2012年7月30日月曜日

子どもの日曜日(詳細)

前回は,総務省『社会生活基本調査』のB調査データを使って,子どもの平日の過ごし方を仔細に描いてみました。今回は,日曜日をのぞかせていただきましょう。上記調査は,プリコード式のA調査とアフターコード式のB調査からなります。言うまでもなく,対象者の自由な回答を尊重する後者のほうが,詳細を把握するのには適しています。

 2006年調査のB調査データを用いて,日曜日の各時間帯(15分刻み)における,10~14歳の子どもの生活行動分布を明らかにしました。数字の出所は,下記サイトの表3-1です。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001009956&cycode=0

 下図は,結果を面グラフで表現したものです。それぞれの時間帯において,**をしている者が何割,というように読んでください。


 平日では,学校の授業が大きな領分を占めますが,日曜ですので学校はありません。朝も遅いようで,8時になっても3割が寝ています。

 日中の過ごし方はというと,スポーツやゲームが多くなっています。前者は,部活動などでしょう。次に目立つのは宿題。塾もちょっと。また,ショッピングや家事(手伝い)も,平日に比したら多くなっています。

 夜はテレビ。これも分かる。夜の8時台は,4割の者がテレビの前にいます。日曜のこの時間帯に,何か子ども向けの番組ってありましたっけ。金曜日の夜7時台は,不動の名作,「ドラえもん」があるのですが。私が子どもの頃は,土曜の夜8時に,ドリフの「8時だよ全員集合」がありました。

 気になるのは,読書が少ないこと。画像に接するのもいいですが,活字にも接してほしいものです。現在,子どもの読書活動推進に向けた取組がなされていますが,読書というのは,学校の朝の時間に10分ほど強制されてするものではありません。

 まあ,休みの日をどう過ごすかは勝手ですので,価値的な評価は下せません。しかし,テレビやゲームの比重が大きいな,という印象は持ちます。後者には,ネットゲームも含まれるでしょう。それにハマり過ぎて社会生活が営めなくなる「ネトゲ廃人」が問題になっていますが,大丈夫かしらん。

 2011年の『社会生活基本調査』の結果が順次公表されています。B調査データが公表されたら,同じ図をつくってみるつもりです。どういう模様の変化がみられるやら。コンピュータ関連の授業で,エクセルの操作法を扱う時は,こういう課題を出すとよいのではないかなあ。私は,この手の授業は持ったことはありませんが。

2012年7月29日日曜日

子どもの平日(詳細)

お暑うございます。みなさま,いかがお過ごしでしょうか。

 小生は,夏休みに入りました。今年の夏休み中のタスクは,①教員採用試験の参考書・問題集の改訂作業,②企画通過済みの書籍執筆,③ブログ執筆,です。①と②に力点を置かねばなりませんが,③も継続するつもりです。更新頻度がちょっと落ちるかもしれませんが,どうぞご覧ください。

 昨年の8月22日の記事では,総務省『社会生活基本調査』のデータを使って,10~14歳の子どもの1日をのぞいてみました。具体的にいうと,平日の各時間帯における生活行動分布を明らかにしたわけです。

 ところで,『社会生活基本調査』は,A調査とB調査からなります。前者はプリコード式,後者はアフターコード式の調査です。

 社会調査の素養がある方はお分かりと思いますが,プリコード式調査では,対象者に,あらかじめ用意した選択肢の中から該当するものを選んでもらいます。アフターコード式調査の場合は,対象者に自由に答えてもらった後で,それを量的に集計できるようにコード化します。

 当然ですが,一定の選択肢からの回答を強いるプリコード式よりも,対象者の自由形式の回答を後からコード化するアフターコード式のほうが,詳細な部分を把握するのには適しています。計量調査を行う研究者は,後者の技法にも通じている必要があるでしょう。*前期の調査統計法の授業で,この部分に触れられなかったのが残念です。

 先の記事で使ったのは,A調査のデータです。「生活行動の分類の仕方が荒いな」という感想を持たれた方もおられるかと思います。そこで今回は,B調査のデータを用いて,子どもの1日をより仔細に描いてみようと存じます。
http://www.stat.go.jp/data/shakai/2006/time/index.htm

 2006年の上記調査のB調査データを使って,10~14歳の子どもについて,平日の各時間帯(15分刻み)における生活行動分布を明らかにし,面グラフで表現してみました。下記サイトの表3-1(ふだんの日)から,必要な数字を採集しました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001009956&cycode=0

 各時間帯において,**をしている者が何%,というように読んでください。当然ですが,深夜の時間帯では,ほぼすべての者が寝ています。


 無精ですが,コメントはとくに添えません。展示作品として,鑑賞?いただければと存じます。明日は,日曜日の図を展示します。上図とは,模様がかなり違っています。お楽しみに。

2012年7月28日土曜日

発達障害児は都市で多い?

 昨年の9月27日の記事では,公立小・中学生の発達障害児率の推計値を都道府県別に出したのですが,この記事の閲覧頻度が急に高まっています。いじめ自殺で全国から注視されている滋賀県の率が1位という結果が出ているためでしょうか。

 今回は,都市-農村というような地域類型ごとに,発達障害児の出現率を推し量ってみようと思います。原資料からの計算のプロセスをご説明します。

 文科省『全国学力・学習状況調査』では,調査対象となった学校に対し,「通常学級に在籍している児童・生徒のうち,発達障害により学習上や生活上で困難を抱えている児童・生徒の数」を尋ねています。

 国立教育政策研究所ホームページで公表されている,2009年度調査の集計結果から,地域類型ごとの回答分布を知ることが可能です。*抽出調査となった2010年度調査では,こういう細かい集計はなされていないので,2009年度調査の結果を使います。
http://www.nier.go.jp/09chousakekkahoukoku/index.htm

 下表は,公立小学校の地域類型別の回答分布を,相対度数(%)の形で整理したものです。四捨五入の関係上,総和が100%にならないこともあります。


 どの地域タイプでも,「1~5人」と答えた学校が最多です。しかし,大都市では,40人以上という学校が全体の3%ほど存在します。

 上表の比率を,各地域タイプの公立学校数に乗じて,それぞれの階級に該当する公立小学校の現実数を推し量ってみようと思うのですが,あいにく,文科省の統計では,地域類型別の学校数は公表されていません(上表の100%に相当する数)。そこで,本調査のサンプルの地域類型別内訳を使って,それを割り出してみます。

 本調査の公立小学校のサンプル内訳は,大都市が15.4%,中都市が9.4%,その他市が48.1%,町村が16.1%,へき地が11.0%,です。2009年度の文科省『学校基本調査』によると,この年度の公立小学校は21,974校。この数に先ほどの比率を乗じして,地域類型ごとの公立小学校数を推計します。大都市の場合,21,974校×0.154 ≒ 3,381校です。

 したがって,大都市でいうと,発達障害児数が「1~5人」と答えた公立小学校の現実数は,3,381校×0.369 ≒ 1,248校と算出されます。「6~10人」の公立小学校は,3,381校×0.258 ≒ 872校です。このようにして,各階級に含まれる公立小学校の数を割り出すと,下表のようになります。


 発達障害児の数に依拠した,学校単位の分布が明らかになりました。これを使えば,各地域タイプについて,公立小学校の発達障害児数を計算することができます。

 階級値の考え方に基づいて,「1~5人」の学校は,中間をとって一律に「3人」の発達障害児が在籍している学校とみなします。「6~10人」と答えた学校は8人,「11~20人」は15人,「21~40人」は30人,「41~60人」は50人,「61~100人」は80人,「101人以上」は100人と読み替えることにします。

 最後の階級については,120人とでもしようかと思いましたが,前の階級とあまりに開くのもどうかと考え,100人とすることとしました。

 このような仮定を置くと,大都市の公立小学校の発達障害児数は,次のように算出されます。
{(0人×277校)+(3人×1,248校)+(8人×872校)+・・・(100人×3校)} ≒ 33,121人。

 このやり方で,各地域タイプの公立小学校・中学校の発達障害児数を推計しました。推計結果を下に掲げます。


 表中のaとbを足し合わせた数が,各地域類型の公立小・中学校の推計発達障害児数です。この数を,ベースの公立小・中学生全体で除せば,各地域タイプの発達障害児出現率がはじき出されます。

 ベースとなるcは,地域類型別の学校数の推計と同様,「大都市15.4%,中都市9.4%,その他市48.1%,町村16.1%,へき地11.0%」という配分比率を,2009年度の全国の公立小・中学生数に乗じて推し量りました。

 右端の発達障害児出現率をご覧ください。その高低は,都市性ときれいに相関しています。都市的環境ほど,発達障害児の出現率が高い傾向です。撹乱はまったくありません。

 昨年の9月27日の記事では,発達障害の要因については医学的な議論が主で,社会的な要因についてはまったく考究されていない,と申しました。しかるに,最近出た,岡田尊司氏の『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)の中で,それが議論されていることを知りました。書店で目次をみたとき,電撃のような衝撃が走り,早速レジにダッシュ&購入しました。


