ここ数年,自殺者数が減少し,自殺防止の取組の効果ありと報じられていますが,青年層の自殺率だけは上昇しています。大卒者のシューカツ失敗自殺などが取り沙汰されていることを思うと,さもありなんです。
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しかるに,今の青年も大変ですが,昔の青年の「生きづらさ」といったら現在の比ではなかったことが知られます。下の図は,20代前半の自殺率の長期推移を描いたものです。当該年齢人口10万人あたりの自殺者数です。分子は厚労省『人口動態統計』,分母は総務省『人口推計年報』から得ています。なお,比較の対象として人口全体の自殺率カーブも添えています。
今世紀以降,青年の自殺率が上昇し,全体の水準に近づいたなどと騒がれていますが,1950年代後半の頃は,この層の自殺率がべらぼうに高かったようです。ピークは1958(昭和33)年の65.6であり,2012年現在(20.4)の3倍以上です。
1958年といったら,あの「三丁目の夕日」の時代です。高度経済成長への離陸期にあり,青年層もさぞ明るい未来展望を持てた時代だと思われますが,上図のカーブをみると「?」をつけざるを得ません。
20代前半の位置を知るために,自殺率年齢曲線を描いてみましょう。青年の自殺率がピークであった1958年と2012年について,5歳刻みの年齢層別の自殺率を出し,折れ線でつないでみました。
昔と今では,曲線の型が大きく違っています。現在は,中高年層をピークとしたフラットな型ですが,1958年では,青年層と高齢層の自殺率が際立って高くなっています。
高齢層の自殺率が高かったのは,戦前の家父長制が崩壊し,高齢者の立ち位置が揺らいでいたことによるでしょう。高齢者は家族で扶養すべしという考えが揺らぐ一方で,年金制度も未発達だった頃です。現在の韓国と似た状況であったと思われます。
それでは,問題の青年層のほうはどうか。1958年の曲線では,20代前半の箇所に鋭い山がありますが,これは何に由来するのでしょう。当時の自殺報道の記事をちょっと調べてみました。
「聞蔵」と「ヨミダス歴史館」にて,昭和30年代前半という時期指定をして,「若者(青年)&自殺」という語で記事検索してみたところ,出るわ出るわ。事件の報道のほか,青年の自殺について考察した社説等も数多くヒットしました。
その全貌を紹介することはとてもできませんが,最も興味をひかれた記事を一つ紹介します。1957(昭和32)年12月11日の朝日新聞の記事です。
「古い考えとの断層」「モラル過度期の悲劇」ですか。この記事は,伊豆の天城山で起きた大学生男女の心中事件を引き合いに出していますが,個々の事件報道をみても,親から交際や結婚を反対されて心中といったものがやたら目につきます。
当時は,見合い結婚と恋愛結婚が並存していた頃であり,相思相愛の間柄であっても結婚を認めてもらえず,無理心中に身を焦がす青年男女もいたことでしょう。これなどは「古い考えとの断層」の典型例です。
2番目の「モラル過度期の悲劇」についても分かります。戦争が終わって10年ほどしか経っていない当時は,戦前と戦後の新旧の価値観が混在していた,まさに「モラル過度期」でした。こうした状況のなか,生きる指針に困惑した青年も多かったことでしょう。
親とかの古い世代はこう言うけど,社会一般ではこう言われている。両者に引き裂かれる者もさぞいたことかと。ちなみに,当時の青年の自殺動機をみると,「厭世(えんせい)」がトップです。世の中が嫌(厭)になったということです。今では,学業不振とかシューカツ失敗とかでしょうが,昔はスケールがより大きなものでした。
「激変の時代は危機の時代」。何かの本で読んだことがありますが,「激変の時代」という点では,当時も現在も同じです。情報化,グローバル化,私事化・・・。人々の生き方の変革を促すような地殻変動が目下進行中ではありませんか。
働くことに対する意識一つとっても,親世代と子世代の間には断絶がみられます。自分たちの生き方(働かざる者食うべからず)を押し付ける親と,それに反発する子どもの葛藤。そうした諍いを苦に自殺する青年もいます。最近では,自殺動機の中で「親子関係の不和」の比重が高まっていることも付記しておきましょう。
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今回お話したのは,半世紀以上も前の昔話ですが,現在ないしは近未来の問題に通じるものとして受け止めるべきだと思います。下の世代の新しい生き方を受容すること。それは,社会を揺るがすことではなく,社会を変革することにもつながり得るのです。