところが,公立中学校3年生になると,この比率は56.3%にまで減じます。およそ半分です。

 ちなみに,この比率は地域によってかなり違っています。公立中学校3年生について,47都道府県の同じ値を出し,地図化してみました。下図をご覧ください。最近覚えたMANDARAでつくってみました。
http://ktgis.net/mandara/


 5%刻みでに塗り分けています。最高は富山の68.7%,最低は奈良の46.3%です。ほう。この両端では,20ポイント以上もの差があります。同じ日本でも違うものですね。

 なお,このようなレンジもさることながら,地図の模様をみると,首都圏と近畿圏が真っ白に染まっているのが注目されます。大都市部では,子どもの塾通いが多いためでしょう。また,雇用労働化や遠距離通勤というような事情から,親の帰宅時間も遅い,ということも想起されます。

 上の指標は,家族密度,もっといえば,家庭が子どもの情緒安定機能をどれほど果たし得ているかを測る客観指標と読むこともできます。興味が持たれるのは,この値の高低によって,各県の子どもの育ちがどう異なるかです。

 私は,中学生の非行者出現率との相関をとってみました。主要刑法犯で警察に検挙・補導された中学生数を,各県の全中学生数で除した値です。分子は警察庁『犯罪統計書』,分母は文科省『学校基本調査』から得ました。2009年のデータです。

 上記地図に示された各県の夕食摂取率と,非行少年の出現率との相関をとると,下図のようになります。


 結果は負の相関です。家族と夕食を食べない生徒が多い県ほど,非行が多い傾向にあります。相関係数は-0.622であり,1%水準で有意です。

 これは,都市性の度合いを介した疑似相関だろう,といわれるかもしれませんが,都市化の指標(人口集中地区居住率)は,非行率とここまで強く関連していません。上図の相関関係は,因果関係的な部分も含んでいるのではないかと思います。

 なお,2011年の11月15日の記事でみたところによると,中学生のケータイ利用度と非行率の相関係数は+0.486でした。ほう。家族との夕食摂取率は,ケータイ利用度よりも強く非行と関連しています。

 家庭での情緒安定機能の弱化(欠落)が,子どもの育ちに与える影響は大きいようです。いじめや受験競争など,現代の学校では,各種の緊張・葛藤が渦巻いています。それを癒してくれる場がないことは,確かに子どもにとって痛手となるでしょう。

 余談ですが,昔は,父ないしは母がいないという家庭(当時でいう欠損家庭)から非行少年が出る確率が高かったのですが,今では,その度合いは弱まってきています。非行の「一般化」と呼ばれるものです。家庭の形態面だけでなく,そこでの生活の内実にも注意しなければなりますまい。

 このような状況を克服するには,会社,学校・塾というような,家庭の外の外部関係の比重を,意図的に小さくするようなことも必要ではないかと考えます。そのことが,家庭の情緒安定機能を回復せしめるための基本的な条件となるからです。

2012年12月26日水曜日

福島における肥満児の増加

 今日の読売新聞Web版によると,福島県において子どもの肥満が増加しているそうです。記事で提示されている統計の出所は,2012年度の文科省『学校保健統計』の速報結果。ああ,そういえば昨日公表されましたね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121226-OYT1T00011.htm?from=ylist

 私はこの手の報道に接すると,原資料にあたって,詳しい統計を確認したくなります。『学校保健統計』に掲載されている肥満傾向児率は,身長と体重から肥満傾向と判定された者が全体のどれほどを占めるかという指標です。数値は,年齢ごとに記載されています。

 上記の新聞記事では,2010年と2012年の数値が比較されています。同じ手順を踏みましょう。下図は,福島の年齢別肥満児率が,この2年間でどう変化したかを図示したものです。本県の特徴を見出すため,全国との比較も交えます。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011648


 全国データでは軒並み率が下がっていますが,福島はさにあらず。6~11歳の小学生では,年齢を問わず,肥満児の比率が高まっています。増加幅が最も大きいのは8歳であり,本県のこの年齢の肥満児率は,この2年間で8.4%から13.5%へとアップしています。

 なるほど。記事でいわれていることは確かのようです。しかるに,この傾向が本県独自のものかはどうかは,47都道府県全体を見渡してからでないと分かりません。記事ではこの点に触れられていませんが,ここにて,それを明らかにしてみましょう。

 私は,2010年から2012年までの肥満児率の増減ポイントを,全県について計算しました。福島の8歳でいうと,+5.1ポイントです(13.5-8.4=5.1)。他県の各年齢の変化はどうでしょう。6~11歳の小学生に焦点を当てます。


 マイナスは,この2年間で肥満児の率が下がったことを意味します。表を全体的にみると,マイナスの記号が多くみられます。この期間中,全国的にみれば,子どもの肥満傾向は緩和されているようです。食育等の実践の賜物でしょうか。

 ところが,福島だけが異彩を放っています。具体的な数値を引いての説明は不要でしょう。全県を見渡しても,近年における肥満児の増加は,この県の特徴であると判断されます。

 2010年と2012年の間に何が起きたかは,申すまでもありません。そう,11年3月19日の東日本大震災です。それに伴う原発事故により,避難生活を余儀なくされている方もいます。

 子どもの肥満増加が福島に固有の傾向であることは,まぎれもなく,このことによるでしょう。県教委も,「原発事故後,避難生活や屋外活動の制限が長く続いたことによる運動不足やストレスが原因」という見解を出しているとのこと(上記新聞記事)。

 なるほど。屋内にこもりっきりで,することがなく,食べることでストレス発散,というようなことが多くなっていることでしょう。なお,当人のストレスだけでなく,母親のストレスが子どもの肥満をもたらすという説もあります。「子ども,肥満,ストレス」という3語でググったら,下記のサイトが出てきました。貼っておきます。
http://venacava.seesaa.net/article/106106745.html

 『学校保健統計』では,喘息,心臓病等の疾患率も県別に分かりますが,こうした各種疾病の疾患率という点でみるとどうかしらん。2012年の速報結果では,これらのデータはまだ公表されていません。確定値が公表され次第,2010年との比較をしてみる必要がありそうです。

 この分析を体系的に行うことで,震災が子どもの健康に与えた影響を,マクロ的に解明できることでしょう。

2012年12月24日月曜日

首都圏の就学援助率地図

 フリーの地図作成ソフト,MANDARAをご存知でしょうか。埼玉大学の谷謙二准教授が,ネット上で無償提供されているものです。
http://ktgis.net/mandara/index.php

 これを使うと,都道府県よりも下った,各県内の区市町村単位の統計地図も簡単に作成することができます。現在,使い方をようやくマスターし,さまざまなデータの地図化を楽しんでいるところです。

 いくつか試作品を作ったのですが,ここにて,首都圏(1都3県)の就学援助率地図をご覧に入れようと思います。就学援助とは,経済的理由によって学齢の子女を義務教育学校に通わせることが難しい保護者に対し,区市町村が,学用品費等を援助する制度です。

 対象は,生活保護法が定める要保護者と,それに準じる程度に生活が困窮していると認められる準要保護者です。その子ども(学齢)は,要保護児童・生徒,準要保護児童・生徒と呼ばれます。

 文科省の『平成21年度・要保護及び準要保護児童生徒数について(学用品費等)』という資料から,全国の区市町村の要保護ならびに準要保護児童・生徒の数を知ることができます。

 これによると,私が住んでいる多摩市の場合,同年度の要保護児童・生徒数は210人,準要保護児童・生徒数は2,807人です。同資料に掲載されている,同年の公立小・中学生数は9,930人。したがって,当市の就学援助受給児童・生徒の出現率は,(210+2,807)/9,930≒30.4%となります。およそ3割。結構いるものですね。