 小見出しからも分かるように,自閉症は社会の上流階層に多く,ADHDは恵まれない階層(貧困層)に多いことがいわれています。

 また,本記事において示した,発達障害児率の地域類型差に関連することも述べられています。ADHDの有病率は都市部で高く,それは全世界的な傾向なのだそうです(158頁)。ほう。上表の統計に支持を与える記述です。

 なぜ都市部で高いかについて,岡田氏は,ADHDの養育要因が愛着障害と共通し,重なり合う部分が大きいという仮定を置いたうえで,「安定した愛着が育まれる養育環境,社会環境」という点に注意しています(163頁)。

 都市部ほど,夫婦,家族,さらには共同体の絆が相対的に脆弱で,子どもを取り巻く養育環境は流動的です。それゆえ,安定した愛着を子どもに据え付けるための基盤条件が,農村部に比して弱い,ということがいえるでしょう。

 文科省の定義によると,ADHDとは,「年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力,及び/又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で,社会的な活動や学業の機能に支障をきたすもの」です。その判断基準をみると,なるほど,愛着障害とオーバーラップするとみられる点もあります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/toushin/030301j.htm

 ちなみに,国際データでは,先進国よりも発展途上国でADHDの有病率は低いとのこと(161頁)。これらの社会では,諸々の社会的な絆が強く,「安定した愛着が育まれる養育環境,社会環境」という条件が先進国に比して強固である,という説は頷けるところです。

 今回の計算で使った文科省の調査データは,調査対象校の教員の申告に基づいて作成されたものです。よって,各学校の教員の恣意や,発達障害児への敏感度の違い,というようなことも疑わねばなりません。また,私が考案した推計方法が,とても乱暴であることは認めます。

 しかるに,ここでまでクリアーな形で,都市性と発達障害児率の相関が検出されるとは驚きでした。昨年の9月27日の記事で出した,都道府県別の率にしても,養育環境の流動性を精緻に測る指標と関連づけたら,有意な相関が出てくるのではないかなあ。滋賀県は,人口の流動性が激しい近郊県ですし・・・。

 近い将来,「発達障害の社会学」という学問領域が生まれる日が訪れるかもしれません。

2012年7月25日水曜日

2012前期授業終了

本日,武蔵野大学の担当授業が終わりました。これで前期終了です。科目は,環境学部の選択科目,調査統計法2でした。必修の同1の後に位置する,統計学の応用科目です。

 受講生のみなさん,ご登場あれ。*許諾済み。


 4人の少数精鋭です。後ろに,薄汚い余計なのも写っていますが,ご容赦のほど。4人だけの写真を載せる予定でしたが,ピンボケでしたので,こちらをアップします。

 学部の学生さんには「ちょっと・・・」というような課題もガンガン出しましたが,みんな,ついてきてくれました。スゴイ。もうちょっと頑張れば,社会調査士の資格も取れますぜ。おつかれさまでした。

 近く,5人の共同研究?の成果を公表いたします。各人からの原稿提出を待っているところです。いつでもいいですが,出してくださいましね。

 さて,夏休みです。本の原稿を書くぞ(新刊の企画,通過!)。教員採用試験の参考書・問題集の改訂作業もあり。「アツイ」夏になりそうです。しかし,こういうのが「わが青春」か。もっと別の意味での「アツイ」も経験してみたい・・・。

 最後に,前期の間通った武蔵野大学有明キャンパスの写真を1枚。


 りんかい線の国際展示場前駅から徒歩10分ほど。後期は授業はないので,来年の春までおさらばです。

 猛暑の候,みなさま,体調を崩されませぬよう。

2012年7月24日火曜日

新規採用教諭の年齢構成の長期変化

4月3日の記事では,この10年ほどの間で,公立学校の新規採用教諭の高齢化が進んでいることを知りました。しかるに,もっと長期的なスパンでの変動も気になるところです。

 先日,総務省統計局の統計図書館(私にとっての聖地)に行った折に,文科省『学校教員統計調査』のバックナンバーに当たって,必要な数字を採取しました。今回は,1976年度から2009年度までの30年超の観察期間を設けてみようと思います。

 上記の文科省資料では,調査年の前年度間における新規採用教諭の数が,年齢層別に集計されています。新規採用「教諭」は,教員採用試験の合格者とほぼ近似する集団であるとみてよいでしょう。

 まずは,公立小中高の新規採用教諭の数がどう推移してきたかをみてみましょう。文科省の上記調査は3年おきのものなので,3年刻みの推移線になっています。


 新規採用教諭の量は,結構ドラスティックに変わっています。公立小学校のピークは,1979年度です。この年では,2万人近くもの新採教諭がいました。70年代前半生まれの団塊ジュニア世代に対応するためであったと思われます。中学校と高校のピークが3年ずつ後にずれていることも,それを傍証しています。

 しかし,その後は少子化により採用数が減少を続け,小学校と中学校は2000年度にボトムになります。小学校は約5,000人。ピーク時の4分の1ほどです。この頃採用試験を受験した「ツイてない」世代は,いみじくも私の世代です。ああロスジェネ・・・。近年は,団塊世代の大量退職もあって,採用数が増えていることは周知の通りです。

 新規採用教諭の量の変化は上図のようですが,ここでの関心は,その中身(年齢構成)がどう変わったかです。傾向を,下図に集約しました。


 青色は,20代前半(新卒該当年齢)です。ほう。私が生まれた1976年度では,小・中学校の新採教諭の8割が20代前半だったのですね。辞令交付式の会場は,ピチピチの新卒者で溢れ返っていたことでしょう。

 しかし,時代が経過するにつれ,そうではない人種も会場にぽつぽつと姿を表すようになります。右下の折れ線グラフから分かるように,2009年度では,30歳を超える者が小学校では23%,中学校では28%,高校では実に38%(≒4割)をも占めているのです。

 ちなみに,新規採用教諭の平均年齢(average)を,始点の1976年度と終点の2009年度で比べると,以下のごとし。高校では,30歳を超えています。

 小  23.6歳 → 27.8歳 
 中  24.3歳 → 28.6歳
 高  25.2歳 → 30.5歳

 新規採用教員の高齢化は,別に悪いことではありません。大学卒業後,長期の間臨時講師などをやってきた人たちが主ですから,最初から即戦力のある人材が集うことを意味します。私も,そう思っていました。

 しかるに,問題もあります。詳細は,6月14日の記事をご覧いただければと存じます。

 さて,明日(25日)は武蔵野大学の前期授業の最終日です。学生さんと写真をとる約束をしたので,デジカメの充電をしておかねば。「調査統計法2」という授業でしたが,卓抜なレポートを出してくれた学生さんもいます。許諾が得られたら,本ブログで紹介させていただく予定です。

2012年7月23日月曜日

公立小学校教員の病気離職率

いつも本ブログをご覧いただき,ありがとうございます。2010年12月半ばに開設してから1年7か月過ぎましたが,おかげさまで,PV(ページビュー)数は順調に伸びております。今後とも,よろしくお願い申し上げます。

 さて,本ブログで閲覧頻度が比較的高いのは,教員の離職率に関する記事です。現在は,教職受難の時代といわれます。精神疾患を患う教員,過労の果てに命を落としてしまう教員など,悲惨な事例が数多く報告されています(最近のものとしては,朝日新聞教育チーム『いま,先生は』岩波書店,2011年)。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-022187-0

 しかるに,問題の打開策を考えるには,そうした事例的・個別的アプローチの集積と並行して,計量的・俯瞰的なアプローチも必要であると考えます。私は,後者の要請に応えるべく,教員の危機や困難の量を計測する指標(measure)として,離職率というものを思いつきました。

 離職率とは,何の変哲もないオーソドックスな指標ですが,文科省の白書等では紹介されていないようです。「教員&離職」という語でググると,本ブログが一番上に出てきます。「これは,いい加減な情報は流せないな」と,気が引き締まる思いです。

 そこで,これまで書いた離職率の記事(昨年の5月7日の記事など)を読み直してみたのですが,過ちがあることに気づきました。分子に,定年や転職のようなメジャーな理由とは違った,統計上「その他」という理由カテゴリーに含まれる離職教員数を充てていることです。

 まあ,理由が定かでない離職者ですから,各種の不適応で職を辞した教員が多くを占めることでしょう。しかるに,この中には,任期満了による離職者も含まれます。文科省の統計で集計されているのは本務教員の離職者数だから,有期雇用の教員は関係ないだろうと思っていたのですが,産休代替講師のような常勤的な勤務形態の者は,統計上は本務教員として扱われていることを知りました。

 したがって,「その他」という理由カテゴリーの離職者を分子に据えると,事態を見誤る恐れが出てきます。そこで,「病気」という理由による離職者数を分子に充てて,離職率を計算し直すことにしました。数的にはかなり少なくなりますが,教員の危機や困難の量を測る指標として,より精緻なものになるでしょう。

 では,教員の中で多くを占める公立小学校教員に対象をしぼって,この意味での離職率を出してみようと思います。

 2010年度の文科省『学校教員統計』によると,調査の前年の2009年度間に,「病気」という理由で離職した公立小学校教員は609人です。ほう。1日に1~2人が,心身を病んで教壇を去っているのですね。次に分母ですが,同年の5月1日時点の公立小学校本務教員数は,413,321人です(文科省『学校基本調査』2009年度)。