 私は,1都3県の204区市町村(東京の島嶼部除く)についてこの値を出し,上記ソフトで地図化してみました。以下に展示します。


 5%の区分で塗り分けています。黒色は20%(2割)を超える地域ですが,都内の特別区部(23区)に明らかに集中していることが注目されます。ちなみに,上記5位は以下のごとし。

 1位 東京・足立区 ・・・ 38.2%
 2位 東京・墨田区 ・・・ 34.2%
 3位 東京・板橋区 ・・・ 33.4%
 4位 東京・荒川区 ・・・ 32.1%
 5位 東京・多摩市 ・・・ 30.4%

 おお,わが多摩市が5位とは。1~4位は,すべて東京の北東部の下町地域です。

 ところで,就学援助は貧しい家庭を対象とするものですから,論理上,上図の地図の模様は,経済面での豊かさマップとは逆の模様になると思われます。税務統計をもとに首都圏の富裕度地図をつくり,上図と照合してみましょう。

 ここで富裕度の指標とするのは,納税義務者1人あたりの課税所得額です。税が多く課されている地域ほど,富裕度が高いと解されます。ソースは,総務省統計局『統計でみる市区町村のすがた2012』です。
http://www.stat.go.jp/data/ssds/5b.htm


 どうでしょう。予想に反してといいますか,上の就学援助率地図の裏返しとはいえないようです。むしろ,模様が似ているかの感すらあります。たとえば,東京の中心部が黒色であること,千葉県の西部・南部が白色である傾向はそっくりです。

 2つの地図の元となっている,就学援助率と1人あたり課税所得額の相関係数を出すと,+0.337となります。204というデータ数を考慮すると,1%水準で有意な係数値です。

 論理上は,貧しい地域ほど就学援助率が高い傾向になるはずですが,現実はその逆です。これは,就学援助の認定基準の設定が各区市町村に委ねられているためです。ゆえに,就学援助の量は貧困度と必ずしも比例しない,という現象も起こり得ます。

 この点の詳細については,9月6日の記事で述べましたので,ここでは繰り返しません。ただ,本当に就学援助が必要な家庭が,制度の対象からこぼれ落ちているのではないか,という問題が提起されることを記しておきましょう。

 MANDARAで試作した地図がたまっています。コメントが必要なものはブログで,ただ見てほしいというものはツイッターにて,公表していく予定です。お楽しみに。

2012年12月22日土曜日

博士課程修了生の不安定進路の比重

 昨日,2012年度の文科省『学校基本調査』の確定値が公表されました。8月公表の速報値とは違って,仔細な集計も多く盛られています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528

 集計の仕方も年々詳しくなってきているのですが,今年度より,卒業後進路の「就職」カテゴリーが,「正規就職」と「非正規就職」とに区分されていることが注目されます。雇用の非正規化が進んでいる現在,双方の数字を分けてカウントする必要がある,という認識からでしょう。

 今年度より,高等教育機関の卒業後進路カテゴリーは,以下の8つとされています。

①:進学
②:正規就職
③:非正規就職
④:臨床研修医
⑤:専修学校,外国の学校等入学
⑥一時的な仕事(バイト)
⑦:左記以外の者(その他)
⑧:不詳・死亡

 今年春の大学院博士課程修了生(満期退学含む)の場合,8カテゴリーの分布はどうなっているのでしょう。この点については,8月29日の記事にて明らかにしたのですが,用いたのは速報集計のデータだったので,修了生全体ならびに大雑把な専攻系列ごとの傾向しか把握し得ていません。

 しかるに,このほど公表された確定値集計では,各系列の下位にある,細かい小専攻ごとの数値も分かります。無業(⑥+⑦)や進路不詳・死亡(⑧)の比重については,8月30日の記事でもみたところですが,就職の中の「非正規」をも含めたら,どういう傾向が出てくるでしょうか。

 私は,修了生数が100人を超える30の小専攻について,今年春の修了生の進路分布を明らかにしました。なお,人数が少ない①,④,⑤の3つは,「進学等」の1カテゴリーにまとめたことを申し添えます。


 就職者の中から非正規を取り出してみると,これまたすさまじい傾向が出てきます。非正規就職,バイト,その他(無業),および不詳・死亡を「不安定進路」として括ると,文学専攻では,修了生の84.9%が不安定進路をたどっていることが知られます。

 藍色の線で囲った不安定進路の比重の上位5位は,文学(84.9%),人文科学その他(79.6%),史学(71.8%),哲学(70.6%),そして生物(69.6%)です。

 ほう。理系の生物専攻が5位にランクインしていますね。これは,非正規就職の比重が高いことによります。多くは,短期採用のポスドクでしょう。就職者中の非正規の数が公表されたことで,理系専攻の影の側面もみえてきました。

 不安定進路(膿)のウェイトがはっきり分かる図も提示しておきましょう。上図の6カテゴリーを簡略化した組成図をつくりました。


 藍色の比重は,およそ半分というところでしょうか。非正規就職をも考慮すると,理系専攻においても,膿が広がっていることが分かります。

 修了者の行き場がないことから,博士課程の定員を抑制する方針が出されています。それが実施されているのか,あるいは危機を感じた学生が自発的に離れているのかは分かりませんが,近年,博士課程への入学者は減少傾向です。


 昨日公表の『学校基本調査』の確定値によると,今年春の入学者は15,557人なり。前年よりも減っています。来年春はどうなることやら。

 文科省の進路統計において,就職者のカテゴリーが正規と非正規に区分されたのは,好ましいことだと思います。大学学部や修士課程についても,同じ分析をしてみるのも一興でしょう。

2012年12月20日木曜日

15歳生徒のHP・ブログ利用の国際比較

 12月18日より,ツイッターを始めました。ブログは研究ノートですが,ツイッターは,ネット上の興味ある情報の収集や,日記として使いたいと思っています。

 情報化社会では,この手の情報発信ツールを使いこなすことも重要となってきます。私はオジサンですが,日本の子どもたちは,こうしたツールをどれほど利用しているのでしょうか。一応,各種の実態調査がなされているようですが,どれをみても「ふーん」という感じです。比較という視点がなく,報告された数値の性格を知ることが難しいためです。

 ここでは国際比較によって,日本の15歳生徒の実態を評価してみようと思います。用いるのは,PISA2009の生徒質問紙調査の結果です。

 ICT関連の質問紙のQ4では,「個人のホームページやブログを公開し管理するために,自宅でコンピュータをどれくらい利用しているか」と尋ねています。対象は,義務教育を終えた15歳の生徒です。日本の場合,高校1年生が回答しています。

 私は,OECDのサイトから,回答結果が入力された段階のローデータをダウンロードし,44か国について,上記設問への回答分布を明らかにしました。わが国を含む,目ぼしい国のデータをご覧に入れましょう。米英仏の生徒は,本設問への回答はしていないようです。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 カッコ内の数値は,各国のサンプル数です。日本の場合,5,685人の生徒の回答分布が図示されています。


 どの国でも「まったくか,ほとんどない」という生徒が最多なのですが,わが国では,その比重が高くなっています。74.5%です。毎日,HPやブログをやっているという生徒は,10人に1人しかいません。

 一方,お隣の韓国は利用度が比較的高いようです。頻度はどうであれ,6割以上の生徒が,自身のHPやブログを持ち,運営していることが知られます。他の3国の利用度は,日韓の間に位置しています。

 上図は,4つの選択肢の比重分布ですが,これを要約して,各国のHP・ブログ利用度を測る単一の尺度をつくってみましょう。「まったくないか,ほとんどない」には1点,「月に1~2回」には2点,「週に1~2回」には3点,「毎日,ほぼ毎日」には4点,というスコアを与えます。