 よって,2009年度の公立小学校教員の病気離職率は,前者を後者で除して,1万人あたり14.7人と算出されます。はて,多いのか,それとも少ないのか。この数字の性格を吟味するため,時系列推移をたどってみましょう。分子の資料源である『学校教員統計調査』は3年おきの調査なので,3年刻みの統計になっています。


 病気離職率は,70年代末から80年代初頭は少しばかり高かったようです。この頃,全国的に学校が荒れていたことは,よく知られています。その影響でしょう。

 病気離職率は90年代にかけて低下しますが,今世紀以降増加に転じます。とくに最近3年間の伸びが著しく,9.0から14.7へと上昇しているのです。この指標でみる限り,近年になって教員の危機状況がひときわ強くなってきていることが知られます。

 この3年間は,教育基本法改正,教育三法改正など,いろいろなことがありました。そのことが,教員の病気離職率上昇と連関しているのだとしたら,何とも皮肉なことです。

 次に,年齢層別の病気離職率をみてみましょう。率が高いのは,どの層でしょうか。病巣を突き止める作業です。1988年度以降の各年齢層の病気離職率推移を,例の社会地図図式で表現してみました。それぞれの年度における各年齢層の離職率の水準を,色の違いから読み取ってください。


 どうでしょう。以前は,紫色や黒色の高率ゾーンは,定年間際の高齢層にしかみられませんでしたが,最近では,それが若年層の部分にも広がってきています。黒色は,1万人あたりの離職率が20を超えることを意味しますが,2009年度は,20代前半と50代前半の両端がこの膿に侵食されています。

 職業生活の始めと終わりに位置する2つの危機。後者については,加齢による体力の衰えというような点から解釈できますが,前者は如何。近年に固有の現象といえる,若年教員の危機をどうみたらよいでしょう。

 まず,基底的な条件として,教員集団の高齢化があると思います。現在,教員集団に占める若年教員の比率は大変小さくなっています。6月14日の記事でみたように,沖縄では,20代教員の比率はたったの3.2%です(2010年)。

 このことは,少ない人員で,上から降ってくる各種の雑務をこなさなければならないことを意味します。現在の教員集団は,若年教員に強い圧力がかかる構造になっていることに注意しなければなりますまい。

 あと一点,経験の浅い若年教員をフォローする体制が整っていないことも挙げられるでしょう。上記の記事では,新規採用教員の高齢化について論じた日本教育新聞の記事を引用していますが,そこでは,今の学校現場は新人を一から育てる余裕がなく,即戦力になる経験豊かな人材を求める傾向にあるといわれています。事実,この記事中の統計グラフから分かるように,新規採用教員の高齢化が進んでおり,新卒該当年齢(20代前半)の比重は以前よりもかなり減じています。

 こうした状況のなか,経験のない新人教員であっても,さまざまな問題に「自分(オン・ザ・ジョブ)で」対応せざるを得ないことになります。このことは,多大な苦痛の源泉になるでしょう。

 8年前,静岡県の磐田市の小学校に勤務していた新任女性教員(24歳)が自殺した事件がありましたが,その原因は,担当する学級で続発する諸問題に孤軍奮闘しなければならなったことによる,心理的な負担(うつ)であったとのこと。*この事件は,19日の高裁判決で労災認定された模様です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120719/t10013712721000.html

 うーん,やはり,病気離職率のほうが,教員の危機状況を診る指標としては使えそうですね。回を改めて,中学校や高校についても,この指標をもとに状況診断をしてみようと思います。

2012年7月22日日曜日

性犯罪の月別認知件数

性犯罪(強姦,強制わいせつ)の月別の認知件数を整理してみました。2010年の東京の統計です。資料は,『警視庁の統計・平成22年版』です。下記サイトの第32表から数字を採取し,グラフにしました。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/toukei/bunsyo/toukei22/k_tokei22.htm

 なぜ東京かというと,警察庁の全国統計では,月別の認知件数の集計は行われていないからです。


 ピークは,6月の110件です。予想がつくことですが,気温が上昇し,薄着が多くなる夏季に多く発生しています。12月にちょっと多くなるのは,年末で酒が入る機会が多くなるからでしょうか。

 ご注意のほど。

2012年7月21日土曜日

チカン

最近,新聞などで,痴漢事件の報道に接することが殊に増えたように感じます。電車内で女性の体に触るというようなオーソドックスなものもあれば,精緻な小型カメラでスカート内を盗撮するというような,手の込んだ犯行もあります。

 「痴漢って,数でみてどれくらいいるんだろう?」。こういう素朴な疑問をお持ちの方もおられると思います。この疑問に正確に答えてくれる統計はないのですが,おおよその数を推し量ることは可能です。今回は,それをご覧に入れようと存じます。

 痴漢の多くは,各県の迷惑防止条例違反が禁じている「粗暴行為」に該当します。たとえば,東京都の迷惑防止条例第5条は,公共の場所又は公共の乗物において,正当な理由なく,「衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること」,「人の通常衣服で隠されている下着又は身体を,写真機その他の機器を用いて撮影し,又は撮影する目的で写真機その他の機器を差し向け,若しくは設置すること」を禁じています。
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122121.html

 しかるに,下着の中に手を入れるなど,あからさまな行為は,強制わいせつ罪という刑法犯に相当します。

 したがって,この2つの罪に問われた人間の数が,痴漢の量の近似値であると考えられます。双方とも,警察庁の『犯罪統計書』から知ることが可能です。最新の2010年の統計でみると,同年中に迷惑防止条例違反(粗暴行為)で検察送致されたのは5,588人,強制わいせつ罪で警察に検挙されたのは2,189人です。合計すると7,777人,1日あたりの数にすると約21人なり。
http://www.npa.go.jp/archive/toukei/keiki/h22/h22hanzaitoukei.htm

 迷惑防止条例違反がいう粗暴行為の全てが痴漢なのか,という疑問があるでしょうが,実態は限りなくそれに近いと推測されます。東京都でいうと,2010年中に同条例の粗暴行為相当で検察送致となったは1,957人ですが,その全員が「卑わいな行為」によるものとなっています(『警視庁の統計・平成22年版』)。*うち201人は「盗撮」。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/toukei/bunsyo/toukei22/k_tokei22.htm

 さて,上記の7,777人という数字の性格を知るために,上記資料のバックナンバーをもとに,時系列推移をたどってみましょう。1970年(昭和45年)以降の,40年間の推移を明らかにしました。


 痴漢の近似量は,1970~80年代にかけて減少しますが,90年代になると増加に転じ,90年代半ば以降グンと増えています。これは,迷惑防止条例を制定する県が増えたためと解されます。

 しかし,それとは関係のない強制わいせつの検挙人員も増えていることから,この時期における「痴漢激増」の原因を,統制強化のみに帰することはできますまい。ちょうど,日本社会に暗雲が立ち込めてきた時期です。各種のストレスによって,この種の卑劣犯罪に手を染める輩が増えた,という説も成り立ちます。

 悲しいかな,痴漢の加害者の中に,子どもを教え導く存在たる教員が含まれることも少なくないのですが,御用となった先生の多くが動機として口にするのは「ストレス」です。

 前回の記事では,この10年間にかけて,教員の趣味・娯楽行動の実施頻度が下がってきていることを明らかにしました。そうした「あそび」の重要な機能の一つは,ストレス発散です。近年における教員の不祥事増,犯罪増は,教員の生活から「あそび」の領域が欠落してきていることに由来する,といえないでしょうか。少なくとも,教員をして各種の逸脱行動へと傾かせしむる(潜在的な)条件は強くなってきていることと思います。

 話が逸れましたが,頻繁に報道される割にはあまり明らかにされていない痴漢の量を,近似的に推し量ってみたら,上記の結果になったことをご報告します。

2012年7月19日木曜日

教員の趣味・娯楽

 私は車を運転しないので,よくは知りませんが,車のハンドルには「あそび」が必要であるといいます。「あそび」とは,左右にハンドルを動かしても,車軸に影響しない範囲のことです。なるほど。確かに,こういう「あそび」がないと,車の走行はぎこちないものになるでしょう。

 それと同様,人間にも「あそび」は必要です。「あそび」は否定的に捉えられがちですが,人間の生活構造の重要な一角を構成しています。「くつろぎ」,「仕事」,そして「あそび」というような,各領域の均衡がとれている状態が望ましいといえます。

 今回は,生活者としての教員の「あそび」がどういうものかをみてみます。具体的にいうと,教員の各種の趣味や娯楽行動の実施頻度を数字で出してみます。資料は,このほど公表された,2011年の総務省『社会生活基本調査』です。

 この資料から,2000年10月20日~2011年10月19日までの1年間における,教員の趣味・娯楽行動の実施率を計算することができます。本調査のサンプルとなった教員には,学校教育法第1条で規定されている正規の学校の教員のほか,専修・各種学校の教員も含まれています。しかるに,母集団の構成からして,多くが小中高の教員であるとみられます。

 さて,上記調査の結果から,母集団の傾向を推し量ると,教員約144.4万人のうち,この1年の間に何らかの趣味ないしは娯楽を行った者は137.3万人と見積もられます(下記サイトの表48-1)。実施率は,後者を前者で除して95.1%です。まあ当然ですが,ほぼ全ての者が,何らかの趣味や娯楽を持っています。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001039114&cycode=0

 しかるに,趣味や娯楽といっても,いろいろなものがあります。教員の実施率が高いのは,どういうものでしょう。上記調査から,34種類の行動の実施率を出すことができます。教員の特徴を検出するため,前々回と同様,専門・技術職全体と有業者全体の数値と比べてみました。


 3群の中で最も高い数値は赤色にしました。ほう。多くの行動の実施率が,教員で最も高くなっています。教員は,類似業者や有業者全体と比べて,各種の趣味や娯楽の実施頻度が高いようです。

 教員の率が,他の2群よりも際立って高い場合(2位の数値よりも5ポイント以上高),黄色のマークをしました。教員に固有の趣味・娯楽であることを示す,メルクマールとみてよいでしょう。美術,音楽,園芸,そして読書など,文化的なものが多くなっています。

 教員は視野が狭いといいますが,普通の人間に比べれば,「あそび」の領域も充実しているではないですか。しかしながら,最近10年間の変化をとってみると,違った側面がみえてきます。

 前々回と同じく,2001年の『社会生活基本調査』の数値と比較してみましょう。上表の34の行動のうち,18のものについては,2001年調査の実施率も出せます。2000年10月20日~2001年10月20日までの間の実施率です。

 横軸に2001年調査,縦軸に2011年調査の実施率をとった座標上に,18の趣味・娯楽行動をプロットしてみました。教員の趣味・娯楽行動の実施頻度がどう変わったかを,視覚的にみて取れる仕掛けになっています。


 図中の斜線は均等線です。この線よりも上方にある場合,2011年の実施率が2001年を上回ることを意味します。下方にある場合は,その反対です。

 どうでしょう。この10年間で実施率がアップしたのは,18のうち2つだけです(赤色)。残りの16の行動は,実施率が下がっています。

 均等線よりも垂直方向の距離が大きいほど,実施率が大きく変動したことになります。10ポイント以上の低下をみたのは,演芸・演劇・舞踊鑑賞,美術鑑賞,そしてカラオケです。カラオケは,51.1%から35.3%と,15.8ポイントの減なり。*上図の(  )内の数値は,10年間の実施率の増減ポイントです。

 前々回の記事では,教員の各種の学習行動実施率が,この10年間で下がっていることを知りました。今回は,趣味・娯楽という「あそび」の面にスポットを当てたのですが,こちらも味気ないものになってきていることがうかがわれます。

 先の記事でもいいましたが,この10年間,いろいろなことがありました。教育基本法改正,学校(教員)評価制度導入,教員組織の階層化(主幹教諭など,新職種導入),教員免許更新制施行など。

 こうした変動のなか,教員の職務への入れ込み具合は向上したかもしれません(勤務時間増,研修頻度増・・・)。しかるに,そのような職業人としての面とは別の,「生活者」としての側面は荒んできているようです。冒頭の比喩との兼ね合いでいうと,生活を円滑ならしめる「あそび」が失われてきているように思われます。

 5月15日に公表された,中教審の審議まとめ「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」は,これからの教員に求められる資質として,専門的な知識や技術のほかに,「総合的な人間力」というものを挙げています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo11/sonota/1321079.htm

 人間力という言い方には違和感を覚えますので言い換えますが,広義の人間性の肥やしとなるのは,職務とは「無関係」の教養,文化,趣味・娯楽であると私は考えます。現行の政策は,人間性のこうした源泉を枯れさせる方向に動いているような印象を受けます。今回のデータをみて,そうした印象が確信へと変わった次第です。

 最後に,「カラオケ」について一言。先ほどみたように,教員の娯楽行動のうち,最近10年間の実施率の落ち込みが最も大きいのはカラオケです。私は学部4年の時,都内の公立小学校に教育実習に行ったのですが,そこの先生方はまあカラオケがお好きなようで,週に1,2回のペースで,みなさんで歌いに行かれていました。私も連れていかれました。

 研究授業の前日の晩に「来い」といわれたときは,さすがに躊躇したのですが,「こういうのに来ないとダメなんだよ!」と一喝され,結局,日付が変わるまで引っ張り回されました。

 翌日(当日)の研究授業がどういうものになったかは申しませんが,この学校の教員集団の凝集性を高めるツールとして,カラオケが機能しているんだなあ,と強く感じた次第です。

 こういう経験を持つ私としては,教員のカラオケ実施率の低下は,教員集団の凝集性(連帯)が低下していることを示すのではないか,という危惧を持ちます。上述のように,教員評価の導入や新職階の創設など,教員間の差異化・分裂化(differentiation)を促すような条件が出てきていることも,このような懸念を強くします。

 私の単なる思い過ごしであることを祈ります。これからは,教員のカラオケ実施率というような指標にも注意していこうと思います。長くなったので,この辺で。

2012年7月18日水曜日

子どもの死因構成

昨年の12月13日の記事では,年齢別の死因構成の面グラフをお見せしました。この図のうちの,子ども(0~19歳)の部分を拡大した図をつくってみました。下に展示します。

 2010年中における,各年齢の死亡者の死因の内訳が示されています。資料は,同年の厚労省『人口動態統計』です。この年の子どもの死亡者数は,5,837人なり。


 子どもですから,どの年齢でも事故死が多いのですが,10代の後半になると,自殺のシェアも増してきます。赤色は他殺です。

 猛暑の候,みなさま,ご自愛くださいますよう。

2012年7月17日火曜日

教員の学習

教員は,子どもを教え導く存在ですが,知識や技術の伝達者である以上,自らも絶えず学び続けなければなりません。

 5月15日に中教審から出された「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(審議まとめ)」は,教員を「高度専門職」として位置づけ,これからの教員には,「教職生活全体を通じて自主的に学び続ける力」が必要であると明言しています。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo11/sonota/1321079.htm

 まあ,その必要性はいつの時代でも同じですが,社会の変動が激しい今日,それはますます顕著になっているといってよいでしょう。ちなみに,法規の上でも,教員は「研究と修養」に努めることを義務づけられています(教育基本法第9条2項,教育公務員特例法第21条1項)。

 ところで,お上が想定している「研究や修養」の内容は,教科の専門知識や授業技術というようなことが主だと思いますが,それだけでは足りません。教員には豊かな人間性(上記の中教審の文書がいう「人間力」)が求められる以上,職務とは離れた幅広い教養や社会体験というようなことも,その一角を構成すべきであると思います。

 今回は,教員のうち,広い意味での学習を行っている者がどれほどいるかをみてみようと思います。ちょっと格好つけていうと,教員の「生涯学習」状況の調査です。

 7月13日に,2011年の総務省『社会生活基本調査』の結果が一部公表されました。この公表資料から,調査日の前の1年間(2010年10月20~11年10月19日)における,対象者の学習行動実施状況を職業別に知ることができます(下記サイト表9-1)。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001039112&cycode=0

 設けられている職業カテゴリーの中に「教員」があります。用語解説によると,学校教育法第1条が規定する正規の学校のほか,専修・各種学校の教員も含まれるそうです。しかるに,母集団の組成からして,多くが小中高の教員であるとみてよいでしょう。

 本調査の結果をもとにすると,教員144.4万人のうち,上記の1年間に何らかの学習・自己啓発行動を行った者は84.9万人と推計されます。よって,1年間の教員の学習行動実施率は,後者を前者で除して58.8%となります。およそ6割。この値を,専門・技術職全体や有業者全体と比べてみましょう。


 教員は,有業者はむろん,類似業者と比べても,学習行動の実施率が高くなっています。まあ,そうでなかったらチト不安になるのも事実ですが。では,どういう種類の学習行動の実施率が高いのでしょう。上記調査で設けられている,9種類の学習行動の実施率をグラフ化しました。


 この1年間で実施した学習行動を,複数回答で尋ねた結果です。専門・技術職全体で,外国語の学習率が高いようです。専門・技術職には,教員のほか,法務従事者,経営・金融・保険専門職従事者,芸術家などが含まれますが,これらの職には,外国語が必須となっているのでしょう。

 教員で目立って高いものはというと,パソコン,人文・社会・自然科学,および芸術・文化です。教育の情報化が進むなか,教員にはパソコンスキルが求められるようになっています。後二者は教養的な内容であり,こちらも,教員の特性が出ているような気がします。

 教員は,他の専門職従事者と比して学習行動率が高いこと,その内容も,職務と直結した狭いものに限られていないことが分かり,安堵しました。しかし,それを打ち消すデータもあります。過去との時系列比較です。

 総務省『社会生活基本調査』は5年おきに実施されているのですが,10年前の2001年調査の結果でみると,教員の1年間(2000年10月20日~01年10月19日)の学習行動実施率は73.4%です。冒頭の表でみた2011年の率は58.8%ですから,この10年間で15ポイントほどダウンしたことになります。

 なお,種類別の学習行動率も軒並み減少しています。上図の9種類の実施率がどう変わったかを調べてみました。


 最も減少幅が大きいのは,パソコン関係です。2001年調査では,半数に近い数値が記録されています。この時期は教育の情報化のはしりであり,教員らが熱心にパソコンを学んだ,ということかもしれませんが。