 この場合,日本の生徒5,685人のスコア平均点は,以下のようにして算出されます。
 [(1点×74.5)+(2点×7.3)+(3点×7.3)+(4点×10.9)]/100.0 ≒ 1.55点

 韓国は2.23点,ドイツは1.67点,スウェーデンは2.00点,そしてロシアは1.67点です。上図からも分かることですが,日本の利用度は,5か国の中で最も低くなっています。このように点数化すると,各国の細かい位置関係(順位)も明確になるのが利点です。

 以上は5ヵ国の数値ですが,他国は如何。回答のあった44か国について,同じスコア平均を出し,高い順に並べてみました。


 日本の利用度は,44か国中42位です。15歳の生徒のHP・ブログ利用度は,比較の対象を広げてみても低いことが分かります。

 一方,興味を持つのは,マカオ,韓国,シンガポール,そしてホンコンのようなアジア新興国において,利用度が高いことです。「新興」の原動力は,ネットを介した若者の情報発信力であったりして。

 さて,日本の位置をどうみたものでしょう。まず,「自宅でコンピュータ」という条件が附いていることに注意が要ります。日本の子どもは,ケータイやスマホのような小型機器への親和度が高いので,この条件を取っ払えば,上図での位置も変わるかもしれません。でも,ツイッターならまだしも,HPやブログの管理・更新を,小型機器で行えるのかしらん。

 HPやブログは,誰もが無償で使える,情報発信のためのツールです。情報化社会によってもたらされた,恩恵といってもよいでしょう。これを上手く活用すれば,「我ここにあり」と,世間に旗揚げすることもできます。

 シューカツにしても,型にはまったマニュアルを覚えることに躍起になるのではなく,こういうツールを使って,自分を「発信」することに努めたほうがよいのではないでしょうか。むろん,早い段階からです。似たような主張もあるようなので,URLを貼っておきます。
http://www.littleshotaro.com/archives/1210

 また,これらのツールは,コメント等を通したやり取りも可能です。その範囲は,全世界に及びます。情報発信のツールであると同時に,コミュニケーション・ツールであるのです。

 むろん,問題もあります。ネット上のコミュニケーションは2次元のものであり,相手の顔,声,仕草,印象などが分かる3次元のものとは違います。後者でのみ伝えることのできる内容というのも,少なくないはずです。

 あと一つの問題として,人間形成への影響があります。昨日の朝日新聞Web版に,「つぶやく学生は『自分本位』に?」と題する記事が載っていました。「ツイッターを使う学生は,気軽に本音をつぶやいて友人とのつながりを感じるが,自分に都合の良い情報だけを拾う習性が強まるため『自分本位』に陥りやすい」のだそうです。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201212090269.html

 ツイッターを始めたばかりの私にとってショックな内容でしたが,そういう面もあるでしょう。HPやブログでの情報発信にしても,自分で内容を決めるという,一方的なものです。幼少の頃から,これにどっぷり浸かった人間はどうなるか・・・。確かに,背筋が凍る思いがします。

 しかるに,このような問題があるからといって,情報化社会という,厳と存在する社会状況を無視することはできません。上のような弊があることを認識した上で,学校において,情報教育を推進していくことが重要といえましょう。今回の国際データから,日本の場合,その余地はまだまだあると判断されます。

 それと,日々の生活全般において,ケータイやスマホ等の小型機器だけでなく,もっとコンピュータに触れるよう,仕向けていくことも求められるでしょう。10月21日の記事では,わが国の生徒のコンピュータスキル(自己評定)が世界で最低であることをみたのですが,これは,謙虚な回答をした生徒が多いから,ということだけに帰すことはできないと思います。

2012年12月18日火曜日

軽度の自傷行為の広がり

 11月24日の記事では,東京都内において,自損行為によって救急車で運ばれた者の数を明らかにたのですが,消防庁の『消防白書』に,全国の数字が掲載されていることを知りました。
http://www.fdma.go.jp/concern/publication/

 2011年版の同資料によると,2010年中の全国の自損行為搬送人員は51,833人となっています。この中には自殺未(既)遂者もいれば,ちょっとしたノリでリストカットをしたというような,軽度の自傷行為者も含まれると思われます。

 この統計が意味するところを考えるには,自殺者の数と照合してみるのがよいでしょう。私は,1980年から2010年までの30年間について,全国の自損行為搬送人員数と自殺者数がどう推移してきたのかを調べました。自殺者数の出所は,厚労省の『人口動態統計』です。


 自損行為者数と自殺者数は,1990年代の末頃までは近似していました。97年から98年にかけて大きく増えていることも共通しています。ところがそれ以降,自殺者数が横ばいであるのに対し,自損行為者数が増加を続けたために,両者の乖離が大きくなっています。

 自損行為者数と自殺者数の差は,前世紀末の1999年では4,811人でしたが,2010年では22,279人にまで開いています。

 このことは,自殺を意図しない,軽度の自傷行為者が増えていることを示唆しているのではないでしょうか。精神の安定を得るために,ちょっとした気持ちでリスカや過量服薬(オーバードース)を行うような者です。上図にみられる2つの曲線の乖離は,自傷行為が社会問題化してきたことと期を同じくしているように思えます。

 なお,自傷行為は当然,若者に多いのですが,自損行為搬送人員の多くが20~30代であることは,11月24日の記事でみたとおりです。

 消防統計に示される自損行為搬送人員数は,以前は自殺未(既)遂者が多くを占めていたのでしょうが,今日では,軽度の自傷行為者もある程度含まれていると推測されます。

 その意味で,自損行為搬送人員数と自殺者数の差は,軽度の自傷行為者の量を測るバロメーターと考えてもよいのではないでしょうか。先ほどみたように,2010年の全国値は22,279人です。私は,この数値を都道府県別に出し,それを各県の人口で除した,自傷行為発生率を試算しました。下表は,その一覧です。


 自損行為搬送人員と自殺者の差分は,県によってかなり違っており,人口を考慮した発生率でみても然りです。

 10万人あたりの発生率が20を超える数値は赤色にしています。京都から和歌山までの近畿圏の数値が,軒並み赤色なのが注目されます。全県中で最も高いのは,大阪の31.8です。

 表のデータからは傾向をつかみにくいので,右端の自傷行為発生率の試算値を地図化しましょう。下の図は,10未満,10以上15未満,15以上20未満,および20未満の4階級を設けて,各階級の県を塗り分けたものです。


 近畿圏は真黒,首都圏も濃い赤色で染まっています。ほか,宮城や福岡等の地方中枢県においても,値は高くなっています。このことからして,都市地域ほど,自傷行為発生率が高い傾向にあると思われます。

 事実,2010年の『国勢調査』から分かる,各県の人口集中地区居住率(都市化度)との相関係数を出すと,+0.660にもなります。1%水準で有意な正の相関です。

 今回は,自損行為数と自殺数の差分に着目して,軽度の自傷行為が広がってきているのではないか,という問題提起をしました。とりわけ浸透の度合いが高いのは,若年層であると思われます。このことは,現代日本における彼らの「生きづらさ」の反映ともいえるでしょう。
 
 自傷行為の発生率は,生活苦というよりも,生きている実感がないというような,空虚感に苛まれている人間の量を測る指標であるともいえます。リストカットの動機として,赤い血をみることで,生きている実感を得たかった,というようなことがしばしば語られます。今の日本では,この手の若者が増えているのではないでしょうか。