 ほか,減少幅が10ポイントを超えるのは,人文・社会・自然科学と芸術・文化です。先ほどのグラフでみたように,この2項目の学習率は,教員は他の職種よりも高いのですが,10年前と比べたらかなり減っていることが気がかりです。

 この10年間には,いろいろなことがありました。2006年の教育基本法改正,07年の教育三法改正,09年度からの教員免許更新制導入など。その中には,教員の「ゆとり」を奪う結果につながったものもあるでしょう。こうしたことが,教員をして,幅広い教養や文化を学ぶ機会から遠ざけているというのであれば,看過できることではありません。

 開業医が患者を診察するのは,週のうちの半分であるといいます。それ以外の時間は,常に進歩する医学知識の摂取や,関連学会への参加などに充てられます。大学教員も,授業に充てられるのは,多くても週の半分くらいでしょう。他の時間は,自らを高めるための研究に費やされます(最近は雑務が大ですが)。また,1年ほどの研究専念期間(サバティカル)の制度もあります。

 冒頭で引いた中教審の文書がいうように,教員を「高度専門職」とみなすのであれば,職務から離れる「ヒマ」を付与すべきかと思います。しかるに,上記の時系列データをみるに,それとは逆の方向にいっているような印象を受けるのは残念です。

 回を改めて,同じく『社会生活基本調査』のデータを使って,教員の趣味・娯楽の実施頻度や,その内実をみてみようと思います。教員も「生活者」です。こうした「あそび」の領域も充実されねばなりません。では,今回はこの辺で。

2012年7月16日月曜日

収入や資産の悩み

今回は,国民の悩みシリーズの締めとして,収入や資産のことで悩んでいる人間の量を明らかにしてみようと思います。

 資料は,これまでと同じく,内閣府の『国民生活に関する世論調査』です。この調査では,20歳以上の対象者に対し,悩みや不安の有無を尋ねています。2010年調査の結果をみると,この問いに対し,「ある」と答えた者は全体の68.4%,およそ7割です。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-ko.html

 悩みや不安がある者に対し,その具体的な事由を複数回答で尋ねたところ,「現在の収入や資産」を選んだのは33.0%,「今後の収入や資産」を選んだのは39.7%でした。

 したがって,それぞれの事由で悩んでいる者の比率を対象者全体ベースで出すと,以下のようになります。前者でいうと,「全体の68.4%のうちの33.0%」です。
 現在の収入や資産 ⇒ 68.4 × 0.01 × 33.0 ≒ 22.6%
 今後の収入や資産 ⇒ 68.4 × 0.01 × 39.7 ≒ 27.2%

 国民のおよそ5人に1人が現在の収入,4人に1人が今後の収入のことで悩んでいるようです。最近の状況を考えると,さもありなんです。かくいう私のそのうちの一人。ちなみに,この比率は1990年代以降,ぐんぐん上がってきています。上記の世論調査の時系列データを,隔年でたどってみました。*1998年と2000年は,調査が実施されていません。


 双方とも右上がりですが,1996年と99年の間に大きな段差がみられます。「98年問題」に象徴されるように,この時期にわが国の経済状況は大きく悪化したことの影響が表れています。

 ピークは2008年にありますが,これはリーマンショックによるものでしょう。最近は率がやや下がっていますが,収入や資産に関する悩み・不安の蔓延度が,以前に比して相当高くなっていることに注意しなければなりますまい。

 なお,時期を問わず,現在よりも今後の収入のことで悩む人間が多いようです。7月8日の記事では,「今後の生活が悪くなっていく」と考える,展望不良状態の者が増えてきていることをみましたが,このことと綺麗にリンクしているように思います。

 では,年齢層別のデータもみてみましょう。90年代以降の年齢層別の様相を上から俯瞰した場合,どういう模様が観察されるでしょうか。どの部分に膿が見出されるでしょうか。まずは,「現在」の収入・資産のことで悩んでいる者の比率を,「時代×年齢」の社会地図で表現してみます。


 ほう。近年の働き盛りの年齢層に,暗雲が立ち込めています。黒色の膿が,40代から50代の前半の箇所に広がっています。この層では,3人に1人が収入や資産のことで悩んでいることが知られます。

 この年齢層は,子どもの扶養と老親の扶養を共に強いられる,サンドイッチ年代です。また,多くが住宅ローンも抱えていることでしょう。要するに,経済的な負担が最も大きい年齢層なのですが,近年の状況下では,その負担は一層増しているものと思われます。

 なお,20代後半の箇所に膿があることにも見逃せません。買い手市場のなか,初任給を相当引き下げられているケースも多いのではないでしょうか。

 次に,「今後」の収入・資産のことで悩んでいる者の比率を,同じ図式で俯瞰してみましょう。


 こちらも,最近の働き盛りの層が,怪しいグレーに覆われています。今日では,30~40代の4割弱が,今後の収入や資産に関する悩みに苛まれています。2008年の黒色の膿は,リーマンショックの傷跡を表現しているものと読めます。

 今の日本社会では,国民の間に,収入や資産に関する悩み・不安が蔓延していること,そのことはとりわけ30~50代あたりの働き盛りの年齢層で顕著であることを知りました。まあ,日常的な感覚でも察知できることですが,データで可視的に表現してみると,空恐ろしいものがあります。

 国会の廊下の壁に,この手の社会地図を展示してみたらどうでしょう。議員さんたちに,「空恐ろしい」思いを常日頃味わっていただくのです。視覚に訴える統計図をドーンと提示するするのは,強烈なパンチになることと思います。

 そういえば,埼玉県の上田清司知事は統計がお好きなようで,知事室の壁にはさまざまな統計グラフが貼られているとのこと。しかるに,さすがの知事も,「時代×年齢」の社会地図図式についてはご存知ないでしょう。サンプルを送ってみようかしらん。

 拙著『47都道府県の子どたち』(武蔵野大学出版会,2008年)を送ったときは,直筆の丁寧なお返事をいただきました。今度は,どういう反応がくることやら。

2012年7月15日日曜日

自分の生活の悩み

今回は,自分の生活(進学,就職,結婚等)に関する悩みや不安を持っているも者がどれほどいるかをみてみます。

 内閣府の『国民生活に関する世論調査』では,20歳以上の対象者に対し,悩みや不安の有無を尋ね,あると答えた者には,その具体的な事由を複数回答で問うています。その選択肢の一つとして,「自分の生活(進学,就職,結婚等)」というものが用意されています。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-ko.html

 2010年調査の結果によると,全対象者のうち,悩みや不安があると答えた者は68.4%であり,このうちの16.4%が上記の事由を選択しています。したがって,自分の生活のことで悩んでいる者が全対象者に占める比率は,以下のようになります。「68.4%のうちの16.4%」です。
 68.4 × 0.01 × 16.4 ≒ 11.2%

 20歳以上の国民の1割が,就職や結婚といったライフイベントに関することで悩んでいるようです。この種の悩みは,時代とともに増えてきていることでしょう。また年齢層別にみれば,若年層で顕著であると思われます。

 では,時代と年齢層という2変数によって,上記の比率がどう変わるかを上から俯瞰してみましょう。例の社会地図図式を使います。横軸に時代(隔年),縦軸に年齢層(5歳刻み)をとったマトリクス上の各地点が,比率の水準に依拠して塗り分けられています。


 まずヨコの時代軸でみると,どの年齢層でも,自分の生活のことで悩む者の比率が増しています。私の年齢層(30代後半)でいうと,1990年は赤色だったのが世紀の変わり目には緑色になり,2006年以降は紫色のゾーンに侵食されています。紫色は,10%台の後半です。

 次にタテの年齢軸でみると,当然ですが,就職や結婚のようなライフイベントのことで悩む者は若年層で多いようです。最近の20代前半では,約4割の者がこの種の悩みや不安に苛まれています。

 かつてはごくフツーに経験できた就職や結婚ですが,最近では一筋縄ではいかなくなっています。就職失敗を苦にした大学生の自殺が社会問題になっているほどです。なお,こうした悩みは徐々に上の年齢層にも広がってきていることも指摘しておくべき点です。

 上記の図は,現代日本社会の病理を可視的に表現したものといえましょう。私が専攻する社会病理学の究極の課題は,社会の病理度を診断することですが,「時代×年齢」の社会地図は,そのための格好の道具であると思います。ちなみに,この図式を最初に考案されたのは,私の恩師の松本良夫先生です。

 次回は,収入や資産のことで悩んでいる者の量を,同じ形式で表現してみようと思います。

2012年7月13日金曜日

老後の生活設計の悩み

前々回の記事では,20歳以上の国民のうち,悩みや不安を持つ者がどれほどいるかを明らかにしました。資料は,内閣府の『国民生活に関する世論調査』です。

 1990年代以降の日本社会の雲行きの怪しさを象徴するがごとく,悩みや不安を抱く人間が増えてきています。その比率は,1990年では51.0%でしたが,2010年現在では68.4%,7割に迫る勢いです。とりわけ,50代のあたりに暗雲が立ち込めていることを,例の社会地図図式で確認しました。

 しかるに,悩みや不安といっても,その内実は多様です。今回から数回かけて,主な事由を取り上げ,当該事由に関する悩み・不安を持っている者の比率をみていこうと思います。今回取り上げる事由は,「老後の生活設計」です。

 上記の世論調査では,悩みや不安があると答えた者に対し,その事由を複数回答で尋ねています。2010年調査では,先ほど述べたように,悩みや不安がある者は全体の68.4%です。このうち,「老後の生活設計」という事由に○をつけたのは52.4%です。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-ko.html

 したがって,老後の生活設計で悩んでいる者の比率を,調査対象者ベースで出すと,以下のようになります。「全体の68.4%のうちの52.4%」です。
 68.4 × 0.01 × 52.4 ≒ 35.8%

 ほう。現在では,20歳以上の国民の4割弱が老後のことで悩んでいるのですね。この比率は,1990年では16.7%,2001年では30.7%でした。数値が上昇してきていることが知られます。

 まあ,高齢層が増えているのですから,当然といえば当然です。では,数値の変化を年齢層別に観察してみましょう。おおよそ隔年のデータで,90年代以降の変化を俯瞰してみます。例の社会地図の登場です。老後の生活設計のことで悩んでいる者の比率を,色の違いから読み取ってください。


 10%刻みでラフに塗り分けましたが,高率ゾーン(膿)がどこにあるかが一目瞭然です。ズバリ,最近の50代です。黒色は,老後の生活のことで悩み,不安を抱いている者の比率が50%超(半分以上)であることを示唆します。

 リタイヤが間近な50代の数値が高いのは頷けますが,近年の増加傾向には目を見張るものがあります。1990年では20%台,世紀初頭の2001年では40%台になり,2008年に50%台にのっています。年金崩壊などがいわれる最近の情勢と,気持ち悪いくらい歩調が合っています。

 なお,若年層でも,老後の不安はじわじわと広がってきています。私の属する30代後半でいうと,90年は15.8%,01年は26.0%,08年には36.6%にまで比率が高まりました。08年の高騰は,リーマンショックの影響でしょう。10年はやや落ち着いて27.7%に下がりましたが,私の年齢層でも,4人に1人が老後のことで悩んでいるのです。

 これは,制度(年金等)の不備の問題という側面を強く持っていますが,若者当人の意識の問題ともいえます。20代や30代のうちから,必死に電卓をたたいて,老後にもらえる年金額を推計する・・・。こんなことは,私はしたくないな,と思います。

 まあ,このご時世ですから,常に先のことを考えて行動しなければならないのは確かですが,「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」。「今を一生懸命生きる」という考えも,併せ持とうではありませんか。

 だいぶ先のことなんて,分かりはしません。おそらく,年金制度も現行のものとはガラリと変わっていることでしょう。天変地異(首都圏地震)によって,社会制度が総「白紙化」してしまうかもしれません。これまでの年金記録,オール消失。⇒70歳以上の国民の年金額は,全員一律**円など。

 確か,諸冨祥彦教授の『とりあえず,5年の生き方』(実務教育出版,2010年)に,こういうことが書いてあったような気がします。
http://jitsumu.hondana.jp/book/b80863.html

 「あと5年で死ぬかもしれない」と,とりあえず仮定する。多くの人がこれを実践すれば,上図の模様はガラリと変わることでしょう。そういう社会を,「トンデモ」社会と決めつけることができるでしょうか。

 次回は,自分の生活(進学,結婚,就職など)に関する悩み・不安の量を,同じやり方で俯瞰してみようと思います。予想がつくでしょうが,膿の部分が今回の図とは違っています。

2012年7月12日木曜日

大学への編入学

ちょっと話題を変えましょう。わが国の学校教育では,「編入学」という制度が設けられています。「学校を卒業した者が,教育課程の一部を省いて途中から履修すべく他の種類の学校に入学すること」です(文部科学省)。編入先では,途中年次からの入学となります。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shikaku/07111315.htm

 どの学校への編入が多いかというと,ほとんどが大学です。大学に編入できるのは,①短期大学卒業者,②高等専門学校卒業者,③専修学校専門課程修了者,とされています(学校教育法)。

 高卒時点では,一つの専攻を短期間で学びたいと短大に進学したが,その後,勉学をもっと深めたくて4大に行きたい,と思う者もいるでしょう。しかし,4大の1年次から入り直すのは,時間的にも金銭的にも大変です。編入制度を使えば,短大での2年間の学習の上に,4大の3・4年次の学習をうまく積み上げることができます。

 編入学制度は,高等教育機関の間での移動可能性(Mobility)を保証する機能を果たしています。この制度の利用者はどれほどいるのでしょう。この点は,文科省の白書などでは紹介されていないようです。当局の原資料にあたって,数を明らかにしてみました。

 同省の『学校基本調査報告』(2011年度)によると,同年度中の大学編入学者の内訳は,短大からが5,839人,高専からが2,769人,専修学校からが1,977人となっています(夜間大学への編入者含む)。合計すると,10,585人なり。

 この数字の性格を知るために,過去からの推移をたどってみます。文科省の上記資料では,大学への編入学者の数が,1983年度より計上されています(専修学校からの数は,1999年度より計上)。この年以降の推移をグラフ化すると下図のようです。


 大学への編入学者は,1990年代にかけて大きく増えています。ピークは,2000年度の18,031人です。その後は減少傾向にあり,2011年度の10,585人に至っています。

 なお,グラフをみてお分かりかと思いますが,最近の減少の主要因は,短大からの編入者が減っていることです。2000年度は14,388人でしたが,2011年度は5,839人となっています。3分の1近くにまで萎んでいるのです。

 しかるにこれは,短大の卒業者そのものが減っていることによります。近年の短大の苦境は広く知られています。編入者が卒業生に占める比率(編入率)を出すと,短大は,ここ10年は9%ほどで推移しています。短大と高専の編入率の推移を折れ線グラフで示しておきます。


 編入率にすると,一貫して増加の傾向です。現在値は,短大でほぼ1割,高専でほぼ3割。これらの学校の卒業後の進路において,大学への編入のウェイトが小さいものではないことがうかがわれます。

 先にもいいましたが,今の短大は大変な苦境に立たされています。学生数も激減しています。2年間しか学べない(遊べない)・・・。当の学生にすれば,こういう思いがあるのでしょう。教育を受けさせる保護者は,わが子には4年間しっかり学ばせたい,と考えるのでしょう。少子化(兄弟数減少)により,保護者のこうした思いはますます強くなっているものと思われます。

 しかるに,在学期間が短いことは,短大の長所と捉えることもできるでしょう。考えてみれば,4大で興味を持てない勉強に4年間も付き合うのは苦行です。それに耐えられず中退してしまう者も多くいます。

 その点,短大の場合,2年間で集中して学んでみて,もう勉強とおさらばしたいと思ったら就職,もっと学びたいと思ったら4大に編入すればよいわけです。

 短大では,大きなリスクを冒すことなく,自分の適性を見極める(目標を定める)期間を享受することができる,という見方も可能です。短大の卒業生には,多くの選択肢が用意されています。今回のデータでみたように,4大への編入可能性だって広がってきています。もしかしたら,国立大学への編入という「学歴ロンダリング」も容易であったりして・・・。

 『短大ファーストステージ論』(東信堂,1998年)という本があります。短大を,さまざまな道に進む前の第一段階(ファーストステージ)とみなす考え方が提起されています。短大のこうした側面を見直し,今こそ,それを強調すべきであると思います。

 話をちょっと広げると,高卒後の教育(中等後教育:Post Secondary Education)を担う機関は大学だけではありません。短大,各種の職業訓練機関,省庁所管の大学校など,きわめて多様な機関があります。専門の研究者であっても,その全貌を把握している者はそう多くはないでしょう。

 となれば,実際の進路指導に当たっている現場の先生方の状況は推して知るべし。「大学,短大,専門 or 就職」という4択しか頭にない人も多かったりして。

 中等後教育機関の間の移動可能性は開かれています。袋小路というケースはありません。進路指導の先生方は,18歳の生徒に対し,多様な選択肢を提示してほしいものです。そのためには,知識が必要になります。

 教職課程の「進路指導論」の授業では,わが国の複雑極まる中等後教育の構造に関する内容も盛り込むべきなのだろうな。しかるに,ネット上のシラバスをざっとみた限りでは,そういう内容はあまり取り上げられていないようです。手元の標準テキストをみても然り。これって一体・・・。

2012年7月10日火曜日

国民の悩みや不安

公的な世論調査のデータをもとに,1990年代以降の日本社会の状況を描く作業をしています。90年代以降,日本社会に暗雲が立ち込めてきたことに異論を唱える者はいないでしょう。その「暗雲」を,目に見える形で表現することを意図しています。

 前回は,「これから先,生活が悪くなっていく」と感じている,展望不良状態の者の比率を明らかにしました。今回は,悩みや不安を感じている人間がどれほどいるかをみてみようと思います。

 内閣府が毎年実施している『国民生活に関する世論調査』では,20歳以上の対象者に対し,「日常生活の中で悩みや不安を感じているか」と尋ねています。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-ko.html