 ある社会における「生きづらさ」の量を測る代表指標は自殺率ですが,自傷行為率というような指標にも注意していく必要があるでしょう。

2012年12月16日日曜日

落第の国際比較

 落第とは,専門用語で原級留置といいます。ある学年の教育課程を修めたものの,その成果が不十分であり,進級が認められず,当該の学年に留置かれる措置のことです。

 日本では,落第の措置があるのは高校段階以降だろうと思われているようですが,法律上は,そうではありません。学校教育法施行規則第57条は,「小学校において,各学年の課程の修了又は卒業を認めるに当たつては,児童の平素の成績を評価して,これを定めなければならない」と規定しています(他の学校にも準用)。

 したがって,義務教育学校においても,成績不良者や長期欠席者の落第はあり得る,ということになります。ですが,わが国では,義務教育学校にて落第の措置がとられることはまずありません。法規定はともかく,実際のところは,加齢と共に自動的に進級させる,年齢主義の考え方が採用されています。

 しかるに,他国はそうではありません。課程の内容の習得状況をもとに進級の可否を決める,課程主義の方針をとっている国がほとんどです。学部の頃,「比較教育論」の授業で,フランスでは小学校でもガンガン落第させる,という話を聞いた覚えがあります。

 落第率の国際比較ができれば面白いのになあと思っていたのですが,それができる統計をみつけました。本ブログでも何回か使用している,OECDの国際学力調査PISA2009です。

 PISA2009の生徒質問紙調査のQ7では,対象の15歳生徒に対し,初等教育段階,前期中等教育段階において,同じ学年(grade)を繰り返したことがあるかと尋ねています。日本の制度に即していうと,初等教育は小学校,前期中等教育は中学校に相当します。

 例外もあるでしょうが,前期中等教育までを義務教育としている国が多いと思われます。ゆえに,この設問の回答結果をもとに,義務教育段階での落第経験率の国際比較を行うことができます。

 私は,OECDのホームページからPISA2009のローデータをダウンロードし,69か国について,上記設問への回答分布を明らかにしました。手始めに,先ほどちらっと挙げたフランスのデータを紹介しましょう。無回答,無効回答は,分析から除外しています。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php


 落第経験率は,初等教育段階は17.0%,前期中等教育段階は23.1%です。大雑把にいうと,小学校では6人に1人,コレージュでは4人に1人の生徒が落第することになります。なるほど。「ガンガン」という比喩は大げさでしょうが,この国では,義務教育段階でも落第は結構あるようです。

 では,69か国の15歳生徒の落第経験率をご覧に入れましょう。「1回ある」+「2回以上ある」が,有効回答全体に占める比率です。ちなみに,本設問には,日本の生徒は回答していません。しかし,両段階の経験率とも,限りなく0%に近いとみてよいでしょう。他国は如何。下表をみてください。


 10%超の数値は赤色,20%超の数値はゴチの赤色にしています。黄色のマークは,69か国中の最大値です。タイでは,27.8%の生徒が,初等教育段階において落第を経験しています。前期中等教育段階での落第経験率が最も高いのは,チュニジアの36.1%です。

 北アフリカのチュニジアでは,日本でいう中学校段階において,3人に1人の生徒が落第することが知られます。これは,「ガンガン」というに相応しい状態といえましょう。

 ゴチの赤色(20%超)の分布に注目すると,ブラジル,コロンビア,コスタリカ,モーリシャス,パナマ,タイ,チュニジア,そしてウルグアイといった発展途上国において,義務教育段階での落第率が高いことが分かります。もしかすると,児童労働の問題も絡んでいるのかもしれません。

 しかるに,ドイツやフランス等,先進国でも落第率が高いケースが多々みられます。経済発展の度合いとリニアに関連するというような,単純な傾向でもありません。子どもの教育に対する,考え方の違いも影響していることでしょう。この点については後述します。

 私は視覚人間ですので,上表のデータをビジュアライズしておこうと思います。横軸に初等教育段階,縦軸に前期中等教育段階での落第経験率をとった座標上に,69か国を位置づけた図をつくってみました。


 この図から,両段階の落第率の関係も分かるかと思います。タイでは,初等教育段階の落第率がべらぼうに高いのですが,前期中等教育段階のそれは低くなっています。チュニジアは,その反対です。

 図中の斜線は均等線です。この線よりも上にある場合,前期中等教育での落第率が,初等教育段階より高いことを意味します。数でいうと,初等教育段階の落第率のほうが高い国が多くなっています。基礎・基本をしっかりさせないと後々困る,という考え方の反映でしょうか。

 日本では,義務教育段階で落第措置がとられることはほぼ皆無です。しかるにそれは,国際的にみたら特異なことであることが分かります。われわれが常識と信じて疑わないことが,国際比較によって相対化されるわけです。
 
 わが国において,落第の措置が躊躇われるのは,当の子どもに恥をかかせたくない,という思いが強いためです。確かに,同年齢の友人が進級していくなか,自分だけ取り残され,年下の者と机を並べることの屈辱感は,決して小さなものではないでしょう。「横並び意識」の強い日本では,なおさらです。

 しかるに外国では,当該学年の課程の内容をきちんと習得させないまま進級させることこそ,当人のためにならない,という見方がとられているのだと思われます。学部の「比較教育論」の授業で習ったところによると,フランスでは,こういう考え方が殊に強いのだそうです。 
 
 わが国でも,高等教育(大学)段階では,このような課程主義を厳格に適用することが提言されています。その先駆をいっている,秋田の国際教養大学では,4年間でのストレート卒業率が半分にも満たないことは,昨年の12月9日の記事でみたとおりです。この点について,同大学の学長は,「力をつけた学生だけ卒業させている」,「4年で卒業という概念を捨ててほしい」と語っています。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/campus/jitsuryoku/20091207-OYT8T00451.htm

 国民の共通基盤教育としての義務教育においても,このような見方が幾分かはとられる必要があるのかもしれません。現に,他国ではそうなのですから。むろん,その程度が過ぎたものになってはいけませんが。

2012年12月14日金曜日

東京都内の地域別・年齢層別の単身率

 前回は,東京都内の地域別の単独世帯率を計算しました。今回は,年齢層別に,独り身の人間がどれほどいるかを明らかにしてみようと思います。

 まずは,東京都全体について,私が属する30代の単身者率を出してみましょう。2010年の総務省『国勢調査』によると,世帯主の年齢が30代の単独世帯数は58.6万世帯です。この数は,同年齢層の単身者の数と同義です。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm

 同資料から分かる,東京の30代人口は220.2万人。したがって,東京の30代の単身率は26.6%と算出されます。大都市の東京では,30代の4人に1人が,一人暮らしの単身者です。ちなみに,私もこのうちの一人なり。

 同じやり方で,他の年齢層についても単身率を出してみると,下表のようになります。


 単身率は若年層で高く,その後は家庭を持つ者が増えることから,率は下がります。しかるに,50代のボトムにして,単身率は再び増加に転じます。子どもが一人立ちし,配偶者と死に別れることになるためです。

 20代の単身率は,38.1%と高くなっています。東京では,20代の若者の5人に2人が単身者です。でもまあ,地方から上京してきている学生も少なからずいるでしょうから,こんなもんでしょうか。

 ところで,今みたのは都全体の数値です。都内の地域別に率を計算したら,もっとスゴイ値が出てくると思われます。私は,島嶼部を除く53市区町村について,年齢層別の単身率を明らかにしました。前回は結果を地図で表しましたが,今回は資料的意味合いを込めて,ベタな一覧表の形で提示します。ソースは,2010年の『国勢調査』です。


 全地域の最大値には黄色,最小値には青色のマークを付しました。20代の単身率のマックスは,新宿区の56.3%です。ほか,20代の単身率が50%を超えるのは,千代田区,文京区,渋谷区,中野区,そして豊島区なり。これらの区では,20代の住民の半分以上が,一人暮らしの単身者であることが知られます。他の年齢層でみても,単身率は地域によってかなり異なることに注意しましょう。

 一人暮らしは,別に悪いことではありません。ですが,同居者がいないという物理的な条件によって,家庭の重要な機能の一つである,情緒安定機能を享受できない面があるのは確かでしょう。心理的虚無感や視野狭窄の状態に陥り,自らを傷つける,最悪の場合は殺めるというような,内向的な逸脱行動の発生因にもなり得ます。

  前回の記事では,単独世帯率が高い地域ほど,自損行為の発生頻度が高い傾向にあることをみました。さて,上表で明らかにした年齢層別の単身率と自損行為率の相関をとった場合,相関係数が最も高くなるのは,どの年齢層でしょう。この点を吟味することは,孤独と自損行為の関連が強い,要注意の年齢層を知ることにつながります。

 11月24日の記事では,2011年中に,自損行為がもとで救急車で搬送された者が人口のどれほどを占めるかという,自損行為搬送人員率を都内の地域別に出しました。この指標は,自殺未遂の発生頻度を表すものと読んでもよいと思います。

 私は,稲城市と郡部の4町を除く48市区の統計を使って,年齢層別の単身率と自損行為搬送人員率の相関係数を出してみました。結果は,以下のごとし。

 20代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.232
 30代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.394
 40代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.456
 50代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.514
 60代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.509
 70代の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.522
 80代以上の単身率と自損行為率の相関 ・・・ +0.328

 大よその傾向でいうと,孤独と自損行為の関連は,年齢を上がるほど強くなります。相関係数が最も高いのは,70代の+0.522です。この年齢層に限定して,両指標の相関図を示しておきましょう。


  高齢層は,多くが職をリタイヤしています。これに単身(一人暮らし)という条件が加わると,家庭と職場という,2つの基本集団が剥奪された状態になります。なるほど。高齢層ほど,単身と自損行為の関連が強いという傾向,さもありなんです。

 これから先,独り身の高齢者はますます増えてくることでしょう。このことは,自殺増加の条件にもなり得ます。地域の高齢層を組織化する,人為的な施策も求められるようになると思われます。

 なお,若年層や中年層においても,独り身と自損行為の間に正の有意な相関があることにも注意が要ります。

 孤族化は,私事化と表裏をなす,不可避の社会変化であるともいえます。こうした状況にあっては,家族や職場のような伝統的集団とは異なる,「第3の集団」を創造することも求められます。現在,天変地異への警戒から,地域単位で防災集団等が結成される機運が高まっていると聞きます。こうした条件を上手く活かしていくことも,重要であるといえましょう。

2012年12月12日水曜日

東京の単独世帯率地図

 日本社会の変動を言い表す語として,「孤族化」があります。簡単にいうと,いざという時に頼れる身寄りがいない,一人ぼっちの人間が増える傾向です。

 このトレンドを可視的に表すために用いられる代表的な指標は,単独世帯率でしょう。むろん,一人暮らしであっても,離れて暮らしている家族や親族と密な関係を保っている人はいますが,この点は置いておきます。

 2010年の『国勢調査』の結果によると,施設等の世帯を除く一般世帯は5,184万世帯です。このうち,単独世帯は1,678世帯。したがって,単独世帯率は32.4%と算出されます。現在では,3世帯に1世帯が,一人暮らしの単独世帯ということになります。
http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/index.htm

 1965年(昭和40年)では,単独世帯率はわずか7.8%でした。暮らしの形態面からすると,この半世紀の間に,わが国では孤族化が進行したことが知られます。ちなみに,国立社会保障・人口問題研究所の「日本の世帯数将来推計」によると,2030年には,この比率は37.4%に達することが見込まれます。およそ4割です。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Mainmenu.asp

 しかるに現在にあっても,地域によっては,この水準を既に超えています。東京の単独世帯率を,2010年の国調から出すと,45.8%にもなります。半分近くです。おそらく,全県で最高の値でしょう。

 この大都市・東京都内の地域別に,単独世帯率を計算すると,もっとスゴイ値が出てきます。都内の53市区町村の単独世帯率を計算し,結果を地図化してみました。下図は,10%の区分で各地域を塗り分けたものです。


 黒色は50%超,すなわち全世帯の半分以上が単独世帯である地域です。最も高いのは,新宿区の62.6%なり。以下,渋谷区(62.5%),豊島区(60.9%),中野区(60.2%),そして杉並区(56.5%)と続いています。

 黒色の地域は都心に固まっていますが,黒色の帯は,下,左,そして左上に伸びています。東海道線,中央線,東北線の沿線です。都心へのアクセスの良好さにひかれて,単身者が多く住まう,ということでしょうか。

 ここで明らかにした,各地域の単独世帯率は,いわゆる孤独死の頻度と相関していることでしょう。部屋の中で急逝しても,気づいてくれる同居者がいないわけですから。また同時に懸念されるのは,自傷行為や自殺といった,内向的な逸脱行動との関連です。「自殺は孤立の病」といいますが,心理的虚無感や視野狭窄などに陥り,自らを傷つけるようなことも起こりやすくなると思われます。

 11月24日の記事では,都内の48市区について,自損行為によって救急車で搬送された者が,人口のどれほどを占めるかという,自損行為搬送人員出現率を出しました。リストカットやオーバードーズ等によって,自殺未遂を企てた者も多く含まれると思います。

 今回出した単独世帯率と,この自損行為搬送人員率の相関をとると,下図のようになります。稲城市と4町村を除く,48市区の統計です。


 明瞭ではないですが,単独世帯率が高い地域ほど,自損行為の発生頻度が高い傾向にあります。相関係数は+0.377であり,48というデータ数を考慮すると,1%水準で有意な相関と判定されます。

 暮らしの形態面からした孤独と,内的な逸脱行動との連関が見受けられます。なお,こうした関連の強度は,年齢層によって違っています。一人暮らしと自損行為の関連が相対的に強いのは,どの層でしょうか。次回は,この点に関する統計をご覧に入れようと思います。

2012年12月10日月曜日

性別にみた離婚と自殺の関連

 エミール・デュルケムは,名著『自殺論』において,人はいずれの集団にも属することなしに,自分自身を目的にして生きることはできない,と述べています。このことは,人間とは社会的存在であるという,根本原理にも通じています。

 デュルケムが19世紀後半のヨーロッパ社会を観察したところ,人々の社会的連帯が弱まる時期ほど,あるいはそれが弱い地域ほど,自殺率が高い傾向が見出されました。この事実をもとに,自己本位的自殺(suicide egoiste)という,自殺の基本タイプが設定されています。

 このような自殺は,どの社会にも存在すると思われます。わが国では,失業率と自殺率が大変強く関連しているのですが,このことは,生活苦というような側面だけから解されるべきではありません。職業集団という,人間にとっての基本的な集団から疎外されていることによる,苦痛や空虚感の表れとみられます。高齢者の自殺率が高いというのも,ある意味,このことに由来するといってよいでしょう。

 今回は,職場と同様,いやそれ以上に基礎的な集団単位である,家庭を持っているかどうかに応じて,自殺率がどう変異するかをみてみようと思います。家庭を持たないという場合,まだ家庭を形成していないケースと,一度形成した家庭を失ったケースの2通りが考えられますが,ここでは,疎外感(剥奪感)の度合いが高い後者に注目します。その量を測る指標(measure)は,離婚率です。

 私は,離婚率と自殺率の長期推移をもとに,両者がどういう関係にあるのかを明らかにしました。ここでの作業の特徴は,男性と女性に分けて,様相を観察することです。日本は,役割観念の性差(ジェンダー)が強い社会ですが,男女では,違った傾向がみられるかもしれません。