 この問いに対し,「感じている」と答えた者の比率は,1990年では51.0%,ちょうど半分でした。しかるに,世紀が変わった2001年には65.1%になり,2010年には68.4%と7割近くにまで上昇しています。

 さて,いうまでもないことですが,社会はさまざまな年齢層(age groupes)から成り立っています。悩みや不安は,どの層において蔓延しているのでしょう。また,いつ頃からそうなっているのでしょう。

 こうした「時代×年齢」のデータをグラフにする場合,例の「社会地図」図式が役に立ちます。「時代×年齢」のマトリクス上にて,観察しようとする現象の量を等高線的に表現するものです。悩みや不安を感じている者の比率の水準を,色の違いから読み取ってください。

 下図は,おおよそ2年刻みの動向を視覚化したものです。上記の調査は,1998年と2000年には実施されていないことを申し添えます。


 今世紀以降,40~60代のあたりに,怪しいグレーやブラックのゾーンが広がってきています。グレーは,悩みや不安がある者の比率が70%台前半,ブラックは75%超(4人に3人以上)であることを示唆します。

 上図から,社会のどの部分に暗雲が立ち込めているのかが分かります。具体的にいうと,近年の50代。悩みや不安の内実は,老後の不安やリストラされることへの恐れなどではないでしょうか。

 上記の世論調査では,悩みや不安があると答えた者に対し,複数回答でその内容も尋ねています。「老後の生活設計」,「自分の健康」,「日常の生活費」,「家族との人間関係」など,興味をひく選択肢がわんさと用意されています。次回以降,面白いものについて,同様の形式の図をつくってみようと思います。

 「日常の生活費」について悩んでいる者の比率を,上のような形でグラフ化したら,どういう模様になるでしょう。まだやっていませんが,乞うご期待。

2012年7月8日日曜日

今後の生活の見通し

「希望学」という学問領域が生まれつつあるそうですが,人間にとって希望(hope)とは重要なものです。

 今の生活は貧しくても,これからよくなっていくという展望が開けていれば,それほどの苦痛にはならないものです。逆をいえば,今の生活が豊かであっても,これからは悪くなっていくことが確実であれば,暗澹たる思いに苛まれることになります。

 現在の日本では,前者よりも後者に該当する者が多いのではないでしょうか。内閣府が毎年実施している『国民生活に関する世論調査』では,20歳以上の対象者に対し,「これから先,生活はどうなっていくと思いますか」と尋ねています。今回は,この設問への回答が過去から現在にかけてどう変化してきたかを仔細に跡づけてみようと思います。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-ko.html

 まずは,1970年(昭和45年)から2011年までの40年間にかけて,この設問への回答分布がどう変わってきたかをみてみましょう。調査が実施されなかった1998年と2000年については,前後の年の中間値を充てています。


 いかがでしょう。「よくなっていく」と答えた者は,始点の1970年では37.4%いましたが,終点の2011年では8.7%にまで萎んでいます。反対に,「悪くなっていく」の比率が5.9%から30.8%へと増えているのです。

 1990年代以降,怪しい黒色が広がってきています。前回と前々回の記事では,日本社会の今の世相を「暗い」,「活気がない」と考える人間が増えていることを明らかにしたのですが,展望不良に苛まれる人間も多くなってきています。「失われた20年」,さもありなんです。

 今日では,3人に1人が展望不良状態にあるのですが,展望不良が蔓延している度合いは,年齢層によって異なるでしょう。私は,1990年以降の各年について,「今後の生活は悪くなっていく」と答えた者の比率を,5歳刻みの年齢層別に明らかにしました。

 この手の煩雑なデータを統計図で表現しようという場合,例の「社会地図」図式がもってこいです。この図式によると,それぞれの年における各年齢層の展望不良率を上から俯瞰することができます。以下に作品を展示します。*調査が実施されていない1998年と2000年は除外しています。


 比率の高低を,色の違いから読み取ってください。1990年代の後半以降,中高年層の部分に紫色が広がってきています。紫色は,展望不良の者が3割以上いることを示唆します。2008~09年では,50~60代にかけて黒色になっています。展望不良率4割超。08年のリーマンショックの影響でしょう。

 2011年では,50代後半から60代前半が黒色です。年金制度の崩壊や,生活保護基準の引き上げなどがいわれているご時世です。この年代では,老後の生活不安を抱いている者も多いことでしょう。

 若年層は,展望不良の者の比率が比較的低いのですが,以前よりも率が上がってきていることは共通です。社会に出たばかりの20代において,「これから生活が悪くなっていく」と考える者が1~2割もいる(赤色)というのは,見方によっては,尋常ならざる事態であるともいえるでしょう。

 『国民生活に関する世論調査』では,不安や悩みの有無や,その具体的な内容についても問うています。次回以降,その結果を「社会地図」図式で俯瞰していくことにいたしましょう。

2012年7月7日土曜日

現代の世相の暗いイメージ②

前回の続きです。内閣府の『社会意識に関する世論調査』では,現代の世相の暗いイメージを表現する言い回しを,複数回答で尋ねています。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-sha.html

 前回は,「暗い」と「不安なこと,イライラすることが多い」の選択率が,1990年代以降どう変わってきたかをみました。今回は,「活気がない」,「連帯感が乏しい」,「ゆとりがない」の3項目の選択率に注目しようと思います。「失われた20年」にかけて,これらの選択率は高まってきているものと思われます。

 まずは,対象者全体(20歳以上)の選択率がどう変化したかをみてみましょう。下表は,始点の1992年と終点の2012年の数値を比べたものです。


 予想通り,どの項目の選択率もアップしています。「活気がない」の選択率は,6.9%から30.2%と4倍以上にも増えています。バブルの余韻がただよう90年代初頭からすれば,今のご時世を「活気がない」と感じる者が増えているというのは頷けます。

 「連帯感が乏しい」は微増,「ゆとりがない」は2割強から4割弱へと増加しています。後者は,時間的・経済的の双方を含んでいると解してよいでしょう。

 次に,年齢層別の選択率の変化を観察します。1992年以降の隔年のデータをつなぎ合わせてみました。それぞれの年における各年齢層の選択率を色の違いから読み取る,「社会地図」図式です。どの部分に紫色や黒色の膿が広がっているかをみてください。


 まずは,「活気がない」の年齢層別選択率です。2010年以降,怪しい紫色(30%以上)が広がっています。世相の暗部を,「活気がない」ことに見出すのは,年齢層を問わないことが知られます。2010年の若年層では,選択率が4割を超えていました。


 続いて,「連帯感が乏しい」です。最近にかけて,中高年層の部分が紫色(3割以上)に侵食されてきています。ちょっと前の50代は黒色(35%以上)でした。

 「連帯感が乏しい」と感じる者が中高年層に多いのは,分かる気がします。第1に,彼らは一昔前の状況を知っている世代です。第2に,今の中高年層は,会社からリストラされ,家族(子ども)からは老後の扶養を拒否されるのではないか,という恐れにおののいています。

 十分な経済力があるにもかかわらず,親族(老親)の扶養を拒否する輩が増えているといわれます。現在では,介護や相互扶助のような,以前は家族が担っていた機能が軒並み外部化(「社会化」)されています。会社も,長年尽くしてきた人材を容赦なくリストラする時代です。「つれない世の中だ・・・」。50代あたりの人間に,こういう意識を持つ人間が多いということに,違和感は感じません。


 最後に,「ゆとりがない」です。近年,働き盛りの層に紫色(40%以上)が広がってきています。調査票には明記されていませんが,ここでいう「ゆとり」は,時間的な意味と経済的な意味の双方を含んでいると解してよいでしょう。

 「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり」(石川啄木)。2008年のリーマンショック以降,多くの労働者がこういう暮らしを強いられていることがうかがわれます。雇用の非正規化が進んでいることは,5月18日の記事でみたとおりです。

 私は,社会の影の部分をみるのが商売ですので,世相の暗いイメージに焦点を当てましたが,上記の世論調査では,世相の明るいイメージについても問うています。関心がある方は,同じ統計をつくってみられたらいかがでしょう。もしかすると,希望を掻き立ててくれるような統計図ができるかもしれません。その時は,よろしかったらご一報を。

2012年7月5日木曜日

現代の世相の暗いイメージ①

「現在の世相をひとことで言えば,暗いイメージとしては,どのような表現が当てはまると思いますか?」。内閣府が毎年実施する『社会意識に関する世論調査』の中に,このような設問があります。いくつか選択肢を提示し,複数選択で答えてもらうものです。
http://www8.cao.go.jp/survey/index-sha.html

 私は,以下の2つの選択肢を選んだ者の比率が,1990年代以降どう変化してきたのかを跡づけてみました。

 「暗い」
 「不安なこと,いらいらすることが多い」

 90年代以降,日本社会に暗雲が立ち込めてきたことは,多くの人が認めるところです。世相を「暗い」と感じる人間が増えてきていることでしょう。また,国民の間に不安やイライラがつのってきているであろうことも容易に想像できます。