 離婚率は,各年の年間離婚件数を,人口で除して算出しました。分子の離婚件数の出所は,厚労省の『人口動態統計』です。離婚とは,1対の男女が別れることですから,分子は男女とも同じです。分母の人口は,男女それぞれの数を充てています。

 自殺率は,各年の自殺者数を,人口で除して出しています。自殺者数のソースは,離婚件数と同様,厚労省の『人口動態統計』です。前後しますが,離婚率と自殺率の計算に使った,各年のベース人口は,総務省『人口推計年報』から得ています。

 観察期間は,1950年から2011年までのおよそ60年間です。下図には,この期間中の離婚率と自殺率の時系列カーブが描かれています。左側は男性,右側は女性のものです。


 どうでしょう。男性の場合,離婚率と自殺率の曲線の型は,かなり似通っています。しかるに,女性はさにあらず。1970年代以降,男性と同じく離婚率は上昇しているのですが,自殺率のほうはほぼ横ばいです。

 男性では,離婚率と自殺率の共変関係がみられますが,女性はそうではないようです。この期間中における両指標の相関関係は,散布図にしたほうが分かりやすいでしょう。下図は,横軸に離婚率,縦軸に自殺率をとったマトリクス上に,62の年次のデータを位置づけたものです。赤色のドットは,最新の2011年データの位置を表します。


 男性の場合,離婚率が高い年ほど,自殺率が高い傾向が明瞭です。相関係数は+0.750であり,1%水準で有意な正の相関と判断されます。一方,女性はというと,様相は逆になっています。相関係数は-0.477と算出されます。1%水準で有意な負の相関関係です。

 上図の相関関係が因果関係的な面を持っているとしたら,どう解釈したものでしょう。男性については,家族集団を失うことによる疎外感が自殺に影響すると思われます。失業した夫に妻が愛想を尽かして離婚届を突き付ける,というケースもよく聞きますが,この場合,男性の側にすれば,家族集団と職業集団を一気に剥奪されるわけです。その苦痛は尋常なものではないでしょう。

 問題は女性のデータをどうみるかですが,実をいうと,女性の離婚率と自殺率の負の関連は,デュルケムも明らかにしたところです。この点に関する彼の言を聞いてみましょう。宮島喬教授の訳文を引用します。

 「結婚生活は,女子が自分の運命を耐えがたく感じたときでも,その運命を変更することを禁じている。したがって,その規制(一夫一婦制,筆者注)は,女子にとっては,これといった有利さも与えられない一つの拷問なのだ」(宮島喬訳『自殺論』中公文庫,1985年,339~340頁)。

 なるほど。19世紀はまだ,女性の人権が認められていなかった時代です。しかるに,現代日本でみても,現実は上のごとし。デュルケムの名著が刊行されてから1世紀以上の時を経た現在でも,東洋の国・日本においては未だに,結婚生活が女性にとって窮屈なものになっているのでしょうか。

 ちなみに,離婚と自殺の関連の性差は,個人単位のデータでも立証されます。自殺率が最も高い中高年層について,有配偶者と離別者の自殺率を計算してみました。分子の自殺者数は,2011年の厚労省『人口動態統計』から得ました。分母の配偶関係別人口は,2010年の総務省『国勢調査』の数値を充てました。


 男性では,離別者の自殺率のほうが圧倒的に高くなっていますが,女性はその逆です。夫がいる有配偶女性の自殺率のほうが高いのです。

 仮説的にいうと,男性と違って女性の場合,離婚が自殺の抑止因になっていることがうかがわれます。このことは,家族生活が女性にとって苦痛をもたらすものになっていることを示唆します。昨今,虐待やDVなど,家族生活にまつわるトラブルが頻発しています。このような問題の解決と共に,女性のより一層の社会参画を促す政策的努力が必要であると思われます。

 なお,拙稿「性別・年齢層別にみた自殺率と生活不安指標の時系列的関連」『武蔵野大学政治経済学部紀要』第1号(2009年)では,今回と同じ分析を,年齢層別に行っています。離婚が女性の自殺の抑止因となる度合いが高いのは,どの年齢層でしょう。興味ある方は,参照いただけますと幸いです。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016941572

2012年12月8日土曜日

中学生の海外旅行経験のジニ係数

 前回は,若者の海外渡航率が,県によってかなり異なることをみました。また,そうした県間格差は,各県の所得水準と強くリンクしていました。

 しかるに,海外旅行というのは,ブランド品や高級車を買うというような,高価な買い物と同じです。「何人も,経済力にかかわらず,海外旅行に行く権利を有する」というような法規定があるわけではありません。よって,上記の現象は,不平等の問題を示唆するものとはみなせません。

 ですが,所得による海外旅行経験の差が,子どもにまで連動するとしたらどうでしょう。現在の学校教育では,「生きる力」というような,非常に漠とした能力の育成を掲げています。また,視野の広さだとか,コミュニケーション能力だとか,従来の教科の学力とは違った面の能力に重きが置かれるようになっています。

 こうした資質・能力は,学校での授業ではなく,海外旅行等,さまざまな経験を通して培われる部分が大です。ゆえに,家庭の所得水準によって,子どもの海外旅行経験に差があるのだとしたら,それは,外的条件に由来する,教育達成の不平等という問題に通じることになります。

 はて,子どもの海外旅行経験の多寡は,家庭の所得水準によってどれほど異なるのでしょうか。現実をみてみましょう。

 2011年の総務省『社会生活基本調査』のデータから,小・中・高校生の海外旅行経験率を,家庭の年収別に計算することができます。ここでは,真ん中の中学生の率を出してみます。下表のaとbは,本調査のサンプルから推し量られる,推計母集団の数です。世帯年収が不明の者は除かれています。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2011/h23kekka.htm


 bの海外旅行経験者とは,2010年10月20日から翌年の10月19日までの1年間に,海外への観光旅行を経験した生徒の数です。この数が,生徒総数(a)のどれほどを占めるかが,右欄に示されています。

 ほう。予想通りですが,生徒の海外旅行経験率は,家庭の年収によってかなり違っています。リニアな関係ではないですが,年収700万円を境に率がぐんと上がり,年収1,500万以上の富裕層では18.4%にもなります。5人に1人です。

 上表のデータを使って,中学生の海外旅行経験の不平等度を測る尺度を出してみましょう。その尺度とは,ジニ係数です。aとbの世帯年収分布がどれほどズレているかに注目します。下の表は,両者の相対度数と累積相対度数を出したものです。


 真ん中の相対度数の欄をみると,年収1,000万以上の富裕層は,生徒数の上では18%しか占めませんが,海外旅行経験者の中では41%をも占めています。海外旅行経験者は,富裕層の生徒に偏していることが明白です。このような偏りは,右欄の累積相対度数をみると,もっとクリアーでしょう。

 生徒全体と海外旅行経験者の年収分布のズレを,グラフで可視化してみましょう。下図は,横軸に生徒総数の累積相対度数,縦軸に海外旅行経験者のそれをとった座標上に,6つの年収階層を位置づけ,線でつないだものです。この曲線を,ローレンツ曲線といいます。


 曲線の底が深いほど,双方の分布のズレが大きいことを示唆します。われわれが求めようとしているジニ係数とは,この曲線と対角線で囲まれた部分の面積を2倍した値です。

 極限の不平等状態の場合,色つき部分の面積は,図の四角形の半分に等しくなります。この場合,ジニ係数は,0.5×2=1.0です。逆に,完全な平等状態の場合は,ローレンツ曲線は対角線と重なりますから,ジニ係数は0.0となります。つまり,ジニ係数は,0.0~1.0の値をとることになります。