 下図は,1990年から2012年までの選択率の変化を,隔年でたどったものです。


 「暗い」の選択率はデコボコしていますが,大局的には増加傾向です。伸びが顕著なのは90年代の後半です。「98年問題」に象徴されるように,わが国の経済状況が大きく悪化した時期と重なっています。2008年から10年にかけての増加は,リーマンショックの影響によるものでしょう。

 「不安,イライラ」の選択率は,1994年から96年にかけてグンと上がります(17.9%→27.4%)。両年の間の95年には,恐ろしい出来事が2つありました。1月の阪神大震災,3月のオウムサリン事件です。こうしたことが,人々の不安を掻き立てたことと思われます。以後,この項目の選択率は3割前後で推移しています。

 次に,年齢層別の様相を観察してみましょう。久々に,「時代×年齢」の社会地図の登場です。それぞれの年における各年齢層の選択率を,色の違いから読み取ってください。まずは,「暗い」を選択した者の比率です。


 90年代の後半にかけて,全般的に高率ゾーンに移行してきます。今世紀以降では,黒色の膿(選択率15%以上)も目立っています。10年前では,黒色は主に中高年層の部分にありましたが,最近では,若年層にまで広がってきています。

 現在の世相を「暗い」と感じる者が,年齢を問わず増えていることが知られます。このことは,社会全体に暗雲ムードが立ち込めていることと同義です。


 続いて,「不安,イライラ」の様相です。こちらも,全般的に怪しい色が広がってきています。
2004年から10年では,若年層の部分に黒色の膿がみられます。この時期では,20代から30代前半の若者の4割近くが,世相の暗部を「不安,イライラ」に見出していたようです。

 リーマンショックによる派遣切りなどが問題化した頃です。若者の「不安,イライラ」が急増したというのも合点がいきます。2008年の6月には,東京の秋葉原で,26歳の派遣労働者による無差別殺傷事件も起きました。

 最近は,この項目の選択率がちょっと下がっていますが,先月の10日,大阪で37歳の無職男性による通り魔事件が起きています。人々,とりわけ若者の間に蔓延する「不安,イライラ」は相当のものです。

 上図の模様は,格差社会化に象徴される,現代日本社会の病理を表現しているものとも読めるでしょう。色が濃い部分が病巣です。

 次回は,別の項目の選択率をみてみます。

2012年7月3日火曜日

年齢別にみた犯罪者の罪種

一口に犯罪といっても,コソ泥から殺人のようなシリアスなものまで,さまざまな罪種があります。2010年中に警察に検挙・補導された犯罪者の罪種構成を調べてみました。*14歳に満たない触法少年の場合,検挙ではなく「補導」といいます。

 警察庁『平成22年の犯罪』によると,同年中に検挙・補導された10代少年は102,609人,20歳以上の成人は236,226人だそうです。合計すると,338,835人なり。延べ数にして,年間33万9千人ほどの犯罪者が出たことになります。国民全体(1億2千万人)に対する比率にすると,千人あたり2.8人となります。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm#sousa

 10代少年(以下,少年)と成人に分けて,罪種の構成をみると,下表のようです。6つの包括区分のもと,28の小罪種ごとの内訳を百分比で表しています。


 少年でも成人でも,万引きのような非侵入盗が全体の4割を占めています。次に目立つのが占有離脱物横領。これは,他人の手(占有)を離れた物をくすね取ることです。落ちている財布を交番に届けないでわが物にした場合,この罪に問われることになります。

 少年では乗り物盗も多くなっています。大半が自転車ドロでしょう。成人では,暴行や傷害といった粗暴犯も比較的多し。なお,世間を騒がせる凶悪犯は,少年でみても成人でみても,比重の上ではごくわずかです。少年で0.9%,成人で1.8%なり。

 ところで,少年といっても,年少少年と年長少年では傾向が違うことでしょう。成人にしても,若者と高齢者の差異が気になります。そこで,細かい年齢別の傾向も観察してみることにしました。少年は1歳刻み,成人は5~10歳刻みにして,罪種の構成を明らかにし,結果を面グラフで表現してみました。


 当然ですが,非侵入盗が多くの領分を占めています。真ん中から左右へと広がっていく蝶のような形です。年少の少年や高齢者では,スーパーなどでの万引きが多いためでしょう。

 少年では,中学生あたりでは乗り物盗が幅をきかせています。また,加齢とともに占有離脱物横領のシェアが増してきます。この罪種の比重のピークは,19歳で31.7%です。なお19歳では,詐欺のような知能犯も目につきます。振り込め詐欺の片棒を担がされるなどのケースも少なくないことでしょう。

 成人では,20~30代の若年層では,暴行や傷害が2割ほどを占めます。この層では,御用となった輩の5人に1人が,こうした粗暴犯によるものです。30~40代では,詐欺やわいせつも比較的目立っています。前者の多くは,オレオレ詐欺や振り込め詐欺でしょう。

 私は,教育社会学や社会病理学の授業で犯罪・非行について話す時は,この面グラフをパワーポイントに取り込んで,学生さんに見せています。すると,「殺人はどこですか?」という質問がきます。

 冒頭の表でみたように,殺人は比重がとても小さいので,グラフの上では把握できません。こう答えると,「へえ,意外」という反応。凶悪犯罪を派手に報道するメディアに感化されているのだろうなあ。

 そういえば,2010年11月の内閣府『少年非行に関する世論調査』にて,「少年非行は増加しているか」と問うたところ,対象者の75.6%が「増えている」と答えたとのこと。しかるに,現実は逆なり。むーん,国民の4人中3人が誤った状況認識を持っていることになります。
http://www8.cao.go.jp/survey/h22/h22-shounenhikou/index.html

 この中には,国や自治体の舵を切る政策担当者もいることでしょう。誤った状況認識によって政策が決定されることほど,恐ろしいことはありますまい。医者の誤診によって,とんでもない薬が処方されるのと同じです。

他人が言うこと鵜呑みにせず,自分で「調べる」。こうしたチカラを,各人が発揮することが求められます。現在は,ネットの普及や図書館サービスの向上により,誰もが,当局の原資料や原統計に容易にアクセスできるようになっています。国会議事録なども,今はネットで閲覧可能です。

 学生さんに,「**について調べてごらんなさい」という課題を出すと,とんでもなく面倒なことを押しつけられたかのごとく,露骨に嫌な顔をされることがしばしばあります。「調べる」という作業への抵抗(偏見)でしょう。もったいないな,と思います。

 現在の学校では情報教育が重視されていますが,各種のツールを駆使した「調べる力」の育成というのも,内容の一角を構成して然るべきであると思います。

2012年7月2日月曜日

10代の自殺率の長期推移

10代少年の自殺率の長期推移をたどってみました。分子の自殺者数は,厚労省の『人口動態統計』より得ました。分母の当該年齢人口は,総務省『人口推計年報』より得ました。

 2010年の10代の自殺者は514人,ベースの10代人口は約1,191万人です。よって,この年の10代の自殺率は,10万人あたり4.3人と算出されます。

 この値が,1950年(昭和25年)以降,どう変化してきたかをたどってみました。5年刻みや10年刻みといったラフなカーブではなく,逐年の推移を明らかにしているのが特徴です。


 10代の自殺率は,1950年代の半ば頃で高かったことが知られます。ピークは,1955年(昭和30年)の15.6です。10代の真ん中は15歳ですが,この年の15歳といえば,1940年生まれです。おお,私の母の世代です。10代の危機度が最も高かった世代だったのだなあ。あの気丈な性格も,このことの産物か・・・。

 1955年といえば,日本が高度経済成長へと離陸を遂げようとしていた時期です。都市化・産業といった,社会の基底構造の変化に加えて,その上で暮らす人々の価値観も大きく変わりつつあった時代です。こうした「大変化」に大きな戸惑いを覚えた青年も少なくなかったことでしょう。

 「人間が生まれ変わるなんて,そんな器用なことができるのか?」。作家の西村滋さんが,戦争孤児を描いた著作(『お菓子放浪記』)の中で,登場人物に繰り返し言わしめている,このフレーズが想起されます。

 こうした激変の時代を通り過ぎ,社会が安定化してくるに伴い,10代の自殺率は大きく低下します。70年代の初頭にちょっと上がるのは,オイルショックなどの動乱があったためでしょう。その後は低下し,80年代にかけて下降傾向をたどります。

 ところで,80年代の半ばに,ペコンと突き出ている年があります。1986年(昭和61年)です。アイドル通の方はお分かりでしょう。この年の4月8日に,人気歌手の岡田有希子さんが飛び降り自殺し,その後,ファンの後追い自殺が頻発したのです。この年の10代の自殺者は782人。前年の534人よりも248人増。推定後追い自殺者数,200人超なり。恐るべし,「群発自殺」。

 10代の自殺率は,90年代の後半にグンと跳ね上がります。具体的にいうと,97年から98年にかけてです。山一證券が倒産したのが97年。この時期に日本の経済状況は大きく悪化し,リストラによる50代男性の自殺者が急増しました。「98年問題」は,子どもの世界にも影を落としたようです。

 子どもの危機は,社会の状況を色濃く反しているのだなと,改めて感じます。自殺率のほか,他殺被害率や事故死率など,子どもの危機指標の時系列データをストックしております。随時,開陳していく予定です。