 さて,上図の色つき部分の面積を出すと,0.162となります。よってジニ係数は,この値を2倍して0.324と算出されます。

 一般に,ジニ係数が0.4を超える場合,不平等の程度が大きいと判断されます。中学生の海外旅行経験の場合,この水準には達していません。ですが,他の行動と比べると,値が高いのは事実です。たとえば,中学生の国内観光旅行のジニ係数を同じようにして出すと,0.096となります。国内旅行では,家庭環境による不平等度は小さいのですが,海外旅行となると,それが一気に大きくなることに注意が要ります。

 国際化・グローバル化が進んだ現在,学校で教授される内容も,国際色豊かなものになりつつあります。小学校の高学年において,外国語活動が導入されたことなどは,その典型例です。こうした状況のなか,海外経験が子どもの教育達成を規定する度合いが高まってくる事態も想起されます。このことは,海外経験を介して,親から子へと地位が再生産される確率が高まることと同義です。ブルデュー流の文化的再生産の一種といえましょう。

 こうみると,前回明らかにした,若者(親世代)の海外旅行率の地域差は,不平等の問題を含んでいるといえるかもしれません。

2012年12月6日木曜日

若者の海外渡航率の都道府県差

 今年も残すところあとわずかとなりましたが,年末年始はどのようにお過ごしの予定でしょうか。私は,どこも行くアテ(カネ)はありませんが,海外に行かれるという方も多いと思います。

 JTBの発表によると,この年末年始に海外旅行に出かける人は,前年よりも0.3%増の65万7千人だそうです。全国民(1億2千万人)あたりの比率にすると,およそ0.5%です。国民200人に1人が,異国でお正月を過ごすということになります。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121205/k10013977191000.html

 さて,海外旅行の頻度が高いのは若者ですが,近年,若者の海外旅行離れがいわれます。不況のためだとか,ウチ化傾向のためだとか,いろいろな説が飛び交っていますが,統計でみて,海外に渡航する若者の数はどう推移しているのでしょう。

 法務省の『出入国管理統計』(2011年版)によると,同年中に出国した20代の日本人は281万人です。10年前の2001年では354万人でした。なるほど。数が大きく減っています。
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_nyukan.html

 ですが,この期間中に,20代人口そのものが減少していることを考慮しなければなりません。そこで,20代の出国者数を当該年齢人口で除した,出国者出現率を計算してみました。以下では,渡航率ということにします。下のグラフは,この指標の長期推移です。


 1965年(昭和40年)以降の推移線が描かれています。海外渡航=海外旅行とは限りませんが,まあ,若者の海外旅行頻度の近似指標とみなす分には問題ないでしょう。

 昔は,1ドル=360円のレートに耐えられる富裕層しか,海外旅行は叶いませんでした。1965年の渡航率は0.4%,1970年は0.9%です。しかし,その後ゆるやかに上昇し,80年代半ば以降は円高が進んだこともあり,若者の海外渡航率はぐんぐん上がります。

 観察期間中のピークは,1996年の24.2%です。私がちょうど20歳(大学2年)の頃です。確かに,休み期間中とかに海外に行く人がいたよなあ。しかし,以後,不況が深刻化したためか,率は下降に転じます。今世紀の初頭に急落し,2003年の15.8%にまでダウンします。

 その後はやや持ち直し,2008年まで低下した後,再び増加に転じています。2011年の20代の海外渡航者出現率は20.7%です。分子の渡航者数は延べ数ですが,ベース人口5人に1人です。2012年の率はまだ出せませんが,先のJTBの公表統計から推測するに,前年の値を凌駕しているのではないでしょうか。

 若者の海外旅行離れは,最近は多少緩和されているように思えます。円高という条件が強まっているためでもあるでしょう。

 さて,ここからが今回の本題です。若者の海外渡航率を都道府県別に出してみるとどうでしょう。海外旅行はタダで行けるものではありません。お金がかかります。地方在住者の場合,国際空港がある大都市圏までの移動コストも上乗せされます。それゆえ,若者の海外渡航率には,かなりの地域差があるのではないでしょうか。様相を可視化してみましょう。

 法務省の上記資料では,出国者の数が都道府県別に集計されています。住所地に依拠したものです。東京の場合,2011年中の20代の出国者は54万人です。同年10月時点の都内の20代人口は175万人(総務省『人口推計年報』)。よって,東京の20代の海外渡航率は30.8%となります。

 私は,同じやり方で,全県の20代の海外渡航率を計算しました。下図は,5%の区間を設けて,47都道府県を塗り分けた地図です。


 予想通りといいますか,若者の海外旅行の頻度は地域によって大きく違っています。最高の東京は30.8%ですが,最低の青森はわずか5.3%です。この両端では,6倍近くもの開きがあります。

 黒色は20%を超える県ですが,この高率県は,ほとんどが首都圏や近畿圏に位置しています。大局的には,こうした大都市圏から遠ざかるほど,色が薄くなっていく傾向が看取されます。海外への玄関口(国際空港)の距離という要因も大きいと思われます。

 しかるに,地理的な要因だけではありますまい。先にもいいましたが,海外旅行にはお金がかかります。そうである以上,各県の所得水準のような経済要因も効いていることでしょう。私は,県別の海外渡航率を,各県の住民1人あたり県民所得と関連づけてみました。後者のソースは,2009年度の内閣府『県民経済計算年報』です。


 結果は正の相関です。所得水準が高い県ほど,若者の海外旅行頻度が高い傾向にあります。相関係数は+0.741と大変高くなっています。当然といえばそうですが,海外旅行行動の社会的規定性の一端がうかがわれます。

 こうみると,最初の図でみた,近年の海外渡航率の増加傾向は,都市地域の若者に限ったことであるのかもしれません。地方県では,相変わらず減少傾向が継続している,ということも考えられます。

 この点を吟味するには,海外渡航率の時系列曲線を,都道府県別に描く必要があります。これは興味深い作業です。海外渡航率の地域差が拡大したのかどうかも明らかにできます。後々の課題といたします。

2012年12月5日水曜日

紅葉の都立桜ヶ丘公園

 今年度の後期の出講日は,火曜日と金曜日です。それ以外は自宅でこうしてブログなどを書いています。半ヒッキー状態です。

 布団を日に干さないとカビが生えるのと同様,晴れた日くらいは外に出て,一定時間の散歩でもしないと頭がおかしくなります。今日は晴天でした。昼ごはんを食べた後,自宅近くの都立桜ヶ丘公園をちょいと散策しました。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index065.html

 写真を2枚ほど。



 1枚目は,園内のメインロードです。実は,11月21日の記事の写真と同じ風景を撮ったものです。この3週間において,葉っぱが黄金色になっていることがお分かりかと思います。11月下旬の変化はすごいですね。

 2枚目は,旧聖蹟記念館です。明治天皇が訪れたことを記念して,1930年(昭和5年)に建築された洋風建築とのこと。館内には,幕末から明治初期に活躍した要人の書画や,多摩市内の自然の写真などが展示されています。喫茶店もあります。広い園内を散策した後の休憩にもってこいです。水曜の今日は定休日でしたが。
http://www.city.tama.lg.jp/bunka/46/015120.html

 想像がつくと思いますが,春には,上の写真はピンク色に染まります。定点観測風に,同じ地点の写真を季節ごとに撮るのもまた一興です。

 師走になりました。私はヒマ人ですが,皆様,さぞお忙しいことと存じます。風邪などひかれませぬよう。

2012年12月4日火曜日

少子高齢化の速度の国際比較

 日本社会は,昔と比べて大きく変わっています。いわゆる社会変動というやつですが,少子高齢化などは,その最たるものでしょう。字のごとく,子どもが少なくなり,高齢者が増えるという,人口の年齢構成の変化です。

 人口は,15歳未満の年少人口,15~64歳の生産人口,および65歳以上の老年人口に大きく区分されます。この3者の構成が,昔と比べてどう変わったか,今後どうなるかを大雑把に示すと,下図のようになります。ソースは,国際連合の人口推計データベースです。2050年の内訳は,中位推計に基づく将来予測に依拠したものです。
http://esa.un.org/unpd/wpp/unpp/panel_indicators.htm


 年少人口の比重は,20世紀の後半期にかけて半分以下になりました。文字通り,少子化です。未婚化の進行や,「少なく産んで大事に育てる」という考え方の広まりによるものでしょう。また,教育費の高騰という事情も見逃せません。

 一方,65歳以上の老年人口は増加の一途です。1950年は4.9%でしたが,世紀の変わり目の2000年には17.2%となり,2050年には35.6%にまでなると見込まれています。遠くない将来において,わが国は,老年人口が約4割という社会になることが予想されます。医療の進歩により,寿命が延びたことが大きいと思われます。

 2050年の国民の集団に石を投げたら,5分の2の確率で高齢者にヒットするわけです。キレやすい暴走老人でなければいいですが・・・。

 上図には,少子高齢化の過程がくっきりと描かれています。日本は,世界的にみても少子高齢化の速度が速い国です。この点を一目で概観できる統計図をつくってみました。今回は,それをご紹介します。

 私は,年少人口率と老年人口率の軸からなる2次元のマトリクス上において,主要先進国がどういう動きをしているかに注目しました。下図は,3時点の各国の数値をプロットして線でつないだものです。矢印の始点(しっぽ)は1950年,折り目は2000年,終点は2050年の位置を表します。

 お分かりかと思いますが,図の左上にあるほど,年少人口率が低く,高齢人口率が高い,少子高齢化が進んだ社会ということになります。


 日本は,1950年の時点では少子高齢化の程度が最も小さい社会でした。ところが,その後の半世紀の間に一気に他国をゴボウ抜きし,トップに躍り出ています。20世紀後半における,わが国の社会変化がいかに激烈であったかが知られます。今後予想される変動幅も,わが国が最大であることに注意しましょう。

 図中の点線の斜線は均等線です。この線よりも上にある場合,年少人口よりも高齢人口が多いことを意味します。日本とドイツは,今世紀の初頭にして,このような社会になっていることが分かります。米英仏は,まだこの段階に達してはいません。

 どうでしょう。明治期の近代化といい,戦後の民主化といい,わが国の社会変動は急激であることが特徴なのですが,少子高齢化という人口変化も,この例に漏れないようです。

 こうした急変化に,制度改革や人々の意識変化が追いついていないのが現状です。そのことが,老後の生活保障の不備や,生涯学習条件の未成熟といった問題をもたらしています。

 私は教育学徒の端くれですが,少子高齢化は,教育に対しどのようなインパクトを持つでしょうか。少子化の影響については,少年犯罪の国際比較を扱った,3月12日の記事をみていただければと存じます。

 高齢化のほうはどうかというと,まず,教育内容の革新を迫ることでしょう。量的にますます増加する高齢者の生理や生活に関する知識,および高齢者との接し方等を,子どもたちに教授する必要が出てくることと思います。

 その一方で,高齢化傾向は,教育に対し資源をも提供してくれます。退職した高齢者は,生活の大半を自宅近辺の地域社会で過ごすわけです。つまり,長年培われた知や技が,身近な地域社会の中に溢れ返ることになります。これはまさに,教育において活用すべき資源です。

 少子高齢化は,不可避の社会変化です。マイナス面ばかりが強調されるきらいがありますが,プラスの条件に転化させる術はいろいろあります。それができるかどうかが,今後重要になってくるといえましょう。

2012年12月2日日曜日

東京の年収地図

 総務省は,5年おきに『住宅・土地統計調査』を実施しています。住宅の種類別数や土地の広さなど,住宅・土地に関する基礎統計ですが,調査対象世帯の年収分布も明らかにされています。
http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2008/index.htm

 すごいことに,それを全県内の市区町村別に知ることができます。これを使えば,各市区町村の世帯の平均年収を計算することが可能です。細かい地域別の平均年収を出せる資料などないと思っていましたが,探せば出てくるものですね。シノドス・ジャーナルに寄稿した文章にも書きましたが,わが国はまさに「統計大国」です。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1990703.html

 この資料を用いて,東京都内の市区町村別の平均年収を計算してみました。今回は,その結果をご覧に入れようと思います。

 『住宅・土地統計』の対象は,単身世帯等も含む全世帯です。調査対象の世帯に尋ねている年収の意味ですが,用語解説によると,「世帯全員の1年間の収入の合計」だそうです。ボーナスや財産収入等も,軒並み含むとのこと。各世帯の年収額が正確に把握されているといえるでしょう。
 
 最新の2008年調査のサンプルをもとにすると,私が住んでいる多摩市の世帯の年収分布は,以下のようになると推計されます。年収が分からない世帯を除いた,52,640世帯の年収分布です。


 年収300万円台の世帯が最も多くなっています。非就労世帯や単身世帯等も含む分布ですから,こんなものでしょう。200万未満の貧困世帯は14.6%,1,000万以上の富裕世帯は11.1%です。ちなみに私の年収は・・・。まあ,最頻値(Mode)の近辺の階級に含まれるとでも申しておきましょう。

 では,この分布を使って,年収の平均値(average)を出してみましょう。各階級に含まれる世帯の年収は,一律に中間の値(階級値)で代表させます。100万円台の5,110世帯の年収は,一律に150万円であるとみなします。200万円台の階級は,250万円です。上限がない1,500万円以上の階級については,ひとまず2,000万円としておきましょう。

 このような仮定を置くと,多摩市の世帯の平均年収は,次のようにして算出されます。全世帯数を100とした,相対度数を使ったほうが計算が楽です。

[(50万円×4.8世帯)+(150万円×9.7)+・・・(2,000万円×2.6)]/100.0 = 552.2万円

 多摩市の平均世帯年収は552万円なり。働き盛りの世帯に限定すればもっと値は高くなるでしょうが,あらゆる世帯をシャッフルした結果ですので,まあ,この辺りでしょう。

 同じようにして,都内51市区町の平均世帯年収を出してみました。下の地図は,50万円の区切りを設けて,それぞれの地域を塗り分けたものです。東京の年収地図とでも呼んでおきましょう。


 同じ都内でも,年収の水準には相当の地域差がみられます。最高は千代田区の783.5万円,最低は武蔵村山市の438.0万円です。この両端では,300万円以上もの開きがあります。おそらく住民の年齢構成の違いを反映したものでしょうが,これほどまでの差があるとは。

 黒色は,世帯の平均年収が600万円を超える地域です。ほとんどが都心部に位置しています。都内の富裕地域です,一応,名前を挙げておきましょう。千代田区,中央区,港区,文京区,目黒区,世田谷区,渋谷区,そして稲城市です。

 上記の地図はおそらく,子どもの学力地図と模様が似通っていることと思います。富裕地域ほど子どもの学力が高いという傾向は,よく指摘されるところです。上の地図を,さまざまな教育指標の地図と照らし合わせることで,教育現象の社会的規定性を明らかにすることができるでしょう。この年収地図を,せいぜい活用したいと思います。

 本記事をご覧になっているあなた。『住宅・土地統計』のデータにあたって,ご自身の県の年収地図をつくってみられたらいかがでしょう。統計の授業では,学生さんにこういう作業をやらせようかしらん。度数分布から代表値を出すやり方の一貫としてです。興味を持ってもらえるのではないかなあ。

 私の郷里は鹿児島ですが,同県内の市町村を東京と同じ基準で塗り分けたら,真っ白になったりして。鹿児島は所得水準が低いですから。各県の年収地図は,さぞバラティに富んだものになるでしょう。